小さな我が子たち

小さな我が子たち

私と母との関係




と、言うのも小さい時から母と父は仲が悪く
母は物心つく前から外に働きに出ていたため遊んでもらった記憶がない。

本を読んでもらったり、外で一緒に遊んだり
どこかに連れて行ってもらった記憶は皆無だ。


あるのはどれも酷い記憶です。


必死に買ってもらいたい物をせがみ泣く私を
売り場の影に連れて行きひどく叩かれた記憶。

父と母が喧嘩し蹴られそうになる母を親戚の叔母さんがかばっている姿。

母の不倫相手の家に夜中一人置いてけぼりにされた記憶など
とにかく酷い記憶しかない。


母は私が保育園に上がる前は仕事先の託児所で私を預け働いていた
その時の保育師さんは託児所近くの畑など本当によくお散歩に連れて出てくれた。

近くの養鶏所やポンプ式の水道、小さな蟻を虐めて噛まれた記憶
散歩中よく買ってもらったパックのジュース

どれもたいしたものじゃないがどれも鮮明に今でも楽しい思い出として心に残っている。

これは1歳半~2歳頃の記憶なのだそうです。
(これは母から聞いたので年齢は確か)

その記憶に一度も母は出てこない。


保育園に上がると誰よりも遅く保育園に預けられていた。

年長になる頃には母は家を出たため父が送り迎えをしてくれた
が、父は仕事で遅くなるため保育園が終わると園の先生の家で父の帰りを待った。

いくら園の先生とはいえ、知らない家族と一緒に夕食を食べるのはとても寂しかった。

母はある日突然いなくなり、ある日突然帰って来ていた。

母がいなかった間私は母親がいなくて寂しかったという記憶は全然ない。

小学校に上がるとすぐ母の実家に母と姉と三人で引越をした
理由は父との不仲で母が実家に帰ったからだ。

私も姉も小学校を転校し母の実家から通った。

そのうち近くに母がアパートを借り、出て行く事になったが
私は一人母と暮らすのをとても拒み祖父に泣きついた。


母といるのが嫌だったからだ。


そんな私を見て祖父が 「ここに帰っておいで、ここにいなさい」
と言ってくれた。

きっと私と母の関係をみて不憫に思ったのだと思う。

それから1年間は祖父、祖母、叔父、叔母、従兄弟二人、と一緒に暮らした。

みんな家族のように良くしてくれて、とても温かく楽しかった
この時始めてお風呂はみんなと入ると楽しい
ご飯は家族そろって食べるものだと知った。

一番母親を求める年頃に私は母親といる時間があまりにも少なかった。

ちゃんと一緒に暮らすようになったのは小学校2年生になってから、少しづつ親と子になって行ったという感じ。

それでも鍵っ子で母といる時間というのはどこの家族よりも少なかったと思います。

そんな私も19歳で家を出て21歳で娘を産んだ時、母親の有り難味が分かった。

私の出産は 早産 で娘はとても小さく精神的にとても辛かった
その時涙を流しながら励ましてくれたのは母親だった。

とても強い母が涙を見せたのはこれがはじめてだった。

この時の事は今でも感謝している。

母は現在父と二年前に離婚した後、アメリカ人と再婚しアメリカに住んでいます。

近くに住んでいる時は月に一度話したり会ったりする程度だったが
今は週に3日はメッセンジャーでお互いの近況を話あう仲だ。

きっと母は後悔していると思う、私や姉ともっと向き合って暮らして来なかった事を。



この母との関係は後に私と娘の関係にもひどく影響してくる。
その話は娘の成長記録でお話致します。




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