全210件 (210件中 1-50件目)
手作り酵素のはなし たとえば、くだものと砂糖とやさしい手。 器の中で混ぜ合わされて ひとつになってゆく。 いつだってひとは酵素とともに生きてきた。 目には見えないけれど欠かせない大切な酵素。 がんばってきたこころと身体へ たくさんプレゼントしてあげよう。 「おいしくなあれ」の気持ちと一緒に。用意するもの素 材(りんご、柑橘類、野菜などなんでも・・・)上白糖(発酵のお手伝いをする酵母のごはん)*素材と上白糖は1:1.1を用意します。ふたつきの瓶☆失敗しない比率は、素材1に対して、砂糖1.1です。 糖度の高い果物などを使う場合は、砂糖の量を減らしてもいいと思いますが、 はじめてのときは、この比率を守ると失敗が少ないと思います。☆ふたつきの瓶を使う理由は? ホームセンターやスーパーなどで手に入れやすいので 梅酒などをつける瓶がおすすめです。 密封できるものでなくてもいいですが、 虫よけになるので、これからの時期はいいかなあ☆ ☆白い砂糖を使う理由は? 白砂糖、上白糖を使うことに違和感を抱く方も多いと思います。 わたしも普段は白いお砂糖をまったく使いません。 精製された白砂糖には不純物が混じっていないので、 発酵する過程の中で雑菌などが繁殖しにくいと言われています。 はじめての時は、白砂糖を使うのがベターだと思います。 発酵の過程で白砂糖の成分がブドウ糖に変化すると言われていて、 白砂糖そのものを摂取することになるわけではないそうです。 わたしも黒糖、てんさい糖などで作ってみましたが、 いろいろ考えて、試行錯誤をしてみた末、白砂糖に落ちつきました。 ☆さあ、作ってみよう☆1.瓶を熱湯消毒して、乾燥させる。 素材を軽く水洗いして、乾かす。 適当な大きさに切る。無農薬の素材なら皮ごと使ってください。2.出来上がったあとの実もとってもおいしく食べられるので、 皮をむいて、食べやすい大きさに切ってくださいな☆ 農薬や防腐剤がかかっていそうなものは、 皮などを取りのぞいてくださいね。3.素材の成分をたくさんしみ出させることが大切なので、 みかんなどは小袋のままではなく、横に切るなどして、 実の断面がより出るようにしてください。 わたしはめんどくさがりなのでできないけど^^ 小袋を取りのぞいて実を出して付けるのが最適ですね☆ 梅などの実は、ぷつぷつとフォークなどで穴をあけるとよいです。 もちろん刻んで入れる方が、いいですよ~☆ なんでもいいんです。面倒だと思ったら、次から作れないし。 大切なことは、自分ができる範囲で、 できることをやってみるってことだと思います☆ 4.消毒した瓶に素材(皮や種も)を入れ、 白砂糖(素材の1.1倍の量)をいれていきます。 まずは、素材、砂糖、素材、砂糖と交互に入れながら、 ざっくりと混ぜていきます。 *最後に覆うように砂糖でフタをするので、 その分の砂糖は置いておいてくださいね。 混ぜすぎると、発酵しすぎてお酒っぽくなってしまうので、ざっくり! *この素材と砂糖を混ぜて発酵が進むと、酵素ジュースになり、 その後はアルコールになり、その後はお酢になります。 酵素ジュースの段階で発酵を止めるために (それ以上発酵が進みにくくするために) 完成した酵素ジュースは、冷蔵庫などの冷暗所に保存してください☆ 5.ざっくりと素材と砂糖を混ぜた後で、残りの砂糖でフタをします。 そんなに丁寧に厳密に考えなくても大丈夫です☆ なんとなく上に砂糖がかかってる~って感じでOKですよ。 最後に、瓶のフタを閉めて、初日の作業はおしまいです☆ かんたん! わくわくしながら、眺めててください☆6.毎日、最低一度は素手でかき混ぜる。(1週間~2週間程度) はじめの頃は、下に砂糖が溜まっているので、底から上へ、底から上へ 「おいしくなあれ!おいしくなあれ!」と呪文を唱えながら手でまぜます☆ 手についている常在菌と素材の持つ酵素が仲良くなって、発酵が進みます。 これを飲むご家族全員が参加して、手でまぜまぜすることによって、 そのひとそれぞれのお腹に合った、オリジナルの飲みものが完成しますので みなさんでなかよくまぜまぜできると、いいなあ。 発酵の期間は、素材や室温によってまちまちです。 あたたかい場所の方が完成までの期間は短くなるようです。 手を入れて混ぜるときに、ぷくぷくと泡が立ってきたら出来上がり。 ざるなどで漉して、ガラス瓶やペットボトルなどの 保管しやすい容器に詰めかえてください。 発酵物なので、細菌が入らない限りは飲むことができますが、 異変を感じたときは、口にしないでください。 ☆ 大切なことは、むずかしく考えすぎないことです。 気軽な気持ちで試してみてくださいね☆ love
2012.04.12
コメント(0)
ゴクリ つばを飲み込む音が聞こえてしまいそうなほどの静寂。 ただなにも音が聞こえない静寂ではない。 そこでは、人のつくったものの一切が消え去って その自然の中にあるものすべてが音を立てている ゆたかないのちの静寂。 わたしのこころは穏やかになり、なんの物音もせず、 なんの心配もこころを悩ませる雑音も消え去ってゆく。 森とは、宇宙そのものなのだ。 煌めく漆黒の中、 すべてのものの音は消え去り、 壮大なたったひとつのものとなる。 森の白い雑音は その大気の中で溶け合って それぞれの語らいは ひとつのおおいなる静寂としてただ在る。 森とは、宇宙なのだ。 わたしはその森の中にあり、 宇宙のひとつの星として存在していた。 宇宙の息吹を感じながら、 わたしはエネルギーの中心部分へと足を進めてゆく。 一歩一歩、ゆっくりゆっくりと。 足元のちいさな石に生える苔、 太い枝に網を張り住まう蜘蛛、 飛び交うちいさな羽虫 あらゆるいのちたちの場に、 突如侵入するおおきな生物としてのわたし。 その前へ出す一歩ごとに、 生き物たちと交流ができるように、 彼らの調和を乱さないように そっと息を吸い、そして息を吐く。 「お邪魔します。あなたたちのスペースへ」 そんな気持ちで歩いていると 「お前はまた、思い違いをしている」 厳しい声が響いてくる。 「思い違い? 間違っている? どうして?」 「お前もまた、この森で生きるもの」 「わたしも? わたしが?」 その「声」の意味することを感じとるために、 立ち止まって、わたしは地面を見る。 大地を眺めているわたしの目は、その焦点をぼやかしはじめる。 やがて視点は裏返って目は内側を見はじめた。 宙を見る、内側を見る。空を見る、内側を見る。 「わたしもまた、この森で生きるもの」 一言一言を噛みしめるように、こころの中で反芻してゆく。 「わたしもまた、この森で生きるもの」 はじめてきたんだよ、この山には。 でも、そんなことは関係ないんだよね。 ねぇ。わたしはなにが間違っていたの? ううん、これは、あなたへの問いかけじゃなくて、 わたし自身への問いかけです。 教えてくれなくて、いいよ。 「わたしもまた、この森で生きるもの」 「ああっ」 気づきはいつも、一瞬にして訪れる。 それは、忘れていたものを想い出すこと。 「気づき」とは、ただそれだけの儀式だからだ。 すべてはひとつ。 わたしはあなたで、わたしはこのちいさな苔でもある。 この森は、わたしだ。 この地球のありとあらゆる場所、どの瞬間にもわたしは、在る。 なぜなら、わたしが地球だからだ。ね どうして、いつも忘れてしまうんだろう。 ほんとうの意味では、まだ「ひとつ」ということを 感じきっていないからなのかなあ? 「お前が、自分を信頼していないからだ。 劣っているわけでも、鈍いわけでもない。 お前自身を愛していないから、分離が起きている。 ただそれだけのことなのだ 遠くに存在し、決して手に入らないもののように、 あこがれのように口にする愛。 おまえこそが、その「愛」そのものであることを 忘れなければいい」 愛は不調和を生み出さない。 なぜなら、愛とは調和そのものだからだ。 わたしが森の中に存在すること、それを不調和だと感じるならば、 わたしは中心から外れて存在しているということにほかならない。 ただただ在る時、そこには不調和だと感じる意識は存在しない。 森は宇宙そのものだ。 そしてわたしは、宇宙の中に存在するひとつのしずく。 あのおおいなる海は、 一滴のしずくがこぼれ落ちたからといって、 乱されたりはしない。 しずくによって生まれる波紋は、 ただただ広がり海を彩る波となる。 わたしはわたしを信頼することを学ぶとともに、 森を信頼することを学ばなければならない。 「たくさんあるね、学ぶべきことは・・・」 「学びだと思うからだ。ただ、楽しむことだ。 それにはこころをひらけばよい」 優しくて厳しい、いつもわたしを見守り導く「声」 わたしたちは、どうして この「声」を聞くことをやめてしまったんだろう。 いまも、この物語をあなたが読んでいるこの瞬間も「声」は、 あなたのこころにささやきかけている。 あなたが、目をつぶり、こころを落ち着けて、 内側からわいてくる「声」に耳を傾ける その瞬間を待ちながら・・・ ひとつおおきく深呼吸をして、わたしは足を踏み出してゆく。 わたしは、森。この森は、わたし。 わたしの森。森のわたし。 わたしの地球。地球のわたし。 その概念は傲慢ではなく、もっとも謙虚なことだ。 所有でもなく、所属でもない。 わたしであることは、すべてであること。 わたしが体感したことは、あなたが体感したことだ。 何度も、何度も、このこころに、そのこころに刻み込まれるように この魂の、その魂の種火が、おおきな炎となるまで、 繰り返し語りつづけてゆこう。 元々ひとつだったものが、ある日長い旅に出て、 やっと帰ってきたかのように。 わたしは、わたしである森に参加する。2006年01月03日日記より
2012.04.09
コメント(2)
イザナギとイザナミの黄泉平坂の分断。それは、とても悲しい物語なの。記紀神話の中でイザナギとイザナミの兄弟の神さまは、愛し合い夫婦となり、淡路島、四国、九州、本州というこの島々を生み出す。次に神産みと呼ばれる、多くの神々を誕生させてゆく。火之迦具土神(ヒノカグツチノカミ)という名前の通りの火の神さまを産んだ時に、イザナミは女陰に火傷を負ってしまい、病に伏せってやがて死んでしまう。悲しみ怒りに狂ったイザナギは、十拳剣で生まれたばかりの我が子カグツチを斬り殺して、むせび泣く。最愛の妻との別れを受け入れることができずにイザナギは、死者が住む黄泉の国へ渡ってしまったイザナミを、生きている身でありながら黄泉の国へ降りて連れ戻しにゆく。光がどこからも射さない真っ暗な黄泉の国、暗闇の中でイザナギは愛しき妻に「どうか帰ってきて欲しい」と語りかける。「黄泉の国の食べ物を食べてしまったため、もとの世界には戻れないのです」というイザナミに、イザナギは「どうしても戻ってきて欲しい」と嘆願する。黄泉の国まで追いかけてきて連れ戻そうとまでしてくれる夫の想いに胸打たれて、イザナミはひとつ提案をする。「これからわたしは、黄泉の神さまにもとの世界に戻してもらえるようにお願いをしてきます。ただ、その間、決してわたしの姿を見ないでください」イザナギは愛しい妻の言葉に喜び、決して見ないと約束をして、妻が戻ってくるのを待つこととなった。けれど、いつまで経っても戻ってこないイザナミにしびれをきらしたイザナギは、髪に挿していた櫛に火を灯してしまう。ちいさな炎が照らし出した黄泉の国、そこにいたのは記憶の中の美しい妻イザナミではなく、蛆にたかられ八柱の雷神がまとわりつく異形の女神だった。「見るなと言うたに、なぜ見た!」イザナミは、約束を破り火を灯したイザナギに怒りをあらわにする。驚いたイザナギは黄泉の国からあわてて逃げ出してしまう。約束を破って火を灯し、見られたくなかった醜い姿をのぞき見たイザナギに絶望と悲しみと怒りを燃やしたイザナミは、黄泉の国の民にイザナギを追うことを命じる。多くの追跡者をかわしてイザナギは逃げつづける。黄泉平坂という、黄泉の国ともとの世界とを結ぶ場所にたどり着いた時、とうとうイザナミが追いついた。イザナギは千人がかりでなければ動かないような大岩で黄泉平坂を塞いで、イザナミが入ってこれないようにする。この岩を挟んで、ふたりは言い争いをはじめる。「愛しい夫イザナギよ、 あなたがわたしを拒みこのようなことをするのなら、あなたの国の人たちを毎日千人しめ殺してみせましょう」「愛しい妻イザナミよ、おまえがそうするなら、わたしは毎日千五百人の子どもが産まれるように産屋を立てよう」この島を生み出し、神々を産み出した夫婦は、大岩を挟んでいまだに夫婦げんかをつづけている。それ以来、黄泉の国と現世は大岩で分断されている。なんて切なく悲しい物語なのだろうか。これを書きながら、わたしの胸は締めつけられて、悲鳴をあげている。いまもまだ、ふたりはいがみ合い、ののしり合い、愛から生まれた子供たちを殺し合っているのだろうか。この物語から読み取れるのは、男と女の行き違いの悲しさ。イザナギは生者でありながらもタブーを冒して死者の国までイザナミを迎えに行ったのに、「それでもお前を愛している」と「どんな姿であっても、きみは変わらない」とどうして言ってあげることができなかったんだろう。怒り狂ったイザナミは、子孫である子どもたちを一日千人殺しつづける。イザナギは、その理由がわからないのだろう。そして、かつては愛したイザナミに問い続ける。「あなたの『愛』とは、なんなのだろう? なぜに、罪なき子どもたちを苦しめるのか・・・」 それが、イザナギの抱える永遠の悲しみの根源かもしれない。イザナミはなぜそれほどまでに怒り狂ったのだろうか。それは、愛する人には見られたくはなかった姿を見られてしまったからかもしれない。たいせつな人だったからこそ、愛するイザナギにだったからこそ、怒り狂った。そして、見られたくなかった醜い姿を見られただけではなく、真実の姿を見たとたんに逃げ帰ってしまう、夫の背中を見てしまった、その悲しみが怒りの理由なのだろう。「あなたの言う『愛』とは、一体なんなのだろう? 死してもわたしの魂はなにもかわらないというのに。 虫たちの栄養となり森に戻りつつあるわたしを、あなたは受け入れることはできないのか」 それが、イザナミの悲しみの根源かもしれない。イザナギとイザナミの子孫であるわたしたちには、この夫婦の悲しみや苦しみや痛みや傷が刻み込まれている。歴史の涙を癒してゆくこと、断層をつないでゆくこと、それがいま必要なのだろう。親神の愛憎を和解へと導き、わたしたちを分断している黄泉平坂の大岩を取り除き、すべての封印を解き放つ時なのだ。そして、もうひとつこの神話に描かれている大切なこと。それは「火」火の神カグツチを産んだことで、創造の女神は死に至る。そして、火の神は生まれてすぐに斬り殺されてしまう。一度は現世へ戻ろうとしたイザナギとイザナミを引き離す要因となったのもイザナギが灯した「火」記紀神話を描いたわたしたちの祖先は、なぜに「火」をそれほどまでに畏れ忌み嫌ったのだろうか。黄泉の国のイザナミを包み込んでいる雷神。天と地を結び、一瞬にして爆発する稲妻のエネルギー。雲を呼び風を呼び、大雨を降らせて大地を潤す雷の力。屍となったイザナミを食べはじめている蛆虫たち。すべての生き物は、ほかの生き物の屍を食べて生きている。死したものを食らうもの、食らうものをさらに食べるもの。そうして、いのちの連鎖はとまることなくつづいてゆく。いのちを終えて森に横たわり、その骸は多くのものの糧となり、大地へと還ってゆく。イザナミと蛆。米とわたし。フライドチキンとわたしでもかまわない。そこになんの違いがあるというのだろうか。生と死で成り立ついのちの循環が、この神話の中ではすべて否定されている。ここで否定されていることは、すべていのちの循環には欠かすことのできない大切なことだ。一体、誰がこのような物語をつくりだしたのだろう。これこそが、わたしたちの思考を縛る封印だ。この神話、日本人なら誰でもが一度は目にしたことのある物語。その中に、巧妙に呪縛装置が仕組まれている。大岩を、取りはずなさなくてはならない。こころの中に存在する、豊かなる地球とわたしを分断する大岩を。黄泉平坂に風を吹かせて、消えかけているいのちの火を燃やしはじめなければならない。
2012.04.06
コメント(1)
悲しいことが降り積もって、もう歩けないかと思っていた。朝も昼も夜も。もう明日なんてないと思っていた。だけど、きみが迎えに来てくれた。光の中から手を差し伸べて。やわらかい笑顔、やさしいほっぺ。わたしの手を取って、あの場所から連れ出してくれた。たくさんの時が流れて、再びきみと出会った。わたしの腕の中、すやすや眠る男の子。あの日、わたしを助け出した少年。未来の少年が、幼いわたしを助けてくれた。あなたは信じないかも知れない。けれど、いのちはつながってゆく。未来も、過去も、すべては現在とつながっている。すべては同じ瞬間に存在している。私たちが忘れていたとしても。あの日の少年はほほえむ。涙はいつか流しつくされて、笑えるようになる日も来る。必ず。悲しみは、比べることなんてできない。あの日々、悲しみの海の中で溺れて、あきらめていたあの日々。ちいさな手に導かれて、そこから逃げ出して、新しい日々を作り出した。そして、今がある。あなたにも、訪れる。しあわせに笑える日は必ず訪れる。だから、今を大切にして。あなたを大切にして。いのちはつながっている。あなたの少年は、もうあなたの中で眠っている。彼の未来を捨てないで。あなたの未来を捨てないで。それがたったひとつの願いなのです。
2011.08.29
コメント(0)
*2006年12月15日のmixi日記を転載。まあ、すでにずいぶんオトナなんだけどにゃ☆最近、わたしはほんとうの意味でオトナの女になったなあとしみじみ感慨深いワケよ。女の子、必読ですよ男の子は、まあ、そんな世界があるのねと驚け。呼吸は膣で☆思考は腹で☆ しろ!http://mixi.jp/view_diary.pl?id=199545900&owner_id=152073で、ちゃんとかきたくて、書き切れてないまま、そのままにされている女という動物についてのお話しなのだけどね。簡単に言うと、わたし生理用品がいらなくなったわけです。それまでは、ずっと毎月あたりまえのようにナプキンやタンポンを使い捨てていたんだけどいまは、もう、いらないの。布ナプキンもいらないの。あかちゃんがトイレを覚えておむつを外すようにわたしも月経血のコントロールを覚えておむつ外れたの。ね、すごいでしょ。トイレでおしっこをするように、トイレに行って、月経血を流すのよ。そんなことができるとは思ってもいなかったけどなんか、できるようになっちゃった。文明社会を生きる女はあたりまえに教えられてきた。年頃になると生理が始まる。生理用品を使って血を吸収させて捨てなさいと。それはオトナになることだけれど憂鬱な日々のはじまりでもある。生理痛や、生理中の不快。わたしも流れてくる感覚が気持ち悪くてタンポンを使いつづけてきた。でも、それが身体にも環境にもとっても悪いモノだと知った時、愕然としたの。もっともデリケートな場所の皮膚からさまざまな化学薬品が身体の中に吸収される。環境ホルモンが身体に蓄積する。子宮内膜症やさまざまな病気を誘発する。燃やせばダイオキシンを発生させる。そんなの、誰も教えてくれなかった~~~だって、ガッコで教えられるじゃん!生理用品の使い方。ほかに、方法があるなんて考えもしなかったよ。センセがあたりまえに教えてくれることが、身体にも地球にも悪いなんて!布ナプキンというものがあると知った。でも、高いよ~ ということで踏み切れなかったけれど、ある時思い立って、自分で創ってみたのよ、んで使いはじめた。最初は、洗うのめんどくさかったけどね、段々慣れてきたの。驚いたのが、生理の日がはやく終わること。1週間くらいあったのが、いつしか4~3日で終わるようになっていた。食べ物のコントロールもあるだろうけど生理痛やおなかの鈍痛もなくなった。布ナプキン派(ほかにもいろいろコミュあるよ♪http://mixi.jp/view_community.pl?id=143038たくさんのひとに伝える義務があるよ、これは。すこしづつ、溜めて出すということがコントロールできるようになってきて横着&手触りフェチなわたしは、ハンドタオルをちっちゃくしたものやハンカチで代用するようになった。そう、生理の時=生理用品という概念が外れるとすっごく気が楽になったのよ~ジャンキーみたいにさ、ブツがきれるとヤバイと薬局やコンビニにみんな買いに走るわけでしょ?それが、なくなったんだよね~まあほんとに生理用品に依存してたわけだからジャンキーだったわけなんだけれどさ。ここ数ヶ月、そのハンカチも赤くなることがなくなった。あれ? おしめ外れた? もしやして?こんなことができるんだなあ~ 人間の身体っていうのは、すごいよね。みんなやってみようよ~植え付けられた概念をとっぱらってもっと自由に、たのしく気持ちよく生きてゆこうにゃ~もっとくわしく書けって? うん。そのうち書くね。これは、ほんとに現代の女にとって必要なことだと思うから単純にいえば、肛門に力を入れたり抜いたりして膣を閉めたりあけたりするのを練習するのだ。みんな普段から練習してみ~いろんな効用があるから。にゃおん☆
2011.08.27
コメント(2)
もう二度と帰れないなんて言わないであの海、あの風、あの木々なにも変わっていないのにあの町を捨てないであのふるさとを捨てることはわたしを捨てることもう二度と帰れないなんて言わないでいまはなにをすればいいのかわからないけれどだけどあきらめないあきらめがあの町をつくってしまったのだからそれは非科学的なことだと言われても科学の粋を集めてあの町のすべてを変えてしまった悲しみを惑星にばらまいてしまったのだから、わたしはあきらめることができないひとの想いと科学のすべてを集めたら、必ずそれは叶うのだともう二度と帰れないなんて言わないでしずかにふるさとを殺さないで生きているのです、あの町はあきらめがあの町を殺してしまうあきらめがわたしたちのこころを殺してしまう悲しみは抱えきれない憎しみも抱えきれないだけど置いてゆこうすべてを取り戻すために
2011.08.26
コメント(0)
3月16日 水断ち7日目続、シャワー話。すべて洗い終わって、気持ちよく温かいお湯を浴びていると、急に「琵琶湖!!」といわれるで、思い出した。昨日の夜、ベッドに入ってもなかなか眠れなかったの。眠りに落ちる直前、ヴィジョンがやってきた。どこかの桟橋から水に飛び込んでいる私。この21日間プロセスが終わる日、3月30日。それは、ある意味で予言された日。琵琶湖浄化第一弾の〆切的な日。そのヴィジョンでは、竹生島らしきところから飛び込んで、琵琶湖を泳いでいる。まーじーでーすーかー。寒いよー。うそー。なんでー。すごく明確なヴィジョン。存在がなにを伝えたいかもすべて理解した。おもしろそうだなぁと思う反面、ちょっぴりヤダよぉと思いながら眠りについた。実はね、3月14日に宿便を出そうと思い立って浣腸をしたのですよ。長期に断食をすると、身体の毒素を一生懸命だそうとしてすごい体臭になるらしく、定期的に漢方の下剤を飲むか、浣腸をするというのが、長期断食では一般的らしいの。前回の9日間の断食では、それは試みなかったのだけれど今回は断食中も人に会うので、くさいのはやだなぁと・・・で、薬局に買いに行ったわよ、浣腸を。ここには、この前グリセリンを買いに来たから、その筋のマニアちゃんだと思われていたらヤダなぁと思いつつまーいいのさ、そーんなことはっ なんて歌いながら帰った(笑) *グリセリンは、手作り化粧水に使うのだよ♪で、王子を寝かし、レッツチャレンジ!紙袋から買ってきた浣腸を取り出し、目がテンになる。「びわ湖浣腸」 げーーーー、また琵琶湖ですか?ふつう、いちぢくじゃないの?なに? まだ琵琶湖は終わってないよっていうメッセージですか?多分今の私には薬剤はきつすぎるので、ごめん、中身は捨てて、ぬるま湯を入れる。そのあとは、ピー。でも、全然ダメ。 何度か入れてみるもダメ。頭が痛くなってきて「無駄なことはしなくていい、お前の身体のことはまかせておけ」とか言われて、ちょっぴり叱られる。これって水を飲んだことにならないのかなぁ、なんて心配もよぎる。でも、とにかくそれで、琵琶湖はまだ終わってないことを、明らかにされたんだ。こんな表現で・・・つづく。
2011.06.22
コメント(0)
3月16日 10:05 断食7日目水を一切断って7日目。断食はこれまで何度かしたことがあるけれど水も飲まずに日々を過ごすのは、生まれてはじめての経験。今日の夕方頃には、薄めたオレンジジュースが飲める。多分。存在がNOといわなければ。水と再会するとき、それは壮大なセレモニーだ。ひとりっきりでその祝祭を味わおう。きちんと場をつくって。ただの私、カラッポの私で、水との再会を全身で味わおう。昨日の日記にも書いたけど、見知らぬ親父さんの飲んでいるカフェラテにも欲情し、「ちょうだい!」って言いたいのを抑えた。バスの中では、メチャかわいい女の子(これポイント)が飲んでいるフルーツオーレにも目がいく。「ああ、おいしいんだろうなぁ。どんな味がするのかなぁ。 彼女は今、すごく幸せなのに、それをそうとも気づかずに ごくごく飲んでるんだろうなぁ。でもうらやましいなぁ」とか想いながら、ずっと見ちゃった。ふふ、相当な渇望だよ。なにを飲もうかなぁ♪本の指示では、濃縮還元果汁25%以内のものと書かれてる。でも25%の飲み物なんてあんまりないものねだいたい10%とかでしょ?って、そもそも合成飲料のこと知らないから明日、楽しみに買いに行こう♪わくわく。けれど、オアシスを遠く見て砂漠で死ぬ人にならないように気を引き締めよう。今が一番大切なときだから。でも思うのは、今は水が飲みたくて耐えているけれど、水が飲めるようになったら、今度は食べ物を欲するのかなぁ。ずっとなにかを求めつづけて、満たされることはないのかも知れない。そう思うと、人とは業にまみれた存在だな。でも、心のままに生きるのが最上の生き方なのだ。それが、自分を成長させるための唯一の方法なんだ。朝6時頃、王子に起こされる。「おかーさん。おなかすいたぁ」眠すぎて身体が動かず、朝ご飯の指示をして、食べてもらう。御飯を食べ終え、顔を見に来た天流川「ん。今日はもう大丈夫だね」私の健康チェックまでしてくれる。今日は、カレーを作ろう。天流川の喜ぶ顔を見て、私もしあわせにひたるために。おいしいカレーを。9時過ぎにやっとベットを抜け出す。この3時間の間に、んもーーーう、いろんなことが起きるやら言われるやらで、もう大変! ではなく、素敵!
2011.06.16
コメント(0)
2005年3月30日 前後4日間琵琶湖を震源とした地震が起きる可能性が約70%もし、起きれば多くの人が死傷する可能性がある。とても信頼する人物から2005年1月14日にわたしにもたらされたメッセージ。「こんな予言は外れた方がいい」彼はそういいながら、わたしに告げた。滋賀、岐阜震源でたくさんのひとが死傷。 それが起きるとすれば、阪神大震災以上のものってこと?「琵琶湖の水を浄化すれば、 それを止めることができるという可能性もあります」琵琶湖を浄化するって、どうすればいいの?「汚染されている琵琶湖を浄化するために、地球が振動を起こすらしいです。 だから、その前に琵琶湖がきれいになれば、地震を起こす必要がなくなるみたいです」震動すると、水がきれいになるの?水をきれいにすれば、地震が起きない?科学的根拠があるかどうかなんて、わからない。それを確かめている暇なんてなかった。当時大阪に住んでいたわたし。名古屋にいるその人に会いに行くことは前から決めていたこと。その当日、約束の時間のずいぶん前に家を出たのに、すべての歯車が狂い、電車に乗り遅れ、電車が遅れ・・・なんと3時間以上その人のところにたどり着けなかった。わたしがたどりつけない間、暇を持て余したその人は東海地震のことを調べるためにダウジングをしていた。降ろしてきたのが、東海ではなくて岐阜/滋賀の地震。そのことを春名に伝えた方がいいかと存在に問うと「伝えて欲しい」と。そんな経緯でわたしの元にやってきたメッセージだった。たくさんの人が苦しむかもしれない地震を止める方法があるならば、なにがなんでも止めたいよ。なにをしてでも止めたいよ。水の浄化の方法なんてわからないままに、わたしはそのバトンを受け取ってしまった。災害の予言なんて、ほんとうは受け取りたくない。でも、止められる可能性のあるものならば、止めたい。もう誰も傷つく必要なんてないのだから。水を浄化すれば止められるのなら、水をきれいにしようじゃないか。わたしたちは、仲間に琵琶湖の水を浄化することを呼びかけはじめた。3月までに、琵琶湖の水を浄化する。具体的になにをすればいいのかわからない。なにをすればいいんだろう。その時点で、わたしにできることはすべてやりつづけていた。たくさんのひとたちにその件を伝え、広めていってもらっていた。それだけじゃくて、本当にわたしがするべきことは何だろう。すべてはひとつ。わたしは地球。地球はわたし。わたしがこんなに苦しんでいると、地球も苦しいのかなあ・・・ちがう、地球が苦しいから、私も苦しいんだ。どうしたら、地球の苦しみをとかすことができるの?ああ、だから水の浄化が必要なんだね。地球にとっての水は、わたしにとっての血液だ。そうか、汚れているのはわたしの中の水なんだ。・・・・・。ほんとうに地球とわたしがひとつならば、わたしがきれいになれば地球もきれいになるの?わたしの中の水が浄化されれば、琵琶湖も浄化されるの?琵琶湖を浄化することは、わたしひとりではとても難しいけれど、わたしの身体を浄化することは、わたしにはできる。なんの根拠もないままに、わたしは決意をした。わたしがほんとうに地球とひとつになっていることをつかみ取り、そのわたしの中を流れる水をきれいにすることで、琵琶湖の水を浄化しようと。そうしてわたしは21日間の断食、自分自身と地球を浄化する日々を生きることを試みたのです。
2011.06.16
コメント(0)
あなたへとても気持ちのいい風が吹いていますやさしくてつめたいのにあたたかくてたくさんの言葉を運んできてくれていますなんだかうれしくて涙がでそうなくらいですこころが満ち足りるということはほんとうに幸せなことこのやさしい風にわたしの想いを託しますあなたのそばにも やさしい風が吹きますようにあなたのこころとからだのいままで抱えてきた たくさんの荷物を軽くしてくれるようにあなたのこころとからだの 疲れを癒してくれるようにあなたが いつも わらっていられますようにその笑顔でたくさんの人を幸せにすることができますように今日も一日あなたが目にするすべてのものが あなたへの祝福でありますように あなたが感じるすべてのものが あなたのこころを幸せで満たしますようにあなたが口に運び身体に入れる すべての食べ物が あなたのからだとこころを育み慈しみ そして大いなる愛にとけだしますようにこころの闇から生まれる すべての災いから風や木々や大いなる存在があなたを守りあなたの道へと導いてくださいますようにそんな想いを風にのせてあなたを想い 瞳をとざします幸せでいてください笑っていてくださいありがとううまれてきてくれて ありがとう
2011.06.15
コメント(0)
しあわせな時間深く静かに 瞳とざす 蒼き森 慈悲深き葉に ひとしずく つゆ光る 森を充たす風の唄 いざなわれ 木々の息吹 身にひたし 旅ゆく とどまることさえも知らぬ川へ すべてゆだね ひとつにとけゆく たゆとうまま 岩とあそび 枝はこび 魚生まれ 翼やすめる鳥 かわらぬ美たたえ 流れゆくきらめきの ひとときとして おなじものはあらず すべては夢 うつろう時の中に 永遠(とわ)のめぐりと またたきのやすらぎ 光さしこみ 霧きらめく 風の中 川面のしずく すべてつつむ 虹へ 注がれる光 照らしかえし森を染める 空へかえりゆく ひとつぶの雲となり 惑星(ほし)をめぐり いのちをきらめかせ ひとしずくの水 海へとかえりゆく すべては夢 うつろう時の中に 永遠(とわ)のめぐりと またたきのやすらぎ この身体に 充たされゆく 惑星(ほし)の海を まつげより落つる 光 葉にたくして作曲:廣樹輝一作詞:春名尚子
2011.06.15
コメント(0)
91年1月17日 恐ろしいほどの大気の怒りを感じた。 私は、あまりにも、なにも知らなかった。 それぞれの人に、それぞれの役割がある。 私にも役割があったことを、その後の道の中で知った。 風を感じて生きてゆくことに決めた。 ひとりひとりの霊性が進化しなければ、この惑星は救えない。 ユダヤ教イスラム教キリスト教仏教神道 宗教という呪縛から逃れることを考えなければならない。 原理主義はこの社会を破滅に追い込むための ひとつのツールでしかない 私が欲しいのは、戦争のない世界、争いのない世界 それを求めるために争ってたんでは意味がないの。 幸せ 大切なのは、それがなんなのかを知ること。 “幸せ”という概念を、人から与えられるのではなく 自分自身の中から構築しなければ、きっと掴めない。 「なんのために生まれてきたんだろう」 そのことをずっと考えていた。 生に理由づけをしようとしていた。 そうでないと、日々を生きることができなかった。 でも、わかった。 生には理由などない。 その理由づけから抜け出すことこそ、 生きるということなのだ。 思考ではない。行動なのだ。 やっとそれがわかったとき、心が軽くなった。 みんな愛されるために生まれてきた。 知ってる? みんな愛するために生まれてきた。 体感してる? 泣いて、泣いて、わめけばいい。 傷ついている自分を認めなさい。 悲しいことを認めなさい。 嫉妬や憎悪 満たされない愛から生まれるそれらは、 愛することで癒されてゆく それは生命の魔法なんだよ。 自分が持ってないものを人に与えることはできない。 やさしさ、平穏、慈しむこころ、和のこころ それをこころに満たそう。 自分を愛することは、深淵に飛び込むこと。 自分を失い、未知なるもの、不安定なものと出会うことだ。 怖れていては、なにもはじまらない。 こころの中に、大きな大きな希望の光がある。 それはまだ設計図程度のもので、 それを形にするためには、 組み立てる術を手に入れなくてはならない。 それでも、私のこころの中には光がある。 誰にも侵すことのできない領域で だけれど、それを分かちあうことのできる人を待っている。 飛ぶことを怖れない大人でありつづけよう
2011.06.10
コメント(0)
つぶやき 2004年12月27日人類は、長い長い記憶喪失に陥っている。 それをいつ想い出すのだろう。 想い出すその時、大混乱が起きる。 早く想い出して欲しい。 でも混乱は避けたい。 その混乱をできるだけ小さなものにするためには どうすればいいのだろうかと考え込んでしまう。 どうやって、生きてゆけばいいのか。 そんな答えはまだまだでない。 私はいつも、どこかであせってるんだな。 あせったって仕方ないのに。 いつも、その謎を解きたいと思っている。 どうすればそれが解けるのか。 でも、少しずつはわかってきた気もする。 まだまだ大きな壁だけれど、それでも向かってゆきたい。 大切なことは、自分と向かいあうことだ。 エノクとトトからはじまった神秘思想。 それは、前世界から盗み出した火だ。 ワタリガラスの火、プロメテウスの火。 それをおさめなければならない。そんな声が聞こえてくる。
2011.06.10
コメント(0)
もしも世界を 創造するなら どんな世界を 創造しますか?想いを形に する力が あるならば想像してみて 瞳を閉じて 身体の中に地球があると こころに描いた 想いが星を回しているそれは 世界を 閉ざしている扉 開いてだから 生み出せる 夢に見た世界をひとは想いを カタチにする 生き物 描いた夢は 必ず叶うこころの中から あきらめを 捨てたときだから、夢をみよう 夢では終わらせない夢を 描こうだから、生み出せる 必ず 夢に見た世界をそれが 世界が 隠してきた秘密 開いてだから 生み出せる 夢に見た世界を もしも世界を想像するなら どんな世界を創造しますか?想いは 必ず 今日を変える
2011.06.08
コメント(0)
2005年3月15日 22:30 光合成生活6日目水を断ってから、6日が過ぎた。丸7日が経てば、水だけを飲み、残りの14日の断食に入る。水が飲みたい!本気の渇望。水を口に含み、うがい。も一度口に含んで、水の味を堪能して、自分に問う。「飲むか? 飲めば楽になるよ。これを飲んで終わらせるか?」答えは・・・シンクに水を吐き出した。そうか、やめる気はないのね。ならば、我慢じゃなくて、気持ちを切り替えていこうよ。きっと、今が一番苦しいときだから。なにを見ても、水を飲みたい欲求にかられる。普段ほとんど飲まないコーラにでさえ、欲情する。あののどごしを体感したいと、自販機を見つめる。大丈夫だよ。明日を越えれば、水分をとれる。身体のすみずみまで染み通ってゆく美しさを体感できるのよ。これ以上の喜びはないんだよ。私は今、乾ききる少し前の砂漠の砂なの。干からびる直前で、水を待っている。もう少し、もう少し、存在は私が乾ききるのを待っている。はじめの一滴が、私を満たす。その喜びを知るために。水の惑星に生まれた、奇跡を知るために。渇望してもいいじゃない。自分を認めなさいよ。頭でエゴを抑えないで、感じたままに素直になろうよ。極上のエクスタシーを味わうために焦らされて、焦らされて、身体が待ちきれなくてそれでもまだ与えられずにそれを求めて、求めて、求める想いが個を越えて、水に伝わって振動する。そして水と私がひとつになる。その瞬間を待ちわびているの。その甘美の一滴のために、極限の乾きが必要なの。すべては、エクスタシーのため。
2011.06.07
コメント(0)
2005年3月15日 22:30 光合成生活6日目無事帰宅。エレベーターの中で天流川王子との会話。「おかあさん、ちょっと疲れすぎだね。 早く休んだ方がいいよ。」「うん、今日はちょっと無理したかな。早く寝るね」「うん、そうしたほうがいい。夜中に仕事するのもいいけれど、 睡眠時間だけはたっぷりとらないと。 オーラが濃い紫になっているよ」「そう? おかあさん、そんなに疲れてる」オーラが紫だなんて、そんなこと言っちゃって。この子は。どこで覚えたんだろうか?でも、紫って、かなり高貴な色じゃない?「今日は紫?」「うん」「いつもは?」「おかあさんは、緑か青。でも、今日は疲れすぎだね。 早く寝たほうがいいよ。すぐ、寝よう」私の普段の色、なんで知ってるんだろう?玄関の中に入り、そこで立ち話。「ねえ、オーラってどんなかんじ?」「んーっと、人の体の回りに覆ってる感じで、 いろんな色があるよ」っげ、マジスカ? 君はマジで見えてるんですか?「先生とか、友だちはほとんど黄色」「先生って、学校の?」「うん」「あんた、そんなの普通に見えてんの? いつから?」「んーっと、去年かな? ねえ部屋に入らない?」とここで、やっと部屋にはいる。私はなんだか、どっと疲れて自分の仕事机へ。王子は寝る準備をしに、自分の部屋に入る。「それとさ、赤い人はほとんどいないよ」王子、突然部屋に入ってきて、話しを再開する。「ほへー、そうなんだ」「うん、ほとんどの人は黄色、次に元気なのが黄緑。 次が緑、で青。 大丈夫だよ、そのうちお母さんにも見えるようになるよ」(あはは「おばちゃんは? おばちゃんが死ぬ前ってどうだったの?」(去年なくなった母のこと)「おばちゃんの最後はね、ヤバイ色だった。黒」「おじいちゃんは? 元気?」「うん、おじいちゃんは普通の人の色、黄色だよ」「あのさ、普段のおかあさんのオーラって、どんなの?」「いつも緑。調子いいときは青になってる。 で、たまに虹色になって光り輝いてるよ」虹色っすか? まじすか? なんだー、こいつ。虹色のオーラ見て、なんでだまってんだよ、お前。おしえろよ、そんなすごいことぉ・・・「なに? 最近私が虹色だったのって、いつ?」「んーっと、11月くらい」「そんな前?」「うん。だって、虹色ってほんとに特別だよ。 ああ、あれ。 あのさ、おかあさんがずっと寝ずに小説を書いてたでしょ で、書き終える前は随分疲れてて、それでも青色だったんだけど 書き終えた瞬間にパーって虹色になったの。 それで、天流川もすごくうれしくって・・・」ああ、息子よ。私の変化を君は、オーラで見分けていたわけだね。たしかに、2週間ほど寝ずにひたすら小説を書いていたとき、何も言わずに、いろんな家の仕事を手伝ってくれたんだよね。気がついたら洗濯物が畳まれていて、洗い物が終わっていたりした。その間、ほとんど相手もできなかったので、書き終えたときに、すごく喜んでくれている天流川を見て、これでいっぱい甘えられるからだと思っていたけど、違っていたんだね。もっと、深いところで、私をちゃんと見守っていてくれたわけだ。ああ、ほんとの天使かも知れない。このオーラの話しも、今日突然に言い出したのは、私の身体を心配してのことなんだろう。ほんとに、私のところに生まれてきてくれて、ありがとう。そういうしかないや。まいりました。
2011.06.07
コメント(0)
2005年3月15日 17:10 光合成生活6日目父の家へ向かうバスの中で、いろんなことを思う。生みの母のこと。昨年亡くなった義母のこと。今日は、父にしばらく一緒に暮らそうともう一度言うためにゆく。前回言ったときは、あっさりと断られたのだけれど。8才から離れて暮らしていたため、私たちには一緒にいた時間があまりにもない。私はもう少ししたら、関東へ移動してしまう。一緒に暮らしてみる、最後のチャンスなの。これをやってみれば、父との関係を深いものにできるかも知れない。そんな想いを抱えて、バスに乗る。さて、どうなるやら・・・3月15日 小雨の降る中、父宅へ。義母の仏壇にロウソクと線香をともし真言宗にならって、経本を読む。いつもありがとう。みんなをみまもってくれてありがとう。天流川は義母とずっといろんな会話をしている。今も強力にサポートしてもらっているようだ。晩ご飯をつくる。その間、父と天流川は他愛もない会話をして遊んでいる。準備を終えて、ふたりは食事をはじめる。断食のために、一緒に御飯を食べられない私も、食卓で楽しく会話をする。食事が終わって、お茶を飲む父に決心して話してみた。「3ヶ月でもいいから、一緒に暮らしてみない?」「いや、生活パターンがあまりにも違うから、無理だろう」その後、いろんなことを話してみても、答えはNO。父にもいろんな考えがあるだろう。でも、こうして話しあう機会をちゃんと持ったことでヨシとしようと思った。私たちは、あまりにも話しをしてこなかったからね。結果はどうでも、挑戦したことに意義を見よう。父もきっと、心の底ではこの申し出を喜んでいてくれるはずだし。食事の片づけを終えて、ふたりはまだ焼き芋を食べると言い出す。私はひとり、近所の銭湯に向かう。お湯に身体をひたして、ぽけーっと頭をゆるめる。ジワジワとよろこびが満ちる。ひとりのお風呂は、やっぱこころがゆるむ。普通のお湯、ばったもんくさい草津の湯、サウナ、水風呂。ちょびっとちょびっと楽しむ。サウナでは、ドリフのコントのテレビが流れていてなつかしく眺めた。その後、水風呂へ。足と手だけをつけて、水の恩恵を受ける。どうしてこんなにも水が好きなんだろう。昔から、水のそばにいるといろんなインスピレーションをいただくことができる。大切なことは、いつもいつも水が教えてくれる。私が、琵琶湖の水の浄化をテーマに与えられていることはすごく自然なことだと思う。「プールへ行け!」 という声がきこえてくるので「それはちょっと強引でしょう?」と拒否してきたけれどそれは実は強引でもなんでもなく、存在の優しさだと思った。だって、そうじゃない?海へゆけとか、川へゆけとか、滝に打たれろとか、この時期にそんなこと言われたら、大変だよ。温水プールで許してくれているところが、やさしさだなあと水につかりながら、しみじみした。お風呂から上がり、ちょっとふらふら。もう6日水を飲んでいない私。のどが渇くってのは間違いで、口の中が乾くの。舌が上顎にくっつく。唇がカラカラになる。銭湯の休憩所で、缶のカフェラテを飲んでいるおじさんをじーっと見つめてしまった。「ひと口ください!」っていいたいのを必死で我慢したわさ。いや、買う金は持っているけれどさ、それほどの渇望なんだよね。風呂帰り、小雨降る中歩いていた。「おい。あのイカ、うまかったぞ!」父への北海道土産のおおきなイカ。私がキッチンに立っているとき、大きな声でそういった。お父さんの、そんな一言がすごくうれしかったんだね。随分時間がたってから、その言葉のうれしさを噛みしめていた。ファザコンな自分をなかなか素敵だと思った。家に戻るともう父は眠っていて、おみやげに持たされた、餅とさつまいもを持って天流川とバスに乗って家に帰った。
2011.06.07
コメント(0)
水も飲まず、なにも食べずに、おひさまの恵みだけで21日間生活する試み。2005年3月15日 14:44 光合成生活6日目日記を3本upしてへとへとになる。シャワーに入って、エネルギーを満たそう。今日は、8時過ぎに起きてメモかいて、シャワーを浴びてまたメモを書いて、ベッドに寝ころびながらひたすら書いて書いて。途中、昼寝をはさみながら、延々と書いた。昼寝中、うとうとして半分起きているとき歌が鳴り響いた。明確な、魂に響くつよい言葉。演奏つき、サザンの桑田さんみたいな歌い手がうたってた。歌はつかまえられずに、逃げていった。うつぶせに寝ていると、身体が微細に振動をはじめる。なんだこれは?響きそのものになりながら、不思議な感覚を味わう。風呂、書く、寝る。この3パターンでいきているなぁ散歩をするより、書いているときが一番自分と向き合える。ノートに書き終えて、それを整理するために過去の日記を読み返した。【蓮追想】これは、自分自身のために書いたのだなと、強く思った。http://www.harunanaoko.net/lotus/index.html11月の満月の日、「早くしないと間に合わないよ」とお月さまに叱咤された。軽井沢にいた私は、「間に合わないのは困る!」とあわてて飛び起き、その時抱えていたことを書き続けた。書いているときは、自分のためではなく、これを受け取る人のためかな?と思っていたけれど時を経て読み返して、客観的にそのことを体験している自分がいた。私がこうして読むために書いたのだなと強く思った。この日々の日記も、そうして読み返して、次の段階へ向かうための力にするときがいつか来るのだろう。自分のために、すべての人のために、書き続けよう。
2011.06.07
コメント(0)
2005年3月15日涅槃スタイルでしばし休憩。ふと思う、そしてペンは走る。それにしても、仏陀。釈迦はすごい人だね。仏教という宗教は、釈迦の教えを都合よく歪めてしまったけれど、私は釈迦大好き!ところで、仏陀という名称は、釈迦だけがそう呼ばれるものではないんよ。知っていた?それは、覚醒度合いを表現しているもので、仏陀、菩薩、あとはなんだっけ?いろんな段階があるの。最終的に覚醒をした人のことを仏陀と呼ぶの。だから、かなり強引にいってしまえば、イエスも仏陀。仏陀であるということは、スピリットの状態なのね。で、仏教、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、そのほかいろんな宗教がつくられて何千年もたつわけだけどその中から何人の人が仏陀スピリットに目覚めたかというときっと数えられる程度なんだよね。ね、これっておかしくないかい?なぜ、釈迦は仏陀になりえたか?なぜ、弟子たちは仏陀になりえなかったか?その違いを知ることで、より仏陀に近づくことができる。求めつづけても仏陀になれなかった多くの弟子たちと、今さら同じことをするのはバカらしくない?弟子たちの犯した過ちを学んで独自のスタイルで生きた方がいい。経典をいくら読み込んでも、修行をしても、マントラを唱えてもきっとそれだけじゃ仏陀にはなれない。釈迦、イエスと、そのほか大勢の違い。道を切り開く人は、いつだってオリジナルだ。その他大勢の人は、その道に追随してゆく。その違いは、とてつもなく大きい。今、私たちにできることは、既成のすべての宗教を越えて、縛りから抜けて、自分だけのオリジナルな生き方を確立することだ。内なる声、外なる声、それらに耳を傾ける。違うと思ったら、その都度自分自身と話してみる。自分の生を、己の信じるままに生きること。誰かの真似ではなく、真のオリジナルとして。すべての人が仏陀になれるわけではないだろうそれでも、可能性はすべての人にある。なぜなら、仏陀とは、花だから。すべての人には、仏陀として花開くための種がある。多くの人は、それに気づかず生を終え、種は芽吹くことなく次の肉体に宿る。でも、気づけば、その種に安らぎの闇を与えることができる。種は闇の中で新しい生命として芽を出す。そして、ボディの中に射し込む光に照らされ、葉を開き、闇に根を張る。人はその偉大な肉体の中に、光と闇を内包している。闇は忌むべきものではない。闇は大いなる安らぎだ。闇がなければ、生命は生まれることができない。闇がなければ、休息することすらできない。休息することができなければ、光に照らされても伸びゆくことができない。24時間光を当てられつづけて狂わされて早く花を咲かせる電照菊でさえ、大地の中、闇の安らぎに包まれて根を張っている。大切なことは闇の使い方を知ること。大切なことは光の使い方を知ること。闇と光に使われてはいけない。闇だけにフォーカスしても、光だけにフォーカスしても、本質には至れない。バランスを知ることが大切なのだ。そして、次に光と闇を、自分自身の中で和合すること。人は闇と光とを自在に操ることで進化を遂げる。それが、種を育むことでもある。栄養を与え、大きく葉を広げ、茎を伸ばし、幹となり、根を張り巡らせる。その木に与えられる光と闇のバランスがうまくとれつづければ木は大きく健やかに育ちゆく。時至れば、つぼみがつき、やがて花ひらく。祝祭の時。その花は、まわりにいるすべての存在が目覚めるための可能性のエナジーとなる。仏陀とは花だ。そして、その種はすべての人が既に持っている。種を芽吹かせるか、そのまま眠りにつかせるか、その選択はいつも自分自身が握っている。多くの花が開くとき、地球はやわらかな喜びに満ちた、奇跡の惑星となる。私はその時を待っている。心待ちにしながら、風と遊んでいる。私は菩薩でありたい。仏陀を目指すのではなく。人々が仏陀になるために、多くの種が芽吹くのを手助けする百姓でありつづけたい。風と太陽と水に感謝を。
2011.06.06
コメント(0)
2005年3月15日 8:30 光合成生活6日目私はこの期間を特別視しすぎているな。もっと自然に、ほかの日々となにも変わらない日々として過ごすべきだ。もちろん、最低限のルールは守るとして。別に、これって特別なことじゃないんだよ。特別だと思うから、身構えてしまう。頑なでいると、大切なことを逃してしまう。もっとリラックス、リラックス!すべてのプロセスを楽しんでゆこう!「生きているのは、楽しむためなんだ」私が文字を書くのは、自分と対峙するためでそれをupするのは、違う生を生きてくれている私のかけらとわかちあうため。硬くなると、外からのメッセージを受け取れなくなっちゃう。風が運んできてくれること。木々のささやき。鳥たちの歌が意味すること。雲の言霊。太陽の慈愛。硬くなると、内からのメッセージを受け取れなくなっちゃう。ほんとの私が伝えようとしていること。内なる魂が導いてくれようとしている道。こころも身体も精神もやわらかくなると、自分にとって必要な、大切なことが、ベストのタイミングで入ってくる。皮膚から、耳から、指先から、目から、鼻から、心から。やわらかくリラックスして、いつも受け入れる状態をつくろう。3月15日 10:00くらい?人の顔はちゃんと考えて作られている。目がふたつなのは 物事をしっかり見るため。耳がふたつなのは すべての音をしっかり聞くため。口がひとつなのは 余計なことをいわず大切なことだけを話すため。鼻がひとつなのは なんでかな? わかんないや。そして手が二本なのは大切なふたつのものをしっかりと持つため。たったふたつだよ。たくさんのものを欲張っていっぱい持って動けなくなっちゃダメなの。ほんとうはね、ふたつも持っちゃダメ。だって、歩いててこけちゃったら両方守れないでしょ。大切なたったひとつをしっかりと持って、片手はあけておくの。そのひとつを時にはやさしく包んでなでて、愛おしんで、時にそのひとつを守るために。大切なひとつを、やさしく抱きしめて歩くために手はふたつなの。すべてはバランスだな。極端に走るのが得意な私だって、いつもバランスを考えているよ。もっとなめらかに生きてゆきたいなって。極端には必ず反動がやってくるからね。それって、効率悪いでしょ。無駄なエネルギー消費。すべての動きが実りにつながるような、そんな生き方をしたい。これ理想。でも高い理想を掲げないと、そこに歩いてゆけない。ン? んんん? それも、マインドの技なのかな?もっとシンプルに、目標もなにも持たずに、日々大切なことを、幸せの中でやり続ければいいのかな?あー。そういうことなんだね。これを書きながら、私どんどん気づいていってる。貴重なノートだ。(笑)今までの私が、ハードで一生懸命で、端から見ると暑苦しくて「若いよね」なんて嘲笑されていたのは、人生をハードなスポーツのようにとらえていたからなのね。そんなのちっとも、TAOの世界じゃない。私の愛する老子は、そういうこととはかけ離れた世界のことを歌っている。またひとつ、楽になっちゃったよ。やわらかく、シンプルに、その瞬間を大切に楽しく幸せに過ごす。そうしていれば、結果なんて、あとから必ずついてくる。役割も、使命もない。ただただ、生きること。それがほんとうに大切なんだよ。このことを知れただけで、21日プログラムをやった意味がある。もう私、最高にhappyだよ。
2011.06.06
コメント(0)
2005年3月14日 1991年1月17日湾岸戦争が始まったその日高校2年生だったわたしは、学校をさぼってひとり家にいた。「戦争が始まりました」歴史の教科書の中にしかないと思っていた戦争が、いま「はじまった?」って。それはほんとうにショックだった。うちの家はわたしが8歳の時に両親が離婚して、当時は母と兄の三人暮らしだった。10才からその日まで、兄と母から暴力を日々受けていた。殴られ、蹴られない日はなかったなあ。体中に青とか紫とか赤とか黄色とかのアザができてて、めっちゃカラフルなわたし。でも、虐待されていることをずっと誰にも言えなかったの。自分が悪いから殴られると思いこんでいるから、それを人に言うのが恥ずかしい。ずっと自分が悪いから、殴られるのだと思ってた。自分が生まれてきたことが、みんなに迷惑をかけてしまってると思ってたんだ。それでもやっぱり、そんな日々には耐えられなくって、自分が死ぬか、兄を殺すかということを考えつづけてた。でも、戦争が今もまだあって、この瞬間にも死んでいる人がいることを知ったときに、わたしにも何かできることがあるんじゃないか?って思ったの。そのとき、声が聞こえてきた。「本当の世界を見なさい」って。「本当の世界って何?」と思いながら、本当の世界を見ることをテ-マに生きているの。死ぬくらいなら死ぬ気で生きてやろうと思って、その日に家を出たんだ。家を出たからと言って、7年間も抱えてきた恐怖や暴力にさらされる日常がすぐに癒されるわけがない。耐えきれなかったわたしは、知らないうちに子どもの頃の記憶を封印していたの。10才から17才までの間の、家を出るまでの記憶が抜け落ちていた。こころの奥底の深い部分に追いやってちいさなわたしの涙も一緒に厳重に鍵をかけていた。それでも時折、過去はわたしのところにやってきて爆弾を落としてゆく。それをひらく決意をしたのが2000年のこと。曇りなき瞳でわたしをみつめるあるくのことをそれ以上のまっすぐな瞳で見つめ返したいとそう思えることができたから。わたしは愛する子どものために過去の扉を開いた。少しずつ、すこしずつ・・・兄から暴力を受け続けてきた私はその一方で私のことをとても大切にする兄のギャップに苦しみつづけていた。最近になってようやく理解することができたよ。兄は、私のことが嫌いで殴っていたわけじゃない。兄は不器用に私のことを愛していたんだろう。愛しながらも憎んで、むちゃくちゃな家族の中で彼自身も苦しんでどこへもやれない想いを、私にぶつけていた。抱きしめ合うことを知っていたらよかったね私たち家族は。触れあうことを、あまりにも忘れていたんだよね。ある時、瞑想をしていて知った。私を殴りつづけていた心の幼い少年は、天流川の中にいると。天流川を慈しむことで、あの日の兄に愛情を送ることができる。愛する心は、時を越えるから。私にたくさんのことを教えてくれたお兄ちゃん。私がここまで来れたのは、地獄の日々を通り抜けたから。母とも、兄とも、もう何年も会っていないけれど想いを送ろう。ありがとう。ごめんね。つらい思いをさせて。こんなに素敵なところに連れてきてくれて、ありがとう。お兄ちゃんも、お母さんも、幸せに生きてね。私は、ほんとうに幸せだから。
2011.06.06
コメント(0)
2005年3月14日 17:00 「愛することは、信じることなんだよ。」当時5才の少年と夕暮れ時、ふたりで手をつないで歩いていた。沖縄に暮らしていた頃の話。「おかあさん、愛しているよ」幼い少年が突然言い出した。驚いて、照れた私は言う。「なにいってるの? あんた、愛するってどういうことか知っているの?」少し考えた末、少年は自信を持って答えた。「愛することは、信じることなんだよ 自分自身を信じることだよ」こんなに小さな男の子が、どうしてこんなにも大切なことを知っているんだろう。少年の曇りのない真っ直ぐな瞳。私は少年を抱きしめた。今日、散歩の途中、「そのことを覚えてる?」と9才になった少年に聞いてみた。「ううん、おぼえてない」「でもね、天流川の口から出た、とっても素敵な言葉なんだよ。 あの瞬間、天流川は天使だったの。 大事な言葉を、お母さんに伝えてくれたんだね。 ありがとう」「今はどう思う? 愛することって、どういうこと?」少年と、愛について語り合った。私は彼を深く愛することができているだろうか・・・子どもの光を閉ざさずに、ありのままに輝かせてあげること。それが、ほんとうの子育てだと思う。そして、そのことを通じて、親はたくさんのことを学んでゆくのだ。世間に出て抱えてくる、いろんなものを落として落として、いつも純粋な光の塊でありつづけられるように。そのことを手伝うことのできる母でありたい。この強い光放つ魂を、ありのままに、さらに強くやさしい存在に。
2011.06.06
コメント(0)
2005年3月14日 朝 シャワーに入る。夜 お風呂にゆっくりとつかる。日光浴、気持ちのいい散歩。これが最低限のきまりごと。お風呂の時間を楽しむこと。これも、最近になって許せるようになったことのひとつ。時間を自分のために、それも自分の喜びのために使うことがずっとできなかった。今も、ちょっぴり苦手。“喜ぶ”ということが、イケナイことだと思いこんでいたの。押さえつけらて子供時代を過ごし、自分を抑えて抑えて時を過ごすと自然に笑うことさえできなくなる。そんな自分をいたわって、解放してあげているところ。けれど、いまだに抜けきれない自分がいる。しぶといな、なかなか。だからこそ、子どもたちが自由に、ありのままに生きることのできる社会を望む。それには、わたしたちひとが根本的に変容するしかない。上っ面だけ変わっても根源が変わらなければ、人の心にひそむ苦悩が取り除かれることはない。大人が、ありのままに生きることのできる環境。いつだって素直な心で、ウソをつかなくていい社会。それがつくれなければ、子供は自由に生きられない。私はそれをつくりたいと心の底から願っている。あったかいお湯に浸かって、ふーっと幸せに息を吐いて。お湯のやさしさに包まれる。ジワジワと幸福感がやってくると「はっ」とする自分がいる。「ダメ」っておもってしまう。そしてすぐに髪や身体を洗って外に出る。仕事を始める。そんな強迫観念にいつも縛られていたの。ゆっくりと、楽しむことを覚えていっているところだよ。私が楽しいと、世界も楽しい。だって、世界はひとつだもの。そうやって、想いをはせる。もっと楽しんで、喜んで、素直に笑おう。生きることを楽しもう。今朝、シャワーを最高に気持ちよく浴びて、そろそろ出ようかなと思ったとき、昨日の残り湯を見て、なんとなく足をつけてみた。冷たい水の刺激で、足にじわじわと不思議なエネルギーがみなぎってゆく。すげーーー気持ちいい!!幸せー!両手をつけて、気持ちよさに浮かれて、飛びそうになった。水を二の腕にかけて、太股にかけて。水と戯れていた。ほんとうに水ってすごい!そう思ったときに、やっと気づいたの。「生きているのは、楽しむためなんだ」やっと気づいたの、今日だよ、今日。言葉ではずっと言ってきたこと。でもね、細胞レベルでやっと体感した。めちゃくちゃ楽になった。生きているという感覚が鋭くなった。涙がいっぱい出てきた。もいちどシャワーを浴びて、最後に冷たい水で顔を洗った。生まれ変わった気がしたよ。身体をバスタオルで拭いているとき、「生きているのは、楽しむためなんだ」もう一度、その気づきの喜びを噛みしめた。極上の幸福。今までね、書くために生きていると思っていた。でもちがったの。私は、喜ぶために生きているの。そして、その喜びを伝えたくて書くの。書くことが私の役割なんかじゃない。私には、使命も、役割も、そんなことはなにもないの。自由に愛して、自由に楽しんで、なにをやってもいい。今を最高にhappyに生きればいいの。これはね、すごい!これは、覚醒だよ。重荷がとれた。これほどに軽い私は、もうなんだってできる。抜け殻になった私はエゴと対峙せざるをえない。その結果、マインドの縛りが落ちた。“私”なんて、存在しないんだ。ただ、生かされているこの肉体。生という喜びを味わいつくし、世界に還元してゆく道具なの。すべては宇宙に溶けてゆく。それを体感すること、それこそがエクスタシーだ。私はシンプルにただの私になる。そして、私というエゴさえ消えたその時、ひとつに溶けてゆく。
2011.06.06
コメント(1)
2005年11:56スピッツのスピカを聴く。 割れものは 手に持って 運べばいいでしょう 古い星の光 僕たちを照らします 世界中なにも 無かった それ以外は 南へ向かう風 流れる雲に 心の切れ端を 託したならば 彼方へ・・・ 幸せは 途切れながらも 続くのです スピッツ スピカ もっともっと感じたくて、曲に溶けだしたくてヘッドフォンで聴く。水がなくても、食べ物がなくても、わたしは生きてゆける。けれど私は、スピッツの音楽がなければ、生きてゆけない。素直になろう。それを認めよう。それを認めることが、どうして今までできなかったんだろう?いいじゃない。こんなにも私を支えてくれる音楽なんだよ。私の細胞に刻まれている音なんだよ。愛していると叫んでいいじゃない。自分の心に素直になりなさい。「割れものは 手に持って 運べばいいでしょう」このシンプルな一言に、とてもたくさんのものがつまっている。大きな世界を私に見せてくれる。そして、私を打ちのめす。これほどに愛せるものに出会わせてくれた神さまに感謝をしてもしきれない。スピッツに出逢えたことは、私の人生の奇跡だ。そして、彼らの歌に潜む魔法に気づけたことは喜びだ。私の中の深く深く、暗くて冷たくておぞましくて閉ざしている自分でも気づいていない扉を、彼らの歌はノックしてくる。その響きを聞いた私は、閉ざしていた扉の存在を知る。知ることは、可能性を広げること。その扉をひらくチャンスを与えること。そうして、この10数年、彼らの歌とともに、私は自分の扉をたくさんひらいてきた。自分の扉の中でうずくまって泣いている小さな私に手を差し伸べ、抱きしめ、キスをして、髪を撫でた。扉をひらくたび、小さな私は喜びとともに、私の中に溶けてゆく。その度、私は美を知り、強く、やさしくなってゆく。まだまだひらくべき扉がある。今の私は、素敵な仲間たちと、愛する歌と一緒にいるよ。これから、どんどんひらいて、ただのシンプルな私になってゆく。いつも、いつも、ほんとうにありがとう。
2011.06.06
コメント(0)
2005年3月14日 11:34愛という言葉を使わずに 愛を表現すること。光という言葉を使わずに 光を表現すること。すべてという言葉を使わずに すべてを表現すること。ほんとうの詩人は、私たちが日常につかっている同じ文字を使ってそれを成し遂げる。私はまだそこに到達していない。試みすらしていない。行間に、にじみ出るような光を望んでいる。 それには、この指先からこぼれるほどの光を放ちつづける人になることだ。喜びに満ちあふれた生を、この瞬間を奇跡のように、美の中を生きよう。
2011.06.06
コメント(0)
2005年3月14日 8:02 鏡を見て思う。愛しているか? 愛しているよ。太陽にあいさつをして、いろいろとメモを書き、ゴミを捨てにゆく。大仕事(笑)わたしが自分自身やスピリットと対話をする方法は、文字を書くこと。内にはいるために、ペンを取る。それが、歩くこと。内側を旅すること。この間の想いはすべてノートに書いている。それをmacに打ち込み、mixiに貼りつける。そんな手間暇のかかった日記。けれど直接mixiに書き込んだのでは、きっと自分との対話が薄れてしまう。 大切なことは手で書く。それは私が自分自身に命じられていること。口の中が気持ち悪い。身体が毒素を全部だそうとしているから、唾も痰も黄色い。尿も濁っている。歯磨きをして、うがいをする。水を口に含んで、その味を楽しむ。素敵。奇麗な味。おいしい。 生まれてからはじめての、水を飲まない生活。水のありがたさを細胞のすべてで味わう生活。 しばしの間しあわせにひたり、吐き出す。 11:34お腹が減ってきた。久々の空腹感だ。でも、これもマインドの仕業だと、私は知っている。私は地球の愛情とともに生きるよ。太陽にPOWERをもらうためにベランダに出る。「さむいよー」といいながら、強い風に身をまかせる。ほんの一瞬で、充電できてお手軽。もうお腹は空いてない。ちゃんと光合成できたみたいだよ。おもしろいね。
2011.06.05
コメント(0)
2005年3月14日 光合成(水断ち食断ち生活)5日目 いろんなことがわかってきたよ。私が今まで、欲してても食べなかったものたちは、やっぱり頭で止めていたものなんだよね。インスタントコーヒーや、甘いもの。確かに、身体にはよくない。でも、こころではなく頭で止めているところに無理がある。ほんとうに必要ないと、こころ・からだ・頭・スピリットが感じたなら、欲しなくなるはず。頭で生きるのは、もうヤメだ!断食生活5日目。絶好調☆おひさまがより一層愛おしいです。私がいま試しているのは、21日間のことだけではなくこの先一生、ものを食べなくても生きてゆけるのではないか?という試みなの。ものを食べなくても生きてゆけるようになれば世界は、変わる。私はその可能性にかけている。人類が、争うことなく幸せに生きてゆける方法を模索しているの。飢餓もなく、飽食もなく。穀物のために広大な大地が砂漠化してゆくこともない。農薬や化学肥料で、大地が汚染されてゆくこともない。食糧確保のための国家間のパワーバランスが生じない。輸送、保存などのための化石燃料の消費、それに関わる戦争がなくなる。そんな世界。人が、シンプルに人を信頼して、信用と愛でビジネスが成り立ってゆく世界。この「食べない人生」について知るまではね、そんな世界を創造することは、夢のまた夢だった。けれど、私は可能性を見たの。夢を実現することができるかも知れないという、大きな夢を見た。そんな大きなことでなくとも、私のハッピーのためでもあるけれどね。まあ、この日々を楽しみますよ。
2011.06.05
コメント(0)
2005年3月13日 22:07毎日、息子とのラブラブ生活を日記に書いています。どうしてこんなにも息子のことを書いているかというとこんな風にこの子を愛せるようになったのは、とっても最近のことだからなの。こういう日記を書くことで、子供と自分自身を大切にする練習をしているのです。私は、ずっと息子をうまく愛することができなかった。それは、自分が愛される、愛するということを知らなかったからなのね、きっと。天流川がうれしい顔をするのが恐かった。私のことを好きになるのが、恐かったの。たとえば、天流川は卵が大好物。目玉焼き、卵焼き、ゆで卵、卵がたっぷり入った雑炊、卵スープ。それをつくってあげれば素直に大喜びする子。でも、私はそれが恐かった。天流川が喜んで、私に「おかあさん、ありがとう」って言うのが恐かったの。だから、ずっと卵料理をつくれなかった。変でしょ。とっても病んでいるでしょ。でも、ほんとうに私はそんな母親だった。こんなことじゃいけない。私は、この子のことをもっとこころの底から自由に愛したい。そう思って、自分の心を癒すことにした。それが2000年。自分のこころの中を覗いてみると、おぞましいヘドロだらけだった。表向きは、いつもいい顔をして音楽や祭りによって世界を変えたいと願って環境、人権、平和の運動に関わっていた。これじゃいけない、もっともっと自分自身と向き合おうほんとうに大切なものを大切にできる自分になろう。やっとそう思えたときにね私の第3の人生が、そこからはじまったんだ。第一の人生は、少女時代。第二の人生は、17才で家を出てから沖縄に渡り子供を産むまで。第三の人生は、2000年に自分自身を見つめなおすことからはじまった。今日、強く思ったの。いまの関係はとってもいい。でも、これまでのことをちゃんと清算したい。彼を愛すれば愛するほど、そのことが気にかかっている。たくさん抱きしめて、ごめんねって何度もいってきた。その度に、天流川は言う。「なにいってるの? おかあさん 天流川はなにも気にしてないし、怒ってもないし。 おかあさんのところに生まれて来れてよかったって思ってるんだよ。 こんなにお料理上手なお母さんですごくよかったんだよ」ほんとうに今の天流川はそう思ってくれているんだろうか。幼かった頃の天流川は?私にできることは、こころの底からこの少年を慈しむことだけ。そのために、自分のこころを美しくしたいと思う。私を駆り立てているのは、そういうことでもある。もっと、こころの中を覗いてみよう。もっと自分自身と向かいあおう。与えられた、この機会に。そして、すべてを許して、癒して、ただただ愛のかたまりになりたいと願う。ありがとうございます。
2011.06.05
コメント(0)
2005年3月13日 水断ち食断ち4日目 8時50分 鏡を見る。顔がいつもと違っている。自分で言うのはなんですが、セクシーな感じだよ。目が輝いているし、きれい、若返った感じ。これ、自己申告なので、程度のほどはわからんけど(笑)確実に顔が痩せているので、目が大きくなっている。減量のために、コレをやっているわけではない。でも、結果として、身が引き締まってゆく。私のコンプレックスは、丸い顔と肉の付いた身体だったので、それを落とせるのはいいことだ。すごくい天気で気持ちがいい。全身に太陽の光を浴びて、鋭気をもらう。ありがとうございます。もうとっくに準備はできていたんだよね。私が知らなかっただけで。それを宇宙は、全力で教えてくれたの。ありがとう。いつも見守っていてくれてありがとう。太陽の光を浴びて、とってもしあわせだよ。今日は、あるくと鶴見緑地でデート。焼きおにぎり、小松菜炒め、卵焼き、ソーセージ、りんご子供ちゃんメニューのお弁当をつくって、お出かけ。と思いきや、吹雪いてるよー・・・。でも、雪がやめばポカポカ天気。どうしようか?天流川王子は、ピクニック気分なので、「お弁当だけでも食べにいくー」と。友だちと鶴見緑地で合流。駅前で焼き芋を買う。「食べないの?」と延々いじめられるが、耐える。別に我慢しているわけじゃないんだけどね。今は、食べる必要がないだけで。うれしそうに、おいしそうに焼き芋をほおばる王子。それを見て、私も美味しさと喜びを感じる。元気に野山を駆け回るふたり。私は、大きな樹にもたれて、太陽と遊ぶ。気持ちいいなぁ。冬枯れの木々に射し込む光。美しい。愛してやまない日本の野の風景。目をつぶりしばし瞑想。が、元気な王子が駆け寄ってくる。それもまたヨシだね。「生き生き地球館」なるものに入り、地球環境のアトラクションを楽しむ。王子のチョイスで、水質汚染と空気汚染のコースを見る。考えさせられますな・・・ 王子もいろいろと考えていた様子。家に帰ってお風呂に入っていると、「おいらには、なにができるんだろうか」突然、天流川が言い出した。「なにが?」「今日見た、地球のことに関して。 最後に、ひとりひとりができることは小さくても、 実はそれが大切だっていってたでしょ。 おかあさん、おいらにはなにができる?」ちゃんと生きてる人だなぁ。しみじみ。きちんとキャッチしてくれている。ふたりで、その方法についていろいろと話しあった。どうか、息子よ。そのまんま育っておくれ。
2011.06.04
コメント(0)
2005年3月12日 22:03 お風呂から上がり、化粧水を顔につけて服を着る。お風呂はすごい。メチャ元気になるね。昼にシャワーに入ったときにふと思った。「あ、今力が漲ってる!」って。この前の力のなさげな私とはちと違う。これが風呂の力かぁ。自然の美とは、どういうものだろうか? 足のむだ毛を処理しながら考えたよ。ツルツルの方が触ってて気持ちいい。まゆ毛だって、抜いて整えているよ。そのままだったら、変なカタチだし。化粧もするし。それは自然に反することなのかねぇ?自然の美って、どういうものだろうか。ありのままの美 そんなものは存在するのだろうか?ちょっと考えてみよう。「もっと敬虔にならなくちゃいけないんじゃないかしら?」まゆ毛を抜きながら、考える。人間ぽくて、そんな自分は好きだ。【すべてを明け渡す】って、どういうことなんだろう?今の時点で、結構存在の流れの中に生きているつもり。結構、明け渡して生きているつもり。この“結構”が消えたときが、明け渡せているときなんだろうな。サンチャゴ・コンポステーラの巡礼をしたいと強く願う。ずっと前からの夢なの。でも、現実的なことを考えてしまう。3ヶ月も子供を置いては行けない。一緒に行く手もあるけれど、そんな過酷なことを子供にさせられないし、一緒に行ったら、子供の世話で手一杯で、自分と対話をすることができなくなるんじゃないかとも思う。無理だと思うから、無理なんだろうな・・・でも、いつかその機会は訪れるだろう。待っていよう、そのチャンスを。クリスチャンでもないのに、サンチャゴの道を歩きたいと思う私。変かな?でも、その巡礼の道に身を置いて、自然と調和して、ただ生きるということについて、感じてみたいの。サンチャゴの前にできることがある。それは、空海の足取りを辿ること。空海と日蓮は、私にはとっても深いつながりがある人々。なぜ88カ所をあの場所に張り巡らせたのか、それを自分の身体で感じたい。その封印をいつ解くつもりなのか、知りたい。今、一番したいことは「水を飲む」ことだなあ。我慢はしていないけれど、なくても大丈夫なんだけれど、ゆるされるなら水を飲みたい。あのキレイな香り、甘さ。美しさ。ほんとうに私は、水に生かされていたのだなぁ。こころからそう思う。水という物質は、奇跡のたまものだ。人は水の恩恵がなければ、生きてゆけない。もっと感謝したほうがいい。食べず水も飲まない空気だけを吸って生きているブレサリアンと呼ばれる人々ですら、沐浴をして、そこからpowerをもらっている。人も動物も植物も、水と太陽と風(空気)がなければ生きてはゆけない。もっと、ありがとうを。常にそのことを忘れないでいよう。きれいな水の香り。大好き。甘美な味。美しく喉を癒す水。水を断つことで、水のありがたさが本当にわかったよ。その前は、食を断つことで食のありがたさを知った。声はまだ完璧には出ない。痰がつまる感じ。この際に全部悪いものを出していっているんだろうな。そろそろ身体が冷えてきたので、ベッドに入ろう。おやすみ。
2011.06.04
コメント(0)
森になりたい風に吹かれて、太陽に灼かれ、コンクリートで塗り固められたこの大地を歩くたびに、森になりたいと、そう想う。かつては美しかった、その川を見るたびに、森になりたいと、そう想う。二酸化炭素を吸い込んで、きれいな酸素を吐き出す木々。その根元では、あらゆる生命がいきいきと暮らしている。その葉先には、鳥たちが遊び、歌い踊る。 人として生きながら、木になりたい。 そんなことを思うのは、生への冒涜だろうか。排気ガスやスモッグで汚れた空気を胸一杯に吸い込んで、肺で美しく濾過し、せめてシンプルな二酸化炭素にして吐き出したい。この社会が生みだした 汚辱にまみれた複雑に入り組んだ感情を飲み込んで、シンプルなものにして世界に還元したい。怒りや恨みや苦しみや悲しみを、深く深く肺の奥、こころの奥まで取り込んで、次にそれを吐き出すときには、愛や慈しみや優しさとして、この空気の中に送り出したい。やさしくて強い木のような、森のような、そんな人間になれればいいのに。***この光合成のプロセスを経てすべての存在の感じることが理解できれば、その真ん中の道を歩くこともできるかな。なにも傷つけることのない、和合の道を。そういうことが本当にできるのかどうかを、自分の身体で感じてみているところ。2005年3月12日
2011.06.04
コメント(1)
3月12日(朝10時ごろの日記)体力が落ちているのを感じる。身体は熱いけれど、指先、足先は冷たい。元気はいつもほどは、さすがにないね。鏡をのぞく。魂は病んでいないか?炎は燃えているか?私は、生きているか?瞳は生きている。いつも以上に強い意志を宿している。私の目だ。濁っていない。腐っていない。だから、私は大丈夫だといえる。目は魂の窓だ。私の目を信頼しよう。シャワーの後、長い立ちくらみがする。体重計の文字が見えにくい。2.5キロ落ちている。太陽を見続けた後のように目をつぶるとちかちかとする。目を開けると、丸いライトを見続けた後のように、丸の部分が反転して目に飛び込んでくる。洗濯物を干している。目が見えにくいなぁと感じる。少し視力が落ちているみたいだ。もしもこの祈りの期間で、私が失明したとしてもそれが存在の意思なのだと、すべてを明け渡し、受け入れて、流れの中に生きようと思う。私は、この惑星のかけらだから。私がきれいになることが地球がきれいになることだ。あらゆる濁りや、とどこおり、わだかまりを落として、無駄な贅肉を落として、本来の私になろう。書いている、左手が痛いよ。すべての過去を捨てよう。すべての未来を捨てよう。これからは、現在を生きてゆくのだ。気にかかっていた、書類の整理などを始めた。必要ではないものを捨ててゆこう。これからの私の生に必要なものだけを選択する。生活スタイルを変えよう。21日間は、何も不安を抱えずにただ存在とつながることだけを意識しよう。次のことは、その次に考えればいい。生活スタイルを変えるとは、この家を出るということ。たくさんの荷物と過去に囲まれた快適な生活。もう、それは終わりだよ。シンプルな荷物と、心を持って生きてゆこう。これは、自分のことを本当に好きになるためのステップ。まだまだ私は自分のことを愛せてない。自分が生きていることを、許せてない自分がいる。ただ存在しているだけですばらしいのだよってちゃんと私に教えてあげたい。それは私が自分を許すことでしか抜けてゆけない。どんなにたくさんの人に愛されても、どんなにほめてもらっても、自分が自分を愛することができなければその言葉や思いや愛を本当の意味では受け入れることができない。人の思いを踏みにじるだけの人では、もういたくないの。もっと、自分を、春名尚子という人間を好きになりたい。そして息子の天流川や、たくさんの人を魂丸ごと愛したいとそう思う。それが、今の最大の欲望だ。
2011.06.04
コメント(0)
3月12日昨日、気づいた。 3月10日の深夜0時にはじめて21日間3月31日の深夜0時にこの日々があける。ほんとうの偶然。でも、ほんとに存在の流れにあるようで ちょっぴり怖い。でも、うれしい。 『忘飲忘食』をはじめたのには、いろんな理由がある。一番深い思いは、わたしの身体を浄化することで地球を浄化したいという想い。突飛な発想だね。でも、わたしは本気なの。「すべてはひとつ」そんな概念がある。ほんとうに「すべてがひとつ」でわたしとあなたが、わたしと地球がひとつなら。すべては関わり合い、連動しあっている。それならばわたしが変わることで世界も変わる? のかな?2005年1月14日あるショッキングなメッセージを受け取った。「3月30日 誤差は前後3日 滋賀か岐阜を震源としたおおきな地震が起こります。 もし、起きるとすれば阪神・淡路大震災規模の」 それは信頼する友人がダウジングで降ろしてきたもの。彼と名古屋で会う予定の日、大阪を出発したわたしはすべての電車に乗り遅れどうしてもたどり着けなくて午前中に会う予定が夕方になった。わたしを待っている間彼は東海地震についての質問をした。その流れの中で出てきたのがその予言。「なに? どうして」「でも、それを防ぐ方法を教えてもらったのです」「どうすればいいの?」「この地震は、 地球が地震を起こして水を振動させて 汚れきった琵琶湖を浄化するために起こすのだそうです」「琵琶湖の水・・・」関西に住んでいるわたしには馴染みある湖・琵琶湖。年々、この湖の水質汚染は深刻になってきている。「水を浄化するために、地震を起こすのだから 水がきれいになってしまえば、 地震を起こす必要がなくなります。 3月末までに琵琶湖の水を 僕ら人間がきれいにしてしまえばいい。 このことをあなたに伝えるようにと言われました」わたしは、そのメッセージを受け取ってできる限りのことをしようと決意をした。水の浄化どうすればいいのだろう・・・わたしは毎年1月17日に祈りをしている。湾岸戦争が起きた日、阪神・淡路大震災が起きた日。そして、わたしが第2の人生を歩き出した日でもある。その前後に東京にいたわたしは親友のカズに呼びかけて、一緒に出かけることにした。カズは日蓮宗のお寺の息子。いずれはお寺を継ぐ人で、いまは修行中の身。千葉の日蓮聖人ゆかりの清澄寺へ訪れた。千葉の祈りで、琵琶湖の水の浄化を祈願して お神酒に祈りを入れてきた。 『忘飲忘食』をはじめる直前の3月9日わたしが琵琶湖に行ってきたのはそれをするため。3月9日は、サンキューの日あはは、だじゃれだ♪とにかく琵琶湖に「ありがとう」って言いたかったの。北海道新千歳空港から伊丹空港に降りたってその足で、琵琶湖に向かった。お祈りをして、水にありがとうを言って、歌をうたって、お神酒を琵琶湖に入れてきた。 その夜からはじまったのが、この『忘飲忘食』 それが明けるのが、 地震が起きるかもしれないといわれている日だなんて。 わたしの意図していないところで、いろんなことは結ばれているのかもしれないね。絶対に、止めたい。 もう、気づきのための痛みはいらないの。 ただ地震が起きないで欲しいということではなくてわたしたちが汚してしまった琵琶湖の水、地球の水をきれいにしたい。大切なことは「水への感謝」水に生かされているということを実感して欲しくてあらゆるところで呼びかけをはじめた。恐怖を呼び起こしてしまうといけないので「地震」というキーワードはださずに。お風呂の水、洗濯の水、キッチンの水、トイレの水排水口から流れてゆく水に意識を向けて欲しいと。汚れを垂れ流すのはやめて欲しいと。直接的な水の浄化アクションも起こしつつ、わたしは、ちいさな地球であるこの身体を食を断つことで浄化することにした。わたしが地球であることを実感する。わたしが宇宙であることを実感する。わたしがありんこであることを実感する。みんなとひとつであることを感じながら地球やみんなと一緒に楽しく生きてゆきたい。そう思える今、わたしはほんとうのしあわせをつかみはじめている。こんな感じの3日目。 いま、とっても幸せなわたし♪ ありがとう☆
2011.06.04
コメント(0)
3月10日の0時から始まった『忘飲忘食』大阪に住んでいたわたしは、2月末から東京と北海道に行っていた。9日は千歳空港から伊丹空港へ飛び、そのまま琵琶湖へ。すべての予定を終えて、家に帰る。おじいちゃんのところにいっていた息子の天流川・あるくと久々のご対面。といっても、寝顔なんだけれど。すやすや眠る息子のかわいさにとろける。夜、おいしそうにご飯を食べる王子を見てほへーっと、ほやーっとしあわせに浸る。自分は食べなくても、飲まなくても、子どものご飯をつくらなくちゃいけないのが母親ってもの。10日ぶりに気合いと愛情を入れて晩ご飯をつくる。うれしそうにごはんを食べる王子。かわいいなあ。「断食するから、いっしょにご飯食べれなくて ごめんね」「また? それはいいけどさ。 無理しないでね。 つらくなったら、ちゃんと食べるんだよ」との言葉を王子からいただく。幸せな母でござる。初日は、なんの苦痛もなくあっさりと過ぎてゆく。疲れの方が、渇きや餓えにまさってあっさり就寝。3月11日 2日目も絶好調。友達に誘われて映画を観る。「お茶もご飯もお酒もできなくて申し訳ないんだけど」「いや、いいんだけど、ちょっと食べていい?」友達は、となりでポップコーン&コーラ。わたしはスクリーンに夢中☆普通の断食では3日目までが苦しいものだけど今回は「へ? なんすか? これは?」ってくらいに、ちっとも苦しくない。全然我慢じゃないし、耐えてるわけでもない。準備ができていたというのは、このことだろうか?のどもぜんぜん乾かないの。一滴もお水を飲んでいないのに、不思議だよね。おひさまや風や空気やいろんなものからpowerをもらっている感じだよ。ちっとも、つらくないし、空腹感もないの。すでにかみさまの愛の中に在ったということ、自分が気づいてなかっただけなのかもなぁとおもう。必要なものと、必要ではないもの、きっちり自分の中でわかりはじめている。大切なものだけを、ちゃんと見つめて生きて行くことができたら、きっと本当のしあわせの中にいられるんだろうね。それを、学びはじめている感覚だよ。新千歳空港の書店でパウロ・コエーリョの「11分間」を買った。 売春婦マリーアの物語。 「愛」を封印しながら男性と体を重ねながらも、 深いところで本当の「愛」を求めつづけている 彼女の日記が胸を打つ。 ☆ これまでの一生、私は愛というのを、 双方が合意の上で一種の奴隷になることだと 理解してきた。 でもそれは嘘だ。 自由というものは、愛があるときにのみ 存在できるのだから。 自分を全面的に手放せる人、 自分を自由だと感じる人こそが、 一番たくさん愛することができる。 そして、一番たくさん愛する人は、 自分を自由と感じるのだ。 本当の自由の経験とはこういうことだ--- この世で一番大事なものを 所有することなく、抱きとめること。 パウロ・コエーリョ「11分間」より愛することの真髄を知りたい。 そう願う。 また、明日ね。 いつの瞬間も、幸せでいてください。
2011.06.04
コメント(0)
さて。いよいよはじめてしまうとしよう。セキララに内側を描いてみよう。この『光合成日記☆』は、2005年3月10日からはじめた、わたしの日常生活を営みながらの『忘飲忘食』(断食)を綴ってゆくもの。光合成ってなに?それは、緑色植物が光のエネルギーをつかって行う炭酸同化作用のこと。植物は太陽の光と大地からの栄養と水で、必要な栄養素を自分で創り出す。緑色をしていない普通の人間のわたし。もしも、わたしが食べることをやめたら、太陽の光をもらって、なにを生み出すことができるだろう?これまで経験したことのない、あたらしいなにかをつかむことができるかもしれない。そしてわたしは、はじめてしまった。21日間の『忘飲忘食』のはじまり☆2005年3月10日 0:00はじめの7日間は水も飲まない残りは一切食べ物を口にしない日々。断食というとどうも我慢の匂いがしたり、無茶な修行くさいので、友達の温さんのネーミング『忘飲忘食』というのを使うことにする。わたしがやりたいのは、食べ物をとらずに、光を栄養素として生きることのチャレンジ。人間は食べ物をとらなくても、生きて行けるという考え方がある。たとえば、普段はほとんどなにも食べずに生きている女性がいる。『リヴィング・オン・ライト』?あなたもプラーナで生きられる?(ジャスムヒーン著/埴原由美訳 ナチュラルスピリット刊)この本に出会う前からずっと、断食をしなさいというメッセージがやってきていた。メッセージって? ってね。話しに入る前に説明をしておかなければならないのが、わたしがある意味コンプレックスとして抱えてきたこと。神さまとでも、存在とでも、宇宙でも、なんでも呼び方はいいのだけれど、わたしには「声」が聞こえたり、ヴィジョンが見えたりする。17歳の時に、「声」が導くままに生きてゆくことを決めて以来、ずっと「声」はわたしに語りかけてくる。チャネリングとか、イタコとか、かみんちゅとか・・・人に聞かれると「巫女です」と、答えることに、最近した。それまでは、こんなことは絶対に内緒だった。けれど、「声」は誰にでも、あなたにもいまも話しかけている。それが聞こえる人と聞こえない人の違いは、聞く耳を持っているか、持っていないかの違いでしかない。だからわたしは、自分がおかしな人間だとか、特殊な才能を持っていると思うことをやめにしたの。その「声」が2005年の2月以降、ずっと言いつづける。「断食をしなさい」と。それも、長期の!「水も飲まない断食なんてできるわけないじゃん!! 」と、ずっと「声」の言うことを拒否していた。けれど、この本に出会って、すこしほっとした。「あ、ほんとにこうして生きているひとがいるのね」この本の著者はプラーナを取り入れて生きると言っている。わたしは、光合成して生きてゆくつもり。植物であり動物であり、そして人。そういう和合した存在になれるとすれば、ほんとうに素敵☆すべての存在の感じることが理解できれば、その真ん中の道を歩くこともできるかな?なにも傷つけることなく、すべての気持ちを理解して、バランスの崩れてしまった世界を、調和へと導く和合の道を見つけることができるかな?ほんとうにできるのならば、わたしはそれを探したい。その方法を見つけることができたならきっとわたしは自分が生まれてきたことを誇りに思えるでしょう。わたしを愛してくれている人々。どうか、やめろといわないで。わたしを信頼して。体感したすべてを書き記したい。心配をかけないように表現をセーブしたらわたしのやっていることの意味が薄れてしまうから。お願いです。プロセスを見守ってください。いつも、ありがとう。愛と尊敬ともに。春名尚子
2011.06.04
コメント(0)
2008年06月24日 mixi日記よりこころの底からの震えがおさえられないほどの感動や興奮さえあればひとは人を傷つけることなく生きてゆける。きっと、そうなんだと思う。だから、わたしは祭りを創ってきた。平和であることは戦争がないこと なんかじゃない。平和であることは 穏やかに生きることでもない。平和であることは もっとも創造的でエキサイティングな生き方だ。この地球に存在しているテクノロジーは、地球を破壊することに使うこともできる。ひとを殺すことに使うこともできる。けれど、地球を再生することに使うこともできる。ひとを生かすことに使うこともできる。すでにあるテクノロジーを否定するのではなく存在するものごとを否定するのではなくいま求められているのは、それを使うわたしたちのこころが成長することなのだ。わたしたちには、選ぶことができる。この手を、この力を、破壊に使うか、創造に使うかを。すべては、このこころからはじまっているから。
2011.06.03
コメント(0)
2006.8.24mixi日記より「しずく。」ってやつを書き上げてたいせつなひとたちにみてもらったらわたし、すごく楽になった。これまで、秘めてきた核となる想い。わたしはほんとに狂ってるんじゃないか?そう、想いつづけてきたんだよ。ずっとね、わたしは。普通じゃない自分にずっとコンプレックスを抱えてた。普通が、どういうことか、わかりもしないのにね。きちがいだと、思われるのがやで、ずっと秘めてきたことを全部さらしちゃったら、楽になった。理解されようと、理解されるであろう行動、言動だけをしてきたけどもういいや。ほんとのわたしで生きていこうと思ったら、ほんとに楽になってしまった☆ありがとう。いつも支えてくれるみなさま。「しずく。」の想いを素直にちゃんと隠すことなく表現し続けていきます。それが、新月の決意だなあ。わたしの今生のテーマは「ゆるす」だったということに最近気がつきました。毎日「ゆるす」について考え、感じています。毎日、その時々の気づき、覚醒が起きてます。細胞全部で、ゆるすことの大切さを理解しているみたい。いままで、言葉で伝えていたのに、頭では解ってたのに。わたしが生まれてきたことを、ゆるせたよ。家族のことを、ゆるせたよ。世界をこんな風にした存在を、ゆるせたよ。そのほか、いろんなことをゆるせたよ。ゆるすことで、怒りがとけて、自由になれる。ゆるすことは自分で創っていた呪縛を自分で解くことなのね。深く深く「赦す」ことができたときわたしの世界が、ぱーんとひらけていきました。わたしの身に降りかかる、ありとあらゆることはわたしが「ゆるす」ことを体感するために与えられた愛を味わうためのきっかけにすぎないのかなあ。自由になったとき、そのことをやっと知ったの。もしもね、世界中の人が抱えている「ゆるせないこと」をひとつずつでも「ゆるす」ことができればきっと、世界は、もっと、あたたかくなるよね。赦す、許す人類がそれを真剣に取り組んでゆけば戦争もテロも紛争もケンカもなくなってゆくね。そういうことを伝えたくて物語を書いていたのだなあ。いまさら気がついた。それに気がついたら伝えたいことがシンプルになって深みを増した。思うままに、言葉を自由自在に遊んであなたへの愛文を書きつづけてゆけると思うの。だから、もうちょっと、待っていてね。あなたへのギフトは、もう少しでこの世界に姿を現すことができるから。にゃん☆らぶ♪
2011.06.03
コメント(0)
今年は異常気象になると思います。米どころも震災でただならぬ被害を受けています。それ以外のところも今年はいままでのように収穫できないかも知れません。せめて家族の一年分の米を備蓄することをお薦めします。籾で買って食べる時に精米するのがベストですから籾から精米できる精米所があるか調べましょう。籾から精米が無理なら、玄米を。いも豆類乾物も大切です。ほんきで言ってるからね。のほほんとしていたら餓死者が出ますよ。1993年の米騒動、思い出してください。今度は何年異常気象が続くかわかりません。アイスランドの火山の噴火も気象に多大な影響を与えます。世界的にも食糧難になることが予想されます。これだけの放射能で海洋汚染をしてしまったら日本に作物を輸出してくれるかどうかもわかりません。どうか備蓄を。
2011.05.29
コメント(0)
やっとかたちにすることができました。わたしは、あなたにこのことを伝えたくてこれまで長い旅をしてきました。あなたに思い出して欲しくて。「Imagine すべての創造主へ」もしも世界を 創造するなら どんな世界を 創造しますか想いを形に する力が あるならば想像してみて 瞳とじて 身体の中に 地球があると こころに描いた 想いが星を回しているそれは 世界を 閉ざしている扉 開いてだから 生み出せる 夢に見た世界をひとは想いを カタチにする生き物 描いた夢は 叶うこころの中から あきらめを 捨てたときだから、夢をみよう 夢では終わらせない夢を 描こうだから、生み出せる 必ず 夢に見た世界をそれが 世界が 隠してきた秘密 開いてだから 生み出せる 夢に見た世界を 想いは 必ず 今日を変える
2011.05.24
コメント(0)
宇宙でいちばん好きなお店東京・青梅にひっそりと存在した伝説の珈琲店「ねじまき雲」はじめて「ねじまき雲」の珈琲を飲んだ時、「わたし、なにやってたんだろう・・・」って思った。もちろん妥協した生き方なんてしてないけれどそれでも、えりを正された。しあわせなおおきなため息とともにあたらしい自分を見つけることができたんだ。ねじくんの珈琲をいただいて生まれたうた。わたしの愛する青梅の風景とともに「ねじまき雲」をyoutubeにアップしました。「ねじまき雲」 写真は全部青梅のもの。写真を選別していて、涙がにじんでしょうがなかった。わたしはいつの間にかこんなにも青梅が好きだったんだな。青梅を離れなければならないきっかけを作った東京電力が憎いです。でも、その前に原発を止められなかった自分がふがいない。お願いだから目の前のちいさな光を大切にして自分自身を大切にすることがこの世界を大切にすることです。
2011.05.24
コメント(0)
ありがとう。長い間、日記を書かなかったのに、それでも時折見に来てくださっていた方々ありがとうございます。3月14日に地震の影響で東京から宮崎市に転居しました。青梅では自然農寄りの菜園をしていましたが放射線には勝てません。宮崎で家を借りて、畑を借りて、半自給暮らしをしていくつもりです。 *稲が芽を出しました。どのようにして育てるかはまだ未定ですが水につけていた稲を土の入った箱に移し3日。かわいい緑色の芽が出てきました。いのち。うれしい。小松菜は温室に移して栽培をしていたけど昨日突然現れた濃い緑のむいむいに食べられて無惨であります。おいしいんだもんね、しょうがないな。ちょっと考えよう。かぼちゃは、わんさかと芽が出てきて、どんだけ生命力が強いんだと笑えます。ちっさいのは、毎日どんどん言葉をしゃべるようになって面白い。うたが大好きで、よくうたっています。ちょっと日本語っぽくなってきたよ。昨日、一番近い保育園に見学に行きました。行ったらちょうど給食で、「ごはん食べようか」と保母さん。たくさんのちびっことの対面に緊張しながらも、ちっさいのはガッツリ食べました。ちっさいのがごはんを食べている間に園長先生が園内を案内してくれた。みんな大きな声で元気にあいさつしてくれる。本当にめずらしいことなんだけど、テレビに子守りをさせたくないという園長の意向でこちらの園はテレビを置かない方針。その代わりに絵本を読み聞かせたり、紙芝居をするのだそうです。一番気になるのが食べもののこと。園内の調理室で基本手作り。おやつも手作りと既製品半々。うちは高温殺菌の牛乳はのませないようにしているので牛乳の話をしないといけない。「牛乳はどういうものを使っているのですか?」「森永ですよ」「牛乳はこれから放射線の影響が怖いですね」園長の顔が変わった。すこしの沈黙の後、「そうですね」また沈黙。「考えたことがなかったです。遠いことだと思っていました。」「雪印など大手のメーカーは、基準値以下なら混ぜると明言していますよ」「そうなんですか。まさか、こっちまで運んで来るってことはないですよね?」「でも、なにが起きているかわからないです。大手のメーカーは利益が大切なので」すこしの沈黙。「牛乳は、県のメーカーに変えることもできるので、考えてみますね」先生、レスポンス早い。感動。その後、たくさんの話をした。なるべく保育園には行かせずに、自分の手で育てようと思っていたけれどこのひとになら託せると思った。そして、その自由になった時間を世界のために使おうと思った。長男が2歳の時は、沖縄を拠点に平和的な活動や基地問題に関して必死に活動することが巡りめぐって長男やたくさんの子供たちをしあわせにすると思って、長男にさみしい想いをさせてしまっていた。彼が5歳の時に反省して仕事を辞めて、いまのように暮らしはじめたのだけど。その長男も15歳になり、長女が2歳になろうとしている。あれだけ必死になっても基地も原発も止めることが出来ずに、いまこんな状況になっていることを、まず長男に謝った。そして長女に。どちらにも偏ることなくバランスを取りながら、みんなで生きていきたい。それこそが世界とともに歩いていくことになると信じているから。東北だけじゃなくて、関東やその他の地域の人も、どこかに移転をしたいと思う人たちの手伝いができるようにいろいろと動いてみるつもりです。子ども、お母さんに関して疎開受け入れ情報などありましたら、教えてください。よろしくお願いします。
2011.05.13
コメント(0)
いまの気持ちになるべくフォーカスしないようにしてきたんだけど多分、いまの気持ちは、悲しいんだと思う。大きな地震から2ヶ月が過ぎて原発はまだまだ終息のめどがつかない。ひとりのにんげんとして、いま日本で起こっていること、すべてがかなしい。どんな理由があったとしても、かなしい。やっぱり、声をあげることを止めてはいけない。もうこれまでの生活全部捨てて避難して、みんなでつましく生きていこうよ。だめなのかなあ、それじゃあ。逃げないって決めた人は残って、逃げようって思う人は逃げられるようにその場所を離れることが罪だと思わなくていいようにみんなが残ってるんだから、あんただけ逃げるの?とかそんな足引っ張り合いの気持ちは捨ててじゃあみんなで逃げようよ。もちろん、生まれ育って愛着のある場所を離れたくない気持ちは分かる。チェルノブイリの事故後、ここで死ぬと決めた人たちが移住をしないことを決断したことを非難しない。移住しないのなら、それくらいの覚悟を持って、そこにいて欲しいの。そうじゃないのなら、一刻も早く。遠くの癌より、目先の安定。そう思う人はそれでいい。そうじゃないひとを、逃がせる社会を創りたい。
2011.05.12
コメント(0)
わたしにとって、アートとは生きること。生きること とは、地球とともに在ること。地球のまん中からうまれるものが芸術なのです。この惑星に存在するものは、すべて地球の恵みわたしも、地球の恵み。ウランもプルトニウムも。そのgrace を、うけとり味わい表現することが生きることなんだよなあ。わたしたちはすべてがgraceであることを忘れてしまっているfall from grace神の恩寵を失うのではない地球というgraceから目を背けているだけなんだわたしたちは、ね。 *争いをとめるのは、争いではない。破壊をとめるのは、破壊ではない。神などいない。天国なんてない。あるのは地球から生まれでたわたしたちひとりひとりの中の希望の種☆その種を育むこともせずに神を追い求めても天国を追い求めてもそんなものは見つけられるはずがない。すべては、この中に在る。こころの中に眠る種を発芽させることそれこそが偉大なる芸術です。アートとは 生きることだ。
2010.05.28
コメント(0)
夜が明けました。昨日までは、雨が降っていたけど今日は雨が上がっていい天気になるといいな。長い間、停まっていたけれどそろそろ動きはじめますよ。
2010.05.25
コメント(0)
ども。はる☆です。こんどの満月の夜大好きなお店でソロライブをします。プレゼントCDの録音もばっちし☆あとは、自分の調整だけです。はじめてのソロライブなので、ほんとにどきどきしてますでも、お話しするように歌を歌いたいと思っています。普段のままのわたしで、ちいさいお店の中でそれでもお月さまと世界に響くようなうたを。言いたいことなんて、そんなにはない。ただ、この世界は美しいって、ありとあらゆる角度から語りつづけたいだけなんだ。いつも、ありがとうね。 *「満月の音色」 出演:春名尚子日 時:2008年9月15日(月・祝)会 場:ねじまき雲 http://nejimakigumo.bitter.jp/ 青梅市・最寄り駅 青梅線・青梅駅入場料:1500円+1ドリンクオーダー制 *「満月の音色CD」をプレゼントします。開場:18:00 2部構成、入れ替えなし。一部:19:00~ 二部:20:30~ とてもちいさなお店なので、ご予約をよろしくお願いします。●ねじまき雲 tel 0428(85)9228JR青梅線・青梅駅下車、ゆっくり歩いて5分くらいです。青梅街道と旧青梅街道のまじわるT字路、角地の細長い家が「ねじまき雲」です。http://nejimakigumo.bitter.jp/ *【 遊びに来てくださる方へのお願い 】その珈琲屋さんの珈琲は、ひとしずくの魔法です。一杯の珈琲を淹れるのに、とっても時間がかかります。ライブとなると、同じ時間にたくさん人が来るのでもっと長い時間待つことになるかも知れません。それでも、それでも、その空間と、珈琲を楽しむことをよろこびだと想える人だけ、来て下さい。お店の空気、珈琲、その場所とコラボレーションしたいから。そのお店の空気感を変えることなく、いつもの珈琲屋さんで歌いたいと願っています。しあわせな珈琲を、のんびり楽しむよろこびをあなたが、あなた自身にプレゼントする。そんな時間を一緒に過ごすことができるとわたしもしあわせです。
2008.09.12
コメント(0)
7月8日に吉祥寺のマンダラ2にてとってもひさしぶりに「しあわせな惑星」のライブがあるんですよ♪しあわせな惑星http://www.happyplanets.jp/siawase/音源はこっちにもあるよ。http://www.myspace.com/harunanaokoピアノ、尺八・廣樹輝一&うた・春名尚子に加えて今回は、スペシャルな編成です。わたしの尊敬する大好きなみなさんに参加していただきます。マニャンの相馬光さんとミウラ1号さんそして、倍音音楽家の青山雅明さん超豪華☆5名編成ッス。あやしくも美しい世界が見えてきそうです~そして新曲が、やっとこさ本日生まれました。これは聴きに来てくださいね~ ほんとに。7月 8日(火) 18:30/19:30 ¥2000+drink出演:しあわせな惑星+マニャン+青山雅明http://www.mandala.gr.jp/man2.htmlご予約は、わたしの方でも承ります♪どぞ、よろしく。 ☆『腕の中に』わたしはあなたを 抱きしめたい この腕が あなたに届くのなら言葉より深く 想いより強く あなたのこころを くるむように傷ついて もがいて 傷つけることしか 選べなかったこととか明日を捨てることで 今を生きたあのときの悲しみまで わかっているから (未来を捨てないでふたつの腕 ひとにあるのは あなたを抱いて 包むためだよねふたつの腕が あなたにあるのは ひとをやさしく 包むためだからそれだけで大丈夫 ただ それだけで それだけで 生きてゆけるあなたを包む腕は ほら ここにある 出会うこと 恐れないで 尖ったカケラで 岩を刺したら傷ついたのは やわらかな こころわたしはあなたを 抱きしめたい この腕が あなたに届くのなら希望を捨てるのは 花咲くことなく 種をまかずに朽ちゆくこと宇宙(そら)に還る 瞬間(とき) それを知るのは なによりもつらいのだと 今気づけばいいすべてはその腕の中に ある すべては ☆ほんとうに悲しい事件がまいにち山ほどあってとっても切なくなってしまう。わたしたちに与えられた身体は、きっと、ひととしあわせに生きていくためにある。この2本の腕はひとをあやめるためじゃなくてきっと、ひとをしあわせにするためにある。世界中にあふれているたくさんの悲しみよりももっともっとたくさんのよろこびで世界を染めていくためにわたしのこの2本の腕を使いたい。わたしのこの身体でたくさんのよろこびを表現したいなってそういう風に思っています。やさしさの連鎖で世界とつながりあっていたい。8日に、マンダラ2でお会いしましょう~
2008.06.17
コメント(0)
ぎゃ~ はずかちいです。でも、これをみて、コメントを寄せてください!他人のフリで(笑)よろしく。生まれてきてくれてありがとう☆ ある日、運命共同体のあなたのこばっちから電話がきまして。よくよく聞いてみると、「友だちのNHKのテレビ番組のディレクターが、 新番組で詩を読む人を探してるんだけど人がいなくて困ってる」ってことで、ディレクターさんに電話を。よくよく聞いたら投稿番組じゃん・・・しかも、テーマは「恋」む~ 新番組だから、告知できてないので作品が揃わないって・・・どうしようか・・・こばっちの友だちだろ・・・つうことは、俺のともだちみたいなもんだな。ちゅうわけで、撮影して送りました。はずかちー。好評だとスタジオに呼ばれて詩を読むらしいのでどうせやるなら好評な方がいい。気が向いたら投票やコメント入れておいてくださいませ。ふははは~ 誰やこれ。にゃは。 生まれてきてくれてありがとう☆
2008.03.25
コメント(0)
17歳の時に湾岸戦争が起きた。とってもショックだったんだ。だって、戦争は歴史の教科書の中にしかないと思っていたから。「戦争が始まりました」って、テレビを前にして絶句した。その日、わたしの第二の人生がはじまったの。日々、家族から暴力を受けていたわたしは小さな家の中で世界を恨んで生きてたんだ。おにいちゃんを殺すか、わたしが死ぬか、選択肢がそれしかなかった。この瞬間にも簡単に失われるいのちがある。そんな世界って、なんだろう。どうして、暴力をふるう人がいて、暴力をふるわれる人がいるの?そんなこと、もうやめたい。どうせ、自分で閉じようと思っていた人生なんだから戦争を止めるために、世界から暴力がなくなるためにわたしのいのちを使おうって決めたの。そして、その日に家を出た。***10年も沖縄にいたのは、ほんとうの平和を学ぶため。湾岸戦争で闇の仕掛ける争いに気づいてそれを止める鍵を探しつづけた。世界を取り戻すための方法をね。沖縄に渡って、世界は人のこころでできていることを知った。それじゃ、人のこころが変わるにはなにをすればいい?なにが必要なの?答はとっても簡単。そして厳しいものだった。すべてはひとつで、この世界を作っているのはわたしたちのこころの総和だ。それなら、この世界の責任はわたし自身にある。世界が変わることを望むなら、まず自分が変わるしかない。そう、掴んだ。世界から悲しみをなくすために世界から暴力をなくすためにできることは、わたしの中に抱えている悲しみと暴力と向き合うことだった。自分の中の光と闇を解き放とうって封印してきた過去を開け放つために自分自身と再会をした。ひらいて、ひらいて、ひらいて・・・みつめて、みつめて、みつめて・・・脱いで、脱いで、脱いで・・・さらして、さらして、さらして・・・そうして、こういうわたしができあがったの。世界の戦争を終わらせるためには、わたしの中に存在する争いの根っこを抜くしかない。争いの根っこから生まれた花、それが戦争だから。すべては自分の中に在る。すべてを変えることができるのは、わたしだ。すべてはあなたの中に在る。すべてを変えることができるのは、あなただ。愛することも、憎むことも。すべては自分の中に在る。あなたなら、どちらを選びますか? *キリストはひとりだった。ピースメーカーはひとりだった。ジャンヌダルクはひとりだった。仏陀はひとりだった。ほんとうはすべての人がその種を持っている。わたしたちひとりひとりが世界を救う手であり、世界を滅ぼす手である。もうカリスマはいらない。すべての人が個性を発揮すればいい。そうすれば、血の涙が流されることはなくなってゆく。わたしは、選ばない。これ以上の争いを。すべての生命が喜びとともに生きるそんな世界を選択する。生まれてきたのは、喜び生きるためなんだよ。***戦争をこの惑星からなくすためにはたったひとつ認めればいい。自分自身がすべての鍵を握っているということを。わたしは世界のよろこびの鍵を持っている。あなたは世界のよろこびの鍵を持っている。それを、使うことを選択するか、しないか。違いは、それだけだよ。すべてはひとつで、自分自身が宇宙だと認めるだけでいい。そして、すべての役割を手放して、しあわせに生きてください。
2008.03.11
コメント(1)
いままで、mixiでひんぱんに日記を書いていたんですけど、このたび、Myspaceにお引っ越しをすることにしました。Myspaceだと、音源も聴いていただけますので、遊びに来てくださいね~はる☆のMyspaceこの春は、いろんなことが動く予定です。音楽ユニット「しあわせな惑星」も活動再開です~「Trance vision」という新しい技を使ってヒーリングもはじめましたよ~「trance vision」とは、あなたとって、いま必要なヴィジョンをあなた自身がトランスをして視るセッションです。前世・未来・インナーチャイルド・ハイアーセルフにはとどまらず、アカシックレコード、集合意識、神の領域などと呼ばれるあなた自身の中に存在する深い海にアクセスしてその時の、そのひとにとって必要な情報を受け取りにいきます。それを望むだけでさまざななヴィジョンを自由自在に視ることができます。深いこころの領域に閉じこめている宝物を発掘してそれをこれからの日々の中で輝かせていきましょう。施術は、東京を基本に行っていますが、名古屋でも友人のサロンをお借りして施術ができることになりました。これからは月1回程度名古屋に行こうかなって思っています。3月25、26日 名古屋(予定)3月27、28日 大阪(予定)名古屋に行くなら、ついでに大阪も、ということで希望があれば、足を伸ばしたいと思っています~詳細はメールでお答えいたします。Salon de 真理花のブログ
2008.03.07
コメント(0)
わたしにとって、アートとは生きること。生きることは、地球とともに在ること。地球のまん中からうまれるものが芸術なんだ。この惑星に存在するものは、すべて地球の恵みわたしも、地球の恵み。ウランもプルトニウムも。そのgrace を、うけとり味わい表現することが生きることなんだよなあ。すべてがgraceであることを忘れてしまっているfall from grace神の恩寵を失うのではない地球というgraceから目を背けているだけなんだわたしたちは、ね。 *争いをとめるのは、争いではない。破壊をとめるのは、破壊ではない。神などいない。天国なんてない。在るのは、地球から生まれでたわたしたちひとりひとりの中のきらめく希望の種☆その種を育むこともせずに神を追い求めても天国を追い求めてもそんなものは見つけられるはずがない。その種こそが、すべてを内包するもの。すべては、この中に在る。うつくしき種を発芽させることそれこそが偉大なる芸術なのだ。アートとは 生きることだ。
2008.03.06
コメント(0)
全210件 (210件中 1-50件目)