福井県のR&Rブログ!

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Nov 8, 2012
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テーマ: ロカビリー(28)
カテゴリ: カテゴリ未分類
怒涛のライブレポも終わり、いろいろ書きたい記事があるけど

まず最初に紹介しなきゃいけないのが



ロカビリーキング「BLACK CATS ブラックキャッツ」のすべて! より引用


ロカビリーフリークの皆さんようこそ!

1980年代初め竹の子族と共に原宿を賑わせた「Rock'abilly(ロカビリー)」

2005年、湯川れい子氏、小野ヤスシ氏、高田文夫氏らにより

「全日本ロカビリー普及委員会」が発足し、

その会長に日本を代表するロカビリーシンガーのビリー諸川氏が就任し、

日本でロカビリーブーム再来か!



黒人音楽のロックンロールと白人音楽のヒルビリーが融合して生まれた音楽。

1950年代当時のロカビリーをピュアロカビリー(Pure Rockabilly)と呼び、

1970年代のパンクなど他のミュージックに影響を受けて80年代に登場した

新生ロカビリーを「Neo Rockabilly(ネオロカビリー)」と呼ぶ。

ロカビリー=リーゼントのイメージが強い為、日本ではかなり多くの誤解を受けていて、

その最たるものは横浜銀蝿やキャロルの音楽をロカビリーだと思っている人が

大勢いることである。

我が日本において、本当の意味でRock'abilly-ロカビリーを確立したのは

「BLACK CATS(ブラックキャッツ)」だけではないか。

我らの青春の1ページを飾ってくれた

NeoJapanese Rock'abilly King「BLACK CATS・ブラックキャッツ」は、



ブラックキャッツのすべてを見てくれ!

[ブラックキャッツ略歴]
1981年 - 「BLACK CATS」原宿のロカビリーショップ「CREAM SODA」で産声を上げる
1982年 - 陣内が脱退し、中村が新たに加入
1983年 - 中村、片桐、久米兄弟が脱退。その後、久米兄弟は「B・A・T」を結成し、

1984年 - 織田哲郎が初めてプロデュースをしたアルバム
「東京ストリートロッカー」を発売
1986年 - 「BLACK CATS」解散
1994年 - 高田、覚田の2人で再結成し1999年まで活動

代表曲には、JEANIE JEANIE JEANIE、SUMMERTIME BLUES、MAGIC ISLANDなど。

[ブラックキャッツメンバー]
高田誠一:ボーカル(1960年1月6日~2004年7月29日)、
 長崎県出身、血液型B型。2004年7月29日に白血病のため逝去、享年44歳
覚田 修:サックス(1958年9月3日生れ)、富山県出身、血液型A型
片桐 孝:サイドギター(1960年8 月16日生れ)、千葉県出身
陣内 淳:初代ウッドベース(1961年7月28日生れ)、神奈川県出身
久米良昌:ギター(1963年11月30日生れ)、岐阜県出身
久米浩司:ドラム(1962年5月29日生れ)、岐阜県出身
中村 元:ウッドベース(1961年2月11日生れ)札幌出身

『BLACK CATS ブラックキャッツ』って?

『ブラックキャッツ』は、1980年から1999年にかけ一世を風靡したロカビリーバンド。

時は1980年代、場所はロスアンゼルスのナイトクラブのチャイナクラブ。

しかしこの日のライブは、特別なライブの日。当日はグラミー賞発表の日という事もあり、

グラミーショーの会場からハリウッドのスター、プロデューサーやミュージシャンなどが

多数含まれていた。

その客の中にいた全米No1の人気を誇るガールズグループ・ゴーゴーズのマネージャーが、

演奏を聴きブラックキャッツに多大な興味を持ち、

間近に控えていたゴーゴーズのアメリカンツアーの前座にブラックキャッツを起用した。

そのツアーの間ブラックキャッツのメンバーは、シアトル、ロスアンゼルスなど

7千人から2万人が入るホールで、なんなくステージをこなし、

大物映画監督からの映画出演依頼などもあったのだが、

彼らはあくまでも洋服ショップの従業員と言ってアッサリ出演依頼を断ってしまう。

『ブラックキャッツ』は、ロカビリーの本場アメリカで華々しくメジャーデビューを

してしまったロカビリーバンドなのである。


1981年、『ブラックキャッツ』は、原宿にあったテディボーイファッションショップ

「CREAM SODA クリームソーダ」の従業員で結成された。

デビューアルバムのタイトルを見てもわかるように「クリームソーダ」の

社長である山崎真行氏のプロデュースでレコードデビューしたが、

最年少15歳を含む6人のメンバー達はどうしようもない不良達で、

保護観察中という状況を背負った者も2人いたそうだ。

当時彼らは、都内の従業員宿舎で、50'sミュージックライフを満喫していたが、

ある日ボーナスを貰った彼らは、使い道を考えたあげく、

じゃぁバンドでもやるかって軽いロカビリー調のノリで各々の楽器を購入しバンドを結成した。

もちろん楽器の演奏も素人に等しく、この辺がブラックキャッツのブラックキャッツ的

要素が感じられる部分ではある。

よくある話で、地方のバンドが上京して一発当てようぜ!っていうのとは

正反対のスタイルで、ノリで始めたと言っても過言ではない。

そのファッションショップの店員で勢いで始めたバンド「ブラックキャッツ」が、

本場ロカビリーのアメリカで、ネオジャパニーズロカビリーを知らしめる事になるとは、

だれが予想したことだろうか。


過去の日本ではロカビリーバンドとしてメジャーデビューをしたバンドは

MAGIC(マジック)やHILLBILLY BOPS(ヒルビリー・バップス ) など数える程。

仮にメジャーデビューを果たしたとしても、ロカビリーはそもそも一般ウケしないし

レコード会社が売り上げを重視するためJ-POPSやROCKと化してしまい

ファンの拡大と共に映画から音楽までマルチメジャーデビューを果たした

「BLACKCATS」にロカビリーバンドとして存続していたであろうか?

世間の流行でも同じことで、いつまでもそのまま流行が存続して行くわけでもなく、

流行の先端をいっていたものが時代と共に流行遅れと化してしまう。

音楽の世界でも同じこと、ロカビリーバンドとしてデビューした『ブラックキャッツ』は、

すでにロカビリーバンドとしての使命は終わっていたとも言えるのである。

『ブラックキャッツ』のメンバー達は、プロ化することでレコード会社に音を

変えられてしまい、本来バンド自身が求めていた音を失ってしまう事を

知っていたのではないのだろうか。

『ブラックキャッツ』は、アメリカンツアーをブラックキャッツは何事もなかったように

こなし、またショップの店員に戻っていた。

ロカビリーバンドとライフスタイルをこれだけ器用に両立させた

彼ら『ブラックキャッツ』のメンバーのスマートさは最高だ。

そして時は過ぎさり、いつしか「BLACK CATS・ブラックキャッツ」は永遠の伝説となった

『BLACK CATS ブラックキャッツ』ならこれを聴くべし!








よろしく!クール
















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Last updated  Nov 8, 2012 11:49:45 PM
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