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Nov 14, 2005
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カテゴリ:  視聴レポート
11月14日20時からNHK教育テレビにて放映の「福祉ネットワーク」に、ピアニスト舘野泉氏が出演、演奏とトークの30分間はあっという間に過ぎていった。それとともに、音楽に向き合う姿勢についてまたひとつ考えさせられたような、そんな時間となった。

■吉松隆作曲 タピオラ幻景~「風のパヴァーヌ」の演奏からはじまる

NHKふれあいホールの風船いっぱいのステージ。どことなく可愛い?雰囲気が漂う会場にドーンとおかれたスタインウェイのピアノはちょっぴり違和感すら感じさせる。そんななか登場した舘野氏は、まず吉松隆作曲のタピオラ幻景から「風のパヴァーヌ」を演奏。明らかに空気が変わる。そう、それはフィンランドの空気に。というのも、この曲は吉松氏がフィンランドの森をイメージし、舘野氏のために作られたものであり、そして、フィンランドといえば舘野氏には故郷的な場所でもある。

■ステージ上での悲劇、舘野氏自らが語る

演奏後のトークでは、まず演奏活動40周年のリサイタル風景(2001年)が映し出された後に、翌年である2002年1月9日、フィンランドのステージ上で起きた悲劇について、舘野氏自らが語ってくれた。それはあまりに生々しい。

「最後の曲の、譜面でいえば最後から3ページ程のところで調子がおかしくなっていった。右手がどんどんと遅れていき、指が動かなくなり、それでもなんとか最後の和音を左手で弾いてステージを後にしようとしたところで倒れた」

・・・と。それは脳溢血だった。予兆もなかったし、右手が徐々に動かなくなるなか、特に頭が痛い、なんていうこともなかったらしい。病院でも意識は途切れたり復活したりと、いわゆるもうろうとした状態だったという。

■膨大なレパートリーを一瞬にして失った~苦しかった入院当時~

脳溢血により右半身不随となった舘野氏の入院生活、それは想像をも絶するどん底な思いだっただろう。ある日突然引きこまれた過酷な運命に、すぐに前向きになれる人なんて早々いないものだ。だって、今まで弾けていた数々の曲たちを、もう演奏することもできないのだから。そんななか、友人たちが見舞いにきては、「ラヴェルの左手のためのピアノ協奏曲があるじゃないか、あれを弾けばいいじゃないか」なんて元気づけるために言ってくれたらしいが、当時の舘野氏にしてみれば「くそくらえ」としか思えなかった。

当時、舘野氏自身も「ピアノは両手で弾くものだ」と思いこんでいたから。だから、誰がそんな曲を弾くものか、と頑なな思いだった。

■左手だけでも十分に音楽は出来る~決して制約でなく~

そんな岩のような思いだった舘野氏の心に変化がみられたのは、息子さんがプレゼントした1冊の楽譜。ブリッジ作曲の「3つのインプロヴィゼーション」という、左手のための曲であった。その楽譜を手にした時、舘野氏はハッと感じたのだろう。

「そこに音楽がある」、それは「左手のみ」という制約されたなかの音楽ではなく、ひとつ完成された音楽であることに変わりない、そのことに気付いたのだ。「左手だけでも十分に音楽は出来る」、その思いが舘野氏を演奏復帰へと導いたのであった。



■スクリャービン作曲 左手のための2つの小品~「夜想曲」の演奏

この演奏の前に、舘野氏は左手1本で全ての音楽の要素を受け持つことで、音楽がひとつの手にまとまって見える、と語っている。「親指と人差し指で旋律を奏でれば中指・薬指・小指で伴奏を」と言いながらスクリャービンの夜想曲を、まずは旋律のみ、そして伴奏を加えてサラサラっと弾いてみせる。(会場と司会者から感嘆の声。)

そして改めてスクリャービン「夜想曲」の演奏がはじまった。この曲、実はスクリャービンの数ある曲のなかでも、私自身かなり好きな曲の部類だったりする。演奏中、画面には舘野氏のエッセイである「 ひまわりの海 」から、闘病中、そしてリハビリ中の思いを綴った文章が画面を流れていった。「音楽をするのに手の1本も2本も関係無かった」という、その言葉が心を刺す。

■生きている、すなわちそれは音楽に携わっている

舘野氏にとって、「生きている」イコール「音楽をしている」、そして聴衆と一体となるあの感覚は、演奏家としては忘れられないという。多分、一度どん底に落ちた時には、その思いを無理矢理消してしまおうと思ったにちがいない。しかし、家族や周囲が願う復帰への道、そして舘野氏自身の気持ちの変化、これらが一体化したからこそ、現在があるのかもしれない。

番組の最後を締めくくる舘野氏の

ピアノがあればよい、生きているのが、また楽しくなった

この一言は、きっと大なり小なり、そんな思いを抱えてピアノに向かっている人も少なくないのではないだろうか。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆



まぁなかなか上達しないのは、自分自身の問題ではあるのだけれど、それでもひとつの譜面から広がる世界があまりに壮大過ぎて、それこそ一生向き合っても終わりは見えなさそう。しかし、その底辺をウロチョロしているだけの状態ではあっても、その曲に触れられていられるのはやっぱり嬉しい。

ピアノって、ううん、それだけでなく、音楽を奏でるって、楽しい。

こうして時々原点に戻ることで、また、音符のひとつひとつに対するいつくしみ度も再認識できるかな。


ひまわりの海
舘野泉著:エッセイ「ひまわりの海」



【本日のピアノ練習メモ】
本日のメイン練習
●ブラームス51練習曲 #07~#10,#15
#07:3度を4-1,5-1指で弾く運動。
#08:アルペジオ練習。
#09:各指を広げる運動
#10:5指押さえながら他指の均一運動。
#15:3指押さえながら他指の均一運動。
●全24調4オクターブスケール

●クラーマー=ビューロー60練習曲 #21
#21:右手明確な指さばき練習 テンポアップ開始したが凡ミスが増えてきた。

●バッハ シンフォニア #10~#14
#10~13:おさらい
#14:21小節の下声と中声の弾き分けが出来ておらず、どうしてもつまずいてしまう。他の部分も符号通りに伸ばす・切るが出来ておらず、全体的にのっぺりした状態になっている。8小節の1拍目の中声は左で弾くところを毎度間違う。

●ショパン 24の前奏曲 Op.28 #05,#16
#05:弾きこみ段階。停滞気味
#16:練習段階。快調に進み出したと思ったのは妄想か、26小節の3拍目の1-4-2-3、これがテンポアップでかなりしんどい。同様に10小節の3拍目も1-5-2-3のパターンがテンポアップでつまずき始めた。指の伸縮練習は毎日しているはずなのにここで思わぬ壁か。

●ショパン ノクターン第13番 Op.48-1
弾きこみ段階。通し練習後に後半を中心に葛藤は続く。どうも和音の汚さを改善するのが時間がかかりそう。


本日のおさらい
●クラーマー=ビューロー60練習曲 #10(両手),#8(左手),#16(3-4-5指強化),#19(右分散音型),#20(左分散音型)
●ショパン 24の前奏曲 Op.28-1,4,7


本日のおためし~ライフワーク的取り組み
●ショパン 幻想曲 Op.49
数日ぶりに練習してみると、どうにも無惨。109小節を始めとするオクターブ進行は音外しだらけだし、164小節以降はほぼやり直し状態。






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Last updated  Nov 16, 2005 10:19:25 AM
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