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その姉弟のパパは、静岡に出張だったらしく
車で戻ったのが朝の4時半だったとか・・。
ママは結局、帰れず保育園に泊まり、次の日も仕事だとか。
本当にみんな大変でした。
そしてあの、悪夢のような原発のニュース・・。
あの日はたまたま帰れたから良いようなものの、またあの地震が来たら・・・
原発になにかあったら・・・リナを迎えに行けない 。
そう思うと、そても預けて仕事に行ける心境ではない。
3月14日は計画停電で出勤できず、それでも覚悟を決めて15,16日と出勤。
保育園にも半分以下の子どもしか登園しておらず
室内で外用の靴をはき、防災頭巾を枕にしてお昼寝の日々です。
そうする間にも、原発はドミノ倒しのように次々にすごい映像ばかり。
「なにかあったら迎えに行けない」 そのストレスで、もう耐えられなくなり
リナを連れて、17日、九州に帰りました。
仕事は休めない、でもリナを一人にはできない以上、この選択しかありませんでした。
17,18,19日と実家でリナに何度も
「 ママはお仕事あるから、日曜には東京に帰るけど、リナはここに残れる?」と聞くと
「いいよ」の答え。
何度聞いても答えは同じ。
でもそこは4歳児、なんだかんだ言っても、親とそんなに離れられるはずはない、と。
帰る日、空港に着いたリナはやっぱり
「どうして空港に着たの?」と聞いてきた。
あ~、やっぱり理解は無理だったのか・・。
離れる時、りなが寂しそうにしたり、泣いたりしたら連れて帰るつもりでいました。
手荷物検査にて、離れられるのか・・・?
私が泣くとリナも感じるので、努めて明るくふるまう努力もむなしく
おじいちゃんとおばあちゃんに手をひかれたリナは、元気いっぱいに笑顔で
私に手を振ってくれました。
検査に入る直前、私に走り寄り 笑ってほっぺにいっぱいチューをしてくれたリナ。
わかっているんだと思います。
寂しくないはずはありません。
でも、楽しく頑張っているんだと思う。
だって、見送りゲートに上った時、ほんの一瞬見せたあの、不機嫌さは
きっと彼女なりの不安の表れだっ多様に思います。
まさか4歳3カ月の娘と私が、離れて暮らすとは、夢にも思っていませんでした。
離れて今日で4日目の夜。
本当は、何を考え、どんな思いなのか。
でも、電話口では、毎日行ったところを報告し、毎晩、温泉に行って
結構楽しい日々を送っています。
最初の二日間は、多分私の方がいっぱい泣いて、くよくよしていたと思います。
キリキリと胃痛がして、お腹をこわし・・・
でも、頑張るしかない。
あと数日で、なんとか光が見えてくることを祈りつつ・・・。
リナ、頑張れ!!