事故当時

衝撃の日(2000年9月8日)


 午後6時、誠より電話「 兄ちゃんがバイクで事故に遭った
上の息子、優は大学3年生、北九州で一人住まい中。慌てて主人と家へ、誠が聞いてメモった病院へ電話。 「息子さんがバイクで事故に遭い当病院へ、運ばれました。至急、きてください、場所は・・・。」 「容態は?」と聞くと、「来たら、説明しますのですぐ来て下さい。」
 主人、私、誠の3人で列車で。着くまでの時間の長いこと。主人は「人、間違いじゃないか。優がバイクを誰かに貸して、その子が事故に遭ったんじゃあないか。」なんて言い出す始末。
 「行って間違いだったら、喜べば」と言いながら、でも、病院の人の話方だとかなり危ない様子。「優、がんばれ」



こんなにひどいんだよ!!


 病名: 重症頭部外傷、血気胸、頚椎損傷、左上肢・下肢骨折、頸部皮下血腫・・・・症状:昏睡状態・・・・ これが入院時の所見、 即緊急手術。



こんなにひどいんだ!パ-ト2


集中治療室で脳外科、整形外科、麻酔科、内科それぞれのDr.よりの現状の説明を受ける。
 私たちが病院に到着した時には(午後9時前)には、緊急処置をはじめていた。左足開放骨折の洗浄(左足が開放骨折していて、土やその他からばい菌が入ると入れないので、まず、ブラシ洗浄)、輸血。
 それが終了後、頭部の出血を抜くための管をさす手術(これは、2回しかできない。それで抜けなければ、開頭手術を行うとのこと。)午前0時無事手術終了。1回目の管をさしたら、うまく血液がぬけたとのこと。 良かった。
頭を強く打つと、脳全体がはれてくるので、それを押さえるため、しばらく、冬眠状態にするとのとである。
 内臓は、大丈夫だ。
 かなりひどいけがだが、あとは、 若さで乗りきってくれれば・・・

こんなにひどいんだ!パ-ト3


 はじめての面会。事故当夜の午前2時(厳密に言うと翌日かな)
頭には血をぬくための管 が突き刺さっている(頭の中が出血しているため)。
胸には、肺から血を抜くために管 がついていて、その先端はポンプのついた機械にセツト(肺が片方、ふうせんがしぼんだようにつぶれて、血が溜まっているため、肺を膨らませて、血を抜いている)。
人口呼吸器
左手、左足は骨折 しているので空中に吊り上げられている。心臓より高くしていないと血液が行かず、青紫状態になる。
体温が高い ので脇、足の付け根、背中、頭に氷を置き冷やされている。
心電図等 がセット、血圧、体温、呼吸等も表示。 呼吸が混濁 している様子が画面に表示されている。

ゆっくり大きく息をしろ!



 面会は、1日2回10分。(この時しか優にあえないので、待ち遠しい)
そして、、 いつ容態が悪くなるかわからないので病院の家族待合室からでないように と言われる。
 家族待合室で寝泊り(長椅子2脚と、畳3畳のスペ-ス。常に3家族ぐらいが寝泊りしていた)、電話がなるたびに 優の容態がかわった のではないかと どきり

 1週間後、30分で駆けつけられる距離で、常に連絡が取れるようなところならOKとお許しがでて、 久々、布団に寝ることができた

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