2013年夏休み・中東(トルコ・北キプロス・キプロス・ドバイ)遠征(2)
13日(火)、中東レポート(5)はタクシム広場から。
ご承知のとおり、今年の5月末から6月にかけて、この広場を中心に反政府デモが行われました。
しかし、くそ暑かったのと人手の多かったことを除けば、ここでそのような激しいデモがちょっと前に行われたという雰囲気はなく、いたって平静でした。広場の端の方に警官隊の集団が一応警戒はしていました。ちょうどトルコに到着した翌日あたりにエジプトで大規模な軍と民衆の衝突がありましたが、やはり印象としてはトルコは同じイスラムでも世俗化して宗教色が薄いので一皮剥けているというか、抑制が効いているところがあるような気がします。トルコは20世紀初頭にケマル・アタテュルクのもとで完全政教分離が行われました。思うに、明治維新でそれまでの武士の世界を全く否定して近代化した日本ともある意味似ています。そのあたりの融通の利かせ方が日本とトルコで共通しているような感じもしたり、トルコは欧州化も結構されているので、今のエジプトのような状況や、かつてのイランのような極端なところまでは行かないのではないでしょうか。
ここを起点にガラタ塔の近くまでこんなレトロなトラムも走っています。
天安門広場の人民英雄記念碑にも似ていますが。。
トラムに乗りたかったのですが、満員だったのでガラタ塔方面に歩いていくことにしました。結構暑かったですが。。
ここは新市街の銀座通りみたいな位置づけで、おしゃれな店も結構たくさん並んでいます。私が泊まった旧市街の雰囲気とはだいぶ違います。
日陰を伝うように歩くこと20分くらい、世界遺産のひとつ、ガラタ塔に到着。
1455年建設と書いてあるように見えますが、そうだとするとオスマン帝国のコンスタンチノープル攻略直後ということになると思います。
ガラタ塔のところから地下ケーブルカーに乗ろうと思ったら駅がどこにあるかわからなかったので、16:54、結局徒歩で旧市街に向かう橋のたもとからトラムで一度ホテルに帰ることにしました。
対岸のモスクを一枚。今気が付きましたが、右側の標識の意味がいまいちわからんですね。橋の上なので強風注意ということでしょうか。
ホテルで仮眠したあと、19:29トラムで2駅ほど乗り、「グランドバザール」の入口までやってきました。
と思ったら、19:30でおしまい。門扉が閉められてしまいました。ここの中は絨毯屋、宝石屋、土産物屋のほかレストランやモスクもある広大な城壁に囲まれた市場。別の日に出直すこととしました。この中は随所に警官もいるようなので、治安維持の関係で閉めるのも早くなったのでしょうか。
グランドバザール近くのオープンレストランで夕食。ミニハンバーグのような肉団子式のケバブ。
ビールはなかったので、このフレッシュザクロジュースを注文。これがまた非常に酸っぱく、柑橘系の酸っぱさが大好物の私でも込み上げてしまうような酸っぱさでした。
トルコらしく、食後にはトルコティーが出ました。トルコの方々は夏の暑い盛りでもこの熱いトルコティーを欠かさず飲むんですねえ。日本のお茶の感覚に近いですね。
この店で食事しました。食事中の足元に猫もやってきました。
ぶれてしまいましたが、近くのキオスクで買ったプレーンヨーグルトとレモネード。このパターンがこの後数日続きました。翌日はキプロスへ日帰り遠征するので、この日はここで早めに就寝。
さて、ここからは14日(水)。北キプロスへ行くフライトに乗るためにホテルをタクシーで5時ごろ出発。かっ飛ばして20分ちょっとでアタテュルク空港に到着。
間もなく搭乗。イスタンブールから北キプロスの首都ニコシア近郊にあるエルジャンまで1時間半弱。ちなみにチケットは日本からトルコ航空のサイトで購入しました。
8:59、北キプロス・エルジャン空港着。小さな空港なので飛行機からターミナルまで徒歩で。北キプロスになぜ行こうと思ったかは、次の書き込みで説明します。。
中東レポート(6)、北キプロス編。北キプロス唯一の国際空港、エルジャン空港到着。一服したあと、タクシーで首都レフコシャ(トルコ語。英語ではニコシア)へ。
タクシーの車窓から。山の向こうは地中海。
9:38、レフコシャ旧市街・Walled Cityの北の入口近くでタクシーを降りました。
北キプロスはトルコ軍占領地域。ケマル・アタテュルクの銅像が立っていて、ほとんどトルコの雰囲気と変わらない感じ。北キプロスの国旗(右)とトルコ国旗が並んではためいています。
レフコシャの北キプロス側地域の地図。円形の城壁Walled Cityの北半分までが北キプロス領。
Walled City全体ではこうなります。
さて、こちらはiPadのアプリ。これは現地の昼過ぎの当時の温度ですが、左上にあるように39度。イスタンブールも暑かったですが、それ以上の高温。行く前にも何度もこのアプリで現地の気温をチェックしていましたが、連日40度超えが当たり前でドバイ並の気温でした。。
改めてGoogle Mapで見てみると、レフコシャの旧市街はこんなふうになっています。そのど真ん中を点線が二本通っているのがわかるかと思います。ここが北キプロス・トルコ共和国とキプロス共和国を分ける境界線。1960年にキプロスは英国から独立、ギリシャ系、トルコ系が混在した国でしたが、1974年にギリシャ併合派のクーデタをきっかけにトルコ軍が北キプロスを占領して内戦となり分断、1983年北キプロス・トルコ共和国としての独立。それ以降キプロスは南北に分断されたまま。二本線の間は国連軍が緩衝地域として設けた「グリーンライン」という境界線。ちょうど韓国・北朝鮮の間の非武装地帯(DMZ)にも類似していますね。北キプロスはトルコのみが承認しており、日本も国交はなく、日本では公式にはこの地域を「トルコ軍占領地域」としています。ちなみに、iPadをローミングで使っていましたが、国交もないので当然海外パケット定額の対象外。今日ソフトバンクのサイトで利用料金をみてみたら唖然としてしまいました。。
キプロス全体でみると、こんな感じで北側の約1/3が北キプロス。境界線がちょうど首都のど真ん中を通っているわけで、今世紀初め、キプロス(南)がEUに加盟するまでは、南北間の往来が制限されていました。キプロスは今では通貨としてユーロを採用していますが、つい数カ月前ここの銀行の破綻がEU全体の金融危機へ波及しそうになったことは記憶に新しいですね。その話は北キプロス側には全く関係ないと思いますが。。
そんなわけで今も形式的な分裂状態にはなっているものの、南北間はレフコシャ市内の検問所数か所で徒歩や自動車で往来が可能になっています。では、南北国境に向けてスタート。
その近くの広場。建物の上にある写真はケマル・アタテュルク?あるいは今のこの国の首相でしょうか。
ここにもトルコと北キプロスの国旗が並んでいます。北キプロスはトルコしか承認していないため、トルコ以外からの投資がないので、南側のキプロスと比べると、生活レベルは劣っているらしいです。南側も金融危機の件があったので、今はどっちもどっちでしょうか。。
さて、北キプロスから南側に通ずるロクマシュ検問所というところまで来ました。
では、これから国境を越えます。左側が向こう側へ行くための通り道。左脇の建物でパスポートに出国のスタンプを押されます。かつて板門店に韓国側・北朝鮮側の両方から訪問したことがありますが、そのときのような国境の緊張感はここでは全くありません。ただ、北側から出たらまた北側に戻ってこないといけないとかは今もあるようです(キプロスはシェンゲン協定には入っていないようなので)。少し前までは北キプロスのスタンプがあると南側から別の国に出るときに問題があるので別紙にスタンプを押さないといけないとかいくつかハードルがあったようですが、今はそのような難しいことはなくなっているようです。
10:11、めでたく国境を通過(向こう側が北キプロス側)。南側の検問所では日本のパスポートをみせたらさわりもせず「OK」ということであっという間にキプロス入国。
キプロス側に入ると、急にギリシャ語の世界になります。写真は検問所前のギリシャ文字のオブジェ。ギリシャ語ではニコシアは「レフコシア」となります。
このあたりは地図をみると国連軍緩衝地域の中。なので「Peace」ということなのでしょうか。
アップにしてみました。南側に入ったところにあるスタバで一服しながらFacebookなどに書き込んだりしながらしばし休憩。くそ暑いのもさることながら、南側で特に行くところを決めていなかったので(というか、国境越えそのものが目的だったので)、地球の歩き方ギリシャ編などをみながら物色。まずは近くのビルにある北側も景色も臨める有料展望台に行ってみることにしました。
こちらはその展望台(8Fくらいの高さ)から北キプロス側の眺め。あの山の向こうが地中海。「五本の指」とかいう山々です。キプロスめぐり、まだ続きます。。
南側の検問所近くのビルの有料展望台から見える北キプロス側の景色をアップ。山肌にトルコと北キプロスの国旗が刻まれています。分断国家というのは、北朝鮮なんかもそうですが、こういう自然の上に無理に人為的なものを作るところは共通なんですかね。南北キプロスの場合は南北朝鮮と違ってイデオロギー的な対立はないはずなんですが。。
同じ展望台から近場の景色。方角がどっちだったか忘れました。。
昔のキプロスの景色の数々。大学のときに実は古典ギリシャ語の単位はとったのですが、現代ギリシャ語は未開拓。左はたぶん英語にするとOld Ledras(Ledrasというのはこのあたりの地名)かと。
改めてキプロス全体の地図。中央やや北寄りの白くなっているところが今いるレフコシア(ニコシア)。
これがその方向の景色。このあたりは旧市街なので高い建物があまりないですが、南側のレフコシアの新市街はこの左側の方に広がっていて、それなりに高いビルもありました。
展望台ビルにあった旧市街の地図。北側には「トルコ占領地域」とあり、こういうのをみると分断されていることがよくわかります。キプロスはEU加盟国、トルコもEU加盟を前から申請中。仮にトルコがEUに入ったら、その時点で北キプロスは存在意義がなくなるので、消滅するのかもしれませんね。
さて、南側にある博物館に行ってみることにしました。このトンネルはその途中に通ったものですが、相当古そう。
11:39キプロス考古学博物館にやってきました。くそ暑かったのでどこか涼しいところに入りたかったこともありますが。。
キプロスの歴史は相当古く、世界史などでもギリシャ文明のところからすでに登場しますが、古いものでは紀元前7000年くらいの旧石器時代のものもあります。ただ、相当量が海外に流出してしまっているそうです。
ギリシャ彫刻のようなものが豊富にあります。
これは紀元前1000年くらいですね。でもあまり古さを感じさせません。
博物館を出てもう1か所くらい歴史的建造物を見に行こうと思いましたが、さすがに暑さで疲れてきたので検問所近くで一休みすることにしました。地元のビールはうまかったです。
さらに別の店でアイスをいただきました。欧州は全体的にそうですが、くそ暑くても屋内の冷房の効いた席をとらずに、屋外の席を選ぶ人が多いですね。私の場合はモクのために屋外の席に座っていますけど。。
再び検問所にやって来ました。これから南側の検問所を抜けて、北キプロスに戻ります。
この部分はちょうど南側の検問所と北側の検問所の間、緩衝地域の部分になります。
ここは国連軍のバッファーゾーンと書いてあります。このゾーンの建物はすべてこのように閉鎖されています。74年以降こんな感じなんでしょうね。かつてベルリンにあった壁の周辺もこんな雰囲気だったんでしょうか。
北側の検問所に向かって歩いていきます。分断とはいっても、とてものんびりしていて、全く緊張感はありません。
北側の検問所に着きました。それを示すように言語の順番もトルコ語・英語・ギリシャ語の順に変わりました。
北キプロスに戻って来ました。徒歩で渡る国境、いいですね。写真は南側を臨んでいます。
セリミエ・ジャーミーという名前のモスク。14世紀初めにに完成したという古いもの。日本でいえば鎌倉時代ですね。
これがあるとやはりイスラムですね。このあとはまだまだ帰りの飛行機まで時間があるので、北キプロスの北側で地中海に面しているギルネという街に思いつきで行くことにしました。続きはまた。。
14:27、レフコシャからタクシーで北キプロスの北側、地中海に面するギルネへひとっ走り。ちなみにトルコは右側通行ですが、かつて英国が植民地支配したキプロスは南北ともに左側通行です。あと、北キプロスのタクシーはなぜかベンツが多いっす。
山肌はこんな感じであまり緑がないですね。なんだか山にとても歴史の古さを感じてしまいます。
ギルネの街が見えてきました。ギルネはフェニキア人の時代にすでに商業港として栄えていたそうです。紀元前8~15世紀の話です。古い!
ギルネといえばここ、ビザンツ帝国時代の9世紀に造られたというキレニア城。
地中海。ずっと先にトルコ本土があります。ちなみにキプロスから今内戦状態のシリアまでは直線距離で100kmないそうです。ここをヨーロッパというのはやや無理があるような気もします。
越えてきた山の方を振り返ります。山の向こうがレフコシャです。
ここもくそ暑かったですが、南北キプロス、十分堪能したので再びエルジャン空港へ。
16:24、エルジャン空港着。飛行機の出発までは3時間待ち。
もう二度と来る機会はないと思われるキプロスの山々を最後に目に焼き付けます。
空港で相当待ち時間があるので、地元のスナックで一服。19:30ごろ北キプロスを離陸、21時前にはイスタンブールに着陸したものの、前に書いたように入国審査の行列がものすごい行列になっていて1時間以上通過に要してしまいました。
長いキプロス日帰り遠征が終わり、ブルーモスク近くを通過して間もなくホテルへ。夜はモスクがライトアップされていてとても幻想的。改めて次の晩に来てみることにしました。そんな感じで23時ごろようやくホテルに到着。速攻で就寝しました。。


