希望の綴り

小学4年生


一人では、教室へは入れないから 丁度学校へ着く頃に私に学校へ行って欲しいと言って出て行った。しかし、私の時間の計算間違いで 私が行った時には、既に娘は学校へ着いていた(-_-;) 気持ちのタイミングがずれてしまい、学校へ入る事は出来なかった。
校舎から体育館へ通じる渡り廊下があるが、そこで娘はうずくまっていた。そこを 今娘にとっては大嫌いな先生(娘の5・6年の担任)が、通りがかりに「よく来たね」と声をかけてくれた。学校の先生方が皆 娘の事を解っていてくれている感触を受けた。

1時間目は、始業式で担任の発表がある。
娘は、何よりそれが気になっていたので 体育館の外で担任の発表を聞いたら 「帰る」と言って久しぶりの登校は、学校へは入れずに帰ってきた。

その日の夕方 新しい担任(臨時採用の男の先生)が、教科書等を持って家まで来てくれた。これも娘にとっては、次の日から学校へ行く手助けとなった。

次の日から 次男を連れてお弁当を持って約1ヶ月間 又母子登校をした。
どうしても教室には入れず 廊下でウロウロしている娘に ある子が冷たい顔で「教室に入ればいいのに」と 言った言葉と顔は今でも忘れない。自分で経験していないと 娘が教室へ入れない苦しい気持ちは理解出来ないのだろうなぁ~?と悲しくなった。

休み時間の度に 丁度歩き始まった次男が可愛いというのもあるだろうけど、友達が娘の居る所に来てくれた。
何がきっかけで教室に入れたかは?忘れてしまったが・・・
担任が 先生らしくない先生で 娘には、息苦しさがない先生だった様で 教室へ行ける様になったのかもしれない。

この年娘は、バスケット部に入ったが、学校へ行く事だけで手一杯だったのか?練習へは行けないでいた。しかし、辞めたく無いと言って籍だけは、置いていた。
運動をしていなかったので、スポーツテストの結果も最悪、運動会のリレーのメンバーにも選ばれなかった。それでも運動会にも参加したし、余程の事が無いと保健室へは行かなかったと思う(?_?)

唯一憶えているのは、何かで気持ちがどうにも出来なくて 保健室に泣いて行った事が有ったが、たまたま養護の先生が保健室に居る事が出来なくて、そこに担任の先生が来てくれて、娘をなだめてくれた様だ。

その時に この先生だったら、娘を預けても大丈夫と思った接し方が・・・
泣きじゃくってパニック状態になっている娘に 初めは自分のお子さん(当時1歳未満)の事を話始まって 
娘も次男を見ているから共通の話題だった。 その話を聞いている間に 気持ちが落ち着いてきて、そこで改めて今泣いているのは、どうしてか?担任は、聞いてくれたらしい!!
その時は、そのまま教室へ戻る事が出来た。

4年生は、3年の後半休んだ事が ステップになったかと思わせる位 順調に学校へ行く事が出来た様な気がする?

3年で遅れてしまった算数も 担任が算数専門の先生だったので 教え方も良かったのか?かなり4年で取り戻す事が出来た。

このまま順調に小学校生活は進むかと思われたが(T_T)

2005年10月29日

小学5年生 へ続く

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