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八木哲郎

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2007/06/11
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カテゴリ: カテゴリ未分類


どうしてそんない激しいのかというのは、ムスリムが帝国になる過程を見ていけばわかります。
ムハンマドがイスラム教を創設するまでのアラビア半島は、西はビザンツ帝国があり、北はペルシアのサーサーン朝がしのぎを削って相対立し、戦争を繰り返していました。そしてアラビア半島には約半数のキリスト教徒とユダヤ教徒がおり、ペルシアのゾロアスター教徒もいたが、ムハンマドの生まれたメディナの地はとりわけ多神教が強い地域だった。
したがってムハンマドは伝道すること自体が異教や多神教との血みどろの戦いだったから、ムハンマドは予言者である前に最初から戦闘者であったわけである。
ムハンマドは戦闘しながら、多神教を信じるな、キリスト教徒はインチキである、ユダヤ教徒は背信者であると叫び、ただただ唯一神であるアラーのみを信ぜよ、と繰り返し説いたわけです。
アラビア地域は広い砂漠であり、人口が固まっているところはオアシスのあるところで、住民のかたまりは広く分散していた。当然、それぞれの部族集団は独自の神、シャーマニズムの神を信奉していた。つまり本来は多神教のわけです。サーサーン朝ペルシヤはゾロアスター教ですが、これは善悪二神の多神教です。
ムハンマドは地元ではなかなか布教に成功せず、ヤスリブに移ります。ヤスリブではユダヤ教を奉じる部族と多神教を奉じる部族の争いが何年もつづいて住民は疲弊つくし、どちらでもないイスラム教に救いを求めたのです。それでムハンマドはそこにうつり、やがてそこをメディーナと改名し、イスラム教の根拠地となります。
ムハンマドは以来、ここで勢力を蓄え、周辺をどんどん征服して行き、ついにメッカの経済を破壊して降服させます。
ここで、言いたいのは、一神教が成立するためには多神教の撲滅が必要であったということです。





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Last updated  2007/06/11 07:55:06 AM


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