希望の綴り

小学5年生


このまま順調に学校生活が進むかと思っていた。

しかし、4年から5年に進級する春休み 3月31日にお父さんが亡くなった。あまりにも突然の死は、大人になりかかっている娘にとっては衝撃的で 簡単に受け入れられるものでは無かったと思う。
涙は、亡くなったその日の夜だけ(逝った日の当日のページに書き綴っています)流していた。
お父さんが亡くなって悲しいという事を もっと表に出す事が出来たら、娘も楽だっただろうに・・・(T_T)
やはり この時も感情を抑えていたのでは、ないかな?と思う。

父親のお葬式、普通小学生が経験しないくても良い事を娘は、経験した。

それでも5年生の始業式は休まずに行った。
担任が気になっていたのと クラス替えが有るからだったとは、思うが(?_?)

クラス替えは、仲の良い友達とは離れてしまい 担任も1年の頃から 嫌だと言っていた先生になってしまった。
ちょっと最悪のスタートだな?と私は、感じたが・・
娘は、同じ様に保健室登校をしたりしていた子が、同じクラスだったので良かったといって帰ってきた。

なぜだろう?この年の記憶が私の中にあまり無い(*_*)
主人を亡くし 無我夢中で過ごした毎日だったから?

娘は、5年生からバスケの練習に行く様になった。
しかし、4年生に練習に行けなかったのは、マイナスになり 試合にも出れないし、いつもベンチで応援!!
私の中で 決して運動神経が悪い子では無いと思っていたし、バスケを頑張れれば、学校へ行く励みになるのではないかという思いが有ったので、娘を認めてくれない バスケ部は大嫌いだった。

いつから教室にいけなくなったのか?憶えてないが・・
4年生の頃保健室に行かなかったのに(-_-;)
いつの間にか 保健室登校をする様になっていた。

養護の先生いわく 
教室の中で 「お父さん」という言葉を聞くのが辛いのかもしれませんね?
保健室に居ても 「お父さん」という言葉が会話の中に出てくると スーッと居なくなるんです!と言われた。

そんな中で バスケの練習は頑張ったのだから・・
そのおかげで 秋の陸上大会にも選ばれて リレーでは、郡大会にも行けた。お父さんを亡くした悲しみを 走る事や運動をする事で 発散していたのかもしれない?

本当は、もっと色々な事が 沢山有っただろう
でも思い出せない娘の5年生です。

2005年11月3日

小学6年生 へ続く

© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: