ドリーム

ドリーム

心に残る言葉



   『ただいるだけで』相田みつを
あなたがそこに ただいるだけで その場の空気が あかるくなる  
あなたがそこに ただいるだけで みんなのこころが やすらぐ
  そんな あなたにわたしも なりたい



   『夢見たものは・・・』by立原道造 
夢見たものは ひとつの幸福 ねがつたものは ひとつの愛
山なみのあちらにも しづかな村がある 明るい日曜日の 青い空がある

日傘をさした 田舎の娘らが 着かざつて 唄をうたつてゐる
大きなまるい輪をかいて 田舎の娘らが 踊りををどつてゐる

告げて うたつてゐるのは 青い翼の一羽の 小鳥
低い枝で うたつてゐる

夢見たものは ひとつの愛 ねがつたものは ひとつの幸せ
それらはすべてここに ある と



自分の感受性くらい・茨木のりこ


ぱさぱさに乾いてゆく心を ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを 友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを 近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを 暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな 志にすぎなかった

駄目なことの一切を 時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい 自分で守れ
ばかものよ


私が一番綺麗だった時

 私が一番綺麗だった時はもう戻ってこないけれど、私はうんと長生きをしよう。そして遠い異国にいたという、年老いてから立派な画家になった人のように、美しいものをたくさんこの世に残していこう。

私が一番綺麗だった時、街の建物がいきなり崩れた。
    そして信じられないところから青空が見えたりした。
私が一番綺麗だった時、誰も優しい贈り物をしてくれなかった。
    男達は挙手の礼しか知らず、済んだ目をして通りすぎていった。
私が一番綺麗だった時、日本が戦争に負けた。そんな馬鹿なと言いながら、    ブラウスの袖をまくって大股で歩いた。手足は栗色に光っていた。
私が一番綺麗だった時、私はラジオから聞こえてくる甘い異国の音楽、
ジャズに酔いしれた。
私が一番綺麗だった時はもう戻ってこないけれど、私はうんと長生きをしよ    う。そして遠い異国にいたという、年老いてから立派な画家になっ    た人のように、美しいものをたくさんこの世に残していこう。


子は親の鏡

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる
「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもはみじめな気持ちになる
子どもを馬鹿にすると、引っ込み思案な子になる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう
励ましてあげれば、子どもは、自信を持つようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
褒めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる
分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ
やさしく、思いやりを持って育てれば、子どもは、やさしい子になる
守ってあげれば、子どもは強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、
子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる
    『子どもを育てる魔法の言葉』(PHP研究所)より




『奇跡』・・・・・さだまさし

「たった一度の人生に あなたとめぐりあえたこと
 偶然を装いながら 奇跡はいつも近くにある」

誰かと偶然(?)出会えたっていうことは、
そう、もしかしたら「奇跡」なのかもしれません。

長い人類の歴史のなかで、たまたま同じ時代に生まれ、
同じ日本の土地を踏み、同じ風を受けて、同じものを見ている。

そして、同じものに心をふるわせている。

きっとわたしたちは、
生まれてきただけでも「奇跡」
それなら、出会えたことは、なおさら「奇跡」

そう考えてもいいのかもしれません。



正しいことをしていても、人の無理解や批判はある。
気にしないで、そのままやり抜こう!



青春とは・・・心の持ち方をいう。
2007年03月26日(月曜日)
青春

青春とは人生のある期間ではなく
心の持ち方をいう。
バラの面差し、くれないの唇、しなやかな手足ではなく
たくましい意志、ゆたかな想像力、もえる情熱をさす。
青春とは人生の深い泉の清新さをいう。


青春とは臆病さを退ける勇気
やすきにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。
ときには、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。
年を重ねただけで人は老いない。
理想を失うときはじめて老いる。
歳月は皮膚にしわを増すが、熱情を失えば心はしぼむ。
苦悩、恐怖、失望により気力は地にはい精神は芥(あくた)になる。


60歳であろうと16歳であろうと人の胸には
驚異にひかれる心、おさな児のような未知への探求心
人生への興味の歓喜がある。
君にも我にも見えざる駅逓が心にある。
人から神から美、希望、よろこび、勇気、力の
霊感を受ける限り君は若い。

霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ
悲嘆の氷にとざされるとき
20歳だろうと人は老いる。
頭を高く上げ希望の波をとらえるかぎり
80歳であろうと人は青春の中にいる。


サムエル・ウルマン『青春とは、心の若さである』より


晴佐久昌英の祈り

病気になったら

病気になったら どんどん泣こう
痛くて眠れないといって泣き
手術がこわいといって涙ぐみ
死にたくないよといって めそめそしよう
恥も外聞もいらない
いつものやせ我慢や見えっぱりを捨て
かっこわるく涙をこぼそう
またとないチャンスをもらったのだ
自分の弱さをそのまま受け入れるチャンスを

病気になったら おもいっきり甘えよう
あれが食べたいといい
こうしてほしいと頼み
もうすこしそばにいてとお願いしよう
遠慮も気づかいもいらない
正直に わがままに自分をさらけだし
赤ん坊のようにみんなに甘えよう
またとないチャンスをもらったのだ
思いやりと まごころに触れるチャンスを

病気になったら 心ゆくまで感動しよう
食べられることがどれほどありがたいことか
歩けることがどんなにすばらしいことか
新しい朝を迎えるのがいかに尊いことか
忘れていた感謝のこころを取りもどし
この瞬間自分が存在している神秘
見過ごしていた当たり前のことに感動しよう
またとないチャンスをもらったのだ
いのちの不思議を味わうチャンスを

病気になったら すてきな友達をつくろう
同じ病を背負った仲間
日夜看病してくれる人
すぐに駆けつけてくれる友人たち
義理のことばも 儀礼の品もいらない
黙って手を握るだけですべてを分かち合える
あたたかい友達をつくろう
またとないチャンスをもらったのだ
試練がみんなを結ぶチャンスを

病気になったら 必ず治ると信じよう
原因がわからず長引いたとしても
治療法がなく悪化したとしても
現代医学では治らないといわれたとしても
あきらめずに道をさがし続けよう
奇跡的に回復した人はいくらでもいる
できるかぎりのことをして 信じて待とう
またとないチャンスをもらったのだ
信じるよろこびを生きるチャンスを

病気になったら 安心して祈ろう
天にむかって思いのすべてをぶちまけ
どうか助けてくださいと必死にすがり
深夜 ことばを失ってひざまずこう
このわたしを愛して生み 慈しんで育て
わが子として抱きあげるほほえみに
すべてをゆだねて手を合わせよう
またとないチャンスをもらったのだ
まことの親に出会えるチャンスを

そしていつか 病気が治っても治らなくても
みんなみんな 流した涙の分だけ優しくなり
甘えとわがままを受け入れて自由になり
感動と感謝によって大きくなり
友達に囲まれて豊かになり
信じ続けて強くなり
自分は神の子だと知るだろう
病気になったら またとないチャンス到来
病のときは恵みのとき

晴佐久昌英 : 著 : 「だいじょうぶだよ」 : 女子パウロ会







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