お蕎麦屋さんの隣りに大きな鳥居があったので
その大鳥居をくぐって、しばらく行くと・・・
道路が右にカーブした 左側に
このような看板がありました。
車を停めるスペースもあったので
そこから歩いて、見てみました。
ゆったりした石段の上り口に
このような立て札があり、
昔、孝徳天皇の大化四年(およそ千三百年ほど前)
日照りが続いたので農作物が枯れてしまいそうに
なりました。
困りはてた里の人々は 高根山の中腹に集まり
大きな岩を 神座として、雨乞いを しました。
すると たちまち雨が降って作物が生きかえり
秋には豊年満作となりました。
人々は神の恵みをありがたく思い、社を建て
つつしんで神々を祭りました。それが当社の
はじまりです。
現社殿は昭和五十年に再建されました。
・・・と 書いてありました。
古い石垣です。
俳句が 刻んであります。
ゆるやかな石段を上って行くと、
中段になっていて、ここからは
かなり急な石段になってました。
写真では分かりませんが
かなりの急勾配でした。
奥行きが狭くて、段差があるのです。
りっぱな お社です。
ここで お祈りをしました。
30年前の2月、当時15才だった甥が
この近くの山「矢岳」に登ったまま今も
まだ、行方不明になっています。生きて
いれば8月初めで45才になりました。
甥にとっては「矢岳」に上るのは 二回目。
その「矢岳」はいちばん向こうか、その手前の
山並みの雲のかかっている辺りか? それとも
柱で見えなくなっている辺りか?と思います。
その時の捜索では、秩父の 方々には
たいへんお世話になったことでした。
この日、この神社に来られたことは
何か救われる気持ちになりました。
大化4年とは、西暦648年
大化元年には、中大兄皇子(後の天智天皇)が
歴史の教科書に出てきます。小倉百人一首では
その天智天皇の歌がいちばん古く第一首です。
そんなに古い時代に雨乞いをした神座のある?
奥社が 5分上った所にある?とのこと・・・
次には そこまで行ってみたいと思いました。
小野原稲荷神社については こちら
で
鮮明な写真と解説を載せて下さってます。
【旅のスケッチ】
甲府から 柳沢峠、奥多摩に抜けて帰りました