ほのぼの☆smile

ほのぼの☆smile

私とバレエ。

バレエ

↑実際、こんなスリムできれいではないです・・・。

 やはり、この話題からいきましょう。

 歴史を紐解けば、かれこれ26年前のこと。
以前、住んでいた団地の集会場にレッスンに来ていた先生がいました。
 母は、そこでママさんコーラスをやっていて
レッスンしているのを知ったらしいです。
 母は、超~和風人間。
若い時は、茶道に日舞・三味線なんかをしていたらしいです。
 だから、子供には芸事を何かさせたかった。
兄は、スポーツで少年サッカーに入っていたんですが、
私は、日舞はとってもお金がかかるし、本当は体操や
アイス・スケートをさせたかったらしいんですがないので、
基本であるクラシック・バレエをと思ったらしい。

 そうして、5歳から始めました。
本人は、嫌だったのか楽しかったのかその頃の思い出はないんだけど、
初舞台は覚えている。
 クリスマスコンサートだったので、大先生の創作で題名は・・・。
私は、スケートをしている少女たちの1番小さい子。
 だから、みんな前の子の腰に手を添え、一列になって舞台の
奥から前に滑ってくるように踊ってくるんだけど、
初めてにして、待機する舞台の袖(舞台の袖とは、両端の幕のこと。)を
間違えた。
 慌てる本人、探す先生と母。
母に見つかってからこう言われた。「もう、出るのやめなさい!」
泣き叫ぶ私。
 その時、先生は「途中からでもだいじょうぶだから、
お母さん、怒らないで・・・。fumiちゃん、出なさい。」と言ってくれた。
 そうして、何とか終了。
その後の事は、覚えてませんが、はっきり言って
母は、スタジオママさんであることは、間違えない!

 その後は、学校の行事やら受験やらで途中休んだりしたけれど、
母は中途半端なことは無論、させてくれることはなく、
大先生のレッスン場まで、片道2時間の道を通ったり、
ペアではなかったけど、友人と男性のダンサーと3人で踊ったり、
オーケストラの生演奏で踊ったり、ありとあらゆる経験をして、
あと、レッスン場も何個か梯子し、仕事が忙しいので、
5年ほど前にやめてしまいました。

 自分としては、嫌だった時期もあったけど、
将来看護師かプリマにはなれないけど、ダンサーになろうか
究極の選択を迫られ、結局、プリマは断念し、今に至っている。
 今は、家のことが片付いたら、またレッスンに行こうと思っているし、
ほのが3歳になったら、習わせたいなぁと思っています。
 そうして、同じ舞台に立てたらなぁ~と思っています!




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