四話「諦めること」



どう考えても勝ち目はない。

「菟宮、お前今勝てるはずがないと考えてるだろう」

尾方先輩は心を読む力でもお持ちなのだろうか。

それとも最初から敗北を確信したような顔を俺はしていたのか。

「......。」

「図星か、いいか、最初から諦めてる奴に勝利は無い。これだけは覚えておけ、っと、S字だぞ、ライン取りに集中して慎重に曲がれ。」

ひょお、と言う音が響く。

尾方先輩の告げに俺は言葉で答えなかった。変わりに表情で答える、というのは出来ないだろうか。試みてみる。

もちろん俺は尾方先輩の言うのとおり最初から敗北を確信していた。条件的にも厳しい。いや、それ以上だ。

それなのに、なぜ尾方先輩は先の見えた敗北を前にしてそんな漫画で見たような台詞を口に出来るのか。

疑問でいっぱいだ。

俺は尾方の指示に忠実に従いながら、クラッチを踏み、シフトレバーを動かし、

ステアを切り、スロットルを開閉する動作を続けた。

しかし、前方の車は徐々に離れていく。差は着実に広げられているのだ。

諦めが迫ってくるのが分かる。

だが、尾方先輩はリタイアなど許さないだろう。

恐らく全力で完走することこそが、彼のポリシーなのだろうから。




ガコン。

太陽も傾きかけた頃、相変わらず強い日差しのなか、五十嵐は自販機の取り出し口に手を伸ばす。

手に取った冷え冷えのサイダーを額に押し当てながら、出たおつりをもう一度硬貨挿入口へ。

「えっと、あったかいコーヒーだっけか。」

自販機を左から一瞥するように視線を動かす。

右へ、左へ、また右へ。

「うーん.....。」

もう5度往復して見てみる。

「あるわけねーよなぁ」

頭をかきむしってぼそりと呟く。

季節は夏。8月の夏まっさかりの夏の中の夏ストライクゾーンだ。

まさか、あったかーいコーヒーなど自販機で販売されている筈もなく、コンビニにすら置いていないだろう。

「これは非常にまずいぞ。いや、俺の生死に関わるかもしんない...。」

菟宮たちがレースをスタートさせた頃だろうか、残された五十嵐と井口 由布子ことヤン子さんは二人で、勝手に菟宮宅を物色していた。

見つけたトランプで賭け有りのポーカーをしたり、冷蔵庫のチーズを勝手に食べたり、押し入れの奥に眠っていた飼育ケースを引っ張り出し、ネズミ捕りにかかっていたネズミを飼育できる環境にしたうえでケース内に放り込んだりと、

それはもう他人の家だろうがそんなことはお構いなしにくつろぎまくりにまくり、遊びに遊びまくった。

と、チーズの影響で急に喉の渇きが激しくなり、そんな真夏日での危機的状況を打破すべく、

由布子ことヤン子が出した提案。それが....

「いくら俺が頼まれて飲み物を買いに来ているとはいえ、由布子の事だ。このあったかコーヒー獲得ミッションに失敗すれば2、3発は確実.....あぁ、助けて神様。」

要するに無茶な条件つきのパシリであった。

無論ミッションに失敗すれば痛めつけられること間違い無し。死亡確定。

五十嵐はそういう理不尽な扱いを受ける存在なのだ。要するにいじられキャラというやつである。

絶体絶命の状況下、五十嵐は自販機の前で立ち尽くした。

由布子は過度の温かいもの好きである。温かくできるものなら何でも温かい方が良い、

とコーラまであったかくして飲んだことのある女である。

なんでも、味が濃くなるとかコクが出るとかで、偏食というか偏飲以外の何でもない。

「あいつは意識してなくとも俺を虐める能力を持っているのか....。」

結局試行錯誤のうえ、コンビニまで走って電子レンジで冷たい缶珈琲を温めてもらうという無茶苦茶恥かしく、

非常に危険な方法を選び、温かいコーヒーを手に入れたのだった。

「くっそー、菟宮もインスタントコーヒーぐらい家に常備しとけよな」

そうして二本の缶をかかえコンビニを飛び出した五十嵐はかかりすぎた時間を取り戻すべく走った。


「遅い....あいつどこで油売ってんのかしら。」

一方待ちくたびれた由布子は、勝手に菟宮宅のガスコンロと鍋を使い、勝手に水道水を注ぎ沸騰させたものに、GTR車内にたまたまあった缶コーヒーを入れ、温めたものを片手で持って飲み干しつぶやいた。

「あーおいし。いいわ、あったかいものって。」

ゴシャ、と頑丈なスチール缶の潰れる音が、菟宮宅内に生生しく響いた。

「帰ったら右フックか....。」






もう半分ほど下っただろうか。

依然として引き離され続け、もう敵車は前方に見えるか見えないかの際という位置にあった。

「ストレートでもコーナーでも引けを取るとは...こりゃまずいな」

もう勝ち目は完全に無くなったかのように見える。

攻め入る機会すらないのだ。

コーナー一つ一つを攻める度に迫る敗北感と脱力感。

尾方先輩の指示もだんだん曖昧で漠然としたものになって来ている。

ふざけるな。最後まで諦めるなって言ったのはあんたじゃないか。

ハンドルを強く握るぎゅうという音。スロットルが全開になる。

「お...おい!何やってる!スピードが出すぎだッ!」

「るっせぇッ!」

「......ッ!?」

唖然とする尾方。

「最初から諦めてる奴に勝利は無い。だと?諦めてるのはあんたの方だろッ!その漠然としたやる気のない指示、それが何よりの証拠だッ!」

その瞬間、尾方の目が鋭さを増す。そしてそれ以後何も喋らなくなる。

こうなればもう菟宮は意地を張るしかない。

目前に迫るRの小さい右コーナー。ガァと雄叫びをあげるエンジン。速度計は時速116kmを指している。

無論その速度から考えて距離的にも今すぐフルブレーキをしないと安定にコーナーリングするには間に合わない。

尾方の指示なしでの、無謀ともいえるドライビング。迫るコーナー。



尾方は目をつむった。





































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