がちゃ☆がちゃ

父が倒れた 2005.6.15


14日分の日記を書いて、横になっていると携帯が鳴った。
9:33 珍しく弟からの電話。

「おやじが倒れた」

弟の言っている意味がわからなかった。

「とりあえず、すぐにこっちへ来い!」

と言われて慌てて出かける準備をした。

自宅から実家までは電車や新幹線を乗り継いで、約3時間。
今までは遠いと思ったことのなかった道のりが、遠く遠く感じた。

最近忙しいって言ってたけれど、元気だったよな。
疲れてたんだろうか?

いろんなことが頭をよぎり、不安と胸騒ぎで胸が締め付けられる。
体調の悪いにもかかわらず、いのぴーは子どもながらに異変を感じ取り、
おとなしくついてきてくれた。

やっとのことで病院に到着。
ICUに来いとのこと。

入り口には親戚の人たちが集まって、なんともいえない顔をしている。

「運ばれたときはすでに心肺停止状態だったよ」
聞いてもいないのに、私にささやく。

全身が震えてくるのがわかった。
でも、とりあえずお父さんに会いたい。
ICUに入り、父を探す。

大きな声で泣きながら、呼びかけている人がいた。
母だった。

「おとうさん、起きて」

何度も何度も呼びかけるが、返事はない。
主治医の話では、厳しい状態で手術もできないとのこと。

病名は『クモ膜下出血』

泣きながら父にしがみつく母の手に、朝着ていたと思われる洋服が
あった。

私は混乱しながらも父の手を握ったり、話しかけたりしてみた。
それよりも、母が不安定になっていることのほうがもっと心配になった。

いったんICUから出ようにも、ベッドにしがみついて離れない。
何とか説得して家族の控え室に連れて行く。

病院へ運ばれてから、約6時間泣き続けていた母。

近くにいたのに父が倒れたことに気づかなかった・・・
仕事が忙しかったのはしっていたが、もっと早くに休ませてあげればよかった・・・
体調の変化に気づいてあげられなかった・・・

自分を責めてばかりいる母。

私たち兄弟も、父がこんな形で倒れるなんてことは夢にも思わなかった。
主治医の話は「厳しいです。心肺停止状態で運ばれてきた患者さんは1割しか
助かりません。」など、遠まわしに「もうだめです」といっているように聞こえる。

父と離れていることで母の精神状態が、落ち着かないので再び病室へ。
「夢じゃなかった」
父の姿を見て改めてそう思う。

私はどうしたらいいだろう。



病院は「何かあったら連絡しますから」
と、家族の控え室出て行くように言われたのでいったん家に帰るが眠れなかった。
一番下の弟が病院に残り、何かあったらすぐに連絡をするということで、母も
納得したようだった。

電話がかかってきたらどうしよう。
そう思うと、いてもたってもいられない。

いい大人になっても、父のことが大好きでまだまだいろんなことを話したい。
そう思うと、涙がどんどん出てくる。

病院で父は頑張っているのに、
「高校生のときにこんなことがあったな・・・」とか
「4月に実家に帰ったときはこんな話をしていたのに」など
勝手にいろんなことが頭の中をぐるぐる回ってくる。

気がつくと夜中の1時。
母が、眠れずに家の中をごそごそとしていた。
とりあえず、入院の用意をして再び横になる。

母は、夜中から病院に行きたいと言って聞かないのでもう一人の弟を起こし、
病院へ行く。
病院にいる弟と交代して朝まで近くにいることになる。

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