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名は嬙(しょう)、字(あざな)は昭君。
紀元前33年に和親政策のため匈奴(きょうど)の王に嫁がされた女性です
北方遊牧民である匈奴は宣帝時代(在位前74~前49)になると郅支単于(しっしぜんう)と呼韓邪(こかんや)単于の両勢力に内部分裂を起こし呼韓邪は前漢に投降し自ら臣と称して来朝します
次の元帝時代には郅支が漢軍の攻撃を受けて敗死しました
このとき二度目の来朝した呼韓邪は「漢氏の婿となって自分が北辺の守りにあたりたい。後宮の女を下賜してほしい」と希望したそうです
それに応えた元帝が与えたのが王昭君だったと言われています
『後漢書(ごかんじょ)』によると彼女は選ばれて後宮に入ったにもかかわらず元帝から何年も顧みられず自ら匈奴に嫁すことを望んだのだそうです
話が決まってから王昭君を初めて見た元帝はその美しさに大いに驚き手放すのを惜しんだと言われています
呼韓邪の妻として寧胡閼氏(ねいこえんし)と呼ばれ長男(男児)を生み単于の死後は匈奴の風習に従い
本妻の子で次の単于の復株累(ふくしゅるい)の妻となっています
次女(女児)を生み余生は匈奴の地で一生を終えます
この王昭君哀話は後世広く伝承され史実とは異なる虚像が文学作品に作られているようです
その中でも元の馬致遠(ばちえん)の戯曲『漢宮秋(かんきゅうしゅう)』が最高の傑作と言われているそうです
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