なぁ~ちゃん
の場合
♪
不妊治療の末
に。。。♪
赤ちゃんが欲しくてでも...出来ない
もともと出来難い体の私は
不妊治療
を受ける事にしました。
高プロラクチン血漿
卵巣機能不全 重度
二つの病名によって
自然妊娠は無理
とわかりました。
HCGなどのホルモン治療と一緒に
人工授精
や
卵胞内受精
を受けました。
しかし妊娠反応はいつもマイナス...
絶望にも近い気分でした。
親戚や義父母に早く生みなさい。
赤ちゃんはまだなの?
子供も産めない女は昔なら追い出されたもんだ
など・・・いつも言われてました。
精神的にも追い詰められた私は...
体外受精
に踏み切りました。
卵胞を10個取り出し受精させ、5個戻す。
2回目にして妊娠。
しかし、継続しにくい体らしく9週で流産
とてもショックでした。
「そんなにまでして、子供ばかりが人生じゃない。貴女の体が壊れる前に
夫婦で暮らしていくことも考えてみたら?」
実母に言われました。
そんな母の言葉で肩の荷が下りたような気がしました。
家の人も
「もう沢山頑張ったんだから二人で仲良く暮らそう」
そう言ってくれました。
でも・・・やっぱりこの手に自分の子を抱きたかった。
最後の一回と...
もう一度体外受精
を受けました。
妊娠継続が難しいので、
家の人のリンパを私の体に移植
しました。
詳しくは理由を忘れてしまったのですが・・・
どきどきしながら妊娠反応検査・・・
「おめでとうございます。ご懐妊ですよ」
またその言葉が聞けるなんて夢のようでした。
そして、二重の喜びも・・・
「双子だったのです。」
二つの命がめばえていました。
流産の不安を抱えながら妊娠初期を無事に終え
妊娠5ヶ月目に入った時...
検診で、一人の胎児の心音が弱いという事が分かりました。
即日入院し、経過を見ましたが、
残念なことに胎児の心音は止まってしまいました。
ショックと悲しみ押しつぶされそうでした。
人前で涙を見せることの出来ない私は
努めて明るく振舞いました。
そんな時看護婦さんに、
「悲しい時は思いっきり泣いちゃいましょう。誰も責めたりしないし、
まだ、お腹には小さな命が息をしているのよ。いつまでも我慢して
心の中に悲しみを持っていては駄目」
と言って、私と一緒に涙してくれました。
そのときの看護婦さんとは今でも親しくさせていただいてます。
亡くなってしまった胎児を出すか否かDr,は大変悩んでました。
胎児を出す事によって、
生きている胎児まで引きずられて出てしまう可能性が高いからです。
結果、このままにして妊娠を継続させることになりました。
妊娠中の胎児のビデオを取ってくれる病院だったので、
2つの袋がちゃんと映っていました。
でも、月日が経つにつれ一つは小さく小さくなっていきました。
亡くなってしまった子は吸収されてしまうそうです。
それはとても見るに耐えられない悲しい出来事でした。
Dr,は記録を残すことを辞めよう。と言いましたが、
5ヶ月と言う時間を生きていた証として
撮りつづけていただきました。
その後無事に臨月を迎え、いざ出産の時
普通分娩OKだとの診断でしたので
陣痛に耐え赤ちゃんに会えると頑張っていました。
が。。。。
早期胎盤剥離
またまたアクシデントです。
出血が酷く、胎児の心臓も弱ってしまってます。
緊急に帝王切開に切り替えると話し合ってる間に
なんとか...自然で出産しました。
母子ともに生死を彷徨いましたが
3050gの女の子。
それがなぁ~ちゃんです。
出産後は、多少保育器に入っていましたが、
元気に今は生活しています。
なぁ~ちゃんは自分が双子だったことを知っています。
その子の分まで元気で優しく思いやりのある子で居て欲しいです。
そんななぁ~ちゃんをよろしくね♪