山口小夜の不思議遊戯

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2005年10月10日
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小ぶなつりし かの川
ゆめは今も めぐりて
わすれがたき ふるさと

いかにいます 父母
つつがなしや 友がき
雨に風につけても
思いいずる ふるさと

こころざしを はたして

山は青き ふるさと
水はきよき ふるさと



 誰もが知っている、こののどかな「ふるさと」と題されたうた。

 これは、「春の小川」「春がきた」などの多くの優れた文部省唱歌を作曲した岡野貞一が残したうたであるが、彼が鳥取の出身であったことは意外に知られていない。

 歌い込まれている「かの山」にあっては、もちろん久松山を思い描いて作曲したことであろう。
 「かの川」を特定するには鳥取にはあまりにそういった清流が多いのだが、きっと鳥取中を縦横に流れているそこらの小川を想像したであろう。

 もし君よ、目を開いたまま相生村を想像してほしい。

 幼いころ、あんなに憧れた天空。
 風わたる草原。
 夕日の向こう側に駆けてゆく子供たち。
 月影は森を照らし、水上は遠く遥か。


 大自然のなごりと人間の暮らしの余波が落ち合って、穏やかにうずを巻いているところ。

 鳥取よ。
 国のまほろばよ。
 日本人の最後のふるさとよ。






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最終更新日  2005年10月10日 07時58分20秒
コメント(13) | コメントを書く


■コメント

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おはよー!!  
solya  さん
岡野貞一のこと知らなんだ。
べんきょー不足だったなぁ。。そかそか。。

solyaの中にあるふるさとは、
自然の中と空や山や小川ではなくて、
明治時代から続く商家の町家の格子窓であったり、
白壁の続く小路であったり、
満開の桜の散る打吹公園であったりなのだけど、

それでも、小夜子姐の書く山里の人たちの暮らしに
懐かしく、ほっとするような安心を感じるのは、
なんでだらーかい??

穏やかな渦に、くるくると揉まれているのが
心地よいなぁ。。。 (2005年10月10日 10時12分52秒)

Re:おはよー!!(10/10)  
小夜子姉貴  さん
solyaさん

ずっと前に、町家(まちが)と山家(やまが)のコメントをくださったことがあったっちゃが。

倉吉は町家。
相生は山家。

あれからずっと山家のことを考えてきました。

今日も町家山家を等しく抱いているから、鳥取は豊饒なのですね──。
(2005年10月10日 16時02分47秒)

お願い・・・  
yuu yuu  さん
日本人ルーツは何処なのでしょうか・・・。ふるさとは・・・。 (2005年10月10日 20時11分12秒)

Re:お願い・・・(10/10)  
小夜子姉貴  さん
yuu yuuさん

現代の日本人については、遺伝子レベルからいえば、下記のようなデータが出ています。

日本人特有の遺伝子 4.8%
アイヌ人特有の遺伝子 8.1%
琉球人特有の遺伝子 16.1%
韓国人特有の遺伝子 24.2%
中国人特有の遺伝子 25.8%
五つのパターン以外の遺伝子 21%

なお、中国においては中国人特有の遺伝子が60.6%を占め、韓国においては韓国人特有の遺伝子が40.6%を占めているので、これは日本人の多様さが伺い知れる資料であると思われます。

文化の面から考察すると、
まず100%の可能性で、朝鮮半島の影響が強いと思われます。
現在、日本史の教科書には「古墳時代」という呼称は使われなくなりました。「初期大和朝廷時代」と呼びかえられています。
つまり、弥生時代からいきなり「初期大和朝廷時代」に入るわけで、この文化的飛躍はどこか先進の影響を考えざるを得ないわけです。
「古墳」もすでに朝鮮半島の模倣であることが知られています。

では、朝鮮半島とひとくちに言っても、どの地域の影響であるといえるのでしょう。

蘇我氏は百済出身であったという研究があります。また、厩戸の皇子の両親はともにこの蘇我の血を色濃く引いており、ゆえに大和朝廷は百済の影響で成り立っていたとも考えられます。

ただし、この時代から突然に現われる馬への信仰心
は高句麗からの影響が考えられます。日本の古墳もズバリ高句麗の古墳の模倣です。日本の古墳から多くの馬具が出土するのもこのためです。ちなみに、高句麗は現在の北朝鮮ということになります。

日本人のルーツ。
とても一口には語れませんが、大変に興味深いテーマであることは確かです。明日、歴史の表舞台には登場しないけれども、確かに実在した民族のお話を本日の日記にて考えてみたいと思います。



(2005年10月10日 22時56分15秒)

有難う御座いました。  
yuu yuu  さん
ほぼ私の考えていた通りで安心しました。千夜子姉貴さんを辞書代わりにと考えてはいません。昔読んだ本が・・・それからのことは分かりませんでしたので・・・。有難う御座いました。勉強になりました。
明日からの物語が楽しみです。
お体を大切になさいますように・・・。ご自愛を・・・。 (2005年10月11日 00時23分35秒)

Re:鳥取物語 四年生編 まくあい(10/10)  
おはよう
日本人のルーツがよく分かりました。
今は適当に推論するのではなく遺伝子を調べれば分かるのですね。
「うさぎおいし・・・」の歌は、鳥取市二の丸公園に渡るお堀の
橋の入り口に大きな石碑が建てられています。

 鳥取よ。
 国のまほろばよ。
 日本人の最後のふるさとよ。


>素晴らしい賛辞をありがとう。
今度は但馬牛のステーキを奢らなくては。

solyaさんに尋ねたいですが
倉吉市には、江戸時代の豪商淀屋辰五郎が浪花を追われ
牧野と言う姓で住み着いたと言われてていますが
牧野家の勢力は、大きいいですか?
明治維新に討幕派を資金援助したとか聞いていますが
どうでしょうか?

(2005年10月11日 07時58分20秒)

Re[1]:鳥取物語 四年生編 まくあい(10/10)  
小夜子姉貴  さん
ゆうじろう15さん

ステーキ!

これぞまさに豊饒じゃあ~。
ステーキといえば、市内では「いしい」というレストランがあったのをおぼえています。ちゃんとシェフが鉄板で焼いてくれて、UFOみたいな銀の半球体で蒸し焼きにして・・・。これほど本格的な料理は、当時はめずらしかったのです。

両親が選ぶメニューがあまりにおいしそうだったので、私は「いしい」で自ら「お子さまランチ」を卒業しました!
新幹線とかに載ってるお子さまランチだったのに、です。

それから、東郷町だったかな。ステーキハウスの「とうはく」にも行きました。「とうはく」って、よく見ると牛の横向きをデザイン化してロゴにしているのですね。

ああ、ステーキ!(←お約束だから言ってみる)。

ゆうじろうさんはおいしいものばかりを食べていらっしゃるご様子。
うらやましい~。

おごってくださるって・・・鳥取の男に二言はないですよね!
(2005年10月11日 08時46分08秒)

Re[1]:鳥取物語 四年生編 まくあい(10/10)  
solya  さん
ゆうじろう15さん
>solyaさんに尋ねたいですが
>倉吉市には、江戸時代の豪商淀屋辰五郎が浪花を追われ牧野と言う姓で住み着いたと言われてていますが
>牧野家の勢力は、大きいいですか?
>明治維新に討幕派を資金援助したとか聞いていますが
>どうでしょうか?
-----
ややや。
これはまた難しいクイズてす。。。
えーと、solyaの話は小夜子姐のお話のように勉強した裏付けのある学問的なことではないので、与太話し程度に聞いてくださいね。

淀屋は御存知のように大阪の豪商で、米市場と自分の屋敷を繋ぐ橋-淀屋橋を架けたことで有名です。
中之島一帯は、この淀屋の私費による開発と言われています。しかし・・この淀屋は岡本姓で、後の淀屋と区別して岡本淀屋と呼ばれています。
五代目(この人が辰五郎。。諸説あり)の時に、時の権力者柳沢吉保によって、閉所・所払いに処せられて没落してしまいます。ほんとの所は淀屋が幕府はじめ諸大名に貸していた莫大な借金を棒引きにして
しまったというところでしょうか。

さて、ここで登場するのが、4代目淀屋重當の大番頭にして、側近であった牧田仁右衛門。この方が倉吉の出身で、既に重當の命により倉吉に米問屋を開業していました。

つづく (2005年10月11日 10時42分45秒)

Re[2]:鳥取物語 四年生編 まくあい(10/10)  
solya  さん
↑つづき

淀屋没落後、稲こき千歯や倉吉絣など、地元の名産ブランドをひっさげて、大阪淀屋橋に進出、主人の仇討ちとばかりに商いを広げ、ほぼ旧淀屋の勢力を
復帰したらしいのです。で、これを前期淀屋と分けて、後期淀屋とか「牧田淀屋」とか呼びます。

旧牧田家は倉吉市の東岩倉町というところにあって、今、その保存プロジェクトが進行中とのこと。

幕末、維新の志士への援助は壮絶!!
後期八代目の時、明治維新から遡ること9年。
突然、倉吉、大阪の店をたたみ、全てを朝廷に献金してしまったのです。

主家を取り潰してしまった憎っくき徳川。
ここぞとばかりに敵討ち!!
牧田家過去帳、八代目の余白に「世代万々歳」と
記してあるそうでございます。

見たか!! 伯耆商人の心意気!!なのであります。

重ねて申上げます。solyaの話しは正確なお勉強の成果ではありませぬ。それぞれに諸説あるよですので、その中の最もsolya好みの話を採用しております。

小夜子姐、長々と語ってしまいました。
ごめんなさい。。。m(_ _)m

(2005年10月11日 10時44分25秒)

Re:鳥取物語 四年生編 まくあい(10/10)  
solyaさん、詳しい淀屋の説明ありがとうございます。
今の財閥も含め日本一の豪商と言われたにもかかわらず
歴史から消された淀屋がよく分かりました。
ありがとうございます。
(2005年10月11日 12時58分16秒)

↑すごい~!  
小夜子姉貴  さん
淀屋って、かようないきさつがあるのですね。
郷土を愛するゆうじろうさんのお尋ねと、solyaさんの語り、それだけで叙事詩みたい。

鳥取の男たちの囲炉裏端での昔語りを、しみじみ聞いたような気持ちになりました。

ありがとうございました。

(2005年10月11日 15時00分55秒)

「世代万々歳」の通説への疑義  
陛 青山 さん
主家を取り潰してしまった憎っくき徳川。
ここぞとばかりに敵討ち!!
牧田家過去帳、八代目の余白に「世代万々歳」と
綴られていた意味には、一義的な徳川幕府が憎く
かったので、倒幕を支援して恨みを果たし終えた
と言う通説には、疑義があります。
淀屋家と徳川家とは、元来初代常安の時代からの
付き合いで、暴れん坊将軍の吉宗と五代龍五郎は
特段に仲が良かった訳ですから、徳川憎しは、表
向きの解釈と考えています。本当は、もっと重大
な日本を侵略しようとした敵へ対抗して、日本が
占領侵略されるのを防ぐ事が出来たと言う意味も
含まれているのです。
(2006年09月25日 09時15分25秒)

親愛なる山口小夜様へ  
陛 青山 さん
陛 青山さん
>主家を取り潰してしまった憎っくき徳川。
>ここぞとばかりに敵討ち!!
>牧田家過去帳、八代目の余白に「世代万々歳」と
>綴られていた意味には、一義的な徳川幕府が憎く
>かったので、倒幕を支援して恨みを果たし終えた
>と言う通説には、疑義があります。
>淀屋家と徳川家とは、元来初代常安の時代からの
>付き合いで、暴れん坊将軍の吉宗と五代龍五郎は
>特段に仲が良かった訳ですから、徳川憎しは、表
>向きの解釈と考えています。本当は、もっと重大
>な日本を侵略しようとした敵へ対抗して、日本が
>占領侵略されるのを防ぐ事が出来たと言う意味も
>含まれているのです。

-----
過去に、上記のような稚拙な歴史史観を綴らせて頂きましたが、拙方達、淀屋の末裔達は、今現在も、日本並びに世界各地で、初代「常案」の生き様通り、「生を生きて生き抜く。」事を貫き通しています。淀屋の歴史研究者の著名な新山通江氏にも、先祖絡みでは、お世話になりましたが、こればかりは、仕方が無いのですね。血脈が繋がった者達でしか分かり得ぬ事もあるものですので。事実は、小説より奇なりと申しますが、その通りで、幾ら史実を探ろうと、血脈の無い方々が探ろうとされても限度があります。血脈者の宿命とでも申しましょうか、教えられなくとも、自然に分かってしまうものなのです。過去のご先祖様方が教えて下さるのですから、仕方ありませんね。
「ジョウアンコード」など「ダビンチコード」を模した淀屋をご研究なさっておられる方もいらっしゃいますが、「群盲目、象を撫でる。」の諺の域を出ません。拙方達、「淀屋の末裔者達」は、種々、拙方達のご先祖様方の事を研究や調査なされる事に敬意を表しております。また、ご先祖様方をご顕彰して頂けます事にも感謝申し上げます。
但し、ここで申し上げたいのは、日本でも、世界各地でも厳然として、「淀屋の末裔達」は、今現在も生きていると言うことです。
貴女が今後共、鳥取の地を愛して頂く事を拙にお願い申し上げます。それでは、また。
海外の地より、「淀屋の一末裔」より (2014年10月28日 01時26分45秒)

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