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俺たちの旅 0
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そうよ、人生は賭けよ。 車寅次郎 獅子の時代 総集編 第五回「自由自治元年」明治政府は北海道に巨大な監獄を作り、そこへ東京・小菅の監獄に収監されていた囚人たちを移す。厳しい気候風土の中、石狩川の奥地にある樺戸集治監は脱走不可能と言われていた。そこに銑次の姿があった。一方、嘉顕は北海道開拓使の書記官として赴任。そしておもんも銑次を追って小樽に辿り着いていた。連日のハードワークに思想犯の住田(日下武史)は十分な食事を与えるよう看守たち(小松方正・はっちゃくの父ちゃん)に訴える。銑次たちも食器や机を叩いて同調。しかし看守たちの怒りを買うだけ。ある日、千代のもとにかつて銑次とゲリラ戦を展開した金子が訪ねてくる。金子は斗南から会津に戻った玲と保子の面倒を見ていた。金子は保子(二代目松田優作夫人)を連れてきたのだ。十年ぶりの再会に千代は涙する。銑次も北海道にいるとも知らず。そして嘉顕も海産物問屋のおかみに納まっていた菊子と再会する。以前とは別人のように生き生きした姿に胸を撫で下ろす。そんなこんなでおもんは樺戸集治監に到着、銑次と面会を果たすが「誰に会いたいか知らねえがこんなとこに入った男は忘れろ。さっさと消えちまえ!」と言い捨てられる。おもんも「男欲しさにこんなところ来るほどいじらしくありませんよ」と口にするが帰り道号泣する。樺戸にいることで銑次を苦しめている。そして冬到来。住田はアジテーションを繰り返すが見せしめに殺害される。銑次が樺戸に収監されていることを知った嘉顕は毛布や食料を届けようとするが、千代は縁戚に犯罪者がいることで嘉顕の立場を心配する。そして春到来。銑次たちは全員脱獄。仲間たちが次々と殺される中、銑次は小舟で石狩川を下り、小樽を目指す。知らせを聞いた嘉顕は銑次の戸籍を消すことと交換に書記官を退官する。未だ藩閥にこだわる上司との対立が本当の理由だった。小樽に着いた銑次は菊子の計らいでおもんと再会する。翌朝、二人は嘉顕、千代、菊子に見送られて東京へ向かった。戸籍上死亡とされ追手にかかることはない。そして嘉顕は鹿児島へ下野する。下野しても決して天下国家を忘れてはならぬ。それが世話になった義理の弟・嘉顕への銑次の別れの言葉だった。おもんは無理がたたり衰弱、凌雲の病院へ入院する。病状は酷いが一生懸命生きようとしている。凌雲は銑次におもんと所帯を持つよう勧める。銑次は収監中に考えていることがあった。もし外に出ることが出たら「俺たちと同じように酷え目に遭ってる奴らがいたらきっと見方をしてやろうと。だから所帯持ってじっとしてるつもりはねえんです」。しかし今のおもんに聞かせてはならない。鹿児島で晴耕雨読の毎日を送っていた嘉顕にカムバック要請が届く。憲法制定のため伊藤博文(五右衛門)は優秀なブレーンを集めていた。その頃、おもんはみるみる衰弱。意識を失いかけているおもんに銑次は花嫁衣裳を用意。凌雲、瑞穂屋、英吉親分、そして芸人としてまともに生きるようになった不良弟たちが見守る中、祝言を挙げる。銑次の温もり、弟の呼ぶ声にどこまで届いたか分からないまま穏やかな表情で息を引き取る。銑次は会津に向かった。会津は反政府色が強く、自由民権運動の砦の一つだった。そこで政府は弾圧を展開する。次々と指導者を逮捕された農民は喜多方警察署に集まり、指導者の開放を求めるが武装した警官に壊滅させられる。銑次は伊河泉太郎を救出し秩父に向かう。秩父にはデフレ政策で不景気に喘ぐ農民の面倒を見ていた英吉親分がいた。銑次は二人に熱く語る。「百姓町人は維新でちっとも救われてねえ。いやそれどころかいつまで経っても屑同然だ。維新のやり直しだ。百姓町人の明治維新だよ」。その頃、憲法の起草草案作りのためヨーロッパを訪問していた伊藤博文が帰国する。嘉顕は自ら作った憲法の草案を伊藤に提出する。それは集会や結社、言論、革命の自由を認めるものだった。伊藤は草案の出来を褒める一方で、四民平等を否定する華族制度を作ろうとしていた。嘉顕は伊藤に直談判するが、国民に主権を与えるのは早いと一蹴される。「今の日本はね遮二無二に力をつけにゃいかんのです。異論はありますか?」「私はそのような憲法には根底から反対でございます」「なら辞めなさい。私の信念は変わらない」。嘉顕は自己の信念とする自由主義的な憲法草案を書き進める。一方、秩父では困民党が組織され武装蜂起を決定する。憲法草案を完成させた嘉顕は政府だけでなく民権派からも危険視されていた。警察に追われ、怪我を負ったまま鹿鳴館を目指す。憲法草案を握りしめたまま警官に滅多切りにされる嘉顕。鹿鳴館ではパーティが開かれている。千代は嘉顕が憲法草案の下書きで折った兜を手にして胸騒ぎがするが、表では警官たちが見張っている。そして嘉顕は絶命する。緊張が高まる秩父に医者になるため北海道を出た保子が訪れた。銑次に千代から預かった嘉顕の憲法草案を渡す。「国民は愚か者ばかりにあらず。もし国民の声を聞かず政府官僚が独裁独善に陥れば必ず国は破局に向かう。願わくば日本国憲法は国民の自由自治を根本とした・・・」。銑次は「くそ真面目を貫いた頑固な優しい男だった」と口にする。そして保子に「お前も頑固に医者になれ」とパリ行きを勧める。「昔はおじさんも日本中に鉄道を敷こうと思ったがみるみる歳は取るもんだ。ガハハハ」。武装蜂起の朝、銑次は「自由自治元年」と書いた旗を作る。集結した農民は三千人。政府は警察の手に余ると見るや軍隊を派遣する。困民党は天皇に逆らう暴徒であり、国内に不穏な動きが波及する前に徹底的に弾圧する方針だった。その中に紘造の姿があった。英吉親分は命を落とし、秩父は軍隊と警察に囲まれてしまう。農民たちが次々と脱落していく中、銑次と泉太郎は残った農民たちに徹底抗戦を促す。秩父の外にはいくらでも百姓はいる。いくらでも味方がいる。どのようにしてでも政府を動かさなければならない。追い詰められた銑次と泉太郎は無駄死にを避けるため農民たちに村へ帰るよう指示する。「村に帰って土さ耕して時を待て」「きっと俺たちは戻ってくる」。旗を掲げながら敵陣を突破する二人。そのまま上州を目指そうとするが泉太郎が銃弾に撃たれる。パリ以来の盟友を失った銑次はたった一人で斬りまくる。困民党は壊滅した。紘造は銑次を探すが遺体は発見できなかった。その代わり「自由自治元年」の旗に銑次の筆跡をみた。明治二十二年二月十一日。大日本国憲法が発令され、揺れ続いた明治政権はようやく確立する。「その頃パリに向かう汽車に一人の娘が乗っていた。凌雲に支えられ医学校に留学することになった保子である。銑次がパリに来てから23年が経っていた」。千代は息子を連れ、鹿児島で嘉顕の母親と暮らしていた。憲法草案を読み上げる嘉顕の声が響く。嘉顕の息子を頼もしく見つめる二人。「やがて日本は日清戦争へ突入、さらに日露戦争への道を歩いていく。そのような歳月の中で幾度か銑次の姿を見たという人があった。例えば栃木県足尾銅山鉱毒事件の弾圧の最中で。例えば北海道幌内炭鉱の暴動弾圧の最中で、激しく抵抗する銑次を見たという人がいた。そして噂の銑次はいつも戦い、抗う銑次であった」。お・わ・り大河ドラマは歴史上の人物のサクセスストーリーがほとんど。しかし『獅子の時代』は主人公である架空の下級武士がどんどん没落し、反体制運動に身を投じる異例の物語。俳優をセミリタイヤして農業に従事、反原発運動や辺野古移設反対運動に協力する晩年の菅原文太と平沼銑次の姿が重なる。調べるとパリロケは昭和54年9月。『トラック野郎』の最終作『ふるさと特急便』の公開は『獅子の時代』の放送開始と同じ昭和55年1月。撮影はどっちが先だったんでしょう?パリ編の銑次は明らかに星桃次郎の芝居が混ざっているが、中盤辺りから完全に平沼銑次になってカッコいい。放送当時、最終回をカセットテープに録音してセリフを覚えたくらいハマった。総集編もしっかり観た。でも次回作の『おんな太閤記』(脚本・橋田壽賀子)は観なかった。
2021年01月17日
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ああどうにも止まらない。 車寅次郎 獅子の時代 総集編 第四回「愛と動乱の日々」平沼家は斗南を離れた。兄嫁・玲と保子は会津に戻り、平沼三兄弟は東京を目指した。銑次は薩長とやり合うには商人になるしかないと考え、瑞穂屋卯三郎を訪ね、手代として働くことになる。千代も武士の娘の誇りを捨て瑞穂屋の手伝いに、紘造は板垣退助の書生となっていた。かつて嘉顕とロンドンに留学していた尾関平吉(岡本信人)は横浜で税関長として権威を振るっていたが、紙幣の印刷機納入を巡る汚職が発覚する。印刷機の納入が決まっていたにもかかわらず、瑞穂屋から印刷機代を騙し取っていたのだ。銑次は自分を雇ってくれた瑞穂屋のため尾関の許へ乗り込む。薩摩藩出身を傘に着た横暴が許せなかった。しかし尾関に逆ギレされ、反政府主義者として捕まってしまう。嘉顕は銑次の釈放に奔走し、千代に報告する。銑次は牢で大物牢名主・松本英吉(丹波哲郎)と知り合う。松本は元町人。町人は武士より身分が低い。会津と薩摩は侍同士。町人は会津よりも遥かに虐げられてきた。甘い甘いと丹波風に語る。その頃、新政府では隣国・朝鮮を開国させようと西郷隆盛・江藤新平らが主張。一方、欧米視察から帰国した大久保は征韓論に難色を示す。戦を起こしてまでなぜ交渉を急がねばならないのか。しかし西郷とは争いたくない。そんなこんなで大久保は失脚するが、天皇の意向で閣議は覆されて大久保返り咲き。西郷・江藤・板垣らは野に下る。二年ぶりに出所した銑次は紘造、千代、弥太郎、瑞穂屋の前で「これからは薩長に関わらね。誰にも迷惑かけず自由に生きる」とフリー宣言、弥太郎を頼って車引きに転職。当時人力車は最先端の乗り物。明治版トラック野郎。ある日、弥太郎からおもんの近況を聞かされる。またしても不良弟に振り回され、井関屋の囲い者に身を落としていた。翌朝おもんの前に銑次が姿を現す。「どんだ?車屋姿も満更でもねえべ」。おもんを乗せて爆走。いつも自分にそっと寄り添う銑次に熱く込み上げてくるものを堪え切れなかった。そして千代は嘉顕からプロポーズされる関係になっていたが薩摩と会津。互いの家族が結婚を認めるはずがない。なによりも銑次が猛反対。そんなある日、紘造に徴兵令が届く。銑次は無視すればよいと言うがそういうわけにはいかない。国とは縁が切れない。紘造は激しく抵抗しながら陸軍の兵士となる。その頃、鹿児島に戻った嘉顕は燻りまくる反政府の動きに慄然とする。薩摩は事実上地方軍閥政権だった。ついでに両親は千代との結婚に猛反対。そんなこんなで明治九年。反乱を起こしまくる不平士族を独裁政権の大久保は武力で弾圧。翌明治十年ついに鹿児島の士族と衝突、西郷は反乱を起こす。熊本城を目指して大挙する西郷軍の中に嘉顕の父親(平八)の姿もあった。嘉顕は内務省の人間として「薩摩は倒さにゃならん」と考える。入籍を三月三日に予定していたが、東京へ戻ることはできない。千代は今日籍を入れたいと乞い、嘉顕と夫婦になる。銑次は千代の幸せを願っていたが「よりによって薩摩とは」。おもんは許してあげるよう言葉をかける。ある日、銑次は元会津藩士というだけで不穏分子とみなされ逮捕、軍夫として熊本へ送られることになる。港で号泣しながら銑次を見送るおもん。おもんに気づく銑次。そして西南戦争最大の激戦地・田原坂で雑務に駆り出される。そこには警察隊の一員になった弥太郎がいた。前線に出ようとする弥太郎を止めるが既に一人殺したと言う。「馬鹿たれ!調子に乗るとすぐ死ぬぞ」「死なね。弾よけんの誰にも負けねえ」。弥太郎を追う途中、嘉顕と再会する。抜刀隊となった嘉顕に「俺は妹の亭主に親を殺させたくね」「父は斬らん」「もし会ったらどうする?」「避けることはできる」「そんな戦争あるもんか」「そん時は斬る…斬る」「どうかしとる。主はどうかしとる!」。銑次は嘉顕を説得するが、翌朝抜刀隊は薩摩軍と激しく斬り合う。銑次の目の前で弥太郎は命を落とし、嘉顕は父親と向き合う。「さあ斬ってこい!」。嘉顕には斬れない。躊躇している隙に父親は他の兵士に斬られて絶命する。四月、新政府軍は鹿児島入りして占拠。嘉顕は実家の母親を訪ねるが敵扱いされる。今後二度と立ち寄らない代わりに父親の戦死を告げる。「おいが斬ったも同然です」。こうして西郷軍は敗北する。銑次は戦場を抜け出し、東京でおもんと再会する。これからのことは何も考えていない。その後、西南戦争で知り合った元金沢藩士・浦川(吉野刑事)から大久保暗殺計画に誘われる。「そんなことでは世の中変わんねえ!」。しかし大久保は暗殺され、維新の元勲の時代は終わった。そして大久保暗殺に手を貸した罪で銑次はまたしても警察に連行、終身刑の判決を受ける。つ・づ・く次回感動の最終回
2021年01月10日
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立て万国の労働者~。 車寅次郎獅子の時代 総集編 第三回「敗れし者の道」銑次は函館戦争に明治政府軍として参戦した伊河泉太郎に命を救われ、北海道から本州へ渡ろうとしていた。その途中、松前に立ち寄り監禁されていた凌雲と再会する。銑次は会津と函館で人を殺しまくった薩長を最後まで見届けるつもりだ。どんなことをしてでも生き抜く。凌雲もそのつもりだが薩長を見届ける気にはならない。むしろ理想とする病院を作りたい。「パリで見たろ?自由・平等・博愛だ」。年が明けて明治三年。東京・護国寺に監禁されていた会津藩の女たちに吉報が入る。下北半島・斗南に新しい土地が与えられ、そこへ移住するという新政府の提案だ。ただし三万石。武士も農民となって開拓することが求められる。紘造は越後に監禁されていた会津藩士たちからの手紙を携えて護国寺へ。千代と玲に再会、ブームの牛鍋をご馳走するが「べごは食えねえ~西洋は野蛮だなす!」と千代は口にせず。気を利かせた紘造はぷりぷり。そして助右衛門は4月に平沼家一同斗南へ移住することを決意する。その頃、銑次は船を奪って津軽海峡を渡っていた。本州に上陸すると兵隊の制服を強奪、東京を目指す。その道中、耳にするのは新政府への不満ばかり。そして郡山到着。たまたま泊まった宿でおもんと2年4ヶ月ぶりに再会する。おもんは不良弟に翻弄され、女中に身を落としていた。銑次に東京へ行こうと誘われ、そのつもりになるが、体を壊し養生することになる。銑次は手持ちの金をすべておもんに渡し東京を目指す。一方、越後の会津藩士、護国寺の千代たちは下北半島の最北端・斗南を目指す。東京に着いた銑次は嘉顕を訪ねる。嘉顕は官軍に入るよう誘うが「どこへ行っても官軍を恨む声ばっかりだ!主ら何してるんだ?百姓も武士も喘いでいる。徳川のほうが良いつう声が、薩長を恨む声が聞こえねえか!」と叩きつけられる。「主が目指す国はこんな国か!?」「おはんに文句を言わさん国にして見せる!」「何人死んだと思う?」「何人?」「何千、何万死んだと思う?それ引き換えに世の中ひっくり返したこと忘れんな」返す言葉がない嘉顕。言いたいことを言ってやっと本題。おもんの近況を伝え協力を乞う。嘉顕快諾。斗南を目指す銑次に金を貸す。その金でそばを食いまくる姿はドライブインでめしを食いまくる星桃次郎そのもの。そんなこんなで斗南に到着、平沼家とパリ出発以来の再会を果たす。しかし斗南は人が住めるところではない。荒れ果てた土地をひたすら開拓する毎日。とても冬は越せない。斗南の貧農の息子・弥太郎(金やんの息子)は平沼家に忠告する。「お前えだぢきっと死ぬよ」。その頃、嘉顕は大久保利通に会津藩改め斗南藩の劣悪な状況を訴える。しかし、会津は新政府が示した猪苗代ではなく斗南を自ら選んだのだった。手助けする必要なし。銑次は冬が来る前に金と米を稼ぐため斗南に見切りをつけ、弥太郎と一緒に横浜で肉体労働。助右衛門は平沼家の恥さらしと怒り心頭。そんなこんなで嘉顕の許へ菊子が身の回り世話をみるため、あくまで義姉として上京してくる。巳代治亡き今も苅谷家に籍を置いている。どきどき生活。銑次らのような就職難の旧士族のため雲井龍雄(風間杜夫)は救済所を設けるが、政府転覆の陰謀とみなされ斬首刑に処せられる。反政府であったとしても聞くべきことは聞かねばならないと考える。雲井と懇意だった嘉顕は、その夜おもん宅で泥酔する。菊子はおもんに嫉妬しつつも、義姉でいることに耐えられなくなり、嘉顕の前から姿を消し北海道へ向かう。銑次は稼いだ金と米を斗南に平沼家に送っていたが、助右衛門は自分たちの生活よりも斗南藩を優先、すべて藩に献上していた。「当たり前のことだ。この家だけ潤うわけにはいかねえ」。それを聞いた銑次はパリで知り合った瑞穂屋卯三郎から十両を借りると斗南へ向かった。平沼家は超貧乏。しかし助右衛門は銑次に「藩のために命さ捨てるのが藩士の務めではねえのか?藩のために誰もが欣然と死んでいったのを忘れたのか?恥知らず」と告げる。そして明治四年正月。助右衛門は衰弱した玲の娘・保子のため近所から大根を盗む。金の代わりに脇差を置いたと言うが、今や刀に価値は無い。追い打ちをかけるように藩を無くし県になること、身分に関係なく軍隊を作ること、藩主に代わって中央から知事が派遣されることを聞かされる。何のために斗南へ来たのか、何のために戦ってきたのか、すべて藩のためではなかったのか。助右衛門はショックで精神を病んでしまう。そして三月、銑次ら平沼家たちの目の前で自害する。銑次は紘造に髷を切らせる。「父上、俺は俺なりに薩長を見返す。必ず薩長を見返してやりやす!」。その四ヶ月後に斗南藩は青森県の一部となり消滅する。つ・づ・く
2021年01月08日
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これは退屈な男だからね。 車寅次郎 獅子の時代 総集編 第二回「鶴ヶ城決戦」サブタイトル通りのお話。慶応四年七月、幕府の使節団は横浜港に到着。ところが江戸は薩摩藩らの完全な支配下にあった。そのため銑次たちは拘束される。新政府軍は会津を目指していた。銑次と凌雲は秘かに脱出。江戸を目指すという凌雲に銑次は危険すぎると反対するが「他人は他人、自分は自分。ここはひとつフランス式で行こうじゃないか」と押し切られてしまう。銑次は会津の家族にフランス土産を用意していた。妹の千代(大竹しのぶ)にはドレス、祖母・松子(浦部粂子)にはお立ち台ギャルが使う扇子、父・助右衛門(加藤嘉)には革靴、母・もえ(湯浅博士の妻)にはひざ掛け、兄・亨(横内正)には革の財布、義姉・玲(マゼラン星人マヤ)にはやかんとバケツ、弟・紘造(永島敏行)にはスーツ。皆ニコニコ。しかし全て銑次の妄想。東北諸藩の連合軍は白河、郡山、二本松で敗れ、八月には猪苗代城を失う。最後まで徹底抗戦の姿勢を崩さなかった会津藩は少年、農民、僧侶だけの部隊など続々と会津城に集結。もちろん平沼家の男たちもいた。一方、もえは女子供は足手まといになるとして千代と玲に会津から離れるよう諭し、自分と松子は自害する道を選ぶ。その頃、嘉顕は4年ぶりに帰郷。家族にフランス土産を渡して皆ニコニコ。平沼家とは対照的。しかし菊子だけは気怠そう。嘉顕は会津視察を命ぜられる。その会津城では悲惨な戦いが展開していた。飯森山で白虎隊が命を絶つ中、新兵器アームストロング砲を携えた官軍が続々と会津入りする。指揮を執っていたのは嘉顕の兄・巳代治。銑次も帰郷を果たすが、待っていたのは白装束姿で自害したもえと松子だけだった。銑次は会津城を目指して爆走、城に入れなかった連中や紘造と合流する。アームストロング砲の破壊に成功した銑次たちは堂々と会津に戻り、会津城に立てこもる。千代と玲も会津に戻り平沼家は再結集。会津藩の士気は一気にノリノリ。しかし厳格な助右衛門だけ家族を呼び戻すなんてとんでもねえと怒り心頭。ただでさえ食料不足だというのに。しかも玲は身籠っている。銑次もヨーロッパの土産話をしている場合ではない。戦いは劣勢。助右衛門はいらだっていた。平沼家の女は潔く自害したが男たちはまだ生きている。死ねばいいのか、怪我をすればいいのか。銑次は不満だった。「武士はこうして死ぬんじゃ~」と城の外へ飛び出そうとする助右衛門。紘造もそれに続こうとし重傷を負う。亨は一命をとりとめるが、助右衛門の教えに従い自害する。「兄上は間違っている!兄上の死を無駄にはしねえけど・・・」。銑次は藩主の密命を受け会津城を脱出、援軍を求め米沢藩に向かうが既に降伏していた。会津城は九月に入って総攻撃を受ける。しかも従来の斬り込みではなく大砲の雨あられ。銑次は土佐藩屯地に殴り込み、指揮官の板垣退助に「会津藩に降伏の条件を示してほしい」と和睦を申し入れるが却下、土蔵に閉じ込められる。そこで嘉顕と再会、死ぬことばかり考えている会津藩の悲惨な状況を訴える。「交渉とは官軍の言いなりになることだぞ」「皆殺しよりましだ」。こうして会津藩は降伏、三千の兵は越後で謹慎を言い渡され、女たちは江戸に送られる。しかしハングリー精神溢れる銑次は脱出。松前にいる榎本武揚(新克利)の部隊に勝手に合流、凌雲と再会する。「へえ~この船は蝦夷に行くんですか?」。榎本武揚は幕府の用人を中心にヨーロッパ型の農耕を取り入れた蝦夷共和国を立ち上げようとしていた。そんなことも知らず銑次は同行、函館五稜郭を目指す。その頃、嘉顕は会津藩の女たちを訪ねて増上寺へ。パリで銑次から散々聞かされていた千代に会い、粗品を渡すが「敵の情けは受けねえす」と拒否される。そんなこんなで榎本軍早くも劣勢。榎本武揚は凌雲に病院の移転を提案するが、凌雲は病院を守りつつ敵に助命を乞うべきと反対。患者から決を採った結果、後者が支持される。凌雲は新政府軍が攻め込んできても絶対に間違い起こさないよう患者たちから武器を取り上げる。銑次も刀を没収されるが凌雲を支持、病院の前に現れた新政府軍に「撃つな~ここは病院だす!いるのは武士ばかり。でも戦える者はありません!」と両手を挙げてノー武器をアピール。指揮官は嘉顕の兄・巳代治。巳代治も目の前の小汚い男が弟とパリで過ごしていたとは互いに知るはずもない。凌雲は巳代治を病院内に案内、取り上げた武器を保管していることを説明する。「おはんを信用しもんぞ」「かたじけない」「いや~お見事でごわした」「お恥ずかしい」とほのぼのムード。しかし患者の一人が隠し持っていた銃で巳代治を撃ってしまう。銑次と巳代治は撃ってはならないと互いに静止するが、巳代治は息を引き取り、撃った患者を庇おうとする銑次も斬られてしまう。その後、榎本軍は降伏、療養中の銑次の前に伊河泉太郎が現れる。「訳がわかんね-何がどうなってんだか」。笑いあう二人。つ・づ・く
2021年01月03日
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稼業で言って渡世人ってとこかな。 車寅次郎獅子の時代 総集編 第一回「対決のパリ」昭和55年放送のNHK大河ドラマ。脚本は山田太一。大河ドラマ初の近現代物にして架空の人物が主人公。主役に抜擢された菅原文太はテレビドラマ初出演。一年間拘束されるため東映のドル箱映画『トラック野郎』シリーズを降板。しかし役者仲間を気遣ってか東映の大部屋俳優たちを端役に起用。音楽は『一番星ブルース』でおなじみの宇崎竜童が担当。演奏はダウンタウンブギウギバンドwith NHK交響楽団などなど。そんな熱すぎる話題でクラスの男子は興奮。裏番組は『西部警察』でしたが『獅子の時代』を観てたね。会津藩士・平沼銑次(菅原文太)は将軍・徳川慶喜の実弟・昭武に随行してパリ万国博覧会へ幕府派遣の使節団に加わる。黒船が浦賀に来て13年。外からは開国を迫られ、内では勤王の動きが激しくなる。幕府は長州を征伐しようとするが二度も失敗。地方の大名たちは幕府の言うことを聞かない。疲れた幕府を倒そうとするいくつかの藩の最有力が薩摩藩。薩摩藩は密かに15名の藩士をロンドンに留学させていた。その一人、苅谷嘉顕(加藤剛)はパリに向かっていた。その頃、鹿児島では相思相愛だった菊子(藤真利子)が兄の巳代治(近藤洋介)と祝言を挙げていた。パリに向かう列車の中で嘉顕は日本人の女を見かける。そんなこんなで幕府使節団出発。欧米諸国は必ずしも幕府を日本の代表とは認めていなかった。幕府は万博に日本代表として参加することで世界に将軍が日本の元首であると表明しようとしていた。ところが薩摩藩も出展を希望。岩下左次衛門(神山繫)は事務局に根回し、薩摩琉球国として出展する許可を得る。日本に二つの国があることを認めさせたことになる。嘉顕は幕府との衝突を懸念するが、今の幕府にそんな力はない。イギリスは幕府を日本の政府とは認めていない。しかし幕府を認め、経済的にも支援するようなことにでもなれば幕府は薩摩藩を潰しにかかる。万国博への出品はそれを阻止する政治的な狙いがあった。絶対に幕府を日本唯一の政府と認めさせてはならない。そんなこんなで幕府一行はマルセイユに到着、パリを目指す。初めて乗る蒸気機関車にニコニコの銑次を星桃次郎チックに演じる菅原文太。その頃、万博の日本会場では嘉顕たちが「薩摩琉球国」の看板を掲げていた。それを見て幕府から出店していた瑞穂屋卯三郎(児玉清)はびっくり。かくしてパリを舞台に幕府対薩摩藩の対決が始まる。パリ駅に到着した幕府一行を何者かが狙撃、弾は鉄次に当たる。これには薩摩藩動揺。犯人は異人だが自分たちが疑われてしまう。結局ナポレオン三世は幕府に謝罪するが、偶然起こった小さな事件として処理される。幕府を狙撃して利益を得る人間がフランスにいるはずがない。銑次は納得できなかったが医師として随行していた高松凌雲(尾上菊五郎)に穏便な対応を促され、初めて外交というものを知る。翌日、幕府は薩摩藩が独立国のように出店している様子を確認する。一方、嘉顕たちは幕府が出展している日本茶屋を視察。瑞穂屋が江戸の芸者たちを連れていた。そこには列車で見かけた女・おもん(大原麗子)の姿があった。銑次は犯人を捜し回る中、嘉顕と衝突。そんなこんなでフランスは幕府と薩摩藩の会合をセッティング。岩下らは丁重に幕府の意向を受け入れ「薩摩琉球国」の看板を取り下げ、日の丸の下に出店することを申し入れる。しかし翌日の新聞はこのことを報道せず、日本には二つの勢力があると書かれた。幕府はフランスに来た意味を失ってしまう。こうして万博開催。まだ納得できない銑次は深夜に薩摩藩の展示物を壊しまくり。負傷した仲間の伊河泉太郎(村井国夫)を瑞穂屋へ運ぶが、おもんが外人にさらわれ大騒ぎ。銑次は馬車を追いかける。嘉顕も加わり男を追い詰めるが逆ギレ。おもんは連れ去られたのは納得ずくだと話す。そんなことは「許せねえ-!」と二人揃って激昂。その後、銑次が薩摩藩の会場を訪れると何事もなかったように片付けられていた。ますます嘉顕を疑うが凌雲に厳しく諫められる。そんなことよりもフランスの水道、競馬場、病院などの設備を視察しまくり感銘を受ける。さらに「自由・平等・博愛」の思想に感激。「こんなこと考えもつかなかった。大名も百姓もない。人間みな同じということだ」。銑次にはさっぱり分からない。一方、薩摩藩は会場を壊したのは銑次らの仕業と突き止める。嘉顕は先回りして銑次を説得、今は争っている場合ではない。二人の間に奇妙な友情が芽生える。その頃、薩摩藩は急速に武力による倒幕に傾いていたが、会津の銑次、薩摩の嘉顕、江戸のおもんにささやかなつながりが生まれる。おもんは自分を連れ去ろうとした男が狙撃犯ではないかと話す。二人は男を探し当てるがシラを切られる。実は事件にフランス政府が関与していた。このままだと日本はイギリスの植民地になってしまう。翌朝、狙撃事件の犯人が水死体で見つかるが誰の犯行なのか不明。その年の10月、慶喜は薩摩・長州の討幕の動きに先手を打つため大政奉還の意向を示す。しかし名は天皇に譲り、実権は温存。そのことがパリの幕府使節団にも伝わる。そんな中、おもんは銑次と嘉顕にアメリカへ渡ると告げる。おもんの父親は旗本だったが、汚職事件に巻き込まれる。息子の恭平(市村正親)に家督を譲るため罪を被って切腹、家は取り潰し、母親は自害。以来、侍を毛嫌いし、芸者となって恭平の面倒を見ていた。鳥羽伏見の戦いが起こったことで嘉顕たちに帰国命令が出る。銑二は嘉顕を見送るが今や会津藩は朝敵。本当の敵同士になってしまった。そして幕府使節団にも帰国命令が出る。嘉顕の両親は4年ぶりの帰国を待ちわびている。しかし義理の姉になった菊子は複雑。そんなこんなで嘉顕は慶応四年に帰国。官軍は江戸に入ったが、西郷・勝の話し合いにより江戸総攻撃は中止になっていた。嘉顕は江戸で巳代治と再会すると京都御所へ向かい、大久保利通(鶴田浩二)に江戸の様子を報告する。薩摩を自称する官軍も少なくなかったため、新政府は薩摩政府であってはならないと進言するが「理屈はいい。見たままを申せ」と咎められる。その頃、銑次たちを乗せたフランス船が日本を目指していた。つ・づ・く
2021年01月02日
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