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4月28日、千葉県富津市にある富津岬を訪れた。(その2)岬突端の観光が終わったので徒歩で岬の付け根に向けて歩く。上空にはエンジン付の落下傘が飛んでいた。観光用なのだろう。高所恐怖症の当方には無縁の存在である。松林の中にある平坦でまっすぐな道を3キロほど歩く。やがて池のある公園に辿り着く。地図で見ると半月状の池と島があるが、此処が中の島「富津元洲堡塁砲台」の跡となっている。明治大正期にはここに大砲が備えられ、東京湾をにらんでいた。この砲台は周囲を濠で囲まれた堡塁としての役割もあり、万が一敵が上陸してきた場合には軍事拠点として反撃する役割も考慮されていた。堡塁周囲の池(濠)と中にある島。島の中央部は窪地となっており、外側から見えないように大砲が設置されていた。砲台へのエントランス。赤煉瓦の遺構が見える。2葉目の壕は弾薬庫なのだろうか。砲座跡は草木が繁茂しているが凹状になっているので容易に判る。往年は28糎榴、12糎加農が装備されていたとの事である。
2012年04月30日

4月28日、千葉県富津市にある富津岬を訪れた。(その1)ここは東京湾上へ三角形に突き出した砂嘴の半島となっている。対岸の横須賀市なども海の向こうに見える。同じ富津市の金谷からは対岸の横須賀市久里浜への航路もある。戦前、東京湾の入口にあたる三浦半島と房総半島には、帝都防衛のために東京湾要塞が置かれ要塞地帯として民間人の立入は禁止となっていた。要塞の範囲は広く、三浦半島側は城ヶ島から横須賀軍港付近まで、房総側は館山から富津にかけて砲台が並んでおり、東京湾へ敵の艦艇が侵入するのを防いでいた。日露戦争の時、なかなか捕らえられず手を焼いていた浦塩艦隊が太平洋上へ出没して我が船舶に危害を加えた事があった。この時も敵艦隊は東京湾に侵入して攻撃を行わなかった事から、要塞の存在自体は一定の抑止効果があったと思われる。大東亜戦争においても敵潜の侵入を防ぐある程度の効果はあった筈だが、皮肉な事に敵は空から堂々と帝都へ侵入した。専ら対艦船用に造られている要塞はその抑止効果を殆ど発揮出来ずに終わった。このような要塞は装備の差こそあれど、重要港湾や海峡に設置されていた。宗谷、津軽、東京湾、紀淡、舞鶴、関門、佐世保(長崎)、豊予、壱岐、対馬、奄美、沖縄等々。以前三浦半島側の城ヶ島や観音崎、横須賀の猿島などの要塞跡は瞥見してきた。対岸の富津岬が未訪問となっていたので、行ってみる事とした。前置きが長くなってしまったが、新宿小田急ハルク前からアクアライン経由の高速バスに乗って出発した。木更津や館山と言ったJR内房線沿線の都市は、このアクアラインの開通によって一気に都心と近くなった。総武本線や京葉線で東京湾岸をぐるっと廻って行くよりも、海の中をショートカット出来るので、距離も近いし、運賃も安い。逆に内房線の特急列車はその存在意義を失い、大幅に本数が削減される事となってしまった。高速バスで木更津駅へ着き、内房線の鈍行列車で青堀駅へ行く。木更津ないしは君津駅までは、列車の本数も多く東京(横須賀)方面から直通もある。君津あたりからは極端に列車本数が減少し、1時間に1本しかない。青堀駅へ着いてもバスは小一時間無い。仕方がないので駅前で待機していたタクシーに乗る。タクシーは駅を出て左折して一本道を走る。途中で運転手が「ハマコーの自宅前だよ」と言う。千葉県選出の議員とは知っていたが此処が地元とは知らなかった。とかく賛否両論ある議員ではあるが、運転手氏曰くかなり辛辣なご意見であった。やがてタクシーは富津岬の付け根に辿り着く。バスだと此処までで終点となる。結果論ではあるが、タクシーに乗って正解であった。この入口から三粁ほど先にある岬の先端部まで行って下車する。独特の外観が目をひく富津岬突端にある明治百年記念展望塔。早速登楼して周囲を見渡す。まさに岬の突端である。展望塔の陸側は両側が海となった岬らしい風景、海側は対岸の工業地帯が間近に見え、今や廃墟となった第一海堡、第二海堡が見える。また、狭隘な浦賀水道を航行する船舶も多数見る事が出来た。望遠でアップした第一海堡。現在は立ち入り禁止となっている。東京湾口には、この第一海堡のほかに第二、第三と3つの島があり、これらにも砲台が築かれていて、東京湾の防禦にあたっていた。このうち第三海堡は関東大震災で崩壊し、暗礁と化していたが近年解体された。突端付近の観光が終了したので、砂嘴に延びた一本道を徒歩で戻る。距離にて約3粁、全く平坦な地形であって気持ちよいハイキングである。道の両側は戦後植林された松林が立派な防風林として育っていた。以前歩いた事がある佐賀県唐津の虹ノ松原を思い出した。(次回に続きます)
2012年04月29日
本日から大型連休(通称ゴールデンウィーク)が始まった。今年の連休は長い人は9日間連続となる。暦通りのサラリーマンでも3+4の飛石連休である。また、今年は曜日の関係で8月尾お盆休み、2013年とにまたがる年末年始休業も長期に渡る人が多いと思われる。その一方で土曜日に祝日が来てしまい、実質祝日を1日損してしまう怪しからん日が3回もある(2/11、9/22、11/3)。もっとも、トータルすれば年間休日125日程度となるので一応バランスは取れているのかも知れない。昨年の大型連休は大震災発生直後という事もあって、観光客も伸び悩んだ。信州も観光に依存している面が大きいので、今年は例年以上に観光客の入り込みが増加して欲しいと思っている。
2012年04月28日

松本市街地の桜花は昨日~今日の雨でほぼ壊滅状態となった。昨日撮影。今日は葉桜になっており、足元には花びらが堆積していた。それでも少しだけ標高が上がると、丁度満開である。今日は市内中心部から僅かに海抜が増したアルプス公園、田溝池、芥子坊主と言ったエリアが見頃となっていた。なんだかんだでGW期間中も微妙に桜が楽しめそうである。
2012年04月27日

4月14日~18日まで、米領グアム島へ行って来た(その4)。楽しいひとときもあっという間に最終日となってしまった。グアム最後の晩餐は毎回恒例なれどトニ-ローマである。ここは予約も可能で送迎無料なので安価に収るし腹も超満腹になる。もっとも残さないように効率的に注文する。ひとり30ドルあれば充分である。看板料理のオニオンリングフライ、シーサーサラダ・チキン載せ、ベビーバックリブ・フルサイズ。デザートは暖かいブラウニー(チョコケーキ)の上に冷たいアイスクリームが載ったブラウニーアイス。左党の自分はひとくちで充分満足である。美味しく腹が朽ちて満腹となり、翌朝の航空機で帰国の途に就く。出発を待つデルタ航空B767型機。揺れもなく快適なフライトで無事成田へ到着して、信州まで戻った。(グアム紀行の巻 <完>)
2012年04月25日

4月14日~18日まで、米領グアム島へ行って来た(その3)。引き続きフィエスタホテルのプールサイド(ビーチサイド)でくつろぐ。椰子と海と空と白砂の海岸。これだけ見ていれば、海無県民たる長野県人は満足である。隣にある旧相鉄トロピカーナホテル敷地内には日本軍のトーチカも残されている。長閑なリゾートに来ているとつい忘れがちであるが、グアムは凄惨な玉砕の島でもある。(次回に続きます)
2012年04月24日

4月14日~18日まで、米領グアム島へ行って来た(その2)。現地2日目はグアムプラザホテルにあるターザへ行く。Water Activity と表されるプール遊びの出来る施設である。大人も意外に楽しく遊べる。午後はホテルへ戻ってビーチサイドのバーで一献する。折角南方へ来たのでトロピカルドリンクを頼んでみる。内地ではまず呑む事は無いカクテルである。南方らしい味わいの「チチ」。このほか「マイタイ」なども良く知られている。ゆったりとした島時間も徐々に過ぎて行き、夕暮れとなる。夕方のタモン湾は暑い日中を避けて、短艇(端艇)橈漕訓練が行われており、なかなか絵になる光景であった。やがて帳が降りて夜となる。椰子の木が幻想的にライトアップされていた。♪椰子の葉陰に十字星♪ と歌いたくなる。(次回に続きます)
2012年04月23日

4月14日~18日まで、米領グアム島へ行って来た(その1)。グアムはほぼ毎年1回、十数回は訪れている島である。よって未知地域の観光と言うよりはのんびりバカンスを楽しむのが目的となっている。今回のホテルはフィエスタ(旧グアム第一ホテル)にした。タモン湾の一等地に建つ老舗ホテルである。このホテルの最も気に入っているところは、部屋から海までの距離が最も近く標高差が無い。日航、オークラと言ったホテルは海に面しているが崖の上なので、海は地下5階相当で標高差があり意外に遠い。PICは敷地が広すぎてやたら歩く距離が長い。なので部屋から海まで実に気軽である。今回は12階建ての新館指定、全室オーシャンビューの部屋である。フィエスタホテル新館10Fのベランダより撮影。ホテル建家の海側にプールがあり、ほとんど標高差がなくビーチが続く。1葉目はホテルのほぼ正面、2葉目は北の恋人岬側を見る角度となる。南側オカ岬方面を望む。手前のテント屋根はフィエスタホテルのディナーショー会場、ピンク色の建物は渡部ウェディング系列のフレンチレストラン「テキエロ」。日本人経営で、グアム一美味しいフランス料理を味わう事が出来る。連日ウェディングが行われていた。島のゆっくりとした時間が流れ、日が傾いてきた。美しいサンセットも見所の一つである。大概水平線付近は雲が邪魔をしているのだが、この日はそれが無く、海を染めて落ちてゆく日が美しかった。椰子の木のシルエットも好きな景色である。(次回に続きます)
2012年04月22日

21日、地元松本駐屯地で行われた自衛隊祭りを観覧してきた。毎年4月の第三土曜日に行われている祭典は、昨年は大震災の影響で中止となり、2年ぶりの開催であった。衛戍地敷地内は桜の木が多く、自衛隊祭りと桜の見頃が重ねる。北門より入場する。左手のヘリは退役した機材。展示教材用に置かれているのだろう。構内道路には露天も出て賑わっている。今年の自衛隊祭りは災害派遣のPRを特に重点的に行っていた。ヘリより隊員を被災地へ降下させる実演訓練。防護服を纏い、装甲車で汚染エリアに進入、除染を実施する訓練等々。今回の大震災では米軍および自衛隊の力に依るところが大きかった。独自の情報収集能力、機動力を持つ軍隊ならではであり、今後もこのような事態発生の際には大いに活躍していただければ頼もしい限りである。
2012年04月21日

今日、夕方の航空機で成田からグアムへ向けて飛び立つ。昨年は予約をしてお金まで払い込んであったが、大震災の発生を受けて中止してしまった。なので毎年恒例ながら2年ぶりとなる。2010年と2009年のグアム。蒼い海と空、白い砂浜を眺めているだけで精神衛生上顕著な癒し効果がある。18日までの4泊5日間であるが楽しんでこようと思っている。
2012年04月14日

悪の枢軸たる北鮮が国際世論の強い反対にも拘らず、遂にミサイル打ち上げを強行した。幸いな事に打ち上げは見事に失敗し、当局のメンツは丸潰れとなった。しかし、日本政府の危機管理能力の低さも改めて露呈し、今後に課題を残した。イージス艦や迎撃ミサイルも人が運用するものであるが、あの政府対応では折角の最新鋭装備も張り子の寅になりかねない。今回の事を教訓に以降は充分留意してもらいたい。
2012年04月13日

3月31日から4月1日の週末を利用して東京の桜を見に行ってきた(その3)引き続き江戸城内堀周辺を歩く。千鳥ヶ渕縁道の英国大使館付近の桜。このように咲いているところは稀であった。1分咲き以下である。国立劇場前の桜。ここは比較的日当たりがよいのか割に咲が進んでいた。内堀に沿って歩き、桜田門を過ぎて日比谷濠から旧GHQ【聯合國軍総司令部】(第一生命館)を望む。その後大楠公像前を通り、二重橋前、坂下門前(宮内省前)を経て気象庁・消防庁前にあるの和気清麻呂像まで歩いて、そこから地下鉄に乗って新宿へ戻った。(東京観桜の巻 <完> )
2012年04月04日

開けて4月1日、この日は快晴となった。浅草隅田公園からスカイツリーを見る。もはや定番のアングルとなった光景である。ほんの少しだけ咲いていた浅草隅田公園の桜。アップで撮ると満開のように見えるが、1分咲き以下で木も寒々としていた。浅草から再び九段へ行ってみる。お濠に沿って反時計回りに江戸城を廻る。ボートに乗って桜を満喫できるはずの千鳥ヶ渕。開花時期なら1時間以上待たなければ乗れないボートも、利用客が少なく空しく繋留されていた。仕方がないので一昨年(2010年)の千鳥ヶ渕。このときは満開であった。千鳥ヶ渕の沿道をゆっくり南下して行く。途中に見事に花を付けている桜があった。「修善寺寒桜」という種との事でソメイヨシノでは無かった。更に歩いて行くと、半蔵門の手前、半蔵濠に咲く菜の花が綺麗であった。(次回に続きます)
2012年04月03日

3月31日から4月1日の週末を利用して東京の桜を見に行ってきた(その1)。31日、「ほとんど咲いていない」との報道を聞きながら上京する。この日の天候はあいにくの雨、風も強かった。新宿へ着いて都営新宿線で観桜の定番九段下駅で降りる。昨年の大震災で死者を出した九段会館(旧軍人会館)と牛ヶ渕。牛ヶ渕の桜のアップ。まだ蕾である。北の丸への入口である田安門。この辺りも同様に蕾となっていた。田安門の西側に位置する千鳥ヶ渕。淡い桃色は蕾の色である。同期の桜で知られる靖國神社の桜も同様であった。(次回に続きます)
2012年04月02日
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