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2006年08月06日
MON-4-2
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道具類も積(せき)ばかり取って、金目にならないものは、ことごとく売り払ったが、五六幅の掛物と十二三点の骨董品(こっとうひん)だけは、やはり気長に欲しがる人を探(さが)さないと損だと云う叔父の意見に同意して、叔父に保管を頼む事にした。
すべてを差し引いて手元に残った有金は、約二千円ほどのものであったが、宗助はそのうちの幾分を、小六の学資として、使わなければならないと気がついた。
しかし月々自分の方から送るとすると、今日(こんにち)の位置が堅固でない当時、はなはだ実行しにくい結果に陥(おちい)りそうなので、苦しくはあったが、思い切って、半分だけを叔父に渡して、何分宜(よろ)しくと頼んだ。
自分が中途で失敗(しくじ)ったから、せめて弟だけは物にしてやりたい気もあるので、この千円が尽きたあとは、またどうにか心配もできようしまたしてくれるだろうぐらいの不慥(ふたしか)な希望を残して、また広島へ帰って行った。
それから半年ばかりして、叔父の自筆で、家はとうとう売れたから安心しろと云う手紙が来たが、いくらに売れたとも何とも書いてないので、折り返して聞き合せると、
二週間ほど経(た)っての返事に、優に例の立替を償(つぐな)うに足る金額だから心配しなくても好いとあった。
宗助はこの返事に対して少なからず不満を感じたには感じたが、
御米は気の毒そうな顔をして、
「でも、行けないんだから、仕方がないわね」と云って、例のごとく微笑した。
その時宗助は始めて細君から宣告を受けた人のように、しばらく腕組をして考えたが、どう工夫したって、抜ける事のできないような位地(いち)と事情の下(もと)に束縛(そくばく)されていたので、ついそれなりになってしまった。
仕方がないから、なお三四回書面で往復を重ねて見たが、結果はいつも同じ事で、版行(はんこう)で押したようにいずれ御面会の節を繰り返して来るだけであった。
「これじゃしようがないよ」と宗助は腹が立ったような顔をして御米を見た。
三カ月ばかりして、ようやく都合がついたので、久し振りに御米を連れて、出京しようと思う矢先に、つい風邪(かぜ)を引いて寝(ね)たのが元で、腸窒扶斯(ちょうチフス)に変化したため、六十日余りを床の上に暮らした上に、あとの三十日ほどは充分仕事もできないくらい衰えてしまった。
病気が本復してから間もなく、宗助はまた広島を去って福岡の方へ移らなければならない身となった。
移る前に、好い機会だからちょっと東京まで出たいものだと考えているうちに、今度もいろいろの事情に制せられて、ついそれも遂行(すいこう)せずに、やはり下り列車の走る方(かた)に自己の運命を托した。
その頃は東京の家を畳むとき、懐(ふところ)にして出た金は、ほとんど使い果たしていた。
彼は書生として京都にいる時分、種々の口実の下(もと)に、父から臨時随意に多額の学資を請求して、勝手しだいに消費した昔をよく思い出して、
今の身分と比較しつつ、しきりに因果(いんが)の束縛を恐れた。
ある時はひそかに過ぎた春を回顧して、あれが己(おれ)の栄華の頂点だったんだと、始めて醒(さ)めた眼に遠い霞(かすみ)を眺(なが)める事もあった。
いよいよ苦しくなった時、
「御米、久しく放っておいたが、また東京へ掛合(かけあ)ってみようかな」と云い出した。
ただ下を向いて、
「駄目よ。だって、叔父さんに全く信用がないんですもの」と心細そうに答えた。
「向うじゃこっちに信用がないかも知れないが、こっちじゃまた向うに信用がないんだ」
と宗助は威張って云い出したが、御米の俯目(ふしめ)になっている様子を見ると、
急に勇気が挫(くじ)ける風に見えた。
こんな問答を最初は月に一二返ぐらい繰り返していたが、後(のち)には二月(ふたつき)に一返になり、三月(みつき)に一返になり、
とうとう、
「好(い)いや、小六さえどうかしてくれれば。あとの事はいずれ東京へ出たら、逢(あ)った上で話をつけらあ。ねえ御米、そうすると、しようじゃないか」と云い出した。
「それで、好(よ)ござんすとも」と御米は答えた。
宗助は佐伯の事をそれなり放ってしまった。
単なる無心は、自分の過去に対しても、叔父に向って云い出せるものでないと、宗助は考えていた。
したがってその方の談判は、始めからいまだかつて筆にした事がなかった。
小六からは時々手紙が来たが、極(きわ)めて短かい形式的のものが多かった。
宗助は父の死んだ時、
東京で逢った小六を覚えているだけだから、いまだに小六を他愛(たわい)ない小供ぐらいに想像するので、自分の代理に叔父と交渉させようなどと云う気は無論起らなかった。
夫婦は世の中の日の目を見ないものが、寒さに堪(た)えかねて、抱き合って暖(だん)を取るような具合に、御互同志を頼りとして暮らしていた。
苦しい時には、御米がいつでも、宗助に、
「でも仕方がないわ」と云った。宗助は御米に、
「まあ我慢するさ」と云った。
二人の間には諦(あきら)めとか、忍耐とか云うものが断えず動いていたが、未来とか希望と云うものの影はほとんど射さないように見えた。
彼らは余り多く過去を語らなかった。時としては申し合わせたように、それを回避する風さえあった。
御米が時として、
「そのうちにはまたきっと好い事があってよ。そうそう悪い事ばかり続くものじゃないから」
と夫(おっと)を慰さめるように云う事があった。
すると、宗助にはそれが、真心(まごころ)ある妻(さい)の口を藉(か)りて、自分を翻弄(ほんろう)する運命の毒舌のごとくに感ぜられた。
宗助はそう云う場合には何にも答えずにただ苦笑するだけであった。
御米がそれでも気がつかずに、なにか云い続けると、
「我々は、そんな好い事を予期する権利のない人間じゃないか」
と思い切って投げ出してしまう。
細君はようやく気がついて口を噤(つぐ)んでしまう。
そうして二人が黙って向き合っていると、いつの間にか、自分達は自分達の拵(こしら)えた、過去という暗い大きな窖(あな)の中に落ちている。
彼らは自業自得(じごうじとく)で、彼らの未来を塗抹(とまつ)した。
だから歩いている先の方には、花やかな色彩を認める事ができないものと諦(あき)らめて、ただ二人手を携(たずさ)えて行く気になった。
叔父の売り払ったと云う地面家作についても、固(もと)より多くの期待は持っていなかった。
時々考え出したように、
「だって、近頃の相場なら、捨売(すてうり)にしたって、あの時叔父の拵らえてくれた金の倍にはなるんだもの。あんまり馬鹿馬鹿しいからね」
と宗助が云い出すと、
御米は淋(さみ)しそうに笑って、
「また地面? いつまでもあの事ばかり考えていらっしゃるのね。だって、あなたが万事宜(よろ)しく願いますと、叔父さんにおっしゃったんでしょう」と云う。
「そりゃ仕方がないさ。あの場合ああでもしなければ方(ほう)がつかないんだもの」
と宗助が云う。
「だからさ。叔父さんの方では、御金の代りに家(うち)と地面を貰ったつもりでいらっしゃるかも知れなくってよ」と御米が云う。
そう云われると、宗助も叔父の処置に一理あるようにも思われて、口では、
「そのつもりが好くないじゃないか」と答弁するようなものの、この問題はその都度(つど)しだいしだいに背景の奥に遠ざかって行くのであった。
夫婦がこんな風に淋しく睦(むつ)まじく暮らして来た二年目の末に、宗助はもとの同級生で、学生時代には大変懇意であった杉原と云う男に偶然出逢った。
杉原は卒業後高等文官試験に合格して、その時すでに或省に奉職していたのだが、公務上福岡と佐賀へ出張することになって、東京からわざわざやって来たのである。
宗助は所の新聞で、杉原のいつ着いて、どこに泊っているかをよく知ってはいたが、
失敗者としての自分に顧(かえり)みて、成効者(せいこうしゃ)の前に頭を下げる対照を恥ずかしく思った上に、自分は在学当時の旧友に逢うのを、特に避けたい理由を持っていたので、彼の旅館を訪ねる気は毛頭なかった。
ところが杉原の方では、妙な引掛りから、宗助のここに燻(くす)ぶっている事を聞き出して、強(し)いて面会を希望するので、宗助もやむを得ず我(が)を折った。
宗助が福岡から東京へ移れるようになったのは、全くこの杉原の御蔭(おかげ)である。
杉原から手紙が来て、いよいよ事がきまったとき、宗助は箸(はし)を置いて、
「御米、とうとう東京へ行けるよ」と云った。
「まあ結構ね」と御米が夫の顔を見た。
東京に着いてから二三週間は、眼の回(まわ)るように日が経(た)った。
新らしく世帯を有(も)って、新らしい仕事を始める人に、あり勝ちな急忙(せわ)しなさと、自分達を包む大都の空気の、日夜劇(はげ)しく震盪(しんとう)する刺戟(しげき)とに駆(か)られて、何事をもじっと考える閑(ひま)もなく、また落ちついて手を下(くだ)す分別も出なかった。
夜汽車で新橋へ着いた時は、久しぶりに叔父夫婦の顔を見たが、夫婦とも灯(ひ)のせいか晴れやかな色には宗助の眼に映らなかった。
途中に事故があって、着(ちゃく)の時間が珍らしく三十分ほど後れたのを、宗助の過失ででもあるかのように、待草臥(まちくたび)れた気色(けしき)であった。
宗助がこの時叔母から聞いた言葉は、
「おや宗(そう)さん、しばらく御目に掛(か)からないうちに、大変御老(おふ)けなすった事」という一句であった。
御米はその折(おり)始めて叔父夫婦に紹介された。
「これがあの……」と叔母は逡巡(ためら)って宗助の方を見た。
御米は何と挨拶(あいさつ)のしようもないので、無言のままただ頭を下げた。
小六も無論叔父夫婦と共に二人を迎いに来ていた。
宗助は一眼その姿を見たとき、いつの間にか自分を凌(しの)ぐように大きくなった、弟の発育に驚ろかされた。
小六はその時中学を出て、これから高等学校へ這入(はい)ろうという間際(まぎわ)であった。
宗助を見て、「兄さん」とも「御帰りなさい」とも云わないで、ただ不器用に挨拶をした。
宗助と御米は一週ばかり宿屋住居(ずまい)をして、それから今の所に引き移った。
その時は叔父夫婦がいろいろ世話を焼いてくれた。
細々(こまごま)しい台所道具のようなものは買うまでもあるまい、古いのでよければと云うので、小人数に必要なだけ一通り取り揃(そろ)えて送って来た。
その上、
「御前も新世帯だから、さぞ物要(ものいり)が多かろう」と云って金を六十円くれた。
家(うち)を持ってかれこれ取り紛(まぎ)れているうちに、早(はや)半月余(よ)も経ったが、地方にいる時分あんなに気にしていた家邸(いえやしき)の事は、ついまだ叔父に言い出さずにいた。
ある時御米が、
「あなたあの事を叔父さんにおっしゃって」と聞いた。
宗助はそれで急に思い出したように、
「うん、まだ云わないよ」と答えた。
「妙ね、あれほど気にしていらしったのに」と御米がうす笑をした。
「だって、落ちついて、そんな事を云い出す暇(ひま)がないんだもの」と宗助が弁解した。
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最終更新日 2006年08月07日 03時25分57秒
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