はじめましてどうぞよろしく

出産

出産

39週5日、予定日の2日前に生まれました。
夜陣痛が始まって、次の日の昼には出産、というごく普通の出産でした。
けれど、陣痛が始まっても バスで病院へ行った というところにみなさん驚いてくれます。
箇条書きで振り返りつつコメントいれていきます。



前日 18時 少量の出血
産まれる気配が全くなかったので、いつもより長めに散歩しました。
JR一駅分。帰りは電車に乗って帰りました。それがよかったのか、おしるしかな?というカンジで始まりました。
その30分前にママ友さんに『まだまだみたい~』とグチめいたメールを送っていたので、報告したときは驚かれました。


前日 23時 15分間隔の陣痛
出血はだらだらと続いていました。
晩ご飯は普通に食べて、ダンナさんも帰ってきて、いよいよ明日か明後日くらいみたい、とかのんきに言っていました。
次の日は大事な会議があるので明後日が都合がいいと、のんきな返答。
まだまだおしるしだけで、のんびりしてました。
しかし、そろそろ寝る準備をする頃になっていきなり陣痛。
しかも15分間隔。
もしかして夜中に出産!!とか思いつつ、10分間隔になるまで電話しても相手にされないだろうから、
陣痛の間隔だけはきちんと測るために時計を見ながら布団に入りました。

当日早朝5時まで
出血は増えて、2時間ごとにトイレに行ってナプキンを交換して、ついでに水を飲んでいました。
けれど間隔はずっと15分。
出血も『生理二日目より多かったら病院へ電話してください』だったので、そこまでではなく。
陣痛はだんだん痛みが増してきましたが、ソフロロジーの呼吸法でまぎらわせていました。
ひたすら、「すぅ~、フゥーーー」と息をすって、ゆっくりはいて。
30センチ(多分)先のロウソクの火を消すつもりではいて、というのをひたすらやってました。
そのおかげで、隣で寝ているダンナさんはぐーぐー寝てました。
後から聞くと、『なにフーフーいってんの~?』くらいに思っていたそうで、
痛みを紛らわしているとは思わなかったそうです。(ちょっとさみしい)

5時 10分間隔に
ついに!10分間隔になりました。
いよいよ電話です。
でも、その前に電話してすぐきてくださいっていわれたら、朝ご飯食べられないじゃん!と思って、
体力つけとかないと!とはりきって朝ご飯食べました。
おみそ汁とご飯と前日の残り。
ダンナさんは基本的に何もしない人なので、食材の残りも使って結構ボリュームのある朝ご飯だったと思います。
ガタゴトしていたらダンナさんも起きてきて、10分間隔になったことを伝えました。
私が『イタタタタタ~~』とか言わないので、「本当に痛いの?」と何度も聞かれながら
「今から電話する!」朝6時過ぎでした。

6時 病院へ電話
母親学級でもらった産婦人科オリジナルテキストには電話の仕方まで説明してあります。
診察券・母子手帳を手元に置いて、何時から陣痛が始まったとか、経産婦か初産かとか、説明する項目もたくさん。
電話する前に、全部の回答をヨコに書き込んでおきました。
おかげでとても落ち着いて電話できたんですが、フライング電話扱いをされて、9時になったら病院へ来るように指示されて、
『いったん帰ってもらうことになるかもしれません』と何回も釘を刺されました。

あまりにそっけない対応にがっかりして、朝ご飯の洗い物もして、お弁当までつくって、それでも8時。
一応親たちには電話をすることにしました。
私の母は、産後手伝いに来てくれることになっていたし、
ダンナさんが立ち会えないときは来てくれると言っていました。(新幹線で2時間)
電話をして、まだまだかもといいつつも、一応来てくれることになりました。
ダンナさん方には電話しても誰も出ず。朝の忙しい時間だから手が回らなかったようです。
ダンナさんは昼から会議だったけど、病院へ一緒に行ってから職場へ向かうことにしました。

9時 バスに乗って病院へ
やっと9時前になりました。
入院の荷物は二つに分けてあって、とりあえず初日にいるモノだけ一人でももてる大きさのカバンに入れてました。
病院へは一人で行くことになると思っていたからです。
実際にはダンナさんも一緒だったので、大きい方の荷物も持ってもらえたんだけど、いったん帰らされるだろうと思ってやめました。
しかも、タクシーを呼んでいくつもりだったけど、まだまだみたいだからバスで行くことにしました。
陣痛の波が来たら、ソフロロジーの呼吸法。それで大きな声を出さずにすみました。
呼吸に集中すると痛みをあまり感じませんでした。


10時 入院
9時過ぎに病院につくと、電話のそっけない対応はどこへやら・・・。
待ってましたよ~と、すぐ診察室へ。
そもそもこの日は週に一度の検診の日でした。
まだ10分間隔であるというと、心配そうな顔。
先生にとりあえず内診します、といわれ、内診台へ。
しばらくすると、生暖かいモノが流れていきました。
「破水させました」
え~~、ひどい!
一言きいてよ~~~
いまでもちょっとうらんでます。一言言って欲しかったよ、先生。
今日は一人で来たんですか?ときかれ(いつも一人でした)
「主人も来てます」
ダンナさんも診察室に呼ばれ、状態を説明してくれました。

微弱陣痛のようです。
このまま何もしなかったら次の日に出産になるでしょう。
ただ体力のことを考えると、陣痛促進剤を使って今日の昼ごろに産んだ方がいいと思います。
この判断は医師によって違いますが、私は使うことをすすめます。
体力が続かなくて苦労した方をみてきたので・・・。

促進剤を使うことにして、そのまま入院となりました。
体力自信ありません。

10時半 促進剤(点滴)
入院の説明を受けて、持ってきたパジャマに着替えて(マイパジャマで出産)、いろいろ準備していたら10時半頃。
母子手帳には『アテニン 5単位投与』とあります。
(ふつうなのかな??)
ブドウ糖に陣痛促進剤を加えて点滴開始。
NST(お腹の赤ちゃんの心拍と陣痛の強さを確認する機器)もつけました。
陣痛の波がくるとグラフが大きな山を描いていました。
あと、フットマッサージもしてもらいました。
足をお湯につけて、ふくらはぎをマッサージ。
足がよくむくみ気味の私にはありがたかったです~。

11時ごろ 母親到着
実家から母親到着。陣痛促進剤はよく効いて陣痛の痛みもどんどん強くなりました。
母は事務的な話もしつつ、陣痛の波がきてグラフが振れるのをみておもしろがったり、
私がソフロロジー呼吸法してるのも興味津々って感じでした。
あげくの果てに「なんかおもしろ~い」とかいうので、
「私はおもしろくないっ」と少々キレてました。

12時 分娩台へ
いつになっても「いきんでいいです」と言ってくれないので、(言われるモノだと思っていた)
「いきみたいんですが・・・」というと、陣痛室で一度チャレンジ。
でも分娩台で産むつもりでいたので、イメージ通りにできず全然ダメ。
かたちから入るタイプなのかも。
母親学級で一度体験していてそのとき褒められたのでいいイメージがあったのもあります。
マタニティビクスでも練習みたいなのしてたんです。
分娩台へ移動。なんとか歩いていけて、台にも自力であがりました。
ダンナさんと母親は外で待ってもらいました。

12時21分 息子誕生!
分娩台へ移動すると、いきみ方の説明が。
「3回いきんでください」
??? 何いってんの??? どうやら3回1セットという意味か~としばらくして理解。
「フ~~、フ~~、フ~~」ってカンジ。
いわれるがままに、やると1セット目で「頭が見えましたよ!」
もう少しだ、がんばろ~~(『!』このマークな気分ではすでにない)
と最後の力でもう一セット。「頭が出ました!!!」パチパチパチと拍手。
スタッフの方も安堵の雰囲気。わたしも『あ~終わったんだ~~、結構スムーズだったかも~~』

ところが 「肩がでん。」 先生の一言が。
頭は出たけど、肩は出なかった。いや~、大変でした。
一回いれた緊張の糸は戻らないし、痛いし。このへんは思い出したくないです。

でも、私ががんばらないと終わりません。気を取り直して、もう一回だ~と。
よく分からないけど、「産まれました!!!」
もう何がなんだか。よく覚えてない。。


後産
後産はさらによく覚えてません。会陰切開したしさらに会陰裂傷もしていたので、その縫合もしてもらってたはず。
赤ちゃんを産湯につけて身体測定などしているのをひたすら見てました。
毛深いな~と思っていた。


カンガルーケア
外で待っていた母親とダンナさんも入ってきて、
産まれた!と思ったら、まだギャーギャーいってるからどうしたのかと思った。といわれました。。

私のお世話になった産院は産まれてすぐカンガルーケアではなくて、赤ちゃんをきれいにしてから(?)でした。
ここはよく覚えています。
胸の上にうつぶせに寝させてもらって、もごもごと動いていました。不思議な感じ。

ずっとおなかの中にいたんだ~ 毛深いな~ ちっちゃ~い
そしてなによりも かわいい いとおしい、というか。

ここでは母親になった実感はなかったんだけど、カンガルーケアは体験してよかったです。
幸せな気持ちがどんどん湧いてきました。
そのまま30分以上は分娩室にいて、それから部屋へ戻りました。



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