『米国式☆Cubanライフ』を懐かしむ・・・

J君と過ごす日々、そして大学卒業

J君と過ごす日々、そして大学卒業



さてさて、その後ですが、週末は交代で私が佐世保に行ったり、J君が福岡に来たりする日々。

といっても、私の住んでるところはほとんど何もない場所なので、私がJ君のアパートに押しかける事が多かったかな。


そういえば、一緒に北九州市にあるスペースワールドへ遊びにいったときのこと。


Space World
ヒャァ~!!! J君デカッ!



園内をぶらぶら歩いてる時、ケイタイにうちの母上から電話が。


そして、今デート中で、彼氏はアメリカ人だと初めて告げる事に。


その時の母上の言葉.....



あっ、イヤラシぃ~。 冗談っしょ??


いえいえ、冗談なんかなじゃなく、今隣に立ってるよ。


小さい頃から、私はアメリカ人と恋愛して結婚すると言い続けてきた私。


確実にその段階を踏んでいる私に、母上、少々ビビッたに違いない。






8月の第一日曜日は、毎年、"アメリカンフェスティバル"と呼ばれる、ミリタリーの皆さんとの交流会? みたいなお祭りがベースの近くの公園で行われていた。

もう、なくなっちゃったみたいで残念だな。けっこう大物ゲストなんかが来てたのに.....


さすがに Big Mounrain が来た時はビックリ・大興奮でした。


American Festival
これは多分つきあい始めて最初の年かな。1999年の8月と思われます。


J君はAFNで働いていたので、こういう時はお仕事です。


ここで、また、とんでもない事が起こったんです!!!


地元のケーブルテレビがこのフェスティバルの紹介と共にAFNがどういうものかを取材してて、手の空いていたJ君がインタビューに答える事になり、その通訳として私が引っ張り出される事に。


ハッキリ言ってこの頃は、2人の間でのコミュニケーションは心と体で通じ合ってるくらいで(キャッ、恥ずかしい(>_<))、J君が公の場でしゃべるような英語なんて通訳できる能力すらありませんでした。


しかし、レポーターの人なんかは私を信じ切って、J君がしゃべる度に、私にマイクを向け、私の目をジロ~ッと見てさぁ、大変。


この時、頭なんて真っ白になるどころか


フードプロセッサーで粉々にされてる感じ


でした。


この映像、おそらく使われてないと思うんだけど、ほらケーブルテレビって生中継でこういうのよくやってるから、1999年のアメフェスをTVでご覧になって、シドロモドロの日本人を見たという方。



申し訳ありません! ソレ、ワタクシです(T_T)




あと、行事ごとでいけば、伊万里のトンテントン祭!



私と一緒になる前にも参加したようで、随分と楽しんでました。



初めて参加したお祭りがコレだったようで、



ケンカしなけりゃ祭じゃない!



っていうのがJ君流のお祭りの定義になってるみたい。


<<掲載終了~>>

アメリカ人で写真撮る時Vサインする人も珍しいよね♪



まぁ、らくだシャツのよく似合う外人ですこと。


今でもこの時期になると、伊万里のお祭り行きたいなぁなんて言ってますよ。


そうそう、数年前のお祭り用のポスターにもちょっぴり写ってたよ。


お祭りの最中、見物人の男性がおもしろい言葉でJ君を表現。


2人で見に来てたらしく、「○○さん、あそこ見て下さいよ!」



ホホゥ~、西洋人も参加してるんですね!



どの時代に 西洋人 なんて呼び方する若者がいるんだろうか???


今思えば、きっと典型的なアメリカ人顔には見えなかったんだろうね。


私も、どことなくヨーロッパ人っぽい顔してるなぁ~って思ってたもんね。




そして月日は流れていき.....



大学も後期に入って、ますますクラスも減り、卒論やら実習に精を出していかないと行けない時期。



授業が減った分、私がした事といえば.....



J君の家に入り浸り ヽ( ´¬`)ノ ワ~イ



ヒャァ~。広いし、キレイだし、最高でした。


とはいっても将来の事も考えないといけない。


周りの友達なんかはちゃんと就職活動してて、来週はどこそこの面接。再来週はどこそこの面接という感じで必死だった。


私はといえば.....




まだ、のんきに入り浸り生活 ヽ( ´¬`)ノ



こんな状況を見かねてか(もちろんJ君の家では卒論もちゃんと取り組んでましたよ)、将来の事についてもちょくちょく話すようになりました。


J君は、私とこのまま付き合っていきたいけど、実家に帰ってしまうようであれば、遠距離は自分には無理だろうから、お友達関係のままってことになっちゃうね。


と、ズバリ言いました。


そんなことなってたまるか!!! と思う反面、思うのは両親の事。


私の両親は、私が大学を卒業すると同時に実家へ戻ってくるものと思ってました。


というかそういう条件で、県外の大学に行かせてもらったんです。


その時なんて、彼氏できるっても思っていなかったし、とりあえず家から飛び出したいがために「ハイハイ」なんて言ってたんだけど、やっぱ親って記憶力いいんですね。



このままJ君と付き合っていくためには、どうすればいいのか.....




福岡or佐世保で仕事見つける事。


これ以外に方法はありませんでした。



そして、J君の家での入り浸り生活を利用して佐世保で職探し。


新卒がやる方法と全く異なってました。


普通のフリーターのように、就職マガジン片手に色々と見たり、ハローワークへ出向いたりしました。


新卒が普通こんなトコ行かないんでしょうけどね。


就職マガジンで見た会社2件面接に行ったんだけど、私自身、「自分には絶対向いてない職種だ!!!」と思いながら、その場から逃げ出したいくらいの面接だったので、それが伝わったのか、不合格。(ちょっぴりホッとした気も)


もうダメだ~! 


卒業と同時にJ君のトコに居候させてもらって、パートかバイトか何かするからさぁ~


なんて私の甘ったるい考えに、一喝。



僕たちはまだ結婚してないんだし、君には一人で生活できるようフルタイムの仕事をちゃんと見つけて欲しいんだ


とハッキリ、ズバッと恐れることなく言ってくれました。



そして、ふと目にとまった会社へ連絡を取ってもらい、面接。


何と!



即決採用!




これで卒業と同時に実家へ帰らなくてもいい理由ができました。


母上に佐世保での就職の旨を伝えたところ、今のこの不況の時代じゃ、就職する事ができただけでもラッキーと思わなきゃね。 こっちに帰ってきたって仕事あるかどうかも分からないしね。


と私の就職に喜んでくれました。 不況の世の中、ちょっぴりありがと♪


本当は父上のお知り合いの方の伝手で実家での就職口があったんだけど、私がそういうのが嫌なので一応お断りはしたっていう事もあったんですけど。


そして佐世保でのアパートも見つかり、社会人1年目。J君との交際2年目がスタート♪




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