ニッポンとアメリカの「隙間」で、もがく。

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流産確定


週明けに10日後の超音波検査と医師の診察の予約をしたが、予約は2週間後の30日にしかとれなかった。
ネットで、「流産」の2文字を入力して、取り憑かれたかのようにあちこちをさまよった。
体験談を読むうちに、自分の不安がだんだん現実になりそうな気がして来て、何も手につかなくなってしまった。
ルナがいたから一人ぼっちではなかったけれど、たまらなく孤独になり、ダンナに早く仕事から帰って来てもらうほどだった。
そんな状態で向こう2週間も耐えられそうもなかったので、ダメもとで、産科にファックスを送ることにした。
電話ではうまく説明できる自信もなかったし、ちょうど主治医が交代する時期で、誰に話をすればいいのかも
よく分からなかったし。
あまり期待はしていなかったが、翌日の午後に連絡があり、検査を23日に早めてくれることになった。
それで、だいぶ気が楽になった。
今思い起こすと、このファックスを送った日あたりが、一番精神的につらかった。
だから、23日の当日は、だいぶ覚悟もできていたのだと思う。
ルナがいることも大きかった。ルナが気を紛らわせてくれた、というのとも少し違うのだが、自分より心配することがある方が、
こう言う時はかえって良いこともある。23日だって、8時45分の検査に間に合うためには、いつもより1時間も早くルナを保育園に預ける必要があり、夫がルナを預けて帰って来るためのバスの時刻の確認や、実際にルナをいつもより早く起こして支度させて(さらに自分達も出かける用意をして)・・・とやっていたら、とにかく時間までに病院に着くことで精一杯で、
検査自体のことを心配するまで気が回らなかったのだ。

残念ながら、やはり流産だった。
胎嚢は悲しいぐらいに空っぽだった。
ごく初期に起こる枯死卵(嫌な名前だと、つくづく思う)といって、卵自体が育たないまま死んでしまうものだと説明された。
まさか、こんな事態は全く予想していなかったので、夫ともどもショックだったが、4人に1人に起こる異常で、決して珍しくはない、自然淘汰なのだそうだ。
超音波の検査室で、夫が声を上げて、涙を流して泣いたことが、とても意外だった。出会ってから12年間の付き合いの中で、きっと、たったの2度目。私が泣いて、彼が黙って、抱きしめて受け止めてくれるのかと思っていた。夫の悲しむ姿を見るのは、とてもつらかった。
二人で抱き合いながら、しばらく泣いた。この赤ちゃんのことは、決して忘れないようにしようと、二人で心に誓った。

少し落ち着いてから、上の階の産婦人科へ行って、いつもの看護婦さんから説明を受けた。
流産の徴候は全くなく、胎嚢その他の組織も子宮の中に残ったままなので、自然に身体の外へ流れるのを待つのがベストとのこと。
1週間後にもう一度経過を見ることになった。

つわりや、疲れやすかったりイライラするといった妊娠特有の症状だけは続いていて、でも、それがもはや何の意味も持たなくなってしまったということが、つらい。早く、この中途半端な状況から解放されたいと思う一方で、この赤ちゃん(といっても、卵から育たなかったのだから
、赤ちゃん、というのはふさわしくない気もするが)も、私達家族とクリスマスとお正月を一緒に過ごしたいのかなあ、などと一生懸命、考えてみたり。

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