君ならできる2


新婚時代、家のだんなが私に
よく言ったフレーズ。

アメリカ生活にも慣れ、何でも一人で出来る様になった今は
滅多に言われなくなったけど、
アメリカで右も左も解からない頃はこの言葉で
背中を何度も押された。

そうして私は強く成長していったと思う。

知り合いの中には国際結婚をして20年経つというのに
未だ歯医者の予約もだんな様がしてくれるという方がいたりする。

うらやましい。
何度そう思ったことか。

面倒見の良いだんな様で幸せね、とため息をついた私。
幸か不幸か、私の結婚した相手は面倒見はよくない。

言葉を変えれば、私に何事もチャレンジする事を教えてくれた人。

海外生活で強く生きて行けるように
何でも一人で出きるように
育ててくれた恩師とも呼べるかもしれない。

あの新婚当時の私は本当に出来ない事だらけ。
英語にも自信がなく、対人恐怖症だった。
言葉の壁が一番の大きな原因だったと思う。

電話会社に請求書の苦情電話一つかけるのも、
I CAN’T DO IT.
出来ない。

自動車の保険の更新をするのも、
I CAN’T DO IT! 
出来ない!

電話での英語交渉はいつも逃げごしだった。
電話の向こうで"What?"と聞き返されるのが怖かった。

家のだんなは紙に言うべきことを書き、
まず私に電話をかけさせた。
YOU CAN DO IT! 
出来るよ。

Your English is fine! 
君の英語は大丈夫。
Try! Try! やってみて、やってみて!

そして、おそるおそる電話をかける私!
だんなは紙に書くよりも、
自分で話してしまったほうが楽だったはずだ。
私に生活の知恵を授けたかったのだと思う。

Don’t give up! Try it first!
「諦めるな、とにかく試してみろ!」

これは、だんなの性格そのままだ。
「努力すれば出来ないことはない、頑張れ!」

でもあの時の私はそんなこと思う余裕などはなかった。
泣きながらよく反抗したものだ。

「助けて!私の代わりに電話で話して!」
「英語ペラペラなんでしょう?!」とよく怒っていた。

もしも将来日本に住むことがあれば、
日本語を知らないだんなへの復讐計画まで密かに立てていた私。

その時は
"YOU CAN DO IT!"って言ってやるわよ
なんて密かに想像しては恨んでいた。

その頃は旦那の親心なんて気がついてなかった。
ただの意地悪だと思った。

今はわかる。
旦那のおかげで私は強くなれた。
英語も上達した。
一杯悔しい思いをして上達するように努力した。

今は旦那と同じ、「頑張れば何だって出きる」
と信じられるようになった。



ダイビングの先生のレクチャーがすぐに始まった。
レクチャーが始まると更に震えた。
あの頃の私の英語力では先生の言ってることがよくわからない。
教科書もびっしりと難しい専門用語が並んでいた。

ダイビングギアの取り扱いなどが
絵で説明してある所だけ解ったけど、
全部理解しないと命取りじゃないの?

あの頃の私は一年ほど語学学校に通った程度。
専門用語にはとてもついていけない。

“私には無理、全然本に書いてある事もわからない”
“わからないと命に関わると思う”
大げさに旦那に説明をした。

そう、言われてしばらく考え込むだんな。

「OK いいよ、君にはこれは無理だよね!」

\(^O^)/やっと解ってくれたのね。

スタスタと先生の方へ歩いていくだんな。
そして先生に私の青い教科書を返した。
そして、“さぁ帰ろう”と私の腕を引っ張って言った。

車に乗り込み、ほっと一息ついた私に
だんなが私にこう言った。

「君はラッキーだよ" 先生がね、日本語の本を来週、
君の為に持ってきてくれると言うんだよ。
最初から日本語の本を頼めば良かったね。」

と、上機嫌で私に言った。

( ̄○ ̄;)アウッ 
言葉(英語)が出てない程ショックを受けた私。

そういう問題じゃなくて、実は海がとても怖いんですと、
言いたかったけれど、言葉には出なかった。

そう、
あの頃の私はまだ若くてかわいくて、
今よりもずっと従順だったのだ。

自分の事よりも、彼を幸せな気持ちにする事ばかり
考えていたと思う。

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