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イアン・フレミングが創造した世界的に有名なスパイ007の小説。 フレミングの著作権を管理する Ian Fleming Publicationsの要請で、ベストセラー犯罪小説家のジェフリー・ディーバーが執筆した。 原作の007は1950年代から1960年代に活躍しているが(したがって、原作に忠実だと007は現在90歳くらいになる)、本作では原作の設定を活かしつつも、21世紀で現役バリバリで活躍するキャラにしている。 邦題は「白紙委任状」、原題は「Carte Blanche」。粗筋: ジェームズ・ボンドは、イギリスの特殊作戦部隊ODGに属する工作員で、007のコードネームを与えられていた。 ある日、ODGは、「セルビアにてイギリス全土を揺るがすであろう大事件が起こる」という通信を傍受。 ODGはボンドをセルビアに派遣し、事件の阻止を試みる。 事件とは、テロリスト「アイリッシュマン」が、劇物を輸送する列車を脱線させ、ドナウ川を劇物で汚染させ、東ヨーロッパに被害をもたらす、というものだった。 ボンドは、列車をテロリストが想定した場所より先に脱線させ、劇物がドナウ川を汚染するのを阻止した。 アイリッシュマンは、ボンドの追跡をすり抜け、逃走。 事件を未遂に防げたが、アイリッシュマンのテロ活動がここで終わるとは思えず、寧ろより大きな計画の一部に過ぎないのでは、と読んだボンドは、アイリッシュマンの摘発に動く。 アイリッシュマンに関する数少ない情報を追った結果、ボンドは廃棄物処理請負会社のグリーンウェイ社に行き着く。グリーンウェイ社はイギリスに本部を置いていた。近々、陸軍基地の廃棄処分を担当するという。 ボンドは、ここで壁にぶち当たる。何故なら、0DGは海外での作戦しか出来ず、イギリス国内での活動は禁止されていたからだ。 そこで、ボンドはイギリス国内の諜報活動を担うMI5のスミスと組む事を強いられるが、早くもアイリッシュマンの目的の解釈で意見が衝突する。ボンドはスミスに偽の情報を与え、スミスが偽情報を追っている間に本人は陸軍基地に潜入する。 基地に潜入したボンドは、不審者の潜入に気付いたアイリッシュマンことナイアル・ダンによって閉鎖された陸軍施設に閉じ込められる。ダンは施設を爆破してボンドを殺そうしたが、ボンドは辛うじて脱出し、爆死を免れた。 これにより、ボンドはダンとグリーンウェイ社が共に何か企んでいる、という確信を得た。テロ組織の隠れ蓑であろうグリーンウェイ社に目を向ける。 グリーンウェイ社は、オランダ出身の実業家セバラン・ハイドによって経営されていた。ハイドは廃棄物処理で一財を成した人物で、経済界では名士とされていたが、その裏で死や死体に性的興奮を覚えるという異常な性癖を持っていた。 ODGはハイドの身元を調査。ハイドは、傍受した通信によると「ノア」と呼ばれていて、セルビアの脱線未遂事件に深く関わっていて、しかも100人の死亡者が出るであろうテロ計画「ゲヘナ」を企てているらしい、というのが判明し、ボンドがダンとハイドの監視を続ける事を許可する。 ハイドはイギリスからドバイへ移動。 ボンドも後を追ってドバイへ向かう。 ドバイで、ボンドはアメリカの諜報局CIA局員で、旧友のフェリックス・ライターと再会。二人で、ハイドを追う。 ハイドは、人が大勢集まる博物館を訪れていた。ここを襲撃するのか、とボンドは危惧したが、ハイドは単に博物館の展示物である1000年前の死体を見に来ただけだった。 ハイドはドバイを後にし、南アフリカのケープタウンに向かう。 ボンドも後に続いた。そこで、現地の女性刑事ジョーダンと共に、ハイドを監視する。 ハイドの標的が何か一向に掴めないボンドは、偽名を騙って直接接触する事にした。ハイドは、イギリス諜報局が自分の後を追っているのは知っていたが、ボンドの顔は知っていなかったので、ボンドが騙った偽の身分を信じ、事業に参加させる。 ハイドは、「飢餓撲滅の為の国際組織」が主催する資金集めパーティーに足を運び、ボンドを同行させる。ボンドは、その会場で組織を率いる女性活動家フェリシティ・ウィリングを紹介される。二人は意気投合し、交際を始める。 ボンドは、ハイドの南アフリカに於ける活動を調べるが、ゴミ処理事業の話ばかりで、不審な部分は浮かび上がってこない。ハイドはグリーンウェイ社をどうやらテロ組織の隠れ蓑としてではなく、合法的な事業として運営している様だった。 一方、「ゲヘナ」の決行日は着実に迫っていた。 イギリス政府は、「ゲヘナ」とハイドは無関係と見なすようになり、ODGに対しボンドをアフガニスタンへ急行させるよう、要求する。「ゲヘナ」はアフガニスタンで起こる可能性が高い、と見ていたからだ。 ハイドは「ゲヘナ」に関与している、と信じて疑わないボンドは、ODGに対し、自分をアフガニスタンに向かわせないよう、懇願する。ODGはボンドの懇願を受け入れ、イギリス政府の要求を蹴る。これにより、ボンドは成果を何が何でも挙げないと、ODGが存亡の危機に危機にさらされる事となった。「ゲヘナ」の決行日当日、ボンドはテロの対象はヨーク市だとの情報を得る。金属片を高速でまき散らす爆弾を使って、癌治療の研究者を殺す、と。ハイドは、ある製薬会社から、その研究者を殺害するよう、依頼されていたのだ。その研究者は癌治療の新たな方法を発表する目前だったが、発表により製薬会社が損害を受ける、というのが理由だった。ハイドがセルビアで列車を脱線させようとしたのは、劇物でドナウ川を汚染しようとしていたのではなく、脱線して大破した列車から、爆弾の製作に必要な金属を回収するのが目的だった。 ボンドの情報提供により、爆弾テロは未然に防げた。ボンドはハイドを拘束する。しかし、ダンはその場から逃走。それだけでなく、ハイドを遠距離から狙撃し、射殺した。 ダンを逃してしまったものの、「ゲヘナ」は防げた、とODGは満足する。 しかし、ボンドは納得がいかなかった。未解明の部分が多過ぎる、と。 ボンドはこれまでの情報を再検証する。「ゲヘナ」の計画段階でハイドには「ノア」の呼び名が与えられていた、とODGは当初考えていたが、これは間違いだったのでは、とボンドは思う様に。ハイドは「ゲヘナ」とは無関係だったのでは、と。「ゲヘナ」を計画していたダンがハイドと行動を共にする事が多かった為、ハイドも「ゲヘナ」に関与している、と思ってしまったが、ダンは「ゲヘナ」と、ハイドによる爆弾テロという、別々の計画を同時進行していただけなのでは……。 そうとなると、「ゲヘナ」はこれから実行に移される事を意味し、全く解決していない事になる。 その時点で、ボンドは「ノア」の本当の意味に気付く。「ノア」は人ではなく、ある組織の略称だ、と。「飢餓撲滅の為の国際組織(International Organization for Hunger, IOAH)」の前身組織「(National Organization for Hunger, NOAH)」こそ「ノア」だった。 ダンは、IOAHの統括者であるフェリシティ・ウィリングと、深い関係にあった。IOAHは、発足当初は単なる慈善団体だったが、国際的な組織になると同時にその影響力も肥大化し、アフリカに送られる食糧支援物資全体の1/3を掌握するまでになっていた。ウィリングは、その影響力を使って、食糧を戦略的に配布する様になり、自分にとって都合の良い政府には食糧を与え、そうでない政府には食糧が行き渡らない様にし、紛争の種を撒いていた。アフリカでの影響力を高めたい中国は、スーダンで紛争が起こる様、ウィリングに依頼。ウィリングはその計画を実行に移そうとしていた。その計画が実行されると、紛争により多数の死者が出て、結果的にイギリスが不利益を被り、中国が利益を得る。 ボンドは、ウィリングを欺いて、自白させた上で拘束。ダンが現れ、ウィリングを連れて逃れようとするが、ボンドが射殺する。 ウィリングはイギリスに輸送される。ウィリングは、自分は慈善団体の統括者として世間の評価が高いので、いつまでも拘束するのは無理だと嘯く。しかし、イギリス政府はウィリングが自身の組織の運営資金を持ち逃げして行方をくらました、との偽の情報を流し、ウィリングの名声を潰すのと同時に、いつまでも拘束出来るようにした。解説: ジェフリー・ディーバーは、ミステリー作家として評価が高いらしいが、彼の著作を読んだのは本作が初めて。 イアン・フレミングが1950年代に創造したキャラを、21世紀で活躍させる為に、相当の努力や配慮をしたのは読み取れる。 では、成功したのか、というとそれはまた別の話。 1950年代はイギリスが超大国としての地位をアメリカに奪われ、ソビエト連邦が台頭し、西側諸国と対峙した時代。 核戦争がいつ起こっても不思議ではない、という緊張感にあった。 21世紀の現在、核戦争は全く有り得ない、という訳ではないが、1950年代の程の緊張感は無い。 現在は、国家対国家との衝突より、テロとの戦いの方がより現実的。 そんな訳で、本作の敵も、国家ではなく、テロとの戦いになっている(テロの裏には国家が絡んでいる、という事にはなっているが)。 テロ組織がいかに資金が潤沢で、様々な手段を駆使出来る立場にあったとしても、国家の財力には及ばないし、国家が打てる手段の選択肢には遠く及ばない。 結局巨大組織対小組織との戦いを描くだけになっているので、どうしても小粒になる。 ディーバーはミステリ作家とあって、本作をミステリ仕立てにしている。 そんな事もあり、ハイドとダンが起こすとされるテロの全貌がなかなか掴めない、という形で物語は進んでいく。 テロの標的が漸く判明するものの、実はその裏により大きなテロが計画されていた、というどんでん返しが用意されている。 ただ、このどんでん返しが弱く、効果を発揮出来ていない。 本作では、ハイドの異常性(死体に異様に興味を持っている)をひたすら強調。物凄い事を企てていて、ボンドにとって手強い敵である、と思わせておきながら、結局ハイドが企んだテロは物凄く限定的で、「イギリスを揺るがす」とは程遠いものだった。ハイドは善人ではないが、所詮小悪党で、最終的には協力者のダンにあっさりと殺されてしまう。 何故ボンドはこの程度の敵、この程度のテロ計画の解明に手こずったのか、イギリスやドバイや南アフリカまでの大追跡劇を繰り広げる程の事だったのか、と思ってしまう。 ハイドの異常性が前面に押し出されていた為、ダンはあまり目立たない存在になっていたが、実は彼こそが大規模テロの首謀者で、黒幕には慈善団体の創立者がいて、更にその裏に中国が絡んでいた、という展開になっている。 著者はこの真相を、読者の誰もが予想出来なかったであろう大どんでん返しであるかの様に描いているが、これも結局ハイドのテロ計画より若干規模が大きい、という程度に留まっていて、物語の冒頭で語られている様な「イギリス全土を揺るがす大事件」ではない。 400ページに亘って引っ張りに引っ張ってきた割には大した真相ではなく、肩透かしを食らった気分。 映画版007の「ムーンレイカー」の様に芸術を愛するあまりに下等な人類を滅ぼし、自ら選別した上等な人類で地球を復活させるという、奇想天外な計画を企てるメガロマニアを登場させろと言わないが、映画と違って小説は派手な展開にしたところで制作費(執筆に掛かる費用)は変わらないのだから、もう少しスケールの大きい悪者を登場させられないのか。 また、非情なテロリストの裏には、愛する女性がいて、彼は実はその女の為に動いていた、という展開は、映画版007「ワールド・イズ・ノット・イナフ」そっくりで、新鮮味に乏しい。ディーバーは、「ワールド・イズ・ノット・イナフ」と同じ展開になってしまう事を知りながら本作を執筆したのか、もしくは映画シリーズは観ていなかった為、気付かなかったのか。仮にディーバー本人が気付かなかったとしても、出版関係者の誰も指摘せず、そのまま世に出した、というのは不思議。出版関係者にも映画シリーズに精通している者がいなかった、という事か。 ボンドはこの真相を解明した事で自身は勿論、ODGを組織解体の危機から救った、めでたしめでたし、となっているが、この程度の小事件でセルビア・イギリス・ドバイ・南アフリカまで飛ぶ必要があったのか、という疑惑を打ち消せない。 ディーバーはグルマンで、本作ではその知識を発揮し、料理に関して色々描写している、という事だが、原作のフレミング程のこだわりには達しておらず、単に料理名や食材の名を連ねているだけ。 そもそもフレミングは小説の流れを完全に断ち切って(1章をわざわざ割いてまで)、料理やその他に関する情報を延々と綴る作風が特徴。現在の小説ではなかなか有り得ない作風で(編集者が「無駄」と判断して全て削除させてしまう)、それ故にフレミングの後を引き継いだ007小説シリーズは、単に「ボンド」という人物を登場させただけの、全く別の小説群になってしまっていて、正当な007の感じがしない。 フレミングのボンドはイギリス情報局MI6に属する工作員という設定になっているが(シリーズで「MI6」と実際に述べられた事は無かったらしいが)、本作では架空の情報局ODGに属している。 MI6所属にすると自由度が低くなるから、という著者の考えからそういう設定になっただろうが、原作を改変し過ぎの感が。 また、本作には、ボンドの父親が実はソ連の為に動いていた二重スパイで、それが遠因で事故死に見せ掛けて殺されたのでは、とボンドが探るサブプロットも盛り込まれている。 終盤で、父親が二重スパイだった可能性が否定され、実は母親がソ連によるイギリス国内のスパイ網を摘発しようとしてソ連側に消されたのでは、という疑惑が浮上する。 作品に厚みを持たせ、続編の可能性を残す為のサブプロットらしいが、単に物語全体のペースを落とすだけになってしまっている。 続編の可能性をほのめかしておきながら、原作ではお馴染みの準レギュラーキャラ(フェリックス・ライター等)がガンガン登場してしまい、全て書き切ってしまった感もある。 フェリックス・ライターの登場と退場のさせ方が中途半端なので、寧ろ登場させなかった方が良かったのでは、と思った。 タイトルの「白紙委任状」は、ボンドが手段を選ばず自由に行動するには白紙委任状が必要で、これ抜きではODGの活動が制限されているイギリス国内での捜査は無理だった、という事になっているが……。 ボンドがイギリスに留まったのはほんの僅かで、それ以降は白紙委任状を必要としないイギリス国外で動くので、何を意図したタイトルだったのかね、と思ってしまう。 007の映画シリーズと、小説シリーズは、現在は全くの別物として展開していて、フレミング以降に出版された007シリーズの小説は、既にフレミングが出した本の数を上回っているが、映画化されたのは1作も無い。 本作はどこまで映画化される事を期待して執筆されたのかは不明だが、忠実に映画化したら退屈なものになりそう。 ディーバーは、自身が創造したキャラの小説シリーズではヒットを連発するベストセラー作家らしいが、本作を読んだ後、他の著作を何が何でも読んでみたい、という気は起らなかった。 Ian Fleming Publicationsは何を期待してディーバーに執筆を依頼したのか。007 白紙委任状(上)【電子書籍】[ ジェフリー・ディーヴァー ]価格:740円 (2018/10/13時点)楽天で購入
2018.10.13
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1996年に公開された劇場版スタートレック・シリーズのノベライズ。 原作となった映画は、劇場版スタートレック第8作目に当たり、「新スタートレック(Star Trek: The Next Generation = ST:TNG)」の登場人物らが出演する劇場版としては2作目に当たる。 前作の劇場版スタートレック第7作目は、新旧スタートレックの引き継ぎを果たす役割からか、オリジナルシリーズ(原題はStar Trek。後に製作されたST:TNGと区別する為に、Star Trek: The Original Series = ST:TOSと称される様になった)のキャラが登場していたが、本作ではST:TOSのキャラは全く登場しない。粗筋: 西暦2373年。 かつて惑星連邦宇宙艦隊に壊滅的な被害を与えたボーグ集合体が、太陽系へ再び侵攻する。 ボーグ集合体は、サイボーグによって構成された電子・機械集団で、あらゆる文明を「同化」して自分らのものにし、勢力を拡大していく存在だった。同化された文明は、集合体の一部となり、個々の言動や思考は全く許されなくなる。これまで無数の文明がボーグにより侵略され、破壊されてきた。 就航したばかりの航宙艦エンタープライズE号の艦長ピカードは、以前ボーグに同化されたものの生還出来た数少ない人物だった。しかし、それ故に再同化され易くて危険だ、という理由から、迎撃任務から外されてしまう。が、ピカードは命令に反して参戦し、ボーグ集合体の主力艦ボーグ・キューブを撃破する。 しかし、爆発寸前のキューブから、小型のボーグ・スフィアが脱出。直後に時間の渦へ飛び込む。それと同時に、地球の姿が一変した。ボーグは過去へ飛び、地球を同化してしまったのだ。 エンタープライズE号は歴史を元に戻す為、スフィアを追って時間の渦へ突入する。 スフィアとエンタープライズE号が辿り着いたのは、2063年4月4日。ゼフラム・コクレーンが人類初のワープ航行を成功させ、異星人と初めて接触する日(ファースト・コンタクト)の前日だった。 人類がこの日を史実通り迎えさせる必要に、ピカードは迫られる。 ピカードは、副艦長のライカー、主任技師のラフォージ、精神カウンセラーのトロイらを地上に送り込む。 ワープ航行を行う筈の実験船フェニックス号は、ボーグの攻撃を受け、破損していた。 ライカーらは、フェニックス号の修理を手伝う事に。 エンタープライズE号の24世紀の技術を使えば、フェニックス号の修理くらい難無く済むと思われたが、エンタープライズE号との通信が途絶えてしまい、ライカーらは手持ちの機器と、現地の技術のみで修理する事を強いられる。 21世紀中頃の地球は、核戦争が終結したばかりで、大混乱の時代にあった。 ライカーらの認識では、この絶望的な時代に偉大なるゼフラム・コクレーンがワープ航行を成功させ、異星人とファースト・コンタクトを果たし、人類を一つに纏め、惑星連邦創立の礎を築いた、という事になっていた。 自分らの時代では神格化されているゼフラム・コクレーンと対面出来て興奮していたライカーらだったが、実際のゼフラム・コクレーンは神々しい人物ではなく、酒浸りの中年男性だった。人類の歴史を劇的に変えたとされるワープ航行技術も、賞金目当てで開発していただけであり、異星人との接触を果たす事になる等本人は想像すらしていなかったし、希望もしていなかった。自身を神の如く崇める未来からの訪問者らに早くも嫌気が差し、その場から逃げ出そうとする有様だった。 ライカーらは、歴史的の人物の実像に幻滅したが、後の時代の者がコクレーンを勝手に神格化してしまったのも問題だ、と考えを改める。コクレーンをどうにか説得し、フェニックス号の修理に取り掛かる。 修理を終えたフェニックス号は、宇宙へ飛び立ち、ワープ航行の準備を開始した。 一方、地球を周回するエンタープライズE号では、艦内に侵入したボーグの生き残りらと、ピカードらが戦闘していた。ボーグらは、乗組員を次々「同化」し、航宙艦の完全支配を目論む。航宙艦の通信機を乗っ取り、この時代のボーグらへ連絡しようとする。 その企みに気付いたピカードは、通信機に群がるボーグらを倒すが、ボーグの圧倒的な戦闘力に圧され、エンタープライズE号はボーグらの手に落ちてしまう。 ピカードの前に、ボーグらを統率するボーグ・クイーンが現れる。 ボーグ・クイーンは、抵抗は無駄で、地球がボーグの支配下に置かれるのは時間の問題だ、と宣言。宇宙空間に辿り着いたフェニックス号を、ワープ航行前に破壊しようとする。 ピカードは機転を利かせてボーグ・クイーンを倒し、フェニックス号の破壊を阻止。 エンタープライズE号内での死闘の事等知りもしないフェニックス号は、予定通りワープ航行を開始。 その航行は、史実通り、偶々太陽系を通り掛かっていたバルカン星人の調査船に感知される。「ワープ航行技術を確立した文明は異星人との接触が可能な高等文明だ」との認識を持っていたバルカン星人は、地球を訪れ、ゼフラム・コクレーンと歴史的な対面を果たす。 歴史が元に戻った事を確認したピカードらは、エンタープライズE号を時間の渦に飛び込ませ、自分らの時代に戻る。解説: 宇宙物というSFに、更にタイムトラベルという別ジャンルのSFを加え、しかもスタートレック・シリーズ最大の敵とも呼べる勢力を放り込んでいる。 盛り込み過ぎ。 テレビ版ST:TOSでも、劇場版ST:TOSでも、タイムトラベルを扱ったものが好評だった事、そしてテレビ版ST:TNGでは敵役としてのボーグが好評だった事から、二匹目のドジョウというか、三匹目のドジョウを狙って、この様なストーリーになったらしい(ST:TOSのキャラが全く登場しない初の劇場版とあって、何が何でも成功させる必要があった、という事情も働いたと思われる)。 安易にタイムトラベルを取り入れてしまうと、いくらでも歴史を変えられるではないかと思えてしまうし、ボーグはスタートレックの世界ではあまりにも異様で、敵としては個人的にはつまらないと考えているので、ガンガンやられても困る、というのが正直な所。 過去の世界に飛んで歴史を変えてしまう、というのがボーグらの企みだったのなら、何故わざわざ太陽系にまでやって来て、時間の渦を作ったのか、の説明はなされない。 惑星連邦から遠く離れた場所で時間の渦を作っていれば、宇宙艦隊の迎撃を受ける事無く、楽に過去へ飛んで行けただろうに。 ボーグ・スフィアの航続距離が短いから、という理由もあったのかも知れないが、それでも過去へ飛んで行く以上、いくらでも時間を掛けて向かう事が出来た筈。 まるでボーグらは、阻止される事を希望して、今回の作戦を立てたかの様である。 歴史を元通りにする為、ピカードらは過去へ飛ぶが、その割には配慮が足りない。 コクレーンと当たり前の様に接触し、自分らが未来からやって来たと伝えてしまうし、コクレーンがワープ航行を成功させ、自分らの時代では神格化されている事も伝えてしまう。 お蔭で、コクレーンは怖じ気付いてしまい、その場から逃げ出そうとする。 ライカーらは、コクレーンをどうにか説得して、ワープ航行を成功させるが、偶々上手くいった、としか言い様が無い。 惑星連邦宇宙艦隊には、プライム・ダイレクティブという法律があり、それには「自力でワープ航法を開発して外宇宙航行を行う技術レベルに達していない文明に干渉してはならない」という条項がある。 これは、惑星連邦宇宙艦隊がワープ航法を確立していない文明と接触してしまった所、悪意は全く無かったにも拘わらず悪影響をもたらし、その文明を破滅に追い込んでしまった事への反省から制定された。 過去の自分らの文明と無暗に接触したり、未来について教えたりするのは、プライム・ダイレクティブに抵触する、とは考えなかったのだろうか。非常時だから仕方ない、となると、プライム・ダイレクティブなんてあって無いものになってしまう。 テレビ版ST:TNGでは、ピカードは、「何故ここまで外交手段にこだわるのか。もう少し好戦的でもいいのでは」と観ている側が苛々する程武力行使には消極的だった。ボーグを相手にした時でも、武力にはなるべく頼らない方法で対処してきた。 が、本作では、ピカードは「外交的手段等知らん! ボーグは一体残らず倒すのが正しい!」と言わんばかりに好戦的。問答無用でガンガン倒し捲る。同化されてしまった元乗組員のボーグらさえも、「ボーグとして生き続けるくらいなら死んだ方がマシなのだ!」と言い切って倒していく。 テレビ版と劇場版という違いがあるとはいえ、何故ここまでキャラを変えてしまったのか、理解に苦しむ。 本作は、テレビ版から数年後の出来事という設定なので、同化の後遺症に悩むピカードが、ボーグへの態度を硬化した、という見方も出来なくもないが。 テレビ版ST:TNGの主役ともいえた航宙艦エンタープライズD号は、前作の劇場版スタートレック第7作目(初のST:TNG劇場版)で、あっさりと破壊されてしまう。 そんな事もあり、本作では全く新しい航宙艦が、「新エンタープライズ号」として登場する(ギャラクシー型からソブリン型に交代)。 テレビ版ST:TNGを観て慣れ親しんできた者からすると、自宅を勝手に壊され、新たな住居に転居せざるを得なくなった気分。「艦船名はこれまでと同じエンタープライズ号。乗組員も同じ。だからいいだろ?」 ……そういう問題ではない。 テレビ版から観てきたファンからすると、乗組員は勿論、艦船も引き続き登場し、冒険を繰り広げるという形で、テレビ版から劇場版に移行する事を望んでいたと思うのだが。 艦船をホイホイ変えるのは、「仏作って魂入れず」そのもの。 主力艦を、スタートレックの世界のタイムラインで10年も経たずに失ってしまう惑星連邦宇宙艦隊は際限なく効率の悪い組織、という問題点も上がってしまう。 米海軍だって、主力艦の空母を建造からたった10年で失っていたら成り立たないだろう。スタートレックも、登場させる艦船をもう少し大事にしたらどうか。 ワープ航行を成功させたゼフラム・コクレーンは、実は後の時代の者が思っている程偉大な人物ではなかった、という切り口は、面白いといえば面白い。 ただ、本作で描かれるコクレーンはあまりにも欠陥だらけで、こんな人物がワープ航行技術を開発出来たとは到底思えない。 仮に出来たとしても、実際の人物像が後世に全く伝わらず、ひたすら神格化された、というのも信じ難い。古代時代ならともかく、21世紀なら、核戦争後の混乱した時代であっても、記録を残せただろうに。 本作では、人類は2063年にワープ航行を成功させる、という事になっている。 あと半世紀にもならない。 流石に早過ぎじゃないか、と思う。 ともあれ、本作はそれなりに成功したらしく、この後続編が2作制作された後、リブートされる。 テレビ版の新シリーズも制作されており、スタートレック人気を支えた1作であるのは間違いない。 ノベライズでは、劇場版では描き切れなかった登場人物の心理面や、時代背景も描いてあり、ストーリーをより理解し易くしている。 劇場版を観てからノベライズを読んで復習するも良し、ノベライズを事前に読んで学習した上で劇場版を観賞するのも良しである。☆春の特別企画☆エントリーで当店全品ポイント5倍!【送料無料】【DC20244 スタートレック ファーストコンタクト ボーグ・クイーン フィギュア】 b0170fu7n2価格:7148円(税込、送料無料) (2018/4/21時点)
2018.04.21
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女性作家パット・マガーによるミステリ。 犯人が、自身を追い詰めるであろう探偵を探し当てる必要に迫られるという、通常のミステリとは逆の展開になっている。 原題は「Catch Me If You Can(捕まえられるなら捕まえてごらん)」だが、日本では「探偵を探せ!」があまりにも有名になってしまっている。粗筋: 元女優のマーゴットは、病身の夫フィリップに呼び寄せられ、指摘される。俺に毒を盛って殺そうとしたな、と。マーゴットは否認するが、フィリップは耳を貸さない。 金目当てで結婚したがっていたと分かっていながらも承諾した自分は馬鹿だった、今から離婚してその間違いを正す、と語り始める。また、毒を盛った錠剤は知り合いの探偵ロッキー・ロードスに送り、分析させたので、ロードスがここに到着した時点でお前は殺人犯として逮捕される、とも語った。 老い先短い大金持ちと結婚して、死期を一日でも早めてやろうと色々画策していたのに、今更無一文で離婚されては困ると焦ったマーゴットは、その場でフィリップの顔に枕を被せ、窒息死させた。 自然死に見せ掛けて殺せたと安堵したマーゴットだったが、自分が殺人犯であると指摘出来る探偵が間も無く到着するのを思い出す。 今更やって来るのは阻止出来ないので、その探偵が訪れるのをとりあえず待つ。 マーゴットの住まいとなっている山荘に、シェルダンと名乗る新聞記者が到着。道に迷ってここに来た、と言い張った。 マーゴットは、シェルダンこそ探偵だと読む。新聞記者だ、というのは当然ながら嘘だと。持参してきたであろう毒入りの錠剤を回収し、始末しなければ、と考えた。 が、シェルダンを皮切りに、他に次々と訪問者が到着。 セールスマンのミラー、児童物作家のケイツ、そしてクインという若い女性。いずれも、山荘に宿泊する予約を入れていたと主張する。 シェルダンが到着した時点では、彼こそ探偵だと信じて疑っていなかったが、続々と到着する訪問者を前に、確信が持てなくなってしまった。 マーゴットは、フィリップの死が病死であるのを世間に納得させる為の工作と、探偵を探し当てて始末し、毒入り錠剤を回収する、という事を同時に進行させなければならなくなった。 マーゴットは、探偵だろう、と目星を付けたミラーを殺害。彼の身の回りの物を探してみたが、錠剤は見付からなかった。間違って殺してしまったのか、と後悔。 マーゴットは、長年連れ添ってきたトムリンソンおばさんを利用し、次に探偵だと目星を付けたケイツを殺害。しかし、錠剤は見付からなかった。 トムリンソンおばさんは、殺人に手を貸した事に動揺し、怖気付く。ミラーとケイツの殺害は、事故死を装ったが、同じ場所で立て続けに起こっているのは明らかに不自然だった。警察が本格的に捜査を始めたらたちまち暴かれ、自分も共犯として逮捕される、と悩む様になってしまった。 マーゴットは、長年連れ添ってきた理解者を殺す事を一旦は躊躇うが、自分の罪が暴かれる証言をされては困ると判断し、トムリンソンおばさんを自殺に見せ掛けて殺してしまう。 探偵候補は二人に絞られた。 探偵が女性であっても不思議ではない、と考える様になったマーゴットは、クインこそ探偵だと信じ込む。 彼女を問い詰め、殺害しようとするが、失敗してしまう。 これで自分は終わりだとマーゴットは判断し、投身自殺を図る。 マーゴットは、直ちには死ななかった。 薄れていく意識の中で、シェルダンとクインの会話を耳にする。 シェルダンこそ探偵だった。友人のフィリップから、妻に毒を盛られそうになった、との話を聞き、送られて来た錠剤と共にここを訪れた。 ただ、決定的な証拠は無かったので、様子を見守っている間に次々と死人が出て、しかもマーゴットが投身自殺を図ったので、戸惑っていた。 シェルダンは、クイン(そして瀕死の状態のマーゴット)に、告げる。 毒入りの錠剤をフィリップが送って来たのは事実だが、それがマーゴットの仕業だとする証拠にはならない。フィリップの妄想、もしくは自作自演と片付けられる可能性が高かった。マーゴットは、夫を亡き者にした後、何食わぬ顔で未亡人として夫の財産を相続していれば良かったのだ。仮に殺人だったと発覚し、逮捕・起訴された所で、莫大な財産を手にしているので、敏腕弁護士を雇って、疑惑を一蹴出来ただろう。何故マーゴットが罪を次々と重ね、投身自殺したのか、さっぱり分からない、と。 そこまで聞いた時点で、マーゴットは息を引き取った。解説: 犯人が、自分を追い詰めるであろう探偵を探す羽目になるという、通常のミステリとは逆の展開。 こうした発想は、アイデアとしては面白いが、いざ小説として成立させるとなるとアクロバチックなストーリー運びにならざるを得ない。 本作も、元のアイデアを強引に成立させようとするあまり、ストーリー運びやキャラ設定に無理が生じている。 主人公は、犯人でもあるマーゴット。 女優だったが、芽は出ず、同じく女優志望だった女中のトムリンソンおばさんを伴い、大富豪のフィリップと結婚した、という設定になっている。 夫を殺害して莫大な財産を相続する、という野望の為に綿密に計画を立てて実行に移すのかと思いきや、言動が全て行き当たりばったりで、計画性も何も無い。 思い付きで行動に出るから、当然ながら夫にばれてしまう。 夫を殺した後は、やって来た4人の訪問者から探偵を探し出す羽目になるが、これも行き当たりばったりで行動するだけ。落ち着いて考える、という事をしない。 ミラーが探偵なのは間違いない、と確信しておきながら、殺した後は「もしかしたら違っていたかも」と思い直し、残った訪問者をまた疑う。 次にケイツを探偵だと決め付け、ミラー殺害の際の反省を活かす事無く、またあっさりと殺害。しかもまた「もしかしたら違っていたかも」と思い直している。 ミラーとケイツを探偵だと思い込んだのは、些細な事で、裏付けは取れていない。にも拘わらず殺人に至ってしまう。 しまいには、長年連れ添って来た女中まで殺す。 ここまでガンガン殺せば、墓穴を掘るのも当然。身の破滅は、自業自得としか言い様が無い。 せめてフィリップから虐待を受けていて、殺さざるを得なくなった、という設定にしておけば、少しは彼女に同情出来たかも知れない。しかし、そういう設定にはなっていない。マーゴットの我儘振りと自己中心的な言動だけが際立っている。 こんなキャラだから、共感出来ず、主人公の運命どころか、物語そのものにも興味を失ってしまう。 探偵が誰だか分からない、という設定なので、最後に探偵である事が判明するシェルダンも、探偵としての行動は全く起こさない。 傍観者として見守るだけで、マーゴットが罪を重ねるのを許してしまう。 能動的な探偵だったら、フィリップの死が病死でないのを解明出来た筈だし、ミラーやケイツの殺害は阻止出来た筈。それだと、「犯人が探偵を探す」というストーリーが成り立たなくなってしまうけど。 最後の最後になって自身が物凄く優秀な探偵であるかの様に「真相」を語られても、説得力に乏しい。 書かれたのが1950年代頃とあって、現在から見ると奇妙に感じる部分が多い。 女中のトムリンソンおばさんが登場するが、フィリップの家の女中ではなく、マーゴットが連れ添って来た女中で、マーゴットがフィリップと結婚した際にはそのままフィリップの家の女中となった、という背景を理解するのに、かなり読み進むまで理解し辛い。 マーゴットはフィリップ、ミラー、ケイツを殺しているが、いずれも手の込んだ殺害方法ではない。現在の科学捜査ならたちまち偽装が発覚してしまうと思われる。 当時の捜査方法でも、マーゴットに疑惑を向けられる充分な要素はいくらでもあるが、結局警察は積極的に関わって来ない。この状況では、殺人なんてやり放題だろう。マーゴットが安易に犯行を重ねてしまうのも、無理が無いと言える。 本作は文体も古臭く、長々としていて、読み辛い。 登場人物が何故か台詞を延々と喋る。現実では、ここまで一方的に喋り捲る人間はいない。 小説そのものはそう長くないのに、読むのが苦痛だった。 奇を全くてらわないミステリは最早ミステリではないが、奇をてらい過ぎても作者の自己満足で終わってしまう、の典型的な例。 著者は、破れてしまった新聞記事から事件の被害者を特定する、という変則的なミステリでデビュー。この作品の成功で、変則的なミステリを出し続ける羽目になってしまった様である。 本国アメリカでは、第1作以外は凡作しかない、と現在は評されている。 変則的でない、王道のミステリを執筆する機会に恵まれていたら、少なくとも本国ではもう少し高く評価されていたかも。逆に日本では忘れ去られていただろうけど。
2018.01.13
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ジーン・ジオン(文章)と、マーガレット・ブロイ・グレアム(絵)による絵本。「Harry the Dirty Dog(どろんこハリー)」シリーズの1冊。 夫婦による合作でもある。 ただ、離婚によりコンビが解消されると、新作は出なくなった。 邦題は「うみべのハリー」。粗筋: 犬のハリーは、飼い主一家と共に海辺に遊びに行く。 日を避ける為、ハリーは飼い主一家のビーチパラソルの下に潜り込もうとするが、パラソルが小さかった為、追い払われてしまう。 ハリーは日陰を求めてあちこち向かうが、結局追い払われる。 しまいには、海藻を被り、「未知の生物だ」と騒がれ、警察沙汰に。 ハリーが居なくなった事に気付いた飼い主家族が近付いた時点で、ハリーは海藻から飛び出し、家族の元に戻れた。 飼い主家族はもう少し大きいビーチパラソルを買い、ハリーを含め一家全員で日陰にいられるようにした。解説: 昔のアメリカアニメ風の分かり易いイラストと、軽快なプロットで、絵本の王道を行く。 哲学的な要素は無く、「めでたしめでたし」で終わる。 子供が読む分には充分以上の内容だが、大人になってから読み返して思慮する内容にはなっていない。 その意味でも、絵本の王道を行く。 絵本は本来こういうもの。 大人の鑑賞にも耐えられるように、と出版するものではない。当然ながら、大人が読んで「これはつまらないから子供に与えるのは止めよう」と判断するべきでもない。 元々英語で出版されたものを日本語に訳したので、訳文には無理な部分も。 ホットドッグ売りの「Hurry! Hurry! Hurry!(早く早く早く!)」という掛け声を、ハリーが自分の名前を呼ばれたと勘違いして駆け寄る、という場面がある。 意訳である「早く早く早く!」ではストーリーの整合性が取れなくなってしまうので、翻訳者は「いらはい! いらはい! いらはい!」と訳している。 ただ、「いらはい」では、ハリーが自分の名を呼ばれたと勘違いするとは思えない。 英語だからこそ成り立っていた絵本で、元々翻訳に適していなかったと思われる。うみべのハリー [ ジーン・ジオン ]価格:1296円(税込、送料無料) (2017/2/21時点)
2017.02.21
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アメリカのジュベナイルミステリ作家Donald J. Sobolによる推理クイズ集。 原題は「Two-Minute Mysteries」。解説: 数ページの問題篇に、1ページ弱の解答が付く、という方式。 71篇から成る(実際にはもっとあるらしいが、翻訳者が「欧米文化を知らないと理解し辛い、英語の知識が無いと理解出来ない等と言ったお節介な理由で割愛したらしい」)。 著者は、人気ジュベナイルミステリシリーズの少年探偵ブラウン(アメリカではEncyclopedia Brownという)で有名。本書は、それの大人向けバージョンと言える。 大人向けなので、殺人事件が当たり前の様にある。探偵役のハレジアン博士が登場し、事件の真相を推理。読者は、ハレジアンがいかにしてその結論に至ったかを推理する。 ただ、殆どは証言者(容疑者で、大抵の場合犯人)の発言内容を突っつき、「お前の証言は辻褄が合わない。だからお前こそ犯人なのだ」と指摘する内容。 単なる推理クイズなので、その程度でも問題は無いのだが、推理小説として読むと、「これでは冤罪だらけになってしまうだろうな」と思ってしまう。「逃げた犯人の後姿しか見ていない筈なのに、着ているのがカーディガンだと知っていたお前こそ犯人」「犯人は右ストレートを被害者に浴びせた後逃げたと証言したが、被害者は右頬に打撃を受けている。左ストレートと証言しなかったお前こそ犯人」「ホームメイドのパンやケーキを売っている筈なのに、重曹が無いのはおかしい。他店で買ったパンやケーキのラベルを剥がして売っているだけだ」 ……等々。 逃げた犯人の後姿を目撃した者は、上に羽織る服は、シャツだろうと、セーターだろうと、カーディガンだろうと、「カーディガン」と認識しているのかも知れない。服に特に興味が無ければ、服の正しい分類なんて知りようが無い。 犯人は右ストレートを被害者に浴びせた、と証言した人物は、単に興奮して右と左を言い間違えた可能性が。 パンや洋菓子も、その種類や作り方によっては重曹を必要としない。もしくは、単に切らしていただけの可能性も。「パン屋なのに重曹がないとはおかしい! 不正を働いている!」の思考は先走り過ぎ。 ……こんな事から、この程度の理由で「犯人」を逮捕した警察は、いざ裁判になると相当不利な立場になりそう。 これが実際の警察の捜査だとしたら、アメリカに冤罪が多いのも不思議ではない。 似た様な問題がひたすら続くので、時間を置いて一遍ずつ読むには悪くないが、通して読むと飽きてくる。 元々文学性は低いので、通して一気に読むものではないのだろうが。 本書は、原書の通り、解答を逆さまに印刷している。 英語の場合、逆さまにしてあった方が良いのかも知れないが、日本語になるとひたすら読み辛い。 推理クイズの本というより、雑学クイズの本、といった感じ。 いくつかは時代遅れというか、覆りそうな雑学も。人気blogランキングへ2分間ミステリ [ ドナルド・J.ソボル ]価格:561円(税込、送料込)
2016.03.10
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動物の世界で太陽が復活するまでの過程を描いたエリサ クレヴェン(Elisa Kleven)による絵本。 文章・絵ともにエリサ クレヴェンが手掛けている。 日本語版の訳者は、女性小説家の江國香織。 原題は「Sun Bread」。粗筋: 冬になり、太陽が雲に隠れ、暗くなってしまった動物の世界。 そこで、パン屋か本物の太陽の代わりに、とおひさまパンを作る。 動物の世界でパンは評判になり、世の中は明るさを取り戻していく。 雲に隠れていたおひさまにもパンを分け与えたところ、おひさまは元気になり、世界を再び明るく照らす。解説: 原作は、英語の脚韻語や比喩を多用した詩的な文章となっていて、元々和訳し難い。 逐語的に訳したところで意味を成さないし、意訳しても比喩のニュアンスが異なるし、脚韻語はその通りに訳しようがない。 人気女性小説家の江國香織に頼めばどうにかなる、と日本語版の出版社は考えたらしい。が、いくら小説家として人気があっても、英語力に限界がある者に依頼したところで、まともなものが出来る筈がない。原作の魅力が伝わり難い、小難しいだけの訳文になってしまった。 原作は、文章が弧を描くように印刷されているので、日本語版でもそれを真似ているが、それが読み難さに拍車をかけている。英語では問題にならない印字の仕方も、日本語ではそうならないのは、理解しておくべき。 絵は、ほぼ原作のままなので(一部に手が加えられ、日本語表記になっている)、女性作家らしい温かみがあり、見る分には楽しい。人気blogランキングへ
2014.09.11
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粗筋はこちら:解説: 本作は、ソ連が崩壊し、アメリカとロシアの間で雪解けが進んでいた時期に発表されたもの。 当時の微妙な政治情勢を反映している。 ただ、アメリカの都合のいい展開になっている点では、やはりアメリカの小説。 アメリカの小説界では、「ベストセラー小説の法則」といったものがある。 主人公は善人。善人であるが故に、メインプロットとは無関係な個人的な問題を抱えていて、悩んでいる。 そんなところ、事件に巻き込まれ、主人公は個人的な問題を抱えながら事件にも対処する羽目になる。 事件に立ち向かう過程で、主人公は個人的な問題の解決法を導かれる。個人的な問題から解放された主人公は、全力で事件解決の為に奔走する。 主人公の大活躍により、事件は解決。主人公は事件解決の喜びを感じるのと同時に、個人的な問題の解決も手に入れる。 最終的にはめでたし、めでたし、で完結。 本作は、この「ベストセラー小説の法則」をそのままなぞっている。 マッケンジーは、自ら起こした交通事故である少女を半身不随にさせてしまい、罪悪感に苛まされていた。最初は見守っていたがなかなか回復の兆しを見せない夫に愛想を尽かした妻ジャスティーンは、彼から距離を置いてしまう。 その最中に、マッケンジーにケンタッキー索敵掃討の任務が与えられる。 マッケンジーはロシア人と接触し、異文化を理解していく内に、罪悪感を克服。当初は反目し合っていたロシア人乗組員と意気投合し、ケンタッキーの索敵掃討に成功。 一方、ジャスティーンも、罪悪感に苛まされている夫に愛想を尽かしてトルクメニスタンに向かい、工作員として活動していたが、その過程で夫への愛情を再認識。ラザの組織を壊滅に追い込んだ後、夫の下へ戻ることを決意。 マッケンジーは、任務成功の名誉を手に入れ、個人的な問題の克服し、妻との関係も修復できた。 めでたし、めでたし。「ベストセラー小説の法則」によって生み出される小説は勧善懲悪が基本なので、後味の悪いものは有り得ない。読後感が良いのが最大の特徴。 この法則は、小説だけでなく、映画やテレビでも応用されていて、大抵の場合ヒット作を生み出している。 アメリカ人は実生活で不満を抱えているのが多いので、せめてテレビや小説やテレビの世界では満足感を得たい、と考えるから法則に沿ったものが好まれる。 安心して読める、期待を裏切られない、という観点からは、法則は非常に有り難い。 一方、法則は金太郎飴みたいな、既視感を抱くものを生み出すようにもなっている。 本作を読んだのは、今回が初めて。それどころか、この著者の作品を読んだのも今回が初めて。 にも拘らず、「どこかで読んだような感じ」と思ってしまう。 本作は、最後まで飽きずに読めたので、駄作でないのは事実。 では、本作を再読したいか、この著者の他の作品を読みたいか、と問われると返事に戸惑う。 一冊読んだから、後はいくら読んでも同じだろう、と考えてしまうのだ。 これが読書の複雑なところ。 読後感の良い、後味の良い小説が読みたい。 しかし、既視感しか抱かない「ベストセラー小説の法則」をなぞっただけの小説では物足りない。 ただ、「ベストセラー小説の法則」から外れた小説は、読後感や後味が悪い小説の確率が高く、なかなか手に取れない。 といって、同じ作家の小説を読んでいたら、作品は異なっていようと同じ内容にちょっとアレンジを加えているだけと感じてしまい、新鮮味がない。 結局、ある作家の作品を一冊でも読んだらその時点で「この作家が書いたものは読み尽くした」と判断し、また新たな作家の作品を手に取るしかないのである。「ベストセラー小説の法則」は、作家の使い捨ての加速にも繋がっている。「ベストセラー小説の法則」によって生み出された本作は、既視感以外にも、プロットを進行させる為のご都合主義、という問題が発生している。・トルクメニスタンの旧ソ連からの独立を狙うテロリストグループが、旧ソ連を引き継いだロシアの各施設ではなく、アメリカの核ミサイルを狙い、アメリカを巻き込む。ロシアの各施設を襲撃し、ロシアの兵器でロシアを脅迫していたら、アメリカは参入することはなかっただろう。ラザはロシア軍特殊部隊員。ロシアの軍施設については、かなりの知識があった筈。襲撃は不可能ではなかっただろう。ラザがなぜアメリカを巻き込むことにしたのか、さっぱり分からない。アメリカの潜水艦を強奪してもアメリカは動かない、もしくはロシアもアメリカも手玉に取れる、と甘く見ていたのか。・核ミサイルを搭載したアメリカの最新鋭潜水艦がトルクメニスタン独立を狙うテロリストらによって何でもないように分捕られている。この潜水艦は、陸揚げされ、輸送の最中に襲撃された。襲撃したテロリストは数名だけ。それが数十人のアメリカ兵を難なく倒し、潜水艦を強奪。潜水艦はこれまでにない小型のもの、とされているが、それでもパンツポケットに収まるほど小さくはない。アメリカ政府が奪われた潜水艦の居所が全く掴めない、というのはおかしい。・テロリストらに脅迫されたロシアは、自分らで問題を解決するのではなく、アメリカに問題解決を頼む。いくら冷戦後の雪解け時代で、ロシアが窮地に追い込まれていたとはいえ、ロシアがアメリカに全権を委ねる、ということはあるのだろうか。・アメリカはロシアの要請に当たり前のように応じることに。この重大な任務に、アメリカ海軍は優秀ではあるものの精神的な問題を抱えるマッケンジーを任命する。いくら優秀で、戦績を残しているからといって、精神的な問題を抱える者に重大任務を与えるのはおかしい。アメリカ海軍は「こいつは優秀だから個人的な問題に左右されない、あるいは個人的な問題を自分で解決するだろう、最悪の場合失敗してもいい」と感じていたのか。・ロシアはロシア海軍潜水艦を、アメリカ人艦長に指揮させることに合意。ただし、乗組員はロシア海軍兵。ロシア海軍兵は徴兵で、士気は高くない。教育水準もあまり高くない筈。にも拘らず、全員英語ができ、マッケンジーと会話できる。ロシアでは下級層でも英語教育を徹底しているのか。もしくは、ロシア海軍は兵の士気を高めることには興味ないが、英語教育には熱心、ということか。・マッケンジーの側に付く者はどれも善人。マッケンジーに楯突く者はどれも悪人。マッケンジーの周りには、なぜか善人(ぽい人間)ばかりが集まる。マッケンジーを露骨に嫌う者は当たり前のように悪人。といって、客観的に観ると、どれも救いようのない悪人でもない。むしろ、マッケンジーこそ作者が意図しているほどの善人には見えなかった。・マッケンジーはロシアの潜水艦で、ロシア人船員を率いるのに、アメリカ流の潜水艦運営に固執。船員からの反発を招く。困ったマッケンジーは潜水艦の外に敵を見付け、潜水艦共通の敵とし、船員を結束させる。船員はマッケンジーの思惑通り彼の下で結束し、船員はマッケンジーの思い通りに動くようになる。ロシア人がそこまで騙し易い連中だとは思わないし、仮に騙せたところで、士気の高まりも一瞬で終わり、過ぎ去った後はまた無気力に戻るだけだと思うが。・マッケンジーは少女を半身不随にさせたことで罪悪感に苛まされていたが、ロシア側の担当者に自分の悩みを打ち明けた途端に罪悪感を見事克服。悩みをちょっと打ち明け、涙を流したくらいで克服できる程度の罪悪感なら、最初から苛まされない気がする。そもそも、マッケンジーは潜水艦艦長として戦績を重ねている。つまり、多数の人間を死に追いやっている。少女を半身不随にしたくらいで悩む方がおかしい。罪悪感を克服できたのを良しとしよう。少女は半身不随のままである。その点はどう思うのか。・マッケンジーは、ロシアの潜水艦でアメリカ製の潜水艦を捜索。最新鋭で、ソナーに全く反応しない筈の潜水艦は、ロシア製のソナーで当たり前のように発見できた。これだったら、ロシアはアメリカから艦長を招聘せずに、独自に捜索できなかったのか。・テロリストの指揮下にあるアメリカ潜水艦対アメリカ人艦長の指揮下にあるロシア潜水艦との一騎打ちになると思いきや、アメリカ人艦長はロシア海軍の支援を要請。ロシア海軍は嬉々として応じて、数十隻の軍艦を出動させる。戦いは、いつの間にかテロリストの指揮下にあるアメリカ潜水艦対ロシア海軍に。当然ながら、テロリストの指揮下にあるアメリカ潜水艦は多勢に無勢で一方的にやられ、敗北。結局事態を収拾したのはロシア。アメリカ人艦長は殆ど関与していない。これだったら、最初からロシアが単独で対処していた方が、早くラザの陰謀を阻止できていたかも。マッケンジー率いる潜水艦の出動が遅れたのも、マッケンジーがアメリカ海軍流の潜水艦運営をロシア兵に叩き込むのに時間を取ったからである。・テロリストの潜水艦に決定的なダメージを与える程度の活躍しかできなかったマッケンジーは、一躍ロシア・アメリカ両国でヒーローに。英雄として帰国。マッケンジーは、あくまでもテロリストの掃討に関わった無数の人間の一人。彼だけが英雄扱いされる筋合いはない。・マッケンジーの妻ジャスティーンは夫との関係を見直す為に危険なトルクメニスタンでの工作活動に参加。度重なる危機を乗り越え、夫の愛情を再認識。任務を無事終え、夫と再会。これだったら何もトルクメニスタンなんかに行かなくても、実家に帰っていればよかったと思われる。 ご都合主義がここまで続くと呆れるというか、感嘆するしかない。 本作は、構成も問題といえる。「本年度で最もエキサイティングな潜水艦追跡!」となっているが、潜水艦の追跡場面は371ページの内最後の1/4程度。 大部分はマッケンジーがロシア兵をアメリカ流の潜水艦運営にいかに慣れさせるか、マッケンジーがいかにしてロシア文化に馴染んでいくか、そしてマッケンジーがいかにして個人的な悩みを克服するか、に費やしている。「ようやく潜水艦の追跡が始まる!」と思っていたらあっと言う間に解決。 重大性を殆ど感じられなかった。 本作で、物理的に最も動き回る登場人物は主人公マッケンジーではなく、その妻のジャスティーン。 爆風で吹っ飛ばされたり、銃撃にあったり、落馬して顔面から地面に突っ込むなど、酷い目に遭っている。 正直、ジャスティーンの部分は全く要らない。 なぜ彼女の活躍をわざわざ描いたのか、作者の意図が分からない。 この手の小説を読むのは男性だから、こんな女性に大活躍させたところで、どうとも思わない。 女性読者の共感を得たかった、という可能性もあるが、女性はこの手の小説は読まないだろう。 どの読者層を狙って彼女を登場させたのか。 本作は、読んでいる最中はそれなりに楽しめるが、読み終わった時点で「なぜこんなのを読んだんだろう?」と首を傾げてしまうような、正直思い出に残らない作品。 娯楽小説なんだからそれでいいだろう、他に何を望んでいる、と言われてしまうとそれまでなんだが。 ちなみに、本作のタイトルの「ケンタッキー」は、潜水艦の名前。「ケンタッキー」は、アメリカの州名でもある。 ただ、日本では「ケンタッキー」というと「ケンタッキーフライドチキン」のイメージが強いので、日本で本作を発表しようとしたら、「ケンタッキーフライドチキンを潰そうと動くマクドナルドの陰謀の話か?」と勘違いされるかも。 ま、今となっては時代遅れの小説なので、日本で紹介される可能性は少ないが。 本作の舞台となっているトルクメニスタンは、現在は旧ソ連から独立している。 初代大統領は個人崇拝による独裁体制を敷いたことで有名に。
2008.11.09
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ピーター・マッケンジー艦長が活躍するBart Davisによる潜水艦アクション。 ピーター・マッケンジーは「RAISE THE RED DAWN」にも登場している。粗筋: ソ連が崩壊した直後の時代。 旧ソ連からの独立を企む各地の勢力が活発的に動き始めていた時代でもあった。 トルクメニスタンの独立を訴えるテロリストのラザは、アメリカ海軍の最新鋭小型潜水艦「ケンタッキー」を奪った。ケンタッキーには核ミサイルが搭載してあり、それでロシアを脅迫しよう、と考えたのだった。 慌てたのはロシア。ラザは元ロシア特殊部隊員。いわば飼い犬に噛まれたのだった。今回の問題を単独で解決するのは無理と判断したロシア政府は、アメリカの支援を要請する。 アメリカも、ロシアがアメリカの核ミサイルによって壊滅的なダメージを受けるようであってはいかなかった。ケンタッキーを探し出し、破壊せねばならなかった。 米ロの政府は、ロシア海軍潜水艦をアメリカ海軍艦長に指揮させることで合意。 アメリカ海軍は、その艦長にピーター・マッケンジーを選定。 マッケンジーは、突然の要請に戸惑う。彼は個人的な問題を数多く抱えていて、旧敵国の潜水艦を指揮できる状態ではなかったのだ。 アメリカ政府は、マッケンジーに言う。マッケンジーの妻で、CIA工作員のジャスティーンがトルクメニスタンでラザの組織を追跡中、消息を絶った、と。もしマッケンジーが今回のミッションを拒めば、ジャスティーンの安全は保障できない、と政府は言う。 マッケンジーは、嫌々ながらもミッションを引き受け、ロシアへ飛ぶ。 マッケンジーが指揮する潜水艦は、旧式のリガだった。旧式といっても、搭載されているソナーはロシア海軍が極秘に開発した最新式。リガは、ケンタッキーを探知できる唯一の潜水艦だった。 マッケンジーは今直ぐケンタッキーの追跡がしたかったが、問題が発生する。リガの乗組員は全員ロシア人。ロシア海軍兵は徴兵で、アメリカ海軍の志願兵とは異なり、士気が低い。自国の存亡がかかっているという自体にも拘らず、ミッション成功への意欲は低かった。マッケンジーはそんなロシア兵を一から訓練し直そうとするが、文化の違いからか、なかなか捗らない。 一方、ジャスティーンは、ラザの手下に囚われていたが、ロシア軍将校カランスキーの助けもあり、脱出に成功。二人は、トルクメニスタン独立運動を起こしている別の組織ケマルの助けを借り、ラザの組織を追跡することにした。ロシア政府からすれば、ラザと同じようにトルクメニスタン独立を求めるケマルの組織に頼るのは危険だったが、ラザの組織に対処するには止むを得なかった。ケマルも、ロシアを完全に信頼しておらず、独自の思惑を進めていた。 リガの乗組員をようやく訓練し終えたマッケンジーは、ケンタッキーの捜査に向かう。 ラザは、どうやらロシア海軍の重要拠点を核ミサイルを使って破壊するつもりらしい。 アメリカ海軍艦長に率いられたロシア海軍潜水艦リガは、テロリストが指揮するアメリカ海軍潜水艦ケンタッキーを必死に追跡する……。解説はこちら:関連商品:人気blogランキングへ
2008.11.09
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イギリスの作家Sam Llewellynによるサスペンス小説。粗筋: マーティン・デブロウは、優秀なヨットレーサーだったが、あるレースで、スポンサーのヨットを沈没させてしまう。 マーティンはチームを辞める羽目になり、イギリスのサウスクリークにある家に戻る。家では、養父のヘンリーと共に小規模なヨットハーバーを経営していた。が、久し振りに帰ってみると、怪しい雰囲気に。 聞いてみると、地上げ屋がサウスクリークを売れと迫っているという。頑固者のヘンリーが拒否したところ、ヨットハーバーで嫌がらせが立て続きに起こり、ついには死者まで出してしまった。 マーティンは、同じ地上げ屋がこれまでも他のヨットハーバーに対し同様の地上げをやっていることを掴み、ヨットレース界の重鎮が一枚噛んでいることも突き止めたが、決定的な証拠がない。 そんなところ、ヘンリーが失踪。スペインに行く、と言い残して。 ヘンリーの行方も捜さなければならなくなったマーティンの元に、新たなヨットレースの話が持ちかけられる。スペインで行われるレースだった。 ヘンリーの行方も分かるかも知れないと判断したマーティンは、スペインに向かうことに……。解説: 246ページだから、大長編、という訳ではない。 通常なら、読むのに3日あればできる筈。 にも拘らず、読み終えるまで2ヶ月を要した。 それほど手が進まなかったのである。 とにかくペースが遅いし、何が起こっているのかよく分からないし、正直、結局どうなったのかもよく分からない。確認の為に再読しよう、という気を起こさせない。 ヨットレースという世界は、あまり一般的でない。 一般的でない以上、ヨットレースに明るくない一般読者でも楽しめるように書くのが作家として当然の礼儀だと思うのだが、作者はそうした配慮は殆ど見せない。 作者からすれば、何もかも噛み砕いて説明していたらストーリーの進行のペースが落ちるし、超大作になってしまう、ということもあったのだろうが……。 こちらとしては、どういった展開になっているのかさっぱり分からず、理解しようとするのを諦めてしまった。 登場人物にも魅力を感じられない。 主人公のマーティンは、全く無能という訳ではないが、特段優秀でもない。 ただあちこちに行っては殴られまくっている。 生命力には感心するが、他に感心するところはない。 他の登場人物も、登場こそするもののこれといった印象に残らないので、暫く間をおいて再登場すると「これ誰だったけ?」と首を捻る始末。 本作は、ヨットレースについて多少の知識がある者にとっては理解し易く、読み易く、スリル満点の小説かも知れないが、それ以外の者にとっては退屈極まりない。関連商品:人気blogランキングへ
2008.07.03
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Irving A. Greenfieldによる海洋アクション小説シリーズ第16弾。粗筋: 核兵器を海洋でストックパイルさせる、という陰謀を阻止する為に米海軍の潜水艦を盗み出し、陰謀を潰した米海軍少将ジャック・ボクサー。 陰謀を阻止し、世界を救ったジャック・ボクサーだが、米海軍からすれば、所属する潜水艦を盗んだ「海賊」である。米海軍は総力を挙げてジャック・ボクサーが登場する潜水艦を追跡する。 逃げ切れないと判断したジャック・ボクサーは、投降を決める。彼は直ちに米海軍によって拘束された。 ジャック・ボクサーは、民間において裁判に当たる軍法会議にかけられる。そこで、彼は有罪判決を受ける。懲役刑になると思いきや、世界を救った功績から、不名誉除隊で済んだ。 一方、核兵器ストックパイルの陰謀を進めていたフォン・ステンプラーは、ジャック・ボクサーの敵に思いながら、次の陰謀を進めていた。インドネシアのジャワ沖にある油田開発海域にある油田開発基地を次々襲撃し、原油の価格を釣り上げる、というものだった。 フォン・ステンプラーは、原子力潜水艦を入手し、手下を使って油田開発基地を次々襲撃。多大なる被害を出した。 これを「米国の危機」と判断した米国大統領は、海軍を追われたジャック・ボクサーに対処させることに。 ジャック・ボクサーは、米海軍から提供された潜水艦を使い、フォン・ステンプラーの潜水艦部隊を殲滅した。解説: いわゆるペーパーバックヒーロー物。 本作が16作目で、状況からすると最終作らしい(事実、16作で完結。第1弾は1984年に出版されたから、年2作のペースで8年余り続いたことになる)。 内容的には、典型的なB級アクション。 したがって、勧善懲悪ものとなっている。 つまり、「善」の側はとにかく好意的に描かれ、「悪」は救いようのない極悪人として描かれている。 それはそれで悪くないのだが……。 本作の主人公ジャック・ボクサーは、控え目に見ても「善人」には見えない。 自分勝手な行動を取るだけの異端者。 それも、皮肉的に描かれていれば救いがあるのだが、作者は本気(というか本気であるように描いている)ので、救いがない。 運がいいだけの、嫌味なキャラとしか映らないのだ。 なぜ作中では本人がヒーロー気取りで、周囲がヒーロー扱いするのか、理解できなかった。 本作のストーリー構成にも問題が。 本作は、前作(第15弾)をそのまま引き継いでいて、米海軍に包囲されている場面からスタートする。 その後、ジャック・ボクサーは拘束され、軍法会議にかけられ、有罪判決を受ける。 本の大部分がそれで占められていて、ジャック・ボクサーがフォン・ステンプラーの襲撃部隊と対峙する場面は、後の思い付きで付け足したような、エピローグ的なものになってしまっている。 法廷シーンは、短ければ緊張感溢れたものになるが、本作のように延々と続くと退屈。 そもそも潜水艦を舞台にするのが問題のような。 潜水艦対潜水艦の戦い、てあまり絵にならないし。 退屈さをカバーする為か、セックスシーンなども盛り込んであるが、それも付け足し感が見え見えで、イマイチ。 終わり方も唐突で、「え? もう終わり?」といった感じ。 原稿の長さが出版社側から制限されていて、ガンガン執筆している内にそれに近付いて来た事に気付いた。削ることが出来なかったので、無理矢理終わらせた、としか言いようがない。 黒幕であり、陰謀の首謀者であるフォン・ステンプラーは、結局主人公ジャック・ボクサーによって始末されるのではなく、味方(催眠術を使う精神医学者)の裏切りによって始末されてしまう。フォン・ステンプラーが用済みになった味方を次々と始末していたので、精神医学者が予防線を張っていたのだ。 首謀者にしては呆気ない終わり方。 しかも、主人公ジャック・ボクサーは首謀者が死亡したことを知らない、というお粗末なもの。 本作は、1990年代初期の海洋サスペンス小説ブームにあやかって生み出されたシリーズのようだが……。 結局レベルの低いB級アクション(C級になるのか)の域を出ていない。 224ページで、スラスラと読めるのが唯一の救い。関連商品:人気blogランキングへ
2007.08.05
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米国空軍少佐Doug Beasonによるミリタリーアクション小説。粗筋: ウィリアム・マクグリフィン空軍少佐は、ウェンドーバー空軍基地に配置転換される。基地の司令官に任命されたのだ。 根っからの輸送機パイロットであるマクグリフィンは、操縦桿を握る可能性が全くない任務に不満を持っていたが、パイロットのままではいつまでも昇進できないし、妻との離婚など、忘れたいことがたくさんあり過ぎた彼にとって、受け入れざるを得ない任務だった。 ウェンドーバー空軍基地は、ネバダ州のど真ん中にある、これといった特徴のない基地。 核兵器の保管基地アルファベースを抱えている、ということを除いて。 アルファベースは、ソ連との核兵器削減条約に基づき、余剰の核兵器を保管していた。いわば、不要となった核兵器のゴミ捨て場である。 ただ、ゴミといっても兵器として充分以上に通用するので、盗まれるようなことがあっては困る。アルファベースの警備体制はウサギ一匹すら出入りできないものになっていた。 そのアルファベースに、アンソニー・ハーディングは侵入しようと計画した。核兵器を盗み出し、売り飛ばそうと。核兵器廃絶運動家の女性ビッキー・オズボーンをアルファベース所属の軍人と接触させ、情報を聞き出す。情報を元に、進入計画を立てた。ウェンドーバー基地に立ち寄る輸送機のコールナンバーを使い、襲撃部隊を乗せた偽の輸送機を潜入させる。そのままアルファベースやウェンドーバー基地の通信拠点を破壊し、同時に警備網を殲滅する。ゴタゴタを隠れ蓑にして核兵器を盗み出す……。 マクグリフィンは、基地の司令官に就任したものの、パイロットの経験しかないので、基地運営に関しては右も左も分からない。そんなところ、知人が操縦する輸送機がウェンドーバー基地に立ち寄ることを知った。久し振りに会ってみるか、と判断し、連絡を入れようとするが、輸送機の様子がどうもおかしい。確認することに。 その輸送機こそ、ハーディングの襲撃部隊を乗せた偽の輸送機だった。ハーディングは直ちに作戦を開始。アルファベースの通信システムと、警備体制を崩壊させる。 マクグリフィンは、ようやく何者かがアルファベースの核兵器を狙っている、と気付く。彼はウェンドーバー基地に残った数少ない兵器を掻き集め、反撃に出ようとするが……。解説: 核兵器の強奪計画。 物凄い陰謀を描いた小説なのだから、物凄く盛り上がる……、と思いきや、全然盛り上がらない。 本作は200ページちょっとで、海外の小説としてはかなり短い。したがって、サスペンスに満ちたシーンがギュウギュウ詰めになっている、と期待していたのだが、実状は100ページに相当するプロットを無理矢理200ページに伸ばしたような感じで、信じられないほど間延びする。 本の大半は、ビッキー・オズボーンがハニートラップとなって警備兵から空軍基地に関する情報を盗み出す場面で占められている。 その合間にマクグリフィンが「操縦桿を握れないなんて空軍任務じゃない」とぼやく場面が挿入されている。 メインである筈の基地襲撃の場面は、最後の最後の付け足しのよう。「何を今更」という印象しか受けない。 襲撃場面では多数の人間が死ぬのだが(100人以上)、その割にはあっさりと解決してしまい、イマイチ盛り上がらない。 登場人物が魅力に欠けるのも問題。 主人公マクグリフィンは、自身は輸送機のパイロットに過ぎないのに、「パイロットでない空軍の軍人は屑だ。なぜ自分はこんな任務を引き受けたんだろう」とぼやいてばかりいて、控え目に見ても優秀とは思えない。著者はこのマクグリフィンが主人公だ、と思っていて、読者にもそう思ってもらいたいようだったが、こちらとしては脇役にしか見えなかった。 マクグリフィンよりも、敵役のビッキー・オズボーンの方が存在感がある。ただ、彼女は結局は下っ端に過ぎないので、襲撃場面に至った時点でお役御免となり(戦闘能力はないので)、無能キャラになる。 アンソニー・ハーディングは、メインの悪役の筈だが、最後の襲撃場面を除いて下っ端のビッキー・オズボーンに完全に食われていて、核兵器強奪計画を立てられるほど有能な人物として映らなかった。襲撃場面になってようやく動くのだが、それまでがあまりにも無能なので、同じ名前の別のキャラであるかのようになってしまっている。 ストーリーの設定もよく分からない。 アルファベースは、核兵器の保管場所。厳重に警備されている筈なのに、襲撃部隊の侵入をあっさりと許してしまう。 万が一襲撃され、核兵器を強奪されても対処できるよう、何らかの対策が講じられていると思いきや、全く何も講じられておらず、有能とはお世辞にも言えないマクグリフィンが単独で襲撃部隊に立ち向かう羽目になる。 そのマクグリフィンも、完全に一人では戦えないので、支援を求めるのだが、なぜか軍司令部は状況の把握や、事態の解決よりも「きちんとした手順を踏む」ことを重要視していて、事が全く進まない。 そもそも、主人公が侵入計画に気付くのが侵入作戦が実施されて100人以上が死んだ後、というのはどうなのか。 このようなストーリー設定も、軍というものがいかに無能で非効率的であるかを皮肉的に描くユーモア小説としてなら成り立つが、著者は本作をユーモア小説として書いたようではない(空軍に属する軍人が、空軍を意識的に愚弄する小説を書ける訳がないのである。本作では、意識せずに愚弄しているが)。 真剣な小説なのに、ストーリーの進展具合が真剣とは程遠い、というギャップ。 読む方としてはただただ苛立ちを覚える。 著者は、本作が出版された時点では現役の空軍軍人だった。 現役の軍人なら、軍の内部事情に詳しいから、リアルでサスペンス満載の軍事アクション小説を書ける、と考えがち。 しかし、内部事情に詳しいが故に想像力を働かせることができず、スケールの小さいものしか書けない、ということも有り得る。 今回は、そのよい例と言える。関連商品:人気blogランキングへ
2007.08.02
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レポーターや裁判官などの経歴を持つDave Pedneauによる警察小説。「B&E」は警察用語で、「Breaking & Entering(不法侵入)」の略。粗筋: 米国ウェストバージニア州にある田舎町ミルブルック。 犯罪が稀にしか起こらない筈の町で、押し入り強盗事件が多発する。窃盗犯は、家の中に保管されてあった銃を盗み出していた。 そんなところ、ベニング家に3人組の泥棒が入る。通報により警察官が駆け付けるが、彼は窃盗犯によって射殺されてしまう。 ミルブルック検察局の捜査官ウィット・ピンチョンが捜査に当たる。これまでの窃盗事件は地元警察が担当していたが、殺人に発展したとなっては検察局も捜査に参加せざるを得ない、と。 しかし、目撃者がいたものの曖昧な証言ばかりで、証拠は皆無に近い。捜査は進まなかった。国内の過激派による犯行らしい、ということしか分からなかった。 一方、ベニング家の高校生の娘ジャニスは、犯人が誰か分かっていた。ボーイフレンドで高校生のミッキーと、その友人2人である。ジャニスは、ミッキーに父親が銃を所有していること、そしてそれらをどこに保管しているかを話したことがあったからだ。また、父親は「押し入り強盗の一人は背が低かった」と言っていたが、ミッキーの友人の一人は背が低かったのである。 ジャニスはこのことを誰かに打ち明けようとする。警察官を父親に持つ女友達スーザンに相談するが、「下手に打ち明けない方がいい」と言われてしまい、誰にも打ち明けられない。 押し入り強盗犯のミッキーらは、他人の為に犯行を重ねていた。盗み出した銃を「ある男」に売り付け、金を得ていたのである。ミッキーは、どうやらジャニスが自分らを疑っているようだ、と「ある男」に漏らしてしまう。「ある男」は直ちに行動に出る。ベニング宅に爆弾を設置し、ベニング一家を住宅もろともに爆破したのだった。 これに驚いたスーザンは、父親の警察官に、ジャニスが知っていた事実を打ち明ける。 捜査当局は、押し入り強盗犯がミッキーと2人の仲間であることを掴んだ。3人の居所を急遽突き止めようとする。 同じ頃、ミッキーと2人の仲間は、「ある男」に呼び出された。次の「仕事」の話だろうと思っていたが、「ある男」は銃で襲撃してきた。「ある男」は、手下を口封じすることにしたのだ。その結果、ミッキーの仲間2人は射殺され、ミッキーも瀕死の状態に。ミッキーの身柄は、ウィット・ピンチョンによって確保される。 ミッキーは病院で治療を受け、捜査に協力する為証言する、と言う。ウィット・ピンチョンらは、当番弁護士などを伴って、ミッキーの病室を訪れる。そこでミッキーは、「ある男」が誰かをその場で指摘する。当番弁護士だった。弁護士は、国内の過激派グループの一員で、銃を調達する役割を担っていたのである。 弁護士は、捜査官を人質にして病院から逃走。事前に借りていた倉庫に籠城する。 ウィット・ピンチョンが駆け付けると、そこにはミルブルック署長に就任したばかりのウォーレスがいた。ウォーレスは、「自分はこのような状況に何度も直面している。俺にやらせろ」と言い出し、勝手に倉庫に入ってしまう。 ウィット・ピンチョンは、前々からミルブルック警察署に内通者がいる、と感じていた。警察の情報が相手に漏れているとしかいえないことが度々起こっていたからだ。 その内通者は、ウォーレス新署長だった。彼も過激派グループの一員だった。ウォーレスは、弁護士を口封じの為殺し、そのまま逃走しようとするが、ウィット・ピンチョンに追跡され、事故死する。解説: 本作の最大の問題点は、主人公ウィット・ピンチョンが底無しの無能であること。 無能な主人公は、必ずしも小説にマイナスではない。主人公の無能振りをユーモラスに描き、良作にすることもできるからである。 ただ、本作の場合、作者本人が主人公が無能であることに気付いていない模様。 だから問題になってしまっている。 ウィット・ピンチョンは優秀な捜査官、という設定になっているのだから、ジャニスから話を聞き出し、押し入り強盗犯の身元を掴み、その黒幕にさっさと迫っていく、……と思いきや、つまらない事情によってなかなか核心に迫っていかない。 そんな訳で、押し入り強盗犯の話は結局ジャニス本人ではなく、友人のスーザンから聞く羽目に。 では、押し入り強盗犯の身元が掴めたのだから、さっさと彼らを捕まえ、黒幕の「ある男」について聞き出し、過激派組織を追い詰める、といった展開になる、……と思いきや、「実行犯は未成年なので法的手続きが必要」というしょうもない「障害」のお陰で、押し入り強盗犯の居所が掴めない。 結局、押し入り強盗犯は黒幕の「ある男」によって始末されてしまう。一人が生き残ったのは、単なる奇跡。 押し入り強盗犯の身柄を確保できた。「ある男」の正体が分かる。ウィット・ピンチョンは、「ある男」を追跡し、過激派組織を追い詰めに行く……、と思いきや、「ある男」は偶然にも同行させた弁護士だった。弁護士は人質をとって逃走。倉庫に閉じこもる。 倉庫に閉じこもった弁護士の身柄を、ウィット・ピンチョンの活躍によって確保。過激派組織を追い詰めに行く……、と思いきや、弁護士はもう一人の過激派組織メンバー(新署長)によって射殺。新署長も逃走するが、事故死。 小説はそこで終わり。 こちらは、「ウィット・ピンチョンは優秀な捜査官を伝えられているのだから大活躍してくれるのだろう」と期待しているのに、その期待がことごとく破られる。市内が爆破されるなど、派手な展開があるのに、結局小さくまとまってジ・エンド。 ウィット・ピンチョンが本当に優秀なら、上述したように捜査をさっさと進展させ、より大きな――国家的な――犯罪者に挑んでいた筈。しかし、無能な為、ローカルの凶悪ながらもみみっちい犯罪者の死を見届けるだけでおしまい。 また、今回の事件では、ウィット・ピンチョンは何もしていない。押し入り強盗犯らの身元が判明したのも、押し入り強盗犯らの居所を掴んだのも、「ある男」を突き止めたのも、「ある男」を追い詰めたのも、「ある男」の上に立つ黒幕(新署長)の身元を掴んだのも、ウィット・ピンチョン以外の他人なのである。 むしろウィット・ピンチョンがいなかったら、捜査はよりスムーズに進んだのに、と思われる部分が多い。 ウィット・ピンチョンは事件捜査の中心にはいるのだが、解決には何も貢献していない。単なる傍観者。いや、傍観者ならまだいいが、本人は「俺は事件を捜査してるんだ!」と考えているから、始末が悪い。 そうであっても、ウィット・ピンチョンという人物が魅力的であったら許せただろう。しかし、このウィット・ピンチョン、とにかく自分勝手で、頑固で、非協力的で、協調性もなく、周囲の人を苛立たせる。こいつ、誰ともやっていけないのか、と思ってしまうほど。最終的には読者まで苛立たせる。 なぜここまで魅力に欠ける人物を主人公にしてしまったのか、理解し難い。 主人公以外の登場人物も、魅力に欠ける。 主人公の友人はどれも「いい人」、主人公と敵対する者はどれも「悪い人」ということになっている。過激派組織の一員だったことが発覚する新署長も、主人公と初めから対立していた。 主人公に最も嫌われていた人物が犯人なのだから、意外性も何もない。 本作で登場する過激派組織も、リアリティに欠ける。 活動の為に火器を必要とするのは理解できるが、調達の為に押し入り強盗を使って一般市民の家から盗み出す、という危険な手法になぜ頼るのか、理解し難い。組織は「押し入り強盗の実行犯なんてトカゲの尻尾切にできるから大丈夫」と高をくくっているのか。 銃は、メーカーによって規格が異なる。同じメーカーでも、使用する銃弾が異なる。ただただ闇雲に集めても、膨大な銃器コレクションが出来上がるだけで、実戦で利用できるインベントリは出来上がらない。 この過激派組織は白人至上主義の集まりで、様々な政府機関に深く潜入している、ということになっているが、その割には緻密さや賢さを感じさせない。 こんな組織を壊滅するのに連邦捜査局が手こずっている、とは信じ難い。 捜査を未成年者保護法によって阻まれる、といった場面は、ユーモラスに描けばそれなりに読み応えがある展開になっていたと思われるのに、本作は全体的にシリアスな物語。ストーリーの展開速度を故意に落とす為の細工、としか思えない。 300ページを超える小説にしては、中身がないのである。関連商品:人気blogランキングへ
2007.07.21
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Michael Hastingsは、ユダヤ人作家Michael Bar-Zoharのペンネーム。 Michael Barakのペンネームでも本を執筆している。 第一次世界大戦の中東戦争を描いた小説。 一部実在した人物を登場させている。粗筋: 第一次世界大戦の真っ只中。 ドイツと同盟を結んでいたオスマン・トルコ帝国は、イギリス率いる連合軍の攻撃にさらされていた。 トルコ帝国軍の将官ムラード・パシャは、近々勝利を挙げないと帝都に召還され、敗北の責任を取らされて処刑される運命にあった。 最近イギリス連合軍に対し連戦連敗しているのは、味方の情報が敵側に筒抜けになっているからだ、と確信し、スパイを探し回る。そんなところ、スパイの身元が判明した。パレスチナ(当時はトルコ帝国領)に居住するユダヤ人女性ルース・メンデルソン。 ムラード・パシャは、彼女を拘束し、直ちに処刑しよう、と考える。しかし、ドイツから派遣されていた諜報顧問のフォン・トラウブは、それに反対する。処刑するのではなく、利用するべきだ、と。スパイとしては優秀なのだから、イギリス軍の動きを探る為のスパイにしてしまえ。彼女が裏切らないよう、父親を人質にし、更にパレスチナにいるユダヤ人居住区を殲滅すると脅せば大丈夫だ……。 ムラード・パシャは、不安を感じながらも、フォン・トラウブには逆らえない状況にあったので、その提案を受け入れる。 ルースは、トルコ帝国側のスパイとして中東におけるイギリス連合軍本部があるエジプトに入国した。 ルースが元々スパイになったのは、ソール・ドンスキーという、恋心を抱いていた男性の為だった。 ソール・ドンスキーはロシア系ユダヤ人で、帝政ロシア内の反政府組織で活動していたが、組織が壊滅状態になってからは中東に逃れ、イギリスの為に活動していた。イギリスならユダヤ人国家の建国に手を貸してくれる、と考えていたからだ。 そのソール・ドンスキーは、エジプトにいた。ルース・メンデルソンがムラード・パシャによって連行され、処刑された、という報を受け、ショックを受ける。その直後に、ムラード・パシャがエジプトにスパイを送り込んだらしい、という情報を掴む。ドンスキーは、そのスパイの正体を暴いて、ムラード・パシャを潰してやる、と誓う。 その頃、ルースは、メアリ・バートレットという偽名でスパイ活動を開始する。イギリス連合軍将校に近付き、情報を得ようとする。 当時、在エジプト・イギリス連合軍は、今後の対応について意見が真っ二つに分かれていた。 アレンビー大将は、自身が先陣を切ってパレスチナに侵攻し、パレスチナのシンボル的な存在であるエルサレムをイギリス占領下に置くべきだ、と主張していた。エルサレムはキリスト教の聖地だが、イスラム教の聖地でもある。聖地が異教徒によって陥落したとなれば、イスラム教国家のトルコ帝国は士気を失うだろう、と。 イギリス軍将校でありながらアラブ人の信頼を獲得し、「アラビアのロレンス」と称されるほどの英雄になっていたロレンス少佐は、その作戦に反対する。エルサレムはイスラム教の聖地なので、アラブ人に解放させるべきだ、と。つまり、アラブ人連合軍を率いている自分こそ先陣を切ってエルサレムに侵攻すべきだ、と。 パレスチナをユダヤ人国家したいと考えていたドンスキーは、ロレンスの考えには反対していた。しかし、中東での戦争を早期に終結させたいイギリス連合軍上層部は、ロレンスの主張に傾いていた。 ルースは、イギリス連合軍将校から、ロレンスのエルサレム攻略計画の情報を得る。直ちにエジプトから脱出してパレスチナに向かう。 ドンスキーは、自分が追っていた女スパイのメアリ・バートレットがエルサレム攻略計画の情報を手にエジプトを脱出したことを知る。直ちに追跡し、捕まえたところ、メアリ・バートレットが、処刑された筈のルースだったと知って驚愕する。 ルースは、見逃してくれ、と頼んだ。さもないと父親が処刑される、と。当然ながら、ドンスキーは悩む。もし見逃したらエルサレム攻略計画の情報がトルコ帝国に渡ってしまう。イギリスはトルコ軍に大敗し、パレスチナがユダヤ人国家になる可能性も消滅する。しかし、ルースに負い目も感じていた。もし彼女をスパイに仕立て上げなかったら、現在の状況にはいなかった筈、と。 結局、ドンスキーはルースを見逃してしまう。 ルースは、直ちにムラード・パシャの元に戻り、ロレンスのエルサレム攻略計画の情報を伝える。その情報を元に、ムラード・パシャはパレスチナに潜伏していたロレンスを捕らえる。辱めた後、解放してやった。更に、ムラード・パシャはルースに言う。お前の父親はとっくに死んでいる、と。彼はルースを再び捕え、監獄に放り込んだ。 ドンスキーは、自身がルースを見逃してしまったことについて悩んでいた。これでロレンス率いるアラブ人連合軍は壊滅され、エルサレム解放の可能性と、ユダヤ人国家樹立の可能性はなくなった、と。 しかし、ドンスキーはエジプト国内のイギリス連合軍基地がもぬけの殻だということを知る。 その時点で、ドンスキーは悟った。ロレンスのエルサレム攻略計画は単なるおとりだった、と。イギリス連合軍上層部は、最初からアレンビー大将にエルサレムを攻略させるつもりだった。しかし、そのまま攻略しても、ムラード・パシャに阻止される。そこで、ムラード・パシャに偽情報を与え、敵軍を見当違いの場所に移動させる必要があった。 そこで、イギリス連合軍上層部は、ルースに偽情報を掴ませ、ムラード・パシャに届けさせた。イギリス連合軍上層部は、ルースがトルコ帝国側の女スパイ・メアリ・バートレットとして自軍の将校らに近付いていたのを知っていた。そもそも、ルースをムラード・パシャに売ったのはイギリス連合軍上層部。彼女をトルコ帝国軍のスパイにさせたのもイギリス連合軍上層部だった。なぜなら、フォン・トラウブは実はドイツではなくイギリスに通じていたからだ。 ドンスキーはこのことをイギリス連合軍上層部に突き付ける。ルースはお前らのせいでムラード・パシャの元に戻り、捕まってしまった。お前らの責任で彼女を助け出せ、さもないとムラード・パシャに本当のエルサレム攻略計画を届ける、と脅迫する。イギリス連合軍上層部は、渋々ながらもルースを救出する。フォン・トラウブにルースを逃せ、と命令したのだ。 イギリス連合軍は、アレンビーに率いられ、エルサレムを占領する。 敗北を悟ったムラード・パシャはトルコ帝国から逃亡し、革命によってソビエト連邦になったロシアへ亡命する。解説: 第二次世界大戦を舞台とした小説や映画は多くあるが、第一次世界大戦を舞台とした小説はあまりない。 その意味では、本作は珍しい例といえる。 本作は、疑問を上げ始めたら切りがない。 ルースは、ドンスキーに恋心を抱き、ドンスキーも彼女に好意を抱く。 ただ、その理由がさっぱり分からない。 ドンスキーは確かに魅力的な男性なのかも知れないが、ルースは彼の為に家族(父親と弟)を犠牲にしている。そこまで魅力的だったのかね、と首を捻ってしまう。 二人が肉体的に結ばれていたならともかく、そうではなかった。ルースはドンスキーに接吻されただけ。それだけで親族や、同胞を犠牲にする彼女の心境がまるで理解できない。処女だったので、それだけうぶだった、ということなのかも知れないが。 20世紀初頭は、女性がそういう考えを抱いて当たり前だった、ということか。現在を舞台にしていたら、「女性心理をまるで理解していない」と一蹴されそう。 一方、ドンスキーも、なぜルースに惹かれたのか、よく分からない。 女スパイとして活動できるくらいだから、容貌的には魅力的だったのだろう。が、ドンスキーは、イギリス連合軍の情報を盗み出したルースを、単に「情報を持ち帰らないと父親が殺される」の言葉だけで彼女を逃してしまう。イギリス連合軍に多大なる被害を与える可能性がある、ということを知りながら(結局は、彼が彼女を逃すのを、イギリス連合軍は予想していたのだが)。そこまで犠牲を払うほどの女性とは思えない。「二人は愛し合っているという設定になっています。その点をふまえて読んでください」と作者はさかんに主張していたが、なぜ二人がここまで互いを求め合ったのか、最初から最後まで分からなかった。 敵役であるムラード・パシャの思考も、理解し難い。 彼はオスマン・トルコ帝国屈指の将校ということになっている。疑り深い人物、ということにもなっている。 その疑り深い人物が、弱みを握られていたとはいえ、なぜドイツ軍将校のフォン・トラウブの意見を疑いもせずにガンガン受け入れてしまったのか。 彼が「もしかしてフォン・トラウブはイギリスに通じているのでは?」と一瞬でも疑っていたら、彼は偽情報に踊らされることはなかっただろう。 オスマン・トルコ帝国屈指の将校が、完全にイギリス連合軍の思惑通りに動いてしまうとは、ちょっとあり得ない。それとも、20世紀初頭の諜報活動はその程度でも成果を挙げられたのか。 ルースをスパイに仕立て上げよう、という理由も分からなかった。 ドンスキーの為にスパイ活動をしていた時は、イスラム教徒相手だった。女性を殆ど見たことがない連中を相手にしたので、肌を少し露出するだけで情報をガンガン得られた。 しかし、ムラード・パシャに捕まり、エジプトに送られた。イギリス連合軍をスパイしろ、と。 イギリス連合軍の将校らは、イスラム教徒ではないので、女性なんて何度も接している。ルースは、スパイする相手と寝床を共にせざるを得なかった。ルースは、スパイする過程で処女を失う羽目になったのである。その意味では、ハニー・トラップとしては完全に不適切。失敗の可能性はいくらでもあった。成功したのは、偶然に偶然が重なっただけ。 もっと他の女性にやらせることができなかったのかね。 歴史的人物の取り扱いも、史実とは異なっていて、読む側としては戸惑いを感じる。 作中で、ドイツの為にスパイ活動していた女性スパイのマタ・ハリについて数回触れている。 本作では、マタ・ハリは優秀なスパイで、フランスの重大な情報をドイツに提供していた、ということになっている。が、史実では、マタ・ハリはスパイとしては大したことなかったようである。 ロレンスは、作中では「実は同性愛者だった」とされている。しかし、史実には、その説は否定されている。ロレンス本人の著作で同性愛について触れられているような部分も見受けられるが、彼が行動を共にしたアラブ民族の一部にその傾向が見られたことを描写していただけで、本人は同性愛者でも何でもなかった、というのが定説である。 結末も、取って付けたような勧善懲悪。 ルースやドンスキーを欺いたイギリス連合軍将校は、この後インドに派遣される途中で心臓発作で死亡。 ムラード・パシャは、第一次世界大戦を生き抜けるものの、後に暗殺される。 その一方で、ルースやドンスキーのその後については述べられていない。 不満が残る。 作者Michael Hastingsは、ユダヤ系作家(らしい)。 そんな訳で、作中には現在ユダヤ国家イスラエルの敵となっているアラブ民族や、アラブ諸国や、アラブの側に付く者(ロレンスなど)に対する偏見が見受けられる。 そのことが鼻につくのも難点といえる。 また、第一次世界大戦やイスラエル建国の歴史について全く知識がないと、小説で起こっている出来事や、登場する歴史的人物(アラビアのロレンス、マタ・ハリ)の重大性が理解できなくなるのも難点。 ある意味、読者を選ぶ小説といえる。
2007.06.24
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ニューヨークのテレビ業界を舞台にしたミステリー。 作者のMike Lupikaは、本業はスポーツコラムニスト。元メジャーリーガーであるレジー・ジャクソンの自叙伝を共同執筆している。 本作が初のフィクション。粗筋: 数ヶ月前に、女性テレビタレントのペギー・リンが突然姿を消した。 ペギー・リンが自発的に失踪する理由はないし、誘拐されたにしても身代金の要求はない。結局どうなったのか、と世間は騒いでいた。 そんなところ、ビリー・リンという男が、テレビレポーターのピーター・フィンリーを訪ねる。自分はペギー・リンの夫で、妻は殺されたに違いないと感じている。だからその犯人を探し出してほしい、と。 ピーター・フィンリーは、ビリー・リンがペギー・リンの夫だと聞いてびっくりする。なぜなら、ベギー・リンは過去にピーター・フィンリーを付き合っていた時期があり、その時点ではペギー・リンは自分に夫がいるなど言っていなかったからだ。 ビリー・リンは、そのことについて、結婚したものの早々と離婚に至ってしまった、と説明した。しかし、不仲が原因で離婚に至った訳ではなく、ベギー・リンは現在も頻繁に手紙を寄こしてくる、と。 ビリー・リンは、ペギー・リンが働いていたテレビ局の関係者によって殺されたと信じていた。だから、ピーター・フィンリーに調べてもらいたい、と言う。 ピーター・フィンリーは乗り気になる。真相を探し出せれば、スクープになる、と感じたからだ。 ピーター・フィンリーは、ペギー・リンが働いていたテレビ局GBCを訪れる。 そこでは、ペギー・リンの女友達クリス・スタンフォードや、仕事仲間のサム・カミングスや、現在の恋人であり彼女を現在の放送局に引っ張ってきたセス・パーカーなど、ペギー・リンの味方が数人いたものの、殆どはベギー・リンを嫌っていた。何の才能も技能もない成り上がり者だけだ、頭脳よりベッドテクニックを駆使してのし上がってきた、と。 ピーター・フィンリーは、ペギー・リンがいなくなっても良い、と感じていた者が多くいたことを知っても驚きはしなかったが、容疑者の多さにゲンナリする。 そんなところ、クリス・スタンフォードやセス・パーカーなど、ペギー・リンと交友関係があった者が次々と殺される。 これらの死はペギー・リンの失踪と関係しているのか、そうだとしたら今更なぜ、とピーター・フィンリーは疑問に思う。しかし、犯人は直ぐ判明する。 ビリー・リンだった。 実はビリー・リンはペギー・リンと結婚したことはなかった。異母兄妹だったのである。しかし、ビリー・リンはなぜか自分がペギー・リンの夫で、唯一の理解者であると信じるようになった。彼は、ピーター・フィンリーを通じて「ペギー・リンを殺した可能性が高い者」の身元を掴み、手当たり次第に次々と殺していたのだ。いずれ真犯人に行き当たる、と思い込んで。ビリー・リンは、ピーター・フィンリーによって別の人物を殺すところを阻止された。 ピーター・フィンリーは、自分はビリー・リンの素行調査を怠った為、ビリー・リンの凶行に手を貸してしまった、と悩む。 しかし、悩んでいる暇はなかった。 ペギー・リン失踪事件が未解決のままだったからだ。 ピーター・フィンリーは、ベギー・リンの周辺を再調査。すると、友人らにもペギー・リンを殺す動機があったことを知る。 殺されたクリス・スタンフォードやセス・パーカーは、自分らはペギー・リンの理解者で、裏切られることをはない、と信じ切っていたようだったが、ベギー・リンは自身のステップアップの為に二人との関係を絶つつもりでいた。ペギー・リンが自分らを裏切るつもりだ、という事実をどこかからか知ってしまったなら、クリス・スタンフォードやセス・パーカーにベギー・リンを殺害する動機はあった。 ペギー・リンが働いていた放送局GBCは三大放送局の牙城を崩す「第四の放送局」とされてきたが、最近は財政的に苦しく、GBCのオーナーはリストラを敢行する予定だった。その中にはペギー・リンの解雇も含まれていた。ペギー・リンは、それを阻止する為、オーナーを脅迫する材料を得ていた。オーナーは、若い頃はポルノスターで、ペギー・リンはその出演作のビデオを持っていたのだ。オーナーにもペギー・リンを殺す動機はあった。 しかし、ピーター・フィンリーが更なる調査を進めると、どれも動機には成り得ない事を知る。クリス・スタンフォードやセス・パーカーは、自分らが近々裏切られる予定だったことを全く知らず、オーナーが殺したんだろう、と堅く信じていた。ペギー・リンを怨む理由はない。 GBCのオーナーにもベギー・リンを殺す理由はなかった。なぜなら、GBCは近々テレビ宣教師が所有するネットワークに買収されることがほぼ決まっていた。ペギー・リンはそのテレビ宣教師に取り入っていた為、GBCを解雇される可能性はなくなっていた。ペギー・リンにはGBCのオーナーを強請る必要などなかったのである。 ピーター・フィンリーは、これらの事実を照らし合わせ、ペギー・リン失踪の黒幕はGBCの買収を狙うテレビ宣教師だ、という結論に至った。 彼はテレビ宣教師が最近訪れている別荘地に足を運ぶ。そこにペギー・リンがいた。 失踪は、ペギー・リンとテレビ宣教師が仕組んだものだった。テレビ宣教師は、GBCを完全に手中に収めた時点でペギー・リンを「復活」させ、話題作りするつもりだった。 しかし、「ペギー・リンの夫」が、ペギー・リンが姿を消したのは仕事の問題がきっかけで殺されたからだ、と勝手に判断し、関係者を次々殺す、という凶行に。 単なる話題作りとしてやった行為が殺人にまで至ったとなっては「復活」のタイミングが難しい。 そうこうしている内にピーター・フィンリーは真相を掴んでしまった。 ピーター・フィンリーは、「失踪」はペギー・リンとテレビ宣教師が仕組んだもの、というスクープで大々的に発表。 ペギー・リンはGBCを解雇され、テレビ宣教師は不正行為で転落への道を歩むこととなった。解説: 外から見ると華やかだが、中はドロドロ、というテレビ業界を扱った小説。 やり方によっては非常に面白い作品に成り得たが……。 イマイチインパクトに欠ける。 ミステリーとして成立していない、というのが最大の理由か。 ある女性タレントが失踪。……と思っていたら、女性タレントの周辺の人物が次々殺害されることに。 一連の事件はどう繋がっているの? 何か裏があるのか? ……と、読み進んでいたら、殺害事件は関連してはいるものの直接的な関係はないことが判明。 生涯結婚したことがない、という女性タレントにも拘わらず、「夫だ」と名乗る者が現れた。 そんな胡散臭い人物の言葉を疑いすらしない、というのはおかしい。二人も殺された後にやっと「夫」の素行調査をし、「実は夫ではなく、自身の妄想の中で夫だと思い込んでいた、近所では評判の変人」という事実を掴むが、遅過ぎ。 テレビレポーターは、常にスクープの裏付けや確認を取っておくことが求められる筈。「いい奴そうに見えた」といった理由で殺人犯に被害者リストを提供したピーター・フィンリーは、レポーターとしてはあまり優秀ではない、と言わざるを得ない。 これほど無能な者が探偵役だと、読者の方が先に真相(テレビ宣教師が一枚噛んでいる)に気付いてしまい、ようやく最後辺りになって「実はテレビ宣教師が絡んでいた!」という真相が提供されたくらいで驚けない。 むしろ「その程度の真相にたどり着くのにそこまでかかったのか」と呆れてしまう。 本作の最大のトリックである(らしい)「ペギー・リンは実は生きていた!」というのも、弱過ぎ。 死んでいる、と信じているのは作中の登場人物らだけ。 読者に対しては、「ペギー・リンが確実に死んでいる」という証拠を提供されないのである。死体が出た訳でもないし。これでは、「ペギー・リンは死んでいるのだろう」と信じる読者の方がおかしい。 結末もよく分からない。 ピーター・フィンリーは、ペギー・リンの失踪はでっち上げられたものだ、とスクープを大々的に放送。 それは当然のこととして、どういう訳かテレビ宣教師の「不正行為」により、元々彼が持っていた宣教テレビ放送局が解体に追い込まれる……、という結末になっている。 ペギー・リンの失踪の自作自演が、まるで犯罪行為であったかのような扱いを受けるのはなぜか。 失踪事件は、人が殺害される原因にはなったが、ペギー・リンもテレビ宣教師も直接殺人に手を貸した訳ではない。 変人が勝手な思い込みで勝手に行動しただけである。 ペギー・リンは、この変人に何年も会っていなかったと思われる。テレビ宣教師は、この変人に会った事もないどころか、存在すら知らなかっただろう。 世間を欺こうとしたテレビ宣教師やペギー・リンが社会的に何らかの制裁を受けるのは当然だが、法的に制裁を受ける、というのは、作者の「ハッピーエンドの強引な演出」にしか見えなかった。 小説の文体も問題。 作者はスポーツコラムニスト スポーツコラムは、ウィットに富んでいないと読まれないから、そういった文章は問題ない。 しかし、小説でやるとじれったい、回りくどい文章になるだけ。 本作は、最初はウィットを過剰に含んだ読み辛い文体だか、作者にとってそれが次第に苦しくなってきたらしく、ラスト辺りではまともな文章になっている。最初からシンプルな文章で通していれば良かったのに、作者は「自分は新聞のコラムニストで、文章のプロ」という変なプライドが働いてしまったらしい。前半と後半で文体のバランスが悪い作品になってしまった。 また、作中には実在の著名なテレビコメンテーターの名前が続々と登場するが、アメリカのテレビ事情に詳しくない者だとチンプンカンブンだろう。実在の人物を作中に登場させるのは、面白いといえば面白いが、古さを感じさせるものにもなってしまう。自分は作中の実在のテレビコメンターの名前が分かった。が、その中には既に引退してしまった者もいる。若い読者にとっては呪文同然だろう。 その意味では内輪でしか楽しめない小説に成り下がってしまっている。 本作は、テレビムービーとして実写版ができたというが、評価はどうだったのかね。関連商品:人気blogランキングへ
2007.06.02
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Noel Hyndによるサスペンス小説。粗筋: 米国ニューヨーク市マンハッタン。 弁護士トーマス・ダニエルズの事務所が何者かによって放火された。父親と同じ弁護士になり、亡き父親の事務所を引き継いだものの、弁護士という仕事が好きになれなかったダニエルズは、これを機に事務所を閉鎖し、弁護士業から足を洗おう、と決心する。 そんなところ、ダニエルズの元に、ある女性――レスリー――が訪れる。彼女は言う。自分は大富豪アルバート・サンドラーの娘で、サンドラー家の遺産を相続しに着た、と。 アルバート・サンドラーは、父の顧客の一人だった。もう何年も前に死亡している。なぜ今更、とダニエルズは思う。しかも、アルバート・サンドラーは結婚暦がなく、子供もいない筈だった。 レスリーは説明する。アルバート・サンドラーは、第二次世界大戦中、母親と極秘裏に結婚し、その結果彼女が生まれた。アルバート・サンドラーは、母親に対し「自分は危険な任務に就いている。戻って来れないかも知れない」と言い残し、姿を消した。 大戦後。レスリーの母親は、死んだと思ってばかりいたアルバート・サンドラーが、アメリカで在住していることを知る。彼女は、直ちに手紙を送った。それから間もなく。アルバート・サンドラーがイギリスにやってきた。アルバート・サンドラーは、妻であるレスリーの母親を殺害。娘のレスリーも殺そうとしたのだ。 それ以降、レスリーはイギリス政府に匿われることになる。アルバート・サンドラーは、アメリカの為に働いているスパイらしい、ということだった。レスリーは、その後数回に渡って命を狙われた。レスリーは、アルバート・サンドラーが死亡したという報が入っても安心できず、隠匿生活を続けていた。 そして最近、アルバート・サンドラーの妹であり、唯一の肉親であるとされる人物が他界した。サンドラー家の財産は、アルバート・サンドラーの娘である自分が受け取る権利がある、とレスリーは主張する。ただ、彼女には心配事があった。 父親であり、母親を殺害した人物でもあるアルバート・サンドラーは本当に死んでいるのか、と。 ダニエルズは乗り気ではなかったものの、弁護士として最後の仕事を引き受ける。事務所の放火も、レスリーの件が絡んでいる、と読んだからだ。なぜなら、事務所にはあるべき筈のアルバート・サンドラーが消えていたからだ。 アルバート・サンドラーについては、父親のウィリアム・ダニエルズに聞いてみるべきだったが、ウィリアム・ダニエルズはすでに他界している。ダニエルズは、父親と共同で事務所を開いていたゼンガーを訪ねる。 ゼンガーは、かなり昔に弁護士業を引退していた。ある日突然弁護士引退を宣言し、ウィリアム・ダニエルズに自分の分の事務所を引き渡し、さっさとケープコッドに移り住んだという。 ダニエルズは、ゼンガーに、レスリーの件について話す。すると、ゼンガーは言う。アルバート・サンドラーはとうの昔に死亡していて、結婚なんかしていないし、子供もいない。そして、更に付け加える。その女は偽者だ、その女の仕事を引き受けるな、と。 ダニエルズはゼンガーの言葉を無視し、調査を続ける。 ダニエルズは、アルバート・サンドラーについて色々なことを知る。アルバート・サンドラーは、贋金作りの技術を持っていて、大戦中、その技術を活かして米国の為にスパイ活動をしていた。大戦後も、サンドラーは米国の為に働くことになる。大富豪になれたのは、贋金作りの技術を自身の利益の為に駆使し、米国がそれを黙認していたからだった。 ダニエルズは、アメリカやイギリスの諜報員とも出会う。誰もが言う。アルバート・サンドラーに娘はいない、レスリーは偽者だ、と。 ダニエルズが疑問を抱く度に、レスリーは別の証言をする。ダニエルズが対面したアメリカやイギリスの諜報員らこそ偽者だ、なぜなら本物は既に死亡している、と。 ダニエルズは、誰を信じてよいのか分からなくなってしまう。 更に調査を進めていると、ダニエルズはアルバート・サンドラーや父親のウィリアム・ダニエルズがソ連側に通じていたことを知る。どうやら、アルバート・サンドラーは大戦中にソ連側に殺されていて、大戦後にアルバート・サンドラーとして振舞っていたのはソ連が送り込んだ偽者だったらしい。レスリーの母親やレスリーを殺そうとしたアルバート・サンドラーは、すり替えの事実が表に出てはまずいと考えた偽者だったのだ。 その事実を掴んだ時点で、ダニエルズも命を狙われるようになった。 問題はアルバート・サンドラーに成りすましたソ連側の偽者が、どうなったか、である。ダニエルズが命を狙われている以上、現在も生きているのは確かだった。アルバート・サンドラーの偽者は、また別の人物に成りすましている可能性が高い。その人物とは誰か? ダニエルズは、アメリカやイギリスの諜報員が本物で、レスリーも本物である、という事実を掴むと、彼らと共につい先日他界したアルバート・サンドラーの妹の屋敷に侵入。そこで隠されていた死体を暴く。 ウィリアム・ダニエルズと一緒に弁護士事務所を開いていたゼンガーだった。 ゼンガーは、ある日人が変わったようになって弁護士業引退を宣言していた。その時点で本物のゼンガーは殺され、アルバート・サンドラーの偽者が彼と摩り替わったのだ。偽者のゼンガーは、さすがに本物のような弁護士活動はできなかった為、「弁護士業を引退した」ことにしたのだ。当然ながら、ウィリアム・ダニエルズもこのすり替えに一枚噛んでいた。 ダニエルズはゼンガーの偽者を追う。ゼンガーの偽者は、潜水艦で祖国ロシアに戻ろうとしているところだった。 ダニエルズは、レスリーの助けを借りて、ゼンガーの偽者を始末する。解説: 次々と現れる登場人物全てが他の登場人物に対し「あれは偽者だ。本物は死んでいる」と主人公のダニエルズに言う。 そんな訳で、主人公も、読者も、誰が本物で、誰が偽者で、誰が事実を述べていて、誰が嘘をついていないのか、ストーリーが進行すると共に分からなくなる。 起承転結、というが、本作は起承転転転転転転転結、といった感じ。 その意味では、非常にサスペンス満載の作品に仕上がっている。 最大の問題点は、舞台設定が古い、ということか。 本作は1977年に出版されている。当然ながら、その時期が舞台となっている。 1977年は、冷戦の真っ只中。その一方で、第二次世界大戦の影響から完全に脱し切れていない時代でもあった。 だからこそ第二次世界大戦に活動していたスパイとの恋で生まれた娘が、冷戦中の米ソの諜報戦に巻き込まれる、というプロットも可能だった。 しかし、現在は21世紀。 1970年代は30年前の話。第二次世界大戦は60年以上前の話である。 冷戦は既に終わっていて、ソ連という国は消滅している。 第二次世界大戦に活動していたスパイとの恋で生まれた娘……、となると、60代の老女、ということになってしまう。イマイチピンとこない。 現在は、DNA鑑定などがあるので、娘だったら直ぐ判明する筈。証言を元にレスリーが本物か否かを決める、という部分でも時代を感じさせる。 また、起承転結の「転」があまりにも多過ぎて、読んでいる方が疲れる、という面もある。 もう少し簡単にしてくれ、と。 登場人物も無駄に多い。殆どは「レスリーは偽者」と述べるだけ。その登場人物も、レスリーが逆に「その人は嘘をついている」「その人こそ偽者」に言われる。 同じような「転」が続き過ぎなのである。 偽者ゼンガー(偽者アルバート・サンドラー)は、何年も前に弁護士業を引退していた。そして急遽祖国ソ連に戻ることに。 なぜ今更、と思ってしまう。 アメリカでの生活が長過ぎて、ソ連での生活は窮屈に感じるのではないか。 アメリカの諜報局が、偽者ゼンガー(偽者アルバート・サンドラー)の動きを全く掴んでいなかった、まさかソ連が送り込んだ偽者とすり替わっていたとは知らなかった、というのも不自然。 本物のアルバート・サンドラーは、贋金作り屋だった。利用するなら、きちんと監視下に置いていた筈である。 主人公のダニエルズも、弁護士の割には頭の回転が速そうに感じない(だからこそ弁護士業に飽きてしまったのか)。 突然現れてきたレスリーの話を何でもないように信じて、特に身元確認などは行わない。 自身の考えで行動している、というより、他人の思惑で突き動かされているだけの印象。 主人公にしてはあまりにも頼りないのである。 ともかく、最後まで読めたものの、古さを随所に感じさせる作品だった。 20年前くらいに読んでいたら、印象は異なっていたかも。関連商品:人気blogランキングへ
2007.05.31
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イオン・プロダクションによる007映画の第19作のノベライズ。 著者は原作者のイアン・フレミング、第一後継者のロバート・マーカム、そして第二後継者のジョン・ガードナーに続いて第三後継者となったレイモンド・ベンソン。 レイモンド・ベンソンは本作以外にもオリジナル007小説を書いている。粗筋: 石油業者のロバート・キングが、イギリス情報局MI6本部で爆死した。犯人は直ちに判明する。レナード・ザ・フォックスというテロリストだ。 レナードがキングと関わったのは今回が初めてではなかった。1年前、キングの娘エレクトラを誘拐していたのだ。誘拐事件は、エレクトラが自力で脱出したこともあり、失敗に終わっていた。MI6は、レナードがその失敗の復讐のためにキングを爆殺したと見る。 そうとなると、次に狙われるのはキングの娘エレクトラだ、と判断したMI6局長Mは、部下のジェームズ・ボンドをエレクトラの元に送り込む。エレクトラを囮にレナードをあぶり出し、逮捕する為だ。 ボンドは、父の石油事業を引き継いだエレクトラがいるアゼルバイジャンへ飛ぶ。そこでエレクトラはレナードの手下と思われる集団に襲われたが、ボンドは撃退できた。 エレクトラのボディガードが怪しいと睨んだボンドは、彼を監視した。ボディガードは他人を装ってカザフスタンへ行く準備をしていた。ボンドは彼を始末すると、その他人を装ってカザフスタンへ飛ぶ。核燃料施設に到着した。 その施設では、核燃料を抽出して廃棄する作業が進められていた。そこにレナードがいた。レナードはプルトニウムを盗み出そうとしていたのだ。ボンドは阻止しようとするが、邪魔が入り、レナードはプルトニウムを持って去った。 ボンドは、エレクトラがレナードと組んで何かをやらかそうとしている、と悟った。 しかし、確証を得た頃には手遅れで、エレクトラはMを人質に取って消えていた。 ボンドはエレクトラを探し出し、彼女とレナードの陰謀を知る。イスタンブールを石油設備もろとも核爆発で吹き飛ばして、エレクトラが所有する石油パイプラインが残るようにし、世界の石油事業を独占するという計画だ。イスタンブールで核爆発が起こったら100万人が死ぬ。 ボンドはエレクトラを殺し、Mを救出すると、レナードが乗った原子力潜水艦に飛び乗り、計画を阻止した。解説: かなり入り組んだプロットなのに、文庫本で260ページあまりに収まっている。400字詰めの原稿用紙で400枚前後か。非常に短い。あまりにも短くて小説より台本を読んでいるみたいな気分。 本作はあくまでも「ノベライズ」であって、「ノベル」、つまり小説でははい。映画を補完するものであって、単体で成り立つものには仕上がっていない。 そもそも著者のレイモンド・ベンソンは、初の小説が007小説(Zero minus Ten)だったそうで、元々小説家志望ではなかった。彼が書いたオリジナル007小説も「台本を読んでいるみたいだ」と酷評されているらしい。ボンド小説の著作権を持つグリッドローズ出版(現在はイアン・フレミング出版)は、もう少しまともな小説家を選べなかったのかと思ってしまう。 映画のノベライズなので、プロットは映画そっくり。映画と異なっている点は、レナードの過去が詳細に述べられていることくらいで、著者は映画から少し距離を置いて独自の冒険をしてみようという考えは全くしなかったようである(単にノベライズ執筆の条件だったかも知れないが)。安心して読める反面、「映画とどこがどう違うか」と探す楽しみもなく、素気ない。 映画の補完物なので、映画のプロットを追うので精一杯。キャラも薄っぺらな印象を受ける。本作には第二のボンドガールとしてクリスマス・ジョーンズが登場するが、上記の粗筋では全く触れていないことからも分かるように、何の為に登場していたのか分からないほど記憶に残らない(映画でもそうだったが)。 ボンドの行動も不自然。最初の部分で鎖骨を脱臼して、完治まで数週間激痛に悩まされる筈なのに、何でもないように活動できるのだ。 プロット面でおかしい点といえば、エレクトラとレナードの関係について、父は勿論、他に誰も疑わなかったこと。作中では、エレクトラはレナードによって3週間も人質にされたとなっている。何かがあったのでは、と考えるのが普通。エレクトラは自らを傷付け、暴行されたように偽造したが、捜査当局がその程度で騙されていいのかと思ってしまう。また、陰謀について二人は何度も連絡を取り合っていた筈。レナードは国際的に手配されていたテロリストなので、エレクトラのような有力者の娘と連絡していたら直ぐ発覚しそうだが……。 小説面で唯一の救いが、小道具がくどいほど詳細に述べられている点か。これまで省いていたら200ページ程度になり、更に薄っぺらい代物になっていただろう。 原作者フレミングが書いた007小説では、キャラも小道具も状況も詳細に記してあった為、単純なプロットが無駄に長くなっていた感があったが、こちらは逆に短過ぎ。フレミングらしさが殆ど見られず、ジェームズ・ボンドという同名異人の人物が活躍するだけのライトノベルになってしまっている。 レイモンド・ベンソンの初の著作はフィクションではなく、James Bond Bedside Companionという007とその作者に関するノンフィクション。フレミングの原作や、マーカムやガードナーによるパスティーシュを辛口批判している。 それほどのフレミング研究者であるにも関わらず、著作にはその研究の成果が現れていない。フレミングに関しては全くの素人が書いているような作品になっているのは不思議である。 本作品では007の他に二人の00エージェントが述べられている。009と0012だ。0012はレナードに殺されたことになっていて、009は極東にいるということで、登場しない。 最後の部分に「2000年問題」が取り上げられている。 既に時代を感じさせる作品となってしまった。関連商品:人気blogランキングへ
2006.11.26
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イオン・プロダクションが製作した007映画「ムーンレイカー」のノベライズ。執筆したのは脚本に携わっていたクリストファー・ウッド。前作の「私が愛したスパイ」もウッドによってノベライズされていて、その脚本も彼が担当したものだった。ジョーズが前回同様に登場するのもその為。粗筋: スペースシャトル「ムーンレイカー」がアメリカからイギリスに輸送される途中、ハイジャックされ、行方が分からなくなった。 この件でアメリカとイギリスの関係が悪化しては困ると感じたイギリス情報部MI6は、ジェームズ・ボンドにスペースシャトルがどうなったか調べろと命じる。 ボンドはまずスペースシャトルを建造し、アメリカの宇宙開発プログラムを実質的に握っている大富豪ドラックスを訪ねる。 ボンドは、ドラックスが怪しいと直ちに悟った。ただ、ドラックスの仕業だとすると、本人が実質的に所有しているスペースシャトルを盗んだことになってしまい、なぜそんなことを、という疑問が上がる。 ボンドは、ドラックスの書斎で、設計図を見付ける。人工衛星らしいが、何の為のものか分からない。部品の一部は、ドラックスが所有するベニスのガラス工房で製造されていることを掴み、ボンドはベニスに飛んだ。 ベニスのガラス工房で、ボンドは人工衛星らしきものが組み立てられている様子を目撃した。その人工衛星らしき物体には、毒ガスが搭載されていた。ボンドは毒ガスのサンプルを盗み出すことに成功した。人工衛星らしき物体は、リオに送られていた。 ボンドはリオに飛ぶ。ドラックスが所有する航空機で、その物体はどこかへ運ばれた後だった。 MI6の研究開発部主任のQは、ボンドが盗み出した毒ガスを分析したところ、蘭の花から抽出したものであることを突き止めた。その蘭は、ユカタン半島でしか生息しないという。 ボンドはユカタン半島に飛ぶ。そこのジャングルで、ボンドはドラックスの秘密基地を発見する。ドラックスのスペースシャトルが次々打ち上げられていた。 ボンドは、訳が分からないままスペースシャトルに忍び込むと、宇宙へ飛び立つ。 宇宙では、ドラックスが極秘裏に建設した宇宙ステーションがあった。 そこで、ボンドはドラックスの企みを知る。ドラックスは、人口爆発による環境・芸術作品の破壊を食い止める為、自ら選んだごく一部の人間を宇宙ステーションに滞在させ、残りの人類を絶滅させることにしたのだ。宇宙ステーションはノアの箱船となるのである。ドラックスが自分のスペースシャトルをハイジャックしたのは、計画で利用する予定だったスペースシャトルの一機で機械トラブルが発生した為、イギリスへ借り出される別のスペースシャトルを盗むことを強いられたのである。 ボンドは、人類を絶滅させる装置である毒ガス入り人工衛星を破壊し、ドラックスの野望を打ち砕いた。解説: めちゃめちゃなストーリーだが、それなりの流れがあり、比較的単純である為理解し易く、何となく合理的な感じがするので不思議。ただ、作中の小さなヒントを読み過ごしてしまうと、なぜボンドが世界各地へ飛び回るのか分からなくなるので、注意して読む必要がある。 著者のウッドが、作風をフレミングになるべく似せようと努力したこともあって、本作は一応きちんと「ノベル」になっている。単体としても十二分に通用するレベルに仕上がっていて、映画を補完するだけの単なる「ノベライズ」ではない。 このことから、ページ数は先程読み直した「ワールドー・イズ・ノット・イナフ」より幾分多い程度だが、内容的には二、三倍密度が濃い感じがする。 この書評対象となったのは訳書だが、洋書の方も読んでいる。そちらでは、撮影が完成する前に執筆された為、一層映画から独自性を保っている。たとえば、洋書ではドラックスを赤髪の男として描いていたが、映画では黒髪(フレミングの原作ではドラックスが赤髪の男だったかららしい)。ボンドは、映画ではかすり傷一つ負わず、恐怖心を全く抱くことなく冒険を繰り広げているが、作中ではボンドは火傷を負うなどかなり怪我をしているし、恐怖感で溺れそうになっている場面も多い。また、予算上映画では省かれた部分(ボンドが船外活動する)も挿入されている。残念ながら、訳書では、訳者が完成した映画を見てそういった部分を修正している。親切のつもりでやったのかも知れないが、はっきり言って大きなお世話。 せっかくの「小説」を「ノベライズ」に格下げするので、原書のままにして、あとがきで注意書きを入れるようにしてほしかった。 作中では、ボンドガールのホリー・グッドヘッドが「アメリカ初の女性宇宙飛行士」となっている。当時、ロシアには女性宇宙飛行士が存在していたが、アメリカにはいなかった、ということを改めて認識させる(実際の初のアメリカ人女性宇宙飛行士はスペースシャトル搭乗員サリー・ライドで、映画が公開された後のこと)。 映画も小説も何度も観たり読んだりしていて、楽しめたが、現在の視点では、作品は色々おかしいところがある:1 なぜドラックスはイギリスへ輸送中のスペースシャトルをハイジャックしたのか ムーンレイカー計画では6機のスペースシャトルが必要だったが、1機が機械的なトラブルで使用できなくなった為、イギリスへ渡る筈だったスペースシャトルを取り返した、とドラックスは説明している。 しかし、これが危険なのは明らか。現に、ボンドはドラックスを最初から怪しいと睨み、ドラックス周辺を嗅ぎ回った結果、ドラックスの計画を暴き、阻止したのである。ドラックスが5機で計画を遂行できるよう変更していれば、スペースシャトルを派手な方法で取り返す必要はなくなり、無論ボンドに知られることなく人類全滅計画を実施できただろう。 そもそも、実際のスペースシャトルは予定通りに打ち上げられる方が珍しい。気象条件に左右され易いし、機械的なトラブルが毎回のように発生し、打ち上げが延期になることが多い。6機を打ち上げようとしたら、少なくとも半分は機械的・気象上のトラブルで予定が遅れると見てもいい。ドラックスは予備のスペースシャトルをなぜ用意しておかなかったのか。それともドラックスのスペースシャトルは必ず予定通りに打ち上げられるという期待が持てるほど完成度が高かったのだろうか。2 スペースシャトルはどうやって建造されたのか 映画では、アメリカ政府公認のスペースシャトルはドラックスによって盗まれたものと、アメリカの宇宙コマンドーがドラックス宇宙ステーションを襲撃するのに使った2機だけのようだったが、ドラックスは他に6機も建造していた。ただ、スペースシャトル建造には莫大な費用がかかる。ドラックスはどうやってその資金を捻出したのか。ドラックスは大富豪らしいが、建造費が空母一隻に匹敵するスペースシャトルを6機も建造するのは生易しいものではないし、仮に捻出できたとしても資金の動きが各国政府に感知されてしまう。たとえ無数の企業を持っていたとしても、全ての部品を自分の会社で製造できる訳なく、かなりの量を外注していただろう。ドラックスはどうやってアメリカ政府などの目を欺いたのか。 量産の為、1機あたりのコストは安くなっていたかも知れないが。3 ドラックスにハイジャックされたスペースシャトルはどうやってユカタン半島の秘密基地にたどり着いたのか スペースシャトルのエンジンはあくまでも軌道から外れて地球へ着陸する為に使用されるもの。その飛行も大半は滑空で、エンジンは最少限にしか使われず、その分燃料もあまり搭載していない。元に、ロシア版スペースシャトルでは完全滑空方式で、エンジンがない。つまり、通常の航空機のように自由自在に飛べるよう設計された機体ではない。航続距離はかなり短い。 ドラックスのスペースシャトルは、ベーリング海でハイジャックされた後、どこかで着陸し、ユカタン半島まで船か何かで輸送された筈である。しかし、作中ではその過程は全く説明がなされていない。 スペースシャトルはどこの飛行場で着陸したのか。なぜ誰にも目撃されなかったのか。洋上で空母に着艦した、というのも有り得ない。スペースシャトルの着陸装置がその衝撃に耐えられるほどのものとは思えないし、機体も大き過ぎる。また、空母に着艦したとなったら、ドラックスは秘密裏に空母も所有していることになり、目立ち過ぎる。 仮に誰にも目撃されない方法で飛行場に着陸できたとしても、そこからどうやって船まで運んだのか。公道を使わざるを得ないから、目撃されない訳がない。 仮にスペースシャトルの航続距離が長くて、ユカタン半島まで直行できたとしても、途中で各国のレーダーに引っかかるだろうし、着陸が目撃された筈。4 宇宙ステーションはいつ、どうやって建設されたのか 現在アメリカ、ロシア、日本、欧州が共同で国際宇宙ステーションISSを建設している。完成すれば7、8人の搭乗員が数カ月間過ごせるものとなる。建設には5年以上かかり、宇宙ステーションを構成するモジュールはスペースシャトルやロケットなどで何段階にも分けて打ち上げられ、宇宙で組み立てられている。無論、建設費用は莫大で、アメリカでは毎年のように予算削減の危機に瀕している。 ドラックスの宇宙ステーションからすれば、ISSは芥子の実みたいなもの。ドラックス宇宙ステーションは100人近くが数年間滞在できるようになっていて、ISSにはない人工重力まで備えている。建設費はけた外れの筈だし、構成するモジュールの打ち上げ回数もISSの数倍になり、建設期間も10年以上になっていただろう。それをアメリカやロシアに気付かれることなくやってのけられたとは考え難い。はっきり言ってこれほどの規模のものが設計・開発段階で全く外部に漏れなかったとは信じ難い。5 ドラックス宇宙ステーションになぜジョーズを連れてきたのか ドラックスは、人類をまず全滅させ、自分が選定した人間から生まれた者を宇宙ステーションから地球に戻し、文明を新たに始めることを計画していた。選定されたのは頭脳も容姿も最高の者だけ。他は抹殺するつもりだった。 こうなると、ジョーズが宇宙ステーションにいたことがおかしくなる。ジョーズは見た目がお世辞にもいいとは言えないからだ。その結果、ボンドから「お前はドラックスに始末される運命だ」と知らされたジョーズは反逆するのである。 ドラックスがジョーズを連れていかなかったら、ボンドはドラックスを負かす可能性は低かったと言える。なぜ始末するつもりの人間を宇宙に連れていったのか。ボンドが自分が用意した死に場所から脱出し、宇宙ステーションに乗り込むことを予測していたのか。それだったらボンドをもっとストレートに殺していればよかった。6 ドラックスは宇宙開発資金をどうやって捻出しているのか 本作では、ドラックスがアメリカの宇宙開発事業を一人で握っていることになっている。それほどの富豪なのだ。しかし、本業が何なのかは結局明らかにされていない。 作品を読む限りでは航空機製造、ガラス工房、空輸、そして軍事産業などに携わっているようだが、その程度で城館に住み、各国政府を牛耳り、宇宙開発事業をポケットマネーでまかなえるほどの資金が得られるとは思えない。 現在、最も金持ちなのはマイクロソフト元会長のビル・ゲーツだが、彼ほどの富豪でも宇宙開発を支えるとなったらかなりの負担に感じるだろう。たった数年で破産する恐れがある。 ま、色々問題点はあるものの、これは本作に限ったことではない。ある意味で007シリーズの頂点にある作品の小説化である。
2006.11.26
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女性探偵キンジー・ミルホーンのシリーズ第一作。本シリーズはアルファベットシリーズとして続いている。 作者のグラフトンは1940年生まれ、ということになっている。日本で言えば還暦を迎えている。本作が発表されたのは1982年らしいから、40歳を越えた段階で花開いた、ということになる。粗筋: キンジーの元にニッキーという女性が現れる。8年前、弁護士の夫ローレンスを殺したとして監獄にいた。出所したニッキーは、自分は殺していない、冤罪だ、真相が知りたい、という。 キンジーは調査に乗り出す。すると、ローレンスが死亡した数日後に、ローレンスが働いていた弁護士事務所で働く女性(リビー)が、ローレンスと同じ毒で毒殺されていたのを知る。ニッキーとリビーには接点がない。ローレンスを殺した何者かがリビーも殺したのだろうか?解説: 本シリーズがこの第一作でブレークしたのかはどうか知らないが、多分そうでないだろう。 つまらなさ過ぎる。 ローレンスとリビーの死は直接関係なく、ローレンスは離婚した元妻に殺され、そしてリビーはローレンスのパートナーであり、顧客の金をかすめ取っていた別の弁護士に殺された、という真相にも新鮮味がない。なぜこの程度の真相に行き着くのに250頁(原書)もかかったのかさっぱり分からない。 キンジーが犯人の一人である弁護士と肉体関係を持つという展開も馬鹿馬鹿しく、なぜキンジーがこの男に惹かれたのか全く不明である。テレビの二時間サスペンスドラマと同等、いや、それ以下のかったるいストーリー運び。 キンジーが優秀な探偵にも、魅力的な探偵にも思えなかった。第一作がこの程度なのになぜ人気があるのか。本シリーズは回数を重ねると共に魅力が増すのか。 確か昔、別のシリーズ作品を読んだ気がする。はっきりしない。そちらも印象が薄い作品だった、ということになる。 最後の章など、部分的に改行が極端に少なくなるのも問題である。一ページが透き間なく文字で埋まっているのを見るとウンザリする。こういう書き方はしてもらいたくない。 ともあれ、自分にとってはどうでもいいシリーズになった。関連商品:人気blogランキングへ
2006.11.26
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ジャック=フロスト警部シリーズの第一作。1984年の作品である。 本シリーズにはA Touch of Frost、Hard Frost、Night Frostなどがある。日本で翻訳されたのは1990年代に入ってから。日本では評判が特に高く、本作品は海外ミステリーランキングで1位になり、別のシリーズ作も数年後に1位にランクされた。本国のイギリスではテレビシリーズになっているそうだ。粗筋: イギリスの首都ロンドンから数時間の距離にあるデントン。クリスマスまであと数日というある日。8歳の少女トレーシーが失踪する。 デントン市警の名物警部フロストが捜査に当たる。 トレーシーは母と二人暮らし。母は娼婦で、失踪直前まで「仕事」をしていた。フロストは最後の「客」が怪しいと睨み、捜査を進めるが、いかがわしい人物でありながらも失踪事件とは無関係だった。トレーシーの友人も調べ、それをきっかけにトレーシーが通っていた教会が怪しいと睨むが、ここもいかがわしいことをしていながらも失踪事件とは無関係だった。 デントン市警は、予知能力があるという「魔女」の意見を求める。「魔女」のマーサは、死体は森にある、と言った。フロストは疑いながらも森を探すと、死体を発見した。ただ、失踪していたトレーシーではなく、30年前に殺害された男性の変死体だった。 変死体は銀行行員で、自分が働いていた銀行の現金輸送車を襲って金を奪い、姿をくらましたと思われていた男のものだった。元行員は射殺されていた。 フロストは、少女失踪事件と、30年前の銀行強盗事件を抱える羽目になる。 その後、トレーシーの死体が発見される。 フロストは、30年前に現金輸送車を運転していて、「強盗」に怪我を負わされた行員の家を訪ねる。行員は射殺されていた。30年前の事件と同じ銃から発砲されたと断定された……。解説: 真相は次の通り: トレーシーは、マーサを「魔女だ、魔女だ」と罵って石を投げていたら、マーサの猫が石の直撃を受けて死んでしまった。怒り狂ったマーサはトレーシーを絞殺してしまった。 マーサは死体を処分しようと考え、森で穴を掘ったところ、別の死体を発見してしまった。その時点で警察が訪れ、トレーシーの失踪に関して意見を求めたので、捜査を撹乱するために自分が発見した死体の居所を「予言」で教えたのである。 元行員を30年前に殺したのは、銀行の金を使い込んでいた別の行員だった。強盗に見せかけて銀行の金を横取りしようと企んだのだが、失敗した。仲間の行員を射殺し、死体を埋める羽目になったのである。 本作品のどこが高く評価されたのか分からない。 この程度で海外ミステリー1位に選ばれるとは驚きである。 フロスト警部を含む登場人物が魅力的だといわれるが、そうとも思えない。 ジャック=フロスト。妻を亡くしたため帰宅の意味がない、ということでワーカホリックになり、それを部下にも強制する……。 ……そんなに凄いキャラではないだろうが。容姿がずぼらで冴えない、というのもコロンボの二番煎じみたいである。 フロストがトレーシー殺害の犯人を突き止めたのも、死体が発見され、猫の毛が付着していたからで、死体が発見されなかったら、フロストは下手すると永久に犯人を突き止められなかったことになる。 銀行員殺人も、フロストは「あいつが犯人に違いない」と勝手に決め付け、容疑者の家に侵入したところ、容疑者が犯行に使った銃で反撃したことから、犯人だと断定されたのである。犯人が別の銃を使っていたら、フロストは単に住居侵入罪で逮捕されていただけになっていただろう。 つまり、フロストでなければ解決できなかった、という事件ではなかったのである。 警察署内の同僚らが昇進にしか興味がなく、フロストの捜査を妨害する、という展開も、発表当時はともかく、現在ではありふれていて、新鮮味はない。 一つの作品で二つの大事件といくつもの小事件を扱ったことで、焦点が分散してしまい、いずれの事件もどうでもよくなってしまった。読者である自分だけでなく、作品内のキャラにとっても、である。 原書は380ページだったが、中身の割には分厚い感じがした。大事件だけに絞り、登場人物を減らす(ロンドンから赴任してきた新米刑事は必要性がないように感じた)など、もう少し整理して250ページ程度にした方がすっきりとした作品になっていた筈。 また、イギリスの小説では当たり前なのかどうか分からないが、視点が次々切り替わる。フロストの思考の直後に別の登場人物の思考が記されている。日本の小説作法では、たとえ三人称でも、こういうことはしてはならない、とくどいほど言われているのだが……。 本作にはsod(馬鹿野郎)やfag(たばこ)やarse(ケツ)などの用語が出てくる。 sodはアメリカではこの意味で使われないし、fagはアメリカでは「ホモ野郎」という意味になるし、アメリカではarseではなくassと表記される。 同じ英語でも、アメリカとイギリスでは単語の使われ方が違うんだな、と実感した。関連商品:人気blogランキングへ
2006.11.26
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「ジャッカルの日」と同じ作者である。1972年出版。粗筋: 元ナチ親衛隊のメンバーから結成された秘密結社オデッサ。終戦から十数年経った後も、ユダヤ人の絶滅を計画していた。標的となるのはユダヤ人国家イスラエルである。 オデッサは、イスラエルと敵対するエジプトのミサイル開発に、手を貸すことにした。戦中にナチドイツの下で働いていた科学者たちを集めることにした。 このことを知ったイスラエルは、阻止しようと動く。 一方、ドイツでは、あるユダヤ人が自殺する。そのユダヤ人は戦時中収容所にいて、その体験を日記に残していた。 日記を偶々手に入れたレポーターのピーター・ミラーは、その中で記されていたナチ親衛隊将官ロシュマンに興味を持つ(なぜ興味を持ったのかは最後で明らかにされる)。ミラーは、周りの反対を押し切って、ロシュマンを追うことにする。 しかし、ミラーは問題に直面した。ドイツ政府が予想以上に非協力的なのだ。ミラーはあちこちの部局にたらい回しにされる。 ミラーは、たらい回しにされている内に、イスラエルの情報機関と接触することになる。イスラエル情報機関は、オデッサに潜入できる者を探していた。ユダヤ人だと簡単に見破られてしまうのだ。ミラーは、ロシュマンに近付く為、イスラエル情報局と協力することにした。 イスラエル情報局は、ミラーを元ナチ親衛隊のメンバーとして潜入させることにした。厳しい特訓で、ミラーは親衛隊員に関する知識を身につけた。 ミラーは、親衛隊を装って、オデッサのメンバーと接触する。イスラエル情報局は、ミラーに対し、そのままオデッサの中枢にまで潜入しろと命じていたが、ミラーはロシュマンを追うことしか興味がなかった。オデッサのメンバーから聞き出したい情報を聞き出すと、単独で追跡を始めた……。解説: 本作品は「ジャッカルの日」と同様に傑作とされているが、それはどうかなと思う。 第一に、ミラーが馬鹿過ぎる。彼の愛車はジャガーだが、それをなぜか乗り回したがるのだ。金に困っている筈のナチ親衛隊を装っている時も、である。当時のドイツでは、この種の車は珍しかったので、非常に目立つ。ミラーの行動を追跡していたオデッサは、この車のお陰でミラーの元ナチ親衛隊の偽装を簡単に見破ってしまうし、また、この車を探すだけでミラーの居所を即座に特定できた。 それでは、逆にオデッサは優秀な組織なのかというと、そうでもない。なぜなら、ミラーという一人の男さえも満足に始末できないからだ。こんな組織がよく世界の目を欺いて元ナチ戦犯をかくまえたな、と思ってしまう。 一番みっともないのがオデッサの殺し屋マッケンセンだろう。腕利きの殺し屋の筈なのに、失敗ばかりする。最大の失敗がミラーのジャガーに仕掛けた爆弾である。 悪路に乗り上げた途端に爆発するよう、爆弾を仕掛けるのだが、イギリス製スポーツカーのサスペンションはドイツ車のサスペンションより堅い、ということを考慮しなかった為、路面の凹凸に乗り上げても爆発しない、というヘマを犯す。 ミラーは、偶然や運に助けられてロシュマンを探し出すのだが、結局ロシュマンを警察に引き渡す、という目的は果たせなかった。ロシュマンが逃げてしまった為、彼が拘わっていたエジプトのミサイル開発は失敗するが、そんなことはミラーが知る由もない。 ストーリーはご都合主義で進み、中途半端に終わる(ミラーがロシュマンを執拗に追ったのは、日記から父親を殺したのがロシュマンだったと知ったから)。それなりに楽しめる小説だが、傑作とは言い難い。 現在、エジプトは、他のアラブ諸国の反対を押し切ってイスラエルと平和条約を結んだ程の穏健派国家である。その意味では時代を感じさせる作品である。 ドイツは、戦後処理として、ユダヤ人に対し多額の賠償金を支払った。その為、元ナチ戦犯の逮捕にも積極的だったと思われるが、本作品を読むと別にそうでもないのが分かる。 現在はどうか分からないが、小説の設定時となっている1960年代は、大半のドイツ人は「辛い過去なんてもう忘れたい。いや、もううんざりしている」と現在の日本と同様の態度が大半を占めていたらしい。 新しい発見である。 これが本作品の最大の見所か。関連商品:人気blogランキングへ
2006.11.26
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全世界で総数二億八千万部の売り上げを誇るベストセラー作家の作品。本書も、米国で最も権威があるとされるニューヨークタイムズ紙でナンバー1ベストセラーに輝いた。粗筋: ロバート・ベラミーは、愛する妻と離婚して落ち込んでいる腕利きの諜報員。そんな彼に、奇妙な指令が出される。 気象観測用の気球がスイスで墜落した。墜落地点に居合わせた民間人が10人いるのが判明している。ただ、その身元が分からない。ヒラード大将は、ベラミーに対し、その10人の目撃者の身元を突き止めろと命じた。 ヒラード大将は、条件をつける。ベラミーは、本人が持っている協力者のネットワークを利用しないで、単独で突き止めろ、と。 ベラミーは、指令の内容を不可解に思いながらも、目撃者の身元を次々突き止めるのに成功した。 また、目撃者が目撃したのは気球の墜落現場ではなく、UFOの墜落現場であったのを知る。 ベラミーがこのことをヒラード大将に付き付けると、ヒラードはUFOの墜落についてあっさりと認める。目撃者がパニックに陥って公表すると危険が及ぶ可能性があるので、保護するのだと。 ベラミーはその言い訳を受け入れ、全ての目撃者を突き止めるのに成功した。 しかし、ヒラード大将は目撃者を保護する気など毛頭なく、始末していた。用済みになったベラミーも、始末の対象にした。 追う立場から追われる立場になったベラミーは、欧州内を駆け回る羽目になる……。解説: 料理のしようによっては非常に面白い小説になっていただろうに、シェルダンはアイデアを活かし切れなかった感じがする。 そもそも、小説の設定が設定の為だけの設定のように感じる。UFOの墜落現場に目撃者が10人いたので探し出せ、ということだったが、どうやって10人いると分かったのか。人数が分かっていたにも拘わらず、身元が全く掴めなかった、というのはおかしい。 組織が10人を殺害したのも、「人類をパニックに陥れる恐れがあるから」という理由からだった。オーソン・ウェルズの「宇宙戦争」放送でのパニックを例にあげるが、50年前を現在に当てはめる連中の心理が理解し難いし、事態が「解決」するまでベラミーに話していた通り目撃者を「保護」することがなぜ不可能だったのかも、説明されていない。 主人公のベラミーも物足りない。妻と離婚したことをいつまでも悔やんでいる。悔やむのは結構だが、諜報員だろうが。クヨクヨするな、て感じである。妻との回想シーンの半分はカットできるだろう。主人公を「妻との離婚に悩むキャラクター」とすることで「人間を描いた」つもりだろうが、安っぽ過ぎる。 シェルダンは女性(というか、女性向けの小説)を書かせると右に出る者はいないらしいが、男性(そして男性向け小説)を書くのが不得意のようだ。 ベラミーは優秀な諜報員という設定だが、そうとは思えない。気球と教えられていたのが実はUFOだった、と知った段階で何かおかしいと気付くべきなのに、疑いもせずにただ任務を続ける。しかも自分が見付けた目撃者がどうなったか、とフォローしないのである。自分が見付けた目撃者が殺されている、と気付くのは全員を見付けて、殺された後なのだ。 ベラミーは、作中でも「諜報の世界では偶然など存在しない。不可解なことがあったらそれは必ず危険を意味する」と教えられているのに、教訓を無視する。目撃者の一人が火災で死んだのを知るのだが、その時も「ああ、必要な情報が得られない。任務が壁に当たったな」と悔しがるだけで、おかしいと思わないのである。 彼が作中で示されている通り優秀であれば、この任務はどうもおかしい、裏があるのでは、と途中で疑い、10人の目撃者の数人は死なないで済んだだろう。 ベラミーは、追われる立場になった時点で、世界中の諜報機関がこの陰謀に加わっていることを知る。つまり、誰にも頼れないのだ。にも拘わらず、以前頼った中国の諜報員の元に転がり込む。そして当たり前のように裏切られ、重傷を負ってしまう。こんな馬鹿にも拘わらず、敵側まで「ベラミーは優秀な男だ」と絶賛するのである。敵側も結局大したことなかったようだ。 本作品にはエイリアンが出てくる。地球を侵略するという。その理由は、地球を汚染しているからだ。地球を汚染する環境破壊をやめろ、が突き付けた要求である。 自分はスタートレックを見ているので、この手のエイリアンは馬鹿としか思えない。 スタートレックでは、地球が主体となった銀河連邦は、文明が一定の水準を満たしていない惑星に関しては不干渉、の精神を貫いている。無闇に干渉すると、たとえそれが善意のつもりでも、結果的に双方に不利益になる可能性が高い、という経験があるからだ。例えその文明が滅んでも、それはその文明の運命だ、と割り切るのである(表に出ない形で手を貸す、ということはあるようだが)。 簡単に言えば、本作のエイリアンは、スタートレックで描かれる将来の地球人よりお節介かきで、経験不足で、知能が劣ることになってしまう。シェルダンは、エイリアンなどSFが不得意であることを自分から認めてしまったようなものである。 本作品は、最後になってバタバタと終幕へなだれ込む。ベラミーは妻を取り戻し、「環境は大事にしないとね」と言って終わるのだ。 こんな月並み(見方によっては幼稚な)の小説が、なぜナンバー1ベストセラーに輝いたのか理解し難いし、この作家が2億8000万部も売りまくっていることも信じ難い。ニューヨークタイムズのベストセラーリストに載ることは大したことない、ということか。 シェルダンは、日本で言えば赤川次郎か西川京太郎か内田康夫みたいな存在だろう。 固定ファンがいて、作品の良し悪しに関係なく新作を買っていく。 一種の宗教だ。 宗教心のない自分には理解し難い作家であり、作品である。関連商品:人気blogランキングへ
2006.11.25
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世界一のベストセラー作家かどうかは定かでないが、少なくとも五本の指に入る作家の著作。無論、ニューヨーク・タイムズ紙ナンバー・ワン・ベストセラーである。粗筋: 9歳のトリッシュは、兄と母と共にメイン州の大森林を訪れる。母は、父と離婚したばかりだった。その精神的な苛立ちからか、母と兄は喧嘩してばかり。そんな姿を見飽きたトリッシュは、母と兄から離れ、森の中を一人で歩き始めてしまう。 トリッシュはふと気付くと道が分からなくなり、迷子になっていた。 早く帰りたい、と焦るトリッシュは、無我夢中で歩き始める。その行動は捜索に出た警察の予測を超えていた。州境を徒歩で渡ってしまったのだ。 トリッシュの心の支えとなるのはラジオだけ。ラジオはレッドソックスの試合を放送していて、投手トム・ゴードンの活躍を伝えていたのだ。 持っていた食料は底をつき、トリッシュは川魚やおたまじゃくしを生で食べることを強いられる。病気の為徐々に衰弱していく。自分にとってヒーローであるトム・ゴードンが現れ、彼女に話しかける……。解説: キングの作品では、500ページのペーパーバックは当たり前。1000ページの著作も数冊ある。 本作品は260ページあまり。これほど薄いのはデビュー作の「キャリー」とバックマン名義で発表した「バトルランナー(原題The Running Man)」くらいだろう。 残念ながら、最近のキングは長々と書くくせがついている。本作品もまともな作家なら150ページ、もしくは100ページあまりで書く内容である。それを無理矢理引き伸ばして260ページにした。 その為、たった260ページにも拘わらず、信じられないほどだれている。お決まりのようにハッピーエンドで終わるが、その頃にはどうでもよくなっていた。ま、トリッシュは結局死にました、となっていたら本を壁に投げ付けていただろうが。 変化を盛り込む為か、ベースボールの場面を挿入するなどしているが、キングみたいな野球ファンならともかく、野球に興味がない読者にとって苦痛なだけである。レッドソックスは実在のチームで、トム・ゴードンは実在の選手だが、メジャーリーグを生で観られない読者だとチンプンカンプン。 本作品はトリッシュの行動だけを追っている。登場人物もトリッシュだけ。兄や母は、最初と最後に登場するだけなのだ。 通常の作家なら、兄や母の心境や、警察の懸命な捜索の模様などを描いていただろうが、キングはトリッシュのみに焦点を当てることにしたらしい。なぜそうしたのかは不明である。キングのことだから、トリッシュ以外の登場人物の行動を描いていたら、400ページにもなっていただろうが……。 本作品でも、キングがお得意とする心の闇に住むモンスターなどを描いているが、迫力不足。何よりもトリッシュだけに焦点を当てているので、映画でいえば全篇を二時間にわたる長回し一つで撮影しているのと同じになる。勇気ある(というか狂気に満ちた)映画監督なら面白い試みだと思ってチャレンジするかも知れないが、観る方にとっては苦痛に他ならない。 キングは、本作品で大冒険をした。その誤った冒険の代償を支払っているのがまともな読者である。 こんな作家に読者はいつまで付いていけるのか。 すくなくとも、自分は付いて行くつもりはない。関連商品:人気blogランキングへ
2006.11.25
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ハーバードの医大を卒業し(医師免許を持っているかどうかは不明)、医学サスペンスの作家として活躍しているロビン・クックの著作。本作では医学サスペンス以外の分野であるSFに挑戦している。粗筋: 海底調査をしていた潜水艇が、突然海底に吸い込まれる。乗組員がふと目を覚ますと、そこはインターテラという海底の世界だった。 インターテラ人は、乗組員に説明する。インターテラ人は数十億年前に栄えた文明の末裔だった。数億年前まで地上に住んでいたが、気象の変化で海底に住むことになった。地上は、一度はほぼ全ての生命が絶滅したが、残った微生物からまた進化が始まり、その結果現在の地上人が登場したという。つまり、地球では人類が二度登場したのだ。 インターテラ人は、外見上は現在の地上人とそっくりだったが、数十億年も栄えていたことから、全く別の文明を築いていた。 第一の違いが、「死」がないことである。インターテラ人は、老いると、自分の人格や意識をそのまま新たな肉体へ移転する技術を持っていた。人格と意識の移転は、生きている内に行われなければならない。事故などで死亡すると人格と意識は永久に失われる。そのことからインターテラ人は死を非常に恐れていて、怪我の可能性のあるスポーツや、戦争などの争いごとは一切ないという。 潜水艇の乗組員は、なぜ自分らがインターテラに連れてこられたのかと疑うが、やがて明らかになる。インターテラ人は地上人による海底調査が気になっていたので、海底科学の知識のある地上人をさらうことにしたのだ。 残念ながら、インターテラ人はさらった地上人を帰すつもりはなかった。潜水艇乗組員は、インターテラで永遠に留まるのだ。 インターテラ人は、ここは天国のようだからいいではないかと言うが、潜水艇乗組員は賛成しない。何が何でも地上に戻りたい、と考え、計画を実行に移す……。解説: 書き方によっては単なる馬鹿小説にも成り得たが、ディテールの厚みで辛うじてまともにした感じ。インターテラという別の「人類」の社会もそれなりに説得力があるように思えた(スタートレックで出る異星文化とどっこいどっこいか)。 主な問題は、二つ。 まずは登場人物だろう。 地上人の登場人物は海底科学者のスーザン、海底調査会社社長のペリー、元海軍兵で潜水艇操縦士のドナルド、そして元海軍でダイバーのマイケルとリチャードである。 スーザンとペリーはどちらかというと常識人だが、ドナルドは海軍時代からまだ抜け切れなく杓子定規で、信じられないほど無愛想。マイケルとリチャードは、こんな奴らがどうやって海軍にいられたのかと思うほどの欲馬鹿。 どれもが極端で、いかにも作り物、といった感じなのである。 地上人が自分らの思想(特に宗教観)をインターテラ人に押し付け、逆にインターテラ人も自分らの思想を地上人に押し付ける。宗教心のない自分としては、地上人の世界観の押し付けが、インターテラ人の世界観の押し付けより厚かましく感じた。インターテラ人も文明や科学が進んでいる割には地上人の心理をまるで把握できていないという印象を受けたが。 もう一つの問題がインターテラという世界そのものだろう。 インターテラという世界は数十億年も続いていて、高度な文明を持っているが、防衛能力に完全に欠ける。ドナルドが率いる地上人が反撃に移ってもオロオロするだけなのだ。ここまで防衛力に欠けるとよく数十億年も存続できたな、と思ってしまう。 また、人格を別の身体に移転できるのは本人が生きている間だけで、事故などで手続きをしないまま死亡すると人格が永久に失われてしまう、というのもおかしい。数十億年も栄えていた文明で、人格の移転が可能なら、定期的に人格をどこかに「保存」して、事故死しても「保存」しておいた人格を新たな肉体に移転し、また生存し続けられる、という技術を確立していても不思議ではない感じがする。死を恐れるあまり争いごとがなくなってしまった、というほど臆病な文明なら、そのくらいの技術があって当然だろう。 一方で技術が進んでいるように見え、もう一方で技術に穴がある。そういう面でちぐはぐな印象を受ける。 最後のオチはたどり着く前に分かってしまい、月並みの終わり方だった。関連商品:人気blogランキングへ
2006.11.25
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ニューヨークタイムズ紙でナンバーワンベストセラーを出したこともあるサスペンス小説家ケン・フォレットの著作。カバーには「#1 Bestselling Author」となっていて、「#1 Bestseller」とはなっていない為、本作品そのものはナンバーワンにはならなかったらしい。粗筋: ルーク、アンソニー、ベルン、ビリー(女性)、そしてエルスペス(女性)は、ハーバード時代からの親友である。しかし、ふとしたことから大学をやめる。第二次世界大戦が始まったのだ。五人はCIAの前身であるOSSの工作員となって、欧米で活躍する。 大戦後、ルークとエルスペスは結婚した。ベルンとビリーも結婚するが、後に離婚する。 ルークはNASAのロケット科学者となる。エルスペスもNASAで勤務する。ベルンは作家、そしてビリーは精神学者となる。アンソニーはOSSに留まり、後のCIAの幹部となる。 ルークはある日、目を覚ました。公衆便所にいた。過去の記憶が全てなくなっていた。彼は町の中を駆けずり回る。ルークは過去の記憶を全て失っていたが、元工作員としての本能は失っていなかった。誰かが自分の後を付けているのに気付く。彼は追跡者に自分が誰で、なぜ後を付けているのかと問う。追跡者はルークを振り切り、逃走した。 追跡者はCIAだった。アンソニーの命令でルークの後を追っていたのだ。ルークの記憶を消し去ったのはアンソニーだったのである。 ルークは、自分がロケット開発に携わっていることを知ると、大学に向かう。自分を知っている者を見付けた。妻や友人のビリーやベルンと連絡を取ることができた。その過程で旧友のアンソニーが今回の事件に関わっていることを掴んだルークは、なぜ自分の記憶が消されたのかを解明する為、必死に米国東部を駆け回る……。解説: 本作は、1958年に初の米国産ロケットとして実際に打ち上げられたエキスプローラー1号の打ち上げがなぜ二度も延期されたのかを「解明」するフィクションである。 舞台が1958年なので、コンピュータやネットや携帯電話などのハイテク機器や技術は一切登場しない。その意味では物足りないが、ハイテクのなさが逆にテンションを上げている面もある。はっきり言って、ルークが直面する問題は、現在だったら数時間で解決しそうなものなのである。 この小説の最大の問題は、出来過ぎな部分が多過ぎて、いかにも小説、といった感じであることか。 最初に、十数年の付き合いがある五人が今回の事件で集結して善と悪に分かれて関わる、というのも偶然にしては出来過ぎ。 記憶を失ったルークが、元工作員とはいえ、一日ほどで自分が誰であるか探し出してしまうもの出来過ぎ。ルークは出会う知人全てに自分が記憶を失ったことを告げるのだが、知人全てがそれを疑うことなく受け入れてしまうのも出来過ぎ。 また、CIAの優秀な工作員・幹部である筈のアンソニーは、友人に対する情があったらしく、本人は勿論、彼の部下も初歩的なエラーを連発する。最初のエラーが、記憶を失ったルークのお目付役がいとも簡単にルークの自由行動を許してしまうことだ。これがなければアンソニーの計画が破綻することはなかっただろう。 アンソニーみたいなヘマを犯しているばかりの奴がどうやってCIAの幹部クラスになれたのかが不思議である。この事がルークにとって有利に動いたのは、やはり出来過ぎ。 また、結末も出来過ぎ。ルークとエルスペスの夫婦関係は悪化していたが、エルスペスが実はソ連の為に働くスパイで、死ぬ。ルークは昔の恋人で、今も好意を寄せていたビリーとゴールインすることになるのである。 エピローグでは、夫婦として幸せな家族を築いたルークとビリーが、1969年のアポロ計画でアームストロング宇宙飛行士が月面に降り立つ場面、つまり宇宙開発戦争が米国の勝利に終わる瞬間をテレビで見て、涙を流す。これも出来過ぎ。 アンソニーがルークの記憶を失わせたのは、アンソニーがロケット開発に関する情報をソ連に流していたこと、そしてエキスプローラー1号を打ち上げ直後に自爆させる陰謀を知ったからである。 疑問に思うのは、なぜアンソニーがルークの記憶を失わせる、という手の込んだ方法を選んだのか。なぜ殺さなかったのか。旧友を殺せなかった、ということもあったのかも知れないが、それなら監禁することも出来た筈。ロケット打ち上げが失敗するまでの期間、つまり長くて数日間監禁していればよかったのだ。 そうすると、リークは解放後にアンソニーがソ連の為に働く二重スパイであることをばらしてしまうではないか、との指摘もあるだろうが、作中でアンソニー(そしてエルスペス)は、いざという時はソ連に亡命する手立てができていたので、ばれてもさほど問題にはならなかった筈。 作中では、ルークは失った記憶を生涯取り戻せない、ということになっていた。これが事実だとすると、アンソニーはルークに対し情が働いた為殺せなかった、というのもおかしく思える。情が働いていたなら、過去の記憶を全て消してしまうという、ある意味では殺すより残酷な運命を課すことはできなかった筈。 計画通りに事が進み、ロケット打ち上げが失敗に終わった後、アンソニーはルークをどうするつもりだったのか。そのまま記憶を失った浮浪者にさせる、となると、手が込み過ぎている。証拠隠滅には殺した方が確実、と思う筈。ルークに何気なく接触して元の生活に戻すのも危険過ぎるだろう。とにかくアンソニーの計画は理解し難かった 。 記憶を失った男が自分の過去を取り戻す為に奔走する……という小説を生み出す為に、著者が強引に状況を設定した感じがなくもない。いわばストーリーの為のストーリー、トリックの為のトリックである。 本作は450ページ。ちょっと長い感がなくもない。途中でモタモタしている箇所がある。最後まで読めたのだから、つまらなくはなかったが。 結論としては、何もかも出来過ぎた小説。実際の出来事を下書きにしていた割には、リアリティが感じられない。 ハッピーエンドで終わるところは、いかにもアメリカ向け。クーンツの「ベストセラーの書き方」をなぞったような小説だ。ま、クーンツなら「敵が馬鹿過ぎる」と批判するかも知れないが。 読んでいる最中はそれなりに楽しめたが、読み終わって本を置くと「?」がいくつも浮かび上がってくる感じである。関連商品:人気blogランキングへ
2006.11.23
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「レッドオクトーバーを追え」でデビューしたクランシーの第4作目。ジャック・ライアン・シリーズとしては3作目。ニューヨークタイムズ紙でナンバーワンベストセラーに輝いた。粗筋: 冷戦のまっただ中だった1980年代。アメリカはSDI計画を推し進めていた。ソ連から飛来する核弾頭をレーザーで撃ち落とすという防衛システムだ。アメリカはこれで防衛上有利になる、と思っていたが、ソ連でも同様の計画(ブライトスター)が進行中だった。 アメリカへブライトスターに関する情報を流していたのは、ソ連軍将校フィリトフ。CARDINALという暗号名がアメリカ側から割り当てられていた。アメリカはブライトスターに関する情報を得たいが故にフィリトフを乱用し、ついにフィリトフの活動がソ連諜報局KGBに知られてしまう。フィリトフは逮捕される。 焦ったアメリカは、極端な行動に出る。KGB局長を脅迫するのだ。危機感を抱いたKGB局長は、SDIのエンジニアを誘拐するという強硬手段に出る。 一方、ブライトスターの試験場となっている基地に対し、あるアフガニスタン・ゲリラは襲撃の計画を進めていた。それにCIAが手を貸すことになり……。解説: ペーパーバックだと550ページ。最近の小説と比較すると特に分厚いものではない。先日読んだケン・フォレットのも450ページだった。しかし、密度が違う。字が細かい。フォレットのと同じ大きさの字にしていたら、550ページは800ページにもなっていただろう。逆にフォレットのを本作品と同じ大きさの字で製本したら300ページ以内に収まったかも知れない。 ジャック・ライアン・シリーズというものの、彼が主人公とは言い難い。一人の登場人物を中心とした物語ではなく、SDIとブライトスター、そして核兵器削減条約を巡る駆け引きを多面的に取り扱っている小説だからだ。 トム・クランシーが大ベストセラー作家になったのは、綿密なディテールから。しかし本作品ではいくら何でも多く詰め込み過ぎ。何でこんなシーンを挿入したのか、簡単な説明文で済むではないか、という場面がいくつもあった。 無論、登場人物も多く、区別が付かない。どうでもいい登場人物の活動まで詳細に描くから中ダレする。 一つの出来事を多面的に捉えるのは、視点や場面を次々変えることで緊迫度を上げ、中ダレを防ぐ為の筈だが、本作の場合逆効果になってしまっている。 戦闘場面を除くとこれといった見どころがないのが実状。 政治家や諜報局同士の駆け引きなど本来ならスリル溢れる筈の場面は、細かさの故展開が遅い。 結局あまりにも多面的な為、焦点が分散してしまい、読んでいても緊張感が高まらないのだ。 登場人物を減らして(アフガンゲリラのアーチャーや、レッドオクトーバーの船長だったラミウスなど)、無駄なシーンを省けば(アーチャーによるブライトスター攻撃)、400ページくらいの焦点の定まった作品になっていただろう。 小説の書き方そのものにも問題がある。改行の仕方を知らんのか、と思いたくなるほど長いパラグラフが多い。ページが細かい字で隙間なく埋まっているのを見て、何度ウンザリしたか。仕事上細かい字でびっしりと埋まった論文を読まされることが多いので、娯楽の読書くらいは読み易いものにしてもらいたい(じゃ、トム・クランシーなんて読むな、て突っ込まれるのかも知れないが)。 読み応えはあるが、あまりの情報の多さに大抵の読者は処理し切れず、ページをめくった時点で次の情報を受け入れる為にその前のページの情報を忘れなければならないのでは、と思ってしまう。 とにかく分厚い割には中身が薄く、読み終わっても「やっと読み終えた」という達成感以外は何も残らない小説。やり方によっては面白い作品に成り得たから、残念である。関連商品:人気blogランキングへ
2006.11.23
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アメリカで大ヒットしたテレビシリーズのオリジナルノベルシリーズの第60巻。テレビシリーズそのものはかなり前に終了したのに、ノベルシリーズが未だに続いているとは驚きだ。 本書の著者は、この小説を書く前に7冊のファンタジー小説を出版している。山岳地方に住んでいた経験が本書にも反映されているようである。粗筋: ニティガノ星人は、滅亡の危機にさらされていた。最も近い星が爆発するというのだ。 銀河連邦軍のエンタープライズ号は、ニティガノ星人の救出に当たることになった。惑星の住民全てを別の惑星に避難させることにした。 しかし、問題があった。最も近い居住可能な惑星の星図が手元になく、航行が不可能なのだ。正確な星図を持っているのは別の星系のソーラン星人だけ。 星図を手に入れる為、エンタープライズ号はソーラン星に向かった。 ソーラン星は王政だった。そこでは元服の儀式として特別な狩猟区で狩りをすることが義務付けられていた。丁度王の長男が狩りを行うところだった。 エンタープライズ号は、皇太子を特別狩猟区へ送り迎えすることを申し出る。その程度で星図が手に入れるならお安いご用だと。 ただ、王室は皇太子派と第二王子派の二つに分裂していた。第二王子派はエンタープライズ号を利用し、皇太子を罠に陥れるという陰謀を企てた……。解説: Star Trek: The Next Generationではお馴染みのキャストが登場する。一人一人説明していたら一冊の本が書けるので、ここではしない。してもテレビシリーズを観ていなかった者にとってチンプンカンプンだろうから。 レギュラー全員を登場させなければならない必要性からか、一つの事件を多面的な方面で取り扱っている。これはかなり珍しい。なぜなら、このシリーズではレギュラーが二手に分かれ、それぞれが別の事件の解決に奔走する、というパターンが多いからだ。 したがって、通常ならエンタープライズ号のクルーは二手に分かれ、一方がニティガノ星で避難におけるトラブルに直面し、もう一方がソーラン星で王室の陰謀に巻き込まれる、というパターンになる。しかし本書では、エンタープライズ号は終始ソーラン星に留まり、ニティガノ星はほとんど登場しない。 著者は、二つの文明を取り扱わなければならないという制約から解放されたのが嬉しかったらしく、ニティガノ星をまるきり無視して、ソーラン星の文明だけに焦点を当てている。かなり詳しく記述しているのだ。狩りの儀式に関することや、狩猟区にいる特殊な動物のことなど。はっきりいってくどいほど。その為前半からかなりダレた。 本シリーズのレギュラーは、今後のノベルシリーズでも活躍しなければならないので、どんな危機も結局切り抜けられる。これは、小説をつまらなくする場合と、安心感をもたらす場合があるが、本書では前者になった。 上記したように、エンタープライズ号のレギュラーは二手に分かれ、一方がニティガノ星の避難活動、もう一方がソーラン星の王室内紛に関わる、という風にした方が良かった気がする。レギュラーが多い故、一ヶ所に留まっていると本シリーズの魅力である適度の緊張感が発揮できない。関連商品:人気blogランキングへ
2006.11.23
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元ニューヨーク市警刑事で、現在は弁護士のストーン・バリントンが活躍する。ニューヨークタイムズ紙ベストセラー。粗筋: ストーンは、パーティで検察局で勤務する女性と出会う。彼女の誘いに乗ってアパートを訪れる。用事を言いつけられて一旦アパートを後にし、戻ると、その女性は殺されていた。ストーンに殺人の容疑がかかる。 その直後に、ストーンの秘書が暴漢に襲われて死亡した。と思ったら、ストーンの近所に住む露出魔の女性まで殺される。 いずれの女性も喉を切り開けられていた。 これは偶然ではない、と察したストーンは、刑事時代にパートナーを組んでいたディノと共に捜査を開始する。二人が取り扱った過去の事件を調べたところ、妻の喉を切り開けて殺害した男に行き当たった。ハーバート=ミテルドーファーである。 ストーンとディノは、ミテルドーファーが怪しいと睨む。逮捕に加わったストーンを恨んでいると見たのだ。が、ミテルドーファーには完璧なアリバイがあった。まだ監獄にいたからだ。 犯人は、ディノの妻にも襲いかかる。幸いにもかすり傷で難を逃れた。 ストーンとディノは、ミテルドーファーをますます怪しいと睨む。が、再び監獄を訪れると、彼が出所したことを知る。刑期を完全に務め終えた為、保護司などへの報告義務もないという。つまり出所後の居所が全く掴めなくなった。 ストーンは、ミテルドーファーの故郷であるドイツに甥がいることを知る。ディノの妻を襲った暴漢に似ていた……。解説: 最初の三件の殺人は、50ページ目を読む前に起こる。かなりスピーディな展開だ。本書は400ページ。どういう展開になるのかと思っていたが……。 最初の三件で「これくらいでいいや」と著者は思ったらしく、ペースがかなり落ちる。 ストーンは、自分や自分の周辺にいる者が危険にさらされているというのに、様々な女性と恋愛関係を持つ。その結果、それらの女性を余計な危険にさらす。ま、女性らも危険を承知してストーンと付き合ってしまうのだが。 最初に、ストーンの元恋人で画家のサラがヨーロッパから帰ってきて、二人は恋を再び暖め始める。ストーンは彼女に迫られ、受け取ったばかりの弁護報酬でベンツや家を買った。彼女が本書のヒロインか、と思ったら、犯人のテロ活動でサラは怖じ気ついてイギリスに帰ってしまう。去った後、ストーンは彼女のことを思い出しもしない。 入れ替わりに、ドルセという女性がストーンとの恋愛関係を半ば強引に進める。ドルセは、ニューヨークの黒幕エドアルドの娘だった。ドルセの姉が、ディノの夫だ。ディノは、ストーンに対し、ドルセは危険な女だと告げる。ドルセ本人も危険だが、それ以上にエドアルドが危険だから、付き合うのはよせ、と。ストーンは危険だと知りながらもドルセに惹かれていく……。 とにかくストーンは性欲旺盛。自分を誘った女が殺されたにも拘わらず、何でもないように二人の女性と肉体的関係を持つのである。しかもわずか数日の内に。節操も何もない。 また、AMGチューンのベンツや郊外の豪邸を即金で買ってしまうあたりや、よく分からないが高そうな酒をガブガブ飲むところや、ニューヨークのハイソサイエティと当たり前のように付き合うところは、庶民感覚では理解できない。 自分と知り合っていたため被害に遭ってしまった者に対し特に後悔の意を示さないことも、納得できなかった。 著者はストーンを善人として描いているが、こちらとしてはあまり感情移入できる人物ではなかった。 主人公の他に、真犯人ミテルドーファーの行動も不明。彼は甥をドイツから呼び出し、ストーンの周辺にいる者を殺させるのだが、その動機がさっぱり分からない。 ミテルドーファーは狡猾な上に頭が切れる男で、監獄で服役していた最中も株取引などで大儲けしていた。それどころか看守らも儲けさせていた。刑期が短縮されたのも、看守らをそうやって買収していたからだ。 なぜそこまで頭の切れる男が、自分を逮捕した者に恨みを抱いて、自分の親類に襲わせる、という馬鹿げた行動に出たのか。出所前にそんな行動に出たから、ストーンに目を付けられてしまうのである。 出所直後にストーンを殺し、そのままさっさと海外へ高飛びすれば、逃げ通せただろう。しかし甥に無駄な殺人を犯させ、出所後もニューヨークでモタモタしていたから、結局ドイツ行きの旅客機内で逮捕されてしまう。 ミテルドーファーの二人の甥の行動も不明である。なぜ叔父に言われるまま何人も殺したのかは、結局解明されなかった。双方とも射殺されるからだ。思えば彼らが射殺されたのに、一番の悪人であるミテルドーファーが生きて逮捕されるのは承伏し難い。 また、最初の女性の殺人は、実はミテルドーファーの手によるものでなく、彼女が勤務していた検察局の者によるものであることが判明するが、なぜそんな展開にしたのか。推理小説にする為の「ひねり」のつもりだったかもしれないが、あまりにも有り触れた展開で驚きがない。 本書は一気に最後まで読ませるほどの上手さはあったが、読み終わってみると、キャラクター面、そしてストーリー面で首を捻りたくなる部分が多かった。関連商品:人気blogランキングへ
2006.11.23
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検屍官シリーズで売れっ子作家となったパトリシア・コーンウェルによる新シリーズの第二弾。ジュディー・ハンマー警察署長、バージニア・ウェスト副署長、そしてアンディ・ブラジル巡査が登場する。第一作目はHornet's Nest(スズメバチの巣)。粗筋: ハンマー、ウェスト、そしてブラジルの三人は、シャルロット警察署の体制改善と、シャルロット市の治安改善の功績を認められ、次は米国南部リッチモンド市の警察体制改善の任務が与えられる。 リッチモンド市は、南部の特有の保守的な風土が根強く残っており、署員はハンマーらが着手した改革に抵抗する。 ハンマーは市警を近代化する為、全国犯罪捜査ネットに接続するが、署員の不慣れの為問題が続発する。ついにコンピュータウィルスによってシステムがダウンしてしまった。ウィルスは全国犯罪捜査ネットにまで広まってしまう。 一方、画家志望で気弱な高校生のウィードは、不良のスモークに強引に仲間に加えさせられる。ウィードに与えられた最初の「仕事」は、南北時代に南部同盟大統領を務めたデービスの象にイタズラすることだった。ウィードは画才を活かして大統領をバスケットボール選手にしてしまった。 犯罪の魅力に取り付かれたスモークは、より大きな計画を立てていた。市の連中をびっくりさせてやる、と。スモークはその準備の為、窃盗や殺人を繰り広げ、計画を着々と進めた……。解説: 裏表紙は本書を「登場人物同士の衝突、捜査手順、ドラマ、そしてコメディ、複合体!」といった感じの文句を掲げていたが、はっきりいってどれも中途半端。 登場人物は多過ぎ、つまらなさ過ぎ。普通、登場人物が思いがけないトラブルに直面してバタバタする様子は面白い筈だが、本書のは全然面白くなく、ウンザリした。区別できない人物が多かったからだろう。 捜査手順が細かに記述された場面も同様にウンザリ。多過ぎるし、長過ぎる。 ドラマは……著者は盛り込んだつもりだろうが、こちらにとっては退屈なだけで、緊迫感も何もない。 コメディは……最初はともかく、50ページ目からは不発の連続。全く笑えない。 挙げ句の果てに、現在ではさすがに日本でも見られなくなったナアナアなハッピーエンド。 最悪である。 これがアメリカでベストセラーを立て続きに出した作家が書いたものなのか、と呆れた。 登場人物をハンマー、ウェスト、そしてブラジルの三人の警官、スモークとウィード、そして彼らの周辺人物に留めて置けば良かった。 なのに、知事や、市議会議員や、ガンマニアの住民や、交通係の婦人警官や、通信係の警官など、主要登場人物とは終始接触しない上、ストーリーに全く貢献しない連中の行動まで描くから、物語のペースが信じられないほどとろい。 無駄なキャラやその行動を整理すれば本書は250ページに収まり、展開の速いストーリーになっていただろう(本書は456ページ)。小説の設定そのものは悪くなかったので、残念である。 労作=大作=傑作=名作。 ……というアホな考えをいい加減に改めてほしい。 男性作家が男性しか読めない小説しか書けないように、女流作家は所詮女性しか読めない小説しか書けない。 ……これが自分の持論だが、本書もこれを覆すには至らなかった。 尤も、本書が女性に受けるかも疑問だが。関連商品:人気blogランキングへ
2006.11.23
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傑作ハードボイルドシリーズ(と謳われる)のマイク・ハマーの生みの親による中編集。Killer MineとMan Aloneの二作が収録されている。粗筋: Killer Mine:四件の殺人事件が発生する。銃弾から同じ犯人によるものだと断定される。ニューヨーク市警は捜査を開始するが、スラム街での事件なので住民の協力が得られず、捜査は進まない。そこで上層部はそのスラム街出身のジョー・スキャンロン刑事に捜査に当たれと命じる。殺された4人は、偶然にもジョーの子供時代からの知人だった。ジョーは同じスラム街出身の女性刑事マルタと共に捜査を開始するが……。 Man Alone:犯罪組織の大物マーカスが殺害された。犯人として逮捕されたのがジェリー・リーガン刑事。賄賂を受け取っていたのがばれるのを恐れて殺した、というのだ。リーガンは法廷で無罪判決を勝ち取ったが、誰もが彼を犯人だと白い目で見る。上手い弁護士を雇えたから無罪を勝ち取れたのだ、と。リーガンは真犯人を突き止める為、証人の女性を自分で捜し出すことを決めた。が、その女性は死体で発見された……。解説: この本は数年前に手に入れた。その時点で読み始めたのだが、つまらなかったので読むのをやめ、ほったらかしにしてあった。つい先日旅行中に読む本が必要となり、新たに買うのが面倒臭かったので、ほったらかしにしてあった本書をまた手に取ってみることにしたのだ。 感想は……。 なぜ最初に読むのをやめたのか分かった。 退屈だったからだ。 いずれも設定そのものは悪くない。書き方次第では非常に面白い作品に仕上がっていただろう。 ただ、背景が時代遅れな感があるし、キャラクターにものめり込めないし、文章そのものも気にくわない。表紙にはスピレーンの作品は世界で5500万部も売れていると自慢しているが、 信じられない。 発表された1965年当時はともかく、今だとこんなのは売れないだろう。といっても現在では1億3000万部にも達しているそうだが……。 スキャンロンもリーガンも、捜査手法は図体を活かして人をぶん殴ったり、威圧したりして情報を絞り出すこと。絵に描いたようなタフガイで、優秀な刑事とは思えない。 二人を手助けする女も美人で胸がでかくて世話好きで主人公と恋に陥り……といったステレオタイプ。ジョークならともかく、今はこんな女を登場させる物書きは三流でもいない。 とにかく古さを感じさせる。 また、裏表紙で約束されている「どんでん返し」もありふれたもの。 最初のではベトナムで死んでいたと思ったスキャンロンの兄が、凶悪犯としてニューヨークに戻ってきた。警察に追われていたので子供時代からの知人を頼ろうとしたが、知人はどれもチンピラになっていた。裏切ろうとするので次々殺した。 次のでは、リーガンに殺されていたと思われていたマーカスは、実は生きていた。マーカスの遺体と思われていたのは替え玉だった……。 同じじゃないか スピレーンのどんでん返し、てどれもこうなのか? 別のアメリカミステリ作家ローレンス・ブロックは、作家作法の本で、スピレーン小説を誉めていた。特に初期の作品ではシーンの展開が速い、と。ただ、もう一つ付け加えていた:作品そのものはウスターソースの原材料のラベルを読むよりつまらない、と。 自分は、ブロックの意見は間違っていると言わざるをえない。ウスターソースの原材料を読むよりつまらない上、展開ものろい。 発表当時は傑作・前進的として賞賛されるミステリも、35年後に読むと古臭いだけの駄作になるようだ。現在売れているミステリで、35年後に読んでも面白いと思われるのはどれくらいだろうか。 Man Aloneではジョージ・ルーカスという人物が登場する。1965年の作品だから、スターウォーズの製作者とは無関係だろう。登場人物の名も気を付けて命名しないと後に笑い話になってしまう。作家は大変である。関連商品:人気blogランキングへ
2006.11.23
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「クレムリンの枢機卿(Cardinal of the Kremlin)」など、ニューヨークタイムズ紙ベストセラーを発表し続けるトム・クランシーの著作。粗筋: 国際テロに対処する為、対テロ部隊「レインボー」が創設された。新部隊の長にジョン・クラークが任命される。 レインボーに次々と出動命令が発される。航空機のハイジャック事件。スイス銀行での人質事件。国際的トレーダーの誘拐事件。そしてスペインにある遊園地の占領事件。 レインボーは問題なくそれらの事件を対処した。 クラークは不審に思う。テロが多くなってきているとはいえ、4件も立て続けに発生するのはおかしい、と。 これらのテロはある組織がある目的の為計画したものだった。組織はレインボーの存在を知る。レインボーは危険だと判断した組織は、レインボー本部のあるイギリスに刺客を向ける……。解説: お馴染みのジョン・クラークが登場する。「クレムリンの枢機卿(Cardinal of the Kremlin)」ではジャック・ライアンがメインで、クラークは脇役だったが、本作では逆だ。ライアンは単に「大統領」と呼ばれるだけで、名前さえ上げられなくなった。CIAアナリストだったライアンが米国大統領。本シリーズもしばらく読んでいない間にかなり変わったものである。 本作で登場する組織とは、地球の環境を守るには人類を全滅させるしかない、と信じる過激的な環境保護団体だった。シドニー・オリンピックで遅効性の生物兵器を散蒔き、死に至る疾病を世界中に蔓延させる、という計画を立てたのだ。 組織がテロ活動を行った理由は、テロによってオリンピックの警備を強化させる為だった。組織は警備会社も運営していたので、警備が強化されれば活動員を潜入させることができると読んだのだ。 感想は……。 信じられないほどアホなストーリー。 アホなストーリーも別に悪くないが、900ページにも及ぶ超大作にするほどのことか。こんなのがよく出版されたなと思う。 問題は山ほどある。 第一に、対テロ部隊レインボー。戦闘能力は抜群だが、自己の情報収集能力がまるでないから、受け身ばかり。相手が行動するまで全く動けない。そんなもんだから、クラークの妻が勤務する病院の襲撃という、組織が計画した罠にもまんまとはまってしまう。罠から切り抜けられたのは相手がレインボー以上に馬鹿だったからに過ぎない。 はっきり言って、病院が襲撃された時はびっくりした。レインボーが200ページあまりの間に未然に防ぐだろうとてっきり思ってばかりいたからだ。 情報収集能力がないものだから、敵が本部に潜入して情報収集活動をしたのに全く気付かないし、組織から裏切り者が出るまで人類全滅計画の内容を全く掴んでいなかった。米国や欧州の協力が得られている為、やろうと思えば様々な特権を行使できるというのに、である。レインボーが特権を行使するのは武器を調達する時だけ。規模の割にはやることが小さい。 情報収集能力は敵の環境保護団体の方がはるかに上なのである。 レインボーは単なる戦闘フェチ集団に過ぎず、こんな連中が国際テロと戦えるとは到底思えなかった。 第二に、敵となる過激派環境保護組織。なぜ全世界を全滅させるというアホな計画を立てたのか(作中でも007みたいだと揶揄されていた)。環境保護に消極的な大統領(ジャック・ライアン)を暗殺するといった程度の現実的な計画を立てていれば、成功していただろうに。あまりにも壮大な計画を立ててしまった為、FBIやレインボーに知らぬ間にか包囲され(FBIやレインボーは包囲していたという意識はなかったようだが)、結局たった一人の裏切り者によって全ての計画が駄目になってしまう。 情報収集能力はレインボーをはるかに上回るのに、作戦実行能力はまるでない。 生物兵器の散布をたった一人に任せてしまうのも馬鹿げている。なぜ複数の者に複数の方法で複数の場所で生物兵器を散布するように計画しなかったのか。とにかくやることが中途半端。こんな連中が人類全滅計画を実施できるとは思えなかったし、こんな連中を阻止するのに900ページも割かなければならないレインボーも情けなかった。 第三にストーリー運び。最初のハイジャックから遊園地のテロ事件解決まで380ページ。後は組織が人類抹殺計画を着々と進める場面と、レインボーがモタモタしている内に襲撃されて「どこのどいつの仕業だ」とのたまう場面が延々と続く。 裏切り者がレインボーの元に駆け込んで、レインボーが計画全体の阻止の為に動くのは800ページ目から。380ページ目から800ページ目までの400ページは殆ど何も起こらない。ま、病院襲撃が起こるんだが、あまりにもだれていて緊迫感がなかった。 オリンピックでの生物兵器の散布阻止も、読んでいて呆然とするほど簡単に終わってしまう(800ページ目から850ページ目。たった50ページ)。 最後の最後でレインボー部隊全体が組織殲滅の為に動き出すのだが、組織上層部自体に戦闘能力はないものだから、これも呆気ないほど終結してしまう(850ページ目から900ページ目。これもたった50ページ)。 戦闘能力はあるが情報収集能力はからきしない特殊部隊と、情報収集能力はあるか戦闘能力はからきしない過激的環境保護団体。 本作品は無能団体同士の死闘を描いていただけだった。 昔のペーパーバックアクション小説シリーズに、フェニックスフォースというのがあった。5人メンバーのチームが、テロ事件が発生した際に出動し、テロ組織の存在を掴み、敵が立てているより大きなテロ計画を暴いた上で殲滅する、という内容だ。 こちらは戦闘能力の他に情報収集能力もある為、人数は少ないものの敵を積極的に探し出し、効率的に始末できた。 フェニックスフォース・シリーズでは、敵対組織が必ず準軍事組織である為、小説の最後のバトルは毎巻壮絶だ。兵器は従来通りのもので、本作品のように敵の動きが丸見えになってしまうハイテク装備は使わない(フェニックスフォースが出版された時点ではそのような装備はなかったということもあるのだろうが)。その意味では、フェニックスフォース部隊員の方がレインボー部隊員よりよっぽども優秀である。また、フェニックスフォース・シリーズでは、本自体も短いので230ページ、長いのでも300ページほど。フェニックスフォースはそれだけで各任務を終えられるのだ。 フェニックスフォースが今回の事件を担当していたら、230ページで過激派環境保護団体の正体を暴き、始末していただろう。 先ほど述べたように、レインボーは単なる戦闘フェチ集団。 ペーパーバックヒーローに負けてどうする。 全ての環境保護運動家を単なる過激派としか描かないクランシーの姿勢も疑問である。 トム・クランシーは本作品で過激的な環境保護運動の危険性を訴えたかったのだろうが、逆効果だった。小説の中頃以降は、自分はどちらかというと組織に同情していたのだ。 組織が人類を全滅させるのではなく、反環境保護主義の大統領や国会を殲滅する、という計画だったら、レインボーではなく組織を応援していただろう。 最後は、組織を裏切ったろくでなしのロシア人(テロ活動の手続きをした人物)が何でもないように事を逃れるばかりか、金脈を掘り当てて大儲けするというオチ。 カタルシスもクソもない。関連商品:人気blogランキングへ
2006.11.23
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米国で人気だったSFテレビシリーズ「スタートレック・ネクスト・ジェネレーション」の小説。テレビシリーズはとっくに終了しているが、小説シリーズは現在も出版され続けている。30年も前に終了したオリジナル・スタートレックの小説シリーズも相変わらず続行中なので、不自然ではないが。粗筋: 銀河連邦と同盟関係にあるクリンゴン帝国。好戦的な民族である。 支配下の惑星タッドの先住民が、クリンゴン帝国から独立しようと運動していた。惑星タッドの先住民は、銀河連邦の支援を要請する。 銀河連邦とクリンゴン帝国は、強大な敵ドミニオンとの戦争が終結したばかりだった。戦力がかなり落ちている。好戦的なクリンゴンといえども反乱を武力で鎮圧する余裕はなかった。 銀河連邦は、仲介の為、元銀河連邦軍人でクリンゴン人であるウォーフを大使としてタッドに派遣することを提案する。クリンゴンはこれに合意するが、譲れない条件を一つ付けた:クリンゴン帝国は惑星タッドの支配を何が何でも続ける。撤退してしまうと、独立運動が他の惑星にまで飛び火してしまうからだ。 ウォーフはこの条件をどうやって満たしながら先住民を説得するのか、と悩む。 ウォーフを惑星タッドへ護送するのはクリンゴン防衛軍所属の航宙艦ゴーコン。艦長クラグはウォーフの知人だったが、友人ではない。むしろ敵対視していた。ウォーフが大使という地位を得られたのは、クリンゴン首相に近いというコネを使ったからだろう、と。 ウォーフは惑星タッドの先住民が起こした独立運動問題に対処すると同時に、同じ民族である筈のクリンゴン人との関係修復にも対処しなければならなくなった……。解説: 本作品はスタートレック・ネクスト・ジェネレーション小説シリーズの一冊となっているが、時期的には続編テレビシリーズ「スタートレック・ディープスペースナイン」が終了した段階の後に起こったとなっている(無論、テレビシリーズ「ネクスト・ジェネレーション」はとっくに終わっている)。また、ネクスト・ジェネレーションのメンバーは最初の部分で登場するだけで、それ以降はウォーフやクリンゴン人が中心となったストーリーになっている。 自分はネクスト・ジェネレーションはかなり観ていたものの、続編シリーズのディープスペースナインについては殆ど知らない。本作品で様々なことが知らされた:・クリンゴン帝国と銀河連邦の同盟関係が崩壊したが、後に修復したこと。崩壊したことはどこかで聞いて知っていたが、修復していたことは全く知らなかった。・クリンゴン帝国首相ガウロンがウォーフによって殺されたこと。ガウロンが権力の座に就くのを手助けしたのがウォーフ自身だったのだ。ウォーフは新首相就任にも無論手を貸しているが、その背景には何があったのか。・ウォーフがディープスペースナインを去ったこと。これは予想できたが。・銀河連邦とクリンゴン帝国は、最終的には宿敵ロミュラン帝国と手を組んでドミニオンを撃退したこと。どこかでドミニオンとロミュランが同盟を結んだと聞いていたが、決裂したらしい。 ……いずれにしても、スタートレック・シリーズを知らない者にとってはチンプンカンプンだろう。 結末自体はシンプル。惑星タグには先住民の皇帝がいた。クリンゴン帝国の傀儡である。その皇帝は病死してしまう。ウォーフは考えた。クリンゴン帝国が惑星タッドを支配し続けたいなら、クリンゴン人が皇帝になってしまえばいいのだ、と。どっちみち皇帝は象徴的な存在で、政治力はない。これは先住民も理解している。クリンゴン人が皇帝になっても反対はない筈……。 ……というわけで、問題はあっさりと解決してしまう。本当に大丈夫か、新たな火種を作ってしまったのでは、とこちらは思ったが。 本作品は惑星タッドの反乱より、クリンゴンの文化や、防衛軍内部の状況や対立が焦点となっている。スタートレックファンならかなり楽しめる。 エンタープライズ号のクルーとの様々な再会があるのは良いファンサービス。航宙艦ゴーコンのクルーの多くが過去のネクスト・ジェネレーションのテレビエピソードに絡んでいた、というのはいささかやり過ぎだが。 クリンゴン人は野蛮な文明で、よく宇宙帝国を築けるほどまで発展したなと思っていたが、本作品を読む限り、クリンゴン人も多彩らしい。これまでのスタートレックは銀河連邦がメインだったが、これならクリンゴン帝国をメインにした新シリーズを作ってもいいのでは、と思ってしまう。全出演者に特殊メークが必要になるので、コスト面で無理かも知れないが……。 結論としては、スタートレックファンなら十二分に楽しめる作品。それ以外の者に薦められるかはちょっと疑問。内輪ネタが多いから、イライラするだろう。関連商品:人気blogランキングへ
2006.11.23
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A Time to Killでデビューしたベストセラー弁護士作家ジョン・グリシャムの法廷物。粗筋: ある未亡人が、「自分の夫が死んだのは煙草を吸い続けていたからだ。夫は何度も禁煙を試みたが失敗した。それは煙草会社が煙草を意図的に習慣性のあるものにして販売していたからだ。夫を肺ガンにして殺したのは煙草会社だ」という理由で煙草会社を訴える。 これまで同様の訴訟は八回あった。いずれも起訴側の敗北に終わっている。企業側に優秀な弁護士フィッチがいるからだ。フィッチはクライアントの勝訴の為ならどんな汚い手(不法行為を含む)でも使う悪徳弁護士だった。 舞台はアメリカ。民事訴訟でも陪審制である。13人の陪審員が選ばれる。その中にニコラス・イースターがいた。法大にいたこともあるニコラスは、瞬く間に陪審団のリーダー格となる。 一方、フィッチは裁判が自分に有利に動くよう、様々な工作を始める。豊富な資金力を持つ煙草企業の組織的な支援があり、煙草企業が共同で出費する数百万ドルの訴訟対策資金を自由に使える為、様々な手が打てた。陪審員の一人が勤務するスーパーマーケットそのものを買収し、クビになりたくないなら我々にとって有利な票を入れろと陪審員に迫ったり、陪審員の夫を罠にはめて脅迫するなどの行為を平気でやる。 陪審員の操作は、フィッチにとって順調に進んでいるように見えた。が、ニコラスがまるでフィッチの行動を読んでいるかのように陪審団を思うように動かし始め、フィッチにとって有利な票を入れてくれそうな陪審員を次々追放する。 フィッチは焦り始めた。ニコラスとは何者か、と。フィッチは部下に命じてニコラスの住まいに不法侵入させる。しかし、何の情報も得られない。 そんなところ、フィッチに電話がかかる。マーリーと名乗る女性からだ。自分は陪審団の動向を完全に読めると言い張る。それを裏付けるかのように、彼女は陪審団の行動を的確に予言した。 裁判が不利な方向に向かっていると感じたフィッチは、マーリーの要求を受け入れる。無論、マーリーが何者か調査しろとも部下に命じた。 裁判は、弁護士らによる法廷の中の工作と、法廷の外の裏工作と共に進行した……。解説: 500ページ近くに及ぶにも拘わらず、人が一人も死なないという珍しい作品。それもそれでいいのだが……。 問題がなくもない。いや、たくさんある。 まず何よりくどい。陪審員を選ぶプロセスを事細かく述べている為、実際の裁判が始まるのは50ページ進んだ所である。裁判手続きに興味があるならともかく、そうでない者にとってそれだけで放り出してしまうだろう。 展開がのろい。煙草訴訟の為煙草の害や、煙草企業の罪について耳にたこができるほど聞かされる。というか、読まされる。 陪審員全員の動向が記されるのは仕方ないとして、陪審員が飯がまずいと言って裁判官に抗議する場面や、隔離状態でも家族と会いたいから手続きしろ抗議する場面や、隔離状態されている最中ずっとホテルに閉じこもっているのは嫌だから船をチャーターしろと抗議する場面まで入れるのはどうかと思う。 最大の問題点が、先がほぼ全て読めてしまうこと。マーリーとニコラスが実はつるんでいた、という事実は驚きに値しなかったし、フィッチが最終的に敗訴してしまうのも驚きに値しなかったし(フィッチがあまり優秀に見えず、これまで八回も勝訴を勝ち取ったのが信じられなかった。相手の弁護士がよほど無能だったのだろう)、マーリーの両親が煙草による肺ガンで死亡していて、それがフィッチを敗訴させたかった理由だという事実も驚きに値しなかった。 また、弁護士を「クライアントの為、そして最終的には自分らの為ならどんな汚い手段にも打って出られる連中」として描くのはどうかと思う。著者のジョン・グリシャム自身、弁護士なのだから。それともジョン・グリシャムは弁護士を自分の著作で特に悪く描いていると考えていないのだろうか。そうだとしたら弁護士というのは最低の連中である。 後味が極端に悪い訳ではないが、良いとも言えない。フィッチは敗訴するものの相変わらず活動し続けられるし、訴訟を起こして多額の金を手に入れることになった未亡人は既に別の男と付き合っていて、裁判の直後に再婚する予定だというし、マーリーとニコラスはフィッチから大金を騙し取ることに成功するものの、それを元金にして株取引(煙草企業の株)で大儲けするとさっさと盗んだ金そのものはフィッチに返してしまう。 とにかくことが予想通りに進むので、サスペンスに欠ける。 また、この本は法廷についてあまり知らない者にとっても理解し易いように書かれてはいるが(小説として成り立たせるため、法廷での手順などはかなり簡略されているようである)、アメリカ以外では理解し辛いだろう。たとえば日本は陪審制がないので、陪審員を選ぶ手順が非常に無駄の多い作業に見えるだろうし、訴訟の根拠となるtort lawそのものが日本と異なる(tort lawそのものが日本にはないようだ)。懲罰として企業が原告に対し4億ドル(500億円)を支払え、というのも理解し難いだろう(大半が弁護士に吸い上げられるらしい)。 最近、日本で部分陪審制の導入が検討されているが、本書はそれに対する警鐘になるのではないか(注:2004年4月に、国会は一般市民が裁判で裁判官と共に有罪・無罪を決める裁判員制度を導入する法律を可決)。関連商品:人気blogランキングへ
2006.11.23
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ベストセラー作家トム・クランシーによる新シリーズ。2010年を舞台にしている。粗筋: インターネットが世界にとって欠かせなくなった近未来。サイバーテロに対処する為、米国連邦捜査局FBIは新たな組織を誕生させた。ネットフォースである。 ネットフォースはネット上のバーチャルリアリティの世界を監視とすることと、現実の世界で起こるテロを取り締まることを任務としていた。 そんなところ、ネットフォース局長スティーブ・デイが武装集団によって暗殺された。副局長のアレキサンダー・マイケルが局長に昇格する。マイケルにとって局長としての初任務は、前局長の暗殺者を探し出すことだった。しかし証拠に乏しく、捜査はまるで進まなかった。前局長は長年マフィアの取り締まりを担当していた。暗殺を命じたのはマフィアなのでは、と疑う。 局長暗殺を命じたのは、アメリカから遠く離れたチェチェン共和国の実力者ウラジミール・プレハノフだった。彼はネットフォースを更に混乱に陥れる為、別の殺し屋セルキ-を雇い、新局長を暗殺しろと命じる。 セルキーは直ちにアメリカに渡った。セルキーは変装が得意な女殺し屋で、マイケルと接触するのに成功した。ただ、暗殺を実行する一瞬前に邪魔が入った為失敗した。セルキーは辛うじて逃れた。 マイケルの部下らは、ネットを駆使し、前局長の殺害を命じた者の正体を徐々に掴んでいった。 一方、セルキーは、マイケルを再度狙おうと考える。マイケルの警備が最も薄くなるのはネットフォース本部なので、本部に潜入するという大胆な計画を立てた……。解説: トム・クランシーの名が前面に出ているが、実際に執筆したのはピチニックだろう。トム・クランシーは原稿に目を通して部分的に手を加えただけと思われる。 ピチニックは、最近のトム・クランシー小説の形態(レインボー・シックスなど)をかなり受け継いでいる。本作品の主人公は第一線で活動する工作員ではなく、局長なのだ。局長なので、第一線に飛んで秘密工作を自ら実行することはできない。そんなもんだから、小説の大半はマイケル局長が「局長とは何て退屈な職だ」と愚痴をこぼしながら部下が大活躍して報告するのを待つ、というシーンが非常に多い。 他に、新副局長としてトニー・フィオレラ(女性)が登場する。優秀だ、という設定になっている。彼女は新局長に好意を寄せていた。が、彼女が何をするのかというと、新FBI捜査員と恋愛関係に陥る。無論、新局長に対する好意を捨てていないので、二人の男性との板挟みになり、悩む。新FBIは呆気なく死んでしまうので、問題は自然消滅してしまうが。 ネットフォースの実行部員ハワードには、中学生になる息子タイロンがいた。タイロンはパソコンが得意で、バーチャルリアリティの世界で頻繁に遊んでいる。ある日、好意を寄せている女の子が、勉強を教えてもらいたいので家に来てくれないかとタイロンに頼む。タイロンは昇天の気分になる。問題は、その女の子のボーイフレンド。ボーンブレイカーというあだ名を持つ乱暴者だった……。「これ、何の小説?オフィスラブを主体にしたメロドラマ? ガキの成長を描く青春物?」が、最初の感想。 シリーズの第一作なので、ネットフォースの内部事情や、マイナーキャラの状況説明などを盛り込んだつもりなのだろうが、テンションがなさ過ぎ。小説というより、低予算国際刑事ドラマ番組の初放送分をノベライズした感じで、本の分厚さの割には中身が薄く、スカスカ。 ネットフォースはサイバーテロと戦う専門組織という設定になっているが、本当にこんなのでサイバーテロと戦えるのか、と首を捻りたくなるほど無能な組織。事件を解決できたのは運が良かったに過ぎない。 敵のプレハノフも優秀な犯罪者ということだが、こちらも無能。彼はチェチェン共和国の政権を奪取する計画を立てていた。それにはネットフォースが邪魔になる、とどういう訳か決め付ける。ネットフォースを混乱させる為、アメリカマフィアを装って局長を暗殺させたのである。政権を奪取したいならさっさとそうすれば良かったのに、無駄な計画を実行に移したことで結局自ら地雷を踏んだ。馬鹿としか言いようがない。 謎の女殺し屋セルキーも優秀という設定になっているが、「ネットフォース本部なら警備は薄い」と判断して敵の本拠地に乗り込むのはどうか。もっと別の、リスクの少ない方法があっただろうに。自信過剰が仇となって失敗し、結局死んでしまうところを見ると、彼女が著者が主張するほど優秀な殺し屋とは思えなかった。 ネットフォース本部の警備も信じられないほどずさん。セルキーはどうやって本部に潜入したのかというと、本部で勤務する事務員を殺し、彼女に成りすまして表から入ったというのだ。 地方支部なら警備がいくらか薄くてもしょうがないが、局長がいる本部である。前局長が暗殺され、現局長が暗殺者(セルキー)に襲撃された後なのだから、警備は最高度に引き上げられていなければならないのに、暗殺者が変装だけで入れてしまうとはおかしい。指紋や、虹彩や、顔型などの識別システムを導入してなかったというのか。舞台となっている2010年はバーチャルリアリティ技術が進んでいるものの、警備技術は退化しているという訳か。 地方警察署なら不特定多数の人が出入りするので仕方ないが、特殊犯罪を取り締まる組織だと、一般市民は立ち寄らないので、出入りを制限できる筈。全国手配中の犯罪者が易々と本部に潜入できるとなれば、その組織の将来はかなり暗い。 戦闘シーンや格闘シーンなど手に汗を握る場面はあるが、あまりにも少なく、短く、一方的。退屈なドラマの間に埋もれてしまっている。 本作品はシリーズで、第二巻、第三巻と出ているが、個人的には次回作を大金を支払ってまで読みたいと思わない。こんなのよりフェニックス・フォースを読む方が100倍もマシ。 また、本作品はアメリカがネット景気で湧いていた時期に書かれた作品。ネットバブルが弾け、景気全体が低迷期に入っている現在、本作品で描かれているネット社会は非現実的。いや、単に馬鹿馬鹿しい。「バーチャルリアリティ国家」も、三流サイバーパンクみたいである。リアリティがなく、仮に実現化できても誰が使うんだ、と首を捻りたくなる。ハイテクと縁がない小説家が執筆の依頼を受け、慌ててハイテクについて学び、ハイテクワールドをどうにか捻り出してみました、といった感じ。 本作品は、ノロノロと展開しているなと思ったら解決の糸口がいつの間にか見えていて、結末に向かってダダッと突き進むという点では、トム・クランシー小説形態に沿っている。トム・クランシーの名前が掲げられていなかったら大して注目されなかっただろう。 つい最近読んだレインボー・シックスを物理的に半分にまで薄くし、内容的に半分にまで薄めたような、感動の少ない作品、が本作品の最終的な感想。レインボー・シックスより本の厚みが薄い、というのが唯一誉められるところ。関連商品:人気blogランキングへ
2006.11.23
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ウィリアム・フリードキン監督の映画にもなった小説。小説・映画がいずれも傑作という数少ない例。粗筋: クリス・マクニールは女優で、仕事の為ワシントンにいた。12歳になる娘のリーガンと一緒に住んでいた。 クリスは、リーガンの言動の異常に気付く。本人以外誰もいない部屋で誰かと会話を交わしたり、その会話の相手がなぜか狂暴化して自分を追い回していると訴えたりするのだ。 クリスは、精神科医に診せるべきか、とかかりつけの医師に相談する。かかりつけの医師は、精神病の症状と思われているものは実際には脳障害であることが多い、という。まず神経科医に診せるべきだとアドバイスする。 クリスは不安に思いながらもリーガンを神経科医に診せる。神経科医は様々な検査を行う。神経系の異常なら直ぐ分かる、と。しかし、どの検査にも異常は見られなかった。にも拘わらず、リーガンの症状は悪化する。まるで別人になったような言動を繰り広げるのだ。 打つ手をなくした神経科医は、ついに精神科医に診せることを提案する。クリスはなぜ最初からそうしてくれなかったのかと思いながらも、娘を精神科に連れていく。 精神科医も様々な検査を行う。母親の離婚と、父親が電話してこないことのストレスが原因ではないかと当初は思い、その方面で治療を続けるが病状は悪化するばかりで、回復の兆しさえ見えない。さじを投げた。 リーガンは狂暴化し、悪魔に取り付かれているとしかいえない状態に陥った。精神科医はクリスに提案する。悪魔払いをしてみたらどうだと。悪魔払いそのものに効果があるのではなく、儀式の模様が患者を精神的に刺激し、患者自身が自分を「治癒させる」効果があるのだ、と。 クリスは、側の教会で、精神科医でもあるカラス神父を探し出し、悪魔払いをしてほしいと頼む。 カラス神父はそんなことはできない、と拒否する。悪魔払いは教会でさえ時代遅れと見なしており、悪魔払いを望む者が本当に必要なのは医者なんだ、と。悪魔払いを行うにも上層部からの許可が必要で、その申請にも悪魔に取り付かれているという決定的な「証拠」がなければ無理だ、と。ただ、クリスの説得で、カラス神父はリーガンに会うことにした。 リーガンと会ったカラス神父は、精神科医と聖職者の立場からリーガンの症状を調べ始める。最初は疑っていたカラス神父だが、ついに悪魔払いの許可を申請する。 教会上層部は悪魔払いを許可する。カラス神父は悪魔払いの経験がないので、経験のある老神父を送り込む。メリンだ。 メリン神父とカラス神父は悪魔払いに挑むが……。解説: 以前読んだことがあるので、再読ということになる。 最初に読んだのは10年前。通常は、10年前に文句なしに面白いと思った小説も、10年経ってから読めば少しは印象が変わるはず。 あまり変わらなかった。 少し前映画のディレクターズカットを観ていたこともあったのだろう。その場面が蘇ってきて、無理なく頭に入っていくのだ。 映画同様、最初はたるいものの、いつの間にか核心に入っていて、ずんずん引き込まれていった。途中、ゾクッとする場面が散りばめられ、ラストになだれ込む。最初から最後まで紙面から異様な雰囲気が漂う小説だった。 大抵の本は、読むのを簡単に中断できるが、本書はなかなかできず、3日足らずで読み終えてしまった。この点も10年前に読んだ時と同じだ。 400ページ弱という長さもいい。最近の本は400ページ以上、500ページ以上が当たり前。その割には中身が薄い。しかし、本書は中身が濃い上に、長さを感じさせなかった。 問題点と言えば、無駄なキャラがいることか。キンダーマン警部と、ダイヤー神父である。いや、双方とも重要な役割を果たすので、無駄なキャラではないのだが、言動が気に入らない。キンダーマンもダイヤーも図々しい感じで、読んでいて腹立たしく、そういう場面に限って長々としている。 キンダーマンはコロンボを真似たのだろうか? いや、1971年の作品だから、コロンボがキンダーマンをお手本にしたのだろうか。昔はこういうキャラも楽しめたが、今は楽しめない。 映画では、リーガンが明らかに悪魔に取り付かれていたが、原作の方はそれほど明らかではない。どんな奇妙な現象に対しても、科学で説明できないわけではない、という風になっているからだ。 結局リーガンは悪魔に取り付かれたのか、それとも単なる病気だったのか、という疑問は、読者それぞれの判断に任せる、というスタンスなのである。ま、フィクションなので、前者に偏っているが、見方によってはリーガンの心の病に周りの者が奔走され、あのラストに至ったという結論にも達することができるのだ。 この点に関しては、ブラッティは上手いというしかない。 ブラッティがこの後小説を書いたという話は聞いていないのは残念である。ブラッティは映画エクソシスト3の製作に携わったが、あまり成功しなかったようだ(エクソシスト2には全く関わっていない。駄作だった)。関連商品:エクソシスト人気blogランキングへ
2006.11.20
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北アイルランド人James E. WhiteによるSFファンタジー。粗筋: ハイバーニア王国は、古代エジプトや西のレッドメンとの友好関係により、強力な産業国へと成長した。パックス・バイバーニアを謳歌する数世代にわたる発展で更に力を付けた王国は、ついに人類最大の偉業を進めることにした。太陽系を脱し、別の星系で新世界を築くことだった。 ヒーラーのノーランは、宗教国のハイバーニアでは異端者と見なされる無神論者。にも拘わらず、新世界へ旅立つ宇宙船のクルーに選ばれた。 しかし、この新世界樹立の計画は、ハイバーニアを含む様々な国家や宗教団体の陰謀合戦が繰り広げられていた。ノーランはそれらを乗り越え、旧世界を脱した。1492年のこと。 高度技術を誇るハイバーニアも、超光速航行技術は確立していなかった。新世界に到着するまで200年もかかるのだ。冷凍冬眠により殆ど年をとることなく新世界の軌道に乗れた。 新世界樹立計画のリーダーは宗教者。自分を中心とした理想の宗教国を新世界に誕生させたいと願うリーダーは、無神論者のノーランを快く思っていない。そこで、ノーランが搭乗する着陸船が予定地とは全く異なる場所に不時着するようサボタージュした。ノーランは、他のクルーと共に予定地まで徒歩で移動し、この試練にも耐えた。 たまりかねたリーダーは、ノーランを旧世界へ送り返すことにする。新世界の成果について報告する為、の理由を勝手に付けて。反対できないノーランは、宇宙船で旧世界に戻る。200年にもわたる冷凍冬眠の星間宇宙飛行で、旧世界に戻った。解説: ……この話は別の世界の話ではなく、パラレルワールドでの出来事だった。現実の世界では1492年にコロンブスがアメリカ大陸を発見しているが、この世界では同じ年に地球を離れ、星間飛行を果たしていたのである。 しかし、ノーランが400年もかけて戻った旧世界は、自分が知っている世界ではなく、現実の世界だった(1990年代後半)。 小説は、NASAの連中が、地球がパラレルワールドで全く別の発展を遂げていたのを知って驚愕するところで終わっている。 ……というストーリーだから、最初は読み進んでも何が何だか分からない。エジプトなど、現在にも通じる国名が出るが、国家の多くが王政であることや、宗教組織が強力な権力を持っていることから、未来でないのは明らかだから。 読んでいる内にスターウォーズみたいに地球とは異なる全く別の世界でのおとぎ話なのかな、と納得してエピローグに達した時点で、パラレルワールドでの出来事であるのが知らされるからびっくりした。 その結末の強烈さから、最初に読んだ時は文句なしに面白い、と思っていたが、後になって読み返してみると、宗教臭さが強烈でウンザリするし、結局ノーランは宗教団体のリーダーに最後まで振り回されるという後味の悪い結末にもウンザリした。 最初読んだ時は傑作と思っていたのに、改めて読むと粗や欠点が目立ってどこを傑作と思ったんだか、と自分の読解力を疑いたくなる作品。 宗教臭さを減らして350ページ程度にすれば、後味が多少悪くてもそれなりに読めたと思うのだが、長い上に主人公が散々弄ばれるのを見て腹が立つだけ。関連商品:人気blogランキングへ
2006.11.20
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ニューヨークに住むベストセラー作家ウィットリー・ストライバーの著作。粗筋: 寂れた村に住むブライアン・ケリーとベトナム人の妻ロイ。ベトナム戦争の傷が未だに癒えていないブライアンは、ロイの出産を心待ちにしていた。 そんなところ、付近と土地で地面が異様に盛り上がっているのに気付く。そこからなぜか人の声がした。このことを警察に伝えるが、気のせいだろうと一蹴されてしまう。 村では奇妙なことが起こり始める。と思ったら、村はいつの間にか怪物軍団に乗っ取られていた。住民が次々殺されていく。 ブライアンと、ロイと、近所の者は団結して怪物と戦いを挑むが、一人、また一人と殺される……。解説: 結局町を乗っ取ったのが何であるか最後まで説明されない。ま、説明されても理解できなかっただろうが。 登場人物はかなり書き込んであるが、その割にはどれも薄い。薄くないのはブライアンと、ロイと、女性新聞記者のエレンくらい。ブライアンとエレンはそんなに悪くないが、ロイは最悪。嫉妬深いし、勘違いはするし……で、好感が持てなかった。 エレンが死んでロイが生き残るのは納得できなかった関連商品:人気blogランキングへ
2006.11.20
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アメリカのSF作家フレデリック・ポールの著作。粗筋: 人類は地球を飛び出し、火星にもコロニーを築き上げていた。テラフォーメーション(地球環境化)が進んでいない火星では、住民は密閉された空間で生活することを強いられていた。生活は厳しく、「火星人」は地球からの財政支援抜きでは生存さえできず、同じ人類でありながらも地球人からは二流市民扱いされていた。 火星を支援することは地球にとって大きな負担となっていた。にも拘わらず支援していたのは、もし火星の地球環境化が成功し、火星が広大な農地となり、食料を地球が輸入できるようになれば、地球の食糧問題は解決すると見られていたからである。火星の地球環境化計画には日本やロシアやヨーロッパが投資していたが、どこより投資していたのがアメリカだった。 火星の地球環境化計画は、次の通りである:冥王星の外にはオルト雲がある。ハレー彗星などの彗星は、ここから誕生する。彗星は様々なミネラルを含んだ氷の塊である。彗星を人工的に太陽系の中心に向かわせ、火星に衝突させる。衝突により彗星は分解し、大量のガスが発生する。それが火星の大気となり、最終的には火星を生命維持機器抜きで住める環境へと変えるのである。 デッカーは火星生まれ。他の火星人同様、裕福とはお世辞にも言えない暮らしをしていた。しかし生まれながらそのような環境に育っていたので、自分のことを不幸だと悲観することはなかった。 デッカーは火星が地球同様の大気を持ち、肥沃な農地となることを夢見ていた。それを支援する為、彼はオルト・マイナーになることを願った。オルト・マイナーとは、オルト雲で彗星を抽出し、太陽系の中心に送る技術者のことである。 残念ながら、火星は貧しい。オルト・マイナーの技術を習得するには地球にある訓練学校を卒業しなければならないが、デッカーは地球への旅費さえ捻出できない。 そんなところ、長年消息を絶っていた父から連絡が来る。資金を調達するから、地球に来い、と。デッカーは訳の分からないまま地球に向かった。 訓練学校に入学するには、まず試験に合格することが必要だ。デッカーは自信がなかったが、父はどこからか試験用紙を入手した。カンニングである。デッカーはそうと知らずそれを使って勉強し、試験に合格した。 訓練学校で、デッカーは様々な生徒や教師と出会う。地球人が火星人を二流と見なしていることを嫌なほど感じる。 一方、デッカーにとって不利なニュースが耳に入ってきた。火星地球環境化計画は時間も金もかかり過ぎることから、撤退もしくは縮小するべきだと主張する国が出てきたのだ。特に日本は地球軌道上にスペースコロニーを建設し、そこで食料を栽培・収穫するという計画を進めていて、こちらの方が火星地球環境化より安く早く完成するという。その計画が実現すると、火星コロニーは用済みになる。火星人は完全に見捨てられるか、財政支援の継続の為より不利な条件を飲むか、の二者択一を迫られていた。火星人の代表となったデッカーの母は、地球諸国政府との交渉で苦難の日々を送っているという。 デッカーはそのニュースを聞きながら、オルト・マイナーの訓練を続けた。 途中、デッカーは衝撃の事実を知る。生徒の多くがカンニングで入学し、進級していると。学校側に報告しようとするが、教師が多数関係していて誰に報告すればいいのか分からない上、自分自身もそのカンニングで入学したことを知らされ、何も言えなくなってしまった。 数年後、デッカーはようやく卒業し、火星軌道上の宇宙ステーションに配属される。 宇宙ステーションでの生活にも慣れてきた頃、デッカーは宇宙ステーションで何らかの陰謀が実行に移されるのを知る。 その陰謀とは、宇宙ステーションを乗っ取り、太陽系の中心に向かっている彗星の軌道を変え、地球――日本――に衝突させることだった。こうすれば、日本やヨーロッパは火星地球環境化計画の離脱を撤回する(陰謀が成功すれば日本が残っていない可能性が高かったが)。火星地球環境化計画に多額の投資をしているアメリカにとって有利だし、火星にとっても有利な陰謀である。 陰謀にはデッカーの同級生や教師が多数加わっていた。カンニングで入学した生徒が多かったのも、教師がカンニングに加わっていたのも、この計画の為だった。デッカーが入学できたのも、母が火星代表の為、陰謀に参加するだろうという考えがあったからだ。 デッカーは困惑する。火星人として、火星の地球環境化計画が中止になったり、遅れたりするのは避けたいと考えているので、陰謀の根拠は理解できる。しかし、陰謀が成功すれば、多数の地球人が死ぬ。どうすればいいのか。 デッカーは迷わず陰謀の阻止を選んだ。陰謀者を宇宙ステーションの一郭に封じ込めることに成功する。解説: 無駄に長い感じがする小説。 訓練模様が本の大半を占め、陰謀阻止の部分は短くて呆気なく終わってしまう。この程度のストーリーで280ページ(字が細かいので、普通の本の350ページに相当する)にもしてしまうのはちょっと……。 単調で、最後まで盛り上がらない。 ハードSFはみんなこうなのか。 火星があまりにも貧しい為に争いごとがなく、そこで生まれた火星人は暴力を理解せず、戦争がまだある地球や地球人を文明的でないと考えている……、という設定はどうかと思ってしまう。貧しいと逆に争いごとが起こると思うが。現に、アフガニスタンはそうだろう。それとも火星の居住地は地球の資金援助で成り立っている為、そのような争いごとは有り得ないのか。 とにかくデッカーが反暴力・反戦姿勢を頑固なまで固持するのは呆れた。著者にとっては理想のキャラかも知れないが、こちらにとっては非現実的なだけで、馬鹿にしか見えなかった。 デッカーの愛読書が「ハックルベリー・フィンの冒険」というのもどうか。デッカーはこの小説が面白いというが、学校で読まされた自分としてはどこが? と思ってしまう。こう感じた読者は多かったのでは? 作中の「いかだの法律」について、デッカーが何度も述べる度に嫌になった。 デッカーは地球人からすればうとい田舎者だが、精力だけは旺盛。女の後を追っかけてばかりいる。本作品でも何人もの女と付き合う。それでもうとさを失わないのはある意味超人的。 本作は五、六年に及ぶデッカーの成長振りが描かれているが、時間の経過が明確に記されていない為、登場人物が急に年を取っている錯覚に見舞われることが多かった。 本作は1980年代後期から1990年代初期に書かれたと思われる。日本がバブルで浮かれていた頃。その繁栄はアメリカ人である著者の目からも永遠に続くように見えたらしい。本作では未だに日本が経済大国としてアメリカやロシアや欧州と肩を並べていることになっている。その後の日本の不景気振りを見ると、信じられない話。中国の存在がまるでないのは、不気味でもある。 現在著者が同様の小説を書いたら、アジア代表は日本ではなく中国になっていただろう。 惑星間飛行が可能な未来が舞台となっている割には、技術や思想はそう進んでいないようだ。医療技術があまり進んでいない証拠としては、エイズは性病として健在であること(ワクチンはあるようだが)が指摘できる。思想が進んでいないことは、地球人が火星を単なる植民地としか見なしていないことから明らか。 著者は、たとえ宇宙に飛び出せるようになっても人間なんてそう変わらない、と思っているのだろうか。関連商品:人気blogランキングへ
2006.11.20
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元イギリス外交官マイケル・ハートランドによる諜報小説。粗筋: 天安門事件から間もない時期。中国は各地の反政府運動で頭を痛めていた。政府首脳は、反政府組織が外国政府の支援を受けて政府を転覆するのでは、と恐れていたのである。 また、イギリスも、1997年の香港返還を前に様々な諜報活動を繰り広げていた。 中国諜報局に属するTangは、実はイギリスに通じている二重スパイである。彼は、アメリカ海軍諜報部のRoperを通じて、西側のある国の海軍に潜入している中国側スパイ・スコーピオンの管理役になったことを知らせる。 イギリスとアメリカは、スコーピオンの正体を何が何でも知りたかった。Tangに対し、スコーピオンの正体が知りたいと言う。 しかし、中国はTangが二重スパイであることに気付いていた。Tangをスコーピオンの管理役にしたのは、彼が二重スパイであることの証拠を掴む為だった。Tangは、Roperと会っていたところを写真に撮られ、それをきっかけに中国政府に逮捕された。 Tangは知っている事実を全て喋ることを強制された後、処刑された。 一方、イギリスが所轄する香港では、スコーピオンを暴く為、米英共同で捜査が進められていた。イギリス女性諜報局員のSarahと、アメリカ諜報局員のGattiは、元イギリス情報局長で、現在はマカオに住んでいる中国人Fooの力を借りようとする。 それに気付いた中国政府は、脅迫の一環として、工作員のLutherとJosieを送り込む。Sarahの住まいは爆破され、Gattiの家族は殺された。 イギリス諜報部は、中国国内の反政府組織を支援する為、諜報員を一人中国に送り込むことにした。Sarahがその役を買って出る。 Sarahの恋人でもあるRoperは、その計画に反対する。上層部と掛け合って計画中止命令を得る。しかし、一歩手遅れで、Sarahは既に中国に入国していた。 Sarahは中国国内の反政府組織のリーダーと会おうとするが、中国軍に襲撃された。会合は失敗に終わり、Sarahは中国を逃げ回る羽目になる。 LutherとJosieは、Fooの拉致に成功した。 Fooは中国に連れ去られた。中国諜報部に尋問される。別の場所へ輸送される途中で、反政府組織に救出される。Sarahと再会できた。 香港では、スコーピオンの正体を暴こうと、イギリス諜報部は怪しいと睨んだ人物を次々逮捕した。しかし、どれも性格的問題を持ちながらもスコーピオンとは無関係だった。 SarahとFooは、一人の反政府組織メンバーの助けを借りて、香港に自分らの位置を伝える。イギリス諜報部は、救出作戦を決行することにした。ヘリコプターを中国内に潜入させ、二人をピックアップする、と。ただし、上層部は追加の命令も与えた。二人の救出がどうしても無理な場合、中国側の手に渡らないよう、二人を始末しろと。Roperはその追加命令に反対するが、上層部は却下する。 ヘリコプターは中国に潜入するが、LutherとJosieが率いる中国軍が待ちかまえていた。ヘリコプターは撃墜される。SarahとFooは中国を逃げ回り続けなければならなかった。 SarahとFooは、中国沿岸にたどり着いた。Roperが送り込んだ海軍特殊部隊によって救出される。 香港のある病院には、中国から越境しようとしたところを撃たれた少女が収容されていた。Tangの娘である。その娘は証言する。中国政府は、Tangが二重スパイであることをかなり以前から気付いていた。Tangの知らぬ間に、家族を監獄に収容していたのだ。娘は運良く監獄から脱出し、香港に渡れた。 イギリス諜報局は、Tangの娘を尋問している内に、重大な事実に気付く。RoperがTangと中国で会っていた筈の日、Tangは家族と一緒にいて、一時も離れていなかったというのだ。 スコーピオンはRoperだった。 Sarahは、恋人でもあるRoperと会う。Roperは自分がスコーピオンであることを認める。自分は大したスパイではなかったが、良家の出身で、退役後政界に転じる予定だった。中国政府はそれを期待してスコーピオンを重宝していたのだ。 Roperは中国へ逃亡しようとするが、途中で射殺される。 一方、Lutherは、自分が中国政府から疎んじられているのを知っていた。諜報の世界から足を洗い、オーストラリアで逃れようと決める。愛人でもあるJosieと一緒に逃亡しようと考えるが、Josieは中国政府に忠実だった。Lutherを殺し、中国へ帰る。解説: ……という、月並みの諜報スリラー。 天安門事件直後の1990年代初期、イギリスは香港返還を目前に、かなり懸念を抱いていたらしい。中国政府が転覆され、大混乱に陥ると。 現在となっては笑い話に過ぎない。 中国政府は転覆されなかった。むしろより堅固になっている。中国経済は成長し続け、世界の工場と成りつつある。各国政府や企業も中国の13億人の市場を狙って言いなりになっている。 作中では、香港から人材が大量に流出しているとなっているが、実際には、返還直前から一旦香港から出た人材が香港に戻っていた、という有り様。香港の住民も作中とは異なり、返還に関して冷静だった。 イギリスは中国が混乱に陥ると本気で思っていたのだろうか? 奇妙に思うのは、中国は混乱に陥っていると作中で何度も言われながら、その諜報部はかなり効率的に機能していること。Tangが二重スパイであることを掴むし、SarahとGattiの襲撃に成功するし、Fooの拉致に成功するし、スコーピオンのリクルートに成功するし、ヘリコプター救出を阻止するし……。成功率がかなり高いのである。最終的には勝つのだ。 その反面、「優秀」な民主主義勢力のイギリスやアメリカは失敗ばかり。Tangを暴かれるし、Fooの拉致を許すし、ヘリコプター救出作戦を失敗するし、スコーピオンの捜査過程で無実の者を逮捕して死に追いやってしまうし……。スコーピオンの正体を掴めたのもほんの偶然なのである。 なぜ中国はここまで優秀で、イギリス・アメリカはここまで無能なのか。Roperがスコーピオンであったことに作中の登場人物の大半は驚いていたが、こちらは半分読んだところで予想できたので、判明した頃には何を今更、と思った。 Roper/スコーピオンは大物二重スパイ、とされながら、実際にはそうでなかった。それどころか恋人のSarahが中国政府に渡らないよう、必死に努力する。Sarahの中国潜入作戦を阻止しようとしたし、ヘリコプター救出が失敗したのも、彼が中国側に知らせたからだ(Roperがどうやって西側に気付かれることなく中国側に知らせることができたのかは不明)。Sarahがヘリコプターと合流したら、始末されるだけだと判断したのだ。 それを知ってか、SarahはRoperを逃してしまう。Roperは追手を振り切れず、最終的には死ぬが。 なぜSarahは逃したのか。恋人ではあるが、裏切り者でもあるのだ。彼のお陰で多数の人間が死んでいる。優秀な諜報局員なら、上層部に引き渡していただろう。恋愛物語にしたのは失敗といえる。 結局中国側は優秀な人材が揃っていて、西側はそうでない、てことか。 いや、それも正しくない。中国側の工作員Lutherは大して優秀ではなかった。というか、途中まで優秀なのに、最後になってから突然馬鹿になり、その為殺されるのだ。 Lutherはさっさと逃げればよいものを、愛人のJosieが来るまでジッと待つのである。Josieのことを忘れて逃げていれば、助かっただろう。 愛人の本心を見抜けず、その愛人に殺される低能工作員。 本作では、Gattiの家族を実際に抹殺したJosieが何でもないように中国へ帰る。それだけでも中国が勝ったといえる。 カタルシスも何もない小説。関連商品:人気blogランキングへ
2006.11.17
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イギリス人作家ピーター・エセックスによる、返還前の香港を舞台にした警察小説。 なぜか知らないが、表紙に漢字で「孫悟空」と書かれている。孫悟空らしい京劇について述べてはいるが……。粗筋: 1997年の返還が近付いている香港。 香港市民の間では緊張が高まっていた。 一方、中国政府は返還の準備を着々と進めていた。香港行政府に対し、反政府組織の取り締まりを要求する。 そんなところ、白人刑事フォレスターは、二つの事件を同時に担当することになった。 怪僧タンが率いるとされる革命組織の取り締まりと、部下ラムの新妻を誘拐して殺害した犯罪者の逮捕である。 しかし、双方とも困難を極める。 タンは、捜査に加わっている別の部下を誘惑して捜査を混乱させている上、新妻を誘拐・殺害した犯人ロニーは悪運が強く、捜査の手からきわどいところで逃れるのだ……。解説: ……なぜ二つの事件を同時に扱うことにしたのかさっぱり分からない。作者は、登場人物の注意を分散させ、対応を困難にさせ、ストーリーを盛り上げようとしたのかも知れないが、二つの事件は全く関連性がない為、読者の注意まで分散させ、ストーリーが盛り下がる効果をもたらしているだけなのである。 どっちか一つにすればシンプルな読み易いものになっただろうに、と思ってしまう。 200ページあたりからはロニーが単に悪行を繰り広げる様子と、タンやその弟が様々な訳の分からない行動を繰り広げる様子が描かれるだけで、フォレスターの捜査は全く進展しない為、中ダレする。 300ページ以降は流し読みしているだけだった。頭に入っていないのに気付いて、読むのをやめた。 途中、つまらない詩が挿入されているのもウンザリさせる。 どちらかの事件に絞っていれば緊張感のある200ページ程度の小説になっていただろう。多面的な小説もやり方によっては効果的だが、これは失敗例。 この時期、イギリスでは香港返還を恐れる中国系市民を描く小説が流行っていたらしい。現実はかなり異なっていたようだが。関連商品:人気blogランキングへ
2006.11.16
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アメリカ先住民とスパニッシュ系の混血刑事ジョニー・オーウィッツが活躍するミステリー。白人の偏見にさらされながらねばり強く捜査するマイノリティ刑事の姿が描かれている。粗筋: 山の中で土砂崩れが発生した。土砂の中から死体が見付かる。一見事故死のようだったが、現場には被害者以外の足音があり、爆発音がしたことから、これは事故死ではない、と駆け付けたサントクリスト市警のオーウィッツ刑事は直感する。 発見者のペトリーは、被害者をどこかで見た覚えがあるという。オーウィッツは捜査を開始した。 被害者の名は直ぐ分かった。ジョン・アップフィールド。不動産業に携わっていた。サントクリスト市の者ではなく、旅行者のようだった。オーウィッツはアップフィールドが泊まっていたホテルの部屋を確認する。スーツケースには女性のヌード写真があった。素人のスナップショットではなく、カメラマンによるものだった。 アップフィールドの死因は生き埋めだったが、土砂崩れは爆薬によるものだった。つまり殺人である。 被害者の妻が到着する。ヌード写真の女性は妻だった。被害者はなぜ妻のヌード写真なんか持ち歩いていたのか、とオーウィッツは思う。写真を撮ったのは発見者のペトリーらしいことが判明した。被害者はそのことを知っていたらしい。サントクリスト市に来たのも、ペトリーに妻との関係を問いただす為だった、とオーウィッツは推理する。怪しい。ペトリーは元ベトナム参戦兵で、爆破担当だった。ますます怪しい。ただ、犯人と思われる現場の足跡と一致しない。 被害者には、ウィリアムズという男と共同で不動産業を営んでいた。ただ、不景気の影響から、経営は苦しかった。サントクリスト市にもビルを所有しているが、ガラガラだという。 そんな矢先、火災があった。アップフィールドとウィリアムズが所有しているビルの隣にあるオフィスビルである。中から死体が発見された。「プロ」の放火犯だった。保険金を狙うビルの所有者に雇われて放火を請け負う者である。ただ、火災が起こったビルは経営が上手くいっていて、保険金を狙う必要はない。しかし火災の後、賃貸者は隣のアップフィード/ウィリアムズのビルに移った。お陰で、経営難のビルは救われた。 オーウィッツは、ウィリアムズを疑う。競争相手の客を奪う為に隣のビルを放火させたのでは、と推理する。ただ、アップフィールドの死とどう繋がるのか……。 オーウィッツの恋人キャシーは、考古学者だった。付近の遺跡を訪れる。そこは爆破されていた。アップフィールド殺害の現場に残されていたのと同じ足跡があった。犯人はここでアップフィールド殺害の為の練習をしていたのだ。 被害者の妻は、夫の莫大な遺産を相続した。ストリップダンサーをしていた頃からすれば天と地の差である。オーウィッツは彼女も疑う。しかし犯行時、彼女はサントクリスト市にはおらず、爆薬に関する知識もなく、現場の足跡とも一致しない。 オーウィッツは、ふとした機会でウィリアムズの家を訪れる。すると、彼の足跡こそ現場にあった足跡だと知る。ペトリーの知人で、別荘を建てる際、土地をならす為に爆破を使ったが、その知識に関してはペトリーから手ほどきを受けていた……。 ……アップフィールドとウィリアムズは共同で不動産業を営んでいたが、アップフィールドは財力があった為本業が利益を生み出さなくても大丈夫だった。が、ウィリアムズは資産家ではなかった。ウィリアムズは、所有しているビルの収益を上げる為、隣のビルに放火しようと考えた。アップフィールドがそんな計画に同意する訳がないので、アップフィールドを殺すことにした。 この計画にはアップフィールドの妻も参加していた。二人はペトリーに罪を擦り付ける為、アップフィールドに妻のヌード写真を送った。ペトリーに会いに行くだろうと考えたのだ。アップフィールドは二人の思惑通りに動いた。 ウィリアムズはサントクリストへ飛び、共同経営者を山の中に誘い、爆死させたのである。解説: ……という、ストレートな、意外性やメリハリに欠けるストーリー。 オーウィッツが現場の足跡が被害者のビジネスパートナー・ウィリアムズだと気付くのにかなり時間がかかるのは呆れた。サントクリスト市警は足跡の型を取らないらしい。型を取らないまでも、関係者を渡り歩いて足跡を確認していれば直ぐ発覚しただろう。なぜそれくらいのことをしなかったのか。 足跡にこだわる刑事にしては、足跡を積極的に捜査しない。 サントクリスト市警では、刑事事件捜査は単独で捜査するらしい。本編においても、事件はオーウィッツだけで捜査していて、他の刑事の存在は全く感じない(一人が相棒として登場するが、行動を殆ど共にしない)。オーウィッツの上司も分からずじまい。総勢でローラー作戦をかけて捜査する日本では有り得ない展開である。 本編には無用と思えるキャラが多い(シリーズのレギュラーキャラか?)。地元の国会議員(昼間なのにやたらと酒を飲む)や、市長や、訳の分からない老人や、売春宿のマダムや、オーウィッツの恋人や、女性地方検事など。 これらがオーウィッツと敵対して捜査を妨害したり、オーウィッツの味方をよそって実は捜査の足を引っ張ったり、味方ではあるが捜査の早期解決を迫って結局捜査を遅らせたり、あるいは中立的な立場を保ってオーウィッツの捜査を困難にしたり……となっていたらストーリーもそれなりに盛り上がっただろうが、それもない。全員が揃って善人で、オーウィッツを味方するのだ。盛り上がりもサスペンスもない。 なぜ国会議員や市長が一殺人事件の捜査の行方に関して「解決しないと選挙に負ける」とジタバタするのかさっぱり分からなかった。 犯人の動機も理解し辛い。ビジネスパートナーを殺して会社を乗っ取り、隣のビルに放火して客を奪う、という手の込んだ行動をとるより、自分のシェアを資産のあるパートナーに売り飛ばして身を引いた方が合理的。合法でもある。なぜ犯罪に走ったのか。 また、犯行の手口も理解できない。なぜ土砂崩れによる事故死に見せかけようとしたのか。単に殺したら怪しまれる、と恐れたのか? それならなぜパートナーが殺害された直後に放火を決行したのか。パートナーの死は自分に容疑がかかるが、ビルの放火の容疑は自分にかからないと判断したのか? 付近の遺跡で爆破の練習をしたのも分からない。遺跡なんかで練習したら直ぐ警察が駆け付けて、捜査をするのでは、と考えなかったのか。 また、放火そのものも分からない。爆破の知識は持っているのに、なぜ自分でやらず、放火犯を雇ったのか。口封じに殺してしまったのも理解できない。自分の罪を増やしただけである。 しかも、一度の放火で数人の賃貸者を得ることで、不振に喘いでいたビジネスが一気に好転する、というのもおかしい。その程度で好転するならもっと合法的な手があったと思う。 オーウィッツは、犯人について「頭が良く、危険な奴」と評していたが、犯人は特に頭が良かったとは思えないし、危険でもなかった。 日本では、放火は入念に捜査され、保険会社も安易に保険金を支払わない、というイメージがある。が、アメリカでは、経営者は経営難に陥ると直ぐ放火し、保険会社も経営者の仕業と知りながらも面倒な法廷争いを嫌って保険金を払ってしまうらしい。保険料を引き上げた方が楽だと考えているのだ。変な国である。 登場人物の多くは、爆薬の知識を持っていた。アメリカには爆薬を取り扱える奴がわんさといるらしい。 恐ろしい国である。 結局一番怪しそうな(オーウィッツに対し差別意識を持っていた)連中が犯人だった、オーウィッツの推理は最初から正解だった、で本編は終わる。 表紙には「Mystery」の文字が見られるが、結末が四分の一を進んだ段階で読めてしまうミステリーの欠片もない刑事物。 また、登場人物の名前も紛らわしい。 刑事の名はJohnny。被害者の名はJohn。同じ名前だ。 刑事の恋人はCassie。女性検事の名はCathy。発音するとほぼ同じ。なぜこんな名前にしたのだろうか。関連商品:人気blogランキングへ
2006.11.02
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女流作家T. J. MacGregorによるクイン・マクラリー・シリーズ。粗筋: クインとマクラリーは探偵カップル。結婚していたが、ある事情で別居生活していた。 二人は友人のニコルズ夫妻と共にフロリダのエバーグレーズ大湿地帯へキャンプに行くことになった。が、そこでは社会を捨てて先住民のような暮らしを送っている「クラン」というグループがいた。四人はその「クラン」に捕まってしまう。マクラリーは脱出に成功するが、クインとニコルズ夫妻は捕まってしまう。マクラリーは救助隊を編成して妻と友人を救おうと動くが、天候が悪い上、広大な大湿地帯が相手では為すすべもなく……。解説: やり方次第では非常に面白くなれただろう作品。 少なくともプロローグはそれなりに楽しめた。 残念ながら、この作家はストーリーを引っ張るほどの筆力はなく、ただただ無駄に長いだけの退屈なものになっている。どうでもいいような描写が多くて一気に読むことができず、結局二ヶ月もかかってしまった(数週間触らなかったこともある。読み終えられたのは、旅行での電車で暇を潰す必要が生じた為)。 まず、キャラがつまらなさ過ぎ。主人公のクインもマクラリーも存在感がない。ニコルズ夫妻も腹立たしいだけ。特に妻のリディア・ニコルズは麻薬付けのどうしようもない女、という設定だから共感のしようがない。パニックに陥ったリディアは思考力が幼児段階へと後退してしまい、クインを困らせる……、という展開は読んでる方を呆れさせるだけ。 シリーズ第一作から読んでいればよかったのかも知れないが、本作品で初めて本シリーズに触れた僕は、作中に出る過去の作品のレファレンスが内輪事にしか思えず、その意味でもつまらなかった。 プロットもダラダラしているだけで退屈。クインが「クラン」に捕まっては脱出する……の繰り返し。「クラン」は単なる世捨て人の集団で頭がいいとは思えず、こんなのに対処するのに300ページもかかるなんておかしい。 200ページ程度にまとめていたらまだ読めただろう。なぜ300ページの大作(?)にしたのか全く不明。 クインがマクラリーの子供を妊娠する……、という終わり方も、アホらしい。 読み通して損した気分になった一冊。 少なくとも本作品を読んでエバーグレーズ国立公園に行ってみようという気は起こらなかった。関連商品:人気blogランキングへ
2006.05.15
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アンティーク・ディーラーで贋作者でもあるラブジョイ(名字。下の名は不明)の香港での冒険。粗筋: ラブジョイは、ふとしたことから香港へ逃亡することになった。が、香港到着直後、持ち金もパスポートもすられてしまった。そこでラブジョイは、旅客機で知り合った男を頼ったところ、金持ちの女とお付き合いをして金を巻き上げるジゴロになっていた。 そうしている内に、ラブジョイは香港の犯罪組織と関わりを持つようになる。犯罪組織はラブジョイの素性を知り、贋作を作るよう迫った。ラブジョイは、実在もしない芸術家を創造し、その人物の作品を制作し、古い名画としてオークションで売りさばくことを提案した。 ラブジョイは数々のトラブルを乗り越え、オークションを成功させると、香港から脱出する。解説: ……色々起こっているのだが、訳の分からないキャラが数多く登場し、訳の分からない行動を取る為、ストーリーの展開についていけなかった。文体も駄目。無駄が多過ぎ、長過ぎ。香港の裏社会の観光ガイド(?)や、過去の贋作者のガイドブックの役割も果たしたかったようだが、退屈。読み飛ばしていた。 主人公のラブジョイも退屈。名贋作者、つまり有能な犯罪者の筈だが、その割には隙が多く、周りに翻弄されてばかり。本の大半はラブジョイが自ら何か行動を起こすというより、他のキャラがお膳立てしたことをラブジョイが訳も分からずやっているだけ。 緊迫感はあるのだろうが、こちらには伝わない。 最初から最後まで意味不明の小説だった。関連商品:人気blogランキングへ
2006.04.11
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エドガー賞受賞作家リック・ボイヤーのドック・アダムズ・シリーズ第四作。粗筋: 歯科医のアダムズが飼っている猫が、ある日突然苦しみ始める。アダムズは猫を安楽死させた。異常だと感じたアダムズは、猫の遺体を妻の弟に見せる。義弟のジョーは、警官だった。猫は解剖された。中毒死したらしいのが分かる。また、エアライフルで撃たれたのも分かった。 アダムズは妻のメアリに、猫から摘出されたエアライフルの弾を見せる。妻のメアリは猫と同じように苦しみ始めた。弾そのものが中毒作用を引き起こすものだったのだ。メアリは手に傷があったので、毒が体内に入り易かったのである。 ジョーの調査により、エアライフルの弾がソ連国家保管委員会KGBによって使用される「モスクワ・メタル」と呼ばれるものであることが判明する。FBIは勿論、CIAまで捜査に関わる。「モスクワ・メタル」は即効性である。アダムズの猫は近所で撃たれたことになる。アダムズは近所に住む者を疑う。最も疑わしいのが近所付き合いの悪いエミルである。エミルの居所は掴めなかった。何者かに狙われているらしい。 アダムズが、エミルの家の側を探し回ると、射殺死体が見付かった。エミルを狙っていたが、逆に殺されたのだ。 FBI捜査官チェットから、エミルの素性が明らかにされる。エミルはアメリカの戦略防衛イニシアチブ(SDI。スター・ウォーズ計画ともいう)のソフトウェア開発に携わっていた。ソ連が最も恐れ、最も重要視しているプロジェクトである。総力を挙げて情報収集している。エミルはソ連の為に働いているらしい……。 アダムズは、自宅の地下室にエミルが隠れているのを見付ける。エミルは、自分が二重スパイであることを告げる。元々ソ連KGBのスパイだったが、アメリカで暮らしている内にアメリカが好きになり、アメリカ中央情報局CIAの為に働くようになったのだ。しかし、最近はKGBに疑われているばかりか、CIAも自分を疑い始めていると感じていた。エミルは、二重スパイとして最大の危機を迎える。ソ連もアメリカも信用できなくなったのだ。 エミルは、アダムズに告げる。自分の職場から情報が漏れている、だからCIAは自分を疑っていると。エミルは、自分が最も怪しいと感じている者の名を告げる。ウィリアムソンだ。彼の手紙には、マイクロドットがあったのだ。そのマイクロドットには、日付のメッセージが隠されていた。ウィリアムズは、その日付――28日の木曜日――に何かを計画しているらしい。エミルはそれが何か分からなかったが、自分の容疑を晴らす為、単独で調査していた。無論、家の側で見付かった射殺死体は、エミルによって殺された者である。 エミルは、自分を殺そうしているKGB暗殺者の暗号名を告げる。タリンだと。正体不明の男だが、背中に大きな傷があり、それが目印になっている。 アダムズは、エミルを手助けすることにした。町から一旦逃すことにしたのだ。エミルは、いずれ戻ってくると告げた。 アダムズは、エミルの家の側で発見された死体を見る機会を得た。その死体の背中には大きな傷があった。どうやらタリンらしい。 アダムズは、エミルが携わっていた研究の重要性を知らされる。彼の会社は、SDIの心臓部ともいえるコンピュータまで開発していたのだ。 エミルは戻ってきたが、「モスクワ・メタル」に撃たれ、死んだ。アダムズは自分でエミルを殺した者を突き止め、KGBの計画を阻止することにした。 問題のコンピュータは、28日の木曜日に、鉄道で輸送されることになっていた。アダムズは、KGBが輸送中のコンピュータを奪うつもりだと判断し、張り込む。 そこにFBI捜査官チェットが現れる。実は彼こそタリンだった。彼も二重スパイだったのである。アダムズはチェットを倒し、KGBの計画を阻止した。解説: ……派手なプロットなのだが、なぜか盛り上がらない。登場人物があまりにも普通で、所帯めいていて、緊張感に欠けるからだろう。こんなのがよくシリーズ化できたなと思う。 アダムズという人物の設定が分かり辛い。ただの歯科医なのに、警察や連邦捜査局やCIAとコネがあり、隣人がソ連とアメリカの二重スパイという通常なら有り得ない状況にも何事もないように対応できるのが分からない。 傭兵の友人がいることから、アダムズも元傭兵のようだが、それにしてもごく普通に結婚していて、歯科医をやっている、という設定は不自然。説明が足りない。シリーズ一作目から読んでいれば良かったのだろうか。いくらシリーズ物とはいえ、単独で楽しめなければ意味がないだろうが。 また、登場人物が無用に多過ぎる。ほぼ全てが警察関係ばかりなので、個性がなく、区別が付き難い。レギュラーキャラのようなので、シリーズを順に読んでいれば問題はないのだろう。各キャラの近況報告ということで。が、今回のようにいきなり四作目を読んでしまうと「なぜこいつとこいつを統合して一つのキャラにしないのか」と思ってしまう。 ストーリー展開ものろく、もたついている。整理して200-230ページ辺りにすべきだった。 エミルは自分が戻ったことをアダムズに知らせる為、目印を残す。無論、追われている立場なので、誰もが分かってしまう目印だとまずい。複雑なものにした。アダムズも当然ながら目印の意味が分からず、解読に四苦八苦し、町中をかけずり回る……。 この場面は特に緊張感に欠けた。 その他にも妻の闘病生活や、アダムズ自身の闘病や、アダムズの食生活など、どうでもいいことが事細かに記載されている。これらも省略すべきだった。 タリンの識別法は背中の傷跡だった。エミルが射殺した死体にもあった。最初はこいつがタリンでは、と思われたが、チェットにも背中に傷跡があることが判明する。ボート事故による傷跡だとアダムズに説明する。アダムズはその説明を疑うことなく受け入れてしまう。なぜここまでお人好しだったのか。親族に警察関係者がいたのだから、このことを説明していれば監視の目は早い段階でチェットに向いていただろう。最後になって実はタリンだった、と真相を聞かされても、驚きは少なかった。 そもそも、アダムズはなぜ単独行動にこだわったのか。エミルを発見した段階で友人や親類の警察官らに事情をきちんと説明し、FBIやCIAは信用できないので引き渡すのはまずい、と忠告していれば、彼らは秘密裏にエミルを保護することができたかも知れない。 アダムズがいらぬ心配をしてしまった為(心配していた割には敵側にいとも簡単に自宅や自家用車を盗聴器だらけにさせてしまうが)、エミルは適切に保護されず、結局殺されてしまうのだ。 アダムズが素人の考えで行動を起こしていなければ、事件はより簡単に解決していただろう。 主人公自身のエラーで事態を悪化させ、それをいかに克服するかで小説全体を盛り上げようとする手段も程度の問題だろう。 本作品のようにやり過ぎると馬鹿馬鹿しくなるだけである。 しかしエアライフルの弾だけで「ソ連が絡んでいる!」となってしまうのは突飛過ぎないか。関連商品:人気blogランキングへ
2006.04.10
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ドン・ペンドルトン原作の「死刑執行人」シリーズ第181巻。The Executionerと称される米国特殊工作員マック・ボーランの戦いの日々を述べている。 実際に執筆したのは「本作品に貢献した」とクレジットされているRon Renauldと思われる。粗筋: マック・ボーランは、ミシガン州のGerley化学社を監視していた。そこから化学兵器に関する情報が漏れているからだ。情報の引き渡しの場を監視していたのである。側で物音がしたので、近付くと、男が女性を殺そうとしていた。ボーランは女性の救出に成功するが、男は取り逃す。 女の名はヘレナだった。弟夫婦が殺した奴を見張っていたという。その男のトレーラーハウスが、放火された。放火現場から問題の男が出てきたというのだ。 ボーランは、ヘレナを残し、元の場所に戻る。情報の引き渡しは完了した後だった。ボーランは、ヘレナを襲った男が情報を受け取ったと考えた。 放火されたトレーラーハウスからは、男性の焼死体が発見された。ヘレナが弟夫婦を殺したと思っていた人物である。現場から弟夫婦の殺害に使われた武器が見付かる。しかし、今は本当に弟夫婦を殺したのか、と疑い始める。 トレーラーハウスを放火し、ヘレナを殺そうとした男は、トスカといい、筋金の悪党だった。様々な違法行為に手を染めていた。暴走族に麻薬を売りさばいたり、ある研究施設の為に人体実験用の被験者をさらったり、化学物質の不法投棄を手配したりしていたのである。 トスカがヘレナの弟夫婦を殺したのは、彼らの土地に不法投棄していて、それに気付かれたからだった。 ボーランは、ヘレナの弟夫婦の墓を暴き、遺体を回収し、司法解剖すべきだと提言する。遺体から何か分かるかも知れないと。ヘレナはそれに同意する。が、そのことは、警察の内通者を経て、トスカの耳に入った。トスカは、取引相手の暴走族に対し、遺体を回収しろと命じた。遺体から不法投棄された化学物質が検出されるのは明らかだからだ。 ボーランは、墓地で暴走族と鉢合わせする。銃撃戦になった。ボーランは暴走族を撃退できたが、遺体は持ち去られた後だった。 ボーランは、警察内部の内通者に気付く。また、内通者の弟が不法投棄をしていた会社で働いていることを知る。ボーランは銃撃戦で内通者を殺し、内通者の弟を締め上げる。そこで二つの犯罪行為と共通する人物トスカの存在に気付く。また、トスカが人体実験に関わっていることも掴んだ。 ボーランは研究施設に乗り込み、トスカや、研究施設や、不法投棄している会社の幹部を叩く。解説: アメリカ最大のB級アクションシリーズとあって、銃撃戦や格闘の連続。日本にはこれに匹敵する小説はないし、これからも書ける者は現れないだろう。文化が異なり過ぎる。ストーリーのペースも信じられないほど早く、サクサクと読めるのが何よりもいい。 ただ、Shifting Targetというタイトルからも分かるように、メインの悪玉がトスカからいつの間にか研究施設の責任者と麻薬組織のボスと化学会社の責任者へと変わっている。四人の悪玉がたった220ページあまりの中で互いを出し抜こうと動いたり、協力したりとするので、訳が分からなくなる部分がある。トスカ一人に絞るべきではなかったか。 ま、トスカは所詮小物で、ボーランと対等に渡り合えるほどの大物ではなかったから、他の悪玉も放り込んだのだろうが……。しかし、他の三人の悪玉も、ボーラン一人と張り合えない。ボーランによって次々殺されてしまうのだから。 この頃のボーラン・シリーズは低迷期にあるともいえる。 ソ連崩壊で冷戦は終わってしまい、KGBとの戦いはもう有り得ない。湾岸戦争後でならず者国家は息を潜めていたので、それらが絡む戦いも非現実的。麻薬組織との戦いはマンネリになっている。悪役をひねり出すのにかなり苦労していて、それが本作品のような貧弱な悪玉を生み出す結果となっている。 読んだ後何も残らない小説が読みたいなら最適のシリーズ。小説にそれ以上を求めるなら不向きだろう。 本作品では、兄弟シリーズのAble Teamが参加している。会話で述べられるだけで、登場しないが。関連商品:人気blogランキングへ
2006.04.08
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アメリカの大人気SFテレビシリーズ「スタートレック:ボイジャー」の小説シリーズ第五巻。テレビシリーズのレギュラーキャラが全員登場している。テレビシリーズを観たことがない者でもそれなりに楽しめるようになっている。スタートレックを全く知らないと辛いだろうが。「スタートレック:ボイジャー」の大まかなストーリーは、次の通り:銀河連邦宇宙軍の新造航宙艦ボイジャーは、ひょっとしたことから7万光年も離れた宇宙に飛ばされてしまった。元の宇宙に戻るまで通常航行だと数十年もかかる。ボイジャーは、長い帰途への旅を続けると同時に、様々な文明と交流する……。粗筋: 航宙艦ボイジャーは、緊急信号を受信する。そこへ向かうと、巨大な宇宙ステーションがあった。1万名にも及ぶ異星人が死亡していた。唯一の生存者は、宇宙ステーションから少し離れた場所にあった研究施設にいた者だけだった。ボイジャーは、その生存者を救出した。 研究施設は兵器の開発をしていたが、事故で減圧し、施設内の者は一名を除いて死亡した。また、施設は、側の宇宙ステーションを破壊してしまった。……と思われたが、どうやらサボタージュであることが判明した。 問題の研究施設と宇宙ステーションは、スペリアンという宇宙人のものだった。スペリアンは、社会全体が派閥に別れていて、互いにいがみ合っていた。研究施設は技術派のものだったが、どうやら軍部派が研究を乗っ取ろうと考え、サボタージュしたらしい。 ボイジャーは、現場に到着した軍部派の戦艦を出し抜いてその場から逃れると、陰謀を暴いた。解説: ……無視してもどうってことのない問題に介入し、危機に陥ったと思ったら、いつの間にか解決していた、という盛り上がりに欠けるプロット。 やっつけ仕事で制作したテレビエピソードをそのままノベライズした感じ。 ま、人気番組なんて、冷静に観ればどれもこの程度だろう。 それにしても二四世紀だというのに医療体制は大したことない。バルカン人がマインドメルド中に問題に直面したというのに、ドクターは「問題なし」として医療室から追い出してしまうのだから。万一の為の診察、てことはしないのだろうか(スタートレックを知らない者にとって、この文章は意味不明と思われる)。 本シリーズの最大の欠点は、料理番・案内役のニーリックスだろう。調理した料理がまずいというクルーの酷評には耳を貸さない。クルーがレプリケーター(物質製造器。料理も作れる)を手に入れて自分好みの料理が手に入れられるようになったと知ると、その装置を勝手にスペリアンとの物々交換に出してしまう。自意識過剰もここまで来ると呆れる。自分がボイジャーのクルーだったらこいつを殺していると思う。関連商品:スタートレックネクストジェネレーションコンティニューイング・ミッション新スター・トレック コンプ・シーズン1 コレクターズ・ボックス人気blogランキングへ
2006.04.04
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アメリカの大人気SFテレビシリーズ「スタートレック:ボイジャー」の小説シリーズ第十巻。テレビシリーズのレギュラーキャラが全員登場している。テレビシリーズを観たことがない者でもそれなりに楽しめるようになっている。「スタートレック:ボイジャー」の大まかなストーリーは、次の通り:銀河連邦宇宙軍の新造航宙艦ボイジャーは、ひょっとしたことから7万光年も離れた宇宙に飛ばされてしまった。元の宇宙に戻るまで通常航行だと数十年もかかる。ボイジャーは、長い帰途への旅を続けると同時に、様々な文明と交流する……。解説: 航宙艦ボイジャーは、宇宙を航行していたが、エンジンでトラブルが発生し、部品の交換が必要になった。が、交換部品は艦内になく、新たに作り出さなければならなかった。そこで、ボイジャーは最も近いクラスM(地球人でも住める)惑星へ向かった。 その惑星はサーダリアンといった。ワープ技術こそ持っていないものの、かなり高度な文化を持っていた。ボイジャーは、直ちに政府の者と接触し、交換部品を製造する為の素材が欲しいと頼む。 サーダリアンは、突然現れた異星人の宇宙船に動じることなく、協力を約束する。 ボイジャーの艦長ジェーンウェイは、サーダリアン星人に感謝しながらも、不信感を抱く。ボイジャーの医療設備に異様に関心を持っているのだ。なぜだろうかと彼女は思う。 ボイジャーの乗組員パリスとキムは、休暇の目的で惑星に下りる。サーダリアン星人の有力者の娘マリマと共に海へ行く。マリマは、現地の魚類ダーラの漁を始める。が、ダーラは保護動物だった。ダーラを保護する組織に捕らえられる。 ボイジャーでは、サーダリアンがなぜ医療設備に興味を持っているのか知る。サーダリアン星人は、灰色ペストという病に苦しんでいた。その疾病の進行を抑えるのがダーラの血液から抽出した酵素だったのだが、酵素の量があまりにも制限されていて、市民が次々死亡している為、他の治療法はないかと探していたのである。 サーダリアンは二つの勢力に分かれていた。惑星全体を支配するバンドーラ州と、ダーラを保護するミカジア州である。バンドーラ州は、絶滅を覚悟してダーラを全て捕獲し、酵素を量産すべきだと考えていた。ダーラを保護し、酵素の抽出量を極力抑えるべきだと考えるミカジア州は、そうはさせまいと抵抗していた。 マミマはバンドーラ州知事の娘で、彼女とパリスとキムを捕らえたのはミカジア州だった。 バンドーラ州も一枚岩でなく、州知事と副知事の間で権力闘争があり、それは酵素問題、そしてダーラの保護問題、そしてボイジャーとの関係の問題に発展していった。 パリスとキムは、マミマを連れてミカジア州の手から逃れることに成功する。その過程で、パリスとキムは、ダーラが知的生物であることを掴んだ。病の治療の為とはいえ、漁で捕らえて殺すのはよくない、と考える。二人はマミマを連れてボイジャーに戻る。 ボイジャーの医療施設は瞬く間に恒久的な治療を行う酵素を完成し、サーダリアンに渡す。ダーラを殺す必要がなくなったのである。解説: ご都合主義満載の作品といえる。 本作品でもボイジャーは介入しなくてもいい問題に介入し、危機に陥り、いつの間にか問題は解決しているという風になっている。 本作品の最大の問題が、ストーリーのペースののろさ。灰色ペストについてボイジャーが知るのに信じられないほど時間がかかる。新治療薬を製造するのはほんの数時間しかかからなかったというのに、だ。ボイジャーの情報収集能力はかなり低い。ダーラが知的生命か否かを突き止める部分も延々と続く感じで中ダレ気味。 サーダリアンの州知事がこの問題を早期にボイジャーに伝えていたら、どれだけ簡単に事は進んだのにと思ってしまう。州知事が小出しにした為本作品は274ページにもなってしまうのだ。 新薬ができたお陰でダーラを殺す必要はなくなったが、これからダーラがきちんと保護されるかは疑問。バンドーラ州はダーラ漁をスポーツとしてやっていたようでもあるから。 キャラも好きになれないのが多い。ニーリックスは相変わらずだし、パリスは女ったらし。こいつが女のケツを追い回すのに執着しなかったら、ボイジャーはサーダリアンの政治的問題に深く関わることなくさっさと立ち去れただろう(ダーラは絶滅する運命になっていただろうが)。エンジニアのクリンゴン人女性トーレズも、自意識過剰でうんざりする。 本作品ではプライム・ダイレクチブの問題に触れている。新治療薬をサーダリアンに無償で提供すると、プライム・ダイレクチブに抵触すると。そこで、ボイジャーは、交換部品用の素材の代償として提供したことにし、この問題を回避する。 この部分には首を傾げざるを得ない。 プライム・ダイレクチブでは、高度に発達した文明が、まだあまり発達していない文明と接触するのは避けるべきだと定めている。なぜなら、技術の差があまりにも開き過ぎている状態で接触すると、発展途上文明は必ず混乱に陥るからだ。したがって、ボイジャーが属する銀河連邦では、ワープ技術を持っているか否かを接触の目安としている。ワープ技術を独自開発できない文明との接触はしないのだ。たとえその発展途上文明が滅亡の危機にあっても、である。 サーダリアンはワープ技術を持っていない。したがって、ボイジャーは接触してはならない筈なのだが、緊急だといって自らプライム・ダイレクチブを破ってしまう。 ボイジャーは、自分らの勝手な都合でプライム・ダイレクチブをとっくに破っているのに、新治療薬を提供するとプライム・ダイレクチブに抵触すると言ってサーダリアンに対し出し渋るのはおかしい。 自分らの都合でプライム・ダイレクチブを破ることには躊躇しないが、相手の都合でプライム・ダイレクチブを破ることに関しては大いに躊躇する。これではボイジャーは単なる搾取者になってしまう。 ジェーンウェイはそのことについてどう思っているのか。 サーダリアンは、ワープ技術を持たないことから、別の惑星との交流はない筈なのに、ボイジャーという宇宙船でやってきた異星人を難なく受け入れるのは不思議。普通だったら大混乱に陥る筈で、無論ボイジャーの乗組員が休暇の為惑星に下りる、なんて危険過ぎてできない筈。 サーダリアンはそこまで異文化に寛容なのか。その割には州同士の文化は尊重できないようだが。 現在の地球に異星人が突然現れたら、ここまで容易に受け入れられないと思う。 ダーラは知的生物なので無闇に殺さずに保護すべきだ、というくだりは、現在の捕鯨問題のよう。著者は反捕鯨派らしい。はっきり言ってうざい。この部分を省くだけでも50ページは整理できただろう。関連商品:スタートレックネクストジェネレーションコンティニューイング・ミッション人気blogランキングへ
2005.10.13
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バリ・ウッドのホラー小説。粗筋: ニューヨークで、ある事件が起こる。三人組がギルバート宅に押し入り、強盗しようとしたのだ。しかし、リーダー格だったロバーツが突然死亡した為、強盗は失敗に終わる。強盗仲間もロバーツは突然死んだと証言した。事件は単なる強盗未遂事件として処理された。 ニューヨーク市警のスタビンスキーは、この事件を不審に思う。彼はロバーツを前々から追っていて、ロバーツの突然死に納得できなかったのだ。 検屍官に問い合わせたところ、ロバーツの死因は、首の骨が折られ、神経が切断されたことだった。ただ、この死因は通常だと有り得なかった。外傷抜きではできないと。検屍官は不審に思いながらも「何か」を感じて、単なる事故死として処理したのである。 証言では、ロバーツは突然死んだとなっていたが、検屍官はロバーツは数分間にわたって激痛に苦しみながら死んだだろうと言っていて、食い違いがあった。 スタビンスキーは、現場に居合わせた強盗二人から話を聞く。一人は証言したこと以外何も知らないと言い、もう一人は何とギルバート宅の執事として雇われていて、何も語らない。誰かに口止めされているのだ。 スタビンスキーは現場に居合わせた最後の人間――ジェニファー・ギルバート――と会う。彼は、彼女が怪しいと直ちに悟った。ジェニファーの友人を訪ね、話を聞く。ジェニファーの周辺には過去にも不審な死があったことを知る。 スタビンスキーは、ジェニファーが7歳の時に起こった事件と、ジェニファーが大学生の頃に起こった事件を調査する。いずれも被害者が「突然死」していて、いずれもジェニファーの母親によってもみ消されていた。 大学生の頃に起こった事件をたどっている内に、スタビンスキーは超能力の研究をしていたチンという学者に行き当たる。チンはジェニファーが不思議な力を持っていると告げる。彼女は念じるだけで人を殺せると。チンは、スタビンスキーに警告する。ジェニファーと関わるなと。これは検屍官も言っていたことだった。 下手すると自分の命も危ないと感じた検屍官は、ジェニファーと会い、検死報告書を彼女に渡し、事件をもみ消そうとするが、スタビンスキーはそれを許さなかった。スタビンスキーは、自分が死んだら事件報告書が警察上層部へ渡るよう手続きして、ジェニファーと対決する。 ジェニファーは、自分が超能力を使って意図的にロバーツを殺したことを認める。 スタビンスキーは、ジェニファーの超能力を使って、自分が追っている兇悪犯罪者を殺してくれるよう、ジェニファーに頼む。ジェニファーはそれに合意する。解説: ……最初読んだ時はかなり面白いと思っていたのに、再読したら「?」と評価が変わった小説の一例。 最大の問題が、スタビンスキーだろう。なぜ彼がこの件を執拗に追ったのかが理解できない。嫌味なキャラにしか感じなかった。他の者が関わるなと警告するのに無視するどころか、他の者が事件を穏便に済ませようというところを阻止して問題を拡大している。 こいつがいなかったらジェニファーはこのまま静かに、地味に暮らせたのに、と思ってしまう。彼女は超能力で3人も殺したのは確かだが、意識してやったのはロバーツだけで、他は自分の命が危ないと感じ、無意識のままやっただけだったのだから。これだけの力を持ちながらたった4回しか使っていないのがむしろ不思議(1回は痛め付けるだけで殺していない)。 しかし、スタビンスキーのお陰で、彼女は今後十数人も殺す羽目になるのだ。小説は、「どれを最初に殺してもらいたいの?」で終わっているが、今後彼女がどうなってしまうかを、スタビンスキーは予測しているのだろうか。ジェニファーに殺された大学生も、彼女の超能力を利用しようと考えて彼女に接近し、結局その超能力で殺されてしまったのだ。 ジェニファーとスタビンスキーは「協定」を結ぶことになるが、それが長続きするとは到底思えない。ジェニファーも頭が悪い訳ではないので、スタビンスキーの自己保身の手続きをかいくぐって彼を始末する方法を考え出す筈。何も彼を殺さなくても、麻痺状態にするなどしてスタビンスキーの口を封じてしまえばいいのだから。 キャラの設定も「?」と思ってしまう。ジェニファーは比較的裕福な家庭に生まれ、より裕福な家庭に嫁ぐ。だから事件をもみ消すことができたのだが、金、金ばかりで感情移入できない。 面白いと思った小説も、読み返すと粗が目立つ。 やはり面白い小説を面白いままに留めたいなら、読み返すのは避けるべき、てことか。 読む度に評価が変わってしまう小説や自分もどうかと思うが。関連商品:人気blogランキングへ
2005.08.25
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元空軍兵によって書かれた軍事シミュレーション小説。粗筋: イランがクウェートとサウジアラビアに侵攻し、300人の米空軍兵を人質に取った。リビア政府は、人質の一部を買い入れようと交渉していた。 米政府は、300人を救出すべく軍事作戦を実行することにした。 国防総省は、陸軍所属の特殊部隊デルタフォースをメインに救出作戦を練る。空軍はおとりとして使われることになった。ただ、米空軍代表のカニングハム大将は、米空軍を中心に救出作戦を進めるべきだと考えていた。カニングハムは、空軍がメインとなれるよう、裏で工作を進める。 陸軍を主体とした作戦は、実行に移せる前に失敗の色が濃くなる。救出を直接担当するデルタフォースの動きが外国の諜報部に読まれてしまったのだ。そのせいか、イランは人質の売り渡しの予定を早めた。 米国大統領は、まだ感づかれていない空軍主体の作戦をメインにしろ、と命じる。空軍のスタンシル大佐は、カニングハム大将の命を受け、救出作戦を決行し、苦労の末成功する。解説: ……本作品は湾岸戦争の前に書かれた作品。だからメインの悪役はイランで、イラクは脇役。現在だったらイラクが悪役で、イランが脇役になっただろう。1990年代に入る前に死んだホメイニ師も健在で、時代を感じさせる。 作者が空軍出身で、エリート軍人であったせいか、本作品は「空軍万歳、アメリカ万歳」小説となっている。アメリカ人ならそれなりに読めるだろうが、アメリカ人以外はその部分が鼻について真顔で読めないだろう。 軍事シミュレーション小説なので、軍事用語や、兵器に関する解説がふんだんに出てくる。本の末尾に略語集があるが、チンプンカンプンだった。作者にとって軍事用語はごく普通の言葉で、一々説明するのが煩わしいようだが、読んでる方は素人なのだから、説明する努力は怠ってほしくないのだが。 軍事作戦を描いているので、登場人物が多い。どれがどれだか区別が付かず、退屈な部分が多かった。 イランがアメリカの基地を攻撃し、300 人の米空軍兵を人質に取った、という状況も理解し難い。イランが1980年代後半にそこまで強力な兵力を持っていたと思えないし、たとえ持っていたとしても米軍基地を総攻撃しようとは考えなかっただろう。基地一つ攻め落とせたとしても、米軍全体を相手にはできない、と考える筈だから。イランも馬鹿でない。 本作品は、前半では空軍のおとり作戦がメインの作戦になるよう、カニングハム大将が様々な工作をする様子が描かれ、実際の軍事作戦は本の後半だけ。最初から空軍がメインになるよう設定するなど、前半をもう少し整理した方が良かったと思う。所詮小説なのだから、それくらいなら簡易化しても文句は言われなかっただろう。リアルに描こうとしてストーリーのペースが落ちてしまったら意味がない。 というか、空軍対陸軍という設定そのものにリアリティがない。陸軍のデルタフォースの動きがロシアなど海外の諜報部に完全に読まれてしまったため作戦に使えず、空軍は全くノーマークだった為作戦で使えた……というのは都合が良過ぎる。通常、この手の作戦は米軍が総力を挙げて実施するから、陸軍や空軍は勿論、海軍も同程度の監視を受けていた筈。 デルタフォースは機密性が何より重要なのだから、いざという時に動きが敵側に察知されないよう日頃から対策を練っているだろう。動いているのが察知されてしまったから使えない、となったら、デルタフォースは永久に使えないことになる。 陸軍をモニタしていた者が、空軍をノーマークで放置する、というのはとにかく異常。 作者はあくまでも「空軍万歳」にしたかったのだろう。 作者はカニングハム大将を「善」に見せたかったようだが、単なる裏工作好きな、権力を振りかざしたがる政治屋軍人にしか見えず、共感できなかった。空軍が作戦のメインになった時点で退場させるべきだったと思う。 また、大統領に対し「正直言うと、私はあなたの対立候補に票を入れました」と登場人物が言い、大統領が「お前は面白い奴だ」と笑いながら答える……という下りにはウンザリ。クランシーの小説(「レッド・オクトーバーを追え」だったか?)でも主人公ジャック・ライアンが大統領に対しそう言っている。登場人物に「現大統領の対立候補に票を入れました」と言わせるのはアメリカ小説の伝統か。変な伝統である。 一度でもいいから主人公が大統領に対し「あなたに票を入れました」「あなたに票を入れましたが後悔しています」「投票に行きませんでした」など、別の事を言って欲しい。関連商品:人気blogランキングへ
2005.08.23
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第三次世界大戦後の世界を描いた小説。粗筋: 1987 年。ソ連とアメリカは核戦争した。ソ連のミサイル先制攻撃によりアメリカの方がより深いダメージを負うが、双方の政府首脳は死んでしまう、という結果になる。アメリカはソ連軍の残党によって占領される。まるで15世紀のヨーロッパのようにいくつもの独立した勢力が領土を支配する、という構図が出来上がった。 この勢力には現地のアメリカ人も多数加わっていた。下手に抵抗するより仲間になった方が賢い、と読んだのだ。 マレンは元空軍パイロット。核兵器使用後の放射能や「黒い雨」を生き延び、一人でひっそり暮らしていた。世界が結局どうなったかを全く知らないでいた。 ある日、マレンが町に出たところ、捕まってしまう。一帯を支配する「東部平和地区」が発行する身分証明書を所持していなかったからだ。 マレンは警察署に連れられた。そこで、マレンは拷問される。元米軍兵だった、という理由で。留置所へ放り込まれる。 留置所で、マレンはワイアットという黒人と出会う。彼も留置されていた。彼の話によると、カナダ西岸だった地域はまだ辛うじて残っていて、旧ソ連軍の影響が少ないという。 二人は協力して留置所から脱出することに成功した。が、ワイアットは深手を負う。 マレンは、核攻撃直後に超軽量飛行機を発見し、隠していた。二人はその飛行機でカナダ西岸への逃亡を図る。「東部平和地区」の責任者はアメリカ人のマケノンだった。新政府で更に昇進することを狙っている彼は、全力を挙げてマレンとワイアットを追う。 マレンは、パイロットの経験をフルに使って追跡を振り切るが、飛行機は被弾してしまった。カナダに行ける前に途中のメイン州で着陸することを余儀なくされる。 二人は飛行機を隠した。燃料を調達し、損傷部分を修理し、また飛び立とうと決める。 マレンとワイアットは、調達物資を得る為、徒歩で旧カナダのケベック州に入った。ワイアットは怪我が悪化し、体調が優れない。農場を見付けたので、そこで休むことにする。 その農場にはコリン老人と、孫娘のジャンヌと、その息子のポールがいた。ポールは、賞金と引き替えに「東部平和地区」に引き渡すべきだと主張するが、ジャンヌはマレンとワイアットを助けることにした。 ここでワイアットが治療を受けられれば、とマレンは願うが、ケベック州も「東部平和地区」による配給制度の支配下にあるので、迂闊に動き回ると逮捕される。その為、まともな治療を受けられない。ワイアットはますます弱っていく。 一方、マケノンは、追跡の手を緩めなかった。マレンとワイアットの再逮捕に失敗すると、自分の将来に振りかかってくることを知らされたからだ。航空機など、さまざまな手でマレンらを捜索する。ついに、「東部平和地区」の特殊部隊がジャンヌの農場を訪れた。 ジャンヌは適当に答えて追い返すが、マレンはここにこれ以上いられないと感じた。しかし、ワイアットの病状は悪化するばかり。動かすことさえ危険になっていた。 そんなところ、マレンはジャンヌと肉体関係を持ってしまう。それに激怒したポールは、ワイアットを殺し、「東部平和地区」へ通報しに行く。 それを知ったマレンは、逃げることにする。ガンに犯されて余命短いコリン老人は、マレンに対し、ジャンヌを連れて行けと頼む。彼女が残ったら「犯罪者」を匿ったという理由で殺されるからと。マレンは同意し、ジャンヌを連れていく。 マケノンは、ポールの証言により、マレンが飛行機を隠した場所をおおよそ掴んだ。そこへ向かう。 マレンは激戦の末マケノンを倒すと、ジャンヌを飛行機に乗せて旧カナダのアルバータ州へと飛び立つ。解説: 発表された時はともかく、現在読むと時代を感じさせる小説。 本作品では、アンドロポブ、チェルチェンコ、ゴルバチェフなど、実在した旧ソ連政府首脳も登場する(アメリカの政府首脳は述べられていない)。アンドロポブ旧ソ連共産党書記長が穏健派のチェルチェンコを追放して全権を掌握し、同じく穏健派のゴルバチェフは心臓発作で亡くなるとなっている。 作者は、実際の世界ではアンドロポブの死後、チェルチェンコが共産党書記長に就任し、チェルチェンコがそれから間もなく病死した後ゴルバチェフが書記長に就任するのを見て、どう思ったのだろうか。 また、ソ連が崩壊し、消滅したのを知ってどう思ったのか。 核兵器の使用後も人類が生存できるとは楽観的な観測である。全世界が滅亡していたら小説が成り立たないので、当然と言えば当然だが。 旧ソ連軍の残党が本作品のようにアメリカを簡単に制圧できるかもちょっと疑問。 旧ソ連政府首脳がアメリカに対し核攻撃を仕掛ける経緯も強引で、ストーリーを成立させる為のこじつけのように感じる。これだったら省いた方が良かったかも知れない。24ページは長過ぎる。 マレンがジャンヌと肉体関係を持ってしまうという展開も首を捻りたくなる。いつ密告されて捕まるか分からず、ジャンヌやポールも完全に信用できず、仲間のワイアットはますます弱っている、という中で、呑気に女とやるとは。しかも、コリン老人に「ジャンヌと関係を持つな。彼女の息子ポールがどう反応するか分からない。たぶん、激怒するだろう」と釘を差されているのに、である。 こいつは馬鹿か。 よく核戦争後を生き延びられたな、と思ってしまう。 マレンは、他人の家に勝手に押し掛けながら、一瞬の快楽を優先した為にワイアットは死に(これはお荷物が減ったマレンにとって、都合がよかったようだが)、自分は再逮捕の危機に陥る。ジャンヌとポールとコリンにとってはえらい迷惑に他ならなかっただろう。 本作品では、飛行機が飛び立ち、ポールがそれを見送るところで終わっている。マレンとジャンヌは無事目的地アルバータにたどり着けたか、については一切触れていない。 個人的にはたどり着けたと思っている。しかし、その後幸せになれたかは疑問である。ジャンヌとの関係が長続きするとは思えない。 本のカバーにはマレンとジャンヌらしき人物のイラストがあるが、後半になってようやく登場するジャンヌが描かれ、最初から最後にかけてまで登場するワイアットの姿が見当たらないのはおかしく感じないでもない。 タイトルは「自由への飛行」という意味らしいが、「ただ乗り」て意味にもならないだろうか? マレンがジャンヌをただ乗りするのは確かだが……。迫力に欠けるタイトルである。関連商品:人気blogランキングへ
2005.08.19
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1970年代のSFブームの煽りで制作されたテレビシリーズのパイロットエピソードをノベライズしたもの。著者の一人とされるラーソンはその番組のプロデューサーで、実際に執筆したのはサーストンだったと思われる。日本では「宇宙空母ギャラクティカ」として放映されたらしい。粗筋: ある銀河の一角で、人類は十二の惑星にコロニーを築いていて、サイロンという異星人と千年にもわたって戦争を続けていた。 そんな頃、サイロンが和平案を提示する。戦争で疲弊し切っていた人類は、その和平案を受け入れることにした。十二惑星コロニーの政府首脳は、兵力の大半と共に和平条約を締結する宙域へと向かった。その中には歴戦を生き抜いてきた宇宙空母「ギャラクティカ」も含まれていた。「ギャラクティカ」の戦闘編隊パイロット・アポロと弟のザックは、一帯をパトロール中、サイロンの戦闘編隊が待機していることを知った。このことを母艦に伝えることにするが、サイロンが攻撃を仕掛け、ザックは撃墜されてしまう。アポロは命辛々母艦に帰還し、報告する。 アポロの父親で、「ギャラクティカ」の司令官であるアダマは、直ちに反撃に移るべきだと主張するが、政府首脳は信じない。何かの間違えだろうと。サイロンが自分らから提示してきた和平案を自ら破棄する訳がない、と。 残念ながら、和平条約は罠だった。政府首脳を護衛する大艦隊は、サイロンの戦闘編隊による総攻撃を受けてしまう。不意打ちだった為、艦隊は大混乱に陥る。 アダマは、サイロンがなぜ戦闘機編隊で攻撃しているのかと不思議に思う。敵艦隊はどうしたのかと。悪い予感がしたアダマは、「ギャラクティカ」を戦闘から離脱させ、母星へと戻る。 案の定、艦隊への攻撃は、十二惑星コロニーの兵力を無関係の宙域に留まらせる為の作戦に過ぎなかった。サイロンの主力部隊は、手が薄くなった十二惑星コロニーを構成する十二の惑星を攻撃していたのだ。「ギャラクティカ」は母星に到着するが、既に遅く、サイロンの手によって壊滅状態にあった。その直後、報告が入る。味方の艦隊は、政府首脳諸ともに殲滅されたと。 唯一残った宇宙空母の司令官で、軍部の最高責任者となったアダマは、十二惑星コロニーは崩壊したと悟った。十二の惑星から生存者をかき集め、この宙域を離れるべきだと判断する。サイロンは生き残りを狩りに戻ってくるだろうと。 アダマは、惑星コロニーは実は十二ではなく十三ある、という伝説があることを知っていた。「地球」という十三番目のコロニーは、あまりにも辺境にある為その存在さえ忘れられてしまい、正確な位置は不明で、実在するのかも分からない。が、今となっては、そこへ向かうしかない、と主張した。「ギャラクティカ」を中心とした船団は、地球へ向かうことになった。 が、銀河を渡って地球まで行くには、燃料が少な過ぎる。そこで、惑星キャリロンへ向かうこととなった。燃料が豊富にあるとされながら、開発するには交通の便が悪く不経済過ぎる、として見捨てられた惑星である。「ギャラクティカ」は惑星キャリロンに到着した。そこはカジノあり、食料が無限にあり、という歓楽街になっていた。 アダマの政治的なライバル・ウリは、ここで暫く休息を取るべきだと主張する。アダマは、政治的権力が限られている為、強硬に反対できない。サイロンによる攻撃や、長期間に渡る宇宙航行に疲れていた人々は、次々と惑星キャリロンに降り立ち、歓楽街が提供する娯楽を満喫する。 が、キャリロンは、惑星そのものがサイロンの罠となっていた。サイロンは、ここに人類の生き残りを集め、殲滅する計画を立てていたのだ。 キャリロンに降り立った人々はそんなことも知らなかった。ウリは武力放棄して、サイロンと再度和平交渉するべきだと主張し始める。異常を察したアダマは、サイロンとの戦闘を準備し始める。 サイロンは、「ギャラクティカ」には乗組員が殆ど残っていないと判断し、総攻撃を始める。 しかし、「ギャラクティカ」はアダマの機転により、万全な戦闘体勢で待ちかまえていた。サイロンを撃破し、惑星キャリロンから脱出する。「ギャラクティカ」を中心とした船団は、地球に向けての航行を再開した。解説: ……このノベライズのベースとなったテレビシリーズは、スタートレックやスターウォーズがきっかけとなって始まったSFブームの三番煎じ(四番煎じだったけ?)として制作された。 スタートレックは、オリジナルのテレビシリーズが映画シリーズへと移行し、新たなテレビシリーズがいくつも制作された。コミックも出版されたし、小説にいたってはテレビではとっくに終了しているシリーズが未だ出版され続けている。雑誌も新たに創刊されるほど。 スターウォーズは、また新たな映画シリーズが公開されているし、小説やコミックや雑誌も出版されている。 バトルスター・ギャラクティカはどうかというと……。小説もあったし、コミックもあって、当時はかなり派手に展開していたにも拘わらず、現在はほとんど忘れ去られている。一部では再評価されているというが……。 最近のアメリカのテレビは地味なのが多いので、こういうのをまた製作してほしいとこちらは思うが、無駄だろう。 本編のストーリーは、めちゃめちゃというしかない。 和平条約を餌に敵の主力艦隊を一ヶ所に集め、手薄になった敵側の本拠地に対し総攻撃する……。 サイロンのこの幼稚な罠に易々と引っかかってしまう人類は相当馬鹿。サイロンと千年にもわたって戦争してきた、というのが信じられない。相手が和平案を提示したからといって、本拠地をがら空きにして全艦隊を別の宙域に集結させるのは馬鹿過ぎる。 また、不意打ちを食らったとはいえ、艦隊が戦闘編隊ごときで「ギャラクティカ」を除いて全滅する、というのもおかしい。その程度で壊滅されてしまうのだったら、千年も戦い続けるのは無理だっただろう。 そもそも、兵力を一ヶ所に集結させる、というのは、「敵兵力を分断し、大軍を持って各個撃破すべし」という戦術上の基本を、サイロンが無視していたことになる。集結させたことで一気に殲滅できたから、結果的には正しかったのかも知れないが、この程度を殲滅するのに千年も戦わなければならなかったサイロンも相当戦略・戦術に長けていなかったようである。 決死の脱出をした人類(大半は民間人)が、キャリロンに到着した途端に、「もうどうでもいいや」という態度になってしまうのはおかしい。たとえ食料に麻薬が混入され、影響されていたといっても。ウリなんて到着以前に「もうどうでもいいや」という態度だったのだ。こんな楽観的な馬鹿ばかりだったからサイロンの罠にまんまとはまってしまい、総攻撃に手も足も出せなかったのか。こんな奴がよく破壊された惑星を脱出できたと思う。 見方によっては、サイロンに殲滅されても文句を言えない連中である。 では、「ギャラクティカ」の乗組員である軍人らは緊張感を維持しているのかというとそうでなく、三角関係があったり、ガキの世話をしたりと軍人らしからぬ活動が延々と描かれている。 ……お前ら、故郷が破壊されたんだぞ。親類や友人や知人を大勢亡くしたんだぞ。どうとも思わないのか。 そもそも、十二の惑星コロニーが破壊されたのは確かだが、住めない環境に変わってしまった訳ではない。なぜアダマは故郷を捨て、その存在さえあやふやになっている地球へ向かおうと決断したのか。普通だったら残った兵力をかき集めて惑星を一つでも奪還し、残りも奪還すべく力を蓄えて準備を進めると思うのだが。現に、「ギャラクティカ」の母星には下りられたのだから、そこを拠点とすることが出来ない訳ではなかった筈。 ギャラクティカの司令官アダマと、パイロットのアポロと亡きザック、艦橋の女性クルーのアシーナは、親子関係にある。勤務場所である筈の艦橋でアシーナがアダマのことを「父」と呼ぶなど、軍とはかけ離れた雰囲気。通常の軍隊なら親子が同じ艦船で勤務しないよう配属されると思うのだが。 他にも、惑星コロニー軍はよく分からないところがある。「ギャラクティカ」は二百年前に建造されたとなっている。アダマの前の司令官は、アダマの父親だった。艦船の司令官は代々引き継がれるようになっているのか。これも通常の軍隊ではあり得なさそうだが……。 映画の方は、洋泉社の「底抜け超大作」でも駄作として取り上げられている。 ノベライズを読んだ限りでは、それも無理ない。 プロデューサーのラーソンは後に人気テレビ番組「ナイトライダー」も手がけている。SF、またはSFタッチのものを好むらしい。関連商品:バトルスター ギャラクティカ-サイロンの攻撃-宇宙空母ギャラクティカ(期間限定)人気blogランキングへ
2005.08.11
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