ヒジャイ        日々の詩

     ヒジャイ        日々の詩

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2011/01/29
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「戦を刻む南洋の島」の掲載は昨日から始まり、今日は2回目である。
昨日の見出しは、「県人犠牲の実態不明 沖縄と二重写しの悲劇」であった。今日の見出しは「見えない民間人の悲劇」である。

フィリピンを旅行していたある若者のブログに、彼がフィリピンの田舎の旅をした時、村の酒座に参加したことがあったが、長老が「戦前、お前たち日本人がフィリピンでどのような残忍なことをしたか知っているな」と問い詰められたそうだ。予想もしていなかった詰問に彼は驚いたが、彼は日本軍による残虐行為を素直に謝ったそうだ。すると長老はにこりと笑い、「反省しているのなら歓迎だ」と言って、仲良く酒を飲んだということを掲載してあった。フィリピンにはまだ日本による植民地支配の傷跡が残っているということを気づかされたとブログは結んでいた。

沖縄の人たちの移民で、ブラジルに移民したケースと南方に移民したケースは内容が違う。ブラジル移民は相手国の許可を得、一民間人として移民生活をしている。だからゼロからの出発であり苦労の連続であった。
しかし、南方への移民は日本軍による原住民を武力制圧した地域への移民であり、帝国主義日本国家の植民地政策の一環であった。ブラジル移民者が土地を得るためには多くの苦労があったが、南方への移民者が土地を得るのは日本軍が植民地にした土地をあてがうので苦労はなかった。作物もさとうきびを国が指定し、製糖工場も建てられたので、懸命に畑仕事をすればよかった。

南方には日本軍が武力で原住民を支配し、国策として砂糖を生産するために多くの沖縄県民を移住させたのだ。南方の原住民を差別し、抵抗するものは有無を言わさず処刑したのが南方の歴史である。

沖縄の平和主義者は沖縄が日本やアメリカに差別されていると怒る。そして、本土の人たちが沖縄の差別を知ってくれないことを嘆く。

琉球新報に掲載している「戦を刻む南洋の島 2」の題名は「見えない民間人の悲劇」である。沖縄平和ネットワーク代表世話人である村上氏にとって、沖縄県民が移住した南方でその土地の原住民が差別され虐げられたことは全然関心がないようだ。彼にとって「民間人」とは沖縄県民だけであり、原住民は民間人ではない。つまり、原住民は沖縄県民とは異種のものであり、人間として存在するものではないのだ。

村上氏はサイパンが戦場となり、多くの沖縄県民が戦争に巻き込まれて死んだことの悲劇を問題にしているが、サイパンを日本の植民地にしなければサイパンが戦場になることはなかった。日本の植民地政策で他人の土地に銃剣で押し入り、原住民を蹴散らして、日本人が我が物顔で住んだ。移民した私たち沖縄の人間も南方を植民地支配した日本の一員であり、南方の原住民を差別しひどいことをしたのだ。








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Last updated  2011/01/29 09:01:23 AM
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