ロシア旅行(13)



クレムリン武器庫内で、宝物類を見学している間に、幸い
雨が止んだようだ。

15:20 バスに乗り込む。 出発後すぐ、新しい立派な建
物が見えた。 サムスン電子である。 ロシア市場では、家
電品はどうやら、韓国製品の方が日本より優勢のような感
じである。 LG共々、サムスンの広告看板がやたら目に付
く。

次に目を惹く建物は、「救世主キリスト聖堂」である。

救世主キリスト聖堂

 この建物の歴史は大きく分けて3段階で考えられる。建設、
 破壊、再建である。

 1)1812年12月、60万人のナポレオン軍の最後の部隊
   がモスクワから引き揚げた。 時の皇帝アレクサンドル
   1世は、神への感謝として大聖堂を建てる事を決定し
   た。 しかし、彼の在世中には着手されなかった。

   1839年、彼の息子、ニコライ1世が着工したが、完成
   したのは1883年のことである。 これは、今まで一番
   高い建物であったクレムリン内のイワン大帝の鐘楼を
   抜いて、モスクワ一高い建物となった。

 2)1931年7月、急ごしらえのソビエト宮殿建設委員会が、
   救世主キリスト大聖堂を取り壊し、その跡にソビエト宮
   殿を建設することに決定し、大聖堂を取り壊した。
   跡地に建てられる筈の宮殿は、高さ415mの巨大な
   建物で、その頂上にレーニン像がそびえたつ予定であ
   った。 しかし、なぜかこの建物は着工されず、第二次
   世界大戦が始まり、その後ずっと空き地のままであっ
   た。

 3)1960年、モスクワの中心部がいつまでも空き地では、
   恰好が悪いので、何と巨大な温泉プールが出来た。

   1990年、ソ連崩壊の前年、ロシア正教宗務院は救世
   主キリスト大聖堂の再建を決議した。 1994年、モス
   クワ市が聖堂の復興を全面的に請け負う事が決定さ
   れた。 今度は、温水プールが壊されて、1997年の
   モスクワ建都850周年の目玉として、救世主キリスト
   大聖堂が復活した。

さて、バスは、とある土産物屋の前に着いた。 何処に、店
があるのか分からない。 現地ガイドさんに案内されて、店
内に入る。 店内には素敵な土産品が、所狭しと並べられ
ている。 絵画もあったが、美術品の購入は要注意である。
高級美術品は国外に持ち出し禁止だからである。 高級と
普通の線引きははっきりしていない。 まあ、1万円以下な
ら問題はないとおもうが、領収書を忘れないよう注意しな
ければならない。

漆器のカラフルな小箱があったが、「パレフ」というらしい。
何枚も、何枚も紙を重ねて貼り合わせたものに、漆を塗り
絵付けをしている。

女性にとっての、一番人気はやはり、「コハクのネックレス」
である。

コハク(琥珀)

 コハクは古代の松柏科植物の樹脂(松やに)が地中で化石
 化したものである。 黄色又は褐色のものが多い。 赤、白
 色を帯びたものもある。 内部に、甲虫類の入ったものは、
 特に珍重されている。

 女帝エカテリーナ2世は、コハクのもつ不思議な力に魅せら
 れ、宮殿内に「琥珀の間」を作らせた。

 あまりに透明で、つるつる、なおかつ安いものは偽物の可
 能性があるので要注意である。 本物は帯電性があるので、
 こすればすぐ分かるが、買う気がなければテストも出来ない。

孔雀石、琥珀のコーナーで、女性軍は品定めに夢中である。
男性達はソファーに腰を下ろし、手持ち無沙汰の感じ。

サムスン電子(車窓より)

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救世主キリスト聖堂

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土産品店入り口

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同上店内

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販売用絵画

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13-08

追加画像は下記をクリックして下さい

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