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1月は今日で実質的に終わった。明日と明後日は休日なので普通一般のサラリーマンにとっては余暇である。仕事始めの今月5日が随分昔のことのように感じる。年度末を控えて慌ただしく仕事をした1月であった。2月も同様に忙しいであろう。忙しさにかまけて日記も内容が薄くなっているので、仕事が楽になり次第、旅行に出掛けて充実させていかなければと思った次第である。明日からは何となく上京して都内を散歩してくることとした。仕事に追われている時ほどこういった気分転換も大事なのであろう。
2010年01月29日
28日は大寒を過ぎて寒の期間中にも拘わらず雨であった。珍しいことである。今年は雪かきをせねばならない程の積雪が一度もない。仕事の面から言えばこれほど楽なことはないのだが、地球温暖化の影響なのかと懸念したくもなる。ここ松本近辺だと、あと1.5ヶ月ほど辛抱すれば雪害の心配は無くなる。今暫くは油断出来ないだろう。
2010年01月28日

札幌雪祭りの準備が進んでいるようである。今年は2月5日(金)~11日(木)に開催されるとのこと。開催まであと1週間ほどとなった。特に大通公園の大きな構築物は建造に1ヶ月程度かかる模様である。1月から2月上旬頃に札幌を訪れれば、雪輸送中と幕を掲げたダンプカーや完成間近の雪像を見ることが出来る。氷像がメインの薄野会場は直前に行くとほぼ完成した像を拝むことも出来る。写真は2008年の雪像。同じ雪像でも昼と夜では雰囲気がかなり異なった。これはちょっと古い2005年。薄野会場の氷像も綺麗だが、圧倒的に大きい雪像は存在感抜群であった。今年は雪祭り観覧には行かないが、なかなか見応えがあって何度も行きたくなるイベントの一つである。
2010年01月27日
今日25日は、ニッコー(日航)の日であったとのこと。先日の破綻発表から間もないが、社員らが日航の新生を空港や街頭で啓発したとの報道であった。個人的にはバーゲンフェアやIT(ツアー)利用がメインなので日航にとっては儲からない客の一人なのであろうが、自分にとってはJRとともに旅行の楽しさを教えてくれた会社でもあるので、良い方向へ行って欲しいと願うほかない。
2010年01月25日

先日2月の旅行の予約を済ませた。今回は2/13~14の週末を利用して青森県の浅虫温泉へ行くこととした。青森と言えば、三角屋根のやたらに目立つアスパムが有名である。(2006/06撮影)駅前には青函連絡船も繋留展示されている。(2006/06撮影)陸奥湾の新鮮な魚介類と、温泉を楽しんで来ようと思っている。
2010年01月24日

既報とおりJALバーゲンフェアが2010年度上半期も継続実施となった。いまのところ日程が発表されているのは4~6月である。ANAも同日程で追随するはずなので、春も桜と共に旅行を楽しめそうである。写真は2008年4月上旬、桜が満開の大阪城公園。2月に入れば4月搭乗分の先行予約も受付が始まるだろうから、そろそろ行く先を決めておかなければならない。
2010年01月23日
本日JALのホームページを見たところ、バースディ割引復活との嬉しい告知があった。19日の更正法申請などJAL絡みでは暗いニュースが続いていたが、久しぶりの朗報である。自分の曖昧な記憶ではバースディ割引の嚆矢はJAS(日本エアシステム)であったかと思う。JALとの統合後に旧JASのある意味良い面が失われて行った気がするので、その流れを改めるような今回の決定は大変結構なことであると思う。併せてバーゲンフェアの2010年度上半期の実施も決まったようである。こちらの嚆矢はANA(超割)であったような気がするが定かでない。専ら廉価航空券しか買わない自分に偉そうなことは言えないが、気軽に空の旅を利用出来るこの制度にはかなりお世話になってきた。甚だ勝手乍ら今後とも存続してもらえれれば幸甚である。
2010年01月22日

一昨日(19日)、地元松本空港へFDA(フジドリームエアラインズ)機がデモを兼ねて飛来した。報道によると長野県知事、松本市長など関係者もデモフライトに搭乗したようである。自分も見慣れぬ飛行機が松本空港へ着陸進入するところをちょうど目撃したので、いよいよだなあと思った。周知の通り、JALの経営危機から始まって、地元松本空港からJALが今年5月末日をもって完全撤退する話が決まっている。現在松本空港からは板付、伊丹、千歳行きの三路線がJALによって就航中であるがこれが一気に廃止となり、松本空港を発着する定期便が全て消滅することとなった。代わって松本空港に就航を表明してくれたのが、静岡空港を本拠地とするフジドリームエアラインズである。長野県にとっては救世主のような存在となった。拾い物画像のFDA機(ERJ170型)。多額の税金を投入してジェット化された松本空港が、これで何とか無駄にならずに済みそうである。自分を含めた地元住民も、積極的に活用して盛り立てて行ければと願うほかない。
2010年01月21日

今日は二十四節季のひとつ大寒であった。報道等で周知の通り、大寒らしくない春めいた一日となった。地元松本でもかなり暖かく、会社の倉庫内よりも屋外の方が気温が高かった。これからまだまだ寒い日が続くだろうし、雪かきを要するような雪も未だ降るだろう。この温かさは冬将軍の束の間の休みと言うことでありがたく享受したいと思った。写真は昨年2月22日に撮影した上野公園(東京)の梅。こう言った開花を楽しめるのももう少しの辛抱である。
2010年01月20日

本日報道されている通り、日本航空(JAL)が会社更生法の申請を行った。政府の全面支援の下に直ちに再建に入るとの事は周知の通りである。個人的にはマイレージは保護されるとの事で実害は少なそうな感じも受ける。特にここ8年くらいは旅行の足としてそれなりにお世話になって来た航空会社の破綻はたいへん悲しい気持ちである。退任する西松社長は報道で見る限りでは過去に居た国賊天下り官僚出身の社長と違って、生え抜きとして一生懸命頑張ってきた感があったので、とても残念に感じた。個人的には最も利用機会が多い航空会社なので安全運行を継続しつつ、首尾良く再建を果たして欲しいと願うほか無い。また微力ながら私的に利用することで貢献出来ればと思う。写真は喜界島空港に駐機中のJAL(JAC)SAAB機(再掲画像・2008/12撮影)
2010年01月19日

1月9日~11日までの三連休を利用して、冬の淡路島へ旅行に出掛けた。(その5)道の駅あわじで昼食と明石海峡大橋の眺めを楽しんでから、島の北端を廻って西海岸線を南下する。最初に江埼の燈台を見に行く。かなり歴史の古い燈台で、先の大震災ではかなりの損害を受けたが、現在は復旧されて美しい姿を取り戻している。江埼灯台、明治4年初点灯とのことで140年近く現役である。次に阪神・淡路大震災の震源となった野島断層が保存されている北淡震災記念公園へ行く。ちょうど15年前の本日(1月17日)、この断層が動いたことで6千4百余名の人命を奪った未曾有の大震災が起きた。震災の日が近いためなのか、閑散としている島内では結構観光客が多かった場所である。北淡震災記念公園の慰霊モニュメント。資料館内には、震災当時の凄まじい惨状の記録写真が多数展示され、息が詰まるほどの恐ろしい光景であった。また、倒壊した高架道路の再現模型も展示されており、このような大きな構造物が簡単に倒れてしまったことが未だに信じられない思いであった。資料館に隣接して野島断層を保存している建家がある。露天のままだと、雨水等の浸食を受けて、断層が判らなくなってしまうので、上屋を掛けて永久保存したものである。断層面を上から見た物と、横方向から見たもの。長さ10キロに渡って、横方向に1~2m、縦方向に50~120cm程度ずれたとの事であった。不動と思われる地面がこんなに動くなんて断層を見ても俄に信じられない思いであった。保存断層の隣には、当時の民家が残されており、塀が横ずれを起こしていることや、家が歪んでいることがよく判った。また、震度7の体験コーナーもあり、その揺れの凄さに肝を冷やした。あのような激しい揺れでは、何をすることも出来ないし、建物が壊れても不思議は無いと思った。震災の凄まじい記録を見て、のどかな観光気分が全く吹き飛んでしまった。悄然として記念館をあとにする。これで淡路島内の予定されていた観光は終わりである。高速道路を徳島空港目指して南下する。カーナビによると北淡ICから鳴門ICまで2600円ほどかかるらしいが、ETC割引のお陰で1000円で済んだ。給油を済ませてレンタカーを返納し、高速バスで舞子BSを目指して来た道を引き返す。舞子で降りるのは、神戸側からも明石海峡大橋の眺めを見ておくためである。神戸側から見た明石海峡大橋。対岸はお昼頃に居た淡路町方面である。橋の裏側は空中回廊となっていて有償入場が可能である。舞子周辺は公園となっており、移情閣(孫文記念館)、橋の記念館など観光施設も多いが、既に夕方なので閉館時間となっていた。今宵の宿は三ノ宮へ取ってある。舞子駅から山陽本線の電車で三ノ宮駅へと向かった。(淡路紀行の巻 完)
2010年01月17日

1月9日~11日までの三連休を利用して、冬の淡路島へ旅行に出掛けた。(その4)由良要塞の遺構を瞥見後に洲本市内のビジネスホテルに投宿する。一休みしてから夕食に出掛けた。今回は宿近くにあった寿司屋へ行ってみた。地物の鯛、穴子、蛸などに舌鼓をうつ。刺身で食べた鯛は、頭をカマ焼きにして貰って余すところ無く食べる。サービスで淡路名物の玉葱の天麩羅を出して貰う。甘くとろけるような食感でこれも美味であった。最後に握りを貰って心身共に堪能出来た。明けて翌日、洲本市から海岸沿いの国道28号線を北上する。道沿いには遊園地や海水浴場などあるが、素通りして島の北端に近い、国営明石海峡公園へ行く。公園と淡路夢舞台と称する施設が一緒になっている。国営明石海峡公園の南側エントランス付近ここは花や植物の名所で、春期~秋期は様々な花が咲き乱れて綺麗らしいが、この時期は全くのシーズンオフとの事で観光客は殆ど居らず、やたらに広い園内は閑散としていた。冬季はやっているかと思った温室も改修工事中で1月下旬までお休みであった。園内は良く整備された遊歩道があり、案内看板、トイレも随所にあってさすが莫大な税金を掛けた国営公園である。公園の高台からは海の眺望も良い。海の要衝明石海峡に近いとあって航行する船舶も多い。また付近は航空路にもなっているようで、飛行機の爆音も頻繁に聞こえる。閑散としている園内の一角を利用してフリスビードック選手権なる催しが行われていた。カメラの性能と、撮影者の技量が劣る為に、犬がジャンプしてフリスビーをキャッチした瞬間を撮影することは出来なかったが、なかなか敏捷に動き回る犬に感心した。公園の南西側は淡路夢舞台と称する階段花壇?があったり、国際会議場、高級ホテルなどもある。写真は夢舞台方面とウェスティンホテル淡路。夢舞台付近、階段状に流れる水路。いずれにしても金がかかっているなあと実感出来る公園であった。シーズンオフで閑散としている姿を見てしまったので、どうしても税金の無駄遣いと言ったマイナス要素が印象に残った。やたらに立派な国営公園を見たので、類似施設と思われた県立の淡路公園(高速道路SAを兼ねる)は割愛した。至近距離に国営と県営の公園が隣接しているのも無駄なような気がしてならなかったが、県立公園は見ていないので何とも言えない。車は島の北の玄関口である岩屋港へ着く。ここから対岸の明石までたこフェリーが出ている。明石と言えばタコであるが、たこフェリーとは何とも安直かつ判りやすいネーミングである。上の橋は自動車専用道路なので小型二輪車や自転車、歩行者は通れない。こういった利用者はフェリーで海峡を渡る。橋を眺めるには船からが一番良いので、今回も乗りたかったのだが、時間とスケジュールの関係上諦めざるを得なかった。明石海峡大橋を頭上に戴く、道の駅あわじへ行く。対岸が明石、垂水方面。ビルや建物が多く建ち並び、海峡を境にして人口密度が全く違うのが判る。道の駅の2Fテラスより。橋の袂付近は公園となっていた。釣りをしている人やジョギングをしている人も多い。橋の建設に使用された潜水艇とのこと。ちょっと早いが、ここで昼食を摂る。昨日はタコ丼であったので、今日は名物の穴子丼にした。柔らかく、香ばしくなかなか美味しかった。(次回へ続きます)
2010年01月16日

1月9日~11日までの三連休を利用して、冬の淡路島へ旅行に出掛けた。(その3)水仙郷の観光後、かつて紀淡海峡の防衛に任じていた旧帝國陸軍由良要塞の遺構を瞥見した。昭和20年の敗戰までは、全国の重要港灣や重要海峡には要塞地帯が設けられ、一般人の立ち入りは制限され、当時の地図もこういった重要拠点は空白とされていた。常設の要塞では北は津軽海峡(津軽要塞)から首都を護る東京灣要塞、紀淡海峡を守る由良要塞、對馬海峡に睨みを効かす對馬・壹岐の要塞など各地にあった。大阪灣を含めた瀬戸内方面の防護に任じていた由良要塞は司令部を淡路島の由良に置いていた事からその名前が付いた。堡塁と砲台は淡路島側と紀伊半島側にそれぞれあった。和歌山側では加太、深山、友ヶ島などに、淡路側には由良を中心に置かれ、後に鳴門海峡の要塞も隷下に収めた。旧日本軍の要塞は、對空戰闘能力がほとんど皆無であったことから、戰争には何ら貢献することもなく、ほぼ無傷のままで敗戰を迎え、進駐軍の破壊よってその使命を終えた。由良要塞では大きな規模を誇った生石山砲台跡。案内看板に当時の砲台配置が記されていた。現在は生石山公園として一般開放されている。28糎榴弾砲砲座。旅順の攻城戰にも活躍した大口径砲も装備されていた。同砲側庫。彈火薬などの格納に使っていたらしい。駐車場付近に残る赤煉瓦の遺構と、破壊された砲身。何の遺構か判らないが、何かの基礎のような石積も残されていた。堡塁の塹壕線。山の下から砲台の占拠を目的として攻めてくる攻城軍を撃退するための塀とのこと。戦後(昭和44年)になって、この生石岬にも燈台が建てられた。生石鼻燈台。海峡防衛の要塞が設けられた場所だけあって、紀淡海峡方面の眺望はたいへん良い。対岸には関空があるので、離着陸する航空機がひっきりなしに見えた。由良港の前に砂嘴状に広がっている成ヶ島。往事はここにも砲台があったとの事。これで9日(土)の予定されていた観光は終わった。あとはのんびりと洲本市内へ今宵の宿目指してドライブする。(次回に続きます)
2010年01月15日

1月9日~11日までの三連休を利用して、冬の淡路島へ旅行に出掛けた。(その2)12日~14日まで旅行の疲れなのか風邪をひいて寝込んでいたので更新が遅くなってしまった。12日は珍しく38℃くらいの熱が出て仕事も休んだ。幸い熱は1日で終わったので新型インフルでは無かったのが幸いであった。淡路島南端の福良港方面の観望を終えて、次の目的地である灘黒岩水仙郷を目指す。この時期の淡路島では最も集客力のある観光ポイントとなっている。当然水仙も見頃を迎えていた。シーズンオフで閑散としている島内で唯一人が密集していたのがこの水仙郷であった。駐車場待ちの渋滞を20分ほど耐えてやっと車を停められた。目指す水仙畑はかなり急峻な傾斜地にへばりつくように存在していた。脚の悪い高齢者にはかなり大変と思えた。まわり一面の水仙で香りも漂い、とても美しい。園芸や植物には普段あまり興味が無いが、一面に咲き乱れる光景は素晴らしく素直に感動する。水仙郷の高台からは南淡町の離島である「沼島」も一望出来る。凪いでいる様に見える紀淡海峡の海も綺麗であった。サミットに近いところから海側を見下ろす。かなり急な傾斜地に水仙が咲き誇っている様子が判るかと思う。水仙のアップ画像。ピントがいまひとつ。観光客の一部は高級そうなカメラを持った人も居た。狭いところに結構人が多いので腰を据えてゆっくり撮影が出来ない。温暖な淡路では早くも梅が咲いていた。厳冬期の長野県から来れば俄に信じがたい光景である。最後に水仙の案内掲示板。花の構造が図示されていた。灘黒岩水仙の観光が堪能出来たので、類似施設である立川水仙郷の観光は割愛して、次の目的地である旧帝國陸軍由良要塞遺構を目指す。(次回に続きます)
2010年01月14日

1月9日~11日までの三連休を利用して、冬の淡路島へ旅行に出掛けた。(その1)1月9日の早朝、高速バスで松本を出立して名古屋へ向かう。高速道路はたいへん天気が良く朝日が眩しい。定時に名鉄BCへ到着、地下の鉄道駅より中部国際空港行き特急に乗る。30分ほどでセントレアへ着く。ここも好天である。今回は全日空の徳島空港行きに搭乗する。お馴染みのDHC8-Q400型プロペラ機である。北向きに離陸して大きく旋回し、四日市付近らしい煙突群を見ながら紀伊半島東岸を南下する。串本付近を通過し、南紀白浜を見ながら高度を下げてあっと言う間に徳島空港へ着陸した。揺れもなく離陸から40分弱の快適な飛行であった。空港で頼んでおいたレンタカーを借りる。早速車を運転して鳴門ICより淡路島南ICまで高速道路を走る。大鳴門橋も自分の運転では初めて通過する。高いところを走っているので気のせいか少々足が涼しく感じる。淡路島南ICで降りて大鳴門橋記念館へ行く。大鳴門橋記念館の外観。淡路島は阪神圏という大消費地を近くに抱えている為か、農水産業の名物が多い。淡路牛、玉葱、枇杷、タコ、ふぐ、鯛、穴子等々目白押しである。また徳島にも近いのでサツマイモ(鳴門金時)も良く売られている。丁度昼時であったので、名物のひとつであるタコ丼を頼む。柔らかく煮たタコでなかなか美味であった。食事を終えて展望台より大鳴門橋を望む。記念館からだと橋をの向きとほぼ平行に見えるので、このような眺めになる。海を挟んだ対岸は徳島県の鳴門市。ここにも類似の橋の展示施設があるが、ここは数年前に訪れたので今回は割愛した。島の南西端側には風力発電機群が山上に聳えていた。年間を通して風が吹く場所なのであろう。記念館の中で鳴門海峡の勉強をする。一番判りやすかったのが、鳴門海峡付近の海底地形鳥瞰模型であった。この海峡は潮の流れが速いために海底の柔らかい部分が削られたのか、海峡の最狭部を挟んだ両側の海が大きく窪んで甌穴状になっていた。このような複雑な海底地形が渦潮の生成とも関係しているらしい。なお、鳴門海峡の潮は時速11節(約20粁)とのことで、関門海峡をも上回る海の難所であるとの事であった。大鳴門橋記念館の観覧を終えて、淡路島の東海岸線に沿って洲本市まで北上しながら観光をすることとした。最初に島の南東端付近の高台へ行ってみる。淡路島の南の玄関口である福良港を見下ろす。橋が出来るまではここから渡船が運航されていたのであろう。この福良港は湾口付近を煙島が塞ぎ、両側が半島になっているので鹿児島湾の縮尺模型を見ている気がした。名前は判らないが無人島らしき離島も見える。大鳴門橋もこの角度からの方が美しく見えると思った。タイミング良く渦潮見物の観潮船が福良港へ戻ってきた。写真のほぼ中央部にある帆船を模したような船が観潮船である。戻ってゆく船もあれば、出てゆく観潮船もあった。橋の直下を目指して航行中の別の観潮船。11節の潮流を乗り切れる船の為であるのか、レトロな外観とは違って意外に船脚は速いと感じた。淡路島南端の眺望を楽しんだので、次の目的地水仙郷を目指す。(次回に続きます)
2010年01月11日

明日からの三連休を利用して兵庫県の淡路島へ行く。丁度水仙が見頃とのことである。日本海側の雪景色とは正反対の明るい空と海を見ることも出来るであろう。水仙(拾い物画像・再掲)それと、間もなく15周年を迎える阪神大震災の震源地跡も訪れて来る予定である。野島断層(拾い物画像・再掲)つい忘れがちである天災の怖さを改めて学習出来ればと思っている。
2010年01月08日

今日は七草。春の七草で作った粥を食べる日である。「セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコラベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ」は諸賢の周知の通りである。拾い物の解説画像。スズナは蕪、スズシロは大根であることも絵を見ると判りやすい。拙宅でも夕餉にありがたく粥をいただいた。個人的にはナズナの味が一番強いような気がする。春の山菜を先取りしたような個性の強い味と匂いは、未だ遠い雪解けを予感させる気持ちにさせてくれる。こういった季節感や節目が感じられる食材はとても大事だと思った。
2010年01月07日
昨日5日は二十四節気のひとつ、小寒であった。この小寒から大寒を経て立春までが1年で最も寒いと言われる「寒の内」である。もっとも暦と実際の気候は若干ずれているが、季節を早取りしたような二十四節気は個人的には好きである。自分の住む松本近辺は降雪も殆ど無く多少寒いだけで今のところ楽な冬を過ごせているが、日本海岸など大雪となっている地方も多い。大雪が降るとホームセンターの店頭から雪かき道具と塩カルが一気に無くなる時がある。何時降っても良いように雪かき道具くらいは点検しておかないといけないだろう。
2010年01月06日

今日から仕事始めであった。世の中が停まっているかと思えば意外に仕事があった。朝出社してみるとメールやFAXがいっぱいあった。朝からうんざりムードである。会社の同僚も夕方、皆残っていたのでそれなりに業務があったようである。長期連休明けの初日からいきなり全開はきついので、明日くらいから徐々に平常に心と体を戻せたらありがたい。写真は本文と関係ないが、雪深き、秋田県乳頭温泉郷(2005/1/25訪問)。これから冬本番を迎えて、雪景色の温泉も恋しくなる季節である。
2010年01月05日
7日間に渡った年末年始休業も今日で終わりとなった。官公庁などは一足早く今日から始業のところもあったようだ。昨晩は新年会でかなり酒を呑んだ。珍しく飲み会であった事の記憶が半分以上飛んでいた。そのためか今日は一日中具合が悪く、猫まんまの昼飯を何とか喉に流し込んで、14時過ぎまで呻吟していた。二日酔いは何度やっても懲りない。今晩の晩酌は家族が怖い顔をするので、ビール1杯のみに自粛させられてしまった。明日は仕事始め、今日は早めに休んで鈍りきった体と精神を元に戻さねばと思っている。
2010年01月04日

昨日のスキーの後は大町市の知人宅で「かまくら」作りをした。ここ数年はそれほど雪が多く無かったので大きいかまくらは作れなかったが、今冬は年末からコンスタントに降雪があったので、材料の雪は充分にあった。製作中。雪を小山のように盛り上げて行く。あとで落盤しないように圧力を加えて雪を潰しながら積む。なので、積んだ量の割に山がなかなか高くならない。掘削作業。山の高さがある程度に達すると内部を掘る。中腰で掘るので結構くたびれる。完成したかまくら。大人5人程度は入れる大きさになった。早速中でビールとお汁粉をいただく。妙な取り合わせであるが、大人4名で2時間みっちり掛かったので、心地よい疲労感に珍しく甘い物が美味しかった。かまくらといえば秋田県の横手市が有名である。残念ながら冬季に行った事は無いが、同じ秋田県の乳頭温泉郷「鶴の湯温泉」へ真冬に出掛けたときには降りしきる雪の中、正門前に立派なかまくらがあって良いモニュメントとなっていたのを覚えている。
2010年01月03日

2日、長野県北部にある爺ヶ岳スキー場へ滑りに行った。友人と子供達も一緒であったのでファミリーゲレンデとしては比較的規模が大きいこのスキー場にした。天気は雪ときどき曇り。大町市は日本海岸と概ね気候が同じなので、冬型のときには大概雪となる。大晦日くらいから結構降ったとのことであった。初級コースがほとんどのスキー場であるので、子供連れには最適である。またコースの幅も広いので多少人が多くても苦にならない。半日滑って大人も子供も気が済んだのでさっと引き揚げた。
2010年01月02日

本日は西暦2010年、平成22年・庚寅、皇紀2670年の元旦である。朝、遅めの起床後に玄関先へ国旗を掲揚する。神仏にも新年の挨拶をするとともに昨年までの加護に謝意を表す。門松と日の丸が並んで日本の正月らしい風景となった。今年も大禍無く良い年でありますように。昨晩は夜11時過ぎに近所の神社へ出掛けて二年参りをしてきた。幸い雪は止んでいたが、寒い夜であった。参拝後に御神酒をいただき焚き火の前で談笑しながら午前零時を過ぎる。神社で零時を過ぎれば二年参りは完結であると思っている。遠くから除夜の鐘も聞こえてくる。赤々と燃える火を囲みながらの年越しイベントは終わった。
2010年01月01日
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