今 愛は・・・《第1章》




     今 愛は・・・


《 第1章  愛を知るとき 》



国家一種試験に偶然合格した僕は、警視庁と所轄と養成所を何度も行き来した後、警視への昇級と同時に警察庁の局長勅令の特別捜査の部署に配属された。

普通の捜査の部署の中と違って、特殊な現場経験とキャリアの中から選抜され、単独に近い少人数での捜査体制になっている。

ここで扱うのは、重要人物が関わっている事件や国際的な犯罪など、世間一般には知られていない機密事項のものも多かった。

血なまぐさい事件も日常化するような、そんな殺伐とした世界で毎日を送っていた。

もうすぐ30に届きそうだというのに、生活は何も変化がない。
人の『死』に対してでさえ慣れすぎて、今のままでは本当の自分を失くしてしまうかもしれないと思い始めた頃、彼女と出逢った。

『僕の前に現れた』・・・そういう表現がふさわしいかもしれない。
街の中で、本来ならすれ違うところを「風」のいたずらが偶然を呼び・・・彼女は僕の前に現れた。


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青が点滅を始めた横断歩道。
片側が3車線ずつある大きな交差点。

何気なく眺めていた光景だった。

杖をついている年配の婦人を追い越した、白い帽子の若い女性がいた。
その婦人は「やっと歩いている」という状態で、もう赤信号に変わりそうだというのにまだ横断歩道の真ん中を過ぎた所にいる。

その若い女性は自分が渡り終わる直前、踵を返した。
赤信号に変った横断歩道を戻り、老婦人を抱き抱えるようにして手を添えて歩く。

彼女は発進できないでいるドライバーに微笑みを添えて頭を軽く下げた。

渡り終えると、その婦人は彼女に何度も頭を下げて礼を言い、ゆっくりと近くのビルの入り口に向かった。
その婦人がビルの中に消えるのを見届けると、彼女はすでに赤に変っているもう一方の信号を待ち始めた。

待っている間、彼女が何気なく視線を下げた先。
ベビーカーの中にいる赤ん坊と目が会ったようだ。

彼女が柔らかいほほ笑みを送ると、その笑みは赤ん坊にあっさり受け入れられ、赤ん坊は天使のような笑みを返した。

こんな子がいるんだ・・・。

交差点の角の建物の2Fにあるカフェで、僕は窓際に座ってコーヒーを飲んでいた。
人の流れを眺めているうちに、視界の中で流れに逆らった彼女をつい追っていた。

目に入ったひとりの人間の動きを観察してしまう。
せっかくの休みにも、仕事のクセは抜けていなかった。


一ヶ月ぶりの休日なのに、ひとりで街をブラブラするだけの午後。
カフェを出て、大型電気店の方へ向かう。

新しく出たらしい、オーディオ用品を見に行く。
大通りを抜け、ディスカウントショップが並ぶやや狭まった道に入ると、ビル風が強くなった。

風は冷たく、近づく冬を予感させた。
通りをまっすぐに走り抜ける風に合わせて、銀杏並木が一斉に揺れる。
勢いづく風に煽られて、色づいた葉が渇いた音をたてて落ちていった。

たまに緩んだかと思わせた風は、気まぐれに強くなる。

いたずらを楽しんでいるように、もう一本先の路地から出てきた女性の帽子を空へ飛ばした。
抑えようと動いた女性の手はそれに間に合わず、白い帽子はヒラヒラと踊るように舞い上がり、僕の方へ飛んできた。

僕の手がその帽子を捕らえる。
そのために飛んできたのかと思った。

さっきの交差点で見た彼女だった。

捕まえた帽子を手渡すとき、ほのかに香った彼女の匂いが僕を一人の男に戻した。

仕事でも、いろんな女性と話すこともあるから、女性と話すことは苦手ではなかったはずなのに、彼女を前にしたとき・・・僕は自分の声を探すのに苦労した。

僕に向けられた彼女のほほ笑みに心を奪われ、冷静な自分を見失っていたのかもしれない。

「ありがとうございます!」
そう言った弾むような彼女の声がずっと、耳の奥に・・・胸の奥に響いていた。




意外なことに彼女は・・・沙紀は僕のマンションの近くに住んでいた。
企業の役員の秘書をしている彼女は、実家から通うには時間的に不便だからと、都内にマンションを借りていた。


今までどうして出逢わなかったのだろう。

初めての出会い以来、僕は彼女が忘れられなかった。
そして彼女も、僕との出会いに心とらわれるものを感じてくれていた。

僕たちは、生まれてから今まで会えなかった時間さえも埋めつくすように・・・愛し合った。

仕事柄、時間も休みも不規則な僕に、沙紀は何も不満は言わなかった。
ただ、逢うたびに
「和也・・・私をたくさん抱きしめて。」
そう言ってより添ってくる。
そして、僕の鼓動を確認しているかのように、長い時間、僕の胸から離れなかった。



******* ******* ********



仕事は、相変わらず激しかった。

ある、雪がちらつく午後。
ひと月近く調べていた渋谷のクラブから情報が入った。

先輩と車に乗り込み、品川にある工事途中のマンションへ向かう。
現場に着く頃、同期の高木たちと合流できた。


入り口で様子を伺う。
遠くで銃弾の音が響き、事件が終盤に向かって動き始めた感があった。
緊張が走る。

建物の1階は工事の材料が散らかっていた。
工事中というより、中断されたまま放置されている状態のようだ。

電気はつながったままのようで、エレべーターが5階で止まっている。

その奥の鉄パイプが積み上がった向こうに階段が見えた。
今は誰もいない。
先輩の合図を受け、階段に向かって一気に駆け出す。

そのまま、5階まで駆け上がり、フロアの中央をすばやく横切る。
5階はガランとしていて何もなく、はめ込まれた窓ガラスにもまだ工事中を思わせるシールが残っていた。

コンクリートむき出しの太い柱の影にすばやく身を移す。
息の乱れはない。

******

野生の生き物のようなすばやさとしなやかな身のこなし・・・それを目指せと要求された。
まだ研修で回っている頃、最後に派遣されたその養成所では、軍の訓練かと思う程の過酷な時間を過ごした。

この仕事のために鍛え上げた体は、経験を積む度に更に逞しくなった。
自由に動くようになった体が自分でも不思議な気がする。
鍛えると楽になることを知った。

その代わりに、傷跡も残してきた。

「事件の分析は完璧なくらい冷静で、動きも鋭いのに、お前の瞳は優しすぎて、それだけがそぐわない」と、先輩や同僚からいつもからかわれた。

「いちいち感情移入していたら、すぐにやられるぞ!」
現場では先輩から何度も言われた。

意識してそうするわけじゃない。
だが、どうしても相手の目を見ると、何かを感じてしまうときがある。

組織に未来を縛られ、その運命を悲しんでいるように思える人間がいる。
振るえながら銃口を向けているその手のどこかに、助けを求める声を感じてしまうのだ。


命に未練がないわけじゃないが、一瞬「救える・・・」と感じるときがある。
生死をさ迷うような大怪我はまだ経験がないが、腕や足は銃弾がかすめて走った後を記憶していた。

その思いが通じるのか、偶然が救ってくれるのか、僕はそういった容疑者の事情聴取では苦労しないことが多かった。

********

エレベーターを追って5階まで来た。

フロアの奥に、事務所らしき部屋がある。
冷たい色をしたスチールのドアの向こうの動きを待つ。
その時、ドアが勢いよく開き部屋から女性が飛び出してきた。

濃いピンクのワンピースに身を包んだ女性は、羽織った白いショートコートを翻してエレベーターへ向かって駆け出した。
ずっと探していた女性ブローカーだった。

やっと見つけた。

その女性ブローカーを追って部屋を飛び出した二人の若いチンピラが、大声を出した。
一人が彼女に向かって銃口を向ける。
僕の反対側にいた先輩が、怒鳴る。

警官がいることを知ったチンピラは、一瞬ひるんだ後、声のした方へ発砲した。
一つ先の柱の影にいた高木たち二人が飛び出し、スチール製のドアへ向かって走る。

今度は背を向けた高木たちにチンピラが銃口を向ける。

真横から飛び出した僕は、拳銃を持ったチンピラの手元を蹴り上げる。
その手から拳銃が弾き飛ばされた。

服をつかみながら足を払い、相手の勢いと重さを利用して、投げ落とす。
技の一つが決まった。

続けて、その様子を見ていて逃げ腰になっているもう1人のチンピラに飛びつく。
こっちは簡単に背負い投げで片付いた。

叩き落された二人は、短いうめき声を上げただけで、立ち上がる気配はない。

高木たちの突入で、中にいた他のチンピラ数人が次々に向かってくる。
殴り合いの喧嘩しかしたことのないような奴らの相手は難しくなかった。

その日逮捕した女性ブローカーから、潜んでいた外国人のメンバーを一気に追い詰め、今回の事件は解決へ向かった。


******* ******* ********


会えない時間は携帯電話だけが、僕と沙紀をつないでいた。
彼女はあまり忙しくない役員の秘書らしく、時間はあるようだった。

夜中に電話をすると、その日に読んだ本の話をよくしてくれた。

二人で何度か足を運んだ喫茶店にも、そこの女主人とは気が合うからと、たまにひとりで入って本を読んでいるらしい。

郊外にある実家にも頻回に帰っているようだった。
三歳上の姉と二人姉妹で、姉は早いうちに結婚したらしい。
最近やっと子どもに恵まれたらしく、生まれたばかりの姪が可愛いと、いつも話していた。



夜遅くに二人で街を歩いているとき、同僚でもあり、僕の親友でもある高木と出くわしたことがあった。

その後しばらくは
「美人の彼女は元気か?」
というセリフがあいさつ代わりだった。


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一週間の休暇が取れた。
こんなに長く仕事を休むのは初めてだった。

「休暇をとって、彼女をどこか旅行にでも連れていけよ。」
と、勧めてくれたのは高木だった。

そういうもんかな・・・と、沙紀を誘った。
沙紀との初めて旅行だった。

人の少ない海岸を歩く。
出会って半年がたっていた。

二人でこんなに長い時間を過ごすのは初めてだった。
砂浜を走りながら、笑ってはしゃぐ彼女は子どものように嬉しさを表わしていた。

会えなくても何も言わない沙紀に甘えすぎていたのかもしれない。
寂しさを我慢していたんだと、気づかされた。

知らなかったいろんな彼女を発見し、僕はますます彼女に惹かれていく。

午後の日差しの中でまどろんでいる僕の髪に、小さな花を飾って遊んでいる。
そういう、いたずらをする彼女も愛らしかった。

目を覚ました僕にそれを見つけられると、彼女は・・・キスで言い訳をする。

僕に愛されている自信は、その微笑さえ艶やかにした。

海に向かって二人で並んで座り、長い時間、何を話すわけでもなく、ただ波と風を眺めて過ごすときもあった。
同じものを見つめる二人の間を、静かな時間だけが流れる。
そんな時も、彼女の心が寄り添っている感覚が僕を満たしていた。

ホテルの窓から見える星空は、夜の闇に横たわる彼女を更に美しく演出する。
都会の喧騒から切り離されたここには、心細いくらいの静寂があった。

遠くに聞こえる不規則な波の音が、僕たちを時間のしがらみから解き放つ。
自由を手にした僕は、宇宙を彷徨(さまよ)う彼女の甘い吐息に酔いしれた。


朝、二人で目覚める。
柔らかい光が二人を包んでいく。
僕の腕の中にいる彼女の温もりを感じたとき・・・「安らぎ」という言葉を初めて理解した。



        続く~

* 第2章 痛み





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