2006年07月17日
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カテゴリ: ワタクシ事
私は本を読まんです。

事あるごとに、人と本の話題になる度に口にするのですが、
本当に本を読むことをしない。

本屋自体は好きなので日頃よく足を運びます。
雑誌コーナーに赴いては意図する雑誌を手に取ったり、それとは別に面白そうな雑誌を物色したりしますが、本らしい本を物色することは滅多に無い。
ハードカバーの丁装のしっかりした本など、ここ数年買った記憶がない。
それほどに私は本を読まない。

特に読まないのが小説の類。
あれは読まない。


『現実は小説より奇なり』

その言葉が全てを物語っている。
どこぞの誰かもわからぬ、ましてや架空の人物の話に一喜一憂するのはどうも性に合わない。
何よりも自分の人生さえ儘ならず、何がどうなり、どう変わるのかあるいは変わらないのかさっぱりわからない現実の私の人生を見つめる方が遙かに私にとって有意義であり、楽しみなことであると思っている。
言ってみれば小説などはある程度人生を悟った60歳くらいから読むのが正しいと考えているくらいです。

そんな本離れな私であるが故に時として『活字中毒』といわれる人が羨ましく思えることもあるです。

私に言わせれば読書といふのは一種の【才能】です。

本といふ小さなスペース、空間に広がる無限の世界観に思いを馳せ、没頭、つまりは集中することが出来るといふのは大した才能です。
本の中にある世界観に意識を浸透させるといふのは並々ならぬ集中力と根気のいる作業だと思うですよ。
小説はもちろんですが、学芸書の類であっても、言うなれば文中にて繰り広げられる『講義』に意識を向けて集中しない限りは、記憶として自らの脳裏に蓄積されないでしょうから、やはり読書が出来るといふのは非常に高度な才能の一種であると思わざるを得ないわけです。

先述の通り、本を読まない私はその【読書といふ才能】が欠落しているともいへ、それが故に読書をしないともいへるのではないかと思ってみたりするです。


読まないから才能が無いのか

もはや『卵が先か鶏が先か』といふよふな話ですが、まぁ・・・です。


しかし、とんと活字離れ甚だしい私ではあるものの、ふと、気が向いた時に本を買ってみたりするですよ。
それはまさしく気まぐれ、心の内に起こるイタズラのよふなものですが、フラッと書籍の棚に足を向ける時があるです。
普段、本を読まない人間がハードカバーの仰々しい本など恐れ多くて手に取る気にはなれず、結果、私の向く先は文庫棚付近となるです。


自叙伝や紀行文、ポエムなども読まない。
読むものが無い。
そんな私が読むものといったら、『新書』。

新書、あれは良い。
私の無駄な知識欲求を解決するのに大いに役立つ。
私に言わせれば、文庫棚の近辺に鎮座する新書群は私に言わせれば知識の宝庫。
宝の山です。

自分で買っておきながら言ふのも少々変な話ですが、正直、あの新書ってぇのはどんな人が買っているのかさっぱり見当がつかない。
ある種、専門色の強い書物なので、それらに付随した人かとも思えるですが、そういう人は新書だけでは物足りないのではないだろうか?と思ってみたりするですよ。
むしろ、より高度な分厚い専門書を求めるような気がしてならない。

だとすれば、なおさら誰が買うのでしょうか?
私のような無駄な知識を渇望する人が買うのか?
小説の類に比べれば、読んで決しておもしろくはない(私にしてみればおもしろいのですが・・・)文章のオンパレードなだけに、購入者自身とのその意図が不思議でしょうがない。

実際、本屋にもよりけりですが、明らかに数年来変わらずにそこに鎮座し続ける新書も時としてあるです。
背表紙はうっすらと色あせ、本自体の紙質もやや黄ばんでいたりして、そこに鎮座し続け、誰の手に取られることも無かったことをその本自体が悠然と語りかけてきたりする。
そういう本を目の当たりにすると、新書といふ部門の回転率の悪さをなんとなく想像し、購入者の少なさを実感したりするのですが、実際のところどうなんしょうか?

私はタイトルでパッと手に取り、パラパラっと見てそれが興味をそそれば買うです。
無論、往々にしてその内容たるや、今後私が生きていく上で何の価値も見出さないものであることが多い。
私が【ケルト神話】の本を読んだところで、この先、ケルト神話の話を誰かにすることがあるだろうか?
可能性がまったく無いわけではないですが、一般的な会話の中でそれがフッと出てくることは想像しがたく、私がその道の研究者にならない限りは、私の脳の引き出しにひっそりとしまわれてそのままになりそうな気がする。
でも、買ってしまうのです。
だって、ちょっと興味あったから・・・。
とっても毎日良く眠れる私が【睡眠障害】の本を読んで、何の価値があるのか?
睡眠といふ日常生活に則した話題なだけに、一般的な会話の中で話題として出てくる可能性は大いにあるといえますが、その場で

X:「私(オレ)、なかなか眠れないんだけど、どーしたら良いんかなぁ?」

なんて話になったとしたら、私は間違いなく一言、こう言い放ちます。







私:「医者に行け。(゜д゜)」


それで事足りるのに、私が睡眠障害の本を読む意味があるのか・・・。
それも結局は私の興味の範疇です。

新書はそこそこの専門性が詰まった本なので、
私のよふな、浅い知識を幅広く得たい人間にはもって来いだったりするわけです。
本をほとんど読まない私ですが、新書棚だけはちょくちょく見に行ったりします。

っても、その新書も滅多に買わないんですけどね・・・。


しかしまぁ、本を読まない私ですが、本といふものの素晴らしさは心得ているつもりです。
音響・映像技術の発達に伴い、一つの事象を記録するといふ面においては文章のそれより遥かに優れたものが多くある世の中になりました。
文章を読むよりも映像として見るものの方が遥かに内心に強く印象に残る。
だのに、文章といふものは廃れることがない。

映像は見る人に画一的なものしか与えないけど、文章のバヤイ、読み手の胸先三寸。
読み手の想像力で如何様にも話を広げ、世界を作り上げていくことが出来る。
想像力を鍛えるにはもってこいの教材といへるでしょう。
何よりも、片手で持ち歩けるものであるといふのが最大の特徴でしょう。
片手で持ち歩くことの出来る媒体であるにも関わらず、そこには無限の世界が広がっている。
文章、本のすばらしさはそーいうものだと解釈していますです。

だけど・・・読まないのよねぇ・・・。(^^;ゞ


ではでは。






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最終更新日  2006年07月19日 03時31分29秒
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