希望の綴り

前兆


本に書いてある通りの発達をしてくれた。

娘が、1歳の時私は、急性のA型肝炎になり10日間位入院した。
その時も 旦那の実家でおりこうに待って居た娘。
しかし、寂しさを言葉に出せない分 下痢という症状で出していた様だが?

旦那のおばあちゃんが亡くなり、娘を見てくれていたお義母さんが、お葬式で、娘を見る事が出来なくなってしまい、私は、完治しないまま退院する事になった。
久しぶりに、娘と旦那の実家で対面したが大泣きされた。
たったの10日で母を忘れてしまったのか?お義母さんに抱っこしたらピタッと泣き止んだ。
あの時の虚しさというか?悲しさは、今でも忘れない。

家に帰り娘と二人きりになった時、泣かれた事が、悔しくて まだ良くなっていない体に鞭打って、眠そうな(?)娘をおんぶして外を歩いた。
しかし、体は正直で、肝臓が悲鳴をあげている感じだった。すぐに気持ち悪くなってしまった。

そのまま部屋で横になった私!
その時、旦那が夕飯にと買って置いて行ってくれたコーンサラダを 私の口に運んでくれた娘!お義母さんが、おばあちゃんにご飯を食べさせているのを 見ていたからかもしれないけど 娘の優しさが、うれしかった。

そんな風に小さい時から、周りを見て 観察力が鋭い子だったのかもしれない?

私は、またその1年後に、切迫早産で1ヶ月入院した。
その時もやはり おりこうに旦那の実家で待っていた娘だった。
長男が生まれる日の昼間、旦那と娘とお義兄さんの息子 三人でお見舞いに来てくれた。旦那が、ごみを捨てに行って来るからね!とちょっと部屋を出ただけで 大泣きした娘。
点滴をしている母は、不気味な存在だったようで・・・
この時も娘に拒否され悲しい思いをした。

そんな風に小さい頃母親と離れる事が多かった娘!
しかし、お母さんは、何処と後追いやぐずる事をしないで、大人に都合のいい育ち方を していた様に思う(?_?)


長男が3歳の頃、言葉の発達が遅れているという事で、相談センターに通っていた。当時幼稚園生だった娘は、そのセンターの先生に 不登校になっている子供の幼児期と似ているから 気をつけてね!と言われてた。

何処が、共通点なのか?私には、理解出来ていなかった。あの時に理解して、娘への対応の仕方を変えていれば 娘の人生は違っていたと思う。

今思うと、何がおかしかったのか? 
それは、一番は、私が娘の甘えを受け止める事が、出来なかった事だと思う。

長男は、目に見えて言葉の発達が遅かった。しかし、娘はいたって発達には、気になる部分は無かった。言葉もはっきりしているし、ひらがなも読めて 知能的には問題が無く かえって他の子より早い発達をしていたかもしれない?

そこで、どうしてもはっきりと心配が、目に見える長男の方に 心配の目がいっていた様に思う? 自分を見てもらえない不安 寂しさが 娘の中にあったのではないだろうか?

何よりも 私のイライラのぶつける対象が、娘になっていたのも事実である。旦那は、毎日仕事で忙しくほとんど家には居ない。休みでも 一人で出掛けて家に居ないのが、ほとんどだった。その事にイライラし、娘のちょっとした失敗を 物凄く怒る事が、しょっちゅうだった。

それで子供が、まともに育つはずは無い。毎日のそういう積み重ねが、娘の自信を無くす事になり 人に心を閉ざす事を教えてしまった。

幼稚園の年中のお遊戯会では、舞台に立って演技する事を拒否した。
年長の保育参観でも 私から離れない事があったり・・
ドンドン不登校への道を進み始めた娘と私・・・・

はじまり へ続く

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