江戸城!


江戸城というと皇居を思い浮かべて、気軽に立ち入れない
と思っている人もいるかもしれないけれど、実際に
見られないのは吹上、西の丸、三の丸(の大部分)であって
皇居東御苑と呼ばれる本丸、二の丸は誰でも入ることが
できるんです。

と言いつつ、首都圏で育った城マニアのぼくも
見に行くのはこれが初めてで、江戸城縄張りの
広さには驚いた。

まずは学生の頃、学校までの道筋のちょうど半分の
地点にあって、満員電車で外の空気を吸いたくなったり
たばこを吸いたくなったときに地下鉄から外に出て
一服するポイントでもあった大手町駅から歩き始めた。
大手町を出て内堀通りを渡ると正面に大手門、左右には
桔梗濠と大手濠が伸びている。
お濠を渡って大手門の前にいる警察官にジロジロ見られ
ながら小さな門をくぐると右手にどか~んと巨大な門が
立っている。
江戸城はこんなふうに全ての入り口が、小さな門と大きな
門とがセットになっていて、敵が来たときに狭い門で一度
勢いを止められるように作られている。
その大きな門をくぐると入場者の受付があって、無愛想な
係りの人に番号札をもらって入城する(無料)。
入ったところが三ノ丸の北側なのだけど、三ノ丸の大部分は
皇室関連施設のために未公開。まずは大手休憩所で
菊の御紋入りタバコでも売っていないかなぁ…と物色
してみたけれど、もちろんそんなものは売ってなかった。
まぁ皇室カレンダーとか、テレカとか売ってたかな。

その近くにある古い建物が同心番所で、数少ない江戸城遺構の
ひとつ。江戸城に行ったらよく観察したい歴史マニアには
面白い建物。なぜかっていうと、ここの鬼瓦には葵の紋が
入れてあり、その下に位置する軒瓦には菊の紋が…。
家紋っていうのはとうぜんその建物の持ち主を現すもので
明治維新で江戸城が徳川家から皇室に明け渡された時点で
取り替えられるべきもの。でもまぁ明治の混乱期、新政府も
細かい点まで手が回らなかっただろうし、老朽化していた
江戸城の建物も取り壊されたり、その後の関東大震災で倒壊
したりしたものがほとんどで、現在建っている建物の大部分は
昭和40年代に建てられた物。その中で、この同心番所、大番所、
百人番所など数少ない徳川期からの遺構には今でも徳川葵紋を
見ることができる。だけど徳川葵と皇室菊が同居していて
なおかつ葵のほうが菊よりも上段にあるっていうのは興味深い。


【百人番所】


百人番所から二ノ丸へ

百人番所も江戸城遺構のひとつなので、鬼瓦には葵の紋が残る。
中を見ることはできないけれど、ここに昼夜交代で同心がつめ
江戸城内で一番の要所の三ノ門を警護していた。
伊賀組、甲賀組、根来組などがここにいたということだから
当初は御家人中の精強部隊を揃えていたということだろう。
ここにいた同心は将軍が寛永寺や増上寺(共に徳川家菩提寺)参詣
のさいには山門を警備していたという。このことからも江戸城
百人番所のある三ノ門、中ノ門の重要性がうかがえる。

江戸城に来た重要な目的の一つが二の丸庭園を見ることだったので
百人番所を見てから二ノ丸へ向かった。
昭和天皇の発案によって作られたという武蔵野の雑木林を模した一帯を
かすめるように通って二の丸庭園へ。


【二の丸庭園】


この二の丸庭園の沿革についてはネットで調べた限り正確なことが
わからなかった。当初、家光の頃に小堀遠州によって造園されたが
家光のお気には召さず改修され、その後も手を加えられて明治の
開城に至ったという感じらしい。
そして明治以降は荒廃していき、昭和43年の皇居東御苑の公開を
機に九代家重の頃に作成された絵図面を参考に作られたそうだ。
ということで、現在の庭園がかの小堀遠州の作った庭と言えるのか?
というと、かなりあやしい。
それでもこの小さな日本庭園は悪くない。
小さな滝から池へ流れる水の様子や、澄んだ池の底にゆらゆら揺れる
水藻などはゆっくりと眺めていたいという気にさせてくれる。


【諏訪の茶屋】


二の丸庭園の近くにある建物が諏訪の茶屋
11代家斉のころに吹上に建てられたのが初めで、
その後、明治45年に同じ場所に再建され、
昭和になって東御苑の公開を機に現在の場所に
移設されたものらしいです(あくまで「らしい」のです)

この微妙な曲線がなんとも心落ち着くものがありました。
一目見て「いい建築だなぁ」とぼくは思いました。
日本伝統のいくつかある建築様式のなかでも一番好きです。
ここで気がついたのですが、庭については造園者が誰なのか
記述に残っていることが多いみたいだけれど、建築物に
ついては設計者が誰なのかわからないことが多い。
少なくとも、パンフレットなどに書いてあることはほとんど
ないような気がするのだけれど…
建築家が社会で重要な地位を得たのはかなり最近のこと
なのでしょうか?


【諏訪の茶屋】



【白鳥濠】


諏訪の茶屋をあとにして、とうとう本丸に向かいました
急な汐見坂を登っていきます
右手には白鳥濠
汐見坂というくらいだから、この坂からかつては海が見えたんだろうなぁ
今は振り返って丸の内方面を眺めてもビルばかりです
でも、だいぶ高いところまで登ってきたとわかる場所なのです。


【天守台】


ついに江戸城登頂!
ズドン!と石垣が積まれた天守台はすごい重量感
天守閣がなくても江戸城のすごさがわかる
そして天守台のてっぺんに登ると東京が見渡せた
ここは気持ちぃ~

この場所に来ると江戸城が城郭分類すると「平山城」という
タイプにあたるというのがよぉくわかる
平地である大手町から三ノ丸、二ノ丸、本丸と進むにつれて
徐々に標高が高くなっているのだ。
そしてこの天守台の上に天守閣が建っていた江戸時代ならば
かなり遠くからも陽に輝く天守を見ることができただろう。
天守閣と富士を同時に見られたんだろうなぁ…
ハァ…一度でいいから見てみたかったぁ


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