《 担当ナース 》


こんな話を作っちゃっていいのだろうか・・・と思いつつ、書いてしまいました。

こんなこと絶対ありえな~い!!! 

でも・・・♪

ちょっとくらいあってもいいかな・・・そういうコト・・・です。

韓国では「金、朴、李、崔(さい)、鄭(てい)」という姓がベスト5で、

これで全体の50%にもなると言われています。

よって、ここに登場する「朴」さんは、ホントに架空の人です。^^;

しつこいようですがっ!!・・・これはフィクションです。

「とりあえず何でも笑い飛ばせる方」のみ、入ってくださいませ。

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                     2006.05.07

<< 担当ナース >>



今日の夜勤は特別の日になった。

ここはリゾートとしても人気がある島なので、地方の島の病院にしては充実している方かもしれない。
ホテルの利用客が体調を崩し、ホテルから要請されて往診することは、たまにある。

夜間救急室に詰めていた私が、今夜はそれに当たった。



今日の仕事は、常連の「鈴木のおじいちゃん」に振り回されて、忙しく始まった。

月に一度は必ず運ばれてくる、少し認知症混じりの80歳の可愛いおじいちゃんがいる。
なかなか思うように薬を飲んでくれないし、禁止のアルコールも家族の目を盗んでこっそり飲んでいるらしい。

今日も、夕方からまた具合が悪くなって運ばれてきた。
いつものように点滴を終えたら、病棟に一泊か、そのまま返す程度だろう。

でも、今日はいつもと少し違っている。
「鈴木さん、どうなさったんですか?
 いつもより元気がないですね。息が苦しいの?」

向こうもこっちとは顔なじみだし、孫に近い年齢の私には優しくしてくれる。
「今夜は東京から、ひ孫たちが来ているんだ。入院している場合じゃないんだよ・・・。
 早く帰りたいよ・・・。点滴はもういいよ。」

自分で点滴をはずそうとするのを制して、
「じゃあ、これが終わったら、すぐにおうちに帰れるように先生に頼みましょうね。
 勝手に点滴をやめたら、また具合が悪くなって、ず~っと帰れなくなっちゃいますよ!」
針を刺した部分とチューブを念入りに固定した。

「私、ほかの方の様子を見てきますから、ちょっとだけここを離れますよ。
 鈴木さんは、少し眠った方がいいかもしれませんね。
 何かあったらこれで呼んでくださいね。」
ナースコールを手元に置き、一旦部屋を出た。

10分ほどして戻ってみると・・・
「やだ・・・!」
点滴をはずされている。
床に液がこぼれていた。 出血はないようだ。

「鈴木さん、自分ではずしちゃったの?
 痛くないですか?」
ドクターを呼んでもらっている間に片付ける。

「なかなか終わらないから・・・」
鈴木のおじいちゃんが言い訳をつぶやいてみせる。
・・・って、まだ10分じゃん!
いつもは素直に点滴を受けるのに、今夜はよほど早く帰りたいらしい・・・。

「そんなに早く帰りたいんですか?
 でもね、どうしてもこの点滴だけは終わらなきゃいけないから、
 じっとして、終わるのを待ちましょうね。
 もう勝手に取っちゃダメですよ。
 何回も針を刺されるの、いやでしょう?
 そうじゃないと、帰るのが遅くなっちゃいますよ~。」

当直医に針を刺しなおしてもらう。
点滴自体には素直に応じている。
病院に来るたびに点滴は受けているのだから、知らないわけじゃないはずだ。

入れ歯のない口から出る、鈴木のおじいちゃんのきわどい冗談に、若い当直医は苦笑している。
認知症も怪しくなるくらいそんな話は得意だ。

今夜はよほど、ひ孫さんの顔を見ていたいのだろう。
鈴木さんはいつも点滴をする間は静かにしていて、困らせることはないのに・・・。
急用を済ませたらすぐにここに戻るからという家族を、帰してしまったのを後悔した。


さっきより針とチューブの部分を念入りにテープ固定し、更に包帯で周辺をグルグル巻きにする。
ずっと付いているわけにもいかないので、これ以上抜かれたら、こっちもたいへんだ。

「いい?鈴木さん、絶対抜いちゃダメですよ。
 この点滴のお薬が入らないと、また胸が苦しくなっちゃうんですよ。
 今度抜いたら、私、怒りますからね!」
ちょっと睨みつけるようにして、釘を刺した。

「わかっているよ。大丈夫・・・!」
ニヤニヤしながら左手でVサインを作る。
不安は残しながらも、理解してくれたことを信じて、部屋を離れた。

子どもの急患を病棟に送った後、急いで鈴木さんの所へ戻る。

やられた・・・。
包帯がはずされている。意外と器用らしい。感心している場合じゃないけど・・・。

点滴は・・・刺さっている・・・が、違う!
右腕に刺したはずの点滴の針は、おじいちゃんの左腕に・・・それも垂直に、ただ刺さっていた。

「何したの? この点滴、自分で刺しちゃったの?」
勝手に抜いたはいいが、やっぱりまずいと思ったらしく、自分で反対側の手に針をつき刺したようだ。

痛み感覚はどうなっているんだか・・・。
笑っていいんだか、怒るべきなんだか・・・。
おじいちゃん、お願いよ~!

**********

やっと座れる・・・。
鈴木のおじいちゃんは念願の帰宅を果たした。
記録用紙を前に大きく息をついた。
もう夜の9時を回っている。

コーヒー一杯が欲しいと思っていたところへ、当直の看護科長からの電話が入った。
これで私の休憩時間は奪われてしまった。

「セントラルホテルに宿泊している方が熱を出したらしいのよ。
往診の依頼が来たから、北島先生と向かってくれる?」
「わかりました。準備の方は?」
私は、往診は初めてじゃない。

「もう準備はできているの。先生はもう車に向かっていらっしゃるわ。急いでね。
あ、それから・・・。」
少し間をおいて科長が続けた。
「海外からのお客様らしくて・・・。あなた英語は?」


***********


巷では韓流ブームらしい。
同僚にも何人か韓国の映画俳優に夢中な友人がいる。

私は他のみんなとは違う。


2年前の「日韓合作のドラマ」を見て、その時からハマっている。
そこが他と違う。
どうしても韓国に行ってみたくて、その時からひそかに韓国語まで勉強していた。

そう・・・どう言い訳しようが、他と違おうが・・・
誰にも知られずに私は、世の中のブーム通り、実は「韓流」にのめり込んでいた。


しかも、歌手として現れた彼の『声』を聴いたとたん、それまでの憧れの映画俳優は、私の中では『その他大勢の俳優』となり、その『声』の彼にほれ込んでしまった。

出会ってしまったら自分の意思ではどうにもならない運命があるものだ。
大袈裟でなくそう思った。
今は、その人のために生きている・・・そう言えるくらい好きだった。

******

ホテルの従業員に案内され、部屋に向かう。
「実は、お客様は韓国人の方なんです。
でも、日常会話程度でしたら、日本語はお話しになられていましたから。」

その客の名前を聞いたとたん、実は腰が抜けそうになった。
足元がもつれそうになって立ち止まった私を、北島先生が振り返る。

「どうしたの?」
「いえ、何でもありません。さっき少し動き過ぎたせいかしら・・・」
動揺を隠すのが精一杯だった。
「大丈夫?」
「平気です!」

神さま・・・どうか私に勇気と力をください・・・。



部屋へ入ると・・・もちろんスイートだ・・・奥のベッドにいた。
ベッドに近づく。苦しそうに、肩で息をしている。

そっと、声をかけてみる。
『朴さん・・・?
病院から、今、ドクターが着きましたよ。少し診察しますね。』

こんなところで韓国語が役にたつとは思わなかった。
聞いていた北島先生が驚いている。

「君、韓国語が喋れるの?」
「少しだけですけど・・・。
 でも、先生、お願いだからみんなには、絶対に内緒にしていて下さいね!」
「どうして?」
「いろいろ事情があるんです!」

小声で言ったつもりが、ホテルの従業員にも聞こえたらしく、苦笑されたのがわかった。
・・・だって、いろいろ・・・ね。


声に反応して、彼は一瞬だけ目を開けたが、だるくてたまらないという顔ですぐに閉じてしまった。
『熱を測りますよ。
熱はいつからありますか? 今日?』
体温計を入れながら聞いてみる。触れた体は、燃えるように熱かった。

『今日の・・・午後くらい・・・』
目を閉じたまま、かすかな声でゆっくり答えてくれる。
なんとか、私の言葉は通じているようだった。

『息は苦しいですか?』
呼吸が早い。
彼がゆっくりうなずく。
渇いた唇を動かすのも億劫な様子だ。

彼はホテル側が用意したらしいアイス枕を使っていた。

体温計を見る。38.8度ある。
だが、これからまだ上がりそうだ。
悪寒で少し振るえていた。手足の先も冷たい。

一旦、アイス枕を外し、普通の枕を整える。
悪寒がしている間は、アイス枕はまだ冷た過ぎる。

脈はかなり早くなっていたが、血圧は異常なかった。
胸を開けて、ドクターの診察を介助する。

念のために採血をして、点滴の用意。

ホテル側の話では、明日、彼の同行者が到着する予定らしい。
余暇を楽しむために、先にひとりで来ていたようだ。



私は・・・その数日前まで、コンサートが続いていたのを知っていた。
もちろん、彼の姿を見に、声を聴きに、コンサートに行ったから。

彼のホームページも欠かさず見ている。
今回はかなりたくさんの問題を抱えながらも、数回の公演をすべて成功させた。
直前まで、無理を押して頑張っていたことを、ファンなら誰もが知っている。

体力があっても、限界はあったようだ。
精神的にもかなり、追い詰めた状況に・・・自分で身をおいていたようだし。

どこまで頑張るの・・・?

かすかに震えるまつ毛が、彼の弱さを素直にあらわしているようだった。


ろくに水分も取れずに眠っていたようだ。
これじゃ汗もかけない。


ビタミン剤を入れた点滴を始めた。

手を洗った後、北島先生は指示書を書き始めた。
「僕は病院に帰って、血液検査の結果を確認するから。
 君はここに残ってくれる?

 見たところ、普通の風邪のようだし、君が言うように疲れが出ているとしたら、
 様子を見て大丈夫だろう。
 検査で何も出なければ、これだけでいいよ。

 結果を見て、必要ならもう一度、指示の電話をするから、
 その時はこの抗生剤を生食100mlで、側管から入れて。

 4時間後、まだ38度を超えていたら、解熱剤を筋注。

 後は、バイタルを見て、何かあれば連絡して。

  基本的に、この2本は3時間で落とす。その後はこの2本を3時間ずつで。
 たぶんその頃には自分で水分は取れるはずだから、そうなれば後は抜いていいよ。」

書きながら、口頭でも指示を確認する。
「わかりました。」
私も、内容と量と時間を復唱して確認する。

ドクターが引き上げた後、時間を追って熱を測り、脈と呼吸を見る。
乾いた唇には、濡れたがガーゼで軽く水分をのせる。


夜中の2時を回った。
3本目の点滴に換えた頃、暑くなったのか左手で毛布をはぎだした。
熱も上がりきり、水分も入ったことで一気に汗が噴き出したようだ。

これで少しは熱が下がって楽になるだろう。
額と首の汗をタオルで押さえる。

『朴さん、汗をかいたから着替えをしましょうか。
体を少し動かしますけど・・・大丈夫ですか?』

目を閉じたままうなずいてから答える。
『大丈夫・・・』
さっきより、楽にはなっているのだろう。呼吸は落ち着いていた。
だが、まだかなり気だるそうだった。


タオルやシーツのリネン類はホテル側から豊富に確保してある。

電子レンジがあると楽なのにな~と、贅沢な呟きを飲み込みながら、できるだけ熱いお湯でタオルをしぼった。
こういう所はタオルが贅沢に使えていい。

『体を拭きますよ。
 私が勝手に動かしますから、動かして痛いところがあったら、言ってくださいね。』
相変わらず彼は、目を閉じたまま、うなずく。

彼は熱が出たときのことを心得ているのか、あとで着替えるつもりだったようで、すぐに届くところに着替えが用意してあった。

着ていたトレーナーは重いくらい彼の汗を吸っていた。
脱がせた後、乾いたバスタオルで覆う。


顔から、首、胸、腕・・・順に熱いタオルで拭いていく。
彼は、自分で動くわけでもなく、抵抗するわけでもなく・・・。

コンサートでさえ、間近で見たことのなかった彼を、こんなに目の前にするなんて、まだ信じられない。
しかもいきなり、肌に触れて体を拭いている・・・自分がここにいるのが不思議だった。

乾いたバスタオルを数枚使って体中を覆ったまま、体を転がし、横向きにする。
コツさえつかめば、どんなに大きな男性でも難しくはない。

想像以上に広い背中に熱いタオルを当てたとき、なぜか私は学生の頃、体を拭く練習をしていた光景を思い出していた。

看護学生になりたての頃は、こんなこと1人でできるのか・・・と、授業を受けながら不安だったのに、いつの間にか一番基本的なケアのひとつになっている。

ただ、簡単なことではあるけど、感情のある生身の人間相手だから、ある意味・・・難しくもある・・・かな。


体を拭きながら、着替えをさせ、シーツを取替え、体の下に大判のバスタオルを一枚敷いていく。

動かす度に、拭き始める度に、そのつど声をかける。
その度に彼は目を閉じたまま、うなずいたり、『うん・・・』といったり、返事を返してくれた。

点滴のラインに気をつけて、用意してあったトレーナーの上を着せる。

そうやって、仕事に集中しているつもりでも・・・
こんなところにもホクロがあるんだ・・・と、皮膚状態を観察するクセは、つい興味の視線になっていた。
発見にいちいちドキドキする。


ドラマで見ていたイメージよりも、引きしまった体を前に、だんだん冷静さを失いそうになる自分を戒める。

緊張と、1人でいろんなことを考えすぎたせいで、気持ちだけは疲れてしまった。
私は何をやっているんだか・・・

さっきのアイス枕を頭の下にセットする。今なら、この冷たさが心地いいだろう。
手足の先も、もう温まっている。


着替えが終わって片付けていると、彼が何かを言った気がした。
『え? どうしましたか?』
近づいてもう一度声をかける。

「オンマ・・・」
え?うわごと・・・?
『のどが渇いたよ・・・』

お母さんに言っているようだ。
それも、ドラマで行っていたように硬い感じの「オモニ」じゃなくて

「オンマ」って聞こえた。

要するに『お母さん』じゃなくて『ママ』・・・みたいな感じ?

可愛い・・・!
つい、そう思ってしまった。

いけない!いけない!

仕事!! 仕事!!

スポーツドリンクを用意する。
口元にストローを近づけると、相変わらず目は閉じたまま、顔だけを横に向けた。

子どものようにストローに吸い付く唇も、ずっと眺めていたくなる。
どこまでも母性をくすぐる才能があるようだ。

体を拭いたのがお母さんだと思ったのかしら・・・。
ずっと彼の世話をしてきた彼の母親が羨ましくなった。


いつもなら、眠気が襲う明け方5時頃。
今日はずっと興奮したままだ。
この状態なら、3日でも徹夜する自信がある。

*****

夜が明けた。
フロントに連絡して、温かいスープと果物中心の簡単な朝食を依頼する。

ベッドサイドに戻ると、彼が目を覚ましていた。

「おはようございます!」
緊張していたはずなのに、つい、いつもの病室に入るときのノリで言ってしまった。

ちがった・・・韓国語だった。

「オハヨウゴザイマス」
彼は日本語で返して来た。

いちおう韓国語で、続けてみる。
『気分はいかがですか?』

点滴がつながった自分の腕と、白衣の私見て、夕べの状況はわかっているようだった。
『大丈夫です。あの・・・ずっとここにいてくれたんですか?』
驚いた顔をしている。

『はい。点滴の管理もありましたから・・・。
 全部で4本、点滴しましたよ。
 もうすぐ最後のボトルが終わりますから、それで針を抜きますね。』


『もう一度、熱を測って下さい。』
体温計を差し出すと、彼は左手で受け取った。
トレーナーの裾を上げて、腋の下へ差し込む。

着ていた物が違っていることに今、気付いたようだ。
『あの・・・』
『はい?』
言われることは予想できた。

『僕、いつ着替えをしたんですか?』
熱にうなされていた夕べの記憶は薄いらしい。

『夜中に、一度。
 とてもたくさん汗をかいていたので、体を拭いて着替えました。
 私に返事をして下さっていたこと・・・覚えていませんか?』

クビを横に振る。
『全部着替えたんですか?』
『ええ・・・』
そこまで聞かれるとこっちも意識してしまう。
私だって、平静を装うのがタイヘンなのに・・・。


『あなたが全部やってくれたの?』
『そうですけど・・・仕事ですから。』
照れたようにクスッと笑う彼に、私もつい笑ってしまう。

開き直るしかない。
今の笑いで白状させられた形になった。

体温計の電子音がした。

取り出した体温計を確認する。
36.6度。平熱だ。

『頭痛とか胸の痛みとか、息苦しさとか・・・ありませんか?』
『ないです。もう元気です。』
柔らかい笑みを向けて答える。

『朝食がもうすぐ届きます。また汗で濡れているようなので、
 上だけ、もう一度着替えて下さい。』

終わった点滴の針を抜き、絆創膏で押さえる。
仕度をする間、しばらくそこを押さえていてもらう。

熱いお湯で絞ったタオルを手渡すと、自分で顔を拭いている。
ここまで元気になったら、手が届くところは自分で拭いてもらって、背中だけ手伝う。

渇いたバスタオルで抑える。
『寒くはないですか?』
『ううん。気持ちいいです・・・』
さっきより、低い声にドキドキしてしまう。

着替え終わる頃、ルームサービスで朝食が届いた。

回りを片付け、朝食を仕度すると、私の仕事は終わりだ。

『あとは大丈夫ですよね。
 私は病院に戻ります。もし、何かあったら、連絡して下さいね。』

『わかりました。ありがとうございます。』
少し間をおいて、彼が続ける、

『眠っていないんでしょう? 僕のことで・・・。
皆さんに迷惑をかけてしまいました。すみません。』

シュンとした顔をしている。
『いいえ。病院の当直と同じですから・・・それは気になさらないでください。
 そんな心配より、食事はきちんととってくださいね。』

『ありがとう。・・・ところで、韓国語、とてもお上手ですね。
どれくらい勉強したんですか?』
『はい、2年くらいです。』
まだまだなのに、褒めてもらって嬉しくなる。

『2年? すごいな・・・もしかして、誰か韓国の映画スターのファンですか?』
普段の彼の笑顔になっている。

『以前はそうでしたけど・・・。
今は・・・あなたの大ファンですよ。』
言ってしまった。

『本当?』
驚いた顔をする。
『コンサートも行きました。
 だから、あなたが今回とても疲れていたことも、たぶん風邪気味だったことも・・・
 私、ドクターに伝えてあります。』

意外そうな顔をしたが、すぐに優しいほほ笑みに戻った。
『ありがとう。』


*********


数日後の、当直開けの朝。
大事な日だというのに思ったより引継ぎに時間がかかってしまった。

今日の午前中の飛行機で彼が帰ることは、聞いている。
夜勤が終わってから、空港に直行すれば間に合うハズだった。

そんな日に限って、ギリギリの急患が入るものだ。
これ以上、彼に会う贅沢はいけないというコトかしら・・・?
着替えながら考える。
それでもあきらめきれずタクシー乗り場へ走る。

先に3人が並んでタクシーを待っていた。
他には空港に急ぐ手段はないから、待つしかない。

腕時計とにらめっこしたとき、声をかけられた。
「看護婦さ~ん!」

顔を上げると、鈴木のおじいちゃんだった。
乗っている車の後ろの窓から顔を出して、私に向かって手を振ってくれている。
今日はかなりご機嫌のようだ。

「あ! 鈴木さん! 今日はどうなさったんですか~?」
おじいちゃんのニコニコした顔には勝てない。
並んでいた列を離れて、車に近づく。

「出かける前に薬を取りに来たんだよ~。
 今、帰りかい?」
「はい。さっき終わったところですよ。これから空港までお友だちを見送りにいくの。」

友だち・・・名前を言っても、知らないだろうな~。

「ほう! わしもこれから空港に行くんだよ。
 ちょうどいい! 乗りなさい!」

ホント!? おじいちゃん、大好き!   2番目に・・・!


*****

間に合った! 
鈴木のおじいちゃんに思いきり感謝した。

ゲートをくぐる直前の彼の姿を見つけた。
彼も気がついてくれて、隣にいたマネージャーに声をかけると、こちらに向かって歩いてくる。

お別れが言える。
さっきまでの寂しさより、緊張の方が大きくなった。

『来てくれたの?』
笑顔を見せてくれる。

走って息が弾んでいるのを、私は必死で抑える。
『仕事で遅くなってしまって・・・すみません。
 でも、最後にお会いできて嬉しいです。』
『僕も逢えて、嬉しいよ。
 いろいろありがとう。』
『いいえ・・・。お仕事、忙しくても無理しないで下さいね。』
『わかった。』

『お元気で。ずっと、応援していますから・・・』
『ありがとう。』
そういって右手を差し出してくれた。

おそるおそる手を出すと、優しく強く握ってくれた。
今更ながら、こんなに近くにいてもいいのかと、目が回りそうになる。
手を離しかけたとき、彼はいたずらっ子みたいな顔でかすかに笑うと、そっと抱きしめてくれた。

そして、
『僕の体の秘密、誰にも内緒だよ・・・』
とささやいた。
『え?』

私は何も言えないまま、彼もそれ以上は言わず、ほほ笑みながら私に手を振ると、背を向けてゲートに向かった。

え?・・・秘密って?





翌日、病棟へ行くと彼から大きな花束が届いていた。

すべて、みんなにバレてしまったのは・・・お察しの通り。


                          おわり♪





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