─ 灼熱 ─

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2005年08月27日
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以下は、 「世界大百科事典」 にあるイングランド銀行についての説明である。

イングランド銀行  Bank of England

イギリスの中央銀行。現在は国有企業であるが,歴史的には,1694年,法律によって設置を規定された国策的な私有の株式発券銀行として発足した。対仏戦費の調達に苦慮する名誉革命政権(ホイッグ党政府)を財政的に支援するため, ウィリアム・パターソン の原案に基づいて資本金120万ポンドの出資を募り,その全額を国庫に貸し上げる代償として,出資者たちがイングランド銀行(正式名は The Governor and Company of the Bank of England)という法人(株式会社)を設置する認可を受け,政府から年8%の利子(および4000ポンドの管理費)を受け取るほか,資本金と同額まで銀行券を発行して各種の銀行業務を始めたのであった。当初の 株主は1268人 で,株主総会で選出された正副総裁と24人の理事が重役団を構成した。初期の業務では対政府貸付けが圧倒的比重を占め,これを軸として国庫金の出納や国債業務をも営む〈政府の銀行〉へと成長する。対民間業務としては内外商業手形の割引が重要で,イングランド銀行は組織的に手形割引を始めた最初の大型銀行であった。この場合,イングランド銀行は〈貨幣不足〉を訴える商工業者の要請にこたえて,兌換銀行券の大量発行(そうした信用創造)による利子率の大幅な引下げを実現した。財政の窮乏が民間資金を圧迫し高利貸の温床となっていたから,イングランド銀行による大規模低利貸上げ自体も,一般的な金利水準を引き下げる一因となったであろう。同行の創立によってイギリス(さしあたりロンドン)の手形割引歩合は急落し,4~5% (ときに3%) という低い金利水準が普通になる。旧来の高利貸,とくにゴールド・スミス(金匠)が〈憤怒の叫び〉をあげたのも当然であろう。イングランド銀行は,こうした金匠銀行業者や,トーリー党系の地主によって企画された土地銀行などの妨害をしりぞけ,名誉革命の経済的総決算として,ロンドンの近代的商人層やその背後にある広範な各地の商工業者層の営みを金融的に支援したのであり,重商主義的な産業保護育成の一環として,イギリスを産業革命に導く一因となった。(以下略)



※ イギリスは1689年から1815年までの126年間、戦争ばかりしていた。

・1689~1697年、ウィリアム戦争(対フランス)
・1702~1713年、アン女王戦争(対フランス)

・1744~1748年、ジョージ王戦争(対フランス)
・1754~1763年、フレンチ・インディアン戦争(対フランス)
・1776~1783年、アメリカ独立革命戦争
・1793~1801年、反フランス革命戦争
・1803~1815年、ナポレオン戦争



● 海賊宣教師パターソンが戦費調達で駆使した「魔法の貨幣の公式」

ペーパーマネーと戦争は、恋愛と結婚のようなものだ。2つで1つであり切り離すことはできない。まず、状況を逆から見てみることになるが、ペーパーマネーの購買力が明確に低下する。それは戦争中に起こるのだが、ペーパーマネーの購買力が大きく下落するときは、必ずマネーサプライ(通貨供給量)が大幅に増大している。

このパターンは、1915~1917年の時期のアメリカで、完全かつ明確なかたちで確立された。当時のアメリカのマネーサプライは120億ドルから240億ドルへと増大し、購買力でみたドルの価値は50パーセントに下落した。

さらに例をあげるなら、1689年に即位したイギリス王ウィリアム三世だ。ウィリアムは戴冠するやいなや、フランスとの戦争を始めた。戦争には金がかかる。その巨額の金は、例えば農産物のように実際の富を生産するのではなく、非生産的な活動に浪費される。戦争をするための金を何とか工面しなければならなかったウィリアムは、支配者なら誰でもすることをした。つまり税金を集め、銀行から借金をしようとしたのだが、それでも200万ポンド足りなかった。さらに税金を徴収しようとしたが国民から拒否され、王は途方にくれた。資金がなくなって軍の装備や食料が揃わなければ、戦争は急速に縮小せざるを得ない。

だが、この歴史上の重要なときに、 ウィリアム・パターソン というスコットランドの浮浪者がモンタギュー家のひとり チャールズ・モンタギュー に近づき、戦争資金を賄う計画を持ちかけた(パターソンの素性については明らかではなく、宣教師とも海賊あがりとも言われている)。どのようにしてかは分からないが、パターソンは経理と金融に関してすぐれた知識を身につけていた。その計画は、激しく抵抗する納税者をごまかすのに、戦争費用を隠してしまおうというものだった。歴史上、この時点までは、戦争の費用といえば税(直接税)と借金で賄うのが伝統的だった。パターソンの計画は、平和勢力としての国民を罠にかけ、国民が議会の代表を通じて戦争の問題に参加して意思決定に関与する権利を奪ってしまおうというものだった。簡単に言えば、それまでは、資金の支払いを拒否することで戦争に反対できていたのに、パターソンの方法で戦争経費を賄ってしまえば、国民は戦争問題に関して発言する権利を失ってしまうということだ。




預金通貨(紙幣)が発明されるまでは、金(あるいはその他の金属)が交換手段として受け入れられていた。文明史上つい最近までは、商取引に携わる者は、一定量の金貨もしくは金塊を手元においておく必要があった。これは不便であるとともに危険でもあった。そこで中世末期には、金を所有する者は、それを地元の金細工商に預けて保管してもらうのが一般的となった。金細工商は、金を預けた者にその分の預り証をわたした。

しばらくすると預けた方は、支払いが生じるたびに金を引き出す必要はないことに気がついた。買い手も売り手も、金の預り証を「金と同じ価値がある」と考えるようになり、この受取証が紙幣の原形となった。時代が進むうちに金細工商は、通常は、金の所有者による引き出しに備える場合、預かった金の総量の ごく一部 があれば十分だということを発見した。そうなれば金細工商は、預かった金を貸し出して利子を取ることができる。手元には必要なだけの「準備」分を残して、金の所有者が通常引き出すと予想される分だけをカバーしておけばそれでよい。こうして、「部分準備」に基づいた貨幣制度が登場した。この制度では、金の準備高は、それに基づいて発行される紙幣総額のごく一部でしかない。



パターソン本人は、自分は新たな制度を発見したと思っていたかもしれないが、そんなことはない。紀元前600年のネブカドネザル王の「金本位制」もこの方法に基づいたもので、部分準備にあたる魔法の公式は、10パーセントに固定されていた。つまり、パターソンの計画も今日の銀行のやり方も、近代になっての発明ではなく、バビロニア人などがはるか以前に使っていたものなのだ。パターソンは、キリスト教以前のバビロンの異教徒のやり方をコピーしたにすぎないと思われる。このシステムにおけるペーパーマネーは、専制と隷従の道具となった。

どうやって200万ポンドを工面するかというウィリアム王の問題は、海賊宣教師パターソンによって解決された。パターソンがやった部分準備による融資というバビロン流の方法は、元はといえば、粘土板上で行なわれたことだった。創世記に出てくるニムロデですら、この制度の使い方を知っていた。こうしてウィリアム王は200万ポンドを集め、国民の望まない戦争を継続することができた。




※ 以上、ここまではコールマンの著書『バビロンの淫婦』からの引用である。上の引用でコールマンも書いているように、ウィリアム・パターソンの素性をネットで調べても、殆どなにも出てこない。つまり不明である。パターソンはスコットランド人と言われているが、ケルト系なのか、アングロ・サクソン人なのか、それとも・・・これすらよくわからない。

国際金融家(銀行家)は、歴史的に「バビロニア→フェニキア→カルタゴ→ベネチア→アムステルダム→ロンドン→ニューヨーク」という移動をしてきたと私は思っている。この一族は、数千年もの期間、金融業を主として稼いできたのである。


財閥を 「世界大百科事典」 「広義には,家産を基礎とし,同族支配に特徴づけられた企業集団を指すことばで,ロックフェラー財閥,クルップ,ターター財閥,モルガン財閥,クーン=ローブ財閥,ロスチャイルド財閥,浙江財閥などと使われるが,狭義には,第2次世界大戦前の日本におけるファミリー・コンツェルンを指す用語である。大は三井財閥,三菱財閥,住友財閥の三大総合財閥から,安田財閥,川崎財閥などの金融財閥,浅野財閥,大倉財閥,古河財閥などの産業財閥,小は数十に及ぶ地方財閥が存在したが,家族ないし同族の出資による持株会社を統轄機関として頂点にもち,それが子会社,孫会社をピラミッド型に持株支配するコンツェルンを形成していた点に共通点がある。」 ・・・と説明されている。

死の商人デュポン、鉄道王ヴァンダービルト、鉄道王ハリマン、鉄鋼王カーネギー、石油王ロックフェラー、穀物王カーギル、タバコ王デューク、鉱山王グッゲンハイム、ダイヤモンド王オッペンハイマー、石油王メロン、自動車王フォード、流通王ウォルトン(ウォルマート)、インドの巨大財閥ターター、メディア王マードックやベルルスコーニ、アジア最大の財閥である李一族(リー・カシン、ビクター・リー、リチャード・リー)、ロシアのアブラモビッチやホドルコフスキー、イタリアのアニエリ家・・・などなどは、いずれも大衆に商品(サービス)を売る産業家であった。しかし、ここに挙げた財閥と本質的に違うのが、ロスチャイルドやモルガン、ベアリングなどの国際金融財閥である。国際金融家は、大衆を相手に商売をするのではなく、国家の債券を動かしながら国家的な事業(軍需産業・鉄道建設など)を動かし支配してきたからである。

しかし、現在の2大巨頭であるロスチャイルドとロックフェラー、こいつらは歴史的にごく最近になって誕生した財閥である。ロスチャイルドですらたかだか約200年の歴史であり、ロックフェラーが銀行業に参加してからの歴史は100年ほどでしかない。私は、異論のある人もいるだろうが、ロスチャイルドの奥に隠れて姿を見せない国際金融家の“主流”一族が存在すると思っている。“本物”は姿を見せないものである。



※ 『バビロンの淫婦』は次回に続きます。
次回は連邦準備制度についての記述などを。

続きはこちら 『バビロンの淫婦』連邦準備制度 です。







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最終更新日  2005年08月27日 19時06分56秒
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