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http://cookpad.com/diary/1561944
今日の蔵の湯の花です。
http://photozou.jp/photo/show/689906/43809059
2007年記
2年近くお世話になった雇われ元の喫茶店を
志、半場で止める事となりました。
私はこのままそこを勤め上げ、調理師になる為の手続きを取り
喫茶店経営をするはずでしたが、
自営で印刷業を営む父の会社で働くことになったのです。
拒否をしようと思えば出来たとは思いますが、
自営業の家に育った私には、
夢や希望があっても心の隅では、
親の自営を手伝うのはそれらより優先は至極当たり前のこと
と言う認識が実はあったこと、そしてもう1つ・・
商店街でのコック氏との再開・・どのように知られたのか?
彼は、1~2度私の働く喫茶店に来るようになっていた・・
人間的に成長に出来ていなかった私は接客もせず、
厨房の奥に入り込んだまま、
折角の話し合いの機会のコンタクトも持たず帰してしまったのだ
大人になるに連れて私の行動がいかに
コック氏の愛情を踏みにじったものであったかという
認識が強まった時は・・父の会社の派遣で
東京都港区芝公園に有る貿易会社の事務員に納まっていた。
事務員なんて聞こえがいいが、
簿記の教育を受けていないので喫茶店時代よろしく
来客に愛想を振りまきお茶を出すのが受け持ちであった
のどかな埼玉川越から、時代の最先端をゆく東京都港区までの
約2時間(当時)の通勤時間は、ちょっとした時間旅行でもありました
其処には一年ほどお世話になりました・・
(今をときめく財閥の御曹司達が立ち上げた会社で
現在の彼らは60代始め位でしょうから
まだまだ現役で現持ち場で手腕を振るっている事でしょう)
毎日通勤で合計4時間近く乗り物にゆられていると
若い私は、日本人だったり、外国人だったりしますが、
男性によく声を掛けられました俗に言う 軟派です。
番茶も出花の乙女ですもの本心はいやではありませんでしたが
ハンサムな人ならまずまず、これは誰でも本当でしょう♪
そうでない方のお声がけが有った時は
たちまち私は真っ赤な蛸と化していました
(若気の至りで有ったと冷たく袖にした男性方に心より詫びよう、
そして、私の良いところを認めてくださって有り難う御座いました)
大抵は読書をして過ごす時間も時として
軟派してくる男性とお茶を共にすることがあった
無論親への報告は無しと言う事で、知られた暁は
父の車での送迎の身の上となったであろう、
忘れてしまった事も多いが幾つかのエピソードがある
血筋的な部分ではヨーロッパ系で
髪の毛の色も赤毛のアンか?というような私でしたから、
冬のある日、勇敢?な青年が英語でアプローチをしてきました
最初は無視していましたが、
根負けをして申し込みにYESをしたのですが
基本的にお下げ髪であったのに、
ある日のデートで・・髪をほどいて、と注文されました、
私が好きになった人からのリクエストならば
口紅の色さえ変える気持ちは18でも御座いますが、
知り合って数回の感情移入もない男性からの亭主気取りの態度に
髪の毛は逆立ってしまったかのようでした!
次回のデートを取り付けたものの、待合いの場に私が着いたのは
3時間も遅れていました・・其処に彼の姿は無く
地下鉄の改札口の側にある緑の黒板に
その人のブチギレた様な文字で
帰る!〇坂と書いてありました、
〇坂と言う名はとても珍しく、同名の人が居たとしたら近しい一族、
と彼はいっていたが、30年以上隔てた近年、
私の店で沢山お品をお買い求めの夫人がおり、
配達をしたが、領収書を書くとき名前を聞いたとき
〇坂と言うので何気に伺うとかつて聞いた話と同じでしたので
恐らく近い身内の方なのだと認識しましたが
あの出来事は胸の奥に秘めておきました。
懐かしい一曲をどうぞ
http://www.youtube.com/watch?v=dMRoE7Q_Hsg&feature=related
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