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項羽の愛人ではありますが正確な名前ははっきりしていません
漢書には「有美人姓虞氏」とも史記には「有美人名虞」とも書かれています
「美人」とは後宮での役職名であると言われていますまたその容姿を表現したものでもあります
小説やテレビドラマでは項羽の妻として描かれ虞を姓とし「虞姫(ぐき)」と紹介されているものが多くあります
項羽との馴れ初めについては『史記』にも『漢書』にも記載されておらず垓下の戦いで初めて劉邦率いる漢軍に敗れた傷心の項羽の傍にはいつも虞美人がいて項羽は片時も彼女を放すことがなかったと紹介されています
また明代の通俗小説である『西漢通俗演義』では項羽の武勇を知った会稽塗山の近隣にある村の父老である虞一公が項羽を家に招き娘である虞姫(虞美人)を項羽に娶せるために会わせた時を馴れ初めとしています
虞一公によると虞姫は「聡明で貞淑で幼い時から書を読んで大義に通じている。母が虞姫を生むとき部屋で五羽の鳳凰が鳴く夢を見たため後に貴人となることと分かり誰にも嫁がせなかった」であるとされています項羽は虞姫の美しい容姿を見て婚姻を約束して宝剣を渡して一度別れその後の吉日を選んで婚姻を結び一族の虞子期を大将に取り立てたそうです
さらに『西漢通俗演義』では「虞后」と表記した部分があることから虞姫は項羽の正室という扱いとなっているようです
虞姫は作品の途中から参謀のように項羽を諫め
聞かなかった項羽を許し励ます武人の妻としての道義をわきまえた存在となっています
⚪劉邦軍により垓下に追い詰められ四面楚歌の状態になって自らの破滅を悟った(思い込んだ)項羽は彼女に
力拔山兮氣蓋世(力は山を抜き 気は世を蓋う)
時不利兮騅不逝(時利あらずして 騅逝かず)騅不逝兮可奈何(騅の逝かざる 如何すべき)
虞兮虞兮奈若何(虞や虞や 若を如何せん)と歌って垓下から脱出します
⚪『史記』の『楚漢春秋』には虞美人の返歌が載せられていて
漢兵已略地(漢兵、已に地を略し、)
四方楚歌聲(四方は楚の歌聲。)大王意氣盡(大王の意気は盡き、)
賤妾何聊生(賤妾、いずくんぞ生を聊ん。)
また、北宋の『古文真宝』の前集に掲載された『虞美人草』という作品では虞美人は自殺したと記されています
明代の『伝奇』と呼ばれる歌劇『千金記』では虞美人は生きるために劉邦に仕えるように自分に言って聞かせる項羽に対し自殺を願い出る項羽は虞美人の自殺を了承し青峰という宝剣を虞美人に渡す
虞美人は命を絶ち項羽は虞美人の死を悲しみその最期を史書に残すように部下に命じ虞美人は自分の意思で貞操を貫く烈婦とされています
この虞美人の自殺云々については女性の貞節が口うるさく言われるようになった北宋時代からそのような話が出てくるようになったと言われています
また自殺した虞美人の伝説はヒナゲシに「虞美人草」という異名があるのですが彼女が由来となったと言われています
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