山口小夜の不思議遊戯

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2006年03月22日
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 1980年代の横浜を舞台に、短い生命をさだめられた少年が、それぞれに過去を背負う仲間たちを支えながらひたむきに生きた──懐かしくも切ない少年成長譚です。

 彼らにしかわからない行き先に向かって、路地裏を駆け抜けてゆく少年たち。
 その中に、あなたの横顔が見えますか──。


 ───

 蝶が花と戯れるように、短い生命を抱いたものが、長く生きるものより焦ることなく、ゆったりと蜜を吸い、楽しみ憩う。それゆえに、わたしたちは蝶に見惚れる。

 ───

 自己紹介させていただきます。あたしは山口小夜子。昭和五十八年当時、十一歳。
 その年の四月に、父の転勤にともなって、鳥取からここ───横浜に越してきた。自己紹介はこれでおしまい。

 付け加えさせていただくなら、あとになってから嗚呼あれが転機だったんだなと感じる出来事は人生においてままあることだが、あたしはこの年のこの日、十歳にしてまさに人生を決定的に変える人物に出会っていたのだと断言することができる。
 自らのことを思い出す人もいるだろう。


 ●初日●

 昭和五十八年十一月十四日。
 あたしは崩れかけた二階建てビル(?)の、二階へと続く外階段を上りきったこところに突っ立っていた。つまり、二階にある外扉の前、ということだ。時は夕刻、四時二十分前。秋も深まった折、あたりはもう暮れかけていた。

 鳥取時代、遊びが勉強だったあたしにとって、横浜での授業の速度といったら、まさにビデオの早回しのようなものだった。
 勉強のほか、さしてやることもない都会の私立の進学校に編入するに当たって、いろいろな意味で“遅れている”ことは致命的だったけれど、あたし自身は当初からあまり気にしていなかった。

 でも、四月からこの十一月までの半年ほどでいろいろとイカレタ経験をして、まずその小学校の基本方針である“お勉強”からして見返してやろうと思い立ったのだ。
 デキる子だけをひいきする先生たちに反発するなら、まずはお勉強で群を抜いてやるってのがカッコイイじゃないか───そんな、他愛もないことを思いつのっていた。 

 二学期も中盤にさしかかった折、あたしは一念発起して、塾に入ろうと思い立った。
 ママはびっくりしていた。それはそうだ。なぜならあたしは、生まれてから十分間しか問題集に向かったことがないのだから。それも五分間ドリルを十分間かかってやるわけ。これであたしが私立の進学校についていけない理由がおわかりだろう?
 五年生の十一月、何をするにも遅すぎて、中途半端な時期だった。

 ───それにしてもこの塾、本当に大丈夫なんだろうか。

 その主な(九割方だと言ってもいい)不安要素は、これからあたしが入ろうとしている塾の外観だった。

 なぜなら、外扉といえばベニア板に申し訳程度の見栄えを施すためにワックスを塗っただけの、見るからにペラペラのシロモノで───おまけに蝶番は外観からもガタガタであるのが見てとれる。
 そして黄土色と呼べばいいのか・・・・・・わりとよくある色目の外壁は、見事にボロボロ。
 コンクリ打ちっぱなしで、ところどころ鉄骨が露出しているこの階段だって、いつ崩れ落ちるかわかったものではない。この塾のみてくれを人間の身体にあてはめたら、けっこうすごいゾンビが出来上がるのではないか。

 なるべく急ぎで塾を探して欲しいとあたしに頼まれて、早速に決めてきたママからは何も聞いていなかったけれど、このぶんでは内部もあまり期待しないほうが良い、とあたしは判じた。


 五年生のコマは四時から始まるから、まだ二十分は余裕があったのだけれど、あたしは一応、中に入ってみようと思い立った。ともかく、あたしのいる位置はあまりにも吹きっさらしだったのだ。
 見知らぬボロいビルのわきに小学生の女の子が一人───あたしはなんだかとても心細くなっていた。
 中に入ってみよう───誰か優しく迎え入れてくれるだろうか。
 あたしはマッチ売りの少女のような心持ちで、思い切りドアを開けた。

 ギョッとしてこちらを振り向いているのは四年生か───。
 玄関の物音を聞きつけて、何事かと出てきた先生らしき人に、あたしはそそくさと名前を名乗った。
「山口です・・・・・・」
 先生は、おっ、と合点のいった顔をした。
「佐伯です。今日から五年に入るんだったね。まだ四年がやってるけど・・・・まあ、あがりなさい」

 先生とはいえ、初対面のジンブツに「あがりなさい」と言われたら、あなたならどう思うだろう?
 でも、その人は確かに照れていた。小学生に舐められないようにするには最初が肝心、とばかりに居丈高な言葉遣いをする・・・・そんな先生たちをこの四月からうんざりするほど見てきたが、この人は決してそんな言いっぷりではなかった。
 玄関に下げられた裸電球の下でよく見れば、とても柔和な顔をしている。
 そういえば、声も穏やかだった。先生たる人が自動車工のような灰色のつなぎを着ているのはどうかとも思うが、そのいでたちは周囲のプロレタリア的しつらえとあいまって、不思議な調和を見せていた。

 あたしは、わざわざ命令口調で語りかけたその人に、なんとなく好感を持った。そして、安心して気が緩んだのか、面と向かって噴き出してしまったのだ。
 佐伯と名乗ったその先生は、あたしがご挨拶にもいきなり噴き出したのを見ても別段気分を害した様子もなく、自分も笑顔を返してきた。笑うと、目尻にくっきりと皴が寄るのを、あたしは見つけた。
 そうして最初の挨拶を交わした先生は、授業をするためにまた戻っていってしまった。

 さて、玄関先で再びひとりになったあたしは、ヒマにあかせてまわりをよく観察することにした。
 ───表と同様、内部(なか)もまったく変わらない様相だった。
 みてくれもなにも、あったものじゃない。言葉のとおり「裏も表もない」といった光景が、今やあたしにとっては楽しいものだった。だが、外も内もない寒さにはちょっと閉口した。

 そう・・・・この塾には、近代的と名のつく類の備品が、まったくといっていいほど揃えられてないようだった。あたしのいる場所からは、学校と同じコクヨの机と椅子が、せいぜい十揃いほど置かれているのを窺い見ることができる。
 ひびのいった黒板に、誰かが一生懸命、といった様子で読解の説明を書いている。なぜか先生はそれをにこにこと頷きながら見ているだけだ。その背後に死角になっているが、奥にはもうひとつ部屋があるらしい。いくらなんでも、机十個に一学年の生徒が収まるくらいなら、この先生の首はつながらんだろう。
 それにしても、室内外ともに、あまりに殺風景きわまりない。
 ほどなくして、あたしは周囲を観察することに飽きてきた。

 ───あーあ。早く来すぎちゃたよーお。
 あたしは大あくびしようとして、先生の目の前では悪かろうと、慎み深く後ろを向いた──そして、そのまま口が閉まらなくなった。体が硬直しているのに、一瞬遅れて気づく。
 なぜって・・・・なぜって、誰かが───見知らぬ子が、音もなくあたしの後ろに立っていて、あたしが振り向いた途端に、か、顔を両手で包み込んだのだ。
 唖然としているあたしの目には、同じくらいの背丈の女の子が映っていた。なんだかモノトーンな印象の子だ。顔を押さえられているためによく見えないが、着ているものもなんとなく黒っぽいし、なにより、髪や瞳の色が深すぎる───「漆黒」という使い慣れない言葉が、あたしの脳裏に浮かんでいた。
 それはきっと数秒のことであったのだが、あたしにはそのまま時間が止まったように感じた。それほど、その子のいきなりの行為に驚いていた。女の子があたしの頬を包んでいる手をどける気配はない。

 (以下略)



 本日の日記---------------------------------------------------------

 今日は『青木学院物語』のはじまりのはじまりを載せてみました!

 どーなんでしょ!?
 でもこれ、ハッキリ言って連載には向きませんな。

 最近、更新の内容に煮詰まっているのです(涙)。
 いきなり『箱根用水物語』なんて連載しはじめたら、皆さまズッコケる???

 それはともかく、昨日はお彼岸の中日でしたね。
 けど、野球中継があったので、横浜にはだ~れもいませんでしたよ(笑)。
 アルファポリスの編集の方から青木学院の写真のリクエストをいただいたので、さっそく家族で横浜の実家近くに出向いて、現場写真を撮りに行ってきたのです。

 いかがですか? ペンキ塗ってきれいになってた青木学院!

 実際は左端の電信柱の向こうにまで、奥行きがあります。
 電信柱の向こうのたもとにすこし奥まったところがあり、そこにみんな自転車を置いていました。というか放置していました。
 緑の部分は空き地です。ここで男の子たちは根性で野球してました。

 今、すこしだけコンクリ打ちっ放しの階段が見えます。
 階段を上がって、奥まって影になっているところがおんぼろベニアドア。青木の初日、五年生の私はこの扉の前の空き地とを遮っているコンクリに腰かけていました(写真でも少し見えていますね)。

 そして、緑色のカーテンが引いてある窓が「ご先祖の首出し穴」。授業が始まるたびに、ここからみんなを呼んでました。驚いたことに、カーテンはご先祖のカミサンが作った当時のままのものでした。
 カーテンの向こうが一番大きな教室です。
 よしずが置いてあるベランダ、ボーソーゾクに爆竹投げ入れられて、あそこからチャンピが落っこちそうになりました。ほら、立ち上がりが低すぎるでしょ。夏の間、みんなあそこに腰かけて片足を道路側にぶらぶらさせておしゃべりに興じてました。今から考えるとオソロシイ。

 一階はガレージ。三階はたぶん大家さん。
 『青木学院』は二階部分だけの小さな世界でした。

 現在、この建物は『青木学院』ではありません。
 運送会社が借りているようでした。
 私たちが卒業して間もなく、ご先祖(この塾の先生)が病に倒れられて、青木は閉鎖されました。

 ご先祖、今どこにいるの。
 『青木学院物語』出版化の道のりは、私のご先祖探しの旅でもあります。


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最終更新日  2006年03月23日 13時53分49秒
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