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30日の昼食は塩尻市から辰野町へ抜ける街道沿いにある「うとお」で摂った。うとおはこの街道にある善知鳥峠(国道153号線)から来ている。店の外観。昭和といった感じで落ち着く。店内も同様に昭和の色が漂い自分には好印象である。この日の食事は「みぞれかつ定食」¥900円。サクッと揚がった衣の食感も良く、美味しく戴いた。
2017年05月30日

25日の昼食は松本城近くのかつ玄で摂った。松本でも屈指の名店として知られてる。お昼のランチメニューはお得な4点盛と3点盛が人気である。とんかつ四味定食(1300円)。揚げたてサクサク熱々を美味しく戴いた。
2017年05月25日

大型連休中の5日、知人が河口湖町で行われている「富士芝桜まつり」へ行って写真を送ってきた。残念ながら富士山の頂部に雲が懸かってしまっているが、花は綺麗で見事である。山、湖沼、花とコントラストが効いて良い眺めであると思った。
2017年05月14日

大型連休中の5月5日、青梅市の塩船観音寺へつつじを見に行って来た(その2)。引き続き境内を散策しながらつつじを観賞する。裏山の最高部に大きな観音様があり、護摩堂を含む一帯がちょうどすりばちのごとく谷底になっている。なので、観音様のある斜面と両側の斜面の三方がつつじ園となっている。観音様の山まで登ってみる。今度は眼下につつじ園が広がる。同じく観音様付近より。写真中央の建物が護摩堂の後ろ側。少し坂を降りてきて、護摩堂の屋根と鐘楼を望む。つつじ園の中は、このような遊歩道となっている。遊歩道から真上を見るとこんな感じ。新鐘楼の下から。このお寺は珍しく参拝客が自由に鐘を衝く事が出来る。皆代わる代わる衝いていた。鐘楼上の高台より。鐘楼付近より。最後に護摩堂と普門閣(休憩所・売店)を入れて撮る。高低差があるので、より花壇の立体感が増す。綺麗な上に何とも圧巻であって感動すること暫しであった。(おわり)
2017年05月13日

大型連休中の5月5日、青梅市の塩船観音寺へつつじを見に行って来た(その1)。前夜泊まった青梅線河辺駅から西東京バスが出ている。この日は連休中と言うこともあってツツジ寺までのシャトルバスが運行されていた。河辺駅から西東京バスに乗り10分程度で塩船観音入口バス停へ着く。ここからさらに10分程度歩くと塩船観音寺の山門前に到着する。仁王門と呼ばれる山門。境内案合図。つつじ園は裏山?にある模様。先へ進む。仁王門をくぐって、参道を進んでゆく。鬱蒼とした鎮守の森?に囲まれた参道。寺社ではよく見かける風景である。茅葺きの薬師堂。江戸時代の建立とのこと。薬師堂前を右に曲がって進むと本堂である。こちらも茅葺きで貫禄充分である。まずは花を見る前にしっかり参拝する。本堂のある辺りは坂の上で若干高くなっておおり、隣接する旧鐘楼付近から護摩堂方面が俯瞰出来る。思わず声が出た。まさに百花繚乱で美しい。裏山の斜面全部がつつじである。つつじの種類が多いので色とりどりである。護摩堂とその左側のつつじ園。種類はよく判らないが、パンフレットに依ると、ピンク色系がミツバツツジ、オオヤマツツジ、クルメツツジ、リュウキュウツツジなど。赤系がキリシマツツジ、白~薄ピンク色がキシツツジ、オオキリシマツツジなどとの事。護摩堂前の観音様。つつじに囲まれている。(次回に続きます)
2017年05月12日

5月4日、この日も好天に恵まれ、海を眺めたくなったので三浦半島へ出かけた。(その4)観音崎レストハウス付近の散策を終えて、半島の反対側(南側)へ向かう。自動車(バイク)で来ていればあっという間の距離であるが山を越えて反対側へ行くのは大変である。なので浦賀行きの路線バスに乗って鴨居バス停で下車する。鴨居は集落となっており漁港もある。雲一つ無く青空の鴨居漁港付近。写真中央の煙突は久里浜の東電横須賀火力。観音崎レストハウスの裏側なので観光客は少な目で、地元の人が多い。近隣の飲食店はバスの車窓から寿司店と食堂が見えた。食堂は地元の人向けなのかお休みであった。バス通り沿いに「駆逐艦村雨」との標柱を見つけた。説明板に依ると慰霊碑が海の見える場所に建立されているとのこと。同艦は横鎮所属艦であったため乗員は関東出身者が多い。その縁もあってこの浦賀に慰霊碑が建てられているのだろう。(喪失時 4Sd 2dg の所属であった)早速行ってみる。岬のようになっており、海がよく見える場所に立派な慰霊碑が建てられていた。真ん中の碑のアップ。村雨の艦歴。帝國駆逐艦「村雨」は白露型駆逐艦の1隻として大阪にある駆逐艦建造の名門、藤永田造船所で建造された。大東亜戦には比島、蘭印攻略作戦等に活躍し、昭和17年の秋以降はガ島を含むソロモン群島方面で行動した。そして、昭和18年3月5日、コロンバラガラ島への鼠輸送作戦を実施中、敵軽巡の集中砲撃を受け同島付近に於て僚艦峯雲とともに沈没し乗員245名中116名が散華した。碑文を一読し、遠く南海に散った英霊に手を合わせた。これで村雨慰霊碑の見学を終えて、徒歩で多々良浜へ向かう。この浜は海水浴も出来、駐車場もある。またレストランと観音崎自然博物館がある。駐車場の脇にコンクリート製の妙な構築物がある。どうやらトーチカ(特火点)らしい。分厚いコンクリートで造られていた。おそらく大東亜戦末期に急造されたものであろう。写真中央、北門第4砲台跡(現 海自横須賀警備隊観音崎警備所)の沖にある円筒状の構造物は水中聴測所の跡とのこと。現在の多々良浜(観音崎自然博物館)付近はかつて南門砲台があったが、遺構はほとんど残されていない模様。観音崎地区の砲台群は関東大震災で大損害を受け、多くが廃止または統合整理された。しかし、先の大戦末期、本土決戦が叫ばれるようになると備砲を復活させた砲台もあった。これで三浦半島の観光をはすべて終了。再び徒歩で鴨居バス停まで戻り、そこから浦賀駅へ行く。あとはひたすら京急線電車で都内へ向かった。(おわり)
2017年05月11日

5月4日、この日も好天に恵まれ、海を眺めたくなったので三浦半島へ出かけた。(その3)走水神社の参拝を終えて観音崎方面へ海岸に沿って歩いて行く。観音崎京急ホテルの外側一帯がボードウォークと名付けられて木道(遊歩道)となっており、散策を楽しむことが出来る。ボードウォーク上から海側の眺め。観音崎京急ホテルの敷地は、かつて東京湾要塞・走水新砲台であった。ホテル建設に伴って遺構は破却されてしまった模様。この辺りは海水浴というより磯遊びに向いている岩場となっている。写真中央の島っぽく見え場所が旗山崎。かつて東京湾要塞・走水低砲台があった場所で遺構も残されているそうでる。地図だと御所ヶ崎砲台跡と記載されていた。正面を見るとタンカーらしき船舶が水道を航行している。観音崎付近は船舶の交通量が多い。観音崎方面を見る。山の上に聳える塔は東京湾海上交通センター。海の管制塔としての役割を担っている。敷地は砲台跡で東京湾要塞・北門第二砲台であった。今まで歩いてきた道を振り返る。観音崎京急ホテルと温泉施設SPASSOの全景。京急ホテルはこの界隈だと城ヶ島と油壺にある。いずれも似かよった立地ではあるがここ観音崎がいちばん宿泊料金が高い。バスの発着場にもなっている観音崎レストハウスへ到着した。この辺りの海岸はBBQも許可されているので浜には天幕と炭火のコンロが並んでおり賑やかであった。過去来た時には”レストハウス”とは名ばかりで、閉店した建物がただ残されているだけであったのだが、いつの間にか食堂が開店していた。今までせっかく観音崎まで来てもまともな食事をするところがほとんど無かったので朗報である。開店した飲食店は「夢ドリーム食堂」との名称である。メニューも、普通のカレーや焼きそば、うどん、ラーメンなどの地域性や季節感を何ら感じない料理ではなくて、地元産の海産物など用いた食指をそそるものであった。次回是非利用したくなる。信号を挟んで道の反対側にある食堂「カフェエルム」。以前は喫茶店ぽい普通のパンや軽洋食中心であったような気がするが、現在は地物の海産物を使った料理もある模様。選択肢の増えるのは嬉しいことである。せっかく旅行に来ても地方感や季節感を感じないメニューだとあまり食指が動かない。観音崎レストハウス近辺は、過去にも来ているので瞥見のみにとどめ、反対側の鴨居地区へ移動する。(次回に続きます)
2017年05月10日

5月4日、この日も好天に恵まれ、海を眺めたくなったので三浦半島へ出かけた。(その2)三浦海岸駅から堀ノ内駅まで戻り、浦賀行きに乗り換えて馬堀海岸駅で降りる。ここから観音崎行きの京急バスに乗って走水神社バス停で下車した。バスを降りたら目の前に行列が出来ていてびっくりした。「味美食堂」この店も人気らしい。先ほどの三浦海岸でも2店舗の前に列が出来ていた。行列を見るのは今日3軒目である。既に昼食を済ませてあるので店の前を通過して走水神社へ向かう。この神社も前から気になっていたが、何度も通過していた。今回初めて訪れた。一番下の鳥居をくぐって境内へ入る。走水神社の祭神は日本武尊、弟橘媛命であるとのこと。左手が手水舎。この走水は横須賀市の水源地になるなど良い水が出る。手水舎の水も湧水であった。また、走水神社は包丁塚があり包丁供養でも有名らしい。石段をあがって拝殿前に行き、二例二拍手一礼を以て参拝する。何とロシヤの機械水雷が展示されていた。我が初瀬、八島をはじめとした多くの艦艇を沈めた機雷である。寄贈者は当時の横鎮長官であった上村彦之丞。日露戦争時は2F長官として従軍し、日本海海戦時の的確な艦隊運動実施は大なる功績であろう。また、蔚山沖海戦での浦塩艦隊撃滅、リューリック乗員の救助などでもよく知られている。拝殿からさらに坂を上ると、弟橘媛命の記念碑があるとの事で案内板があった。この記念碑の発起人が実に錚々たる人物であって驚いた。弟橘媛命の記念碑。揮毫は竹田宮昌子内親王。記念碑の裏に発起人の名前が書かれていた。東郷平八郎海軍大将(GF長官)、上村彦之丞海軍中将(2F長官)、伊東祐亨海軍大将(軍令部長)、井上良馨海軍大将(横鎮長官)、乃木希典陸軍大将(3A司令官)、藤井茂太陸軍中将(1A参謀長)と言った面々で驚く。(階級は明治42年当時、役職は日露戦争時)下界から元気なかけ声が聞こえてくる。防衛大の短艇訓練場からであった。防波堤で囲まれた場所が防衛大の訓練場。写真中央に橈漕訓練中の短艇が見える。神社の裏山はどこまでも細道が続いている。登って行くと近所の人たちの畑があった。急坂を登って畑に通うのは大変だろうし水の便もなさそうだ。さらに進むと急に道が開け、フェンスで囲まれた防衛大の裏門がある。神社の裏山はそっくり防衛大の敷地であったのだ。神社の裏山から下山して、防衛大の訓練場を覗いてみる。走水海上訓練場という名称であった。写真中央に短艇(カッター)、右手は内火艇?訓練場内には短艇(カッター)を吊っておくダビットもあった。海軍らしい風景である。後方の屋根は走水神社なので距離は近い。これで走水地区の観光を終えて観音崎まで海岸線を歩いて行くことにする。(次回に続きます)
2017年05月09日

5月4日、この日も好天に恵まれ、海を眺めたくなったので三浦半島へ出かけた。(その1)前夜泊まった上野から京浜急行線で一気に三浦海岸駅まで向かう。京浜線は数年前に蒲田駅でずっとやっていた大がかりな工事が終り、快特が10分に1本走るという非常に便利な路線になった。この日も連休中とあって車内はかなり混雑していた。しかし、金沢八景駅で家族連れなど大人数が下車した。八景島などベイエリアへ行く人たちが多いと思われる。また、この路線に乗ると大概釣り竿とクーラボックスを手にしたおっさんにも出会う。品川あたりでその格好を見かけると、三浦半島の海を連想してしまう。高架線上にある三浦海岸駅へ降り立つ。この駅は何度も通過しているが降りたことがない。乗っている電車の窓から見える駅前の景色が気になっており、いつか降りてみたいと思っていた。駅前の飲食店街。海水浴場もある観光地下車駅である。駅前には海鮮料理を出す食堂が数件並んでいる。三崎港が近いのでマグロが売りである。なお、終点の三崎口駅は内陸にあって駅前はこれと言った飲食店もなく寂しい。観光地の玄関口らしい駅はこの三浦海岸駅であろう。時間は11時を少し過ぎたところ。昼食にはちょっと早いので海岸へ散歩に行く。駅から徒歩10分程度で行ける三浦海岸海水浴場。ちょうど空手の練習をしているグループが居た。海岸から左手は観音崎方面。どこからでもよく見える煙突は久里浜の横須賀火力発電所である。サーフィンの板に凧を繋げて海上を滑走している人が居た。凧を帆代わりに使っているらしい。妙な乗り物が出来たものだ。海岸から右手は剣崎、城ヶ島方面。海岸を乗馬で散歩する人が居て驚いた。潮風に吹かれて気持ちよさそうである。暴れん坊将軍のオープニングで松平健が白馬に乗って海岸を走っていた事を思い出す。海の景色を楽しんだので駅へ向けて戻る。途中道沿いに行列が出来ていた。回転寿司「海鮮」というお店であった。人気店らしい。同じく裏通りに面した寿司店「紀川」にも行列が出来ていた。自分は駅前すぐの飲食店街にある一軒に入ってマグロ定食を戴いた。生ビールと共においしく食した。これで三浦海岸駅前の散策を終えて、次の目的地である走水神社を目指す。(次回に続きます)
2017年05月08日

5月3日、巾着田の観光後に小江戸として知られる埼玉県川越市へ行ってみた。この街は2004年に観光して以来なので13年振りである。高麗から電車を乗り継いで川越駅で降りる。ここから徒歩で景観保全地区へ歩いて20分くらいかかる。この日は大型連休中とあって多くの観光客が繰り出し、また地元のお祭りも開かれていてたいそう賑やかであった。そのお陰か、いつも観光客が徒歩で歩き回るエリアが歩行者天国となっていてとても歩きやすかった。以前来たときは比較的狭い道に自動車も通るので、徒歩の観光客から見れば車は実に邪魔であり、バスに乗って車の視点から見れば歩行者はまったく邪魔であった。なので道の真ん中を堂々と闊歩出来るのはありがたいことである。このありがたい歩行者天国は連雀町の信号から景観保全地区一帯がなっている模様であった。連雀町の信号から少しは入ると熊野神社がある。ちょうど春祭りが開催されているらしく、山車が出たり、神楽殿で行事をやっていたりで賑やかである。保管庫から顔を出している山車。山車のアップ。人が乗っている。楽曲など演奏するのであろう。神楽殿。普段は閉まっているので、開いている自体が珍しい。地元の神社でさえ開いているのを見るのは稀である。太鼓が見えるのでこれから何かを舞うのかも知れない。この熊野神社は銭洗い弁天として有名であり、またおみくじの種類が多くて楽しそうである。熊野神社の向かいは蓮馨寺(れんけいじ)である。もともと廃仏毀釈までは神仏混合で一緒だったらしい。境内内は熊野神社同様にテキ屋さんの各種露店が並んでお祭りムード満点である。道をのんびり進んでゆくと、旅行のパンフレットなどでおなじみの蔵造りの町並が見えてくる。川越一番町商店街。名物のイモ菓子をはじめ色々な食べ物が売られており楽しい。狭山も近いのでお茶も名産である。フランスパンのような麩菓子を手に持って歩いている人を結構見かける。面白そうなので買いたくなったが大きくてこの先邪魔になるので諦めた。車で来ている人には買って帰るもの苦にならないだろう。川越といえば時の鐘が最も有名であると思う。札幌時計台のようにこの街の象徴なのだろう。残念ながら中に入れるわけでなく外観のみの見学である。蔵の町に高い塔なので存在感は抜群である。梵鐘は戦時中の金属供出にも奇跡的に生き残った由緒あるものらしい。(13年前に来た時に地元の方が説明してくれた)楽しく買い食いをしながら蔵の町を散策した。(おわり)
2017年05月07日

5月3日、好天に恵まれた埼玉県日高市にある「巾着田」へ行って来た。高速バスで信州を経って日野BSで下車する。多摩モノレール、青梅線、八高線と乗り継いで高麗川駅で下車する。この先、西武線電車の接続が悪かったのでタクシーで巾着田まで一気に移動する。秩父へ向かう国道299号線は大型連休を迎えて行楽の車の交通量が多く所々渋滞していた。途中「台瀧不動尊」の前を通る。なかなか立派な寺社である。一方このあたりの国道は狭隘で渋滞の原因となっており、併行して立派なバイパスが建設中であった。滝不動様へ途中下車して拝観したくなったがタクシー代が高騰するのでやめておく。地図をしっかり見ると、そもそも飯能駅まで行ってタクシーに乗れば良かったと思われた。やがて西武池袋線高麗駅前を右折して坂を下り、巾着田エリアへ入ってゆく。タクシーの運転手さんが「帰りはここから電車に乗ると良い」と教えてくれる。巾着田前のセブンイレブンで下車。1900円かかった。巾着田の案内看板。地名にもなっている高麗川が大きく蛇行して出来た地形である。「Ω」の字のごとく湾曲しており平坦な中心部は畑や野球場などとなっていた。蛇足ながらこの近くで川がΩ型になっているところは青梅市の「かんぽの宿青梅」がある場所と、同じく「石神温泉おくたま路」がある所の2つが挙げられる。いずれも宿泊したことがあるが、建物からどの方向を見ても川があって不思議な気分になった。この巾着田の一番の名物は曼珠沙華(彼岸花)である。一面真っ赤でさぞかし綺麗であろう。今回は春なのでちょっと時期が遅い菜の花を見ることとした。セブンイレブン脇から歩いて行くと藤が咲いている。棚にしないで背丈の低い状態であった。藤の花を見れば、もう初夏という気分になる。高麗郷古民家登録有形文化財指定。見学無料であったので瞥見してみる。同じく古民家の前庭。高麗の地名は高句麗からの渡来人を集めて住まわせたことから。この民家は江戸時代末期~明治時代初期の建築との事。立派な造りは名主などの屋敷であったのだろう。古民家見学を終えて「あいあい橋」なる人道橋を渡る。下は河原となっており眺めが良い。橋の袂に民俗資料館があったので見学しようと思ったら、何と休みであった。多数の集客が見込める大型連休中に休むとはびっくりというか問題ありと思う。橋の上から河原を望む。Ωの字型になった河原はほぼ全域に渡って行楽客がおりBBQなど楽しみつつ水と戯れていた。連休と好天で一層人出が増したと思う。曼珠沙華公園の門。この先一体が赤く染まるのだろう。木漏れ日が気持ちよい曼珠沙華群生地。遊歩道の他は入れない。巾着田の周回道路。右側の並木は桜であった。あと1ヶ月早ければ桜花が綺麗であったと思う。Ωの字の中央部分はもともと河原のようなところなので真っ平らである。観光用?なのか水車小屋もあった。中を覗いてみると、ちゃんと石臼がある。そば粉など挽いて食べるイベントなどあるのかも知れない。平坦な中央部にはビオトープがあったり、馬小屋があったりする。また市民農園として貸し出しされている模様で、細かく区画された畑が並んでいる。目指す菜の花畑もこの中央部にあった。既に盛りを過ぎている感が否めない。少しまばらではあるが、黄色い絨毯も亦綺麗である。最後に立派な藤の木を拝む。河原はどこへ行っても天幕が張ってある。以前このようなBBQは頻繁にやったが、段々億劫になってしまって現在はかなり簡素にしてしまった。酔ってからの撤収と後かたづけが嫌なので。天幕が並ぶ河川敷を堰堤上より撮影。同じ景色を県道上に架かる橋の上から見る。これで巾着田の観光を終えて高麗駅までの坂道を登ってゆく。坂道の途中に当初昼食を摂るつもりでいた「むささび亭」を見つけた。巾着田の大混雑を見て焦ったためか存在を失念しており、手近にあったラーメン店で食事を済ませてしまった。後悔したが後の祭りであった。残念!店と一体化?しているバスは米軍の横田基地で使っていたものらしい。同じく坂の途中にあった茶畑。この近辺も狭山茶のエリアなのだろう。東京でも青梅市や五日市町などで茶畑を見たことがある。西武鉄道池袋線の高麗駅に辿り着いた。駅前広場には朝鮮式?トーテムポール様な柱が建っていた。「天下大将軍」、「地下女将軍」と書いてある。ネットで調べると「将軍票」と言い、境界票・道祖神との由。(巾着田観光 おわり)
2017年05月06日
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