PR
キーワードサーチ

芦ノ湖に設えられた水門から、芦ノ湖側の隧道入口に水が導かれる。


甲羅伏(こうらぶせ:取り入れ口):芦ノ湖の水はこの穴から取り入れられる 板を落としたり上げたりして水量を調節するやり方は、当時から変わらない。

芦ノ湖側隧道入口
水門から取り入れられた水は、芦ノ湖側の隧道入口へと流れていく。
隧道へ入ってからの長さは、1.2803m

深良側出口:長い隧道を通ってきた水は、深良側の出口から姿を現す。 現在、この水の大部分は、三つの発電所に落ちていく。

小さな水路を流れていき、深良村を潤す。 (ちなみに、私が一番好きな写真ですv あとりが出てきそうでしょ☆)


黄瀬川は下流の十七の堰に分水する。水掛面積合計は527.165 ha
「堰(せき)」についての詳細は、後述いたします。
農業用水としての役割を果たした水は、三島市内を流れていく。

深良用水の農業用水としての役割と、生活用水としての役割

三島の湧き水は富士山の雪解け水だと思われているが、成分を調べると、
実は深良用水が引いてきた芦ノ湖の水であることがわかる。
地元でも意外に知られていない事実。
【堰(せき)について】─
富沢穴堰と太郎右衛門堰を例として─

隧道の完成によって、芦ノ湖の水を灌漑用として使用できることになりましたが、新田や畑成田を開発するためには、用水堰の整備が必要です。隧道を流下する水を田畑に取り入れる口を「堰(せき)」といいます。ちなみに、駿東地区の方言の特徴として、濁点の変化が挙げられるのですが、これに準じて「堰」も「せぎ」と発音します。土手は「とで」と発音します。

【富沢穴堰】
富沢穴堰と呼ばれる堰の注目すべき点は、黄瀬川の洪水時の最高水位と、雑排水を落とす穴の高さが一致していることです。これは昔の人の経験で高さを合わせたもので、現在も変わっていません。こうしておけば、どんなに洪水の時でも、水に浸からない穴があれば、堰からどっと押し寄せてくる水が排水口からどんどん出て行くので、田畑は水浸しにならなくてすむわけです。 
【太郎右衛門堰】
350年間、五つの石の配置が変わっていない太郎右衛門堰。
一説によると、太郎右衛門というのは佐吉のことだとか。
石の配置を変えてはいけない理由は、上の記述をご参考ください。
1986年時の上郷、中郷、下郷の水配人
(300年もの間、世襲されています)
芦ノ湖湖水掛りの村を総称して、今も「井組」と呼ばれています。
三郷による三組の井組が結成されており、
上郷
が富沢穴堰から引水する深良、岩波、神山、上々田、金沢、葛山、御宿、千福、定輪寺、富沢、一色の11ヶ村、
中郷
は石脇、佐野、久根、公文名、稲荷、茶畑、二ツ屋新田、麦塚の9ヶ村、
下郷
は伊豆島田、水窪、納米里、上土狩、中土狩、下土狩、竹原、本原、伏見、新宿の10ヶ村となっています。
元禄時代以降、沼津代官所の支配の下に水配人が選ばれていましたが、元文の頃からは上、中、下の三郷から正副二人、計六人が選出され、以後は世襲となり、毎年、堰、および隧道内の点検等を行っています。
皆様も深良の人々とともに喜んでください。
深良29ヶ村に、水が落ちました──■ 第二十九章 水、水、水
■
◆ 応援ありがとうございます!
次回更新は8月15日(土)●あとりとおふう●です。
見届けてあげてください──このふたりにも、別れの瞬間が訪れます。