全324件 (324件中 1-50件目)
本当にお久しぶりです。実家(母)とは完全に切れました。切れたと思っています。時々どうしているだろう?と思いますが、もちろん怖くて近寄れません。2023年4月父が亡くなってから2年経ちます。○父の四十九日。母は、私たち夫婦に目を向けることさえせず不機嫌な表情で、挨拶さえ無視。一言も発しない塩対応。墓の掃除や花を備えたりの準備を私たち夫婦がしていたのですが(弟は気が付かない)弟に「あら、花。誰が?」と聞き、弟が私たちだと話したけれども無反応。食事の席は、わざわざ別のテーブルに私たちは座るようになっており、当然のように母とは一言の会話もなし。流石におじも(父の弟)びっくりしたのではないかと思います。○初盆。気になり、弟にどうなっているのか聞いたところ、「特にやらない」との返事。びっくりです。しかし、特にないのなら、仕方ありません。夫と二人でお墓を掃除して、花を飾りました。(弟も母も墓参りはしません)秋になったある日、母から恐ろしい声で留守電が入っていました。父の初盆を無視してどういう気なのだ!と。私を責める言葉の数々。母の声を聞くだけで、心が乱れるようになりました。その後も数回電話で責め立てる声が流れましたが、本当にもう無理です。弟とも切れてしまいました。母の思惑通りです。弟とも切れてしまうなんて思ってもいませんでした。弟は東京に転勤したと話していたので住所を教えてもらおうとしたのですが、教えてはくれませんでした。なんなんでしょう?一体?本当は東京に転勤していないんじゃないか?とは勘吉の言葉です。(福岡だと近いので、母がすぐ来れないように東京になったと言っているだけじゃないか?と。)一番決定的になったのは、多分、遺産の問題だと思います。弟は先祖の残した山々を相続しないといけなかったのですが、それをしたくなかった。私に相続して欲しいと言ってきたのです。勘吉は絶対に山をもらっては困ると言うので、私はもらうわけにはいきません。弟に半分でもいいからもらって欲しいと言われたのですが、しなかった。よくドラマなどで、遺産を巡って不仲になる、というのを目にしますが、まさか自分の身に降りかかるとは。このブログでも遺留分のこととかごちゃごちゃ書いていますが、今読み返して、もうそんなのどうでも良い、って思えるようになりました。そんなことを考える時間がもったいない。(でもこう思えるのは、思いっきりごちゃごちゃ考えたから過去があるからだとは思います)弟と切れたことは、本当に寂しい。もちろん、母のことも悲しい。でも、母とさっぱり付き合いがなくなって、自分で言うのもですが、笑うことが多くなったような気がします。もう先も限られつつある(立派な高齢者ですし)今、自分を機嫌よくしていなくては。テレビ(うちにはないのでtverですが)のドラマを見ていても、いわゆる毒親のことが、割と子の立場で理解されている内容だったりで、前ほどイラっとすることもなく。。。そろそろ以前のような「ハッピー」なブログに戻れるかな?と思っています。
2025年05月06日
コメント(0)
伯母が亡くなりました。母の姉です。私は伯母が大好きでした。いつも笑顔で迎えてくれました。優しい声でした。美味しい料理を振る舞ってくれました。私は伯母の家が大好きでした。当然伯母の通夜、葬儀には母が来ます。私と仲の良い従姉妹です。事情を考慮してくれて、みんなが帰った後に時間をずらして伯母とお別れの機会を設けてくれました。伯母は90過ぎていたのにもかかわらず、とても美しいお顔でした。お化粧を施していないと聞き、とても驚きました。笑っているような穏やかなお顔でした。そろそろ帰ろうかと思っていたその時、従姉妹の兄(従兄弟です)が登場。母親とのことを、私に反省するようにという、話が始まったのでした。所詮、毒親のことは、誰に話しても基本的に誰からも理解されない話と思っていますから。この、ほとんど会ったことのない、伯母の長男に説明してもわからないでしょう。毒親ではない、通常の親に育てられた人には到底理解できない話なのは百も承知。伯母のようなあたたかい人に育てられた従兄弟の口から出る御伽話の世界。「ちょっとした言葉の行き違い」「親子なんだから話せばわかる」「年取ってから、そんな関係になるって悲しいね」そうなんだね。私が悪いって話なんですね。年取ってからそんな関係になるって悲しいね、って、あなたが思っている以上に、私は深く傷ついて悲しくて淋しいのですけれど。そんなこと言われなくても。当事者ですから。あなたに言い聞かされなくても。今までどれだけ傷つき悩み過ごしてきたか。そんな、話せばわかる親だったら、こんなことにはなってないのです。従兄弟の考えているようなわがままな子供の私が原因でこうなっているのだったら、とっくに解決できているんです。母が、わがままな子供だから、困っているんです。もちろん、↑このようなことは、従兄弟には話しません。話したとて、従兄弟たちの頭の中では、私がわがままな、親のことを少しも考えない困った子供なのでしょうから。母の悪口を言っているだけと思われるでしょうから。ニコニコして、あいづちだけ打っておきました。いっときも早くこの場から離れたい、願いはそれだけでした。親戚って、人の心に、無遠慮に踏み込んでくるとんでもない集団だということがわかりました。どうして皆さんは、悪口を言っている人の言うことを信じるのでしょうか。もちろん、私も人の悪口を言ったことはあります。でも自分の子供の悪口を人にペラペラしゃべりません。今回もう一つびっくりしたことがありました。別の従兄弟(母の弟の子供)が、母の家に通っているらしいのです。母の悪口の聞き役になっているようです。当然私は悪者です。どうやら通夜は、母の独演会(毒演会)だったようです。私は、親戚とももう会いたくない、と思いました。考えてみれば、そもそも同じ血の流れる集まりですね、親戚は。
2024年01月27日
コメント(0)
こんばんは。本当に暗い、「何が今日もハッピーだ!ブログ」と化しています。お久しぶりです。春、父が死亡しました。そのあたりのことはいつかまた。ものすごく色々あって、書ききれません。まず、遺留分について。母は、何年も前から遺留分対策を講じていました。(多分15年くらい前から)と、言いますのは、見かけ上、父の財産は土地以外、全くない形になっていました。そもそも、遺産分割の話し合いなど全くありませんでした。父が死んだ途端、あからさまに弟は母よりになりました。私から距離をとるようになりました。父が亡くなるまでは、父の世話などするのは私だったので、必要なところもあったのでしょう。遺産は、母が全て、母の一存で好きにできるように、父に公正証書を作らせていました。(15年前)私は、この公正証書も見せてもらえないので、自分で手続きをしてコピーを手に入れました。残ったのは通帳が一冊だけ、しかも中身は約100万。(弟がいうには。実際には見ていません)ありえません。とにかく、それさえ、引き出すのに私の印鑑など必要なく、母の一存でおろせるようにしてありました。信じられないので、郵貯銀行、その他の銀行、4、5行に書類を提出して調べてもらいました。そもそも現存する通帳がないと、無理です、(解約した過去の通帳まではわからない)と言われました。毎月分として現役世代が働いて家族を養っている収入と同じくらいの年金をゲットしていた父。老夫婦二人なのに、それだけあれば十分だったはず。足りないことは考えられないから、貯金は崩さずに済んだはず。さらにほっといても入る収入だってある。施設に入っていた期間はわずか。その費用は年金で十分賄えたはず。祖先から伝わる土地がある事業に引っかかり、多額の補償金を得ていたはず。なんで?100万円なの?本当に100万円なの?そもそもそんな馬鹿な話が信じられずに、乗りかかった船?でとことん調べてみようと思いました。唯一の通帳の過去10年分のデータだけはゲットできました。1ヶ月に300万円おろしたり、毎日50万円ずつおろしたり。そんな記載が随所にありました。何かに使ったのかもしれませんが、これは、母の通帳に移し替えているようにしか見えません。(あるいは、タンス預金?)でも何の証拠もありません。公正証書には、全ての通帳などのお金系は母に、と記載されていたのに。そこまでやりますか?どう考えても、遺留分を請求された時の対策としか思えません。だからと言って、土地をお金に換算して遺留分請求しても、多分それだけだと、父が私にくれると言っていた唯一の、この土地の価格ぐらいでしょうから。本当は遺産がいくらあるのか?わからないのに、遺留分請求も何も、しかも今では父の遺産としてではなく、母のお金に変身している可能性大。(ここに来て弟登場。実は母は、弟に全財産を管理してもらっているとか。)いつの間にか。知らなかった。そもそも本当に全部使っているかもしれませんそれならそれで、浪費が尋常ではありません。やられました。恐るべし。母。(あるいは弟)見事な遺留分対策。父がポツッと言っていた言葉「だまされた」は、母のことでしょう。なんとも寂しい死を前にした父の言葉です。が、父は結構自由に楽しく、やりたいことをやって生きられて幸せだったはずです。母の暴君ぶりに、ついにアラカンにて反旗を翻して、(よく半世紀以上我慢した!)(いつも優しくすると「お金が欲しいのかい?あげないよ」と陰湿に言っていた母)(そこまでひどいことを言うのなら、本気でお金いただこうか?と言う気持ちになっていった私)父が死んだら、せめて遺留分(控えめ💦)をゲット!して長年にわたり受けた屈辱をはらそう!と思っていた私でしたが、無惨にも敗れたりです。そして、今頃になって、仲間、同志だと思っていた弟の謀反に気付いたのでした。(でも、今でも私の勘違いであって欲しいと、思いたい、弟を信じたい自分がいる)このような手を使う親がいるので、早くから通帳のチェックをしたいところですが、残念ながら、死なないと、通帳は見せてもらえません。では、母が亡くなった時に遺留分の請求をすれば良いのでは?と考えても、もしも彼女がタンス預金をしていたら(弟には隠している場所を教えているはずですし)、あるいは、それを全て今度は先に弟の通帳に移していたら、母の遺産としては表に出てきません。このような、不公平を、堂々とやってのける親、なんとかならないのでしょうか?ええ、このドロドロはまだまだ語り尽くせませんが、気分が悪くなりますので、また。ほんの一部のご紹介でした。
2023年08月19日
コメント(0)
お母さん、悪口を言うのはやめてください。時間をかけて、文をしたためたのですが、なぜか全部消えてしまっていましたもう一度、、、○朝、母がわが家の固定電話に電話してくる。私を指名だったが夫が対応。 (私は高血圧で、まさに通院するところだった) 内容 実家に置いてある、わが家に関するものは全て処分するから、いるものは持って帰るように。 ○夫と子供が私の実家へ行く。○母は、私の悪口を夫と子どもに話す。(内容は夫が教えてくれない)○私たちが父母にプレゼントした子供たちの七五三の記念写真など、思い出の品物を全て引き払う。○二人とも、げっそりした様子で帰ってくる。夫は、気分が悪い、と言って落ち込む。お母さん、あなたの話す悪口を聞かされる人が、どれだけ気持ち悪くなるか考えたことはありますか?お願いだから、悪口を言うのをやめてください。それができないのがお母さんだと言うことはわかっています。そして真摯に母のため、と思い、話しても、「親に逆らうのか!」と逆上しかしないのもわかっています。その後、激しい恨みしか持たない、と言うのもわかっています。だから、もう、何も話す気力がなくなりました。お母さん、あなたと会うと、暗い気持ちになるんです。悪口ばかり聞かされるので、ストレスの塊になるんです。だから、会いたくないんです。いつもいつもご機嫌とって愛想笑いするには、娘はもう歳をとりすぎました。自分自身の心身の健康を保つためにも、あなたに会わないことことが一番だと気づきました。
2023年01月29日
コメント(0)
父に会いに入所施設に行きました。コロナの影響でいまだに内部には入れません。ガラスを通しての面会です。父はもともと(と言っても年取ってからですが)目が悪いので私が真っ赤なセーターを着て行ったのですがどこにいるか分からなかったようです。ガラスが光るせいもあるかもしれません。でも体はとても元気で、声も喋りもしっかりしていました。滑舌の良さは、私たち以上。若い頃と全然変わりません。とても92歳とは思えないしっかりした話ぶり。「元気だけが取り柄」と笑って言っていました。私たちの方が先に死ぬかもね、というとうなずいていました。。。これは、本当にそうなるかもしれません。そして、もしも私が、父と母よりも長生きした場合、(普通そうなんですけれど)父が死のうと母が死のうと、特に、父が先だった場合、お葬式以降修羅場になるのは目に見えています。既に、まだ生きているうちから修羅場です。母は、お金が絡むと、(絡まなくても)ものすごく怖い。それを考えると、私は、お葬式には出席するけれど(ああでもそれさえ、何されるかと思うと、怖い)それ以降、特に相続関係は全て弁護士先生にお任せしないと精神的に追い詰められる。。。というか、そもそも財産は、弟に全てやる、と母は言い続けている。。。(証書も作成しているとか)でもそれはおかしい、と最近、とうとう思いはじめました。弟は、遠くにいて、傍観者なのに。お墓だって私が掃除したり、お参りに行っているのに。(弟は、多分行ったことは、ほぼ0)せめて遺留分はいただきたい。と思うようになりました。せめて遺留分をなんて考えてもいなかったのに。同じ子供ですから。。。母は、私をはねのけ、弟だけに愛情を注いできました。母に優しくして頑張って頑張って。疲れました。決して、財産が欲しくて母に優しくしてきたわけではありません。結局どんなに父と母に私が尽くしても、弟第一。心からの愛情は、もらえませんでした。何をやっても「財産が欲しいんだろ」と言われ続けました。もう、本当に、財産だけでもください、と思います。諦めました。(特に母)多分、弟とも、残念な関係になるでしょう。既に残念な関係になりつつあります。お母さん、あなたが全てを壊しました。もちろん、父にも責任があると思います。心をぐちゃぐちゃにされた慰謝料?として、遺留分だけでも請求したいと思うようになりました。(全てを弁護士さんにお願いしたいので、その費用をせっせとなんとかしないと)両親が私よりも長生きした場合は、子どもたちに頑張ってもらわないと。。。ああ、暗い。暗い。暗い。読んでくださった方、ごめんなさい。
2022年10月10日
コメント(0)
お久しぶりです。一昨日、連休初日の23日、従姉妹が帰省しました。と言っても、従姉妹の母(私の母の姉)は、施設に入所しています。もう90歳近い年齢です。前回従姉妹が伯母にあった時は、反応がなかったとのことで、従姉妹はかなり落ち込んでいました。今回、調子には波があるとのことでしたが、良かったようです。穏やかな、優しいお顔でした。そして、温かい、優しさで包んでくれるような愛情深い笑顔を私にもくれました。伯母ちゃんは、この笑顔を、いつもくれていました。(伯母ちゃんの旦那さんも、いつもこの笑顔で迎えてくれていました)そういえば、父方のおじいちゃんもおばあちゃんも、この笑顔を私にくれていました。母は?記憶にある限り、この笑顔を母からもらった覚えがありません。だから私はいつも母と一緒にいる時は、緊張していたのでしょうか。この年齢になって気づいた次第です。歳をとって、綺麗(顔、服装)とか、そんなことより、笑顔がものすごく大切。。。笑顔が美しいのが一番ですね。素顔に優しい笑顔をたたえていた伯母ちゃんは、ものすごく可愛らしくて綺麗でした。
2022年09月25日
コメント(0)
今朝、夢の中で母が私の悪口を私の子ども(こども2)とお嫁さんと、そのこども(孫)の前で言っていました。私は母にわかって欲しくて、一生懸命話しかけ、ボロボロ涙をこぼしていました。目が覚めました。涙がボロボロ流れていました。悲しい朝でした。そしてお昼過ぎ。母に偶然出会いました。夢の中の登場人物と同じでこども2とお嫁さんと孫と一緒でした。小さなガラスの破片のような皮肉を散りばめる母に、私の心はすぐに曇りました。そして夕方。弟が電話をしてきました。弟が、父の年金の振り込み通帳を母から預かることができたのですがそのあたりから、なんとなく?弟との関係もギクシャクしがちになってきたような気がします。実際に父の施設から、いろんなことをお願いされるのは、私。(近いと言う理由で身元引受人)先日も、シェーバーを買ってきてくださいと頼まれました。施設にしょっちゅう迷惑をかけている母ですので、お中元お歳暮などしないと申し訳ないのですが、それを買いに行き、ご挨拶するのも私たち。通帳を持っているのは、弟なのだから、弟がしても良いわけです。(こんなことを考えると悲しくなるのでやめましょう)弟が姉と仲良くするのを嫌っている母の思惑通りになってきたような気がします。考えると、悲しくなるので、もうやめます。今日書いたことは、ここに書いたので、忘れましょう。
2022年05月23日
コメント(0)
母の日ですが、初めて何もしませんでした。毎年、「なんだかんだ言っても、母だから」と、感謝の言葉と品物などを携えて訪問していました。だって、家族だから。でも今年は、できませんでした。以下、つまらないことを書いていますので、どうぞスルーしてください。私の心の中の闇です。独り言ですので。タイトルに独親の日って書くくらい、私も毒が回っているようです。母が弟に言ったという「〇〇ちゃん(弟のこども)に、私の一番大切なもの、指輪をあげる」その言葉が情けなくて。別に物が欲しいわけではありません。(いや、指輪なんてむしろいらない)(母の持ち物が欲しいとは思わない)母のその気持ちが悲しすぎるんです。一番大切なものを、あげる。それは、一番大切な人だから、ですよね。今まで私は、母のことを一番わかっていて一番お世話をしてきたつもりでした。弟は、離れているので、両親のことは、正直、私たちにお任せでした。〇〇ちゃんだって、今まで祖父母宅に来たのは、数えるほどです。弟のことは、子供の頃から、私と全く違って、母は可愛がっていました。弟自身も、自分が可愛がられて、姉の私に母は冷たくしてたと言っていました。(勘違いだとずっと思いたかったのですが。。。)全財産を弟に、と、遺言を作っているのは知っています。今まで、そのことに意を唱えようとは思っていませんでした。が、もう、母の振る舞いに、愛想笑いをするのさえ嫌になってきました。先祖の財産が欲しかったのは、他でもない、母ではないか?と、気がつきました。私は女子だから、あんたに財産はやらない、と母は言っているのに弟の子供(女子)には、一番大切なものをあげる、と言う。(金額的には、指輪なので、問題ないと思っているのかもしれないけれど、気持ちが悲しい)その上、私が買ってもらった晴れ着も勝手に〇〇ちゃんにあげる、と言ったそう。流石に、〇〇ちゃんの方が、「いらない」と言ったそうです。もちろん、私が振袖を着ることはもうないので、〇〇ちゃんにあげても良いです。ただ、私の物なのに、私に聞きもしないで、〇〇ちゃんにあげる、とはいかに。(しかも私がその着物を持っているのに)〇〇ちゃんに振袖をあげるのは、母ではなくて、私ではないでしょうか。両親のそばで何やかやと心を砕いてきたのに、結局何をやってもいくら優しくしても報われない。むしろ、何もしない、人たちに愛想良くする母。別に報われなくてもいいけれど、見返りを求めてもいなかったけれど、せめて「ありがとう」と言う言葉くらい聞きたかった。(「お金がないんよ・・・」じゃなくて。)(「財産が欲しいのか?」じゃなくて。)あたたかい、母の温もり、をもらえたらどんなにうれしかったか。弟の口から聞こえた「〇〇にばばが一番大切な指輪をあげるって言うんだ。」の言葉が私の胸に突き刺さり、「あんたは、生まれた時から、嫌いだったんだよ」と母に言われたような気がして辛い。なお、母が言っているお金がないと言うのは嘘です。(本当にないのなら、もっと仲良くできたかもしれません。)母に、あたたかいものを求めても、無理なのはわかっています。私自身、もっと吹っ切らないといけません。(母が、寂しい思いをしていると思うと、また近寄りそうになってしまいます)(母の日に、何もしない方が辛い、ということもわかりました)独り言なんで。すみません。最後まで読んで下さった方がいらっしゃったら、気分が悪くなったのではないかと。ごめんなさい。
2022年05月08日
コメント(0)
最後に更新してからずいぶん日にちが経ってしまいました。その間、母の行動はますます、炎上???エスカレートしてしまっています。母のことを書くと「今日もハッピー」どころじゃないブログの内容になってしまいます。母のことは、なんとなくソフトに、オブラートに包んで(これでも)書いてきました。母のことを悪く書きたくなかったからです。「私の勘違いだろう」とずっとずっと、子供の頃から、思いたかったのです。母のことを書くのなら、別のブログを作った方が良いのでは?とも思いました。でも、もうここに書こうと思います。ハッピーな記事をお求めの方、申し訳ありません。ハッピーな記事は、2006年頃、子ども小学生が、小学生だった頃の記事をお読みくださいまた、普通の感覚で育ってこられた方も、びっくりされると思うのでどうぞここまでにされて下さい。信じられないと思いますので。そもそも親の悪口なんか書くものじゃないです。(と、いう方も)ここから先は、同じような境遇の方でないと、理解や共感は無理だと思います。読まれた方に不愉快な思いをさせてしまうかもしれません。ご注意くださいませ。これから、しばらく母のこと、嫌なこと、本当のことを書こうと想います。母は、いわゆる毒親だと思います。昨日、映画「母さんがどんなに僕を嫌いでも」を見ました。主人公の友達が、主人公に、「自分から理解を求めよう」みたいな発言(ニュアンス?正確に覚えていません)をした時点で、見るのをやめました。(子が変われば、親も変わるとか。。。)そんな簡単なものじゃありません。その後、気持ちが沈んで眠れなくなりました。そんなに、毒親は甘くないです。私は、もう何年も何十年も母に理解して欲しくて寄り添ってきました。どんなに嫌でも。どんなに嫌でも「親だから」。子供として、それは「当然」だから。母には、親には、精一杯優しく接してきたつもりです。求められない時も、自分から手を差し伸べて。優しく優しく。投げつけられるどんなひどい言葉も我慢して。母のことをわかってあげられるのは、世界中、私しかいないから。母はこんな性格だから、誰からも愛されない、可哀想な人なのだから。本当は良い人なんだから。きっと。母は、きっと私のことを理解してくれる。。。母は、きっと本当は感謝してくれている。。。人に寛容、それは、母が全くやってきていなかったことです。以下、ほんの一例です。おばあちゃんと同居の家を新築しておばあちゃん(私の祖母、父の母)のトイレが臭いと言って怒鳴りつけていました。ご飯の時、おばあちゃんだけ、呼びませんでした。いつもおばあちゃんの悪口を大声で怒鳴っていました。その様子を間近に見て聞いて、辛かったです。母は、じきに祖母を老人ホームに入れました。私はおばあちゃんにとっては、母といるよりむしろ幸せではないかと思いました。老人ホームに面会に行っていたのは、いつも私たち夫婦だけでした。おばあちゃんが、危篤になった時、病院に行ったのも私たち夫婦だけでした。母は、実の母親の悪口もいつも言っていました。小学生だった頃、母方のおばあちゃんがうちを訪ねてきたことがあります。あなたは、大声でおばあちゃんを追い返していました。母から、おばあちゃんの悪口をたくさん聞かされました。おばあちゃんの寂しそうに帰って行く後ろ姿を今でも覚えています。かわいそうでした。悲しかったです。でも、その頃、母にそんなに嫌なことをしたのなら仕方がないのかな?と思っていました。私にとって、母は、本当は優しい良い人でした。おばあちゃんのお葬式に母は出ませんでした。自分の親に、それほど嫌な思いを持っている母が、かわいそうでした。父ともいつも喧嘩をしていました。まだ小さかった頃、家の中で母が父と大喧嘩をしていたことを覚えています。怖かった。悲しくて、ご近所さんの家に逃げ込んだ?こともあったのを覚えています。5歳までの記憶です。その後も、父と母は喧嘩ばかりしていました。そしてついにある年から家の中には一言の会話も無くなりました。家の中は、いつも凍りついていました。一番嫌だったのは食事でした。母が無言で提供する食事。父を呼ぶことはありませんでした。息の詰まる食事。私たちが食事をした後に、父が台所にきて食事をしていました。それが10年以上続きました。とにかく家を出たい、その一心でした。大学は、遠い関東を選びました。就職も東京でしました。でも、地元に帰ってきてしまいました。私は父が大好きだったんです。父がそばにいて欲しい、というようなことを言ったから。家庭が酷かったのは、母のきつい性格のせいで、父は私の理想の人だと思っていました。母も性格がきついけれど、本当は良い人なんだから、、、と思っていました。いえ、思いたかった。きっとそばにいれば、みんなでハッピーになれると思っていました。でも帰ってきたその日から「せっかく大学まで出してやったのに、なんにもならなかった!!!」と母に怒鳴られる毎日でした。「いくらかかったと思うんだ!」とも、何かあることに怒鳴られました。私が夫と結婚したいと言った時、母は、家中のものを私に投げつけました。お相手が平凡なサラリーマンだったからだと思います。母のプライドを満足させる地位ある職業でなかったからです。「女なんて、大学でてもなんにもならない」「いくらかかったと思うんだ!」そして物を投げつけられる。。。繰り返し。。。結婚後には、「あんたみたいなの、よくもらってもらえたね」「所詮、〇〇の女房が。。。」などとバカにされ続けました。そして二言目には「財産が欲しいんかね?」と言われました。何をしても。優しくしても。それでも両親に尽くしてきたと思います。なぜなら、私は母のような大人になりたくなかった。だから、母を拒否せずに、優しく接してきました。どんな理不尽なことをされても。言われても。いやらしい考えを持っているんだろう?と心にもないことを疑われても。親子なんだから、いつかきっとわかってくれると思っていました。でも、アラカンとなり、もう、無理になってきました。後、少しだから・・・とも思う気持ちもあります。確かに、年老いた母のことが心配でないわけはありません。でも、私の気持ちがもう耐えられなくなってきました。どんなに両親のことを心配して尽くしても今、母は、私の悪口を言いふらしています。父がお世話になっている施設のこと、よくしてくださるケアマネさんのこと、全ての感謝しないといけない方々のことまで悪口を言っています。弟には、私と仲良くするなと言っているようです。弟は、地元にいないので、今まで、親のことは一切やってくれていません。(たまに帰って泊まって行くだけ)今まで、兄弟仲良くしてきたと思うのですが「姉ちゃんに駅に車で迎えにきてもらっていることとか、話していることが(母に)バレたら怖いので。」などと言われ、傷ついてしまいました。今、誰も相手にしてくれなくなって、母は、私の夫を電話で呼ぶようになりました。そして、夫に私の悪口を言っているようです。今日はこれくらいにしておきます。では。良い連休をお過ごしください。
2022年04月29日
コメント(0)
朝からオリンピックのフィギアスケートの動画を見ていました。羽生結弦さんの魂のこもった美しいスケートを堪能して鍵山悠真さんの演技にしなやかさと楽しさ(体がすごくやわらかそう)を見て、4年前より断然好印象になられた宇野昌磨さんの逞しさ感じるスケーティング。頂点に立つ人たちの言葉(そもそも凡人の私がえらそうに文章にするなんてごめんなさい)鍵山さんの「初めてなんだから、楽しむ」に、「はっ」とさせられました。「初めてなんだから、ドキドキ」とか「全力で体当たり」とかが凡人の私が考えることですが「初めてなんだから楽しむ」って、すごい! (正確には、「初めてなので、何事も楽しんでいきたいなという気持ちがあるもので」)初めてで、楽しめる ってことがそもそも並みの人ではないけれど。でも、初めて、のことを、楽しむ、っていう気持ちを持つことはできそうなので。お父さまもオリンピアンだったとのことで優真さん自身はお若いけれど、お父さまのオリンピック出場回数も彼の中には蓄積されているんだろう〜な〜と感心したり。宇野昌磨さんのメダル獲得後のインタビューの中で印象に残った言葉は「平常心」「高ぶり過ぎず不安になり過ぎず(平常心のまま滑り切った)」「失敗したくないという後ろ向きな気持ちで臨むのは避けたかった」凡人の私、失敗したくない、なんて、いつも思っているような気がします。反省😆 羽生結弦さんの「報われない努力」には、ちょっとショック。40代後半の頃の私は、そう思っていました。人間には限界がある。人それぞれ向き不向きとかあってどうしてもその人ができないこともある。なんて。(羽生選手から見たら、私のいう努力なんて努力には入らないレベルでしょうけれど。)その目標だった、4回転アクセルは、努力してもできなかったかもしれません。(←今回は)でも、羽生結弦さん自身が努力をされたこと、その姿、は、多くの感動をみんなに届けてくれています。それを考えると、「報われない努力目標」があるだけで「報われない努力」って、ないのかもしれない。ずっと「報われない努力」あるある支持派だったのに羽生結弦さんの姿を見ていると逆にそんなことないのかも。。。と、前向きに考えることができ始めた朝でした。良い一日を🍀
2022年02月11日
コメント(0)
今朝、何気にラジオをつけたら(わが家にはテレビがない)※テレビがないと、なんだか変な人にいまだに思われることもあるけれど。 (すっごいポリシーがあるとか・・・)・・・別にありません・・・ そもそもきっかけは、結婚してから、子供達のためにも?大きなテレビに買い替えたのに、 すぐに地デジだとかなんだとか(今となっては古い話ですが)・・・ 変わるなんて。 こんなにしょっ中機械って新しい仕組みになっていくなんて・・・ その度に買い換えるなんて・・・ もう、面倒くさい・・・と思っただけなんです。 そのうち地デジ対応にしようと思っていたら そのうちテレビのないことに文句を言っていた子どもたちも だんだんあきらめてくれて 一番下の(もと)子ども小学生に至っては、いろんな工夫で子ども時代を乗り切り・・・。 今では、ネットでいくらでも事足りるので。 テレビは場所をとるし、別にいらなくなりました。 逆にテレビを持たない人が増えてきたようで、 テレビがない、と言っても安心して暮らせるようになりました 高坂勝さんという方のお話に吸い込まれてしまいました。ちょうど「土」について話されているところでした。そのお話を忘れないようにiPadに保存したかったのですがうまくできず(以前できたのに・・・)それならばここに書いておこうと思いました。ああ、でもうまく書けないのでNHKラジオ らじるらじる 「マイあさ!日曜6時台後半エッセー高坂勝」で聞ける、という、ことを残しておこうと思います。でも、これ1月30日まで期間限定でしたどうしよう・・・と思っていたらブログを書いておられるのでご紹介させていただきます。↑上記のブログ「たまにはTSUKIでも眺めましょ」をみれば、私も内容を思い出せます私の下手な文章を読むより、このご本人のページを。(当たり前ですが)とにかく、聞いていて、思い出したんです。いろんなこと。子どもだった頃、私が大人になったらやりたかったこと。子どもだった頃考えていたこと。そして、この一月二十二日の記事を読んでびっくりしました。自ら年収の少ない方に進んで来られたことに。ビンボー症の私には、驚きしかありません。(ビンボー症ではなく、貧乏)私はアラカンですが、老後の資金が心配で、いまだにあくせく働いています。いつも考えていることはいかに老後の資金を増やすか?(まさに、映画「老後の資金がありません!」の感じ)なのに、自ら年収を少なくする道を選んで生きておられる方もいる高坂さんのように田舎暮らしはできませんが自分なりに生き方を考えて見る、きっかけのできた朝でした。
2022年01月23日
コメント(0)
お姑さんが亡くなりました。結局、心は通じなかったと思います。残念です。30年以上のせっかくのご縁でしたが。絶対に分かり合えない人もいると言うことを教えてくれました。日本の伝統?的な、昔ながらのお姑さんです。昔ながらの姑にとって、そもそも、嫁は、わかりあう、とかいう対象ではないわけです。嫁は、嫁。静かに何も言わずに言うことを聞いていなさい。と言うスタンス。昔ながらの姑は、1 素肌に意地悪をまとっています。2 嫁いびりを徹底して行います。3 姑との血の濃さで八百万の優先順位が決まります。4、座右の銘は多分「理不尽」まぁ、セクハラ、パワハラ、モラハラ、などなどハラスメントは満載ですね。私は、最初は泣いてばかりでしたが、そのうち涙も出なくなり、そのうち夫に話すこともやめ、考えることもやめたここ10年です。おかげで、職場に少々厄介な人がいても、笑顔で過ごせるようになりました。ありがとう、お義母さん(って、違う、違う)お姑さんの、こう言うのって、こどものイジメとかにも通じる気がします。他の家族、親類には、わからないように、やっちゃってくれます。夫なんか、鈍感だから(あるいは、認めたくなくて見て見ぬ振りか?)妻がいくら訴えても、分かってくれませんね。(わかろうとしない)(分かったら、面倒だし)ま、一般的に、一言で言えば、姑は、嫁さんのことが、嫌いでしょうがないんだと思います。(嫉妬とか?)私もよくもまぁ、離婚しなかった、と感心しています。今頃になって、離婚していたらよかったかも、と少々後悔します。だって、死んだら、お姑さんと同じ墓に入るわけです。また、嫌なことをされるのでしょうか?今度は、お姑さんにはっきりと、嫌なことは、嫌だと言おうと思います。ずっと遠慮していましたが、結局最後まで変わらぬ関係でしたから。あの世では、もう、会いたくないですけれど。(通夜、葬儀と、連日の姑宅で、心がブラックになっています)今は、本当にいい時代になりつつありますね。いえ、いい時代にしたいと思います。
2022年01月14日
コメント(0)
テーマに「結婚」を選んだのですがこれから結婚になるかどうかはまだ未定です。今日、こども小学生(もう25歳です)が、付き合っている人がいる、と、話してくれました。何だか、うれしかったです。一番、心配することが多かった三男。それだけに、うれしかったです。相手の方がどんな方なのかわかりませんが、この子が、人を好きになってくれて、相手の方も好きになってくれて、うれしかったです。お兄ちゃんたちの時は、そんなこと思いませんでした。「ああ、取られちゃった」くらいにしか(すみません、下品で)思いませんでした。この頃、老親のことばかりで、明るい話題がなかったので、久しぶりにうれしい出来事でした。こども小学生(もと)には、いろんなことを話してしまいましたが、上記のことを、ただ伝えればよかった・・・と、今、後悔しています。でも、本人に向かって、言うのは、恥ずかしいですね。
2022年01月08日
コメント(0)

お久しぶりです。11月23日に、母に会うのは、もう無理。と書いておきながら、あんまり間を開けても、、、と、27日には、実家の母の様子を伺いに行きました。ただし、一人では、無理で(恐怖で)夫に私より先を歩いてもらって、玄関を通過しました。母は、割と調子良かったようです。でも、私は、目を合わせることができませんでした。コロナ防止のためのマスクがあって助かりました。表情を隠すことができるから。。。私が一言もしゃべられないので、夫が色々気を遣って喋ってくれました。なんとか、20分くらい過ごせました。でも、帰宅後、ものすごく落ち込んでしまいました。わけもなく、涙があふれて。もう、母に会いたくない、と、思いました。無理して会っていたら、自分が壊れてしまいます。(いえ、すでに、壊れています)ところが、昨日12月4日、午前中に母から電話がありました。何かあったのかと思い、出てしまいました。すると、いきなり「もう、病院に行かないと、土曜だから午前中だけなんだけど」と。「???」です。一緒に行く約束した覚えはありません。しかも、母は、一人で行けます。このことは、10月31日の日記にも書いています。毎日のように、行きたいところに一人で出かけているのに。ああ、なんてことでしょう。もう二度と月末や、月初の土曜の電話には出たくない、と思ったのでした。そうでなくても、父を病院に連れて行ったり(これが結構回数が多いんです)(私はフルタイムで働いているので、お休みを取るようになります)施設に持って行くのに、母から渡された父の服を洗濯したり(母も目があまり見えないのか?とっても汚れている)(母宅から服を持って帰ってくれたのはこども3)それでは足りないので、お店に父の服を買いに行ったり、母の知らないところで、色々お世話しているのです。そんなことを母に言ってもしょうがないので(というか、父を通院させているのが私たちだとわかったら、父に会わせろと言うと思うので)「私も病院に行かないといけないので」とお断りしました。(実際病院に行きました)大変不服そうな声が電話の向こうからもれていました。今日、映画「老後の資金が足りません!」を見に行きました。いや、足りません!じゃなくてありません!だったんですね。。。とっても笑えました。そもそもこの映画の予告を見てこども3(もとこども小学生)(今は大人)が「これってうちみたい!」というので家族3人(私、夫、こども3)で行ってきました。予告を見て、「夫は失業」 「姑は浪費家」(まあ、実母ですが) と、確かに似ている。。。(夫、体調が悪く、退職を願い出ました)ただ、大きく違うのは姑がとってもまっとうな人だったということ。私は、娯楽として、見ていたので、大いに笑わせてもらいました。どうも、夫は落ち込んだらしい。私は、本当に久しぶりにケラケラ笑えて楽しかったです。(老後の資金、4000万円は、考えないようにしよう。。。)天海祐希さん、かっこいいし。草笛光子さん、88歳だなんて信じられない!あんな88歳だったらなりたい!生きたい!この頃思うんですけれど、世の中、あまりに嫌なことばかりで、もう、こうなったら、自分の好きな、いいな、と思えることにたくさん出会ったり、やってみたり、そんなことにエネルギーを使うように日々、努力したり、計画したり、なるべくそうなるように頑張っていきたい。と思いました。(仕事の時間以外)私は、ずっと、人が、自分をどう思うか、を、必要以上に気にしていたような気がします。もう、いいかな。自己肯定感が低かったと思うんです。もう、自信持ってもいいかな。今まで頑張ってきているんだから。うぬぼれとか、過信はよくないと思うけれど、自分のこと、もっと信じてあげてもいいんじゃないかと思う。他人が私のことどう思っても、私が私のことを信じてあげよう。と、思うのでした。なんだか、自己満足ですが所詮、自己満足のブログですから、許してくださいね。最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。先日素晴らしい絶景に出逢いましたので写真アップします。瀬戸内海の朝です😊
2021年12月05日
コメント(0)
退院してからもうずいぶん月日が経ったような気がしましたがまだ1ヶ月も経っていないことに、逆に驚いています。現在、母は、私を「怒りのターゲット」にしています。はっきり言って、訳がわかりません。こんなに、両親のために、近くで一番お世話をしているのに全ての「悪」は私になってしまいました。ま、いつものことなんですけれど。母は、常に、必ず誰かの悪口を言います。自分の思い通りにことが運ばないと人のせいにするのは、昔から。今まで通りです。で、一番ターゲットにしやすいのは、私です。今回は、(今回は、、、です。毎回、常に何かが、不満です)「夫に会えない」ことが、発端です。コロナだから、会えないのですが、聞き分けません。「年取った夫婦なのに、会わせないなんて、許せない!」というのです。普通にいうのならいいのですが、鬼の形相で、それも世にも恐ろしい一度見たら忘れられない形相で何度も何度もいうのです。その都度、説明するのですが、全くちゃんとした理由は聞いてくれません。絶対に許せない、というのですね。それに、母が父に会いたい、という本当の目的がわかりません。恐怖です。母は、何を考えているのか?そもそも父を施設に入れる、と、言ったのは、母です。頼まれて、お手伝いしたのが、私です。入所の手続き等、いろいろありました。そして、すぐに入院。入院になる前も、病院に連れて行ったり、施設に連れて帰ったり、入院した日も夜遅くまで手続きやら、準備やら。その後もいろいろ必要なものを病院に持って行ったり、洗濯物を取りに行く、洗濯する、病院に届ける、などなど。そして退院時も、退院後も手続き山盛り。再び施設に入所できてからもすでに病院に3回連れて行き、施設に計画のお話で出向いたり。その途中でほぼ週に1〜2回実家により、母の愚痴を聞き、母のオムツを買いに行ったり、(これは夫に頼んでいるのですが)時には、一緒に夕飯を食べたり。結構、老親のために動いています。それでも母は満足しません。いつも大変な思いをしているのは自分(母)だけなんです。世界で一番不幸なのは、自分(母)なんです。気づいたら私は、母の怒りのターゲット。やり場のない不満、ストレス、などなどを思いっきり無遠慮にぶつけてきます。「私は、こんなに家族のために生きてきたのに・・・」「なんで私がこんな目にあわなきゃいけないの」などなど。彼女の口からは不満しか出ません。正直私は、そばにいたくありません。楽しい話など、ひとつもないのですから。口から出るのは恨言ばかり。昨日、ギャオで、ドラマ「スーパーリッチ」を見ていたらヒロインの江口のりこさん演ずる「まもる」さんがおばあさんにひどい仕打ちを受けていました。まさに「私」と同じです。さびしい思いをしていないか、様子を見に母のところに出向いても有難られるどころか、訳のわからない八つ当たりで鬼の形相で睨みつけられ、話にならないので帰ろうとすると恐ろしい声音で、「もう帰るんか!」(もう一声あったのですが怖くて情けなくて書けません)でも、完全に、心の傷の一つになりました。あの日の、形相と、声が、トラウマです。とにかく。。。実の親をこんなふうに書かないといけない、辛い思い。。。よく、幸せは、心の中にあるんだよ。ていう人がいますが、本当にそうですね。母は、本当は、とっても幸せなのに自分を不幸せだと、ずっと思って生きている。だから、本当に不幸せな人。(いいときは、とてもいいんですけれど)(いいところは、本当にいいんですけれど)コロナ以外にも、実は、父が「もう母には会いたくない」と、言っているのです。こればっかりは、私は母に言えません。毎週毎週母の様子を見に、休みの日には行っていましたが、流石に先日はもう、トラウマで、母のところに近寄れませんでした。すると、最近疲れて作れなくなっていた料理がまた、ぼちぼちですができるようになってきました。心の安定って大事ですね。さあ、また、「きょうもHappy!」のブログにしないとね
2021年11月23日
コメント(0)
父の退院した日の夕方のこと。 母が、階段の途中に座って(実家は階段登って2階に玄関があります)、上から(上ですから当たり前ですが)1日バタバタしていて疲れ果てて、ストレスマックスな私に👸「明日、病院!」と言い放ったのです。「は?」です。この方は何を言っているのか?ストレスマックスの私には・・・なぜ明日なのか?薬は後1週間以上あるはずです。(翌日まで、姫の相手をしたら、私はストレス死しそうです)(姫さまのお相手は、20分でも大変なんですぞ)(姫のそばに来るのは、お金の欲しい人だけなのに)←ものを売る人👸「10月の初めに(病院に)行ったでしょ。だからもう薬がない」と言うのですね。あります。だって、その前の9月は10日ごろに行っているのですぞ。10月の初めに行ったのは、父が入所するので早めに行っただけですから。説明するのも、説得するのも省きたかった、非常に疲れていて、早く家に帰りたかったので「明日は無理よ」とだけ言いました。すると、姫は、またもや👹「明日、病院!」と仰せなのですね。は?は?は?(母だけに・・・)もー、とにかく家に一刻も早く避難したい私は、「明日は無理よ」と繰り返したのですね。↑ここまでを数回繰り返したわけです。聞き分けのない👹姫です。私も、ストレスマックス鬼むすめ?すると姫は「○○が来るん?」と勘の良さを発揮して聞いてきたのです。(〇〇には、私の子どもの名前が入ります)当たりです。本当に困っているのなら、こちらもちゃんと説明して、お相手しますよ。でも、多分、👹姫は、駄々こねていませんか?私の相手してよって。私の言うこと、すぐに「はい」って返事しなさい。って。逆らうのは許しませんって。ごめんなさい。長年、あなたはそうでしたから、疑っています。それに、この頃ストレスが・・・。認知といえども、ところどころ、よく切れる刃物のような母。(元の性格は、刃物・・・)薬がない、なんて、嘘ついていますよね?万が一、本当に薬がないと思っていたとしても、あなた、一人でいけますよね。病院、いつも、毎日のように出歩いているコースより、近いんですよ。今まで、一緒に病院に行っていたのは、父が大変だったからです。そして、母の歩行も心配でした。でも、歩行を心配しても、行きたいところには、いくらでも出かけちゃいますよね。心配して言っている言葉、素直に聞いてくれたこと、ありますか?今まで、一緒に病院に行こうね、って言って予定していても、一人でタクシーで行っちゃうこと、ありましたよね。「お金は持っている」と、自慢してるじゃないですか。いつも。どうして、そんなに、明日に、土曜に、こだわるんですか?やっぱり、娘が命令に対して「はい」と言わなかったから、何度も言って、従わせたかったんですか?(と思ってしまうのです。悲しい私)私、今までの母との出来事が、深い深い傷になっています。もしくは、病院に行くとなると、父も一緒だと、母なりに考えましたか?ショートステイなので、父の通院は家族がすることになっています。でも、父の通院は2週間後だと伝えているはずなので、どうでしょう。父のことを「殺したい」とまで思っていたのに、母たちのいつものルーティーンを考えると私は「父を施設に入れた極悪娘」になっていますか?ああ、私もストレス溜まり過ぎかも知れません。弟に相談しても、離れているので、、、と言っても新幹線使えば2時間ですが。帰る予定はないようです。まぁ、関わりたくない気持ちはよくわかりますが。姉は、もう、、、今日は朝から、○父の、老人介護施設へ、入所希望(ショートではない)を提出する。 ○老人介護施設のショートステイに、持ってくるように頼まれた薬をお届けする。 ○選挙に行く ○父が入院していた病院にバスタオルを届ける (間違えて他の人のバスタオルが、父のものとして混入していたため) ○父関係の物(いらなくなった薬や、帽子など)を母のところに持っていく。 ○月曜か火曜に、母の薬をもらってくるために、保険証などを取りに母のところに行く。とりあえず行ってきます。
2021年10月31日
コメント(0)
今日父が退院しました。仕事は休みました。昨日病院に支払うお金(約20万円)を実家に取りに行くと母が「(父に)一目会いたい」と言いました。「何を今さら・・・」(と言ってはいません)もう限界で、父といると「殺しそうになる」とまで言った母なのに。今は父がいないので、会いたくなったのでしょう。一目父に合わせたら、母がどんな行動を取るのか?あまりに予測不能で恐怖でしかありません。それに、父を施設に入れたら、母が弟のところに行くつもりだったのに、弟に断られたので予定変更となり、仕方なしに、「なら、(父でも)仕方ない。」的な。A君(弟)ダメなら、B君(父)でも仕方ないや。遊んでくれるなら、妥協しよう。だってさびしいもん。いないよりまし。みたいな。母の心が透けて見えて、嫌悪を感じてしまうんです。その選択肢に絶対に入らない、私。「ああ、娘、そうね、お金かけてるから、ご奉仕当たり前でしょ。」「だって、私、育ててやったのよ。お金かけて」的な。すみません。かなりストレス溜まっています。私。父の退院、施設への入所。手続き、母のところへ、父の荷物を運んだり、新たに施設へものを運んだり。そうそう、施設なんですが、正式にはまだどこにも入れていないのですが、ケアマネさんのおかげで、ショートステイに入れました。前回と同じところです。本当に助かりました。
2021年10月29日
コメント(0)
バタバタがやっと少なくなり、今では、病院からチグハグな問い合わせがかかってくることがなくなりました。時々、看護師の方から様子をかけてきて来られたり、こちらから様子を聞きたければいつでも電話してください、と言ってくださって、私たちも安心して生活できるようになりました。父は、家では、あまり食べなかったようなのですが、微熱になった今では、出された食事は、全部平らげているそうです。でも夜は、どうも逃走しようとしているようです。お話には聞かされていましたが、安全確保のために、ベッドの下にセンサーが設置されたようです。仕方ありません。困っているのは、熱が時々出るので、今のこのご時世に、退院後に、受け入れてくれるホームがない・・・だろう・・・ということなのです。市内に、父のような医療関係の(ホーム自体が病院のような)ホームは一箇所しかないということなのです。もちろんそちらは、簡単には入れません。今の病院もいつまでもこの程度の熱でおいてくださるとは思えません。もしも、退院したら、どうするのか?母にはもう無理です。どうするのか?これって、私が仕事を辞めるしかないということでしょうか?私たちは、老後の生活費のために働いています。仕事辞めても大丈夫、両親の遺産を貰えるんじゃ?なんて、ことは起きません。母は自分のためには、お金をいくらでも使いますが・・・ことお金の話になると豹変します。一言でもお金に連想される(たいてい考えてもいないのだけど)話をすると「遺産が欲しいんかね。遺産狙いかね?」と嫌味を言われます。何度もそんなことを言われ、もう、辟易としています。(今思えば、嫁ぎ先の遺産狙いは、母自身がそうだったのだろうと思います。)両親は、「遺産は全て長男(弟)に譲る」、と、もう、公正証書まで整えています。その弟は、今、全く寄り付かない状況です。もちろん、コロナのせいもあります。でも、もうコロナのせいにはできません。弟は、両親が大嫌いなんです。特に母のことが大嫌いなんです。両親はそのことを知りません。おとなしい素直な弟ですから。実は、母は、父がホームに入ることになった頃、弟に「福岡に遊びに行きたい」と言ったそうです。もちろん弟は、お断りしました。母は激怒。なぜ弟が自分を拒否したのか?母には全くわからないようです。それが母です。そして怒り狂った母は、弟をどなりつけました。それで、弟はますます母のことが嫌いになりました。大声で怒ったのは、母なのに、母は、私に、「弟に大声で怒鳴られた」と泣きつきます。それが母なんです。昔からそうなんです。気の毒な性格です。自分中心にしか物事を考えられない。以下、ものすごく暗い我が家の闇の部分公開となります。とても「今日もハッピー」なブログの内容ではありません。ので、読まれない方が良いかと思います。明るいのが好きな方は、ご遠慮くださいね。読まれた方も読後にご注意ください。と、一旦は書いたのですが、あまりに辛いのでこれ以降の文章は、削除しました。
2021年10月29日
コメント(0)
前のページの続きです。父のホームに入所した日の様子は、こちらのブログに愚痴っています。(10月2日(土))ホーム入所の翌日のことは、こちらに書いています。(10月3日(日))(いずれも深夜に書いているので、日にちが1日ずれてしまっていますが・・・)そのあたりから、入院した6日までの話は、こちらにぐじぐじと・・・この別のブログは、お弁当などを中心に記録しているので、あんまり重いことは書くまいと思っているのですが、ぐじぐじ書いてしまっています。(でも、かなり遠慮したり、あえて書かないようにもしています。)でも、今となったら、もうちょっとぐじぐじ書いておけばよかったかも・・・と思っています。だって、すぐにどうだったか忘れてしまいますから。入院した日の翌日からのことは、こちらに。(ほぼごちゃごちゃは削除してしまっていますが)その、削除したごちゃごちゃの出来事は、こちらのブログの下書きに保存していましたので面倒くさい読みたくもないような文章を読んでくださる忍耐強い方は、読んでやってくださいませ。こちらです↓ ↓ ↓(読まない方がいいです)自分でも読みたくないですね6日(水)に入院したことをホームに電話でお伝えしただけなので、7日(木)仕事は休みを取りホームに直接お伝えしようと、ご挨拶に伺いました。受付窓口に行くと、父の薬を渡されました。そして「お荷物は、裏にまとめてありますから。」と言われました。ホームのシステムをきちんと理解していなかったので驚いてしまいました。入院したら「即」「退所」だったのです。ショートステイなので考えてみたら「当たり前」ですね。ロングショートステイ、と言えども、そういうことだったのです。 あれだけ大騒動して、入所しても、翌日夜熱をだし、入院して、あっさり退所。考えてみれば当たり前です。入院が短期だったら、部屋はキープしてもらえるくらいに思っていましたので(部屋代等は支払うことになっても仕方ないと思っていました)ショックでした。退院したら、また、すごろくの、「スタートに戻る」みたいに、なってしまうわけです。ホームから渡された「薬」。昨夜病院の「聞き取り」の時、聞き取る人から、「薬」は病院に、持って来なくていい、と、言われていました。本当?と、不思議だったのでしつこく何度も聞いて確認しました。「持って来なくていいです。こちらで出しますから」と、言われました。ところが、病院の人が、「薬がない!」と、なぜか「母」に電話をかけていたのです。(連絡先は、「私」でお願いしていました)そして(母も認知気味なので)「お母さんは、話にならないので困っている。」と「話のできるご家族の電話番号を教えて欲しい」と、ホームに助けを求める電話をされたそうです。 病院には、母の電話番号(携帯)はもちろん教えていません。(家の固定電話にかけたのでしょうけれど。) 病院にお教えしたのは、私の電話番号、夫の電話番号です。 お教えした電話番号は、どうなったのか? そもそも薬がいらない、と言っておきながら、「持ってきていない!」とは・・・。なんだか、連携のとれていない病院です。大丈夫なんだろうか?と不安になります。(入院したのは、Kクリニックではなく、比較的大病院です。)その後、しばらくこの不思議な問い合わせが続きました。でも、なかなかよく診てくださる様子で、病院にも大変感謝しております。続く。
2021年10月23日
コメント(0)
下書きしていた父に関する覚書を・・・9月30日に、ショートステイの契約をして、急きょ、10月2日に施設に入所(ショート)となりました。以前母と一緒にお願いしていたホームではありません。そこからは、まだ、部屋が空いたというお知らせはありません。老老介護で、緊急事態みたいな扱いで、ショートに入れたのではないか?と私は勝手に思っています。母は、かなり思い込む所がありますので、「危険」と思われた節もあるのではないかと。死にたい・・・とか呟くようになっていましたし。父も夜中にウロウロしていろんなところに転落するようですし、大きな声をあげたりして母が眠れない様子でしたし。2日の午後2時にホームに入った父は、3日の深夜には39、4℃の熱を出しました。4日の朝からケータイに連絡が入っていたようなのですが、不携帯だった私は、そんなことも知らず一日仕事をしてしまいました。代わりに電話を受けた夫が、父をいつもの病院に連れて行ってくれていました。誤嚥性肺炎でした。時節柄、PCR検査で陰性でないとホームに帰れないと言うことで、いつもの病院では検査ができないと言われ、PCR検査のできる病院にも夫は父を連れて行ってくれていました。私が帰宅するとヘトヘトになった夫がいました。本当に感謝です。そして5日、朝から父のことが心配でした。電話をかけたくても、ホームの職員さんが忙しい時間に電話をしてはいけないと思いホームページで、1日のスケジュールとか見たのですが、なんだか、結局いつもお忙しそうなのでかけられませんでした。夕方はもっとお忙しいのかもしれませんが仕事が終わってから直接ホームに行ってきました。コロナじゃなかったら、部屋に行って顔でも見れるのでしょうけれど、受付までです。職員さんは親切に様子をカルテ?みたいなのを見ながら話してくださいました。4日深夜は40度を超える熱を出していたようです。さて翌6日には再びホームから電話連絡がありました。父がまた熱を出したというのです。ショートステイで熱を頻繁に出されても、困る。。。という感じでした。病院に連れて行って欲しいとのことでした。確かにそうだと思います。夜は職員さんがものすごく少なくなるとお聞きしていました。そんな中で高熱を出されると、父一人につきっきりになるでしょうし。申し訳ないです。そもそも病人を預かるホームではありませんしね。2日前の4日に病院に連れて行き、薬は、まだ先までもらっていました。できれば病院に入院させてほしい・・・というニュアンスが感じ取られる話し方をされ、病院に連れて行くしかありませんし、(↑当たり前です。感謝しています)もちろんこんなに熱が出たら、ご進言がなかったとしても十分心配です。PCRの検査をした方の病院に連れて行きました。すると、そこの先生は、「誤嚥性肺炎」という感じではない、と診断されました。紹介状を書いていただき、行った先の病院で入院となりました。病院に連れて行ったのは、午後2時ごろでしたが、帰宅したのは、夜遅くでした。続く。
2021年10月23日
コメント(0)
ケアマネさんから、ケータイに電話が入りました。仕事中、ケータイには、出られないのですが緊急事態かもしれないのでちょっと席を外して出ました。すると朝、父がベッドから落ちて、母が救急車を呼ぶといっていたのでケアマネさん、ヘルパーさんが取り急ぎ駆けつけたとのこと。頭を打った様子はなかったこと、病院に行かなかったこと。電話で話を聞いている私には、よくわからない点が多数。。。救急車が出てきたり、なのに、病院に行かなくてよかったり。そして母が「もう、耐えられない」(父との生活)と、皆さんに訴えたこと。なので、ケアマネさんが取り急ぎショートステイを考えていること。を話されました。父が何日も食事をとっていないのではないか?とケアマネさんが心配そうに言われました。でも、この頃両親がいろいろ大変なので、休みのたびに実家に帰り、一緒に食事をとることも多く、父はそれなりに食べていた。ことを話しました。しかし、ヘルパーさんがケアマネさんに、げっそり痩せ細った。と言われたというのです。実は、父を2週間くらい前に肛門外科に連れて行ったのです。なぜいきなり肛門外科かというと、それは、それで、物語があるのですが、今日は割愛したいと思います。(以下、気分の悪くなる恐れがありますので、ご注意ください。)すると、衝撃の事実が発覚。父は、お腹の中に岩のような大●を抱えていたのです。全く予想していない事態になりました。大変素晴らしいお医者様で一般人なら触りたくもない岩のような大●を大変な時間をかけて先生の大切な指でコツコツと打ち砕き父の体の外に出してくださいました。あまりに時間がかかり、多くの患者さんが大迷惑を受けてしまいました。最後に見たくもない父のお腹の中の岩を、先生は私に「見て下さい」と言われ私は「結構です」とお断りしたのですがさらに先生は「是非見てください」と言われたので(先生も頑張ってくださったのだから)見ました。今でもうなされそうです。驚いたことに、父のお腹には、さらに巨大で頑固な岩の壁があるというのです。これ以上指が届かないので、薬を出してくださいました。そして、「この薬がなくなったら、ずっと通っている(別の)病院でお薬を出してもらうように。」とおっしゃいました。その後、以前より通っている病院に行き、事情を話し、岩壁を崩壊させるべく薬や座薬を使用しています。その岩壁が、やっと崩壊し始め、連日体外に出てくれています。長い時間かけて、何を書いているかというと要するに、父は、長い期間、お腹の中に溜め込んでいたのでそれが出ていった今、体重が軽くなっても不思議はないのではないか?と、私は、思っているということなんです。でも、ヘルパーさんにげっそり痩せ細ったとか言われると不安になります。そして確かに水分も老夫婦では、あんまり飲んでいないかもしれません。冷蔵庫には、たくさんペットボトルが入っているんです。でも、どれも封が空いていて、どれも飲みかけっていうのが、おそろしいです。さて、ショートスティするには、契約をしないといけないので明後日仕事を2時間早退して、実家に向かうことにしました。今日は、仕事帰りに眼科を予約していたので受診後に、実家に行きました。ケアマネさんとの電話では、どうもよくわからないことが多かったので。一体、二人は(両親)、どうなっているのだろう?と心配になって、ヘトヘトの体に鞭打って。実家訪問は、なんか、拍子抜けです。いつもそうですが。ベッドから落ちたのは、昨日の夜の出来事。その時は、特に痛いとか言わなかった。今朝、父が母に「痛い」と訴えた。なので救急車を呼ぼうとした。父に「今はどうなの?」と聞くと「うーーーーん」といったきり。無言。痛いと言わないから、痛くないのでしょうね。考えないとわからないくらいですから。さらに父に「ショートスティに行くことになるよ」と、話すと「誰が行くんか?」「絶対いかん!」母に明後日、契約のことを話すと「そうそう、その日、美容院に行くのよ」って、何?「だから、いないかも」って、何?なんなんだぁ書かずには、いられない夜です。おやすみなさい。
2021年09月28日
コメント(0)
このところ、母が父を施設(老人ホーム)に入れる!と言っています。しかし、これは、定期的に来る現象です。とはいえ、確かに老夫婦での生活は、もうずっと前から無理な状態です。10年近く前からでしょうか?10年くらい前、母から、父から、別々に(別々に、と、いうところが、ミソ)いかに、自分たちの毎日が大変か聞かされ、様子を目の当たりにしていました。ここで、本当に10年くらい前なのか、このブログで何かヒントがないか見てみました。多分、記載のない時、2013年か、2014年くらいから2016くらいの期間の出来事でしょうか。自分では、もうずいぶん昔だったような気がするのですが、意外と、、、7年前くらいのことだったのでしょうか。ブログを書いていると、色々覚書にもなりますね。三男が中、高校生くらいからは、いろいろ結構大変だったので(小学生の頃もですが、楽しいことしか書いていないので)(でも、楽しいことを読むと、結構楽しくて、←当たり前)(子育ての頃って、大変だらけなのですが、今思えばものすごく大切な愛おしい時間でした)(その頃って、なかなかそうは思えないんですけれど)(本当に落ち込むこともいっぱいで)(このブログ読むと、楽しい思い出がいっぱいになって、今でも幸せになれていいです)(なんだかんだ言っても、幸せです)(今のところ、三男も優しい大人になってくれました)(↑将来のパートナーを警戒している)私も立派な???姑コース・・・。かなり横道に逸れてしまいました。そうそう、とにかく、その頃、本気で両親を心配して(今でもですが💦)いろーんな老人関係の施設とか、どうしたらいいか考えて両親そろったところで、提案したんです。相談されたんですから。ところが相談されたのにものすごーい塩対応。されました私は、夫婦の敵のように扱われ、わけがわからない。要するに、私に相談した頃は、二人とも相手のことを悪くいって、「もう、二人では生活できない!!!」と訴えていたのに今度は、「二人の生活を破綻させようとしている悪い娘」になっていました。とさ。は???って感じです。その後、何度も相談されました。が、何度も同じような結果になりました。何回も、一所懸命考えて、何回も、話を聞いてなんとかいい方法はないものか話して。しかし、結果はいつも同じ。そして、この頃は、二人に認知が入ってきて、父は、もはや、まともに話せない相手になってしまいました。母は、母で、昔から、困ったところがあるので(もちろん、誰にでも、私もそうだと思いますが)その、困ったところが、ちょっと大変で(いや、かなり)さらに認知が入り、ますますその困ったところが増幅されもはや、鬼👹 に時々なる。見かけは、85歳(もうすぐ)にしては「お美しい」と言われる👸なんですが。認知が入った85歳の👸は、化粧品売り場でお姉さんにおだてられ、大量の化粧品を買ってしまう。知らなかったのですが、昨日知ってしまいました。実家にいたら「化粧品をお店の人が届けてくれる」というのでそんなサービスなのかな?くらいに思っていたらちょうど持ってきてくれて、実家は、2階に玄関があるので、階段を上らないといけないのですが私がのぞいたからか?ずっと階段の下に居られる。宅配サービスにしては、中途半端な感じ・・・と思いながら階下に降りると、「これは、私からのプレゼントです」と言って結構大きなお菓子の包み。???なんで???届けてきてくれた上にお菓子まで???しかも、個人的にってどういうこと???私は、同じメーカーで1万円くらい化粧品買っても、(私にしては、清水の舞台から飛び降りる瞬間)「このカードにポイント貯めたら、試供品プレゼントします」とか、試供品もらうのでさえ、苦労しているのに。この差ってなんですか?さらに、はい、って、渡された紙袋。何こんなに買ったの!!!お、重い。大きい。。。しかも、もう一袋!!!さらに大きい袋渡されましたなんじゃこりゃ(し、しつれいしました)こんなでっかい袋、でっかいダウンジャケット買ったときに目にして以来両手にずっしり重い!!!大きい!!!一体全体、ナン万円買ったの???何十万???これ、最高級ライン(というのか?知らないけれど)の品物に決まっているし。化粧箱入りのブランドの包装紙に包まれたブランドの袋に入った化粧品って初めてみる娘。私が、清水の舞台から飛び降りたって、小さな安っぽい紙袋に入っているだけです。(さらには、「ふくろいりますか?シールだけならエコポイントが溜まりますよ」)(「エコポイント集めたら、試供品を差し上げますよ」なんて言われていますが)金額を考えるだけで、 お、恐ろしすぎる。母は、もはや、お金の感覚が狂っているに違いない。薬をもらいに病院に行くのさえ10万円近く持っていくし。(千円もあれば十分)化粧品売り場のいい🦆になっているの🦆。話が全然違う方向になってしまいました。とにかくいつものことかと思っていたのですが今回は、母が結構本気で「ホーム見学」を望むので一緒に行ってきました。そして、強く望むので申し込んできました。果たして、どうなることやら。🦆🦆🦆🦆🦆🦆🦆
2021年09月26日
コメント(0)
こんばんは。朝から庭の草抜きをしておりました。誰も代わってあげよう、とか一緒に抜こう、などと言ってくれません。そんなものです😭 だから、高齢の方達が、マンションに移り住むわけですね。草抜きをして、腰が痛くなったとでも言えば「そんなことするからだ!」と夫は怒りながら言います。が、代わりにするということは、ほぼありません。たまにすると、抜いてはいけないものまで抜いてしまいます。今では、抜かれてもいいように、アスパラと梅以外ほとんど何もないようにしているので安心して任せられるのですが。。。立て替えるときに、メーカーの方が、「家周りは、土があった方がいいですよ」と言われました。でも、私としては、もっと、土じゃない部分を多くしたかった。草を抜くの、大変だもの。夫も「草ぐらい、抜いちゃる」と言ったのですが、忘れたようです。しつこくお願いしても「実家の草抜きの方が大変なんだから!」「これくらいいつでもできる!」と言って、怒ります。(いつでもできる=いつまでもやらない)今からでも砂利を敷くとか、少しでもなんとかしたいのですがみんなして「抜けばいい」と反対します。あのね〜誰が抜くの?😆 愚痴ってしまいました。失礼しました。でも、世の中のことって、全てこんな感じもしますね。何にもしてくれない人が、反対する。やらないから、わからないのかな?ではでは。
2021年09月21日
コメント(0)
今日は、、、楽しみにしていた・・・観劇をキャンセルする羽目になりました。私の唯一の贅沢な時間。。。ちょっと前までコロナがほんの少し収まっていた頃、福岡での「キャッツ」を予約しました。去年はもちろんコロナだから予約さえしていませんでした。そんなことをしたら職場からなんと言われるかわかりませんでした。今年、キャッツに行きたかったけれど、先行きがわからないので、先行販売の時、我慢しました。その後もしばらく様子を見ました。でも、ちょっと前、ちょっとこの夏大丈夫かな・・・と思える瞬間があったので購入したのです。そして、今、コロナがまた流行り出して、「これは・・・やばいかも・・・」と、確かに心配でした。でも来月末なので、東京や大阪じゃないし・・・なんとか収まって・・・くれないかな・・・と祈っていたのですが、、、まさか、また「まん延防止」が福岡に出るとは。。。仕事の帰りがけ、上の人々から緊急事態宣言、まん延防止の出ているところに期間中行くものは・・・上司に必ず連絡すること。・・・と要するにストップをかけられてしまいました。許可を取りなさい・・・って、許可を取りに行った時点で「アウト!」にされます・・・。きっと。コロナが流行っているところにのこのこ出かけていくとは、けしからん!って。もちろん、許可も出ないに決まっています。あるいは、「あ、そう・・・わかりました。じゃ、2週間来ないでね。」かな。「ついでにずっと来なくてもいいよ。代わりはいくらでもいますから。」かな。(ボスが「2週間自宅待機に・・・」などとボソボソ言っていたのが聞こえました。)2週間も休んだら他の人に迷惑かけてしまいます。ちなみに、チケット、キャンセル簡単にはいかないようですね。こんな事態なのでなんらかの形でサポートはあるんでしょうが、とりあえず自分で頑張ってみて・・・みたいな。(出品とか)ずっと我慢していた劇団四季。。。収束するまでは、無理。。。なのがわかりました。どちらにしても、コロナ、こわいので、ストップかからなくても我慢ですね。この夏も弟にも会えない・・・(弟は福岡)そういえば???上のこども一家にも会えない。(福岡)対象地域から帰省した人に会うのも多分申告。。。そして、2週間職場に来るなと言われる恐れあり。早くコロナ収まって欲しい。。。
2021年07月30日
コメント(0)
先月6月中旬、老親二人の2回目のワクチン接種無事終わりました。1回目の接種後、母は腕を腫らしたり体調不良で大変だったようです。さらに「膿の溜まったブツブツができた」と電話してきました。かなり落ち込んでいたので、皮膚科に行くか?内科に行くか?と持ちかけると「ワクチンの副作用だったら2回目を受けるのが怖い・・・」というので、とりあえずワクチンを接種した病院に一緒に行きました。すると、先生は「掌蹠膿疱症」と言われてワクチンとは無関係とのこと。(多分以前から皮膚科にかかっていたのだけど、皮膚科の先生は病名こそ言われなかったけれど 同じ病名をとっくにわかっておられたと思う)とにかく母のワクチン副作用の恐怖は取り除けてよかったです。その後、2回目の接種。この頃父はとにかく大騒ぎするので、私は車から降りたらすぐに病院の車椅子を利用しています。(歩けないとか、目が見えないとか、とにかく大声で・・・甘える。)(見えないと言われても、眼科に連れて行って視力検査に付き合うと、 私の見えないマークも見えてる・・・からちょっと信憑性が・・・)足腰がめっきり弱くなった母に父が全体重をかけて困らせるので、車椅子を利用するしかなくて。以前は、「歩かないとどんどん弱くなるよ」と頑張ってもらっていたのだけど、母がかわいそうで。(母の方が弱っているので、むしろ母が父によっかかる方が側から見ると自然)わがまま放題の91歳の父と、いつまでも若いと勘違いしている84歳の母。(よろよろしている)二人で生活している方がびっくり。でも誰の意見も聞かない。なので二人の好きなように暮らすしかないんだけど。ちなみに父は2回ともワクチン接種後、なーんともなかったようです。恐るべし。
2021年07月03日
コメント(0)
昨日、老親をコロナワクチン接種に連れて行きました。随分朝早い時間の接種で不思議だったのですが、どうも普通の診察が始まる前にワクチン接種だけすませる予定だったようです。ワクチン接種一つにしても医療関係の方は大変だなぁ・・・と感じました。これを毎日毎日されているんだから。さらに2週間後に行く時間は、お昼休みの時間でした。と、いうことは、朝も今までより早くからお仕事され、昼も休み時間を短くされ、もしかしたら、夕方も?私たちの住んでいるところはまだ医療崩壊とかしていないけれど、ワクチン接種一つ見ても大変なのはわかる。しかも一日二日じゃなくてこれからずっと続く。医療関係の方達、倒れないといいけれど。ワクチン接種だけでこんなに大変な状況。じゃ、コロナ流行している地域の方達の大変さって想像を絶する状況なわけですよね。医療関係の方々に本当に感謝しないといけないと思った1日となりました。
2021年05月23日
コメント(0)
ウグイスが朝から鳴いています。今朝は隣の雑木林から聞こえています。ホーホケキョ!と鳴けているのですが、若干、ホーホケキョのホーの「ー」が短いのです。ちょっと違和感。まだ少々若手か?いつもの(毎年聞いている)落ち着いた高さの声よりちょっと高くてちょっとだけ細い感じ。立派にあの長いフレーズ?も歌っているのですが。(ルーラララララララララア〜♪みたいな歌声)さすれば、若い、大人、じゃなくて個性の問題?とお布団にくるまりながらうとうと日曜の朝を楽しんでいたらちょっと練習の歌声聞こえてきました。ケキョ、ケキョ、とか。ちょっとひっかかかり気味のかわいい声。やっぱり若手か?ウグイスの声を聞いて、幸せな気分にひたっています。ウグイスと私はなんの関係もない(と思う)のですがウグイスさんの声で私はこんなに幸せにしてもらって。ウグイスさんは、ただ、生きていく上で歌っているだけ。なのにね。隣に雑木林のあるこの家が大好きです。
2021年05月09日
コメント(0)
今年3月の初め頃から、ずっと気になっていたことがあります。毎年ウグイスが朝早くから鳴いていたのに、今年は全然鳴かないのです。4月になってもケキョの一声もないのです。どうしたんだろう?とても心配になりました。それを聞いた夫の推測「道路工事のせいじゃないか?」確かにそうかもしれません。我が家の周りは結構緑があるのですが3月末まで、半年間くらい、ずっと道路工事をしていました。ウグイスたち、他所へ行ってしまったのでしょう。何十年と聞いてきたウグイスの声。(私はこの地にずっと住んでいますので)残念です。すっかりあきらめていたのですが、昨日の朝、ドアを開けた途端、きれいなウグイスの鳴き声が聞こえました。おかえりですね。うれしかったです。
2021年04月26日
コメント(0)

ぎっくり腰、そんなに大変な状況ではないのですが、そうは言ってもなかなか治らず、痛い痛いの毎日です。いつもの婦人科の先生にチラッと相談したら、「しめることは、大事」(骨盤を)という話でした。そして、年をとると、どうしても、緩んで、痛みが出るということでした。早速、骨盤しめる系の下着を通販で購入。昨日出勤する際に身につけました。き、きつい!!!😱帰宅して、すぐに脱ぎ捨てました😱でも、脱ぐと、「痛っ!」となりました。下着、頑張ってくれてたんですね。今日、久しぶりに庭を眺めると、あっちもこっちも草が・・・寒い時期は、早く春が来るといいなぁ・・・と思い、実際春になると、草が生えるので冬が楽でよかったかなぁ・・・と。勝手な私です。ぎっくり腰で草取りは控えていたのですが、この状況・・・これ以上放置できないちょっとずつと思いながら草取りしていたら、なんとちょっと、こんなことになっているなんて庭にたんぽぽかわいいけど、、、いつの間にかやられましたかわいそうだけど、以前ならハーブとかもあったのでそのままでもいいんだけど今、そんな雰囲気の庭じゃないのときっと放置したらタネが飛んでどんどんたんぽぽの庭になっていくそれはそれでかわいいんだけどごめん🙏お命頂戴します。ところが、さすがたんぽぽ根を深く張っていたようでそのままカットされちゃいました。そんなわけで家の中に飾りました根が残ったのでこの戦いはまだまだ続く。(かわいいので、受けてたとう)
2021年04月03日
コメント(0)
このところ腰は痛いし(ぎっくり腰)いいことなくてスキッとしたくて思わず「ボーリングに行かない?」とこどもに提案しました。こどもがこどもだった頃、こども会で行って以来です。レーンをゴロゴロ転がして、カーン!とピンを倒そう!まさにストレスが吹っ飛びそうです😃 すると言われました。「ぎっくり腰じゃなかったの?」そうでした😅 私はもう、こどもがこどもだった頃の、若い(←今より)お母さんではありませんでした。(三男のお母さんですから、当時から結構古めの母でした)しかも、ぎっくり腰を忘れているなんて、、、😓あほです🙀(もう一つのブログと同じ内容です。なかなか更新できなくてこちらにも載せました🙇♀️)もし、よろしかったら、そちらもよろしくお願いします。(そちらより、こちらの方がおすすめと、思っています)(あ、どっちも、どっちです)
2021年03月31日
コメント(0)
ラジオの番組で(NHK ラジオ第一 こども科学電話相談)「線路に砂利が敷かれているのは何故?」と言う質問を埼玉県の小学1年生の女の子が質問していました。え?考えたこともない。「多分、そのまま土の上に線路を敷いては土もすぐになくなりそうだし・・・」と予想しながら答えを聞いていました。答えを聞きながら、さらに驚いたことがありました。「枕木と線路は砂利の上に置いてあるだけ。」と言うこと。置いてあるだけ!!!ああ、だから、「線路の点検」って何人かがぞろぞろ歩いているんでしょうか。それにしても今まで何故砂利?なんて考えたこともなかった。小学1年生の女の子、ありがとう。昔から好きな番組です。2006年7月31日の記事でも(ちょっと読みにくいですが)2006年8月1日にも書いていました。(こちらの方が少しだけ読みやすい?)(なんか自分の過去記事読むと、別人みたい・・・)(昔の方が面白い・・・)(あの頃コメントくださっていた方達、お元気にされているのでしょうか?)
2021年03月14日
コメント(0)
朝母が電話をして来てくれました。「今日は私の誕生日だから・・・」と言ったので『ついに、かなり、、、来ましたか?』と恐怖でした。(母の誕生日は10月)恐怖を抑えながら「そうだね・・・」と答えると「誕生日だから、みんなで食事をしようと思う」と言うのです。これは、もしかしたらわざと誕生日と言っているのかもしれない。。。と思い「そうだね。ばば、いつから天皇様陛下になったの?」と聞いたら「そうそう・・・」とうれしそうに答えたので冗談で誕生日と言ったのか・・・と安心しました。要するに、父と二人の食事ではもたなくなってさびしくなって、私たちを誘いたかったのですね。冗談とも本気とも境目が怪しくなっている母。ああ、でも良かった。自分の誕生日はまだ覚えているようです。「何時に行こうか?」と聞くと「5時ごろにして」と母。携帯電話を1階に放置して2階で洗濯物を畳んでいたらなんだか1階で騒がしい。みると、着信が6件!全て母。電話をかけると「いつ来るの?」「5時に行くよ」「なんで5時なの?」「ばばが5時って言ったよ」「言っていない・・・」「待ってるのに」「わかったよ。すぐ行くよ」って、まだ3時半なんですけど。しかも着信6件って、一体何時からかけていたのでしょう。どうも、もう、約束は、無理なようです。当日の朝でも。(1月23日に当日確認が必要とか書いているんですが、それもダメですね)時間とか、場所とか。私も遅かれ早かれそんな日が来るわけで。それを考えると、好きなことやらなくちゃね
2021年02月23日
コメント(0)

こんにちは。このブログを読んでくださる方がおられるのに感謝しています。本当にありがたいです。ほそぼそ続けていますがとても励みになります。このブログ、15年くらい前からずっと書いているのでとても安心して文章を書いています。安心して?って、別に違うブログが怖いとかそうじゃないのですが、このブログには、なんか素直に自分を出せているというか。。。去年から書いている別のブログ、ほぼ毎日更新しているのですが、どこかよそよそしい感じを受けています。(自分が書いているのに変ですが。)なんかよそ行き?時代の違いでしょうか?とはいえ、だんだん素の私が出て来ているような気もします。(あれ?十分同じ雰囲気でしょうか?)以下の記事は先週14日に別のブログに書いたのですが、書いた後で、こちらの楽天ブログに書いた方が良にぴったりだったかな?・・・と思った記事です。梅が咲きました。父母が55年前この地に家を建てた時に母の父が植えた木です。記念樹って、不思議ですね。おじいちゃんは、早くに亡くなってしまったのですが花が咲くたびにおじいちゃんのことを思い出します。私のこどもにも何かと「これはおじいちゃんの植えた梅の木・・・」と話しています。もちろん、こどもたちはおじいちゃんには会ったことはありません。次男のお嫁さんがうちに来たときは、梅もぎをしてもらったりして。その時もおじいちゃんは話に登場しました。(お嫁さんはその実をご実家にもお裾分けされたそうだからもしかしたらおじいちゃんは、そちらでも登場したかもしれません)亡くなった誰よりも有名人のおじいちゃん。そして、この梅を見るたびに私はもう一人思い出すご先祖さまがいます。思い出すと言っても、会ったことはないのですが。それは父の母の母。私のひいおばあさんです。なぜなら、お名前が「ウメ」さんだからです。とても愛情深かったというウメさん。だから私がこの梅の木の話をする時は、植えてくれたおじいちゃんと、私のひいおばあさんの名前が登場します。それにしても花が咲くと幸せな気持ちになります。以上ですなーんか、気取っているような???感じもします先ほど写した梅の写真です。たまたまヒヨドリ?が来ていました。春ですね。ブログ読んで下さった方々の明日がいい日でありますように。
2021年02月21日
コメント(0)
今日は父の誕生日でした。91歳になりました。もう、ディに行かない!と宣言してから家で過ごしています。それができるのも母が頑張っているのとヘルパーさんが来て下さっているからです。さて今日はみんなで一緒に誕生祝いを兼ねてお夕飯を食べようと母が言っていたのでお寿司やら色々用意して実家に行きました。ピンポンを押しても誰も出てこない。おかしいなぁ。たいてい待っている時はすぐに出てくるのに。まさか、二人に何かあったのだろうか?待っても出てきません。とうとう電話をかけてみました。やっと玄関を開けてくれました。母曰く「どうしたの?」って父の誕生日のお夕飯のこと、言い出しっぺの母、完全に忘れていました。二人でお夕飯真っ最中だったようです。昨夜「明日ね」と電話で確認したのですが母たちが認知症に片足?両足?突っ込んでいるのに対応が甘かったですね。私たち。今度から何かの催しの時は当日の朝も確認しないと駄目ですねそれでも駄目な日が来るのが怖いけど。
2021年01月23日
コメント(0)
前回の例の筑前煮(にしめ?)のことなんですがどうしてもそのまま捨てられませんでした。勘吉(夫)に知られたら大変なことになりますが深夜、誰もいないキッチンでそおっと蓋を開け、ニンジンをひとかけら、こんにゃくをひとかけら、・・・と一通りほんの一欠片だけ口に運びました。その後すぐに梅干しを食べておきました。またお腹を壊すかも知れないという恐怖はありました。けれど、覚悟の上。ほんのちょっとだけだったのと梅干しをすぐに食べたせいか大丈夫でした。だしがよく効いていました。昔は本当においしい料理を作ってくれていました。お腹を壊したとしても食べてよかったと思いました。
2021年01月11日
コメント(0)
1月2日に母の手作りぜんざいのことを書いています。みんながおいしいと言って食べた話です。今日、病院に両親の薬をもらいに行ってきました。薬を届けに訪問した際、帰りに母が手作りの筑前煮を手渡してくれました。ああ、母は、あの日、みんながおいしいと言って食べたのでうれしくて、また手作りしたのでしょう。しばらく手作りから遠ざかってくれていたのに。(もちろん父は毎日手作り料理を食していますが)もちろん、ありがとうと言って持って帰りました。でも、ごめんなさい。怖くて食べれません。筑前煮に手を合わせてお詫びしました。こんなこと私も辛い。どうか、手作り料理くれるの、やめてほしい。(言えないし)追記 今、今度こそ、頂いた筑前煮を処分しようとしたのですが辛いです。母が一生懸命作ってくれたものを食べずに捨ててしまわないといけないなんて本当に悲しすぎます。ごめんなさい。お母さん。ごめんなさい。ごめんなさい。
2021年01月09日
コメント(0)
お婆さんのお墓参りに行きたい、といきなり夫が言いました。私は結婚して間もない35年くらい前に行った時以来です。夫の父親の兄弟(お兄さん)たちもそちらにおられます。海の見える素敵なロケーションでしたが何といっても急坂で私はすっかり腰を痛めてしまいました。その帰り道、コロナ禍だから自粛して訪問していなかった実家へ行きました。母が寂しいようで、「ぜんざい作ったから食べに来て」と電話してきたのです。ちょっと認知が入ってきてから、母の手作りの料理は食べないようにしてきたのですが、高齢の母が一生懸命作ったぜんざいです。ありがたくいただきました。ところが、一口、口に入れた途端、「や、やばい」と思いました。こ、これはなんとしたことか。しかし、私以外の、夫、こども、父、母は普通に食べています。気のせいか?この妙な感触、味。ぜんざいだから、熱を加えて作るものだから、まさか、どうやったらこんなことになるのだろう?食塩を入れすぎたのだろうか?甘味を引き出すために最後にちょこっと入れることのある、食塩。いや、ちょっと違う。父が「美味しい」と言って食べている。母も「美味しいね」と。夫も頷いている。(いや、夫は味音痴。)私だけ、ここで食べないという選択肢はとれない。しまった。油断していた。ええい、食塩に違いない。大丈夫。お餅と小豆、砂糖だけの料理でまさか変なことにはならないだろう。と、覚悟を決めて最後まで食べました。ところがその後、今もなんですが、お腹が・・・腰の痛みと、お腹のゴロゴロでえらいことになってしまいました母には口が裂けても言えないこと。せっかく頑張って作ってくれたのだから。来年からは、私がぜんざいを作って持っていくことにしよう。年末に、大変だろうから私が作るよ、と言って。原因は何だろう?と考えるのですが、もしかしたら、ずいぶん前に煮た小豆を、最近作ったと思っていてそれを使ってぜんざいを作ったのかな?食品の新しい、古いがわからない時があるので。
2021年01月02日
コメント(0)
大学1年生の時、陶芸サークルに入っていました。菊ねりができませんでした。ろくろができませんでした。そんなこんなで陶芸から遠ざかっていました。でも5年くらい前から、もう一度やりたくなりました。実に30数年?ぶりに。とりあえず市民サークルみたいなのに入ろうかと思ったのですが、昼の部は、参加できません。夜の部は平日で、終了は夜21時。仕事しながらなんて無理。それで、諦めていました。ところが、まさかの仕事で、陶芸に少々関わらないといけないかも?の事態になりました。まずい。5年前からやっておけばよかった。でも、もう遅い。無理かもしれないけれど、その、平日の夜21時に終了するクラスに入会しました。これが、21時には終了しないんです。21時に作るのを終了して、そのあと片付けがあるんです。もちろん、帰ってしまう人もたくさんいます。なので、帰ると22時前になってしまいます。不思議なことに、夜遅くまでかかっても苦にならないんです。好きなことをするのは大丈夫なのがわかりました。得ることももちろん沢山あるのですが、どうも、知りたいところがわからないんです。と、いうのは、私が知りたいのは陶芸の全てなんですが、教室では、粘土をいじることはさせていただけるのですが、その後がわからないのです。乾燥の様子、窯の様子、その他何か細かいことをもしや先生は密かにやってくださっているのではないか?あと、何だか自由にできるようで自由にならないもどかしさ。ちょっと先生に遠慮してしまうんです。実際、遠慮しないといけないような?そうでもないような?まだ入ったばかりだからしょうがありません。それで、徹底的に本を読んでみています。Amazonで購入したり、図書館で借りて来たり。(図書館で借りていいな、と思った本はまた購入)YouTubeで動画を見たり、ブログを読んだり。するといろんなことが頭の中でごっちゃになり始めて。それでも動画見たりブログ見たり、本読んだり。するとだんだん何だか少しは見えてきて。なんか、思っていた以上に大変な世界で。とにかく教室でやっているだけではわからないというのもわかってきました。とりあえず、粘土購入してみました。残念ながら年末なので、年が明けてからでないと届かないようです。届いたら、荒ねりと菊ねりの練習をしようと思います。それにしても昔と違って今の時代はいろんな人がネット上で教えてくれていて便利な時代になりました。
2020年12月28日
コメント(0)
香港映画の「白蛇伝説」を見たところです。(GYAOで)なんて純愛。こんな時が、私にもあったかな?羨ましい限りのヒロインたち。泣けてしまいました。(すぐ泣くと言われています。)(ほとんどの映画で泣いています。)ちょっと最後あたりが複雑な心境の展開でしたが。これって。。。さて、うちの両親ですが、先週のことがあったので、毎日電話で体温を確認することにしました。「元気よ」は当てにならないので。しかし、ちゃんと体温が読めているのかちょっと不安にもなります。今日は「36時」と言っていました。「26度」と言っていたこともありました。ちなみに昨日は疲れたので朝も夕方も測れなかったと言っていました。体温を聞いているのですが、全く違う話ばかりすることもあります。まぁ、でも、それは、聞いて欲しくて話しているのでしょうから、うん、うん、と聞いてはいるのですが。毎日電話をすると、母はそれだけで安心しているのかもしれないのでまぁ、少しは親孝行かな?
2020年12月19日
コメント(0)
実は11月24日に父が発熱しました。仕事中でしたがすぐに実家に向かいました。いつもの病院に電話。コロナ危険真っ只中の病院。病院もすぐには診てくれません。当たり前ですよね。皆さんにうつっては大変です。駐車場で待っていてくださいと言われました。しっかりコロナ対策を施した格好で看護師さんが駐車場まで来てくれました。まず血液検査をされました。しばらく待っているとウイルス性ではないので受診okとなりました。結局「誤嚥性肺炎」。決して安心できる病名ではありませんがとりあえずコロナではなかったことに安心。さて、その後父はとても元気になりすっかり安心していました。(熱がおさまらなかったら病院にまた来てくださいとのことだった)母に様子を聞いても「熱はない。元気」と言うことでしたし、実際日曜ごとに様子を見に行ったところ元気そうでした。先週の日曜も元気いっぱいでした。元気いっぱいで調子に乗りすぎて私が「かちん!」とくることを言ったりしました。昨日、そろそろいつもの薬がなくなる頃なので(母から病院のことを頼まれたわけもないのですが)私だけ病院に行って薬をもらって来るつもりでした。母から電話がかかって来ました。二人とも病院に行く準備ができて待っているとのことでした。きっと母の頭の中では話がそのように出来上がっていたようです。歳をとると、自分の頭の中で考えていたことが、決定になってしまうようです。相手に伝えていなくても。いつものことです。逆らわず従った方が楽ですね。言っても通じません。もうそう思っているのですから。(なんだか、年齢に関わらず、職場にもいますよね、そんな上司)父は病院に行かなくてもいいよ、と言ったところ「月曜に発熱してお風呂には入れられない、と、ヘルパーさんに言われた」と言うではありませんか。げ、月曜!5日前の話!熱が出ていたのなら早く病院に連れて行ってあげたのに!今はどうなの?と聞くと母は「元気よ」と答えました。一旦、素直に信じてしまったのですが、もしやと思い、熱をはかるようお願いしました。すると37度だと言うのです。と、言うことはもしや、ずっと微熱が続いていたのかもしれません。肺炎って微熱が続いて結構大変です。誤嚥性肺炎となると、よく老人が亡くなられますよね。これは、父も連れていかなければなりません。病院に行き、事情を話したところ、また車での検査となりました。結局、肺炎が時々ぶり返すのだろうと言うことになり、帰りました。教訓。老人二人の健康観察は無理。いつも基本元気と言う。(小学校とかで朝「元気ですか?」と聞かれ子供が「はい!」と答えるあの感じ?)なので母に毎日体温を測り、カレンダーに記録することをお願いしました。早速今朝実家に電話をしました。父が出ました。「ハロー、ジッタ、元気だよ」と言いました。元気なのはよかった。体温を聞いたところ、よくわからないようで母が電話に出てきました。母に聞いたところ「にじゅう?何度だったかねぇ?」と言うのでカレンダーを見てきてもらいました。「6ど3ぶ」と。ああ、これからも毎日電話で確認しないと。少なくとも夕方一回電話を入れようと思ったのでした。現在父はまたディサービスはお休み中。確かに熱が出たりしているのでそれでいいと思いますが。熱が出ていないと思っていた時、すでに「休む」と連絡したそうです。ケアマネさん(?)に「そうですね、年が明けてからまた考えましょう」と言われたとか。クビになったディでは休んだらよくないと誘われていましたがもう誘われなくなりましたね。仕方ありません。言う事聞きませんから。でも二人きりだと今回のように熱が出ていても気が付かない。「外にお世話になっていたら、健康チェックもしてくださるので安心なのに。」と両親に言ったら父が「そうだ」と力強く言ったのです。わけがわかりません。今回月曜にヘルパーさんが実家に来られて微熱が出ているのが分かったけれど。老人二人の健康管理は無理なのは、わかっているはずなのに情けない私。
2020年12月13日
コメント(0)
ずっとシャープのマスクが当たらないと思っていました。そして、スーパーにも一箱千円くらいで出回っている今日この頃、もう、いいかなぁ。と思っていました。メールがわんさか溜まっていて(広告ばかり)一生懸命削除していましたら、マスク当選のメールが来ていたのに気づきました。8月でした。当然今頃気づいても遅すぎです。メールチェックを怠るとこうなるわけですね。(反省)あんまり残念でシャープのサイトに飛んでいって思わず?新しく始まったマスク定期便を申し込んでしまいました。定期便っていつまで私はマスクを買い続けるのでしょうか?早くコロナ、なんとかならないでしょうか?またどんどん増えていて怖い今日この頃です。
2020年12月05日
コメント(0)
コロナが流行り始めてから映画館から遠ざかっていたのですがこれだけ話題になれば、一応行ってきました。(あとポイントの期限が切れそうになっていた)こどもは封切られてからすぐに行きました。席が一つ飛ばしになっているのかと思ったら、なっておらずこどもが行った時はぎゅうぎゅうだったと聞きました。それは、困る。いくら話題作でもいきたくない。しばらく経ってから行こうと思いました。そして先日のお休みの日、ネットで予約を取ろうとしたらやはりぎゅうぎゅう。平日に行くしかない。しかも平日は席が一つ飛ばしに予約するようになっている。これです。せめて一つ飛ばしの席でないと安心できません。滅多にない平日のお休みを狙って行ってきました。一つ飛ばしのせいか、平日の地方の映画館なのに満席でした。一応アマゾンプライムでアニメは全部見ていました。今日のはその続きということで。アニメの第一話を見たときはもう見るのをやめようと思ったのに気付いたら26話全部見ていました。でね、感想。この戦いは、ドラゴンボール、みたい?子どもに聞いたら「(鬼滅の刃の戦いは)優しいドラゴンボール」だと。そして申し訳ないのですが、テレビの方が私はワクワクしてみていました。映画が面白くなかったわけではないのですが。そして何かと「千と千尋の神隠し」の興行成績と比較されがちのようですが私は「千と千尋の神隠し」の方が感動しました。ああ、でも全く毛色が違う映画だから比較するのもどうかと思います。なんだかんだ書いていますが、かくゆう私も煉獄さんの最後のシーンでは泣いていました。あらためて、鬼滅の刃の作者さんはとても純粋な方なんだろうなぁと。思うのでした。
2020年11月16日
コメント(0)
こども2、次男の結婚から約一年。久しぶりにお嫁さんの実家一家と会食することになりました。顔見せの時に「お歳暮とかをやめにして、一年に一度会いましょうか」と、我が家が提案したのですが、実際やるとなったら、うちの勘吉は尻込み気味。私としては、夏、ビアガーデンを想定していたのですが今年はコロナの関係でできず。この話は立ち消えか?と思っていたのですがお嫁さんのご両親からこどもに問い合わせがありました。それで急遽集合することになりました。「カジュアルな感じでお土産はなしで」と子どもに伝えたのですがさて、困った。そういえば、夫にカジュアルなんて、、、。まだスーツの方が簡単だった。カジュアル???どうする???ネットで「60代カジュアル男性」を検索。「デニムシャツ、迷彩柄ショーツの男らしいスタイル」スタイル抜群、かっこいい男性がサングラスをかけて立っている。服以外を夫に変えて想像してみる。笑いしかない。いや、あやしすぎる。大きな頭。短い足。出っ張ったお腹。無理だ。普通の日本の親父には無理すぎる。よくみるとこの方、手にはお酒?のはいったグラス。うちの勘吉が同じポーズ取ったら、ただのアル中。。。他のかっこいいおじさん達、勘吉と何が違うんだ?こども3が「顔が7割。体型3割」とつぶやく。確かに。しかしそれは今更どうしようもない。なんとかせねば。いいこと思いつきました。こども3に「おこづかいあげるから、父さんを何とかして。」と頼んでしまったのでした。(勘吉は私の言う事は聞きませんから。特にファッションは)うまくいくといいのですが
2020年11月07日
コメント(0)

アサギマダラが飛来していると地元の新聞に載っていたそうです。10月中旬?上旬?頃です。去年頑張って行った周防大島です。ああ、すぐにでも行きたい。しかし、大島は土、日曜は結構人が多いのです。もちろん都会の人から見たらそのくらい多くないのでしょうけれど。田舎もんの私は、ちょっとでも人の少ない方が好き。しかも去年行ったあの場所、大きな駐車場はもちろんない。あったら嫌だけど。と、いうことはもしかしたら路上に車がたくさん駐車されている?アサギマダラ、テレビでも紹介されているらしい。(うちにはテレビがない)こんなにメディアに取り上げられたら人が多いに違いない。考えただけでも運転下手、駐車下手な私にはハードルが高い。ならば、平日に休みを取っちゃえ!と、計画しました。「休み、交代で取りませんか?」と提案してみたら「11月20日頃以降にしましょうよ。」と言われてしまいました。ダメなんです。アサギマダラがいなくなる。休み、結局取れず。仕方ない。運転上手な夫に持ちかけました。毎週持ちかけてみました。非常に嫌がられました。失敗。こうなったら一人で行くしかありません。アサギマダラのためです。10月31日(土)は職場の関係でいけず。11月1日(日)は自治会掃除で行けず。もう後がない今日。アサギマダラの飛ぶ時間をネットで検索。どうも朝〜昼の方がいいらしい。しかも気温は二十度くらいが一番多いと書いてありました。今日の二十度はちょうどお昼くらい。天気も晴れ。絶好のチャンス。と、その時、母を思い出しました。今日からあのディをクビになった父がもう一度他のディにチャレンジすることになったはずです。母を誘ったらすぐに一緒に行くと言いました。そんなわけで母を助手席にドライブ。初めの頃いつもの父の愚痴を聞かされ、ひたすら自分に「無になれ。落ち着け。聞くな。返事は優しく」と。ああ、ストレス発散したかったのに、一人でくればよかったかも。とも思え少々後悔。でも、いいから話させてあげていれば母もストレス発散できているのだろうからここは我慢だよ。。。と。時々だからできることだけど。そして今年こそは出会えました。大島のアサギマダラ🦋やっと会えました。夢中で写真を撮っていたら母は、ボランティアの方達?と話し込んでいました。帰りに道の駅により、焼き芋を頬張りながら母は上機嫌でした。よかった。父はいよいよディから施設に変わるかもしれないけれどこうやって母を時々連れ出してあげよう。と思えた自分にびっくり。これもアサギマダラのおかげでしょうか。
2020年11月03日
コメント(0)
朝から3時間かけて長文を書きました。アップしようとしたらなかなかできず最後にきれいに記事がなくなっていました。もう一度かく元気はありません。嫌な予感がした時にコピーしておけばよかった。。。もう遅い。事情を詳しく書いたのですが、もう簡単に書きます。10月1日(木)ケアマネさんから「ディを変える」提案あり。10月3日(日)両親にケアマネさんからの提案を伝える。母怒る。父のことをかわいそうといい、どこにも行かなくていいと父に言う。父、娘の言う通りにすると言う。私は、そもそも二人で家で過ごしていたらいいことにならないのでディに行くことにしたのだからケアマネさんの言う通りにしようと提案。一応両親にディを変わることを納得してもらう。ケアマネさんに連絡。新しいディに9日(金)に体験利用で行くことになる。10月6日(火)母から電話。出ると父から話があると言う。父はどこにも行かないと言う。(ディに行かない)土曜に納得したはずなのにおかしい。「あんたの言う通りにする」と言うので「じゃ、ディに行ってください」と伝える。ところが背後から母がどうも反対している様子。ディに行かないのならお風呂はどうするの?ときくと「入らん」と言う。そうはいかないでしょうと言うと「一生入らん」と言う。もはや駄々っ子。土曜の1日かけた話し合いはどうなったのだろう?母に何か言われたようだ。二人の世界に突入。二人の世界は初めバラ色、すぐに地獄。父は一日中ベッドで横たわり、寝たきり老人まっしぐら。母はストレスの塊になる。大声での言い争いが始まる。わかり切っているのにまた繰り返そうとしている。駄々っ子の父を生まれて初めて叱った。もちろん感情的にはなっていない。けれどちょっと強く言わないと伝わらないだろうと思いきつく伝えた。電話を切った後、今度は私が落ち込んだ。父は小さい頃から大好きだった。この年になって老いた父を叱った自分が嫌になった。
2020年10月10日
コメント(0)
朝、何気なく窓の外を眺めていたら、??????はじめは蝶を見たのかと思いました。それほど小さかったんです。いや、枝から枝というか、茂みの中というか、動物が移動している。何?虫にしてはしっかりしていて鳥にしては小さい。見たことないサイズ。こんな小さい鳥がいるのだろうか?いずれにしても逆光でシルエットはわかるのですが色がわからない。それに、木々の中を移動しているのではっきり見えない。素早いのです。見ることを諦めて小さなサイズの鳥を検索したら日本最小の鳥は「ミソサザイ」がヒット。丸っこい形というのがちょっと違っていたような気がする。さえずりを聞くとミソサザイさんのような気がしてくる。本を見たり、検索していくと、「ヤブサメ」のような気もしてきた。常に藪の中にいるという。動きもちょこまかと。動画で声を聞いてびっくり。どう聞いても虫の声。今まで声を聞いていたとしても声の主は虫だと思っていたと思う。ミソサザイにしてもヤブサメにしても11cmくらいのようですが、もっと小さくて細かったように見えたのですが。そんなわけで朝からずっと悩んで結局何ていう鳥なのかわかりません。シルエットだけでわかろうと思うなんて昔そんなクイズ番組があったような気がしますがほとんど無理ですね。連休最終日。何の鳥か悩んだだけでお昼。時間を無駄にしたと思うか、興味深い鳥をじっくり調べるという優雅な時間を満喫したと思うか。。。(コロナのせいで家にいる習慣がしっかり身につきました。)
2020年09月22日
コメント(0)
ほぼ毎日歩いて出勤しています。途中、工事しているところがあります。工事車両の係りのおじさんが毎朝立っています。毎日通るうちに挨拶をするようになりました。今日も挨拶しました。先日からマスクじゃなくてフェイスシールドを装着されています。そんなおじさんですが、昨日挨拶されませんでした。いえ、正確に言うと、私に全く気づかれなかったんです。遠目にもおじさんは私の反対方向から歩いてきていた女子に目が釘付けになっているのがわかりました。若い女子、健康的なミニスカート。そりゃもうおじさんたまらんかったことでしょう(車両がやってこなくてラッキーでしたね)確かに見なきゃ損ですよね確かにバァさんに挨拶している場合じゃありませんおじさん正直者職場に向かいながら人間の本性について考えてしまった朝でした
2020年07月28日
コメント(0)
昨日久しぶりに日記を書いたのですが、(父の眼科行きました)何だかアップするのが嫌になってきました。だって、悲しい内容で、気分を変えて今の私の状況を書きます。ただいま初めてのセルフ白髪染め中なんです。今までずっと美容院で染めてもらっていました。私にはできないと思って。流しも汚れそうですし。でもそう言っていられない状況になってしまったのです。どうもいろんな物質に私自身が反応し始めてしまったんです。先週の土曜日顔が真っ赤に腫れまして。別人でした。人というより、ばけものびっくりしていつもの皮膚科に。(人気の皮膚科ゆえ、受診まで苦労しました)診察室で帽子とマスクを取ると看護師さんたちが一斉に引きましたわそれほど恐怖の顔になっちゃったんです。原因は、目薬ではないかと言われ、紹介状を書いてくださり、眼科へ。(こちらの眼科も人気の眼科ゆえ、延々と待ちました)眼科の先生、「うーん、今までずっと使っててなんともない目薬なんだけどねぇ。まあ、まれにあるからねぇ。2週間後にもう一回来て」2週間後は来週の土曜日です。この超混み混み眼科に3週連続通院!ああ、順番待っているだけで病気になりそう。近頃、なんだかわからないけれど顔が真っ赤になること増えてきたような気がします。アルコールを含んでいるものに触れると真っ赤になるし。アルコールを飲むと死にかかるし。(ある日突然だからたまりません)近頃ニンニクを食べたら湿疹が出ます。キムチは随分前にいきなり食べられなくなりました。(お腹が・・・)らっきょうは食べられますが、生のらっきょうの皮をむくと、顔が真っ赤になります。この頃お日様もまずいかも、と思い始めています。そして、ここ2回くらい美容院から帰ると顔が真っ赤になっていてなんだか気分が悪くなっていたんです。美容院でお香か何かをたいているのかと思い聞いたのですが違うと言われました。???だったんですが、土曜に顔が腫れて気がつきました。(今回の原因は目薬ということですが)私の体がヘアカラーに耐えられなくなってきたのかも。それで早速仕方なく自分で染められて、自然に近いものを。と思いネットで注文しました。(もちろん自然に近いものだからと言って、アレルギーが出ないとは限りません。)やっぱり美容院でやって頂こうと思い、このヘナ染めをやっておられるお店を探しました。電話をしたら、1ヶ月待ち。ああ、でも私の髪は既に白髪が伸びてきていて・・・。で、前置きが随分長くなりましたが、自分でやるしかない状況になったわけです。初めは「ナチュラル」で染めるそうなのですが、これ、液を作ってから一晩置いてから染めるらしい。間に合わない。明日勤務です。明日白髪こんなに多くちゃ困るんです。なので、いきなりハーバルブラウンで。この際ちょっとでも染まってくれればいい。思ったより頭に塗るのは面白かったです。そして、下手なりに少しは色がついてくれました。よかった。ただ、この匂いが・・・。私はそんなに嫌いじゃないけれど、家にいるんならいいんだけれど。職場で「臭い・・・」と思われたら辛い。どうにかならんのでしょうか?またまたネットを見たら、紅茶リンスがヒットしました。明日の朝やってみます。それでも匂ったらあとはヘアコロンかなぁ。(混ざってすごいことにならないことを祈る)
2020年07月26日
コメント(0)
こんばんは。このところこちらに全く書いてなくて。はてなブログの方は結構頑張っています。↓ ↓ ↓https://www.healsion.com/この楽天ブログのページに貼り付いていた困っていた広告も見かけなくなりよかった。。。父と母の認知はどんどん進んでいます。もう弟に連絡もしていません。よく「施設に入ればいい。」とか聞きますが、そもそも「施設に入る前が大変」なのがよくわかりました。体に色々不調が出て。老親だけで病院に行くのがそもそも無理。問診票に記入も怪しく、先生の問いに答えるのも怪しく、受付での理解も怪しく、支払いも怪しく、薬をもらっても、説明を受けても怪しい。次回の予約日も忘れる。そもそもきちんと薬を飲むことが怪しい。もらった薬をなくす。とまぁ、こんな感じで。もはや二人暮らしは厳しい。しかし、本人たちは自分たちは正常だと疑っていない。だからこどもの言うことなど受け入れない。どんどん頑固になる。耳が遠くなって大声。なので父母の言い争いはすざましい。お互い決して譲らない。あんなに素敵だったのに。これが歳をとると言うことなんでしょうか。30年後の自分。。。穏やかにボケるってできないんでしょうか。今日は父の日。お祝いに行って来ました。そしてとりあえずお薬カレンダー購入してみました
2020年06月21日
コメント(0)
母の日なので母に花を持って行きました。なかなかかわいらしい素敵な花籠でした。 母はとても喜んでくれました。いつも訪問すると、愚痴ばっかり言う母が不思議と今日は言いませんでした。正確には、一言だけ愚痴りました。が、そんなの数に入りません。いったいどうしたと言うのでしょう?こんな穏やかな母を見たのは久しぶり?いえ、もしかしたら何十年ぶり?いやいや、生まれて初めて?私は平和な穏やかな時間を心から満喫しました。 母は、プレゼントした花の中にすずらんがあったのがすごくうれしかったそうです。「フランスでは恋人同士が5月1日にすずらんを贈り合うのよ❤️」と言ってはしゃいでいました。彼女はとってもフランスが好きなんです。父が退職した後、2人でフランスにしばらく行ってしまっていたくらいなんです。(旅行ではありません。。。) 父も今日は機嫌が良く、久しぶりに気持ちよく実家を後にしました。 ところが、20時過ぎてから母から電話。。。どうも大げんかしたようです。あ〜。二人とも怪しくなっているから、どうにもこうにも。長年にわたり、父は、母のいいなりだった。それで平和が保たれていた。しかし、父に認知が入ってきた。母の態度に耐えられなくなってきた。がまんができなくなった。母に言い返すようになった。今まで母は人から怒られたことはあまりないと思う。人を怒ることはしても。なので父が少しでも反抗すると途端に母は悲劇のヒロインになる。そして極端な言動、行動に出る母。どうぞお願いだから殺し合いだけはしないでください
2020年05月10日
コメント(0)
全324件 (324件中 1-50件目)