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八木哲郎

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2007/01/11
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カテゴリ: カテゴリ未分類
「大奥」という映画をみたので江戸城の続きを書く。

私見によれば、あまりにも長い間戦乱がつづき、豊臣政権の朝鮮侵略、明の地域までの侵入という大戦争に家臣たちがもう嫌だという拒否反応をしめしたのではないかと思う。戦国時代を終わらせるために、関が原で東西両軍に分かれて天下分け目の決戦を行った。東軍が勝ち、つづいて大阪夏の陣で豊臣家を滅ぼすと、徳川家康は西軍から没収した領地を功労ある西国の大名に与え、以後はお互いの損得を考えて戦争はもうやめようじゃあないかと大名たちといわば談合して徳川時代を起こしたのではないかと思う。
そのことは武家諸法度によく出ている。家康は巧みな大名統制術を操り、大名を弱体化させるとともに、幕府の戦力、経済力をますます強化して、他の大名が手も足も出なくするようにみちびいていった。鎖国をきびしくして大名が外国と通じて反乱する可能性も絶った。こうして数十年も経過すると、戦国の荒武者たちも年老い、死んでいって、やわな二代目、三代目となる。将軍家に仕えるための基準は戦闘力から忠誠度に変わっていく。将軍は恩を売り続けるが、恩を受けるほうの大名は軍事的には骨抜きになっていく。エネルギーが残っているのは、辺境の外様だけである。大名としては徳川の恩にむくいるために幕末の動乱期に幕府側を支えなければならないが、もうそんな忠誠心も義務感は涸れてしまっていたと思われる。
こうして二六〇年続いた徳川幕府は、最後の将軍慶喜でさえ終わりにしようと思っていたのではないかと思う。





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Last updated  2007/01/11 02:20:57 PM


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