森田理論学習のすすめ

森田理論学習のすすめ

2022.07.29
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カテゴリ: 森田番外編
人間味あふれる小説を多数生み出された藤沢周平氏の人生は波乱に満ちたものであった。

1929年(昭和2年) 山形県東田川郡黄金村大字高坂(現鶴岡市高坂)の生まれ。父小菅繁蔵、母たきゑの次男として生まれる。6人兄弟の4番目。
1938年(昭和9年)  11歳 吃音で悩む
1946年(昭和21年) 19歳 鶴岡中学校夜間部卒業 山形師範学校入学
1949年(昭和24年) 22歳 山形師範学校卒業 湯田川中学校へ赴任 2年B組担任 担当科目は国語と社会
1950年(昭和25年) 23歳 父繁蔵61歳で死去
1951年(昭和26年) 24歳 3月肺結核になる 新学期から休職、療養生活に入る。
1953年(昭和28年) 26歳 東京の東村山の篠田病院に入院。右肺上葉切除のあと、さらに2回の保形成形手術を行い、肋骨5本を切除。
1957年(昭和32年) 30歳 退院。教員に復職しようとしたが叶わず。友人の紹介で東京で業界新聞社に就職。

1960年(昭和35年) 33歳 日本食品経済社に移り「日本加工食品新聞」の編集に携わる。生活がやっと安定した。
1963年(昭和38年) 36歳 妻悦子、娘の1歳の誕生日前、28歳で病死。
1969年(昭和44年) 42歳 妻和子と再婚
1973年(昭和48年) 46歳 直木賞受賞
1974年(昭和49年) 47歳 日本食品経済社を退社 作家生活に入る。
1983年(昭和58年) 56歳 自律神経失調症になる
1984年(昭和59年) 57歳 慢性肝炎を発症して治療が始まる
1996年(平成8年)  69歳 肺炎で入院
1997年(平成9年)  1月26日、69歳で死去。

父親は真面目な人で黙々と農作業に打ち込んでいたという。
本人の容姿は母親似だったという。


山形師範学校を卒業して、中学校の教師になったが肺結核のため、2年の教師人生で退職。青春真っただ中の5年近くを療養生活で明け暮れた。大手術も経験された。完治後、山形県で教師として再起を願ったが叶わなかった。
その後、東京で業界紙の記者として働いた。
その間結婚した妻は、女の子を一人生んだが、1歳の誕生日を祝うことなく病死した。

作家生活は順風満帆だった。
直木賞を受賞し、その後は直木賞の選考委員をしていた。

時代考証を重ね、歴史的事実に基づいた作品に仕上がっている。
地名などがしっかりと踏まえられている。
道や川、建物や橋などの位置感覚が的確である。
季節や自然の描写が写実的である。

亡くなる10年くらい前からは慢性肝炎で苦しんだ。
大病を患い、術後の体調不安を抱えていた。
教師の仕事を続けることができなくなり、東京で業界紙の記者をしていた。
妻を失うという家族の不幸も重なり、幼子の養育で苦労している。
でも決して投げやりにならなかった。子供は立派に育てた。
69歳というのは現代では早すぎる死であった。
それらが小説の中に滲み出て、多くの人を魅了しているのではなかろうか。
山形県鶴岡市に藤沢周平記念館がある。





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Last updated  2022.07.29 07:24:37
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