写真ではわかりにくいが、紙幣にも15言語で金額が表示されている。インドで最大の言語であるヒンディー語も人口の1/4しか使っていない。 列車でで同じコンパートメントだった男の子 とってもお茶目な彼。私のひざにのったり、首にしがみついてきたり、ほんとうにかわいい。彼が座っているのがアッパーシート。寝るときはこのアッパーシートを引き出してここで寝る。 つまり、現世での罪が洗い清められ、来世では今よりももっと安楽な世界に迎えられると固く信じられているのである。 |
2月20日(火) 成田(16:00)→バンコク(23:05)
初めての海外だというのにバンコクに着いたのは夜中。空港のインフォメーションでホテルを紹介してもらい、乗り合いタクシーで市内へ。 真夜中ではあるが、町の中は活気があり、初めての異国の雰囲気に圧倒されそうな気分になる。これから果たして一人で旅を続けていくことができるんだろうかと急に不安に襲われる。 空港で紹介してもらったホテルは中レベルのところ。ホテルのロビーにはまだあどけなさが残るタイの女の子達が群れていた。 2月21日(水) バンコク 朝、ホテルをチェックアウト。昨日は夜だったので中レベルのホテルに宿泊したが、今日は少しでも節約するため、安いバックパッカーを探さなくちゃ。 まずは朝ごはん。屋台のタイカレーに挑戦。カレーとは言いつつ、日本のそれとは違って非常に汁っぽく、そして赤い。ケーン・ペッ(ト)と呼ぶらしい。「ペッ(ト)というのは”辛い”という意味だそうで、その名のとおり、口の中火事状態。お昼はマクドナルドにしたのでした。 さて、宿探し。安宿街で有名なカオサンロードをめざす。ところがあっちこっちウロウロ探しても見つからない。仕方なく、適当なバックパッカーに宿泊を決める。はー、最初から前途多難。 2月22日(木) バンコク→カルカッタ 今日はいよいよカルカッタへ向かう。フォラムポーン駅まではトゥクトゥクと呼ばれる三輪タクシーで、その後ドンムアン空港まではバスで。 カルカッタの空港では大阪からきていた女の子4人組と知り合い、彼女達もまだ宿を決めていなかったので、1泊目はとりあえず一緒の宿に宿泊することにする。旅は道連れ。こんな旅も楽しいよ。 空港を出るとすぐに、わらわらとタクシーの客引きが集まってきた。その中から1台を決め、これも安宿が集まるとおりで有名なサダルストリートへと向かう。しかし、泊まろうと目星をつけていた宿はどこも満杯。 どうするか彼女達と相談していると、1人のインド人が声をかけてきた。彼の名はバリック。彼の知り合いがホテルを経営しているので、そこに泊まらないかという。 向こうから近づいてくる人には要注意というのが旅のセオリーだが、宿が決まらないのも困る。彼と一緒にいた日本人の男性が、自分もそこに泊まっていて、大丈夫だからというので、5人一緒の部屋という条件で、宿泊を決める。 シングルルームなのに、床に布団を敷いてもらい、ごろごろと転がって寝た。もちろん料金はシングル料金÷5。格安である。 2月23 日(金) カルカッタ 大阪からの4人組は他の宿を探すということで出発したが、私はもう1泊することに決める。 バリックは日本語がうまく、久保田利伸の歌まで歌っちゃうのにはびっくり。今日は彼が観光につきあってくれた。リクシャーと呼ばれる人力タクシーに乗って街を見る。すべてが珍しく、どれもこれも写真に収めたくなってしまう。 私がパチパチ写真を撮っていると、彼に 「写真は撮らないほうがいい。もし写真を撮ってしまったら、日本に帰ってその写真を見るだけで満足してしまうだろう。しかし、インドは毎日変わっている。その写真はすでに過去のものになっているのだ。できればまた実際にインドに来て、自分の目で直接見たほうがいい。」 といわれてしまう。うーん、なかなかいいこというね。でもそうそうこれるものでもないし、写真を撮るの、許してね。 結局この日はバリックの兄弟だか友達だかと一緒にランチを食べたり、飲みに行ったり。ランチはごちそうになちゃって、申し訳ないと思っていたら、彼には損はなかったらしい。 実はバラナシまでの列車の切符の手配を彼がやってくれたのだが、なんと彼は 金額を倍にして請求してきていたのだ。 なんとなくおかしいと気づいたのだが、彼はRail Reservation Officeまでわざわざ連れて行って確認させてくれたのでつい支払ってしまった。損した金額は日本円にして1000円ぐらいなのだが、貧乏旅行中の身としてはやっぱり悔しい。 考えようによれば、被害がその程度でよかったのかもしれないが、彼が一体いい人なのか悪いやつなのか、人間不信に陥る。 日本の常識が通用しないだけなのか? 2月24 日(土) カルカッタ→車中 部屋でごろごろしていたら掃除のおじさんが来たので散歩に行くことにする。一人で道を歩くのにはまだ緊張してしまうよ。町の人が面白いものを見るようにこっちを見るその視線が痛い・・。帰り道、タクーに声をかけられる。彼はバリックの友人で一緒にお茶しているところだったらしい。私も参加してしばらく暇をつぶす。 その後成り行きで競馬場に行くことになる。競馬場なんて日本でも行ったことないのに、こんなところで初体験とは。でも行った先には、馬の姿がない。どうやら場外競馬場(?)らしい。 部屋に戻って出発の準備。夕方には列車てヴァラナスィーに向かうのだ。 ハウラー駅の周辺は人、人、人でごった返していた。たくさんの路上生活者。ごろごろ横たわる人たち。裸で走り回る子供達。 結構大きな駅なので果たして自分の乗る列車が見つかるかどうか不安になる。 何人もの人に尋ねて何とか列車を探し、乗り込む。予約を入れたのはレディスコーチ。女性専用車両だ。普通一等をとるのかもしれないけど、2等で他のインドの人の中に混じって旅がしたかったし、かといって普通の2等の車両では人がひしめきあって座れる保障は到底なかったから。 列車は午後8時に出発。今日もヘトヘト。お休みなさい。 【今日食べたもの】 朝:チャーイ 昼:チキンロール、チャーイ、ビスケット 夜:プーリー(チャパティを揚げたもの)+カレー、チャーイ、チックー(フルーツ) 2月25 日(日) 車中→ヴァラナースィー 今日は6時にインド人のお母さんに起される。年のころは40代ぐらいかな?6歳ぐらいの子供と一緒に列車に乗っていた。列車は駅に停まっていたのだが、歯磨きのために水道のあるところまで彼女が案内してくれた。他にもチャーイやチャパティや、カレー味のナッツやバナナなどいろんなものをごちそうになってしまった。本当にありがとう! 食べた後のバナナの皮をどうしようかと思っていると、彼女は、窓から外に捨てろという。えー、窓から捨てるの?私が躊躇していると、更に捨てろ捨てろと促す。郷に入っては郷にしたがえだと思って捨ててみた。すると、なんとのっそりと牛がやってきてその皮を食べるのでありました。うーん、さすがインド。こういうことになっていたんだね。 他にもある。チャーイは素焼きの器に入って売られているのだが、飲み終わった後、その器もガチャンと投げ捨ててしまう。器は割れてまた土に返るのだ。無駄なごみのでないこのシステムに感動。でも最近はプラスチックの使い捨てコップが入われるようになってきたらしい。そのうちこの素焼きの器も使われなくなってしまうのかも。淋しい話だな。 ヴァラナースィーに着くと、おきまりのようにリクシャーのおじいさんが近寄ってくる。一応行こうと思っていた宿があるのだが、そのおじさん、ああだこうだいって、別の宿に連れて行こうとする。その宿も「地球の歩き方」にものっている宿だったので面倒になってそこに決める。 そしてこのホテルの支配人。彼はまたシルク工場に案内するという。遠いところだったら行かないつもりだったが、歩いてすぐだというので行ってみることに。 私は最初から買うつもりはなく、彼にもそういったのだがやっぱり無理やり押し売りされそうになる。もちろん買わなかったけど。皆さん、この手の押し売りにはくれぐれも注意しましょう!やばそうだと思ったら絶対ついていかないこと。 2月26 日(日) ヴァラナースィー この宿はやっぱり出ることにする。久美子ハウスに行くのだ。リクシャーに乗るのにまた交渉をしたりするのも煩わしく、徒歩で行くことにする。 それにしても暑い。この暑さと疲労とでくたくた。よって来るインド人全ても煩わしくて仕方がない。物売り、物乞い、客引き、その他いろいろ。少しもほおっておいてくれない。あー、もう疲れた・・。 ガートについてからも後から後から人が寄ってくる。しばらく休もうと腰を下ろしていると、オーストラリア人の夫婦が声をかけてくれた。 余程疲れているようにみえたのだろう。宿まで一緒にいってくれ、冷えたコーラをご馳走してくれた。名前も聞かなかったけど、本当にありがとう。 久美子ハウスは日本人女性がインド人男性と結婚して営なんでいる宿。日没後は外出禁止、出かけるときは行き先を伝えること等、噂どおり規則は厳しく、また日本人だらけだったが、インド、そしてインド人に対して少々バテ気味だった私にとっては安らぎを得ることができた。 夕飯は肉じゃが、ごはん、味噌汁がでて感激! 2月27 日(土) ヴァラナースィー 朝、ガンジス川に昇る朝日をみるために早起きしてボートに乗る。ヴァラナースィーは3000年以上の歴史を持つヒンズー教徒の聖地中の聖地。その地で見る朝日。なんともいえず、おごそかな気分。 |