PR
Calendar
Comments
Category
逆説的なタイトルから、まだ誤解されてるかたが いると困りますので。
終章として、「個性なんかいらない」の「正しい」意味を確認したいと思います。
以下、小林道雄氏(講談社)からの引用です
ほとんどの人は「個性がある」とか「個人的」と言われる人に対して、
今までずっと憧れを持っていたし、そうなりたいとも思っていた
のではないかと思う。そこまでの”目立つ個性”への憧れはなぜなのか。
私にはそれが、親や周囲から個性的であることを求められながら、
それとは逆に個性を潰すように育てらてれてきた結果のような気がする。
自分を表現したいと思いながら表現できなくされている
という矛盾した状態にあるから、よけい「個性的」への憧れが
強まっているのではないかと思える。
はっきり言ってその母親たちが言っている個性は、「才能」と
言ったほうがいいかもしれない。
絵を描くことに才能がありそうだったらイラストレーターに、
歌や遊戯で褒められるようだったらタレントに、
おそらくそう望んでいるということだろう。
ただそこには、
自分が目立つ存在ではなく平凡な結婚をしているということから、
子どもには「光る存在」になってほしい
という願望
もありそうに思う。
だから、申し合わせたように「個性を伸ばす」「伸びの伸び育てる」が
家庭の育児方針になっている。
もちろん、さちんとしたシツケがともなうなら、
伸びの伸び育てることは結構なことだ。
ところが、この個性を伸ばす方針は子どもが成長するにつれて、
他の子どもと同じでないことを不安に感じる母親によって、
逆にブレーキが掛けられる
ようになる。
それは、何よりも子どもの「安全」を考える母性本能的なものだから、
いつの時代も変わらないかもしれない。ただ、最近それが強くなったのは、
中流家庭としての横並び意識に加えて、母親、自身が
< 人と同じでは嫌。でも、みんなと全然違うのも何だか嫌 >
という気持ちで育ってきていることにありそうだ。
とどの詰まるところ、個性はどんな子も生まれついて持っている
ので 、「個性」と「才能」を履き違えてはいけません よ。
ということなのです。だから、
親が考えている「個性なんかいらない!」んだ、ホントは。子供たちとって。
と言うのが、正しいタイトルなのではないかと考えています。
だって個性は生まれついてみんな持ってるんだから子供たちは。