うたよみひと

うたよみひと

昔の私 2002/10/09~



久しぶりに書きます
書きたい事が 無かったわけではないのですが
なにやかやと 忙しく
おまけに 体調も思わしくなかった為
ついつい 開くことなく 今日まですごしました

このところ 仕事をともにする人との 人間関係に 
いささか疲れている
めんどくさいのである
どうでもよいのである
けれども それに同意してくれる人は 少ない

文句を始終言ってる人が居る
人と人とのごたごたに ギャラリーよろしく知りたがり屋も居る
プライドで身を固めた人がいる
やれやれ

誰だって 自分の思うとおりに物事を進めたいものである
誰だって 冷たい言葉や 態度は いやなものである

けれども 自分がどのように振舞っているか知ろうともせず
人から受けるものを とやかく言いがちである

私はとにかく面倒は ごめんなので 
係わり合いにはなりたくない
一人で 行動できる強さに ものすごく あこがれる

(笑) 愚痴は この辺で 終わらせよう

昨日というか 今朝方 不思議な夢を見た
この夢は 過去3回くらい 見ている
とても 大きな神社か 仏閣のような ところで
広い砂利の 庭園には 沢山の 石の置物がある
一つ一つは 神仏に関したものなのだが
象牙のように滑らかなもので 出来ていて
じっと見ていると すこしづつ動く
大きさは 私と同じくらいある
動物や人の姿の 神様の像らしいのだが
じっと 見ていると 少しだけ変わる
面白いと 思いつつ 本殿に近づくと
神主なのか 管理をしているようすの
はかま姿の 男性が お守りのようなものを 売っていた
他にも 人がいて お守りを買おうとしていたり
中に入ろうと していたりする
私も 買ったりしたかったのだが
ふと 腕時計に目をやると
夜明けの4時半だという事を知り
帰らなくては・・・と 思う
どうして そう思ったのかは わからない
明るい境内から 離れ 
舗装はされてはいるものの 薄暗い林のような 境内脇の道を辿るところで
目が覚めた
どうという内容ではないのだが
砂利の庭での 足の裏で感じた感触やら
明るさやら
石像の 滑らかさ 動き
本殿の 木の柱 などが
やけに 鮮明に 覚えているのである

夢占いでも 出来ればよいのだが(笑)
わからぬままである




「うめぼし」2002/10/11<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<

ぐうたらに 午前中を 過ごしつつ書きます
お天気は とてもいいです
猫たちも ベランダで うだうだしています
ときおり 清掃車やら バイクが雑音を放つほかは
静かな平日の午前中です
普通の方々は たぶん登校し 出勤し 買い物に行きと
動いて 移動してしまったのでしょう

ああ 幸せ

明日になれば またいつものリズムで 動かなければならない事が
わかっているだけに この緩みきった時間の無駄使いは
贅沢極まりない

といっても 部屋の中は 日々溜め込んだ
片付けが あるために
けっして 心地よい空間ではない
(笑) こうして pcを 打ち込んでいる横には
なぜか 梅干の壜

そうそう この梅干は
近所の八百屋で 買った
基本的に安い八百屋なのだが
不ぞろいで 色の悪い 梅干が ビニール袋に無造作に入れられ
漬物と一緒に並んでいるのを見つけたとき
なんだろう?これ
と思った(笑)
そして 思わずお店の人に「これ 普通の梅干ですよね?」
どうやら 自家製らしい
そして 50粒ぐらいはいっていて 100円だった
まぁ はずれても 100円なら 
残念・・・ということで 済ませられる

で 購入(笑)
帰宅して食べたら旨い
当たり はずれが ある(笑)
すんごく酸っぱいのと それほどでもないのと
色も形も 味もまばらでは有るが
よそいき顔の 整ってきれいな梅干には無い味が
この梅干にはある

ついつい 口に放り込む ほどほどの小粒さも良い
この分では すぐに無くなりそうだ(笑)
さて 散歩がてら 梅干を買いに行くかな




「夢の記憶」2002/10/12<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<

夢の話
夢はよく見る
大抵 覚えている
まぁ 覚えているといっても 沢山見たうちの一部なのだろうが
夢を見ないとか 覚えてないとか言う人がいるが
私は 大抵見て 大抵覚えている
不思議なもので 夢の中では 結構必死だから
夢だと気づかない

夕べ見た夢は 津波の夢
あっというまに 水の大きな壁が出来上がっていく
うわぁっと 見ている
誰かに手をひかれ 山道を 登って逃げるが
もうすぐ其処まで水が迫ってくる
濡れた土は 滑りやすく 登りにくく
足元をぬらしていた 水は ふくらはぎへと 腿へと登ってきて
川のような 流れの中を 木をつかみながら 高台へと登る
ところが とつぜん 水は途切れ
明るい お日様のあたる 平地に出る
キャンプ場のようで
沢山の人が居て
何事も無かったように キャンプを楽しんでいる

よくわからない 脈略の無い 夢はよくあるが
それなり ストーリーが あったり
感触や 温度などが 生々しく 残っているものもある

あの記憶の必要性は あるのだろうか 無いのだろうか・・・




「喧嘩」2002/10/17<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<

喧嘩をした
通じ合いたい相手と 通じ合えない苛立ちは
どう分解する事も出来ず 貯蓄され
それでもなお 理解を求めてしまう

ドーデもいい相手とは 喧嘩にはならない
適当なところで 折り合いをつければよいのだ
喧嘩は
一ミリも譲れない線を引き合う戦いみたいなものなので
非常に疲れる
その場から 離れ 
仕事にとりかかっても
テレビや 遊びをしていても
解決できてない 納得できていないと
イライラが消えない
その次に 悲しさと 寂しさが 襲ってくる

喧嘩は いやです・・・




「にじ」2002/10/23<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<

二日ほど前 
仕事先の倉庫の窓から 虹をみた
何年ぶりと言っても 大袈裟ではないなぁ 
と思うほど 久しぶりに見た

激しい雨の後 半円をきれいに描いたその虹は
「完璧なる曲線」
数分後には 雲に隠れてしまった

忙しく 疲れてくると 何かで心を震わせたくなる
音楽・絵・本・映画・写真・花・動物・・・・・・・
乾いてすかすかになった心は
それらから 振動を求める

虹をみつめていた 僅か2分ほどの間
軽石のようになっていた 私の心は 振動し
プリズムの中 水の粒子を吸収しているようだった

ああ 飢えていたんだなぁ


「嘘」この言葉を 広辞苑でひいてみると
 1 真実でない事 また そのことば
 2 正しくない事
 3 適当でない事

私は子供のころ 嘘をよくついた
持っていないものを 持っているといい
知らない事を 知っているといい
やってない事を やっているといった

あたりまえの事だが 
子供の私は あまりに未熟で 愚かで 非力だった
けれども 子供の私は 未熟で非力な事が
もっとも恥ずべきことと 思っていた
どうしたら そのことを 隠せるか
嘘をつく 
小さな嘘を隠す為に 更に嘘をつき その嘘をかくすために 更に・・・
雪だるまのように膨れ上がり やがてばれる
大抵の場合 嘘をつく対象は 母親だった
少しでも よく見せたい 一心だった
母親は 私にとって 神の次といえるくらい 絶対だった
もちろん 嘘がばれたときは 物凄く叱られる
私は どんなにがんばっても 
母親が期待する 完全体になれないことが悲しかった
嘘はいけないことで それに頼らなければならない自分は
最低の人間だと 子供ながらに 思っていた
年齢を重ねるごとに 真実と世の中を知るうちに
ほとんどの場合 嘘は必要ないことに気づく
あらゆる嘘から 卒業するごとく
私は 22歳の春 母親の下を 離れた




「難しい話」2002/10/31<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<

アメリカの 女性の堕胎をテーマにした 
オムニバス映画のビデオを観た

人が生まれる
そこには 多くの過程がある
けれども 望まぬ妊娠というのもある

望まぬ妊娠をすると
女性ばかりが 責められているような気がする
それは 身ごもるのが 女性だからであろう

芥川龍之介さんの作品に
「河童」というのがあり 私はこの話が 好きなのだが
その中に 妊娠した河童が 胎児に尋ねるシーンがある
今の環境や 自分達のことを 胎児に話
胎児が それに納得すると 生まれ
「嫌だ」となると 消えて おなかがしぼむ というのだ

両親が 望んでいるかどうかや 環境を判断する能力が
胎児にあるというのは お話ならではだ

映画の中で 堕胎する女性やそれを手伝う医師に対して
反対運動をする人たちが 出てくる

私は 判断するのは やはり 身ごもる女性と相手の男性であって
回りの人間では 無いと想う
堕胎に賛成ということではないが
産んで コインロッカーに放り込んだり
ストレス発散の材料として 虐待するより
きちんとした 判断のように想うし
レイプなどで 妊娠した場合や
病気で 妊娠を続ければ 引き換えに命を落とすと言う場合
やはり堕胎すべきではないだろうか

難しい話である

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