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八木哲郎

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万魯建@ Re:小沢一郎の詭計(11/07) 小沢さんの考え方は本当に理解できなかっ…
つねさん@zukai @ 考えさせられました。 60年安保、70年安保は言葉として知っ…
古井戸@ 文学者は書を残す 小田実全仕事、をはじめとする膨大な小説…
inkyo@ 参院戦オオyぶれ 負けてもやめない
はたやん@ はじめまして はじめまして。 官位や席次を検索してい…
2005/05/30
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ano

カテゴリ: カテゴリ未分類
シンガポール戦で忘れてならないのは、華人の犠牲者が多かったことです。シンガポール華僑は華僑の中でも成功して富を築いた者が多く、彼らは早くから孫文の辛亥革命を援助したり、亡命者をかくまったりしていました。抗日戦争になると多額の寄付を行い、重慶政府を応援していたので、日本軍の憎しみの的になっていました。シンガポール戦でも華僑の義勇兵5千人が前線で戦い、1万人が後方支援していました。

ラッフルズホテルの近くに4民族の慰霊塔が立っています。工事中のため参拝できませんでした。

話題を変えます。
昭和17年も後半に入ると、ミッドウエー海戦を転機にして、ガダルカナルの激戦をへて日本軍は次第に窮地に追い詰められていきます。昭和18年になると、華々しいニュースは聞かれなくなり、百年戦争を覚悟しようなどという標語に変わりました。このころから国民は怪しみだし、敗戦に向かいます。
私はそのころ、天津の日本中学の生徒でしたが、大連の日本中学の校長から天津日本中学の校長になった丸山先生という人という人が居ました。なんと勅任官でした。私と小学校は同級だったが、飛び級で1年上になったボリス・カラエフというロシア人の生徒が居ました。私たちは白系ロシア人だとばかり思っていたが、実は赤系だった。したがって彼は親が家で短波で聞いている放送を知っているわけです。丸山校長はしょっちゅうこの子を呼んでいまヨーロッパ戦線はどうだなどと聞いていた。
丸山校長はリベラルな思想の持ち主で、決して軍国主義一点張りの教育をしませんでした。ある日、ボリスが「スターリングラードではわが軍が勝ちました」と言ったら、丸山校長は「ほう、君の国はよくやった」と頭をなぜてくれた。ボリスはそれで嬉しくなってそのうち、日本は負けるから、そのときの準備をしといたほうがいいぞと親切心で級友に言ったところ、上級生の猛者から呼び出され、柔道場で60回くらい投げ飛ばされて痛い目に合わされた。
私が書いた『天津の日本少年』(草思社)をボリスが読んで、ロシアから問い合わせがあり、旧交が復活しました。

さて、先の戦争は日本人にとって一体どういう意味があったのでしょうか。おびただしい兵が戦争のみでなく、補給が絶たれたため、餓死、病死し、銃後の国民も皆殺し的なルメイのじゅうたん爆撃と原爆投下で殺され、家を焼かれ、食うものもなくなり、すさまじい苦労を強いられた。それでも頑張って国民は健気に戦った。


太平洋戦争になって、南方の欧米の植民地があっけなく日本軍によってひっくり返されると、今度は「アジアの欧米帝国主義からの解放」というふうに後付の理論が作られます。このときから、戦争に批判的だった人も一斉に転向し出します。日本になびいてくる国が増えるに従い、ルーズベルトはフィリピンの独立を認めると言い出し、チャーチルにイギリスも香港を中国に返し、インドやビルマを独立させたほうがいいと言い出します。
そういう使命感高揚の時代はあっけなく過ぎて、戦争が土壇場になってくると、日本という国が滅亡するかどうかの危機段階に入ってきます。負けたら国がなくなる、自分たちの命もなくなるという存亡の段階に入った。
ドイツとソ連がスターリングラードからベルリン陥落まですさまじい殺戮戦を繰り広げ、彼我3千2百万人の死者を出しますが、この段階になると、ドイツ人はヒトラーナチスへの忠誠のために戦うというようなものではなく、負けたらドイツという国がなくなる、男はことごとくシベリアにやられて強制労働をやらされる、女は皆レイプされるという恐怖感から死に物狂いで戦うようになった。ソ連兵も社会主義のために戦うというようなことではなく、ドイツ人に皆殺しにされる、自分たちの国がなくなってしまうという恐怖感から死に物狂いで戦う。このような状況を、アンソニー・ビーヴァーは敵味方の戦時資料から民間人の書簡まで調べて『スターリングラード』『ベルリン陥落』(翻訳書あり)に書いています。この戦争がすさまじさは身の毛がよだつほどで、ドイツは、ロシアの捕虜にドイツ兵の服を着せて前線に突っ込ませ、躊躇する者は後ろから容赦なく射殺する、ロシア側も同じようなことをする、両国とも占領地域での略奪破壊、女性に対するレイプはすさまじいばかりですが、おあいこなので表にあまり出ない。ドイツの共産主義者はソ連側について祖国と戦い、ロシアの反共主義者たちはドイツ側に立って祖国と戦ったが、この人たちは両国からも冷遇され、最後は自己矛盾で精神破産状態に陥ったとあります。
これを読んで、あのときの日本人も同じだったのだなと納得しました。

戦争は、目的と結果が違って出るのですね。
日本がやった戦争の結果、何が起こったかというと、あまりにも簡単に欧米の植民地支配をひっくり返したので、現地の人たちが完全に目が覚めてしまったのですね。こんなやつらに首根っこを百年以上も抑えられていたのかと。
それで東南アジアの国から始まって、インド、中東からアフリカまで民族主義が粋に一斉に噴出し、独立の気運がみなぎり、もう後に戻らなくなった。
 したがって、あれほどの犠牲を出して日本国民があがなったものは、人類史的に見るならば、有色人種である日本人が白人帝国主義を終焉させたという偉大な歴史の転換をしたのですね。
もうひとつは、反共を国是としていた日本の陸軍が、同じ反共で共産軍を延安まで追い詰めていた蒋介石軍を南に追い落としてしまったので、北のほうで共産軍が勢力をみるみる拡大し、国民党の支持基盤である地主層や紳士層、暴力団を根絶してしまった。それで戦後は二度と腐敗した蒋介石の支配はもどらなかった。
日本国内での顕著な変化は、軍需産業によって重工業と技術が進歩した。官僚がものすごく強くなった。この戦争でバラバラであった国民がひどく団結するようになった。これは戦争直後の再建に役立つことになります。
日本人は結果的に歴史の大転換を行ったのに、そのことを日本国民は理解していないのですね。あらゆる言説がそのことを意識させまいとした。死に死にの状態であったとき、マッカーサーから命を助けてもらったと思った瞬間にそれまでの価値観を転換してしまった。歌舞伎の演し物ではないが、昨日の仇と酒を酌み交わして、今日からは義兄弟のよしみを結ぶというのは日本人の特技なのですね。

明日からは、マラッカに行った話しをします。





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Last updated  2005/05/30 09:39:17 AM


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