2011年05月14日
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カテゴリ: 旅行 タイ


前回



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夏草や兵どもが夢の跡





(かつて主君を守って奮戦した勇士らの功名も、悠久の歴史の中で一場の夢と化し

  儚く散っていった居城は、今ただ茫々の夏草が深く生い茂るばかりだ)









ビルマ軍によって陥落し、400年に及ぶ王朝の幕を下ろした東南アジア最大の国家であったアユタヤ









今を遡ること350年以上も前のこと


対タイ交易を通じて、首都アユタヤには、日本人町が形成されていました


そしてこの日本人町にいた人で一番有名なのが山田長政と言う人物







山田長政は日本での天下取りに見切りをつけ、御朱印船でシャムに渡り貿易活動に従事するうち


外国人傭兵として活躍、そして優れた軍事的才能が開花し日本人町の町長になります。



*シャム=タイ







その後、長政の戦闘能力はシャム国王・ソンタムから厚い信頼を寄せられるようになり


当時の最高官位(オヤ・セナピモク)を譲られました







しかし、そのソンタム王が亡くなると、王子と王の弟との間では王位継承の争いが勃発し


争いの末、権力を握った王弟の命令により、王子側についていた長政は、抗争中の隣国


パタニ国との最前線へと左遷されてしまいます








寛永七年(1630年)、そのパタニとの戦闘中に、足を負傷した長政は


王弟の命令を受けていたシャム人から、治療と称して傷口に毒を塗られて死亡








その後、長政の死によって「日本人が反乱を起す」との噂が立ち


恐れたアラビア人やタイ族・華僑によって日本人町は焼き払われ多くの住民が虐殺されました


そして、生き残った者は海外に難を逃れ、町は廃墟と化してしまったのです









その後、海外に逃れていた人々がアユタヤに戻って来るようになり、2年後町は再建されますが


鎖国政策以後、日本人の勢力は衰退し、徐々にタイ族に同化し


18世紀始め日本人町は自然消滅したと言われています










そんな日本人街から、さほど離れていないこちらのお寺「ワット・ヤイ・チャイ・モンコン」


1357年、僧侶のため、瞑想のために建てられた寺院とのこと。








う~ん・・・(-_-)




これだけの事実を知っていればじっくり瞑想できたかもしれない・・・




とあちこち検索しながら日記を書く私なのであった・・・。




(*≧m≦*)プププw









この日のマッサージは「ロイヤルタイマッサージ」



王族だけに行われていたと言う王宮マッサージ120分ですっかり







(●´_________________`●)ビロロローン









の後は、お友達の大~好きな・・・









ほぼ真っっっ暗な中庭の席に陣取り・・・









あまりの暗さにお料理の色もよく見えないまま飲み続け








帰る頃には滞在中、肌身離さず持っていたガイドブックのようになっていた2人なのでした











「ヨレヨレ」












みたいな・・・














(*≧m≦*)プププw










バラ (ピンク)  「花言葉  満足」



blog1000flowers





今日もまた、すんごい長い日記になってしまった!!!(*^^)v






Kia Kaha!いっしょにがんばろうJAPAN & NEW ZEALAND





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Last updated  2013年06月09日 12時12分57秒
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