父が日本人である日韓ダブルの論考【前編】


 在日とは誰を指すのだろう。
 在日コリアン(ここではこの呼び名か「在日」を使っていきます)にとって在日の範囲は広い意味では朝鮮民族の血が一滴でも入っていれば、在日らしい。
じゃあ、日本人から見て「在日」はどこからどこまでを指すのだろう。漠然としたイメージで韓国籍か朝鮮籍の人間といったところだろうか。日本国籍の人間を「在日」と日本人は思わない。増してや父日本人のハーフやクォーターを「在日」とは日本人は思わない
 『お前は父親が日本人なんだから韓国の事なんて全部忘れろ』と某地方都市の保守系無所属市会議員に言われたことがある。「忘れろ」というのは極端にしても、父親が日本人で日本国籍だったら韓国の血が流れていようとも、無意識に「韓国(朝鮮半島)とは関係の無い」人間として日本人は見ようとする。さっきの事例はその極端な例だ。加えて日本に帰化した在日でも「韓国(朝鮮半島)とは何の関係の無い」日本人として見ようとする。
 しかし、日本国籍を持つ在日コリアンは「韓国(朝鮮半島)とは関係の無い」日本人として見られるが、「朝鮮半島にルーツをもつ」痕跡を全て断たれるわけではない。むしろ日本社会は「ルーツ」の痕跡を僅かに残し、そこに負荷をかけるのである。
よく、部落問題を論じる時、「聖穢」ということが言われる。聖なるものか、穢れなるものか。これは日本社会における階層について考える時にきわめて重要である。
 無論、聖なるものの頂点に存在するのが天皇である。そして、穢れに位置するのが一般的に考えられるのは被差別部落出身者及びその子孫の方々である。
 日本社会が持つ「うちとそと」の観念から考えれば、「聖穢」は「うち」に潜む階層形成基準である。そして「うち」と「そと」を区別する基準は国籍である。したがって在日コリアンが日本国籍を有さない場合は「聖穢」の概念で社会的に抑圧を受けることはありえない筈だが、如何なる国籍であろうとも、「穢れ」として日本社会の中で負荷を背負っているのが現状である。
 その原因として考えられるのが、日本による朝鮮半島植民地支配、いわゆる日帝35年である。大韓帝国を併合した日本は、朝鮮民族を天皇制階層社会の中に組み込もうとした。朝鮮戸籍が作られ、同じ日本人の中であっても、「内地戸籍」の日本人と区別された。それは「朝鮮人」という階層が天皇制階層社会の中に出来上がったことを意味する。それに加えて文化的な相違から来る偏見や、併合された民族に対する優越感が絡まって「朝鮮人」は「穢れなるもの」として被差別階層へと追いやられた。
 日本敗戦後、朝鮮半島は植民地支配から脱した。それは即座に「朝鮮人」の天皇制階層社会からの脱却を意味したし、日本政府もそのように認識していた。だがその事がかえって在日朝鮮人を苦境に追い込んだ。
 天皇制階層社会から外れるということは、朝鮮人が「うち」から「そと」の人間に代わるという事に他ならない。そして1947年五月二日、最後の天皇勅令「外国人登録令」が公布、同日施行され、朝鮮戸籍の人(だけに限らず、台湾などの人々もいたのだが)は一方的に「外国人」とみなされる事になったのである。
 この事が朝鮮人への差別の性質を「うち」の中の「穢れ」から「そと」へ変化させたわけではない。むしろ「穢れ」の性質に加えて「そと」の性質が加わったことによって大戦後の在日朝鮮人は一層の重圧を受けることになると同時に、戦後の国際社会が朝鮮人にとってその生き場所を限定していったのである。
 一度社会に植え付けられた、階層意識は一朝一夕で変わるものではない。したがって在日朝鮮人は、日本社会では「うち」の中の「穢れ」としての意識を受けつつ、法制度上では「そと」なるものとして参政権、社会保障制度・公務員資格などの対象からはずされたのである。
 つまり、方向性から言えば、戦前は一方向の抑圧を受けていたのが、戦後は二方向からの抑圧を受けるようになる。このことが在日朝鮮人の置かれている立場をより不透明にさせ、様々な面で抜き差しならない状況に追い込むのである。

ここで話を父日本人の日韓ダブル(ハーフ)に話を限定する。
父が日本人である場合、意識的に自分を韓国人と思うことは少ないであろう。韓国の血を誇りに思うことがあっても、あくまでも「韓国にもルーツがある日本人」という意識であって、「私は韓国人でもある」と言い切れる人は少ない。要するに「うち」に身を置こうとする人間が多い。
それよりも自分という日本人の中にある韓国人の血をどう捉えて良いのか分からないまま日々を過ごしている人が多い。
 日本の血族社会では、韓国の血はタブーとなる事が多い。例えば、在日韓国人(朝鮮人)の女性が日本人男性と結婚した場合、男性の両親や親戚が女性の国籍や民族性について話をすることを避けようとする。今では、結婚そのものを反対するケースは少なくなってきているが、結婚後のタブー化は依然と根強い。もし、子供が生まれて、その子に日韓両方の文化を継承させたいと願っていても、そこにはかなり高いハードルが存在する。日本人側からみれば、父親が日本人であれば、その子も日本人だという意識が高い。しかし、そこに「韓国人」の血が流れていると、「穢れなるもの」という意識が生じる。それを避けるためにタブー化が起こる。しかも、その流れは無意識に起こっている。
 現在は状況が改善され、法制度上の差別がなくなってきている。だが、法による差別に対する強い制約があるが故に、内面にあるタブー感が強くなってきている。分かり易くいえば、「差別はいけない」という感覚が却って触らぬ神に祟り無しといった感じでタブーを助長している側面がある。
 つまり、意識的には日本人でありながら日本人からタブーを受けるのが、父日本人の日韓ダブル(ハーフ)とも言える。そして日本人も父日本人であれば、日本人と考える傾向が強い。そして日本人だから韓国の血はタブーになってしまう。
 そういった意識の中で韓国にもルーツを求めようとするのは日本社会のタブー観に触れることになる。そしてタブーゆえにルーツを求めることに限界が生じる。
 もしこれが逆のパターンだったらどうだろう。父親が韓国人である場合、本人も周りの日本人も韓国人として見る意識の方が強いのではないだろうか。韓国も日本も基本的に父系社会だから、どうしても父方の血筋で民族的な部分を見る傾向があるように見受けられる。
 だから、父日本人の場合、感覚的に周りの日本人が「父親が日本人なのに、どうして韓国のルーツを求めるの?」といった雰囲気がある。
 もう少し簡単に言えば、「日本人」であればあくまでも「日本人」なのだ。で、場合によっては「日本人の中にある韓国の血」が「日本人」として忌み嫌われる時もある。父日本人の日韓ハーフにとって韓国の血は「日本人の中にある異質なもの」なのだ。

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