白魔女の館

母方の祖母  料理編



 その一、料理編

 私が小学校五年のときからおばあちゃんと一緒に住みはじめたのだが、その日の朝の光景は忘れられない。

 食卓が惨然と輝いていた。ご飯にみそ汁に数々のおかず。本当に光を放っていた。

 今までもパンとコーヒーと野菜いためくらいで普通に暮らしていたハズなのに、その差は凄かった。

 母は料理下手ではないが、融通が利かないので一定のパターンから決して外れる事のない食生活だった。ごぼうならきんぴら。キャベツなら炒める。じゃがいもはスープ。と一つの食材に一つの料理が対応するのだ。

 ばあちゃんは旬の食材を生かして、臨機応変にパパッと食卓を整える。テレビで見たもの、どこかで食べて美味しかったもの、さっと作ってくれた。

 でも、割とその場の思いつきで作るので一回限りで二度と再現できない料理もあった。あれ美味しかったからまた作って!とリクエストしても忘れた。と言われてオシマイとか。

 菜っ切り包丁をこよなく愛していて、切る、運ぶ、ひっくり返すなど1本でやっていた。

 餃子を作るのが上手で餡と皮がぴったり同時になくなる事を目指して包みまくっていた。多分数百個は一度に作っていたと思う。
 餃子の日は部屋中が餃子置き場になって、どんどん焼ける餃子を家族はひたすら食べるのだった。もちろん餃子をひっくり返すのは菜っ切り包丁。フライパンは昔ながらの鉄のなのにくっつかずに上手に焼いていたもんだと今でも感心する。

 昼ご飯と夕ご飯の合間に、ちょこっとしたものを作っておいてくれるのだが、それがとても美味しく、すきっ腹で学校から帰ってくると変なお菓子よりそういうものをガツガツと食べていた。

例)
 高野豆腐とフキの煮物。フキをストローにして煮汁を飲んでしまってから豆腐をたべると美味しいのだが、何故かいつも見つかって怒られたっけ。
 どんぶりいっぱいのおから。母はいつもレンコンを掘り出してつまんで食べていてこれまた怒られていた。
 さつま揚げを甘辛く煮付けたもの。
 豚の腎臓とインゲンをいためてあんかけにしてあるもの。どちらもきゅっきゅっとした歯ごたえが美味しいのだ。豚まめなんてどこで買っていたのか?なぞである。いつか再現したいとおもっているが、未だ実現できず。
 私が子どもを三人も安産できたのは成長期にこういったものをたっぷり食べていたからに違いないと思う。

 家族だけではない。ばあちゃんの料理目当てに、お客さんが絶えない家だった。
 私の不在のときに遊びに来た友達にもよく何か食べさせていたらしく、ずいぶんあとになってから、おばあちゃんに焼そばをごちそうになったとか聞かされたものだ。
 押し付けがましくなく、仰々しくもなく家に来てくれた人に何かを食べさせる事が上手で、付ききりになるわけでもなく、かといってほったらかしにするでもなく、食堂と台所を行き来しながら色々と話をしたりしていた。
 ああいうふうには出来るようでできないものだとこの年になってつくづく思う。

 私とばあちゃんは似ているところが多かったのかよく衝突したが、夕方台所で並んでよく料理をした。
 ああいう時間が持てた事が今になってみると貴重だったなあと思う。

 最近自分のキッチンがばあちゃんの台所に似て来たような気がするのは気のせいではないようだ。

 社会人になっても昼食代を浮かすために、おにぎりを握ってもらっていた。しゃけ、梅、オカカが全部入っていて、シャケは骨付き、梅は種入りだったが同僚にもすこぶる人気で最盛期には十何個も握ってもらっていた。
(重いので途中でやめた。)紀州の梅干しとちゃんとした塩シャケとオカカでいっぺん作ってみて下さい。ごまも入れるんだった。美味ですよ~。

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